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2016年1月 アーカイブ

2016年1月 1日

今年もよろしくお願い致します。

1月1日
午前中、
雪が降ってきた。
元旦の雪はいいもんです。
北風に飛ばされながらも、雪が小花のように白く、白く舞って
美しかった。


元旦には
旧年と新年の境が、あるような気がする。
まっさらな透けたテーブルクロスをかけられたように、
さあっと空が新しく見える。
新しい年ですよ。
みなさんに私の気持ちばかり、歳の神様から小雪の贈り物が届く。


1月2日
夕方、A君(以前のチラシのコメントに、塾はもうひとつの我が家と書いてくれて、うれしかった)が、いの一番の年賀です。
この後、高校の同窓会があるので、律義にその前に寄ってくれる。
ああ、お正月だなってK君の顔を見て思う。

「おめでとうございます」
次に訪れたのは1期生の同窓会会長のN君(開塾、初めて塾生。この人が私たちを支えてくれたんです)、
O君(そばにいると安心する、O君のお兄さんとは開塾前からのつきあいで、お母さんには大変お世話になりました)
二人も欠かさず、来てくれる。

ピンポン、
次はだれだろ?
おおっ!久しぶりの3期生のⅠ君。
昨年の4月から自宅のお向さんになった。
引越しの時はお父さんお母さんには、庭に砂利を入れてもらったり、
いろいろと本当にお世話になった。

Ⅰ君の15歳の高校選択は強い意志があった。
ラグビーをやりたい。
入りたい高校は一つしかない。
成績はよかったから、偏差値の高い高校を夫はすすめたが、
意志は固かった。
自分のやりたいことがあって、誰が何と言おうと
貫く意志の強さがあった。
15歳の片鱗は今に通じている。
人望もあり、宮城野区の県議会議員として、県政に日々奮闘している。

中学時代の思い出をⅠ君が話し始めた。
「今北先生に、落語のめくりを書かされたっけ」
「ええっ、おれが?」
「書けって言われて、書きましたよ」
仙台の小袁治師匠の落語会で、(噺家さんの名が書いてあるめくり、
と呼ばれるものですが)
Ⅰ君が書いたとは知りませんでした。
夫も全く覚えていないようだが、
夫に言われていやとは言えなかったのでしょうね。
難儀しながらも一生懸命に書いた、素直な中学生だったのだ。
それに字がうまかったのね。中学生にめくりを頼むほどだもの。

8期生のK君(夫も私も頼れる人)
Mちゃん(脚本家、俳優と精力的です。この間、見せてもらった演劇では踊りも披露。すごかった。お母さんの手作りお漬物、おしかった)も来た。
そして、M君(塾のチラシのデザイナー、センスも才能もあって受賞歴のあるデザイナーです)
が来て、
だんだんとにぎやかになって、
夫はうれしそうだ。

仕事が今終わったと、Sちゃん(うちの子どもたちに兄のようなきさくさで接してくれ、何度も二口のキャンプで世話にもなり、実業家として忙しいのに)が来て、
カラオケが始まって、
同窓会会長のN君の美声に酔い、
気がつけば、深夜、
こうして忘れずに来てくれる卒業生に
あなたたちは偉いなあと毎年思う。

1月3日
中3の合格を願って、
梅干しを断ちました。
八百万の神様にお願い申し上げるに、
何か私も我慢しなければならないと思いまして。
梅干しがないと夜も日も明けない大好きなものを
公立入試まで我慢します。
こう宣言すると潔い気分になる。
好きなものを断ったのだから、
堂々とお願いできそうだ。
全員合格、よろしくお願いします。

1月4日
中3の冬期講習が始まった。
もうテレビは見てないでしょうね?
返事がない。
見てるの?
うん、という顔ばかり。
まだテレビを見ている人、手を挙げてみて。
いる、いる、
片手がにょきにょき、何人も。

「あなたたちも、希望を叶えるのに、なにかひとつ、
大好きなものを我慢しなさい」
ええっ!
好きなものはないですうー。
テレビは無理ー。

でも少し考えたようで、
その日の作文用紙の片隅に我慢することを書いてもらった。

「まんが」「テレビ」「ゲーム」
「アニメ」
全員に近い。
「CDを買うこと」「遊びに行くこと」
「蟹」
というのもあった。

ねっ、我慢しよう。
宣言すればできる。

数日して何人かに聞いてみた。
「我慢してる?」
してます、してます。
あれからテレビは見てません。
信じる。


昨年のことを少し。

中2のM子ちゃんのお母さんから11月に
「夫が転勤することになりました」という手紙がきて、
でも最後に
今後とも娘をよろしくお願い致します、と結んであったので、
お父さんだけの単身赴任と思った。
「M子ちゃんは仙台に残るのね」
「いいえ、家族で引っ越します」

M子ちゃんの入塾の面談のときも、申し込み書にも、
「塾のチラシを見て、娘がその時期になったら
入塾させたいと思っていまして、その時期になりました」
その言葉はうれしくて。

入塾後、M子ちゃんは夫の言う通り、素直に真面目に勉強し、
順位は、ごぼう抜きの、5番以内になりました。
これまた、うれしくて。
豊かな感受性、性格の良さ、夫も私も
これからが楽しみの塾生だっただけに、
大好きだっただけに、
お父さんの転勤なら仕方がないと思っても、
なんだか気落ちしてしまった。

