« 2007年12月 | メイン | 2008年2月 »

2008年1月 アーカイブ

2008年1月 7日

あなたに

「上の子たちはいろいろありまして・
末っ子ですが、ドンドンドンの10点配点の小学校ですから
90,100点とっていましたけど、
いいかどうか、わかりませんが、
基本はわかっていると思います。お願いします」
16年前だった。

基本のわかっている中1になろうとする末の子に会った。
母に言われるままにこにこして、北剏舎の塾生なった。
授業中、私語はなく、
ふざけることもない。
隣の友達に聞かれれば、答えだって教えかねしない、
欲もなく、切れのいい、深く考える賢い子、

所作がなんとも言えず。
あなたこと・
つい
「いい子がいるの」

当時、同級生の息子が言った。
「俺・誰だかわかるよ、お母さん」
「そう」
「うん」
「話してみたら?」
「できないよ。あっちは頭いいし、俺は頭悪いし」

それから3年後の高校合格発表の日、
次々と
報告に来るのに
あなただけ来ない。
合否をすぐに報告しに来ないのは信頼関係がないのかも・・
入試はなにがあるかわからない。
まさか・・・あなたが不合格?・・でも
今までもあった。ありえないっていうこと・

両手あわせて祈っても発表から3時間経つ。
もう6時。
祈りも、もはや結果が出て届かないかもしれない・・・
教室のドアが開いた。
切羽詰った私にえっ?
という顔で入ってきた。
「どうだった?」
「合格です」
自分の合格がそんなに重大なこと?
そんなのんきな明るい顔だった。
「おめでとう」手を握っても、涙ポロリ・も
意外な顔で私を見ていた。

あなたと話したいなんて・
言い出せないみたい・だったから
「いつか、息子があなたと話したいと思っている。その時はよろしく」
本人が言えないことを私が言わなくていいのに。
あとで謝った。ごめんね勝手に・
いいよ、お母さん、本当のことだから。
お母さんの好きなもの、いいなあって思う人が一緒って
俺、なんとなく、いいよ。

あれから13年・たって、
賢いあなたは私の言葉を覚えていて
メールくれた。
「玲子先生の言葉を思い出して連絡とろうと思ったら・・・」

・・・
・・・・
そうなの。もう、会えないの。私も連絡取れないの。
ごめんね。・・・
寝ても覚めても息子の名を何万回も心の中で呼べるのに、
私、その名・声に出せない、手が震えてキーボード・打てない・
返信はできなかった。

1月7日の夜、夫が帰ってきて、
「玲子さんのブログ見てるってメールはいってた。」
誰かすぐわかった。あなたね。

ブログは私信ではないけれど、
あなたへ・
私が返信もしないのに、
海の向こうからでも
北剏舎を見ていてくれる気持ちがうれしくて。
メールではなくてブログで
あなたの優しさ・・公開したかった。

いつか、あなたに愛する人ができて、いや、いる?
「俺にさあ、塾の先生がこんなブログ書いてくれた」
そんなあなたの人柄・伝えてみたくて・・

そういうのって・ブログだからいいってこと・
思うことにして・・・

覚えていてくれてありがと・
身体を大切にね。無理しないでね・・
あなたのことだから、
ブログ見ました、
仙台に帰ってきましたから・・なんて・
会いに来なくていいからね・

あなたの頭脳を生かして・学問して
毎日楽しく生きて。
私もなんとか生きる。

気持ちばかりの御礼・

タク君
あなたに。

そして、遠くから
私に夫に
言葉もなくて、
ひたすら、どうしているのかな
案じていただいている
お名前、敬称略の皆様・
お痛みかけまして・
不調法極まりない呼び方ですが
あなた・
という私の特別な皆様へ・
誠に
何とか生きる最中の、
いずれ、言えることができたらの
途中御礼ですが、
真っ暗だと
無言のやさしさが見えるんです。

