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2012年3月 アーカイブ

2012年3月 8日

定期試験が終わって

通信のまたも、転載です。

もう通信で読んだ、というご父兄の皆さまには重複、ご勘弁を。

卒業生の皆さまには、あたし、こんなことを思っています。

手紙代わりに。

 

1月、2月の学年最後の定期試験は気になります。学年の、最後くらい、こちらの思惑通り、本人の希望通りの点数であれば、お互いに気分良く学年を終えることができるのですが......

 

そうもいかないもんです。

 

以下、

通信に多少、加筆した、2月号通信です。

 

 

定期試験が終わった。

結果が気になる。

 

5教科の試験報告はそれぞれ、夫に言うことになっている。

皆、神妙に「数学がちょっと」「英語はできました」

よく勉強して

「今までで最高です」こういうのはうれしい。

しかし

「ゼンゼンできなかった」

「お前、勉強したのか?」

「しませんでした」

「じゃあ、次だ、もう少し時間をかけろ、いいな!」

 

私には特に報告に来ないが、教室に入ってきた生徒、帰る生徒に「国語はどうだった?」と聞きたくなる。

 

8時過ぎ、塾の階段を上ると、

授業が終わった中1の集団が

「先生こんばんは、さようなら」とすれ違った。

 

あっ、まだ聞いていなかった。

 

「国語は塾のプリントから出ましたか?」

 

「出ました、出ました」

 

「よかったね。できましたか?」

 

「できました、よかったです」

 

うしろの生徒にも同じ中学だから「出て良かったね。書けた?」

 

「書けました」

 

その後ろで「エエーッ、出たの?」

 

「知らなかったの?」

 

「知らない」

 

「やらなかったの?」

 

「やった!」

 

そのまた後ろ「俺、プリントやらなかったし......」

 

じゃ、出たかどうかも知らないわけだ。

 

そっか。そうなんですね。

 

 

こちらは試験対策は万全と思っても、中学1,2年生では、試験でいい点数を取るという意識に個人差がある。

 

意識の差は実力ではなく、ゆうに50点くらいの開きは出る。

1科目10点の差は出てくるように思います。

 

向上心の芽生え、それが成長というものでしょうか。

 

いい点数を!

 

私たちも親も、周囲がいくら叫んでも

 

「よくなりたい、きちんと勉強するんだ」

 

大人になろうとする心が、

途上であれば、なかなか点数にはつながらない。

 

しかし、子どもだちは成長している。

 

今日よりは明日、可能性は広がっています。

 

「次はきちんと渡されたプリントをしてね。みんなはもっとよくなる。伸びますよ」

 

はーい、はーい。階段を下りて行った。

 

さあ、家に帰れる。そう顔に書いてある。

 

中1では母の待つ家はまだまだ恋しい年頃です。

 

 

 もうひとつ

 

「どうだった?」

振り向いた中2の生徒が、親指と人差し指で丸を作った。

 

「おお、よかったのね」

 

「よかったです、29点」

なんと、それはそれは!大健闘。

 

定期試験に作文が出るので、

「玲子先生、書き方を教えて下さい。配点がおっきいです。30点。僕、狙います」

なら、練習しましょ。

 

作文の題はすでに知らされている。吟味することはできる。内容を悩んで、書きなおして、辞書を引き引き、当日、困らないほど練習した。

 

でも、いくら狙い目でも30点をもらうのは難しい。教師が満点をつけることはないだろう。確かに教師の好みはある。でも文句なしの満点はないように思えた。

 

「玲子先生、よくてどのくらいもらえますかね?」

 

そうですね、

(あたしなら、書いて10点、表現力、誤字脱字なくて8点、内容もとても良くて8点、よくて26点)

まあ20点以上、もらえればいいと思うよ。

 

「そうかあ、でも30点、ほしいな。ぼく、賭けてるんですよ。作文に」

 

(気持ちはわかりますが、字数、400字、それは大丈夫、ただ内容に関して満点はないでしょうね。

定期テストとはいっても、芸術点に満点はないと思うしね)

 

でもさ、書けばもらえるのだから、1点でも2点でもね。......

 

それが29点。

やはり、1点は、作文の内容で引かれたのかもしれない。

 

「玲子先生、面白い、って漢字を使ったので1点、引かれました。ひらがなで書いていたら満点でした」

 

作文の練習をしている時、私が言ったんです。

 

どうしても使いたい字があったら使っていいの。

「優しい」

これを「やさしい」

どうしてもひらがなで使いたいならそれでいい。

 

あなたの作文の、「面白い」これは漢字にしたいの? 

