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10月、11月、12月

10月

玄関を出ると「先生!」
声がして女子高生が近づいて来た。
一瞬、誰かわからなかった。でも、もしかして、
Yちゃんなの?
はい!
やっぱりそうだった。

「明日から修学旅行なんです」
さえずるような可愛い声。
「楽しいね」
「はい」
「修学旅行はどこにいくの?」
「京都です」
「京都に泊まるの?」
「琵琶湖です」

「あら、主人の故郷に行くのね。」
「ええーっ!今北先生って滋賀県なんですか?」

入塾して、少し慣れた生徒は夫の故郷は
滋賀県だと知る。
長くいる生徒は
滋賀と言えば、
大津、
大津といえば琵琶湖、
琵琶湖といえば
今北先生!

この循環ワードがすぐに出てくる。
入塾したての生徒が、滋賀県の県庁所在地は?
夫に聞かれ、答えられない時は、
「大津」「大津」
周りの生徒が小声で何人も助け船を出す。

1、2年たっても答えられないと
「お前はこの塾のもぐりか」とさんざんな目に合う。

「滋賀といえば、大津、大津といえば琵琶湖」
夫の故郷は在塾生に浸透しているはず。

Yちゃんは中1から中3まで在塾していたから、
当然、主人の故郷は分かっているものだと思っていた。

でもYちゃんにとって、滋賀も大津も記憶になかったのかもしれない。
3年間在塾したとはいえ、
中1から不登校になり、来たり来なかったりだった。
それでも地理の授業は受けていたから
滋賀県、大津、琵琶湖の順番は覚えていると思っていたけれど、
こちらの勝手かもしれない。

尋ねてみた。
「主人のふるさとが滋賀県大津だってこと、知らなかった?」
「知りませんでした」
屈託のないそれは初めて聞いたという表情だった。

知識や情報というものは、その気になって初めて記憶されるものだろうか。
Yちゃんにとって、塾の授業も夫が大津だってことも、
つらい時に、ただ通り過ぎた情報だったのかもしれない。

学校に行かないことが、平気な子どもはいない。
だけど、行けない。怠けでも、逃げでも、なんでもない。

「不登校、学力遅れ」を支援する家族ネットワークが30年余りになる。
東京の八杉晴実先生が学校に行けない子どもたちの窮状を見かねて
「学校外で学ぶ子の会」不登校の会をたちあげた。
(その後、「家族ネットワーク」と改称)
夫は八杉先生に東北を任されることになった。
宮城県で東北で、初めての不登校の会は河北新報に大きく報じられた。

つらい毎日のご家族が集会ともなると毎回、百人は超えた。
今でこそ、教育機関が理解を示すようになったが、
当時は学校に行かないのは、子どもの怠学か、病気、が横行していて、
本人もご家族も肩身の狭い思いを強いられた。

そのうち文科省に、不登校はどの子にも起こりうる、と認知されはしたが、
それでも「学校に行かなくてどうなるのだろう」
親は暗澹たる気持ちになる。

Yちゃんのご家族もそうだった。
お母さんが塾に来ては、我が子の行く末に泣いた。
「ご飯をよく食べ、笑い、よく寝れば、なんとかなります」
私は、
これまでの不登校だった子どもたちやそのご家族に教えてもらったことを
繰り返した。
「笑って話せる時が来ます」
「そうでしょうか。」
案ずる涙が止まることはなかった。

現在は不登校でも積極的に受け入れる高校がある。
Yちゃんは高校に進学することが出来た。

あれから2年、
私は笑顔のYちゃんを知らなかったのだと初めて気がついた。
一瞬、誰かわからなかったのはYちゃんが笑顔だったからだ。
中学3年間は、私は満面の笑顔のYちゃんを知らなかった。

「琵琶湖、見てきまーす」
Yちゃんは笑った。
日はとっぷり暮れている。
「こんな時間に、どこにいくの?」
「美容院に行って髪を切ろうと思って、先生、また」
アハハ、楽しそうに言った。
「いってらっしゃい!」
「行ってきまーす」
また笑顔で振り返った。

私は3年間、Yちゃんとつきあっていながら、この笑顔をついぞ見たことがなかった。
しばらく、玄関の前でYちゃんの背中を見送った。
歩いていても笑っている背中をうれしく見送った。

