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2012年2月 アーカイブ

2012年2月 6日

私立入試が終わりました.

1月30日

公立高の推薦入試の前夜、高1のA君が、

「こんばんはー」教室に入ってきた。

あらら、ひさしぶり。

はい。

今日はどうしたの?

中3の皆さんに、差し入れです。

A君の声に、気がついた中3の何人かが振り向いた。

アッ!中3、

オーッ!A君が笑う。

アッ、また何人かの中3、

オー!A君、振り向いた後輩のひとりひとりに手を振る。

A君の人柄と言える。

昨年の震災の後の、卒舎式で、ギターを取り出して、皆さん歌いましょう、

歌った先輩、

夏のキャンプで面倒見のいい、先輩。

誰もが覚えている、憧れのA先輩。

袋の中にはクッキーがいっぱい。

ありがとうございます!

目を見合わせて何人かの中3が出て来て、頭を下げた。

皆さん、頑張ってください。

大きな声でA君が言った。

 

早いね、1年。A君に声をかけた。

本当に、早いです。

勉強はどう?

がんばっています。

入りたい大学は?

あります。

期するところがありそうだ。

がんばんなさいね。

はい。

 私の目をみて、まっすぐに答えた。

素直さは変わらないな。

小学からのつき合いです。A君の子どもらしさ、中学になって友だちを想う優しさ、

知っています。心に浮かんできます。

この時期に、菓子や飴の袋を持って塾の階段を上って来る人は

毎年、いる。

中3に差し入れを持って行こうと思う気持ち。

あっても、

でもそれは誰もができるものではない。

家を出るには寒い夜、それでも塾に行こうと思う気持ち。

今頃、中3は大変だろうな、そう思う気持ち。

私が高1の頃、そんな気持ちを持ったことがあっただろうか。

自分のことばかりだったような気がする。

雪まじりの、寒風の夜、ひとり、自転車をこぎ、

A君が塾の階段を上がる気持ち。

あったまる。

 

さあ、明日から公立推薦、私立入試と続く。

皆、無事に元気で受験できますように。

それ以外、今は望むべくもなし。

1月30日

公立高校の推薦入試。無事に終わった。何より。

2月1日

私立入試、A日程、皆、つつがなく。

2月3日

私立入試、B日程もつつがなく。

 

皆、元気で受験できた。よかった。

受験できたことに喜ぶ。

中3の皆が、遅れずに受験校に行き、5教科すべて受けられた。

まずはその何よりの有難さに尽きる。

 

なにかにつけ、「おかげをいただきますように」

無事に事が運べば、

「おかげをいただき、ありがとうございました」

神様に、一心に手を合わせていた、大津の亡き義母を思い出す。

わたしも......

玲子

 

 

 

 

 

 

 

2012年2月 8日

よかった、そして、もう一人の、よかった!

私立の結果がすべて出た。皆、二校のうち、片方残念は、

ありましたが、どちらかは全員、合格!

よかった!よかった!よかった!

 