私たちだけが不幸ではない。
みんな黙っているだけでどなたも言えぬ何かを抱えているものだと思う。
すれ違う人に、なんとか生きるから、見ず知らずのあなたも・どうか・
つぶやくと目の合う人がいる。
Reiko

2008年1月 6日

あわびから・・・

これも年末のこと。親友が
「玲子の好きなあわびの肝、もって行くね、本体ないけど」
「ありがと・肝あれば」
それを小耳に挟んだ末の息子。
「お母さん、あわびって俺、食べたことない。
テレビで見たように氷水につけて食べてみたい」
「そうだった?なら、奮発して正月にご馳走しましょ」

そういえば、
こどもたちには好きなものはとことん食べさせたいと思っていたのに
末の子にはそんなイベントしていなかった。
申し訳ない。あわび・一口食べさせてなかった。
姉は5.6歳の頃、大好きなスイカ・
自分の頭より大きなスイカ預けてしこたま食べさせた。
兄にも寿司はまぐろというから回転寿司でいらない!まで食べさせた気がする。
好きなものを思いっきり食べるとそうでもなくなる。
私の祖母も母も言っていた。私も柿が好きといったら、1箱預けられた。
新婚時代に夫の喜ぶ顔みたさに頻繁にカレーにしたら
大好きな夫の好物を削除してしまった。

好物とは日ごろ食べられないものではなく、
食べ続けても飽きないものを好物という気がする。

私の好きなものは梅干。
毎日食べても飽きるどころか、ないと暮らせない。
パスタ、ラーメン、餃子、刺身、すし、私の好物・いろいろあると思っていたけど
最近本当の好物に気がついた。
ラーメンじゃなくて胡椒が、
パスタじゃなくてタバスコ・・
シュウマイのからし・餃子のラー油・・
イタリア料理店で
「うちにはタバスコ置いておりません」・・・
運ばれたパスタ見て泣いてしまおうかと思った。
お刺身の最大の友・・・
わさびがなかったから夜中にパジャマにコート来てコンビニに買いに行ったら
レジでひざまでまくったパジャマのズボンがバサッ。
わさび片手に持ってりゃ、ピンクのパジャマのズボンで走ったってなんともない。
七味を真っ赤にかけたい・うどんとそば。
そういうことだった。別解の発見は私という・憎めない変人・

料理を引き立たせる・あの気丈で
寡黙ないい奴ばっかりの香辛料が一番好きだった。
梅干は?そうだ!ご飯が好きだったんだ。

カスミソウも大好きですね。
ほかの花を目立たぬようにきれいに見せるけど、
ひとりひとりはポチッと白くて小さくて、決して集団になっても主張しなくて
ふわりと包んで恩着せない・上見て・笑って・優しい花・

私もなりたい・
カスミソウみたいな、
香辛料みたいな人・・
今北玲子

追伸
海の町に住む私の友達はあわびを沢山いただくのだそうで、
あわびをさばいては冷凍する。年末に「ハイ、玲子のおつまみ」
ひとつひとつラップでくるんで
ザクザクと数十個の肝を届けてくれる。
酢醤油にたっぷりのわさび・流水で少しとけた数個の肝をつぷんと沈め、
ビール飲みながら
はしでつついて、塩梅のいい食べごろの肝を選ぶ。
ひんやりしたゆるくなった肝の半アイス・・
おいしいです。

2008年1月 4日

フインランドのこと、ご存知ですよね・・

どうしてるかな・案じていたAちゃんが年末に訪ねてきた。
「元気だった?」
「はい、先生、フインランドのことご存知ですよね・
それで、論文を書くので現場の先生、今北先生にお話を聞きたいので、
インタビューいいですか?」
「いいよ」

1月4日、教室で会った。
PISSAの学力検査の結果の内容といきさつを教えてくれた。、
「フインランドは世界のトップの学力を誇るには教育を国を挙げて行ったんです」
「図書館の貸出率は年に日本の子供たちは4冊、
フインランドは22冊なんですよ。夕方5時には親が読み聞かせをして、国民が皆読書をするんです」
「フインランドの教師は怒らないのです。」
「フインランドでは自分が勉強することを自覚していますから、それぞれ子どもたちは自分の勉強をするんです」
「フインランドの教師はプロとして国民に信頼されているので、
勤務時間も短いんです。
フインランドの教師はプライバシーを確立されて自由なんです」

