2018年8月 2日

夏から秋

7月後半
夏期講習が始まった。
午前は小学生、午後からは中3、中2、中1、
私たちも忙しいが、子どもたちも忙しい。
部活、塾、夏休みは普段よりまして忙しいようだ。
中1・2の夏期講習は前期のおさらいに始まり、
拾いきれなかった単元の復習と定着、
中3は8月初めの模擬試験に向けて講習を進めた。
それぞれの弱点に
向き合う。
一つでもわかってくれればうれしい。   

一日中、教室にこもって過ごした、
あっという間の夏でした。

9月
夏休みが終わり、今度は休み明けの実力テスト、定期テストの
準備が始まる。

次から次へと何かが終われば何かが始まる。
子どもたちも大変だなって思う。

しかし、待ってはくれないテストとその評価は
塾の評価と相まって気が抜けない。
現状維持ならまだしも、下がり続ければこの塾でいいのかと
ご父兄は考えられる。
1点でも多く、と思ってしまう。
家で勉強ができない子どもたちは多い。心配だから土曜日曜も塾をあける。
なかなか塾を休みにはできない。

試験前は、夫は教室を走り回り、一人一人の勉強の様子を覗きこみ、
「これは後にしろ。まず、教科書の問題をやれ」
「間違った所が先。丁寧に」
「質問をしろ。質問ができるようになったらわかって来たんだ。粘れ」
大声を出す時もあり、
試験前の教室は、夫の迫力で子どもたちもぴりぴりです。

9月の或る夜、
中3のA君が「先生に話がある」とのことで、
夫と二人で話を聞いた。
「学校に疲れてしまって......、学校の先生は出来る人が大事で、
出来ない人を相手にしないし。
.....学校に行きたくないです」

学校の体質や、勉強に身が入らないことや、
音楽を聞いている時が一番安らぐこと、
いろいろなことを語ってくれた。

身につまされた。
私たちも学校同様に、子どもたちの出来不出来を追いかけ回しているのではないか。
決して、テストが悪くてもいいよ、とは言えない。
前回より、少しでも上がってほしいと願う。
当然、塾に通わせている親御さんも願っているだろう。

子どもたちは疲れている。
その声を聞いた。

大人は良かれと思って励ます。
勉強に身が入らなければ活も入れる。
それを受け入れられる子どももいれば、そうではない子どももいるのだ。

「お前の言うことはわかった。
つらかったら学校にいかなくともいいんだ。
お前は自分のことを出来ないと言うけれど、お前の話は
相手に伝わる。それだけきちんと話せるのはすごいことだぞ」
夫が言った。
私もそれは感じた。
15歳の心を癒す言葉、これというものが見つからなかったが、
「学校みたいに塾がつらくなったら言ってね。どうしても休みたくなったら言ってね」
それだけは言っておきたかった。

十人十色というが、
かたや、
上昇志向があって、定期テストは高得点を目指し、
意中の高校に向けて、ひたすら、勉強する子どもがいる。
定期テスト前に、教科書を読め、と言われれば、
丁寧に読み、テスト範囲の隅々まで勉強し、終われば、次は何をしたらいいのかと
夫に指示を仰ぐ。
一途に、切ないほどに、自己を高める努力を怠らない。

もしや、疲れているのかもしれないと思うが、
疲労を勝るものがあるようだ。

今回の9月の定期テストでは
確実に点数を伸ばした生徒は多い。
学校は違うが、
順位がひと桁、(1番、2番、5番)、
もう一人の2番、(1番とは1点差だった)、10番台、20番台の
黙々とひたむきに、勉強する子どもたちがいる。

勉強が自分の希望につながるものなら、
「よくやりました!」
慰労したい。
「がんばったのね!すばらしい」
努力に敬意を表したい。
目標を立てても強い意志がなければ達成できない。

親なら、勉強や部活、何かに打ち込んでいる我が子と接しているのは
気分がいいと思います。私たちもそうです。

しかし、部活もそこそこ、
勉強はというと、やる気は一向に見えない。
大人は、やきもきする。
「一生懸命に勉強しているのなら、成績が悪くともいいんです」
そう言う親御さんは毎年いる。
我が子の懸命な姿を見たいのが、親の思いです。