 

はい、と言ったので、

それでいいです。それは譲れないもんよね。

 

この言葉でしか

今の気持ちは表わせないのならいいと思います。

 

その頑固さが文章だと思います。

 

 

1点引きは私のせいかもしれません。

でも清々とした気持ちです。

惜しい29点を取った生徒もそんな気がします。

 

本を選ぶも作文を書くも、教師が点数をつけるも、十人十色。

もしや、

「おもしろい、はひらがなにすべきなんだ」

学校の先生の1点引きの、

頑固な好みはあってもいいかと思います。

                        今北玲子

 

以下、追加雑感

 

でも、子どもといえど、この言葉を使いたい、

というのはあろうかと思います。

まして中2、14歳はあろうかと。

 

漢字は知っている。

でも今はどうしても、この字、という気持ち。

「悲しい」は

「かなしい」がいい。

悲しさ、哀しさ、と「かなしさ」は違うから。

 

「おもしろい」は「面白い」の漢字がいい。

小学生ではないんだし、辞書も引いたし。

この漢字、それが今の気分だから。

 

試験前に題を知っているし、尚更、よね。

 

 

作家の熊谷達也氏は、小説は「家」だと言いました。

 

私は,

文章は、彫刻か、絵画だと思うんです。

 

例えば、一枚の絵だとして、

漢字テストではないのですから、

その子どもの使いたい絵の具が言葉だという気がして。

 

お前は、なぜ、ひらがな、なんだ?

聞いたその子どもが、

「先生、

漢字を知らなかったからひらがなにしました」

 

「ばかやろ、辞書を引け、漢字をもっと勉強しろ。

1点引くぞ」

 

ああ、漢字を知っていたらよかったな、

その子どもの次につながる気がするんです。

 

面白いと漢字を使ったのはお前の気持ちか?

はい、辞書で引いて、これだって思って、

その子が答えたとして、

よし!

褒められて、

お前は1点増し!

 

しかし学校の先生はそれでなくともお忙しい。

差し迫った採点や、教科以外の部活もなんやかやと、

無論、

ひとりひとりにそんなことを聞くお時間はないでしょうし、

それにどうやって減点するか、

評価は悩んでおられますよね。

 

なんとも、追加雑感と称して、

見ず知らずの学校の先生に、

ご無礼を、

つい余計なこと......を申し上げてしまいました。

 

 REIKO

 

 

 

                 

                                 今

2012年3月11日

卒舎式

3月8日

入試。みな無事に受験できた。なにより!

 

3月10日 卒舎式

昨日からアシスタントみんなのおかげで教室がきれいになった。

年に一度、教室が美しくなる日。

日頃の怠慢が恥ずかしくなる日、なのですが、

気持ちの上では私たちにとって大晦日。

大掃除して教室をきれいにしてもらうのは有難い。

日頃、だらしない私ではこうはきれいにならなかった。

 アシスタントの皆さん、ありがとう。台所、ありがと、Mちゃん。

 毎年、掃除はまだ、てんやわんやの卒舎式だが、

今年はそういうわけで、てきぱきと働くアシスタントのお蔭で、

開始午後4時を迎えることができた。

夫の手書きの感謝状も間に合った。

OK!始めよう。 

夫の両手でこさえた、丸が見えた。

入場の中3の名前を書いたプラカードを持つ小学生は

卒業生の子どもたちが多い。

32期生の、中3にも卒業生の愛息が2人いる。

 

毎年、私がピアノを弾き、

夫が中3に「これまで塾に通ってきてありがとう」の

(感謝状とは大仰だが)

卒業証書の「同文」ではないものを、書いて読むんです。

一見、同じことをしているように見えるが、

そのひとりひとりの想いは違う。

大切なお子さんを預かっていたのだなあ、今年も改めて思う。

親にとっては、大事な大事な我が子。

鍵盤を見ながら思う。

 どうか、

最後まで間違ってもいいから弾けますように。

祈った。 

実は昨日、1期生の整形外科医のS君のところに行ったのでした。

年に一度のピアノ、急に練習をするもんで、

左手が、夜、まんじりともできないほど、痛くなってしまった。

弾くたびに痛い。曲げても、伸ばしても痛い。

我慢して練習したから日に日に悪化したようだ。

どうしよう、なんとかしてもらわないと。

慌てて診察に。

もっと早くから練習していればいいものを、自業自得です。

レントゲンの結果、

「玲子先生、関節炎で水がたまっていますね」

 「ピアノを弾きすぎてしまって」

「なんでまた、急にピアノを?