フインランド三昧の質問に夫と答える。

何気なくAちゃんの手元を見てたら、「ん?」
私たちの言葉を自分の言葉で一瞬で変換している。
「知りたいのよ、子供たちは・・」私が言うと
即座に「探究心・・」

「ねえ、さっきから気になっていたけど、人から聞いた言葉を変換したらだめよ。
あとで自分で整理して自分の論文とするのは構わないけど、
聞いた言葉はそのまま書かないと
インタビューがあなたの言葉になってしまう」

Aちゃん・・これって、中学時代に友達との行き違いが多くて言ったね。
友達の言葉はそのままよ・勝手に変換しちゃだめ・・・・
まだ、そのくせある?
「人の言葉はまずそのまま聞きなさい。
そうしたら見えてくることある。いい?」
「はい、先生」
そんなこと・・・下向いて15歳の頃は納得しそうになかったけど、
素直に笑ってペンを持ち替え、姿勢を正した。

先生、最後の質問ですけど
はい、どうぞ。
フインランドのような小さな国でできることはどこの国でも学力向上は可能だと思いますか?
「はい」
「理由は?」
「塾でもやれると思ってる」
「ワッ!すごいオチですよね」

こんな教育のあれこれ、あなたと話せるなんて。
Aちゃん!私、高校時代のあの晴れた日のことを思い出している。

Aちゃんは留年の危機も何も知らされず、春休み前に教師から突然の留年決定通告。
ありえない高校教師だった・
大人への強い不信感・・
午前中にあわてて塾に来て、
「先生!どうしたらいいですか?
確かに赤点はあったけど、
私、高校の先生にそんなに嫌われていたのかな?
このままじゃ、あぶないよとか、言ってくれなかった。
何も言ってもらえなかった」
真っ赤な目をして窓から空・見てたっけ。
仕方ないよとも
がんばれともいえなくて。私も空見た。
ただ、青い空だったね。

やめようかな・今北先生・・
中退するもしないも、どちらでもいい。中退したって進学の道はある。
夫が言った。

Aちゃんは中退を選択した。
しばらく、一人で勉強するよりは塾にきたいと、日中、塾に来た。
あの時の高校生のあなたが心配だったけど、
進学したし、高い競争率の大手の企業に内定したってね!
「あんたは自己主張できる。企業がほしいはずだよ」
ありがとございます。今北先生。
何か自信もって、私たちの前にいるんだよね。

フインランドはすごいのかもしれないね・・
私も勉強してみるね。又・会おうか。
今北玲子

2008年1月 3日

新年会

「1月2日に新年会をやっているから来いよ」
20年来、夫の言葉が恒例となって卒業生が来てくれる。
出欠取るわけではないので、ある年には客間に入りきれなくて、
台所で、茶の間で、2階のこども部屋で
先輩後輩が我が家に、もやもや集まった年もあった。

近年、夫はそう宣伝しないが
常連は来る・
開塾1期生5人・・
そして今や町内会のY君、その親友T君・いつもの8期生の3人・・
正月2日は所帯を持てば何かと忙しいだろうに
算段して来てくれる。

一通りなべも出し、飲むかな。
満杯になった客間の隅っこに座ると
「玲子先生、ビールですよね」
さっとグラスと缶ビールが2,3本・・
私がすぐに飲み干すのをわかっているM君・

いい夜。
いつまでも先生ではないのに
中学生の頃のように
「今北先生!」「先生!」
夫が嬉しそう・・

15歳だった皆は働き盛りの40代・・・

言いたいことを言って
飲んで
こどものこと、仕事のこと
心のうちを話す。

夫の河北新報のコラムも話題に上る。
1期生の3兄弟の長男Y君が「お前たち!先生のコラムを読んだか!」
「読めよ」頬に涙が伝っている。

毎年、何かと議論にもなる。言いたいことを言ってもらうのは好き。
40前後ともなれば、10代のようにはいかない。ここでは歯に衣も着せぬ
何でも思ったこと言って、いいよ。