そして、今日の午後、

中3ではないが、気になっていた、もう一人から、

携帯が鳴った。どきどきで携帯を耳にあてた。

「玲子先生、受かったー!受かったー」

午前のクラス(通信制、不登校のクラス)に

通ってきていた18歳のSちゃん。

よかったー!よかったー!私も連呼してしまった。

高1で高校中退、すぐに通信制に席を移して3年前に会った。

その後、働き始めて、午前のクラスはやめたのだったが、

昨年の10月、2年ぶりにお母さんから、

「また面倒を見てもらえますでしょうか。小論があるんで」

勿論です。

昨年の10月から、推薦入試の小論文のために

また午前に通ってきていたSちゃん。

でも、昨年の11月の推薦はうまくいかず、

今年、一般入試に受けることになった。

 2年間、働いたお金は大学の入学資金だったという。

それを知ったのは昨年の面接に備えるための練習をしていた時、

「高校を中退したのはなぜですか」

Sちゃん、あるかもよ、意地悪な大学の面接官の質問。

ですよね。

「言える?理由。

誇りを持つんだよ、

あなたは悪いことをして高校をやめたわけじゃないんだから」

「はい、言いたいことを言っていいんですよね」

そう。

じゃあ、練習してみまーす。

どうぞ

「ええっと、あたしのお母さんがひとりで働いていて、弟もいるので、

私は公立を受験したけど落ちて、

入った私立がレベルが違って、担任もひどくて、高校をやめて、働きました」

そうなんだ。

はじめて聞いた。

「あなたはえらいね、それで?」

「お母さんに迷惑かけたくないし、大学に行きたかったから、

働いて大学に行くお金を貯めました」

そっか、知らなかった。

あなたは、えらい。

そうですか。

そうですよ。

 

一般入試の大学は、国語と面接。

 大学の過去問の問題をしてみれば、読解のセンスはあるが、

漢字がまことに、問題でした。これでは差がついてしまう。

簡単な小中の漢字にもペンが止まる。

「ずっと漢字は嫌いだったの?」

「だって、あたし、小学校もいろいろあって最悪だったから、漢字はわかんない」

じゃ、漢字やろうっ。漢字ができれば合格する。

ほんとですか。

ほんとです。

小学校の漢字から、頻度の高い高校入試の漢字。

慣用句、四字熟語、

今年になってからは、連日、4時から10時まで、

小学生に交じって、中学生に交じって、高校生クラスの10時まで

ひたすらSちゃんは教室にいた。

 

あたしって、塾の居候?

いいですよ。

通信制の同級生のMちゃんが、

塾っていいよ。家ではやれないけど、集中できるもん。

だよね。

 

毎日、9時10時まで居続けるSちゃんに

どう、漢字?

声をかけると、

もう限界。書き続けて、手が痛くなった、腰も痛い、玲子先生。

でも間違った漢字を、赤字で書いていたプリントが、

確実に

少しずつ、直す赤の分量が減ってきている。

すごいね、Sちゃん。

あたしも自分ですごいって思います。

そうよ、あたしも、うれしくなっちゃう。あなたはわかるようになったのね。

渡したプリントでフアイルがみるみる膨らんでいった。

「あたし、今まで、こんなに勉強したことなかった」

「Sちゃんはできるんだよ」

「うん」

 

10月の後半、から、ほぼ4ヶ月、楽しかった。

だから、 今日はほんとにうれしい。

高1で中退して、働いて貯金をして、

志望大学に合格したなんて。

Sちゃんの声を携帯を持ちながら、居候と言った、ひたすらの姿が

涙と一緒に、浮かんくる。

「泣かないでください、玲子先生」

ん、

でも涙が止まんない。

 

大学の面接をしたあの日のことも思い出す。

あたし、失敗した、とSちゃんは落ち込んでいた。

「もう何を聞かれても真っ白になってしまって、

集団の地元の高校生が、すっごくみんな立派で、

あたしは、質問に満足に答えられなかったから」

「どんな質問が気になっているの?」

「面接の最後の質問で、あなたが日頃、気をつけていることはなんですか?」

なんて答えたの?

「うがい手洗い、早寝早起き。玲子先生、これってだめですよね、

笑っちゃいますよね。周りの人は、人間関係とか、忘れたけど、みんな立派だった」

うがい手洗い早寝早起き、ねえ。

復唱しながらSちゃんと笑ったが、思い直した。

「そんなことはない。そんなことはない。

きっと面白い受験生だなって思ったと思うよ。私ならいい点数つける」

まさか!だめですよ。玲子先生。

 