......そっかあ、卒舎式かあ、そうなんだ、なにげに弾いていると思ったけど、

陰で練習してたんですね。知らなかったなあ」

なんか、こう、

君にも知れぬ奉公を、卒業生に慰労してもらったようです。

「痛み止めと軟膏出しておきますから、あったかくして下さい。

ホッカイロ、いいですよ。

弾かないわけいきませんもんね」

 そうなんです。毎年、そうやってきたのだし。今年だけ、CDというわけにはいかない。

もしや、CDの方が格段にいいのはわかっているけれど、

せめて才なき下手なピアノでも、私の気持ち。

義務教育終わったね。これまでありがとう。なんです。

どうか弾けますように。

 そう願って、弾きはじめたら、ホッカイロの温かさが痛みを和らげた。

はじめは指を動かすのも大変だったのが、

あら、不思議、そのうち、痛みがすっと軽くなった。

弾けるか、と危ぶんだことも嘘のように消えた。

(妄想余談ですが、30年も続けば、色とりどりの卒舎式の、

折り紙の飾りに誘われた

ちっちゃな、物見遊山の神様が、

今年もやってる?

.....また来たようで。

どうした?手?どれどれ?)

 

弾きながら今年、32期生、それぞれの1年を思い出す。

学校帰りに来て、10時頃まで、

毎日居続けたRちゃん、Yちゃん、とYちゃん

G君、K君、M君、N君、K君、Y君、R君、黙々と勉強して塾にいたね。

他のみんなもがんばりました。

みんなと塾で過ごした1年、長い人で6年、

笑顔、横顔、後ろ姿、ショットが脳裏を入れ替わる。

 

「玲子先生、見て。あたしのタイムカードが真っ黒。

なんだかこの頃、学校から塾に帰ってくる感じ!」とRちゃん

「あたしもです」とYちゃん。

そう、じゃあ、塾に来たら、おかえりだね。

「うん」

塾を出るとき、

玲子先生、いってきまーす。そう言ってくれた二人。

塾が好きです。今北先生を尊敬してます、作文に書いてくれたH君。

「いつの日か、お母さんに勉強しなさいと言われなくなりました。

そのように私を変えてくれた今北先生に感謝します」とYちゃん。

私たちへ、の手紙の中に、

「(小学生の時、いろいろあって)

相談に乗ってくれたことを、今でも覚えています。

あの時、玲子先生の涙を見て、私のことを想ってくれる大人がいるんだ、と

すごくうれしかったです」とNちゃん。

英語で、

「I´ve  never  forget  you.

I´m  a member  of  the  HOKUSOUSHA  foever.」とY君。 

「玲子先生」

内緒話でもするように、

「紫の袋、梅干し、食べて下さい」

今年の1月、国語の授業で、

「もうあと少しです。もうテレビは見ないでください。携帯もメールも

我慢してね。あたしも、梅干し我慢します。全員合格を祈って」

R君は覚えていてくれた。

発表終わったら真っ先にあなたの梅干し食べるね、

ありがと。

他にも、

竹刀に、額縁に、便箋に、ユニホームに

それぞれ塾の思い出が綴ってあった。

今年も忘れらない32期生。

 

待ってました、

小袁治師匠の出番です。

噺が始まる前の、枕、にいい話をしてくださった。

(小学生の頃、初めて落語を聞いて感動した話。

当時、おもしろい噺家がたくさんいたこと。でもつまらない噺家もいたこと。

なら、自分もできるのでは、と思ったこと。

高校の時、とりあえず大学に進学する友人の中で

噺家になるって決めていたこと。

弟子になるときの、師匠に贈った大型こたつのエピソード。

しかし、噺家になった今でも、

毎日、何かに追われるように勉強していること。きりのない芸の修行のこと)

そこは師匠、おもしろおかしく、話された。

どうして噺家になったか、なかなか聞けない、貴重な話だと思いました。

10代の夢、固く信じた夢、

叶えた夢の後にこそ、待っている惜しまぬ努力、

なにか、子どもたちに、伝えたかったのでは、と思いました。

師匠の人生を、 

塾生の子どもたちに、

(なあ、周りに流されるな。

自分にしかないものを見つけてほしいよ、

そして努力はきりがないんだよ)

師匠は子どもたちに言いたかったのかもしれない。

 ......勿体ないことでした。

 

 勉強だけではない。

子どもたちには

大人の生き方が必要で、親の生き方もそうだと思います、

違う大人の、

例えば、

芸に身を置く小袁治師匠のような玄人の身を削る生き方も、

血となり、肉となり、もしや骨となる。

32期生の中には

志ある15歳は多いんです、きっと、心に残ったと思います。

師匠、ありがとうございました。

 

噺が始まりました。「初天神」

(父親がお参りに連れて行った子どもに翻弄される噺。

何も買わないと約束させたものの、子どもの金坊はそうはいかない。

おとっつあん、飴買って、だんご買って。

父親は、「しょうがねえな」と買ってやる。

しまいに金坊、看板ものの凧買って!