「先生の塾をこれからどうしたらいいか」
今夜のテーマになっていた。
少子化で大手の塾乱立の北仙台界隈の事情を心配してくれている。
いろんなことを言い合って
最後に大家さんのK君が言った。(あなたが開塾のご縁のモト、いてくれるだけで幸せ)
「今北先生のポリシーでこどもたちを育ててくださいよ。
何かあったら、俺たちが先生を支えればいいんだ。いいな!みんな」
声を上げて泣きたくなる。

部屋の隅からありがと・
「塾生はいっぱいいるから大丈夫だよ」
やっと言えた。
身体の中「ありがとう」が
あなたにもあなたにも、駆けめぐる。

なべにうどんを入れて、食べて、お開き。
「片付けようぜ。自分で食べたものは片付けろ。いいな」
又も、きりりとした大家さんのK君の一声。

きれいに片付けて帰っていった。

ご恩の大家さんの息子K君・今や夫ではなくて、毎年、あなたに会いたくてくる後輩が多いよ。
1期生の5人は新年会の顔。

同窓会会長のN君・(去年から2世塾生の息子を連れてくる)
O君・(仲人は今北先生に・・2児の父親)
さっき泣いてくれた幼稚園のY君、
開塾・いの一番の塾生M君・(毎年の2日の同窓会を切り上げて来る)
Y君(町内会の隣組)T君(今年は兄弟で来てくれていいな)、
8期生のいつものM君(ずっとビールついでくれて)
K君(我が家のように台所に来てつまみを焼きながら「先生、これ」」
胸ポケットから可愛い娘の写真をみせてくれた)
T君(10人くらいのライブをやりたんです。じゃ、塾でやる?いいですか?いいよ、8月みっちゃんライブ決定!あとで主人に言っておくね。)

この不思議な
どこまでも優しくて、
頼りになって、力強く
「このままでいいよ、先生・」
大きくうなづいてくれる、
親でも子でも兄弟でもないのにやたら恋しい仲間の卒業生と
来年の正月も元気であなたたちに会いたいから、
今年も丁寧に子供たちと過ごす。
私の宝物・
あなたたちも
このままでいい、
愛する人のために
あなたを必要とする誰かのために
元気で暮らしてね。
今北玲子


2008年1月 2日

事始

「お母さんはブログに今日のことを書いている?」
中2の息子に先日質問された。
「ううん・
今日、起きたことじゃなくて、
思い出したことを書くこともある。
昨日書いたことを次の日に公開することもあるよ」
「それはブログって云わないよ。今日のことは今日書くんだよ」

へえーっ?
ブログとは
以前のことでも
今日「思ったこと」を書いていいと思っていた。

1月2日・事始の大切な日。
「私のブログは
リアルタイムの鮮度もなくて
毒にも薬にもならないものですが、
どなたさんんも、ゴメンこうむって!」
本日ただ今・思うことであります。
Reiko

2008年1月22日

場所

今夜も夕食を終え、夫が2階にあがり今日が終わる。
ビールをもう1本冷蔵庫から出して飲もうか、それともお風呂に入ろうか。
風呂上りのビールはいいだろうな・
でも湯船にたどり着くまで寒いし・
ちょっこっと迷って
飲んじゃおうっと。お風呂は寝しなに。
私は大雑把。
365日、こたつでもいいか。家族が安らかに眠りにつけばどうってことない。
女子高生がコンビニでパンをかじっていても
「お行儀悪いね」と思うが、
食べたいところで食べたらいいわね・・・
無節操なところがある。
子供たちの箸の上げ下ろし、行儀、どうかと思って
私も大人だから注意はするけど
食べられる幸せ、ありがたい。所詮、しつけはできないなって思う。