本人はやる気がないのではなく、その子にとって学ぶべき量が多すぎるのではないか、
と、思うことがあります。
たとえが、適当か、わかりませんが、
栄養価、バランスを見て、この時期にこれくらいは食べさせたい。
考えられた料理が大テーブルにこれでもかと並んでいる。
ひと品ずつ、食べた量がその子の評価としましょう。
より多く、食べた子どもはポイントが上がる。

見ただけで食傷気味で、食べられるものだけ食べた子の評価は下がる。
ある子にとっては、大量すぎてうんざりの食卓が、
テスト勉強のような気がするのです。
その子に合った、少しずつ量を増やすというカリキュラムは学校にはない。

中2になったY君は、小学生からのつきあいで、
いつだって機嫌がよく、よく笑い、部活の様子を
楽しそうに話してくれ、プロ野球、高校野球選手のポジション、
出身校、大人顔負けの生き字引のような記憶力の、
気持のやさしい、生徒です。
ところが、勉強となると、にらめっこ。ため息です。
テーブルのメニューの量の多さにうんざり、といった感じです。

夫が、これだけ、やろう。これができれば次もいける。
中1から言い続けていました。少しずつ、理解していくということで、
数学は一次方程式に力を入れたようだった。

中1の一次方程式が解けなければ、中2の連立方程式も解けない。
中2になったら数学がもっといやになるだろう。
夫は案じていました。
それが今回、一次方程式がわかり、連立方程式が解けるようになりました。

夫が
「すごいな。できるじゃん!」
そう言ったら、
Y君は、何も言わなかったけれど、にこにこしていたと、その夜話してくれました。
夫は、
「テストの点、順位、評価の基準にY君は、当てはまらないかもしれないが、
子どものわかる喜びを痛烈に感じた。その子のわかった喜びは評価に反映されない。
親や学校にも伝わらない。
Y君のわかった喜びは本当の意味での学力向上なのだろう」
そう言った。
うれしそうだった。

数日後、
9時半過ぎ、塾の帰り道、八百花の前の横断歩道で待っていると
信号が青になって、歩きだした。
後ろから、一台の自転車が私を追い抜いたと思ったら、
「玲子先生!さようなら!」
声でわかる。Y君だ。
黙って通り過ぎても、夜だからわからないのに、律義です。
「やったね、Y君」
走り去る自転車の後ろ姿に手を振った。

まさに十人十色、
どの子がいいとか、どの子が悪いわけではない。

もし、学校に疲れていたり、
学校が居心地の悪い子どもたちには
勉強がすべてではない、学校がすべてではないと言いたいです。
遠回りしてもいい。
自分の道を探したらいいと伝えたいです。

私たちが、
どの子にとっても、その一助になれたらと思います。

30数年前、
私たちは東京の練馬で塾をしていた八杉晴実先生に出逢った。
当時、開塾してまもない頃で、
学校は、正しく子どもたちを導く場所で、塾は必要悪というイメージがどこかにあった。
子どもの遊ぶ時間を奪っているとみられる風潮もあり、
夫は、俺は裏街道を歩いている、とよくつぶやいておりました。
そういう時期に八杉先生の著書を本屋で見つけ、逢いたいと夫は上京したのでした。

何があったのか、東京に一泊して帰宅した夫の顔が明るく、いい顔で驚いた。
先生との出逢いが、夫の気持を変えたようでした。

八杉先生は先見の明があって、
大手の新聞社の論客やマスコミが、今の教育の実情と先生の考えをこぞって聞きたがった。
先生は気さくで、北島三郎の「祭り」がプロの歌手みたいに上手で、
お酒が好きで、情にもろく、
授業が抜群にうまくて、
多数の八杉先生の著書は、小説家かと思うほど、心に染みた。

私が「八杉先生の文章が好きです」と言ったら、
「玲子さん、文章に、騙されちゃいけないよ。信じちゃいけないよ。人は文章じゃくなくて、顔なんだ」
子どものように笑った。
八杉先生、私が呼びかけると、
「先生と呼ばれる人が一番、あぶない」
内緒話のように言って、また笑った。
魅力的な人だった。
夫が八杉先生に逢っていい顔になるはずだと初対面で思った。

