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卒舎式

3月8日

入試。みな無事に受験できた。なにより!

 

3月10日 卒舎式

昨日からアシスタントみんなのおかげで教室がきれいになった。

年に一度、教室が美しくなる日。

日頃の怠慢が恥ずかしくなる日、なのですが、

気持ちの上では私たちにとって大晦日。

大掃除して教室をきれいにしてもらうのは有難い。

日頃、だらしない私ではこうはきれいにならなかった。

 アシスタントの皆さん、ありがとう。台所、ありがと、Mちゃん。

 毎年、掃除はまだ、てんやわんやの卒舎式だが、

今年はそういうわけで、てきぱきと働くアシスタントのお蔭で、

開始午後4時を迎えることができた。

夫の手書きの感謝状も間に合った。

OK!始めよう。 

夫の両手でこさえた、丸が見えた。

入場の中3の名前を書いたプラカードを持つ小学生は

卒業生の子どもたちが多い。

32期生の、中3にも卒業生の愛息が2人いる。

 

毎年、私がピアノを弾き、

夫が中3に「これまで塾に通ってきてありがとう」の

(感謝状とは大仰だが)

卒業証書の「同文」ではないものを、書いて読むんです。

一見、同じことをしているように見えるが、

そのひとりひとりの想いは違う。

大切なお子さんを預かっていたのだなあ、今年も改めて思う。

親にとっては、大事な大事な我が子。

鍵盤を見ながら思う。

 どうか、

最後まで間違ってもいいから弾けますように。

祈った。 

実は昨日、1期生の整形外科医のS君のところに行ったのでした。

年に一度のピアノ、急に練習をするもんで、

左手が、夜、まんじりともできないほど、痛くなってしまった。

弾くたびに痛い。曲げても、伸ばしても痛い。

我慢して練習したから日に日に悪化したようだ。

どうしよう、なんとかしてもらわないと。

慌てて診察に。

もっと早くから練習していればいいものを、自業自得です。

レントゲンの結果、

「玲子先生、関節炎で水がたまっていますね」

 「ピアノを弾きすぎてしまって」

「なんでまた、急にピアノを?

......そっかあ、卒舎式かあ、そうなんだ、なにげに弾いていると思ったけど、

陰で練習してたんですね。知らなかったなあ」

なんか、こう、

君にも知れぬ奉公を、卒業生に慰労してもらったようです。

「痛み止めと軟膏出しておきますから、あったかくして下さい。

ホッカイロ、いいですよ。

弾かないわけいきませんもんね」

 そうなんです。毎年、そうやってきたのだし。今年だけ、CDというわけにはいかない。

もしや、CDの方が格段にいいのはわかっているけれど、

せめて才なき下手なピアノでも、私の気持ち。

義務教育終わったね。これまでありがとう。なんです。

どうか弾けますように。

 そう願って、弾きはじめたら、ホッカイロの温かさが痛みを和らげた。

はじめは指を動かすのも大変だったのが、

あら、不思議、そのうち、痛みがすっと軽くなった。

弾けるか、と危ぶんだことも嘘のように消えた。

(妄想余談ですが、30年も続けば、色とりどりの卒舎式の、

折り紙の飾りに誘われた

ちっちゃな、物見遊山の神様が、

今年もやってる?

.....また来たようで。

どうした?手?どれどれ?)

 

弾きながら今年、32期生、それぞれの1年を思い出す。

学校帰りに来て、10時頃まで、

毎日居続けたRちゃん、Yちゃん、とYちゃん

G君、K君、M君、N君、K君、Y君、R君、黙々と勉強して塾にいたね。

他のみんなもがんばりました。

みんなと塾で過ごした1年、長い人で6年、

笑顔、横顔、後ろ姿、ショットが脳裏を入れ替わる。

 

「玲子先生、見て。あたしのタイムカードが真っ黒。

なんだかこの頃、学校から塾に帰ってくる感じ!」とRちゃん

「あたしもです」とYちゃん。

そう、じゃあ、塾に来たら、おかえりだね。

「うん」

塾を出るとき、

玲子先生、いってきまーす。そう言ってくれた二人。

塾が好きです。今北先生を尊敬してます、作文に書いてくれたH君。

「いつの日か、お母さんに勉強しなさいと言われなくなりました。

そのように私を変えてくれた今北先生に感謝します」とYちゃん。

私たちへ、の手紙の中に、

「(小学生の時、いろいろあって)

相談に乗ってくれたことを、今でも覚えています。

あの時、玲子先生の涙を見て、私のことを想ってくれる大人がいるんだ、と

すごくうれしかったです」とNちゃん。

英語で、

「I´ve  never  forget  you.