合格したから、言うのではないが、

Sちゃんは、 16歳からのバイトで社会を見てきたのだ。

高校に行っている同級生とは違う時間を過ごしてきたのだ。

受験だと言うのに、

だいぶバイト先では信頼されているらしく、

君に休まれては困る、わかっているから

休みたいとは言いだせなかったSちゃん。

事実、休みは取れなかった。休めば困る。店の事情はわかっていたのだろう。

心配になって 

「お店に、お願いしてみなさい。あなたの入りたい大学なら。

あと少しだから、お願いしますって。終わったら頑張りますって

入試は定期試験ではないからね」

ですよね。頼んでみます。もっと漢字をやらないとだめですよね。

はい。皆が書ける漢字ができれば、大丈夫。読解のセンスはいいんだからね。

 

その後、バイト先と折り合いがついたようで、4時から10時まで、

6時間、連日、塾にいるようになったのでした。

 

Sちゃんが「居候」という教室にいる間、何問解いただろう。

中3のやるべき、読み書き64問の64枚。中3より早く仕上げた。

4096問。

それに全国入試の過去問5年分、500問。

それぞれ、二回、三回やったのもある。

少なくとも、カケル2、として、9192問。

手も痛くなろう。腰も痛くなろう。

4時から10時、

6時間、いたいけだった。

 食べる、飴?

わあーっ、いただきますっ。

一粒の飴に喜んだ。

 

Sちゃんは毎日の心がけを身体で知っていたのだろう。

給料をもらって働くということを体感した2年間だったと思う。

毎日、何に気をつけたかと言えば、

仕事を休まないように、遅刻しないように、店に迷惑をかけないように、

「うがい手洗い、早寝早起き」

18歳がそんな心がけで暮らしていたのかもしれない。

だから口を出た。

そのSちゃんの言葉を、なるほど、って受け止める大人が

いたのだと思う。

いい面接官です。

いやいや国語の読解の点数が勿論よかったに違いない。

 いずれにしても、

もう一人の、Sちゃんよかった。

おめでと。

15歳の高校中退の重みはどこかに飛んでいったと思います。

「玲子先生、今年、塾で漢検受けてみよっかなっ」

(3年前、目的があったらと、漢検をすすめても無理無理、と言っていたのに)

漢字勉強の合間に、Sちゃんの言った一言は、

花の蕾が

人知れず咲く、一瞬の、

震え、希望、挑戦......

今も、耳に残っている。

 玲子

 

 

 

 

2012年2月13日

お母さんと一緒。

日曜日の国語の授業中、夫が

「わざわざ来てくれたよ、早く」と駆け寄ってきた。

思わず、教室のドアに目をやると1期生のTちゃん、その娘の高1のYちゃん、

フアックスでもメールでもよかったのに、

お願いした今年のちらしのコメントを持って来てくれた。

1期生のTちゃん、

「玲子先生、ずっと来ようと思っていて、なかなか、来れなくて。これ中3の皆さんに」

クッキーとチョコいっぱい。

 

Tちゃんのお父様にはお世話になったんです。

某病院の産婦人科のお医者さまで、患者としてお世話になって、

きりりとした、地元で評判の優秀な医師、信頼申し上げておりました。

私には、腹に育たぬ,、いえ、育てられかった子どもがおりまして、

胎児で天に召されて逝きましたんです。

その時、お父様に、お世話になって、

診療を終えたお父様のF先生は夕食時に病室に不意に現れて、

その時、私、夕膳を前にして、

(家で待つ小さな子どもがいるのだし、食べなきゃ)

決めて、丁度、箸をつけたところでした。

「さすがだ、食べてますね。食べて下さいよ。

たくさん食べて下さいよ。お大事に」

返事をする間もなく、

F先生は言うことだけ言うと行ってしまわれた。

からっとした声に救われた。

左手で持っていた味噌汁のお椀が見えなくなったけど、

ご飯を口に入れて、食べて下さいよ。はい、もりもり食べた。

やさしい先生だなって忘れられません。

その後も出産でまたも、また、お世話に。

そしてTちゃんのお母様にもお世話に。

塾をはじめてまもない、海のものとも山のものともわからない私たちに

長女を預け、妹弟も、よろしくお願いしますって通わせてくれた。

その後何人もの生徒を紹介していただいた。

塾の、夫婦の、ご恩のあるご夫妻でありました

その1期生のTちゃんが去年、

「今北先生にうちの娘をお願いしたくて」

あなたの願いは、

そりゃもう、私たちで良ければ、でした。

 