その後、不登校や学力遅れを支援する「家族ネットワーク」をたちあげ、
子どもを支援する人たちを全国に呼び掛け、募った。
大手ではない私塾、小児科医、弁護士、精神科医、カウンセラーの多くの人たちが
支援する手を挙げた。
今も「家族ネットワーク」「支援塾ネット」は続いている。

八杉先生の精力的な活動は続いたが、50代を半ばにして亡くなられた。
その後は夫が「家族ネットワーク」「支援塾ネット」の世話人を引きうけている。

八杉先生は仙台で何度も不登校の集会を開き、マイクを握った。
毎回100人余りの不登校の親御さんに、力強く、優しく背中をさするように
「不登校は病気ではありません。怠学でもないんです」と話した。
その後、文科省は「不登校はどの子にも起こりうる」と認めました。

ある仙台の集会で、八杉先生は
「学校が本妻で、塾は愛人ではないんです。
学ぶ窓口はいくつあってもいいんです」
おっしゃった。
そして、八杉先生が亡くなられて、お別れの会にどなたかが、
「生前、八杉先生は、自分は焼き鳥屋、客の好みに合わせて焼き方を変えると話していました」
と偲んだ。

今、その言葉に納得する。
勉強したい子ども、自分の将来を夢見る子ども、
学校に疲れる子ども、勉強を強いられ、くたくたになっている子ども、
息苦しい学校に行かない子ども、学校に背を向ける子ども、
客に合った焼き方とは、その子どもに合った学び方、
(教え方とは傲慢な気がするので)
つきあい方がある。
そう思う。

9月の或る夜のA君の話の続きですが、
A君の話が終わったのは夜10時も過ぎていました。
私は一足先に教室を出て、玄関から外に出ると
小雨が降りしきっていました。
あわてて塾から傘を出して歩き出すと、
日中と違って、塾の前の道は、
時折、酔客はいるが、人通りも絶えてひっそり。
ドトールを過ぎた先の、自転車置き場の隅に、
止めた自転車のサドルにまたがり、小雨をしのいで
フードを頭からかぶっている人が、ひとりいた。
あれ?
小走りに近寄って見ると、やはり中3のS君だった。

傘を差しかけ、「A君を待っているの?」
と訊いた。
「約束したわけじゃないんで。勝手に待っているだけなんで」

私に早く帰らなかったことを注意されると思ったのかもしれない。
「約束をした訳じゃないんで」
本当だろう。S君は長文和訳が妙訳、穏やかで、心根のいい正直な生徒だ。
S君はフードを手で目深におろし、「勝手に待っているだけなんで」
繰り返した。

そうじゃないの。

「こうやって友達を雨が降ろうと、帰らず待っている
あなたの気持がね、......」
そこまで言うと目がうるんだ。

A君がなかなか出てこない。
待っていよう、一緒に帰ろう、そう思ったのだろう。

「約束しなくてもまだ塾に残っている友達を待っている、
あなたの気持があったかくて。なんか感動してしまって。
いい光景をみせてもらった。ありがと」

口数の少ないS君は、少し照れてフードに隠れた顔を下に向けた。

数分後にA君が出て来る。
雨の中、止めた自転車に乗っているS君に気づく。
「待っててくれたの?」
「うん、帰っか」
「うん」
並んで自転車を走らす。

学校や勉強に疲れたA君が、
約束したわけjじゃないのに、
雨の中、自分を待っていてくれたことを
知ったら、少し元気になるような気がした。

10月
小袁治師匠の独演会も近づいた日のこと。

(師匠は毎年、卒舎式で落語を一席、子どもたちに聞かせてくれる、
私たちにとっては30年来の恩義のある方なんです)

小学5年生の授業が16時半からで、
教室に入ると小5の皆さん、お揃いで、でも騒がしい。
一斉に訴える。
「おれが助けに行く」
「あれじゃかわいそう」
「あれはかわいそう」

どうしたの?

