通信のまたも、転載です。
もう通信で読んだ、というご父兄の皆さまには重複、ご勘弁を。
卒業生の皆さまには、あたし、こんなことを思っています。
手紙代わりに。
1月、2月の学年最後の定期試験は気になります。学年の、最後くらい、こちらの思惑通り、本人の希望通りの点数であれば、お互いに気分良く学年を終えることができるのですが......
そうもいかないもんです。
以下、
通信に多少、加筆した、2月号通信です。
「定期試験が終わった。
結果が気になる。
5教科の試験報告はそれぞれ、夫に言うことになっている。
皆、神妙に「数学がちょっと」「英語はできました」
よく勉強して
「今までで最高です」こういうのはうれしい。
しかし
「ゼンゼンできなかった」
「お前、勉強したのか?」
「しませんでした」
「じゃあ、次だ、もう少し時間をかけろ、いいな!」
私には特に報告に来ないが、教室に入ってきた生徒、帰る生徒に「国語はどうだった?」と聞きたくなる。
8時過ぎ、塾の階段を上ると、
授業が終わった中1の集団が
「先生こんばんは、さようなら」とすれ違った。
あっ、まだ聞いていなかった。
「国語は塾のプリントから出ましたか?」
「出ました、出ました」
「よかったね。できましたか?」
「できました、よかったです」
うしろの生徒にも同じ中学だから「出て良かったね。書けた?」
「書けました」
その後ろで「エエーッ、出たの?」
「知らなかったの?」
「知らない」
「やらなかったの?」
「やった!」
そのまた後ろ「俺、プリントやらなかったし......」
じゃ、出たかどうかも知らないわけだ。
そっか。そうなんですね。
こちらは試験対策は万全と思っても、中学1,2年生では、試験でいい点数を取るという意識に個人差がある。
意識の差は実力ではなく、ゆうに50点くらいの開きは出る。
1科目10点の差は出てくるように思います。
向上心の芽生え、それが成長というものでしょうか。
いい点数を!
私たちも親も、周囲がいくら叫んでも
「よくなりたい、きちんと勉強するんだ」
大人になろうとする心が、
途上であれば、なかなか点数にはつながらない。
しかし、子どもだちは成長している。
今日よりは明日、可能性は広がっています。
「次はきちんと渡されたプリントをしてね。みんなはもっとよくなる。伸びますよ」
はーい、はーい。階段を下りて行った。
さあ、家に帰れる。そう顔に書いてある。
中1では母の待つ家はまだまだ恋しい年頃です。
もうひとつ
「どうだった?」
振り向いた中2の生徒が、親指と人差し指で丸を作った。
「おお、よかったのね」
「よかったです、29点」
なんと、それはそれは!大健闘。
定期試験に作文が出るので、
「玲子先生、書き方を教えて下さい。配点がおっきいです。30点。僕、狙います」
なら、練習しましょ。
作文の題はすでに知らされている。吟味することはできる。内容を悩んで、書きなおして、辞書を引き引き、当日、困らないほど練習した。
でも、いくら狙い目でも30点をもらうのは難しい。教師が満点をつけることはないだろう。確かに教師の好みはある。でも文句なしの満点はないように思えた。
「玲子先生、よくてどのくらいもらえますかね?」
そうですね、
(あたしなら、書いて10点、表現力、誤字脱字なくて8点、内容もとても良くて8点、よくて26点)
まあ20点以上、もらえればいいと思うよ。
「そうかあ、でも30点、ほしいな。ぼく、賭けてるんですよ。作文に」
(気持ちはわかりますが、字数、400字、それは大丈夫、ただ内容に関して満点はないでしょうね。
定期テストとはいっても、芸術点に満点はないと思うしね)
でもさ、書けばもらえるのだから、1点でも2点でもね。......
それが29点。
やはり、1点は、作文の内容で引かれたのかもしれない。
「玲子先生、面白い、って漢字を使ったので1点、引かれました。ひらがなで書いていたら満点でした」
作文の練習をしている時、私が言ったんです。
どうしても使いたい字があったら使っていいの。
「優しい」
これを「やさしい」
どうしてもひらがなで使いたいならそれでいい。
あなたの作文の、「面白い」これは漢字にしたいの?
はい、と言ったので、
それでいいです。それは譲れないもんよね。
この言葉でしか
今の気持ちは表わせないのならいいと思います。
その頑固さが文章だと思います。
1点引きは私のせいかもしれません。
でも清々とした気持ちです。
惜しい29点を取った生徒もそんな気がします。
本を選ぶも作文を書くも、教師が点数をつけるも、十人十色。
もしや、
「おもしろい、はひらがなにすべきなんだ」
学校の先生の1点引きの、
頑固な好みはあってもいいかと思います。
今北玲子
以下、追加雑感
でも、子どもといえど、この言葉を使いたい、
というのはあろうかと思います。
まして中2、14歳はあろうかと。
漢字は知っている。
でも今はどうしても、この字、という気持ち。
「悲しい」は
「かなしい」がいい。
悲しさ、哀しさ、と「かなしさ」は違うから。
「おもしろい」は「面白い」の漢字がいい。
小学生ではないんだし、辞書も引いたし。
この漢字、それが今の気分だから。
試験前に題を知っているし、尚更、よね。
作家の熊谷達也氏は、小説は「家」だと言いました。
私は,
文章は、彫刻か、絵画だと思うんです。
例えば、一枚の絵だとして、
漢字テストではないのですから、
その子どもの使いたい絵の具が言葉だという気がして。
お前は、なぜ、ひらがな、なんだ?
聞いたその子どもが、
「先生、
漢字を知らなかったからひらがなにしました」
「ばかやろ、辞書を引け、漢字をもっと勉強しろ。
1点引くぞ」
ああ、漢字を知っていたらよかったな、
その子どもの次につながる気がするんです。
面白いと漢字を使ったのはお前の気持ちか?
はい、辞書で引いて、これだって思って、
その子が答えたとして、
よし!
褒められて、
お前は1点増し!
しかし学校の先生はそれでなくともお忙しい。
差し迫った採点や、教科以外の部活もなんやかやと、
無論、
ひとりひとりにそんなことを聞くお時間はないでしょうし、
それにどうやって減点するか、
評価は悩んでおられますよね。
なんとも、追加雑感と称して、
見ず知らずの学校の先生に、
ご無礼を、
つい余計なこと......を申し上げてしまいました。
REIKO
今