2月22日(水曜日)午後17時半過ぎ、
高3のMちゃんが教室に入ってきた。
なんか、予感。
W大?おそるおそる聞いた。
はい。第一志望で受かりました。
おーっ!
だってだって、昨年、教室に来た時には
W大に入りたいからたぶん浪人です、と言っていたし、
まさか、半年、あれから勉強して難関校に合格するなんて。
すごい、すごい!おめでとう、すごい、すごい!
頭の中から、これ以外の、言葉は、なくなってしまった。
はじめて会ったのは小学生。
お父んの勤務が仙台で、引っ越して来てまもない頃、
2歳違いのお兄ちゃんと一緒の入塾。
利発、その言葉はMちゃんのためにあるような、
兄のA君も落ち着いた賢い少年で、2年前名だたる、K大合格。
二人とも運動もできるし、天は三物も四物も与えたような素敵な兄妹。
3年前、
公立高校の志望校締め切りの、前日、
Mちゃんは志望校を迷っていた。
兄のA君の通う高校にするかどうか。
偏差値は高い。内申書も受験生が皆、拮抗する難関である。
夫は「M子の、覚悟の問題」
そう言うだけだった。
でも、覚悟の問題、って言ったって
明日、学校に志望校を提出しなければならない。
何も言わず、Mちゃんを家に返すわけにはいかない。
塾だもの、ここはだいじょうぶ、とか、そこは危ないとか、
迷っているのだから、なにか、決め手になることを言ってあげたい。
教室の寒い廊下にMちゃんを呼んだ。
本当はどこに入りたい?
Mちゃんは首をかしげる。
意味のない質問だった。だから迷っているというのに。
でも、難関の高校は本人に強い憧れがないと立ち向かえない。
どうしても入りたい。落ちてもいい、受けたい!
それが押し上げる。
Mちゃんにそれがあるのか。あるけれど言いにくいのか。
表情だけではわからなかった。
Mちゃんの目にうっすらと涙が浮かんでいた。
「玲子先生、(お兄ちゃんと同じ)高校を受けたら合格しますか」
わざわざ呼び出したのに、
「あなたの覚悟の問題かな」
これでは夫と同じだ。
長い時間向き合っていたのに、でもそういうことしか言えなかった。
3年間、ずっと私の心に残っていたのは
Mちゃんのこの質問に答えられなかった、私。
あのとき、
実力は充分、大丈夫。
なぜ言えなかったのか。
思いきって行け。
夫にそう言われて、嬉々として励み、合格した人もいる。
逆に、行けるぞ、と言われた挑戦が不安となってあだになることもある。
合格の確率は隠さず言う、しかし覚悟がいる。
最後に決めるのは本人がいい。
お前の入った高校が一番。
夫の持論で、
私も異論はないが、
呼び出しておいて、Mちゃんの直球の質問には答えられなかった。
本当は私が怖かったのかもしれない。
「勿論、合格するよ」
Mちゃんの迷いに、私なりに答えたとして、
合格を信じてMちゃんが受けたとして、
合格すればいいが、もしや、この迷いが尾を引いて、落ちたら......