卒業生の2世は塾生として何人もいます。

「子どもが大きくなったら北剏舎だと思っていたから」

卒業生の言葉はどれほど有難いかしれません。

でも最近思います。

夫婦といえど、小中の過ごし方は当然違う。

ひとりで勉強した、大手の塾に行った、家庭教師だった、

その中で自分の通っていた塾に子どもを通わせるってことは

実は大変なことではないだろうか。

(同じ塾を経験しているのは,

塾生同士で結婚したKちゃんとSちゃんですね。

二人とも元気にしていますか?

子どもたちも元気ですか?また会いましょね)

 

すみません、もとい、

ですので、

入塾には、夫なり妻なりの了解と、夫婦の意思一致がいると思うのです。

子どもの大切な時期に私たちに預けていいかどうか。

もし北剏舎に通って、成績が上がらなかったら?

夫婦といえど気まずくはならないだろうか。

まして、子どもはどうか。

すんなり親の通っていた塾に行きたいと言うだろうか。

親の通っていた塾なんて、行きたくない。あるかもしれない。

 

1期生のTちゃんは「私が塾のことを話したら興味を持ったみたいで」

昨年、きっかけを話してくれた。

授業を受けてみてよかったら、喜んでお引き受けします、

勿論、そう言ったが、

さて、授業を受けたYちゃんの感想は気になった。

塾に入りたいって言われた時は、ああよかった!

中3のYちゃんは地下鉄を利用して、遠いのによく通ってくれました。

 学校からまっすぐ制服で塾、という日もあり、よく勉強しました。

 

無事高1になった可愛らしい長い髪のYちゃんが

ビニール袋を覗いて、

「玲子先生、下のチョコは今北先生に、早いんですけど、バレンタインです」

まあ、いの一番のチョコですね。

 開塾1期生の母と、31期生の高1の娘、

並ぶ姿は

遠い時間を思うが、

流れた時は、麗しい気がした。

 

授業中の夫を気遣って、

「今北先生はお忙しいから、チョコは玲子先生から言ってもらえば」

Tちゃんはさりげない暇を告げて帰って行った。

 

 1期生に女子二人がおりました。

Tちゃんともうひとりは、Mちゃん、

 夫が20代で生まれてはじめて教えたバイト先の

社長の息子、(ここのご両親も塾を開くのにご恩のある方)

その妹がMちゃん。

1期生の二人、共に落ち着いた、賢い

品のいい15歳の少女でした。

Tちゃんはあの頃と変わらないね。

それに、

「いい母親になりましたね」

言えば謙遜するから、無音で背中に伝えます。

 

明日は公立高校の志望校締め切り。

決まっている生徒もいれば、心中穏やかではない、悩んでいる生徒もいる。

母娘が帰った後、夫が言った。

「おい、来年はお前たちが差し入れ、してくれよなっ」

中3の心の声が聞こえます。

(それどころじゃない。今、必死なのに、来年の差し入れなんて

わかんないよ、約束なんかできないよ、今北先生)

でも笑ってる。

公立志望校の締め切り、

緊張の日、ふとした笑い声,は

 お母さんと一緒の、今日の差し入れのおかげです。

Tちゃん、高1のYちゃん、ありがと。

 

塾生には、あとほかに何人か、

お父さんと一緒、

お母さんと一緒、がいます。

塾がもとで、

夫婦が気まずくならないように

一生懸命教えますねっ。

今北玲子

 

