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2011年6月 アーカイブ

2011年6月22日

ご無沙汰です。

時々、季節がどこに向かっているのか、

カレンダーで日付はわかっていながら

塾のドアを開ける時、

自宅の台所のドアを開ける時、

ふと季節を迷います。ああ、そうだ、夏が近づいているのだ。

3月の震災から時間の感覚が止まったのか、神経が揺さぶられたからでしょうか。

 

震災以降、多くの卒業生が来てくれました。

先生、大丈夫だった? あれから1ヶ月ですよね。3ヶ月ですよね。

そう言われてああ、と、気がつく。

授業中にやって来たK君もその一人。

「やっぱり塾はここだよね」そう言って懐かしそうに教室と中3を眺めていた。

県外で暮らしている。

「(見舞いに) 来ないと今北先生に怒られそうで」

誰がそんなもんで怒るか。黒板の前で夫が笑っていた。

あなたと同期の息子がいるよ、と紹介すると、

「いいなあ、自分の子どもは近くの塾に行ってるんだけど、違う。

塾というのはやっぱここだね」

うれしいことを言ってくれます。

東京から集英社のK君も来てくれた。可愛い奥さんも一緒。

子どもを二人とも塾に通わせている同期のK君もまじえて

「先生、東京で、原発なんか関係ない。

東北のものをばんばん食おうぜって飲んでましたよ」

そっか。

楽しい夜だった。先生たちとおいしいお酒を飲みましょう。

震災後の添え書きの約束を果たしてくれたと思う。

集英社のK君は震災で手に入らなかった幻の16号以来、ジャンプを毎号送ってくれる。

なかなかできないことです。

カウンターに並んだジャンプの背中を見る。

中学生が

先輩はまだ、送ってきてくれるんですか?

そうよ。

すごいですね。

私もそう思います。

 

卒業生のS君も久しぶりにやって来た。

県外に就職すると言って、挨拶に来たのは3年前。

「家を継ぐって決めていましたから、戻ってきました」

見舞いではなく、報告でした。

夫が「中学生の時、お父さんのことを作文に書いたのはお前だよな?」

はい、僕です。

父親を綴った文章を夫は強く覚えていました。

聞いてみると、

家業を継ぐ、と小さい頃から決めていたのだそうです。

なんか、感動しますよね。

最近は親の仕事を継ぐのはあまり聞かない。

それはそれで自分の人生だから、その道を行けばいい。

でも感動します。

 

薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲く、

ナニゴトノ不思議ナケレド。

 

北原白秋は、ごく当たり前の、ものごとの中に感動を覚えたのでしょうね。

クリーニング店の息子がクリーニング店を継ぐ。ナニゴトノ不思議ナケレド。

 

子どもの頃から、父親を尊敬していて、 

家業は長男の自分が継ぐと決めていて、

約束通り、戻って来た。

ごく当たり前のことなのだけれど、その言葉通りなのだけれど

感動してしまいます。

今、仕事を覚えようと懸命な息子と

電話番、配達、いちから教えようとしている父親、

「先生のところに挨拶に行きなさい」

3人の息子を節目には必ず寄こす、働き者のお母さんの笑顔が浮かぶ。

私は自分の子どもたちに、ごく当たり前の、こういう育て方をしただろうか。

先生、いつでも取りに来ます。今、見習いなんで。

大きな声で教室の階段を下りていった。

 

薔薇ノ花

ナニゴトノ不思議ナケレド

照リ極マレド 木ヨリコボルル

光コボルル

 

S君は電話1本で来てくれる。

(もう1軒、電話1本で来てくれる卒業生の店があります。

ボタンが取れかかっているとつけ直してくれたり、だらしない私を案じて

冬物は次の年まで預かってくれたり、

孫が生まれたってば先生、会うたびに近況報告。これもいいもんです。)

 

今日もS君が洗濯物を取りにきてくれた。

「先生、これは、急ぎの奴ですよね。あとは出来次第でいいんですよね」

はい、お願いします。

先生、ありがとうございましたーっ。

威勢のいい声で玄関が閉まった。

泣くほどのことでは、ナイケレド、

やっぱり、

感動します。

今北玲子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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