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2011年3月 アーカイブ

2011年3月 2日

3月ともなると

3月1日

同窓会会長のN君から、大きな花束、毎年、忘れずに痛み入ります。

小袁治師匠からも

あたたかい心のこもったかわいい写真つきのメール。

恐れ入ります、師匠。

夫は朝から本当にうれしそうだ。

さて、午後にいの一番の中3のHちゃんが入ってきた。

Hちゃんは制服のままの学校帰りの塾直行で、10時近くまでいる。

「先生・・・」

「ん?」

「お誕生日おめでとうございます」

えーっ、ありがと、いやあ、ありがと。

次に入ってきた中3のI君もS君も、

(この二人、家で勉強できないなら塾で勉強しなさい。何度言っても来なかったのに、今や学校から帰るとすぐに塾に来る。定期試験前に、はやばやと帰るという二人に、もう少しいて、家に帰らないで、袖をひっぱるように言った去年が嘘のようです)

「先生お誕生日おめでとうございます」

まいったなってうれしい顔している。

次々と、おめでとうが続く。

夫はほころんだ顔を元に戻す暇がない。

小学生からのI君は餅ふたつ、先生と玲子先生とで。内訳も。

ありがとな。

受け取るとまた、

R君からどら焼き、5個も入っている。

中3からの入塾だが、それだけにこういうのも、なんかじんとする。

 

夫のメールには南は九州の大分Sちゃんから、

卒業生のメールが何本も入っているようだ。携帯に返信を打っている。

つくづく、卒業生のみんなはえらいと思う。

3月1日を何年経っても忘れない、あなた方がえらい。

 

授業が終わり、自習で残っていたEちゃん。

(中3は2月の後半から入試まで5時半から毎日授業。その半数が残って

10時近くまでいる)

これ、書いたんですけど。

小さな色紙に、アニメの絵!

「今北先生おめでとうございます」

バースデーケーキを囲むかわいい男女の絵。

夫を見つめて絵の向こうから祝っている絵だ。

短時間で仕上がる絵ではなさそう。受験生なのに、申し訳なくなった。

どのくらいかかって描いたの?

二日です。

今北先生に渡してください。

まだ、隣で授業中の夫に遠慮して

私に託して、夫になにも言わずに帰っていった。

口をあんぐり開けるほどの美しい絵。、

ぐずぐずと

泣いてしまいそうになる。

繊細な下書きの上に、色鉛筆の淡い色彩が美しく

二日がかりの労力が、私の手に残った。

 

3月2日

「一日遅れですみません」

高2のMちゃんがその夜の授業中にやってきた。

「先生、お誕生日おめでとうございます」

Mちゃんは、陸上の大会に出ました、お土産です。

なにかと近況報告しがてら、来てくれる。

「先生、あと、これ、中3の皆さんに、キットカット」

パッケージの上には黒のペンでメッセージが書かれている。

そのひとつひとつに

がんばれ31期生、31期生フアイト、31期生がんばれ、

きっと勝つ、なんてベタなんですけど。

そんなこと。なんてうれしんでしょ。その気持ち。

 

3月3日

中1のY君が

「これ、お母さんから」

手渡された小風呂敷の中には

手作りのたくさんの桜餅。手紙が添えられていた。

「いつも土日も休みなく、ご指導いただきありがとうございます。

3年生が皆、志望校に合格する事を祈っています」

       」

わが子はまだ中1なのに、塾の受験生を励ますお気持ちに、

みるみる気持ちはあたたかかくなる。

そして、中3のお母さんからも、かわいい和菓子。

 

開塾当時は、お月謝以外父兄からの贈答はお断りしていた。

たとえ、イチゴひとパックでもいただけません、律儀に

お月謝をいただいていますから。

母には「親心なのよ」と諭されたが、

やはり、塾の月謝だけで充分だと思っていた。

1期生のK君の披露宴のとき、ほろ酔いになったお父さんが

「勉強は今北先生に教えてもらったし、息子には何もしなかったが、

ひとつだけ、教えたのっしゃ。やるっつうもんはもらわい。

けろっ(下さい)ては言いんすな」

人の気持ちは拒むな、ただし、ねだるな。ということか。(前にも書いたと思うが)