15才の修学旅行、専用列車の朝点呼。
「れいこさんがいません」
1車両、全員・私・捜索。
私は、
夜行列車の寝苦しさに深夜座席の下に
無意識にもぐりこんで
ピンクのバッグを枕に膝折って寝ていて・・
捜索中に座席の下からにょきっと足が出て悲鳴が上がり
見つけられ気がついた。

ひとり予習の最中突然の眠気に襲われた。
えい、寝ちゃえ、
教室の床にごろんとしたら気持ちがよくて・・・・熟睡・
「玲子先生!大丈夫ですか?」
たずねてきた同会会長のN君の太い力強い大声に飛び起きた。
具合が悪くて倒れたと思ったらしい。
N君!
あなたがいることがいいのです。

どこでもいつでも食べるし、寝られる、この雑としたタチを
考えると
私は場所問わず、だな、と思う。

心の場所もそうだろうか。
そうでもない・

私の心の場所
定点はある。明るくなんとか生きる。

大好きな師・幸田文「雀の手帳・高所、恐怖」
「これ一ツとすがりついて頼りにしたのは、自分の心臓だった。力づよい音だった。
どきどきと」

最近これを実感する。
迷った時、人前であがった時、どうしようかという時
一番頼りになるのはどきどきと鼓動を知らせる心臓の音なのだ。
生まれてこのかたあなただけが頼りだったのかもしれない。

たまに定点も心臓もふさぎこんだ時は滋養がいる。

2世の小学生の授業中
夫が私を呼んだ。
「お母さん、ちょっと」
えっ!

二人は同時に驚いて顔見合わせた。
「玲子先生は今北先生のおかあさんだったの?」
「知ってた?N君」
「知らなかった、I君」
大笑いする私をきょとん・・
「私の子供たちがお母さんと呼ぶからよ」
3人で笑うともっと楽しい。

休まぬ、不満言わぬ心臓も脳の芯も笑いがお好きかと思う。
笑いの財産・落語には
ひとつの笑いに何万、何億の市井の笑いが後ろについていて
過去の皆さんのお墨付き。
みなさんも笑ってきたのですよね。
多くの皆さんが笑ってきたからこそ伝統で残っているんですよね。
なおさら、滋養になる。

落語って滋養の場所だなって
このごろ思う。
小袁治師匠・・
卒舎式の3月の滋養の落語を
お待ち申し上げております。
今北玲子

2008年1月17日

雪の山寺

たまには写真付きのブログをゴラご覧ください。我が家のすぐ後ろを走る仙山線で一時間、夏、秋、冬とそれぞれ違った絵を見せてくれる山寺。 今日はここ数日続く久しぶり?の本格的な冬将軍に、もしやと思い電車に飛び乗った次第。北仙台では雪がちらつく程度だったが、作並、奥新川と進むにつれて雪が深くなっていく。トンネルを過ぎたらそこは間違いなく雪国。面白山高原、そして山寺。期待通りの贅沢な眺めを早速東京のEさん、K師匠に送信。これってただ羨ましがらせているだけ? 実は、昨日、一年前に切除した大腸ポリープのその後、の内視鏡検査が無事終了。はれて仙山線の乗客と相成ったというわけ。 さてと、帰って夕方からの塾の準備をしなければ。 そうそう大事なこと。今日から私立高校の推薦入試が始まった。Nちゃんは朝一番で届けた塾特製?鉛筆を使っているかな? 祈、合格! 久しぶりの正史からでした。

2008年1月15日

ばあちゃん

1月13日結婚式
暮れに卒業生のI ちゃんがやってきた。
「先生結婚するの。来てくれる?」
「行くよ」
「本当?私、世の中のこと知らなくて、来てくださいって言ったら来てくれると思っていたけど、
みんなが来てくれるわけじゃないのね。だから、今北先生はどうかな?って」
「卒業生の結婚式は行くよ。お前の結婚式は行くよ」夫の言葉にうなづいて
行くよと私も答えた。
まもなく、招待状が届いた。
今北正史様
披露宴は招待客の双方の人数、いろいろある。夫の名で出席を出した。
年が明けて、13日のことを考えると気になってきた。
「来てもらえる?」私たち夫婦を見ていた気がする。
思い切って夫がメールしてくれた。そしたら
「いろんな人に迷惑かけるから、ばあちゃんが言っている。でも、
玲子先生が来てくれたらうれしい」
行こう!行くよ!I ちゃん・
1月13日二人で出席した。