Yちゃんの家は塾から近い。
中学生の頃は数分で着く塾への道を
学校に行っていない、それがのしかかり、歩けなかった。
今は堂々と、弾むように歩いている。

学校......、
親にすれば、教育をしてくれて、日中預かってくれる有難い場所、
子どもにしてみれば、友達を探さなくとも
同世代の友達がたくさんいる楽しい場所のはずが、
不登校の子どもたちにとっては
記憶も笑顔もなくなる場所なのかもしれない。

しかし、学校に行かない子どもたちにも道はある。
Yちゃん、
あなたの「今」は、笑顔のない誰かの元気になる。


某日
修学旅行の時期で、数人の高校生が土産を持って
中3の陣中見舞いにやってきた。
Mちゃん、Nちゃん、ありがとう。
「勉強して下さい。テレビを見ないで勉強して下さい。後悔しないように勉強して下さい」
親や私たちが言っても、なかなか伝わらない言葉、中3は真面目に
聞いていた。

高校生クラスのA君も土産を持って来た。
「琵琶湖、大きかったっす。感動しました」
予想外の大きさに驚いたようだ。
わかります。
私も初めて大津を訪れたとき、
対岸の見えない青く深い海のような日本一の大きな湖を見て、
感動しました。

19歳になるまであの大きな琵琶湖を見て育った夫が、
俺の故郷を自慢する気持ちがよくよくわかったものです。



11月

恒例の卒業生が語る高校説明会。

毎年、高1に来てもらい、
自分の入学した高校について、合格までの勉強法、
忌憚なく話してもらっている。
人と人との出会いが一番いいような気がして。

今年も卒業生の高1が来てくれました。
昨年の今頃は、志望校に悩んだ生徒も、
内申点が達しなくて志望校を変えざるを得なかった生徒も、
公立が残念で私立に行った生徒も、
来てくれました。

教室に入ってくる高1は、少々照れくさいような表情で、
「お久しぶりです」
みんな、笑っていました。
私も夫もうれしい瞬間です。
「おおーっ!よく来たな」
「まあ、きれいになって」
1年もたつと女性は本当に可愛く、美しくなるものです。

中3と父兄の前に並んだ高1に、
入学してどうですか?夫の質問。
「自由とか言われるけど、実際の生活は落ち着いている」
「自分の学力に合っていた。」
「入る前は公立が落ちた人が行くのかと思っていたけど、
二高、三高を落ちた人もいて、レベルが高い」
「毎日、思っていたより課題が多い」
「授業が大変。特に英語が大変です」
(それで、高校生クラスにも来るようになりました)

ふと、来ない高1に思いを馳せた。
何人かは来ていない。
いずれも野球部で、電話で話した時も難色だった。

夫と目を合わせて
(今年も部活では仕方がないな)
互いに了解した。

一年生では部活を休むことも抜けることも
難しい。
ご父兄が集まりやすいので毎年、土曜日に予定するために、運動部の生徒は
欠席せざるを得ない。
その中でなんとかしてみる、と返事をしてくれた高1がいたが、
来ていない。
空席が目立つ。

去年の約束は去年のこと、1年もたてば変わる。

(去年はあまりに部活で休む生徒が多かったので、
つい、夫が、
「先輩の話を聞いて、
お前たちはよかったと思っているだろ。来年は後輩のためにみんな、なんとか来てくれ」
私も、お願いした。
憧れの高1の話は中3にとって一番だから、来年は来て下さい。)

皆、必ず来まーすと声を張り上げて言ったけれど、1年もたてば事情は変わる。

夫も私も気持ちを切り替えて諦めることにした。


階段をものすごい勢いで、駆け上がって来る音がした。
教室のドアが開いた。
「遅れて・・・すみ・・・ません」
言うなり、ハア、ハア、
全力で走ってゴールに飛び込んだようなまっ赤な顔の、
野球部、二人、K君、T君。
しばらくして、
なんとか監督に話してみると言ったこれも野球部のS君。
目頭が熱くなった。

夫も
「よくきたな。ありがとな」
涙声だった。


その後、高1のそれぞれが、去年のことを話してくれた。

進路を悩んで、夫と毎日相談して志望校を決めた話、
お母さんが、いらいらしていた自分に優しくしてくれた話、
悔いの残らない選択をしてほしいというエール、
子どもは言われなくともわかっているから「あともう少しよね」
言わないでやってほしい、親へのアドバイス、