律儀を考え直したのはこのとき。 

物ではない。

そこにその人の気持ちが届けられる。

届けられた気持ちはなんともあたたかいことをそれから知った。

 

公立までもう日折り数えるしか残っていないが、

黙ってひたすらわが子の合格を祈る家族から、

最後の月謝袋の中に、ありがとうございます、の文字。

高校生クラスまでいた家族から、これまでのお礼と中3への激励のクッキー、

 孫のために、その友だちのために

秋田から宅急便で届いたというN君のおばあちゃんの手作りおからクッキー。

 

すこしだけですが、私達のお返しは卒舎式で

ひとりひとりに

お礼と感謝を書くことかもしれない。

あなたとのつきあいはたったひとつっきり、

今までもそう、これからもそう。

 

3月ともなると、訪問客が多い。

あのときの15歳を思い出して、中3を励ましてくれる人、

夫の誕生日を祝ってくれる人、

手には中3にあげてください。

のど飴だったり、夫の好きなせんべいだったり。

そして、卒舎式はいつですか?最後に聞いてくれる。

 卒舎生の心の片隅にあるってことだけでうれしい。

 

3月6日

「こんにちは」高1のA君、T君、Aちゃん、I君、遅れてK君、S君。

卒舎式の巻紙を折りに来てくれた。

中3に、手にはせんべいとキットカット。

「俺の誕生日の分、入ってるか?」

「入ってます」

昨日のことのような高1はわかってらっしゃる。

背も伸びて、高校生らしくなっていた。中3がうしろを振り向いてまぶしそうに高1を見ている。

大丈夫、あたたたちもそうなる。もう少しで。

 

夕方、ご父兄のお父さんだが、すぐに夫の親友になったKさん家族。

自宅にやってきた。

進路が決まったのだ。よかった、ほんと、Tちゃん。うれしそう。

医療の道は大変だろうが、Tちゃんなら、がんばれる。そう思う。

 

午前のクラスに小学校から不登校のYちゃんがいる。

(このYちゃん、すごいんです。今年の1月の漢検で小学6年ぐらいの5級を受けました。

去年、来たときには小学1,2年も大変だったのに。

それが今回の点数は190点、塾生の中で最高!)

がんばるYちゃんにいつも、途中で、誰かにいただいた菓子を「どうぞ」と渡す。

Yちゃんに山形のゆべしをあげた。

「先生、いっつも思ってたんだけど、ここの塾って菓子多いなって、

それも外国のお菓子とか、秋田とか、ふしぎだなって思って」

この菓子はね、山形の卒業生のそのお友だちの子どもが

不登校になって、相談にのってね・・・・・・

そうなんだ。

Yちゃんのこと、話したよ。学校に行かなかったけど、今、一生懸命に勉強してるって。

Yちゃんは、下を向いて恥ずかしそうにしていたが、

なにか思い出したように顔を上げると

でも、多いよね。やっぱり。

そうね、持ってくる人が優しいのね。

今北玲子

 

 

 

 

 

 

2011年3月15日

無事です

家族全員、無事です。

自宅も無事、塾は大分混乱していますが、大丈夫です。

電気は昨日から、水道もさっき午後から復旧しました。

ガスはまだですが、水がきてほっとしています。

ご心配をおかけしまして、たくさんの方から震災見舞いを

頂戴して、本当にありがとうございました。

 

塾の再開日は学校の再開日が決まり次第、

こちらから連絡します。

なお、延期しています「卒舎式」についても

今しばらくお待ち下さい。

 

皆、元気だして、

一日一日、なんとか乗り切って、

大船渡や石巻、南三陸、被災の大変な方々の

少しでも避難所の環境が改善されますよう、

食料がいきわたりますよう、

祈ります。

今北正史、玲子

2011年3月16日

体調いかがですか

7日目です。

みなさま、体調いかがでしょうか。

物が消えて、どこも長蛇の列。

必要な米も灯油もガソリンもすぐには買えないけれど、

明治生まれの祖母の口癖を思い出す。

米と味噌さえあれば、なんとかなる。

 