I ちゃんは強烈な個性の中学生だった。授業中、キヨトンとしているかと
思えば、次の瞬間、大きな口あけて笑う。
心はいささかの狂いもないほど、
相手にそれは伝わる。やさしくて、屈託のないI ちゃんに父母はいなかった。
素直によく出る言葉は「うちのばあちゃんはね・・・」
I ちゃんは祖母と言わない。いつだって、ばあちゃん・
ばあちゃんのために看護師の道を選んだ。

「父も母も亡くなってそして、じいちゃんが亡くなって、ばあちゃんとはけんかもしたけど
私はずっとばあちゃんを大切に生きていきます。」
ブルーのドレスがかわいい美しい花嫁は
涙と笑顔でまっすぐに向こうに座るばあちゃんに話しかけた。
「ばあちゃん!」
飾らないその呼び方は懐かしく、切なく、みな、目頭押さえた。

ドアの前で両家お見送り。
「よかったね、I ちゃん!」
「今北先生、玲子先生、今日はありがとうございました。ばあちゃん!塾の先生だよ」
「さっき会ったから・んだがすと!」
「んだがすとってばあちゃん・先生!これだもの」
んだがすと!はそうなの、さっきお目にかかったの。
ばあちゃん、と人目はばからず言うI ちゃんの友達は大勢いて、かわるがわる
ばあちゃんのテーブルに訪れていたから
間隙を縫ってご挨拶に伺うのは難しかった。
孫の友達にまで慕われていたことが遠目でもわかる。
忘れ形見の孫を育て上げてるのはご苦労だったと思う。

私も言っていい?I ちゃん!
「ばあちゃん、いがったね・」
今北玲子

2008年1月11日

お父さんお母さん

娘が10代、帰りが遅くて夫に怒鳴られた。
「こんな遅くまでなにしてるんだ!」
沢尻えりかバリに「別に」
そんな調子でたてついたのは後にも先にも一度、
その後父親には敬意を払っているが、この間、プイとした・
「ねえ、どうして?お父さんはこまごまと気がつくんだろう?お母さん?」
「それはねえ・・お父さんだけど・・・お父さんお母さんだから」
「あっそっか!言えてるー・やることはお母さん!だよねえ」
娘が笑い、
二人で台所の隅でしばらくそう!そう!そう!
ぐだぐだ笑って
「じゃあ、下の弟は?お母さん?」
「弟だけどしっかりしているから弟だけど兄さんお父さん?2役」
「わかる、わかる、不平不満はいわないもんね。下は?」
「いつ帰ってくるんだ?遅いなあ。いつも姉の帰宅時間を心配する、
末っ子お母さん」
「じゃあ、じゃあ、私は?」
「あなたもね・・弟思いでしっかりしているからお姉さんお母さん」
そう!そう!言えてる!私ってお母さんだよね・・ぐだぐだ、また二人で笑って
「お母さんはねえ・・・」娘が考えた。
「なあに?」
「お母さんはねえ、
お母さんお父さん、玲子さんおとうさん、玲子さん玲子さん」
ほおーっ。うれしかねえ・
ひとりごちして
つかの間、ほめられた気分で暮らしていた今日。
夫とめがねを買いに一番丁へ行った時、
「玲子さん、地球堂がなくなったよ・さびしいよねえ」
「ここはなにがあったんだっけ?昔の店がやっていけないなんてどういうこと・」
そう、地球堂はなんとしても惜しい、いやだ、です。

それにしても一番丁は久しぶりなのにまあ、世情にも界隈にもよく気のつく
やはり、あなたは父さん母さん、
内心つぶやいた時、
私・突然道を間違えて振り向いた気分。
ほめられたと思っていた私の・・・お母さんお父さんって
『お母さんではないよ』
そういうことだよね?迂闊!