2012年2月16日

バレンタイン

2月14日、

巷ではチョコが売れる。そもそも菓子屋の陰謀だとしても

可愛い小学生の小さな手で渡されれば夫の顔もほころぶ。

「先生にチョコ、これ」

おお、ありがと。

「あたしも、これ」

おおありがと。

市販、手作り、たくさんのチョコに囲まれた。 

 

中1のSちゃん、帰り際に

「正史先生と玲子先生に、トムチョコです。正史先生にも渡してください」

ありがとね。

チョコのメーカーかと思い、

「トムチョコってメーカーなの?」

「違います。トムじゃなくて、トモです」

「有名なの?」

私の質問に困ったSちゃんが、

後ろを通った卒業生2世のAちゃんに、ねえ、と助けを求めた。 

「Aちゃん、ギリチョコ?トモチョコ、あれっ?どっち」

困って聞いていた。

口に手を当てて笑ったAちゃんもわからなくて、首をかしげた。

トモチョコってなあに?私の質問に、

友だちチョコ、です。

Sちゃんは言いながら、なお、返事に困っている。

「トモチョコ、ちがうよね、Aちゃん」

Aちゃんも

「ちがうんじゃない?」

「じゃあやっぱり、義理です」

Sちゃんは言ってしまってから、あわてて言い直した。

「すみません。義理は、やっぱ、ちがう、でも、友チョコもちがいますよね」

決めかねて袋を持ったまま、立ち往生。

トモチョコでいいですよ。うれしいです。ありがと。

そうなんですか。

やっと可愛い袋をもらった。

 

中3には男女関係なく、全員に「キットカット」を渡した。

それだって菓子屋の陰謀そのものですが、

合格チョコ。私の気持ち。

どんな験でもかつぎたいっ。

命名はいろいろあろうが、今日一日、

それぞれの、渡そうっていう

気持ちですもんね。

13歳のSちゃんと「友だち」

なんていいです。

トモチョコはいいですう。

「いいともーっ!」

片手上げたりして。

(......すいません......年甲斐もなく......)

REIKO

 

 

 

 

 

2012年2月17日

あら?

一番丁に用事があって地下鉄に乗った。

空いていた席に座ると、向かいの女性がやたら,私を見る。

気になって身の回りを確かめた。

大丈夫、気のせい。

 

意外に早く用事は済み、また、広瀬通りから地下鉄に。

下りの階段は危ない。以前、踏み外したことがある。

転ばないように手すりを掴んで

下を見た。

あら!私の足?

左右違う靴、いや、サンダル。

用事はすぐに済むからサンダルでいっか。

つっかけた。

右は気に入っているビーズのつま先がある黒のサンダル、

左は夏用のビニールのつま先のない黒のサンダル。

どちらも黒だが、スカートで肌色のストッキング、

はっきし、違いがわかる。

 

世の中には親切な人はいる。ファスナー空いてますよ。

言われたことある。

でもどうだろ?

靴が違ってますよ、そりゃ言いにくい。

もしや、怪我でもして左右別々の靴が必要、なんて言われるかもしれない。

言いにくいです。

 

 知らぬが仏、よく言ったもんです。

知ったとたん、

歩くに恥ずかしく、私のことなど、誰も知らないのに

変な人、思われやしないかと赤面。

 いっそ、タクシーに乗ろうか。でも、どうしようどうしよう、とつま先見ながら、

もう随分と地下鉄の階段をおりてしまった。

またのぼって引き返して、

歩いて、フオーラスから横断歩道を渡ってタクシーを拾うには

時間がかかる。それに左右別々のサンダルごときで、

タクシーに乗るのは贅沢かと、

我慢した。

足に事情がある振りして乗っちゃえ。

 