塾生からも連絡あり。中2のYちゃん、Yちゃんのお母さん、

被災直後にアシスタントのⅠ君、J君、Y君、中1のA君、Y君、

自宅に駆けつけてくれたⅠ君、見舞いの電話多数いただきました。

恐れ入ります。

むしろ、こちらからしなくてはならないのに

塾の混乱に追われ、見舞いの電話もままならず、

すみません。

受話器を通して、その声をおくればせながら

聞きたくて。

順次、お電話申し上げておりますが、行き届かなくて

ごめんなさい。

 

連日報道の福島原発は心配です。

神様、

節電もします、これから贅沢も慎みます。

今まで、何もいわず毎日電力を供給し続けた

心優しい巨大なエネルギーの皆さんが

可哀想そうに、水がほしいと悲鳴を上げています。

どうか水が充分いきわたりますよう、

助けてください。

そして、汚染を回避するために多くの方々が

命がけで懸命な努力をしています。

無事に水の手当てができますよう、作業ができますように

おかげをいただきますよう、

神様、お願いします。

ただただ、祈ります。

今北玲子

 

2011年3月18日

卒舎式

震災後、電気が復旧して

明るい居間にテレビから被災地の映像が流れた。

瓦礫の中から

息子の遺体を見つけた父親、

直視できず、目をつぶった。

菅首相の「国力を挙げても!」

沈痛なあの宣言も、

お立場上、言わざるをえないのだろうが、

(誰のせいでもないのだけれど)

大事なわが子を失って、愛する家族を失って

国力を挙げて、と力強く宣言されても、うつろに通り過ぎていく。

 

3月19日(土) 

朝日新聞の天声人語、もうご存知かもしれませんが、

エミリーデイキソンという米国の女性詩人の詩が載っていた。

(失意の胸へは/

だれも踏み入ってならない/

自身が悩み苦しんだという/

よほどの特権をを持たずしてはーー)

 

深い目をもつ詩人がいるものです。

しんとした静かな共感でした。

急に、

3月12日に予定していて、中止のままになっていた卒舎式をやろうと夫と決めた。

 電話で中3の皆に、21日に卒舎式はやります、来てね。

ひとりひとり、伝えた。

「やるんですか?」

「やるよ」

「来れる?」

「絶対!行く」

「待ってるね」

ものを見通す深い目はないが、

塾の子どもたちの気持ちに沿うことはできるであろうと思った。

 

3月21日(月)

卒舎式。

毎年お願いしている卒業生のお店が営業していて、

おにぎりを握ってくれるという。

アシスタント、連日の高2のMちゃん、卒業生が掃除やら手伝ってくれて、

スタンバイ。OK

毎年、欠かさずいらしていただいている小袁治師匠の落語がないのは

残念至極。

ぽっかり穴があいたような、

卒舎式には師匠の存在はなくてはならないのに、

それが叶わぬとは、がつんと殴られたような気がして、

夫も最後まで、なんとか師匠に来てもらう方法はないものか、

諦めきれず、模索したが、

なんともならず。

 

被災地のことを考えたら

そんな贅沢は言ってられない。受け止めるしかない。

 

