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3月

「3年後に階段を駆け上がって来て。
15歳の時の
約束を覚えていてやって来る18歳もいれば、
約束などしなかったけれど、今を報告してくれる18歳、19歳もいる」

3月某日
授業中にT君が入ってきた。
「いま、東京から帰って来て、北仙台駅から
塾に直行しました」
「どこか決まったの?」
「一つは慶応、もうひとつは、まだ」
1年浪人していた。

中3の入試の時に夫が全員に、手で削った鉛筆を贈る。
わからない時、この鉛筆を使えばわかる。合格鉛筆と呼んでいた。
T君は高3のとき、
中3のその鉛筆を持ってきて、験がいいので、削ってほしいとやって来た。
あれからまた1年が経った。

「慶應? おまえ、そんなに頭良かったっけ?」
頑張ッたんですよ、先生。

帰りしなに、先生に恩返しをしたいので、塾のこと手伝います。
うれしいことを言って帰って行った。

3月某日
高3、山形大合格。Hちゃん。
同じく、山形大合格。H君。
また、山形大合格、Mちゃん。(中3で書いた作文通りの学科だ)
おめでとう。
今年は山形、多い。
同窓会が開けそうです。

3月某日
1浪のK君も来た。
昨日、大阪外国語大に合格したとのこと。
中3の時、第1志望が残念で、
「3年後、階段を駆け上がって朗報を持ってきてください」

約束通り、朗報を持ってきてくれた。
そして、
「お借りしていたものです」
紙袋から、
ひつじのショーン。犬のピッツア、あと二匹が出てきた。

 
私の好きなショーンを教室に置いてありまして、
マグネットのショーン、犬のピッツアが、柱にはりついて居りました。
ある日、ショーンが居なくなりました。
後日、
お母さんから
「教室のショーンを息子が連れて帰って来てすみません」

その言い方に感じ入った。
「塾の備品を勝手に持ってきてすみません」
じゃない。
「連れて帰って」
その言葉にほのぼのとした。
連れて帰るほど好きなら、とK君の前に
大きな、といっても20センチほどのショーンを買ってきて
K君の座る席の前に、専属応援と座らせた。
「これを見て、入試を頑張って」
うれしそうだった。

K君には譲れない第一志望校があった。
ただ、内申が懸念された。
本番は過去最高の点数だったのに、
同じ高校の他の合格者より
点数は上回っていたのに、内申の枷に阻まれた。

「高校に行ったら頑張ります」
15歳の彼に、
「これは、3年後、受かりましたって言うまで貸すから。
勉強してね」
K君は「はい」と言って
ショーンと数匹を大事に持って帰っていった。
1年浪人したので、あれから4年、
その約束を守って、合格と共に
ショーンたち、を返しに来たのだった。

貸すというより、あげればよかった、あのとき、思ったが、
合格するまでのお守りと思って、貸すことにした。

私も
20センチのあのショーンに、K君の中学生の名札をつけて、
大学の朗報を持ってくるまで待っていようね、とピアノの上に置いた。

合格してきちんと返しに来たことが
うれしかった。
律義さがうれしかった。
忘れないでいてくれたことがうれしかった。

K君から4年前のショーンを受け取った。
あらためて大切に持っていたK君のことが思われて、
ショーンたちもなんだか今更返されても、と寂しそうで、
「このショーンの飼い主はもうK君だから」
返しに来たものを返した。
にこっと笑って、「ありがとうございます」
身長も伸び、少年から青年になって、
大きな手のひらに小さく見えるショーンを
4年前と同じように、大事にしまった。
私はこの場面をずっと忘れないなと思った。

3月某日
約束通り、恩返しをしたいと言ってくれたT君がアシスタントをしてくれた。
同じく浪人していたM君も来た。
M君、北大に合格。
二人でアシスタントをしてくれた。
気持があたたかくなった。

合格発表

私たちは、志望校は本人の気持ちを優先したいと思っている。
五分五分、四分六、本人には正直に言うけれど、
「最後は覚悟の問題だ」と夫は本人に委ねる。

今年も内申点が案じられる生徒や、家庭の事情を抱える生徒、
願書締め切りにやっと志望校が決まって、入試に臨んだ生徒。
納得行く選択だったと思ってもやはり心配だ。

結果は全員合格は叶わなかった。
私も夫も気が沈んだ。

その日の親の気持ちは分かる。
うちの息子たちは、公立は全敗だった。
考えようによっては、塾の先生の子どもが受かって、うちはダメだった、
というより、よかったのではと思うことにしたが、
子どもの涙は、今、思い返しても切ない。

合格が叶わなかったR君の家に電話した。
お母さんは、「先生、息子はやりきりました!」
そう言いきった。
すごいなって思った。子どもを信じた母の強さが耳に残った。

本人に代わってもらった。
「大学にいくつもりなら、3年後、合格の知らせを持って
塾の階段を駆け上がって来てね」
「はい!」
大きな声だった。

待ってるよ。R君。

塾の合格率を100パーセントに
するために志望校を諦めさせる気にはなれない。
この悔しさが明日につながることがある。
卒業生が教えてくれたことだ。

その後は、合格が続き、うれしかった。
しかし、3時過ぎても、4時になっても来ない生徒がいた。
K子ちゃん......。

悩みに悩んで一転、二転して志望校を決めた。
卒業生の二世である。小学校から通っていた。
夕食の準備で6時に帰る私を「お見送り」と言って
教室の階段を私のあとをとことこついて降りてきた。
「玲子先生、お気をつけて」
可愛い小学生の頃からつきあいだ。
受かったらすぐに連絡が来るはず。
ぴたりとやんだ携帯、
連絡がない。
4時半、「あいつがだめだったとはな」
夫は窓からずっと下の通りを見ている。
だめだったとしても必ず来る。
そう思ったが、来ない。

「来た!」
窓から通りを見ていた夫の声に
私も身構えた。
なんと言葉をかけよう。
母娘で教室に入ってきた。心なしか、K子ちゃんの顔が暗い。
聞くのも怖い。でも......。
「どうだった?」

「......受かりました!」
夫がへなへなと座りこんだ。
私もどっと安心して、
身体をカウンターに預けた。

「携帯より、直接行こうって思って。
ごめんなさい、先生、やっぱり連絡すればよかった」
卒業生のKちゃんがしきりと悔いているけれど、

いいの。そんなこと、いいの。

娘を、卒業生の母親をそれぞれ、抱きしめた。

合否はこの1年の15歳の成長をみる。
どちらも今後の糧となるにちがいない。

東京の同窓会に行くと、4年後、10年後、30年後の
教え子たちの人生に出逢う。
東京の皆さん、4月、夫と二人で行きます。

玲子






















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2018年3月11日 16:41に投稿されたエントリーのページです。

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