I´m  a member  of  the  HOKUSOUSHA  foever.」とY君。 

「玲子先生」

内緒話でもするように、

「紫の袋、梅干し、食べて下さい」

今年の1月、国語の授業で、

「もうあと少しです。もうテレビは見ないでください。携帯もメールも

我慢してね。あたしも、梅干し我慢します。全員合格を祈って」

R君は覚えていてくれた。

発表終わったら真っ先にあなたの梅干し食べるね、

ありがと。

他にも、

竹刀に、額縁に、便箋に、ユニホームに

それぞれ塾の思い出が綴ってあった。

今年も忘れらない32期生。

 

待ってました、

小袁治師匠の出番です。

噺が始まる前の、枕、にいい話をしてくださった。

(小学生の頃、初めて落語を聞いて感動した話。

当時、おもしろい噺家がたくさんいたこと。でもつまらない噺家もいたこと。

なら、自分もできるのでは、と思ったこと。

高校の時、とりあえず大学に進学する友人の中で

噺家になるって決めていたこと。

弟子になるときの、師匠に贈った大型こたつのエピソード。

しかし、噺家になった今でも、

毎日、何かに追われるように勉強していること。きりのない芸の修行のこと)

そこは師匠、おもしろおかしく、話された。

どうして噺家になったか、なかなか聞けない、貴重な話だと思いました。

10代の夢、固く信じた夢、

叶えた夢の後にこそ、待っている惜しまぬ努力、

なにか、子どもたちに、伝えたかったのでは、と思いました。

師匠の人生を、 

塾生の子どもたちに、

(なあ、周りに流されるな。

自分にしかないものを見つけてほしいよ、

そして努力はきりがないんだよ)

師匠は子どもたちに言いたかったのかもしれない。

 ......勿体ないことでした。

 

 勉強だけではない。

子どもたちには

大人の生き方が必要で、親の生き方もそうだと思います、

違う大人の、

例えば、

芸に身を置く小袁治師匠のような玄人の身を削る生き方も、

血となり、肉となり、もしや骨となる。

32期生の中には

志ある15歳は多いんです、きっと、心に残ったと思います。

師匠、ありがとうございました。

 

噺が始まりました。「初天神」

(父親がお参りに連れて行った子どもに翻弄される噺。

何も買わないと約束させたものの、子どもの金坊はそうはいかない。

おとっつあん、飴買って、だんご買って。

父親は、「しょうがねえな」と買ってやる。

しまいに金坊、看板ものの凧買って!

根負けした父親は高い凧も買う。

買えば、当然、子どもは凧あげて、とせがむ。

仕方なく父親は、凧をあげることに。

だが、いざ、凧をあげてみると

意外に父親の方が夢中になってしまう。

あきれた金坊が

「こんなことならおとっつぁんを連れてくるんじゃなかった」

 

面白い噺でした。

当然、一人何役も演じ分けるのが落語。 

さっき話された、その毎日の努力がいかに大切か、

芸の修行はいくらやってもきりがないってことが

師匠の噺を聞いていて想いました。

 父親が怒りながらも、最後には子どもに

飴もだんごも買ってやる仕草、声。

(泣く子と地頭には勝てぬ、男親の優しさ、すっごく、出てました)

それに駄々をこねる子どものなんとしてでも買ってもらいたい、

無邪気さ、しつこさ、したたかさ、

前に座っていた、思い当たるのか、小学生が笑い転げていました。

 

成長するにつれて、子どもに知恵がつく。多少のことでは譲らなくなる。

古今東西、変わらぬ親子のやりとり、師匠は絶妙でした。

 

そして、親ならわかるんです。

ああ、あった、あった、あんなこと!

「今日は何も買わないから連れて行って」という子どもの約束。

嘘とわかっても

「ほんとね、今日は用事で行くから何も買わないんだよ」

念を押して言い聞かせてデパートに連れて行くが、

そんな約束は守らない。子どもにだって魂胆がある。

 「おもちゃ売り場を見るだけ。見るだけだから、そしたら言うこと聞くから」

絶対、見るだけよ。

そのうち、

 「いくらだったら買ってくれる?お母さん」

「今日は買わない、約束したでしょ」

「買ったら言うこと聞くから」と泣きだす。

ああ、いつもの手にひっかかってしまった、わかっていながら、

泣かれると弱い。向こうもそれを承知の上で、ここぞと泣く。

「じゃあ、500円までよ」

「うん!」

天上の、にこっ。

親になってまだ間がなく、

小さい子どもにせがまれ、駄々をこねられ、

困りはて、仕方なく、買ってしまったこと。

あった、あった、ありました。

 

そして、そして最後の、

夢中になって父親が凧を揚げるくだり、

見事でした。

見えない凧糸を手技で引いてみせる師匠。

高く高くあがった凧が私たちに見えました。

頭の上に空が見えました。大きな凧が風を孕んであがるのが見えました。

遠くで「おとっつあん」と呼ぶ子ども、金坊も見えました。

きっと、 

ご父兄の皆さんも、15歳の大きくなった我が子を前に、

あんな小さな頃があった。

金坊に重ねて、想ったと思います。

懐かしく、愛しく、

我が子を見つめているような気がして、

私もうるんで

子どもたちの遠いあの日を思い出しました。

親にも子どもにも

師匠の噺はとってもよかった。

今年も、お蔭さまでいい卒舎式になりました。

いえいえ、毎年でございます。

 今北玲子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年3月11日 19:34に投稿されたエントリーのページです。

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