幸せ
今の時期梅干用の梅が出回る。待ちに待った季節。
梅干になる前の塩漬けの梅を母は梅干の子どもだから?かどうか?
「梅っ子」と呼ぶから、当然私も梅っ子と呼んで、特に黄色くなった梅っ子をしょうゆに浸し、
口に入れるとこれがすっぱくてすっぱくて切なくて好きで大好きなのでした。
小学生の頃、毎食5粒6粒、梅っ子さえあればごはんを何倍もお代りするのを嬉しそうに母は見ていたが、個数は増えていく。見かねた母は,
「おなか、こわしんすなよ。梅っ子は消化悪いから3粒くらいにしんさい」
期間限定・個数限定の3粒はさらに貴重でおいしく、好みというものは是非もない。
梅っ子を食べるとですね、切ないすっぱさ、
人の感情のうれし楽しは
わかっていたけど
「なんて幸せ」
心のうちに沸き起こる、幸せ、というものを私はそのとき発見しましたです。
いよいよ本漬けのお別れの時期が来る。かわいい梅っ子はシソにくるまれカメに隙間もないほどぎっしりと詰め込まれ、油紙でふたされるといっぺんに姿を消してしまう。また、1年経たなければお目にかかれない。
梅っ子を食べられる、ありがたーい何日かは
幸せ!って梅っ子を見るたび思いまして、このものを
愛しているではないかと思うほど大好きで
幸福は
人それぞれ、さまざまなところで、自然に
沸き起こってくる,
なんといいものだろう、
子どもながらに思いまして・・・
それはつい最近まで思っていまして、
幸せはひとつではない、
幸せは人の数だけあり、幸せの形は人の数だけ違う、
そういうものだろうと思っておりました。
5月31日、
家族ネットワーク集会というより、講演会「高橋政巳先生の漢字の感じ」
(高橋先生の著書の前書きには
古代漢字に魅了され、私は「楽篆家」・らくてんか、と名乗っている。刻字といって木や石に文字を彫ったり、書で書いたり、古代漢字の書体の一つである篆書を楽しみながら表現している。だから、楽篆家だ。)
福島県喜多方市で工房兼ギャラリーを開いておられる。)
福島坂下の菅さんの広い人脈のお蔭で仙台で講演してもらうことになった。
「感じの漢字」「感じる漢字」など著書多数、講演の依頼も多く、
書は世界的に有名です。参加者は古代文字で自分の名前を書いてもらえる特別恩典つき。
挙手をすれば、自分の名前の由来を丁寧に教えてくれ、たくさんの漢字の由来をひもといて、くだすった。この日は塾生親子、ネットワーク会員、満杯の会場。
1時半から4時半までまさに政巳先生の漢字ライブ、引き込まれました、漢字は奥深い。
まもなく、講演もあと数十分で終わりという時に、篆字を勉強するに、今、なぜ先生は私達の前にいるのか、きっかけになった字を紹介してくれた。
『幸』
「これはですね、3300年前、(中国は)争いがたえなかったですね。負ければ、勝った敵国に兵を差し出すわけです。差し出された兵士は敵国に向かって、何日も何日も歩くわけです。できれば、列から逃げたいと思っても、周辺の村人は逃げた兵士の首を差し出せば褒章がもらえる、だから、逃げたってすぐに捕まる。殺されます。
そうやって歩いて、歩いて、(身分の低い)兵士は逆らえないですよ、逃げられないですよ、逃げれば捕まり殺されますから、
手を縛られ(もしかして家族にも兄弟にも、もう二度と、会えない状況)
それが「幸」の字の意味です。
「手かせ」それより今はいい、
それが「幸」という字です。
これ以上劣悪な残酷な状況ではないのなら、幸せ・・・それがシアワセ・・
この意味を知ったとき、私は衝撃でしたね。この道に入るきっかけの漢字です。
この意味を皆さんに伝えたくて・・・・・・
手かせの足かせのない、命の危機、それがないのなら幸せ、
生命の危険はありません、わかれば、幸福、
なら、幸福です。
『幸』は
愛する人に会えないかもしれない、
家族にも二度と会えないかもしれない、逃れられないわが身の運命に、
手枷(手かせ)られ、
それでも歩かねばならない、逃げられない、逃亡は死を意味するから、
そんな過酷な、
そんな瞬間、
今のあなたにそれがありますか?
なければ、シアワセ・です」
(私の覚えている限りの抜粋です)
会場はしんとなった。
幸田文の随筆に『無音の音』というのがある。
私は「幸せ」の字源に
はっとした。しんとなった。
あの無音の音が今も残っている。ずっと残るだろうと思う。
今北玲子