そっか、

行きの地下鉄の向かいの女性はサンダルに気がついたのだ。

私としたことが、いえ、私としたことは結構、ある。前にブログでも書いたが、

中学生3年生の冬、

制服のスカートをはき忘れた。どうしてそんなことができるのか、

未だに不明。学校に行ってコートを脱ごうとして気がついた。

たまたま熱いだるまストーブの横の席で汗が出たが、

風邪みたいで寒いんです、と言い張った。

どんなことをしてもコートを脱ぐわけにはいかなかった。

高校時代にハードのコンタクトが痛くなって、

ケースがない。友だちが「上くちびるの下に置くといいよ。失くさないから」

早速、コンタクトを前歯の上にくっつけた。

昼休みに「牛乳、飲もっか」

いいよ、ごくごく飲んでコンタクトも飲んでしまった。

20代にも、

運送業をしていたときの運転手、鉄っちゃんを自宅近くで見かけた。

仕事をやめてから数年ぶり。子どもに優しい大好きな運転手だった。

わざわざ走って追いかけて肩を叩いた。

「ひさしぶり、この近くまで来たの?元気?」

よく遊んでもらった。懐かしくて、小さい頃のように

肩をばんばん叩いて、「うわあー。会えてよかった」

「おい、あの頃より、お前は、喋るようになったな」

「お前って名前でいいよ。でもいやだ、あの頃も喋ってたでしょ?」

「それしても、社交的だな」

「社交的ってなにそれ?気取ってない?」

じゃあね。会えてよかった。またね。もう一度肩を叩いて手を振った。

うん、元気でな。

2,3歩歩いてなんか変?

他人行儀な、別人みたい。仕事の合間にバレーボールもしてくれたし、

雛祭りの祭壇も大工さんみたいに作ってくれたというのに、

ん?

服?

振り返って、背広の後ろ姿にはっとした。

鉄ちゃんは冠婚葬祭以外、背広を着ることはなかった。

黒服じゃない。茶の背広だった。

あれは......?

そうだ!中学校の美術のK先生だ。

当時、母にも美術の先生が鉄ちゃんによく似ているって言ったことを思い出した。

なんと、恩師に対して、あの口の聞きよう、肩まで叩いて、無礼千万。

せめてもの救いは「鉄ちゃん」と言わなかったこと。

追いかけて「実は先生」無礼の段を詫びようと思ったが、

まさか、うちの運転手と間違えました、とは言いにくい。

「お前、やっぱり誰かと間違えていないか?」

先生が不審に思って追いかけてきたらどうしよう、

早足で下を向いて、K先生から離れた。

靴を左右別に履くなど、朝飯前じゃござんせんか。

 

あの向かいの女性は、

家に帰ったら家族や、ご主人に、言うのだろうな。

「今日ね、地下鉄で変なおばさんに会ったのよ。サンダルだけど、

違うものを履いてんの。信じられるー。笑っちゃった」

 

帰宅してほっとした。

夫が「ごくろうさま」って台所にいた。

実はさ、あたし、ほら、サンダル別々で一番丁まで行ってたの。

夫が大笑いしてくれたらいいが、

もしかして、

「だいたい、大雑把なんだよ。

事務処理能力ないしな、いっつもそうだろ」

あれやこれやと芋づる式に暴かれ、説教されたら、

赤面の地下道の下向き歩行も、また落ち込みそう。

夫の所見は正解だしね。

ここは、 ひとり、黙って反省した方がよさそうだ。

(今に始まったことではない)

でもいくつになってもちゃんとした人になりたいと思います。

もう間違えないぞ!

REIKO

 

 

 

 

2012年2月22日

やった!

2月22日(水曜日)午後17時半過ぎ、

高3のMちゃんが教室に入ってきた。

なんか、予感。

W大?おそるおそる聞いた。

はい。第一志望で受かりました。

おーっ!

だってだって、昨年、教室に来た時には

W大に入りたいからたぶん浪人です、と言っていたし、

まさか、半年、あれから勉強して難関校に合格するなんて。

すごい、すごい!おめでとう、すごい、すごい!