中3の瞳の奥は何を思っているのだろう。
これから自分もがんばるぞって思ってくれたらいいな。

今年も無事に終わりました。
帰りしなに高1のみんなに感謝の気持ちで言った。
「去年の約束を覚えてくれたのね。本当にありがとう」
「覚えてますよ。玲子先生」
元気のいい野球部の声が返って来た。
ハハハ、
悔しい想いで私立に行ったから、
今日は来たくないかもしれないと思ったK君も、
「もちろんですよ。玲子先生、覚えていますよ」
アハハ。

階段をどやどやと大きな音をたてて降りて行きました。
「玲子先生についていきまーす。」
アハハ、アハハ。
私に気を遣ってくれてすみません。

中3の野球部のS君、
「来年はあっち側の席に座ります」
後日、塾日誌に書いてくれた。


12月

10月に、どうしても塾に足が向かないようで、ついに
退塾となったM君。
毎日、M君の座っていた席を見てしまう。
退塾はこたえるものです。

そのM君のお母さんが教室のドアを開けた。
急いで来たようだ。
私の顔を見るなり、
「玲子先生、
塾に戻るって言いますから、
通い始めた塾は今、辞める手続きをしてきました。いいでしょうか?」

いいもなにも、また通ってくれるなんて、ただただうれしい。
兄弟で通塾していたから、いつも、ひとりが来ると、ああ、どうしているんだろう、と
胸が痛んだ。
退塾は私たちのせいでもあります。
反省の日々でした。

お母さんが、
「やっぱり北剏舎がいいようです」

言葉につまった。
なにか許されたような気がした。
いろいろ葛藤があって、塾をやめる決心をしたのだろう。
その後、またいろいろあって塾に戻ろうと思ったのだろう。
胸中、いかばかりかと思った。

その2日後、
M君が教室に入って来た。
夫も私も顔がほころぶ。
M君が笑って、
「よろしくお願いします」と言った。
「ありがとうな」
夫が言った。
「待っていました」
私が言った。

許された、でもない、救われたでもない、
もう一度、あなたと始められることが本当に嬉しいのだと思った。


演芸大会

塾のお楽しみ会です。

学年ごとにせいぜい5分程度の出しものを決めて、
披露する。
今年の小学生は、
ことわざ、四字熟語クイズ、手品、
(去年、アンコールされた、「コカコーラ」の小4のT君もまたすごくおもしろかった)
中1は
中3のひとりひとり、名指しで思い切り大声のエールを送った。
こんな出し物は初めてです。

〇〇せんぱーい、かぜひかないでくださーい!
〇〇せんぱーい、自分の道を行ってくださーい!
〇〇せんぱーい、だいすきでーす!
中3に姉がいて、
おねーちゃーん、受験がんばってくださーい!

自分のために誰かが応援してくれるっていいもんですね。
あったかい気持になりました。

長くいる中3は授業風景を劇にした。
夫の地理の授業です。

今北先生役のK君、
「琵琶湖といえば?」
生徒、
「山形」
「滋賀だろう!」
言い方が夫に似ている。
すべての質問の正解は「滋賀県」、そのやりとりは爆笑!

生徒はよく見ているな、と感心しました。
私の試験前の口癖。
「私語厳禁」も
かつらで女装のN君に真似されました。
大笑いでした。

この日は私の誕生日で同窓会会長のN君から
花束が届きました。
毎年、ありがとう。N君!
(感謝、応援 忘れません)メッセージがありました。
こちらこそです。いつも私たちを支えてくれて、
今年も家族でお世話になりました。

誕生日は気恥ずかしいものですが、
「♪ ハッピバースデイ、トウユウ、ハッピバースデートウユウ、
ハッピバースデイ、デア、レイコセンセイ♪ 」

小学生、中学生の合唱って、
大きくてあたったかくて、
せっかく生まれてきたのだから、がんばれ!
エールに聞こえてきました。

花束は、オレンジの大輪のバラ、ピンクのカーネーション、ガーベラ。
カスミソウは美しい花々を、
引きたて、守り、寄り添っていました。

いいなあ、白くこぼれる、かすみそう。
大好きです。
ちっちゃな、ひっそり、かすみそう。

これから咲く、10代の花々に
拒まれず、
横にいてもいいよ、言ってもらえたら、
私もかすみそうのような人でありたいです。

今年もお世話になりました。
来年もまた懲りずにおつきあいください。

玲子
















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2017年12月 2日 21:38に投稿されたエントリーのページです。

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