根負けした父親は高い凧も買う。

買えば、当然、子どもは凧あげて、とせがむ。

仕方なく父親は、凧をあげることに。

だが、いざ、凧をあげてみると

意外に父親の方が夢中になってしまう。

あきれた金坊が

「こんなことならおとっつぁんを連れてくるんじゃなかった」

 

面白い噺でした。

当然、一人何役も演じ分けるのが落語。 

さっき話された、その毎日の努力がいかに大切か、

芸の修行はいくらやってもきりがないってことが

師匠の噺を聞いていて想いました。

 父親が怒りながらも、最後には子どもに

飴もだんごも買ってやる仕草、声。

(泣く子と地頭には勝てぬ、男親の優しさ、すっごく、出てました)

それに駄々をこねる子どものなんとしてでも買ってもらいたい、

無邪気さ、しつこさ、したたかさ、

前に座っていた、思い当たるのか、小学生が笑い転げていました。

 

成長するにつれて、子どもに知恵がつく。多少のことでは譲らなくなる。

古今東西、変わらぬ親子のやりとり、師匠は絶妙でした。

 

そして、親ならわかるんです。

ああ、あった、あった、あんなこと!

「今日は何も買わないから連れて行って」という子どもの約束。

嘘とわかっても

「ほんとね、今日は用事で行くから何も買わないんだよ」

念を押して言い聞かせてデパートに連れて行くが、

そんな約束は守らない。子どもにだって魂胆がある。

 「おもちゃ売り場を見るだけ。見るだけだから、そしたら言うこと聞くから」

絶対、見るだけよ。

そのうち、

 「いくらだったら買ってくれる?お母さん」

「今日は買わない、約束したでしょ」

「買ったら言うこと聞くから」と泣きだす。

ああ、いつもの手にひっかかってしまった、わかっていながら、

泣かれると弱い。向こうもそれを承知の上で、ここぞと泣く。

「じゃあ、500円までよ」

「うん!」

天上の、にこっ。

親になってまだ間がなく、

小さい子どもにせがまれ、駄々をこねられ、

困りはて、仕方なく、買ってしまったこと。

あった、あった、ありました。

 

そして、そして最後の、

夢中になって父親が凧を揚げるくだり、

見事でした。

見えない凧糸を手技で引いてみせる師匠。

高く高くあがった凧が私たちに見えました。

頭の上に空が見えました。大きな凧が風を孕んであがるのが見えました。

遠くで「おとっつあん」と呼ぶ子ども、金坊も見えました。

きっと、 

ご父兄の皆さんも、15歳の大きくなった我が子を前に、

あんな小さな頃があった。

金坊に重ねて、想ったと思います。

懐かしく、愛しく、

我が子を見つめているような気がして、

私もうるんで

子どもたちの遠いあの日を思い出しました。

親にも子どもにも

師匠の噺はとってもよかった。

今年も、お蔭さまでいい卒舎式になりました。

いえいえ、毎年でございます。

 今北玲子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年3月15日

14日

 高3のMちゃんの早稲田大に始まって、

同じ高3のYちゃんが東北大、S君が東京農大、

一浪していたK君が慶應大、その後、近くでばったり会った、

高校生クラスから入塾したF君が新潟大、

朗報が連日続きました。その後、S君の芝浦工大、T君の

会津大、

「先生、受かりました」

みんな、がんばったのね。すごい!すごい!