(15やそこらで泣かせたくはない。縁あった塾生全員に思います)
私こそあれこれ逡巡しすぎて、迷っていたのです。
その不甲斐なさ、進路のアドバイスとしては最悪。
次の日、Mちゃんは(お兄ちゃんの高校ではなく)志望校を変えた。
やはり私の即答がなかったことが、原因だったのかも。
Mちゃんの自信をなくさせてしまったのは私。
以来、それが痛い刺か、小石になって、心に残った。
Mちゃんは勿論合格。
高校生活ははつらつとしていて楽しそうだった。
「3年前を思い出すね」
言いながら涙が出る。ごめんね、あの時、夫が覚悟と言うのはいいが、
私までそれを言って、追いつめたような気がする。
なにもなにも答えてあげられなかった。
廊下で向き合ったあなたが、私の返事を待つ瞳を思い出す。
Mちゃんにも涙がにじんでいた。
「あたしも、玲子先生、
うちのお母さんも思い出すって、さっき、話していたんです」
高校生になって、部活の様子などを逐一報告に来てくれた。
入賞の報告、賞状も持ってきた。
中3の差し入れも、バレンタインも、
3年間、節目節目によく来てくれた。
今日も、合格の報告と共に、手には、
「玲子先生、これは、中3の皆さんに」
チョコとミルキーを、にこっとしながら、渡された。
(あなたが決めて入った高校が一番だったね)
さっきMちゃんも言っていた。「この高校でよかった!」
はらっと、刺さっていた刺か、小石が
私の体内を流れる川に落ちて行くように思えた。
玲子さん、今いる中3に紹介しろよ。
夫が高校時代の部活の戦績、1位、3位、3位、Mちゃんのコピーの賞状、
真ん中の一枚に
朱書きで、
W大合格、と入れながら言った。
「あのね、Mちゃんというんですけど、
W大合格したの。験がいいから中3でいただこうね」
すごい、と中3の早々と来ていた数人が鉛筆を止めて
振り向いた。
そんな、先生。Mちゃんは困っていたが、それはいいのです。
縁がなかったら会えない憧れの高校生を
遠目で見るのは中3の心にあなたが住むのです。
国語の授業でいた小学生にも、
あなたたちにもあげるね。
小6のH君がすかさず、
「それは貴重だから、勿体ないから、
中3の人たちに上げて下さい。僕たちはいいです」
わきまえた小学生であります。
言った小学生も、そっと見た小学生の記憶にもMちゃんは住むはずです。
3年前、15歳のMちゃんが迷ったのは、受験が怖かったか、
難関校でしのぎを削る言葉にならない不安が心を占めていたのか。
どちらともつかない迷いと不安の複合体だったのか。
そのMちゃんが高3になって、あと入試まで半年しかないのに、
挑戦した。
「学校の先生たちからは無理とか、言われたんですけど」
Mちゃんは笑った。
学歴至上ではないけれど、
Mちゃんの、どうしても入りたい、落ちてもいいから受ける。
強い憧れの、覚悟で受験したのですね。
15歳なら志望校は悩むのだろう。
しかし、時に迷わぬ時があるのだろう。
誰に無理と言われても、
がむしゃらに
まっしぐらに行く時があるのだろう。
そして今年の、2月初めの志望校提出の前日、
Mちゃんと同じように、うーん、唸っては迷っていた中3のRちゃん。
夫は
「あとはお前の、覚悟の問題、だな」
私は
「実力からして、どちらにしてもいい。でも悩むだけ悩んだ方がいいよ」
何の迷いもなく、そう言えた。
Mちゃん、
あなたが私の傍で笑っているような気がしてね。
Rちゃんは自分が通う、イメージがある、という高校に決めた。
賛成して言った。
「それは大事だね。最近読んだ、誰だったか、ある作家が言っていた。
イメージにはそうなる現実が潜んでいるって、それでいいよ」
決めるのはあなたがいい。
それはMちゃんが、いつ来ても楽しそうな高校生活を見て思ったこと。
Mちゃん、ありがと。
あなたが、私に、いろんなことを、教えてくれたの。
今北玲子
追伸
おい、M子
アシスタント、今日からだぞ!
夫が言った。今夜は合格祝いだろうし、夫の冗談ですが、
私も、Mちゃんに何度か言っていた。
あなたが小学生のときからずっと思っていた。
「もし地元の大学ならアシスタントお願い、予約しておくよ」
「玲子先生、あたしも絶対アシスタントしたいです」
そう言ってくれていた。
今もそう。
「今日はいいけど、お願いできる?」
「玲子先生、春休みで、暇だからアシスタントはいつでも来ます」
(春休みだけでなく、休みたんびの季節アシスタントで、お願いしたいです。
東京に行ったらいろいろあるでしょうが、帰省したら連絡下さい)
まだMちゃんに、OKはもらっておりませんが、
きっと、あなたなら
「あたしでよかったら」
そう言ってくれると信じて、
とりあえず、皆さま、夏、冬、春の講習、
季節限定のアシスタント、Mちゃん、
お見知りおきを。
今北玲子