そういえば、昨夜も洗っていない山のような食器を背にして
ビール飲んでいたら、娘が洗ってくれた。
「ごめんね。そのままにしてて。ビール飲んだら洗うから」
「いいよ。たいしたことじゃないから」

せめて、娘が帰ってくる前に茶碗だけでも洗おう。
「玲子さんお母さん」
たまには言われないと!

でも、できればささやかな希望
お母さんお父さんでもない、お母さんお母さんでもない、
だらしない母だけど、
妻だけど、
私・
塾で知り合う子供たち
夫や3人の子供たちの
「良心」でありたい・・なりたい・・
Reiko

2008年1月28日

今はそれしか・・・

ニュースではケヤキが伐採されると報じている。
「青葉通りはすごい人だったよ。あの音がかわいそうだった」
娘が仕事帰りに見てきたらしい。

塾の前のケヤキも数年前に伐採された。
市は北仙台周辺の町内会で説明会も行ったとしていたが、
そんなお知らせ見たことも聞いたこともない。
一度決まったことは手順よく、業者に委託され、
その日は朝からチェーンソーを持った人たちが塾の前にやってきた。
切ろうとしているところに夫がたまらずに降りていった。
「ちょっと待て、俺は聞いていない」
「もう、決まったことですし、腐っている木もありますから・・」
委託された業者に文句を言っても始まらないが
言わずにはいられない夫の気持ちは通りがかりの人にも
伝わって、駅構内から見つめるタクシーの運転手さんにも、
乗降客にも伝わって、夫の剣幕に足を止める人、
夫と共有する人は多くいた。
「切るな!切るなって言ってんだろ!」
「そう言われても切らないわけにはいかないんで」
「切るな!腐っている木があるって、もし、腐っていなかったらどうするんだよ」

午前中にやってきた数人の伐採人はしばらく木を前にして
夫の怒りの矛先がおさまるのを待っていたが、
午後になって塾の授業が始まり、夫がいないのを確かめると
切り始めた。
小学生の授業の最中、チェーソーの音はつんざく高音で空気を裂いた。
「ああ、この音・玲子先生、木がかわいそう」
「すごい音」
人情を待ったなしで切り刻む音は
子供の心まで傷つける音だった。

何もできない私は子供たちに原稿用紙を渡した。
「書こう。なんか書こう。
みんなが大人になってもこのこと忘れないように
なんか、ケヤキに書こう」
「うん」
「書くよ、俺」「俺も」
原稿用紙の使い方も無視していい。
子供たちはケヤキが倒れるまでの音を耳を覆いながら
覆っても飛び込んでくる音を聞きながら書いた。
「がんばれ、木!チェーンソーに負けるな」
「切られても負けるな」「ずっと負けるな」
子供たちの言葉は、かわいそうは一言もなかった。
がんばれ、負けるな!
ほとんどの子供たちは倒れる木を
応援した。

音が止み、倒れた木は持ち去られた。
おずおずと塾の前に降りてケヤキの切り株をみた。
ケヤキの切られた後は何一つ腐っていなかった。
木の香・美しい年輪が青々と無言で
ただ、輪切りにされていた。

増田弁護士夫婦は仙台出身ではないのにケヤキ伐採に奔走したのに、
小野寺弁護士はケヤキ伐採反対のために市長選に出馬したのに、
多くの仙台市民が反対署名をしたのに
塾の卒業生、保護者・私たちも署名を集めたけれど
届かなかったのはなぜ?

冷たい仙台市民は「ありがとう・ケヤキ」
だなんて
イベントだそうだ。
怒り心頭の・・
ごめんね・・

「切られても負けるな」
今それしか浮かばない。
今北玲子

About 2008年1月

2008年1月にブログ「北剏舎日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年12月です。

次のアーカイブは2008年2月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。