 

私たちは何もしなかったのに、中学生の時、通った塾に、

報告に来る、それもすごいなって、思います。

 

東京農大合格のS君、久しぶり。

忘れられないことがあんのよね。

なんすか。

「あなたは中3の時、国語がどうやっても60点台で伸びなくて、

こつこつと過去問をやって80点安定になったもんね。

だから、中3で国語が伸び悩んでいる人に

毎年、あなたのことを話させてもらってるの」

そうなんすか。

そうなんす。一度言いたかったの、ありがと。

個人差はあるけど、あなたの国語が伸びた話は使わせてもらってる。

(それを聞いて過去問をこつこつやる生徒は毎年いる、全員ではないけれど

あなたのことを信じて、やってみれば上がる人もいるんだもの)

  

東北大合格のYちゃんは

きれいな字で、中学の時、なんどもなんども同じプリントをしたね。

過信せず、面倒がらず、丁寧に、なぜ間違ったか、考えながら。

学校の先生からも言われたらしい。そして、今北先生がそうしろって、

言ったからって、中2の後半になって飛躍的に点数が伸びた。

丁寧と真面目は「伸びる素」

Yちゃん、そうだったね。これも話しているよ。

 

慶應大に合格したK君は高校時代に、深い勉強をしたようだ。

小林秀雄、坂口安吾、たくさん読んだんだってね。

去年、夫に書いてよこしたあの手紙、あたし、覚えています。

今の社会を、教育を、叫んで、もがいているような文面だった。

社会を取り巻く環境に怒っていた。

なぜだって!

そして、高校の名前ではない。高校の先生ではない。自分なんだ。

そう言っているような気がした。

怒りは学びを深くするんですね。

 今年の夫のチラシの文章です。

「私は思う。必要なのは反復練習の成果を競う定期試験の

点数ではなく、これからの世の中を見据え、

周りの人を、環境を、そして地球規模の行く末を考えられる子を

育てることではないか、その一助になりえないか、

そういう気持ちで塾を開いている」

期待しています、まさにそういう、あなたに。

2012年、3月、

卒業生の皆さんの優しさ、律義さ、ありがと。

うれしかったです、とっても。

 

14日、発表、

なんとも朝から落ち着かない。食欲もない。

えい!

あれだ。

食玩サンプル、を飾るか。

小さなケーキ、弁当、果物、薬品、フアミレス、

50はあろうか、仕切りにひとつひとrつ、気に入ったものを入れる。

卒業生のY君の結婚式の引き出物にもらったミニカーのケースを、

なんかこの日のためにと、とっておいた気もする。

3時までまだ長い。

有難いことに、その最中、

早稲田のMちゃんと東北大に合格したYちゃんが

午前中に、夫の好きな菓子を持参して

教室に遊びに来てくれた。

18歳の麗しき乙女、二人のおしゃべりは楽しい。

気が紛れました。ほんと。ありがと。

Yちゃんは塾のアシスタントしてくれると言う。

やっほ!です。

 

昼食、

夫と向かい合わせ、無言。

何か言えば心配につながる。

話はしないことにする。約束したわけではないけれど、暗黙の了解。

食べ終えて、ごちそうさま、一言言って

夫は無言で塾に行き、

私は家に残り、思った。

今頃、中3の親御さんはいかばかりか。

遅々として進まぬ時計。

 

やっと、3時。

それぞれの在校生に頼んであったから、

数分で合否がわかった。

全員とはいかなかった。

残念......。

胸が痛い。

どこか身体が痛い。

 でも、

思い直す。

あなたの選択に間違いはなかった。

  しかしそうはいっても15歳だもの、泣いているにちがいない。

やはり、泣いて電話が来た。

「お母さんは?」

「いないです」

「ひとり?」

「はい」

嗚咽が聞こえる。こんな時によく、電話をくれました。

なにか言葉を?

あなたは よくやりました。ほんとうに。

それなのに、ごめんなさい。力になれなくて......

 

泣かずに言うのが精一杯で、

不甲斐なくもこれしか言葉が出てこなかった。

 真っ赤な目の夫もそうだった。

 

(あなたは塾に毎日来て、よくやったのに、

蓋を開けてみなければわからない、合否は

思い通りには行かない。

でも、

悔しくて、高校で必死に勉強して医師になった人も、

会計士になった人もいる。

全員受かってほしい、

矛盾はするが、高校がすべてではない)

 

その夜、もう一度電話をした。 

「ねっ!

次に行こう、

喜びはすぐに消える。悔しさは残る。

3年後にさ、

塾の階段を上って、

先生、合格しました!

あたしたちに報告してね。

あなたならできる。きっとできる」

 私の声に

「先生......ありがとございます」

声が少し大きく聞こえた。

 ( いや、3年後でなくともいい。

この先の人生、なにか想いを遂げる日があって、

あなたが15歳のこの日を

そうだったな、笑って見つめる日がきっと来る。

祈っています、願っています。

今はまだ15歳のあなたに)

玲子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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