頭の中から、これ以外の、言葉は、なくなってしまった。

 

はじめて会ったのは小学生。

お父んの勤務が仙台で、引っ越して来てまもない頃、

2歳違いのお兄ちゃんと一緒の入塾。

利発、その言葉はMちゃんのためにあるような、

兄のA君も落ち着いた賢い少年で、2年前名だたる、K大合格。

二人とも運動もできるし、天は三物も四物も与えたような素敵な兄妹。

 

3年前、

公立高校の志望校締め切りの、前日、

Mちゃんは志望校を迷っていた。

兄のA君の通う高校にするかどうか。

偏差値は高い。内申書も受験生が皆、拮抗する難関である。

夫は「M子の、覚悟の問題」

そう言うだけだった。

でも、覚悟の問題、って言ったって

明日、学校に志望校を提出しなければならない。

何も言わず、Mちゃんを家に返すわけにはいかない。

塾だもの、ここはだいじょうぶ、とか、そこは危ないとか、

迷っているのだから、なにか、決め手になることを言ってあげたい。

教室の寒い廊下にMちゃんを呼んだ。

本当はどこに入りたい?

Mちゃんは首をかしげる。

意味のない質問だった。だから迷っているというのに。

でも、難関の高校は本人に強い憧れがないと立ち向かえない。

どうしても入りたい。落ちてもいい、受けたい!

それが押し上げる。

Mちゃんにそれがあるのか。あるけれど言いにくいのか。

表情だけではわからなかった。

Mちゃんの目にうっすらと涙が浮かんでいた。

「玲子先生、(お兄ちゃんと同じ)高校を受けたら合格しますか」

わざわざ呼び出したのに、

「あなたの覚悟の問題かな」

これでは夫と同じだ。

長い時間向き合っていたのに、でもそういうことしか言えなかった。

3年間、ずっと私の心に残っていたのは

Mちゃんのこの質問に答えられなかった、私。

あのとき、

実力は充分、大丈夫。

なぜ言えなかったのか。

 

思いきって行け。

夫にそう言われて、嬉々として励み、合格した人もいる。

逆に、行けるぞ、と言われた挑戦が不安となってあだになることもある。

合格の確率は隠さず言う、しかし覚悟がいる。

最後に決めるのは本人がいい。

お前の入った高校が一番。

夫の持論で、

私も異論はないが、

呼び出しておいて、Mちゃんの直球の質問には答えられなかった。

本当は私が怖かったのかもしれない。

「勿論、合格するよ」

Mちゃんの迷いに、私なりに答えたとして、

合格を信じてMちゃんが受けたとして、

合格すればいいが、もしや、この迷いが尾を引いて、落ちたら......

(15やそこらで泣かせたくはない。縁あった塾生全員に思います)

私こそあれこれ逡巡しすぎて、迷っていたのです。

その不甲斐なさ、進路のアドバイスとしては最悪。

 

次の日、Mちゃんは(お兄ちゃんの高校ではなく)志望校を変えた。

やはり私の即答がなかったことが、原因だったのかも。

Mちゃんの自信をなくさせてしまったのは私。

以来、それが痛い刺か、小石になって、心に残った。

 

Mちゃんは勿論合格。

高校生活ははつらつとしていて楽しそうだった。

「3年前を思い出すね」

言いながら涙が出る。ごめんね、あの時、夫が覚悟と言うのはいいが、

私までそれを言って、追いつめたような気がする。

なにもなにも答えてあげられなかった。

廊下で向き合ったあなたが、私の返事を待つ瞳を思い出す。

Mちゃんにも涙がにじんでいた。

「あたしも、玲子先生、

うちのお母さんも思い出すって、さっき、話していたんです」

 

高校生になって、部活の様子などを逐一報告に来てくれた。

入賞の報告、賞状も持ってきた。

中3の差し入れも、バレンタインも、

3年間、節目節目によく来てくれた。

 