窓際のH君が、
「見て見て。先生!」
H君の指差す方を見た。

「まあ、あれはかわいそう」
私も言った。
でしょ?
でしょ?でしょ?
5年生の全員が「でしょ?」の連呼。

小袁治の会の玄関に張ってあった黄色のポスターが
風に飛ばされ、北仙台駅のバス停の前、
道路の中央に張り付いていた。
ひっきりなしに通る何台もの車に、ひかれていた。
二階の窓から道路に張り付いたポスターを発見するとは
H君は目ざとい。

子どもたちは
「小袁治さんのポスターが、かわいそう」
「助けなきゃ」
そういうことだった。

「玲子先生、小袁治さんのポスターを助けに行く。おれが行く!」
「だったら、おれも行く!」

いやいや、あなたたちを行かせる訳にはいきません。

教室を出た。
「先生、行くんだ。助けに行くんだ!!」
背中に声を聞きながら、
はい、私がすぐに助けに行きます。

夕方16時半、右から左から二車線を行きかう車は、
途切れることがない。
ポスターが落ちている場所、道路の中央にはなかなか行けない。
やっと、車が途切れたのを見計らって、ポスターに到着。
手をかければ、ぺらっとはがれると思った。
甘かった。
ラミネート加工したポスターの裏の両面テープががっちりと
道路に張りついて、一分の隙もない。
しゃがんでポスターの端を捕まえた。
これで一気にはがせると思ったらこれまた、甘かった。
ポスターの上を何台も車が通ったから、両手で引っ張っても
頑固にくっついて離れない。

力いっぱい、何度も引っ張る。だめだ。
もう一度、
3分の1、はがれた。
まだまだ。
バスが目の前を通り過ぎた。
あと半分、腰を浮かせて力を入れる。
大根でも引きぬくような中腰になる。
もう少し、
ポスターが大分、浮いて来た。
よし、もう一回、もう一回、あと少し、もう一回。
やっと、めりめりと音を立てて道路からはがれた。
救出、成功。
車が多くなってきた。バスもまた、うしろから来た。
あぶない、早く、教室に戻らなきゃ。

教室のドアを開けたら、K君がぱちぱちと私を見て拍手した。
「なかなか、はがれなかったのよ」
皆にポスターの裏を見せながら、訳を話すと
子どもたちが交互に言った。

「先生、そういうことじゃなくて。おれ、あぶら汗、ひや汗!」
「大胆すぎる。こわすぎる!」
「車が何台も、先生の横を通った!」
「バスの運転手さんがめっちゃ見てた!」
「動画、とってる人もいた!」
「先生、ユーチューブにのったらどうする?」
「危険な人の塾とおもわれたらどうする?」
「危険な塾には行かせないっておもわれたらどうする?」
「危険な塾はやめようっておもわれたらどうする?」

でしょ? でしょ?、が
どうする? どうする? って言われても、今更、私、どうする?

確かに、子どもたちの言う通りだった。
北仙台駅の大通りの真ん中で、私はポスターはがしに
夢中になっていた。
せわしなくしゃがんだり、立ったり、
ドライバー方々には迷惑千万だったにちがいない。
なにしてんの?
バスの運転手も見ますよね。
「ねえねえ、見てこの人。危ないよね」
動画をとって、誰かに見せたくなった、なんてこともありますよね。
すみません。

でも小5の子どもたちが、小袁治師匠のポスター救出に
まるで師匠を助けたみたいに笑っていて、ほほえましかった。

小袁治師匠!
10月12日(金)は、
師匠のポスターを心配してくれた子どもたちも行きます。
全塾生を連れて行きます。

玲子














2018年6月 5日

4月、5月

4月
東京同窓会で卒業生に会ってきた。
参加者、22名。
十九の春やら、社会人1年生、2年生、3年生、中堅、
この同窓会を支えるひと桁の、50代の重鎮たち、
みな元気だった。
小袁治師匠も毎年参加してくれる。
有難い。
出逢って40年は過ぎた。
切れずに続いた縁の糸がうれしい。

それは、どの卒業生にも通ずる。
北仙台駅前の「北剏舎」に通っていて、
10年経ち、20年、30年、40年、
月日が経っても、
年に一度、逢えるのは奇遇と果報と言えるかもしれない。

CHちゃん......が私の横に座った。
忘れられない開塾前の、或る塾に勤めていた頃のゼロ期生と呼んでいる卒業生です。
当時は、ショートカット、黒い瞳、聡明で、口数は少ないけれど
話せば発言は的を射ている。

でもどこか大人や友達を警戒しているような、
観察しているような、
鋭さと切なさ、胸が痛くなるほど伝わってきたのを覚えています。
そして、CHちゃん、ただあなたが愛しかったのを覚えています。

