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2012年10月 アーカイブ

2012年10月10日

3分の友だち

子どもが小学1年の時、入学後まもなく、5月だったか、給食の試食会がありまして、可愛い椅子に座り、普段の子どもたちが食べている給食を食べる、

それだけの会で、私は給食のない世代で、楽しみに出かけました。

私の向かいに座ったのはあとで知ったSさん。

「あら、おいしい、これ」 Sさんが笑顔で話しかけてきた。

「ほんとおいしい」 私も想像していたよりおいしいなと思っていたから、

同感して言った。

「白身のお魚っておいしいですよね、やわらかくて」 Sさん。

私の舌がおかしいのか、もう一口、食べた。ささみ、鶏肉だ。

「これ、鶏肉」 彼女に顔を突き出して 小声で言った。

「うっそ、やだ、誰にも聞かれなかったかな?」 

「大丈夫、ここだけだから」

顔を見合わせて、くすくすの忍び笑いしながら

「今北といいます」

「あたしはSといいます」

 笑いがおさまって、

もしも、高校生の時、中学生の時、Sさんと会っていたら

友だちになっていたよね。初対面なのに、言った。

そう、そう思う、あたしも。

Sさんも言った。

十代の頃、友だちになるのに1分もかからなかったことを思い出した。

 

その後、小学1年の学期ごとの授業参観は並んで、

小さな声で、鶏肉、白身、肩をぶつけて

授業の邪魔にならないように、声を出さずに笑った。

2年になってクラスが別になり、

とうとう、中学3年になるまで一緒のクラスになることはなかったが、

運動会、学芸会、PTA総会、授業参観、小学の卒業式、行事のたびに彼女を探した。

Sさんも私を探してくれた。

「元気だった?」

 私が先だったり、Sさんが先だったり、

見つければ、挨拶代わりになった。

学年総会がある体育館に行くまでの校庭や、違うクラスだからそれぞれの懇談会が始まるまでの廊下を並んで歩いた。

「空がきれい」 「花壇の花がきれい」

短い会話でも楽しかった。

決まってSさん

「あたし、どうして鶏肉を白身に間違えたんだろ?」

「それを言う?」「それを言う」

おかしかったね。おかしかった。

会えば、鶏肉と白身をなぜ間違えたか。

柔らかかったから。

柔らかさが違うよね。

何で間違えたんだろ。

義務教育9年間、これで笑えた。

 

中学を卒業する時、しんみりした。

「元気でね、もう会えないかもね」

「会えなくとも元気でいようよ」

 

家族構成、夫は何をしているのか、子どもの成績、

聞こうともしなかった。住まいは私は北仙台駅界隈で、

Sさんは小学校の近く。

遠いね、それぐらいしか知らなかった。

 

子どもが、中学を卒業して西友の前でばったり。

「Sさん、どうしたの?家から遠いのに」

「北仙台の郵便局に用事があって、もしかして今北さんに会えるかなって歩いていたら、会えた!ねえ、今北さん、元気だった?」

お決まりの挨拶に私もうれしかった。

「うん、Sさんは?」

「ありがと、元気だった。今北さんの子どもは高校に行った?」 Sさん。

「行った、Sさんは?」

「行った」

入学した高校の名前は聞かなかった。

「お互いに子どもが高校生になれてよかったよね」とSさん。

「それでいいよね」と私。

 「じゃあね、またどこかで会えたらいいね」

右に左に別れた。気になって振り返った。

Sさんも振り返っていた。

「またねえ」 

 

その後、しばらくして、また西友の前でSさんとばったり会った。

郵便局に来たんだろうか。

とにかく縁があるんだ。うれしくて、駆け寄った。

元気だった? 

いつもの、うん、

答えが返って来ない。

「あたしは......」

Sさんの瞳から涙がぽろぽろ、

何かあったのだ。

どうしたの? 私が聞けばSさんは答えねばならない。

答えたくなければ、ごめんなさい、言いたくないの、と詫びねばならない。

夫婦であれば喧嘩もする。子育て中には愚痴も不満もある。

それに誰もが健康であるとは限らない。

言いたくない悲しみもある。

「つらかったね」 それだけにした。

「うん」 Sさんがうなずいた。

「がんばろう、Sさん」

「そうだね、子どもが大人になるまで、まだまだあるもんね」

Sさんは急いで片手で涙をぬぐい、少し笑顔になった。 

 

数年して、小学校の近くでばったり。

今度は私が泣いた。

「なんかあったのね」 Sさんが私に言った。

「うん」

「がんばろう、今北さん、あたしもがんばるから」

「うん」

 

彼女が泣けば私も泣く。

私が泣けば彼女も泣く。

訳は聞かない。

家族のだれかに何かあったとか、

それが自分であったとか、

約束したわけじゃないけれど、初めて会った時から

そうだった。

言わなくとも通じるものがあった。

 

今日、地下鉄の三越の入り口で、

「今北さーん」

私を立って待っている人がいた。

わあ、Sさん!

久しぶりー、今北さん! 

向かい合って顔を見合わせた。

大分会っていない。何年ぶりだろ? いいや何年ぶりでも、会えたから!

「元気だった?」 同時に聞いた。

「うん」 同時に答えた。

よかった、よかったね。二人して喜んだ。

「ねえ、ずっとあたしはSさんを友だちと思ってる」

「あたしだって、今北さん」 Sさんが答えた。

「元気でね」

同時に言った。

 

気になって振り返るとSさんも

立ち止っていて、もう一度大きく手を振ってくれた。

またねえー。

 

手を振って別れて地下鉄の階段を下りると、急に涙があふれた。

よかった、何年振りかわからないが、ここ数年、Sさんになにもなかったんだ。

彼女もまた、地下鉄から三越のエレベーターをのぼりながら、

よかった、今北さんに何事もなかったんだ。

泣いてくれているに違いない。

 

友だちなら、Sさんと待ち合わせして、

お茶したって、よかったけれど

私たちは3分でいい。

 どっちかが泣いたら、泣くだけの3分の友だち。

がんばろう、あたしもがんばるから。

うん。

それで別れる3分の友だち。

誰もがいっつも幸せじゃない。

あたしだっておんなじだってば。

がんばろう、

何をがんばるかは言わない。

たぶん同じことを考えていると思う。

(母親なら、妻ならいろいろある。いつも家族が無事故、健康ってことはない。

自分にもない。

そうだよね。

だから無理しないでよ、

まだ母親の役目はある。母親は元気でいるだけでいいかもしれない。

なんとか生きていこう。あたしもそうする。

今北さんもねっ、Sさんもねっ)

 

この間、映画「人生最高の見つけ方」を見たんです。

ジャックニコルソン、モーガンフリーマン、全く違った人生を歩んできた二人の男が

入院先の病室で同室になり、友情が芽生える。

痛快で切なくて、いい映画だった。

冒頭のモーガンフリーマンのナレーションが心に留まり、急いでメモをした。

「人の人生の価値は語れない。

残された家族や友人で決まるという者、

信仰のあつさだという者、

愛によるという者、

人生に意味など全くないという者もいる。

私は......

互いに認め合う人物がどれだけいたかによると信じている」

  

私はまだそこまで言い切れないが、

そういうのって、あるかもって思う。

レイコ

 

 

 

 

 

 

 

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