卒舎式がはじまった。

夫の手書きの筆の巻紙には、

小学生の思い出やら、ついこの間のキャンプのこと、学業のことが綴られている。

あなたは気がつかないだろうけど、

「お前は何ていい奴なんだ」

 夫の、私の、その気持ちが届いたらいい。

そして、

中3の皆から、思い思いのものに綴られた文章をもらう。

出会ってつきあえば誰もが愛しく、中3の文章は涙でうるむ。

毎年ながら、自信はないが、BGMでピアノを弾く。

時々、楽譜がぼやけて音がとんちんかんになる。

中3のせっかくの文章を台無しにはしたくない、ひたすら、譜面を見る。

31期生の、第1号入塾の、最後、A君が読む番になった。

だめだ、小学生からの長いつきあいで、小6まではA君と二人だけの授業だったから、

二人だけのかるた、二人だけの漢字練習、何が好き? 僕は梅干、あら、私も。

A君のあどけない顔が次々と浮かんでくる。きっと夫もそうだろう。

止めようにも涙で楽譜がなにも見えなくなった。

そしたら、

「書いたものを忘れてきてしまって」

どっと笑いが起きて、つたった涙も落ち着いた。

忘れてきたから、あとで読んでください、

もしやそれで終わるのかと思ったら、

手ぶらのA君はなにも見ずに、話しはじめた。私もBGMのピアノを弾き続けた。

小学生の頃から今までのこと、その中には

(母親にあそこの塾は宿題がないらしいよ。そう言われていたのに、

塾に入ってまもなく、宿題を渡されました。今北先生に、「宿題はないんじゃないですか?」

と聞いたら、宿題じゃないよ、お土産だよ)

塾の思い出のひとつひとつをゆっくりと笑いながら、優しく語ってくれた。

堂々としてすごいもんでした。感動でした。

終わって、席に戻るのかと思ったら

「ちょっと待ってください」

A君は皆を手で制して、教室を出て行った。

まもなくギターを持ってあらわれ、

「こんなときなんで、上を向いて歩こう、歌いたいんですけど」

(A君の中学校は卒業式が中止になった。でもそれだけではない。A君の気持ちなのだろう)

「歌いましょう」

A君のギターで

歌のうまい同窓会会長のN君にリード歌手になってもらって

ぶっつけでそろわないけれど、

♪♪♪

上ををむーいてあーるこーおおう ♪♪

そろったり、そろわなかったり、

声が追いつき、はぐれたり、それでも、

皆で歌った。

卒舎式で合唱したのははじめてです。

歌うことで、

さまざまな、思いが

A君のギターにすがった。

 

3月23日合格発表

午後3時。ネットが4時、全員の合否がわかったのは

4時半すぎ。

全員合格は叶わなかった。

思い通りにはいかない。

もしかして、と願った保健室受験も、そう簡単ではなかった。

次々とやってくる中3は悲喜こもごも、

「後ろ足で砂かけてきたか?」

落胆を夫の言葉で笑って帰っていく人、親に連絡するより先に塾に来た人、

15日が23日に延期され、長い長い合格発表でありました。

 でも、全員4月から高校生です。

うまくいった人も、いかなかった人も、15才から18才、

まだまだ、これからです。

勉強するんですよ。 

 

3月30日(水)

チラシの解禁日。24日に入るはずの塾のチラシが今日入るはず。

どっと折込チラシがあふれるのかと思ったら、

一枚、北剏舎の赤いチラシだけ。

「自粛しなくていいのですか?私だけですが・・・・・・」

赤いチラシがおどおどと、下を向いているように見えた。

いいのです、悪いことしたわけじゃないもの、

チラシ解禁、いの一番、

この界隈に

「たった一軒、夫婦で教える塾」

お目に留まれば。

 

集英社のK君が幻のジャンプ16号を送ってくれた。

地震で手に取れなかった16号。夫は「レア、16号が入りました!」

お知らせと共に、

K君の手紙を告知板に貼った。

(今北先生

1冊ですみませんが、やはりネットで見るよりちゃんと手にとってもらえる雑誌があるほうが読む喜びも伝わるかなと・・・。ほんとなんのお役にもたてず申し訳ないのですが、

ささやかすぎるOBからの支援物資ということで、みんなで回し読みしたり、顔を寄せてのぞき見たり、そんな光景が広がれば幸いです。一日でも早く落ち着いた日常が戻り、美味しいお酒を御一緒できますように。)

 

おおーっ、

少年ジャンプ・フアンの子供達は何人か、群がって頭を寄せた。

子供達には、いろいろなものが必要なのですね。

先週のジャンプから、今週のジャンプ、

1冊抜けても支障はなさそうだが、

たとえ1冊といえど、先週の自分とつながっているのだろうと思います。

K君のいうように、ネットで見られるとはいっても、

手に持って読む喜びは、子どもたちを夢中にさせていました。

貴重な1冊、K君、どうもありがとう。

幻の16号が、少年の思い出・16号になったら嬉しいですよね。

今北玲子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今北玲子

 

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