そのM子ちゃんの12月の個人面談が来て、
これがお母さんとも最後なんだなって思っていたところ、
「今北先生のご負担のない程度で、塾をこのまま、
続けさせてもらいたいのですが。娘に解かせたい問題あったら、送ってもらうとか、もちろん、お月謝もお支払いいたしますので」
申し出に驚いた。

勉強だけではないようだ。いろいろ話をして理解できた気がした。
広島に引っ越しても、塾とつながっていたい、そういうことでしょうか。
そうです、そういうことです、とお母さんがおっしゃる。
初めてのことで、夫もどういう方法で可能か、考えているようだったが、
その前に、
「いいですよ」と私は言ってしまった。

「たとえば、私がM子ちゃんに読んでほしい本、
気がついたことをM子ちゃんに伝えるとか、そういうのでよかったら」と
申し上げた。

M子ちゃんのお母さんは、
夫の意向もあろうかと遠慮がちに申し出られたようだが、
満面の笑顔で
「そういうことです。そうです」と連発された。
それに塾の仲よしの友達とも同じ塾生ならこれまで通りに
つきあえる、とも考えられたようだ。

通塾しない塾生は、初めてなので、
うまくいくかどうかわからないけれど、
引っ越しても塾はやめない。どんな形でも続けたい。遠距離になっても北剏舎の塾生でいたい。
ご両親の意向に心打たれてしまった。

12月の暮れ、仙台を離れる日も
ご挨拶に見えられたが、
「退塾の挨拶ではありませんので」
一人娘のM子ちゃんとご両親、三人は顔を見合わせて、
笑った。
私たちも、ではそういうことで、と笑った。

私たちのような夫婦に勿体ないことですが、
広島に塾生としてM子ちゃんがいると思うと、
西の空の向こうがあったかい。

年が開けて、早速M子ちゃんから電話が来た。
転校先が決まったとのこと。
どんなつきあいができるか心もとないが、
M子ちゃん、
遠距離恋愛のような、
転校した友達に手紙を綴るような、
切れず、離れずのつきあいをしたいと思っております。
そしてM子ちゃんのお母さん、
これまでの数々のお言葉は忘れられません。
塾を続けていくのに、たくさんの力をいただきました。
今後ともよろしくお願い致します。


もうひとつ、
これも11月だったと思う。

小学の授業が終わり、それぞれ帰って行く中、
小学5年生のH君が帰らずに、
教室のドアの前で立っている。
どうしたのかな。
「一緒、帰ろ」
H君が言った。

夫も私も
どっちに言っているのだろ、とH君を見た。
「先生、一緒、帰ろ」
また言った。
夫は
これから中学生の授業があるし、どうして帰れるのか、
ん?
返答に困っている。

「玲子先生、一緒、帰ろ」
私か。
小学生の授業が6時に終わって、買い物を済ませて
30分だけ、自宅に戻る。
H君とはなんどか、八百花の横断歩道まで帰ったことがあった。
「先生のうち、どこ?」とついて来たこともあった。
「そうだよね、一緒、帰ろ」
急いで、コートを羽織り、ドアを開けた。

子どもの頃、一緒、帰ろ、という友達とランドセルの肩を並べた。
下校の楽しい一言だ。
毎日、同じ友達と帰っているのに、言われると好きだよって
言われているようだし、
「一緒帰ろ」と言って
「うん」と言ってくれる友達が
昨日より好きになったりした。

聞くのも言うのも楽しい「一緒、帰ろ」
遠い子どもの記憶の
子どもたちの笑い声にまじって、
キラッと耳元に届く甘く懐かしい言葉だ。

H君は帰り道が同じだから、
言ってくれたのだろうが、
わざわざ、私と一緒に帰らなくともいいものを、
「一緒、帰ろ」って
うれしいのなんの。

階段を二人で降りて、H君は私が靴を履くのを待ってくれて、
私も彼が靴を履くのを待って、
玄関を開けて通りに出た。
H君は自転車まで小走りになり、鍵をはずし、
私は横で待って、並んで歩きだした。

一緒に帰ろうと言った手前、自転車を引いて歩くつもりのようだ。
早く帰りたいだろうに、お母さんが恋しいだろうに、
自転車を引いて歩くつもりのH君が愛しくて、
「いいよ、自転車に乗って先に帰んなさい」
「いいっすよ」
乗らない。
「遠慮しないで、私に構わず乗りなさい」
「うん」
じゃあ、玲子先生、さよならー。

お姉ちゃんの大人の大きな自転車にまたがると、届かないから
つま先まで精一杯伸ばし、
ぐいぐい漕いで、あっという間にツタヤまで遠ざかった。
左右に揺れる小さな背中に、
教室の階段から玄関、通りまでの
一緒、帰ろ、だったけれど、
小学5年生の屈託のない純真な気持に
涙がにじんで景色がぼやけた。

今年も隔月ブログになるかもしれませんが、
懲りずにおつきあいいただきますよう、
よろしくお願い申し上げます。
玲子











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