同窓会を終えて、夫が一言コメントを参加者全員に依頼したら、
CHちゃんから
文章が送られてきた。

「思春期のひと時を今北先生、玲子先生と共に過ごした、という
共通項があって、それだけで私たちは八重洲に集結したんだ......
稀有なことではないか。
帰りの電車はその 『稀有な素敵な出会い』 に
思いを巡らせて車中、あっという間の2時間。

高校3年生の時、母が乳がんになって5年後に亡くなったのだけれど、
いろいろ辛すぎて、その頃を記憶を封印したらしく、
はたから見れば
青春のキラキラした時期だろうが、楽しかったことも含めて思いだせない。
けれども、その時期以前も以後も、
なぜか今北先生ご夫妻とのあれこれについては
映像がはっきりと浮かぶ。

初対面の時のこと、
学校と違って頭に入って来る数学、
いつもちょっとはずれた感覚で
物事を受け止める私の感性を認めて下さった玲子先生の国語の授業、
(いつも変な自分に悩んでいたけれど、いいんだ、と思えたのは玲子先生のおかげ)

今北先生が一女高の合格発表にバイクで来て下さっておめでとうを言ってくれたこと、
八木山のお宅に遊びに行ったこと、
母の国分町のお店でカウンター席に座っている先生。
大学に受かって仙台を離れるときに、
籐のかごをお二人からお祝いにいただいたこと、
(かご好きでリクエストさせてもらった!蓋が壊れたけどいまだ現役使用中)
母のお葬式に来て下さった先生。
先生と出会った中学生の頃は、
親は永遠に死なないと思っていたけれど、
大切な人でも物でも必ずお別れがあることを知った。
だから毎日が大事なんだってわかった。
もう40年経ちましたよ、先生。
先生ご夫妻も私も、いろんなことがありながら
40年も生き続けてきたのですね。

さて、子育てもほぼ終えた今、
次に私が描いている構想はミツバチとの暮らし。
昨年春から2群飼い始めて、
秋にはミツバチを狙うスズメバチとの死闘を繰り広げ、
(捕虫網で1匹ずつ捕まえては、焼酎やらハチミツやらに漬け込む命がけの作業)
ハラハラドキドキの越冬を乗り越え、
やっと3群に増え、
そのうち2群の新女王が交尾飛行に
出かけて戻りを待っているところです。
ツバメに食われるかもしれないし、
雨に打たれて寒くて死ぬかもしれないし、
そもそもオスに出会えないかもしれない。
旅立だった娘の身を案じて、夜も寝られやしない今日この頃。
1匹のハチが集めるハチミツは、
テイースプーン1杯にも満たないほどだとか。
そしてハチがいなかったら、作物は実らない。
毎日ハチミツをなめる度に、
ああ、ハチの一生分の業績だ、と感謝するのです。
そして先生ご夫妻のこれまでの業績は
毎年、4月に東京に向かってくるたくさんのベクトルが示すとおり、
教育に携わるって
こういうことなんだ、と腹に落ちた4月の佳き夜でした。」

それからまもなく、
CHちゃんからハチミツが届きました。
小さな瓶の中に、とろり琥珀色の、ハチミツ。
ふたを開けるのもどかしいほどで、
ひと匙のハチミツを口に入れました。
すっきりとした、甘いけれど潔い、CHちゃんの味がしました。

人には別れがあることを覚悟の上で、
大病を乗り切り、毎日が大切なんだって、
迷わず、自分の好きなことに生きることを選んだのでしたね。
命賭けのスズメバチとの死闘も厭わない、なんて
だれでもできることではない。
じっと何かを見つめ、いつも何かを探していた、
15歳で出会った時の、黒い瞳の少女と変わらない。
はちを愛し、スズメバチと格闘するあなたを見習って、
また、来年、今でも愛しいあなたと会いたいです。


4月から5月、
新しい子どもたちが入塾しました。
きっかけは様々で、

お兄ちゃんが通っていたから、
3月のチラシを見て、
バスから見える北剏舎の看板がずっと気になっていて、
或いは、
「当時、中学生だった頃、北剏舎に同級生が通っていました。
自分は塾はどこにも通わなかったけれど、娘は北剏舎と思っていました」
また、
「我が子を通わせたかったけれど、通わせられなかったんです。
でも孫はここと思っていましたのでお願いします」
この二つのご縁は数十年前にあったのだと思うと、なんだか嬉しいです。