今日も、合格の報告と共に、手には、

 「玲子先生、これは、中3の皆さんに」

チョコとミルキーを、にこっとしながら、渡された。

(あなたが決めて入った高校が一番だったね)

さっきMちゃんも言っていた。「この高校でよかった!」

はらっと、刺さっていた刺か、小石が

私の体内を流れる川に落ちて行くように思えた。

 

 玲子さん、今いる中3に紹介しろよ。

夫が高校時代の部活の戦績、1位、3位、3位、Mちゃんのコピーの賞状、

真ん中の一枚に

朱書きで、

W大合格、と入れながら言った。

  

「あのね、Mちゃんというんですけど、

W大合格したの。験がいいから中3でいただこうね」

すごい、と中3の早々と来ていた数人が鉛筆を止めて

振り向いた。

そんな、先生。Mちゃんは困っていたが、それはいいのです。

縁がなかったら会えない憧れの高校生を

遠目で見るのは中3の心にあなたが住むのです。

国語の授業でいた小学生にも、

あなたたちにもあげるね。

小6のH君がすかさず、

「それは貴重だから、勿体ないから、

中3の人たちに上げて下さい。僕たちはいいです」

わきまえた小学生であります。

言った小学生も、そっと見た小学生の記憶にもMちゃんは住むはずです。

 

3年前、15歳のMちゃんが迷ったのは、受験が怖かったか、

難関校でしのぎを削る言葉にならない不安が心を占めていたのか。

どちらともつかない迷いと不安の複合体だったのか。

 そのMちゃんが高3になって、あと入試まで半年しかないのに、

挑戦した。

「学校の先生たちからは無理とか、言われたんですけど」

Mちゃんは笑った。

学歴至上ではないけれど、

Mちゃんの、どうしても入りたい、落ちてもいいから受ける。

強い憧れの、覚悟で受験したのですね。

 15歳なら志望校は悩むのだろう。

しかし、時に迷わぬ時があるのだろう。

誰に無理と言われても、

がむしゃらに

まっしぐらに行く時があるのだろう。

 

そして今年の、2月初めの志望校提出の前日、

Mちゃんと同じように、うーん、唸っては迷っていた中3のRちゃん。

夫は

「あとはお前の、覚悟の問題、だな」

私は

「実力からして、どちらにしてもいい。でも悩むだけ悩んだ方がいいよ」

何の迷いもなく、そう言えた。

Mちゃん、

あなたが私の傍で笑っているような気がしてね。

 

Rちゃんは自分が通う、イメージがある、という高校に決めた。

賛成して言った。

「それは大事だね。最近読んだ、誰だったか、ある作家が言っていた。

イメージにはそうなる現実が潜んでいるって、それでいいよ」

 決めるのはあなたがいい。

 

それはMちゃんが、いつ来ても楽しそうな高校生活を見て思ったこと。

Mちゃん、ありがと。

あなたが、私に、いろんなことを、教えてくれたの。

今北玲子

 

追伸

おい、M子

アシスタント、今日からだぞ!

夫が言った。今夜は合格祝いだろうし、夫の冗談ですが、

私も、Mちゃんに何度か言っていた。

あなたが小学生のときからずっと思っていた。

「もし地元の大学ならアシスタントお願い、予約しておくよ」

「玲子先生、あたしも絶対アシスタントしたいです」

そう言ってくれていた。

今もそう。

「今日はいいけど、お願いできる?」

「玲子先生、春休みで、暇だからアシスタントはいつでも来ます」

(春休みだけでなく、休みたんびの季節アシスタントで、お願いしたいです。

東京に行ったらいろいろあるでしょうが、帰省したら連絡下さい)

まだMちゃんに、OKはもらっておりませんが、

きっと、あなたなら

「あたしでよかったら」

そう言ってくれると信じて、

とりあえず、皆さま、夏、冬、春の講習、

季節限定のアシスタント、Mちゃん、

お見知りおきを。

今北玲子

 

 

 

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