そのお孫さん、
小3のT君は授業が始まるまで階段の、踊り場の本棚の前に
座り、夢中で本を読んでいる。
「はだしのゲン」

塾生が誰もが手に取る本ではない。
今25歳になる、小学生だったYちゃんが
学校の先生に読んでもらった「はだしのゲン」に
感動して塾日誌を書いてくれました。
以来、
この本に興味を持ってくれた生徒はいなかったように思います。

小3の子どもの目に、戦争の傷跡が刻まれていくのが
読む姿で伝わってくる。
国語辞典の引き方が学校の単元で出てくるので、
先取りの授業をしていたら、
「空襲」「原爆」「戦争」
先生、引いていいですか?
いいよ。
小さな手が辞書のページを繰る。
なかなか出てこない。

「あった!」
無心に読んでいる。

必要だからとか、覚えなければ、
とかそういうことではない。
はだしのゲンに出てくる 
言葉だから引いてみたい。

小さな手と文字を追う目は
悲惨の意味を知りたい目で、
知ったら誰かに伝えたいようだ。
「読んでみてほしいな」
「いいの?」
「いいよ」
「空襲はね、......」
「原爆はね......」
「戦争はね......」
声に出して読んでくれた。
子どもの声は沁みる。

この二人の時間をずっとずっと覚えてくれたらいいな。
いや、忘れてもいい。
辞書を引くのはなんだかいい。
それだけ覚えてくれたらいいです。
玲子

























2018年3月11日

3月

「3年後に階段を駆け上がって来て。
15歳の時の
約束を覚えていてやって来る18歳もいれば、
約束などしなかったけれど、今を報告してくれる18歳、19歳もいる」

3月某日
授業中にT君が入ってきた。
「いま、東京から帰って来て、北仙台駅から
塾に直行しました」
「どこか決まったの?」
「一つは慶応、もうひとつは、まだ」
1年浪人していた。

中3の入試の時に夫が全員に、手で削った鉛筆を贈る。
わからない時、この鉛筆を使えばわかる。合格鉛筆と呼んでいた。
T君は高3のとき、
中3のその鉛筆を持ってきて、験がいいので、削ってほしいとやって来た。
あれからまた1年が経った。

「慶應? おまえ、そんなに頭良かったっけ?」
頑張ッたんですよ、先生。

帰りしなに、先生に恩返しをしたいので、塾のこと手伝います。
うれしいことを言って帰って行った。

3月某日
高3、山形大合格。Hちゃん。
同じく、山形大合格。H君。
また、山形大合格、Mちゃん。(中3で書いた作文通りの学科だ)
おめでとう。
今年は山形、多い。
同窓会が開けそうです。

3月某日
1浪のK君も来た。
昨日、大阪外国語大に合格したとのこと。
中3の時、第1志望が残念で、
「3年後、階段を駆け上がって朗報を持ってきてください」

約束通り、朗報を持ってきてくれた。
そして、
「お借りしていたものです」
紙袋から、
ひつじのショーン。犬のピッツア、あと二匹が出てきた。

 
私の好きなショーンを教室に置いてありまして、
マグネットのショーン、犬のピッツアが、柱にはりついて居りました。
ある日、ショーンが居なくなりました。
後日、
お母さんから
「教室のショーンを息子が連れて帰って来てすみません」

その言い方に感じ入った。
「塾の備品を勝手に持ってきてすみません」
じゃない。
「連れて帰って」
その言葉にほのぼのとした。
連れて帰るほど好きなら、とK君の前に
大きな、といっても20センチほどのショーンを買ってきて
K君の座る席の前に、専属応援と座らせた。
「これを見て、入試を頑張って」
うれしそうだった。

K君には譲れない第一志望校があった。
ただ、内申が懸念された。
本番は過去最高の点数だったのに、
同じ高校の他の合格者より
点数は上回っていたのに、内申の枷に阻まれた。

「高校に行ったら頑張ります」
15歳の彼に、
「これは、3年後、受かりましたって言うまで貸すから。
勉強してね」
K君は「はい」と言って
ショーンと数匹を大事に持って帰っていった。
1年浪人したので、あれから4年、
その約束を守って、合格と共に
ショーンたち、を返しに来たのだった。

貸すというより、あげればよかった、あのとき、思ったが、
合格するまでのお守りと思って、貸すことにした。

私も
20センチのあのショーンに、K君の中学生の名札をつけて、
大学の朗報を持ってくるまで待っていようね、とピアノの上に置いた。

合格してきちんと返しに来たことが
うれしかった。
律義さがうれしかった。
忘れないでいてくれたことがうれしかった。

K君から4年前のショーンを受け取った。
あらためて大切に持っていたK君のことが思われて、
ショーンたちもなんだか今更返されても、と寂しそうで、
「このショーンの飼い主はもうK君だから」
返しに来たものを返した。
にこっと笑って、「ありがとうございます」
身長も伸び、少年から青年になって、
大きな手のひらに小さく見えるショーンを
4年前と同じように、大事にしまった。
私はこの場面をずっと忘れないなと思った。

3月某日
約束通り、恩返しをしたいと言ってくれたT君がアシスタントをしてくれた。
同じく浪人していたM君も来た。
M君、北大に合格。
二人でアシスタントをしてくれた。
気持があたたかくなった。

合格発表

私たちは、志望校は本人の気持ちを優先したいと思っている。
五分五分、四分六、本人には正直に言うけれど、
「最後は覚悟の問題だ」と夫は本人に委ねる。

今年も内申点が案じられる生徒や、家庭の事情を抱える生徒、
願書締め切りにやっと志望校が決まって、入試に臨んだ生徒。
納得行く選択だったと思ってもやはり心配だ。

結果は全員合格は叶わなかった。
私も夫も気が沈んだ。

その日の親の気持ちは分かる。
うちの息子たちは、公立は全敗だった。
考えようによっては、塾の先生の子どもが受かって、うちはダメだった、
というより、よかったのではと思うことにしたが、
子どもの涙は、今、思い返しても切ない。

合格が叶わなかったR君の家に電話した。
お母さんは、「先生、息子はやりきりました!」
そう言いきった。
すごいなって思った。子どもを信じた母の強さが耳に残った。

本人に代わってもらった。
「大学にいくつもりなら、3年後、合格の知らせを持って
塾の階段を駆け上がって来てね」
「はい!」
大きな声だった。

待ってるよ。R君。

塾の合格率を100パーセントに
するために志望校を諦めさせる気にはなれない。
この悔しさが明日につながることがある。
卒業生が教えてくれたことだ。

その後は、合格が続き、うれしかった。
しかし、3時過ぎても、4時になっても来ない生徒がいた。
K子ちゃん......。

悩みに悩んで一転、二転して志望校を決めた。
卒業生の二世である。小学校から通っていた。
夕食の準備で6時に帰る私を「お見送り」と言って
教室の階段を私のあとをとことこついて降りてきた。
「玲子先生、お気をつけて」
可愛い小学生の頃からつきあいだ。
受かったらすぐに連絡が来るはず。
ぴたりとやんだ携帯、
連絡がない。
4時半、「あいつがだめだったとはな」
夫は窓からずっと下の通りを見ている。
だめだったとしても必ず来る。
そう思ったが、来ない。

「来た!」
窓から通りを見ていた夫の声に
私も身構えた。
なんと言葉をかけよう。
母娘で教室に入ってきた。心なしか、K子ちゃんの顔が暗い。
聞くのも怖い。でも......。
「どうだった?」

「......受かりました!」
夫がへなへなと座りこんだ。
私もどっと安心して、
身体をカウンターに預けた。

「携帯より、直接行こうって思って。
ごめんなさい、先生、やっぱり連絡すればよかった」
卒業生のKちゃんがしきりと悔いているけれど、

いいの。そんなこと、いいの。

娘を、卒業生の母親をそれぞれ、抱きしめた。

合否はこの1年の15歳の成長をみる。
どちらも今後の糧となるにちがいない。

東京の同窓会に行くと、4年後、10年後、30年後の
教え子たちの人生に出逢う。
東京の皆さん、4月、夫と二人で行きます。

玲子