« 2008年10月 | メイン | 2008年12月 »

2008年11月 アーカイブ

2008年11月22日

11月・進路説明会&トーク

・・・11月ともなれば・・
推薦願書あり、年が明ければ2月の私立の入試、3月の公立入試と
ここからが本当の受検勉強が始まるともいえる。
この時期
「高校生になった卒業生に
15歳の
あの時、どんな気持ちでいた?どんな毎日だった?
どんな勉強した?どんなことで
志望校を決めたの?」
高校生の本音トーク。進路説明会を開いている。
いいことばかりでなかったはずだ。
塾の行事にしたのは夫で、
高校1年生は呼びかけに毎年よく来てくれる。

今年も土曜日の部活に出席できないのは分かっていても声をかけたら
10名は快くだった。

さて、1時開始のはずが資料19ページができていない。
1時前に来た中3を手伝いに
お待たせのご父兄に「申し訳ありません、」
詫びながら・・・の最中に
16歳の卒業生はやってきた。

本音トーク16歳に夫は一つの質問を全員にしないようだ。
一人に一つくらいの質問・・

「一番端に座っているS君、1年前は?」
S君しょっぱなで
「えーっ、先生、僕ですか。
実は1年前の今日、この進路説明会の時
今までで
最低の成績で、
先輩の話を聞いて
去年のこの日から僕は勉強を始めました・・」

・・そうだったのか。
それは覚えている。
S君は
「先生、みんな頭がいいんですね・」
紅潮していたが、不安な顔してた・・そう思ったのは私だけで
発奮になったとは・・初めて聞いた。

K君
「親にぐちぐち(勉強しろ)言われて
今に見ていろ・・勉強しました」
「親に感謝してるのか」
夫に
「ええ、まあ」
K君の屈託のなさに教室はまさに本音、救われ笑った。

そうよね・・息子に言いたいことを言ったお母さん
付き合いは長いです。
今年の3月、合格した時
教室に来て、真っ赤な目をして
「玲子先生、どうなることかと思ったけどよかったあー」
その一言、すごく分かりました。
長男が公立が残念だったのに次男も三男も迷わず入塾なんて、
第一子がつらい思いをしたら、別の塾をと思ったりするのに、
ありがたいことでした。
そりゃ・・次男には手厳しいことも言いたくなりましたよね。
それも分かります。
K君のお母さんの背中は次男の話を聞いても堂々としていた。
それでいいですよね。息子を一番案じたお母さんだもの。


「Mちゃんに聞きます。入学した高校はどうでしたか?」
夫の問いに一息のんで・・

このMちゃん・・一度は部活で出席できないはずだったが、
前日になって電話が・・
「部活はなくなったんですが、人前で・・」
「話すのが苦手?」
「はい」
「私の気持ちを話していい?」
「はい」
「進路説明会の(高校生のトーク)はいいこと言わなくてもいいの。
去年の自分のありのままに言ってくれれば、いいの。
もしかして、中3の誰かが今日、ここに自分のために
座ってくれている卒業生に有難うと感じる人がいて・・
そう、思う人がいるかもしれなくて。
格好いいことなんかいわなくていいよ。
私はあなたが明日、塾に来て中3の前に座ってくれることが嬉しいんだから」
「行きます」
「待ってマース」

そのMちゃんが話した。
「私は成績がアップダウンで本当は行きたい高校があったんですが、
受ければよかったかなってあとで思ったんですけど、
でも、今の高校に決めて・・よかったです。
志望校は(誰に言われても)・・無理しなくても
自分にあった高校でもいいと私は思います」
人前で話すのが苦手なんて思えないほど自然な話し方だ。

「去年失敗したこと。これは良かったことは?」
D君
「親が公立を落ちたら私立でもいいから・・
僕は気楽になって公立を受けることができましたね。
親と塾と友達と支えになりましたね」

「中3のご父兄に一言、言うとすれば?T君」夫の指名に
T君は
「僕は親に勉強しろとは言われなかった、もし、(親は子どものことが心配なら)
今北先生に言ってもらうとか
そういうのがいいと思います。
親に言われないとどうして言わないのか?
自分で考えるし・・
僕は親に言われなかったのがすごくよかったから・・」

T君のお母さんになるほどと思った。
案の定、夫も思ったのだろう。
「お前に聞いたのは理由があって・・今だから言えるが・・
お母さんがしょっちゅう電話をよこしてたんだよ・・勉強しないって。
どうしたらいいだろって、俺はお前は大丈夫って・お母さんに言った。
そうか、お前のお母さんは何も言わなかったのか」
「はい」
T君は・・うなづいて、いい顔していた。

「この時期、11月頃からお前は勉強してたよな」T君に更に聞くと
「はい、去年の今頃、この時期に社会が悪くて
今北先生に聞いたら教科書を読めと言われてもなかなか頭に入らなくて・・
でも、今北先生の言うことを聞いて教科書を読みました。」

「それで、お前の本番の社会の点数は何点だ?」
「96点」

中3の中にも同級生の中にもため息が漏れた。


推薦が受かった時のこと・・
Yちゃんは
「なんか(他の人より)楽した気持ちで」
言葉少なに・・これでいいのか、煩悶した一言・・
いいのよ・・合格は合格です。私は思うよ。

最後に一言・・夫の質問に
S君
「さっきも言いましたが、去年の今日、先輩の話を聞いて僕もできるのでは・・と思ったんです」

K君
「僕も去年の今日、(この進路説明会で)勉強を始めました。
一つ上の知っている先輩が高校に入って9番ときいて、今まで一緒に遊んでいた人だったので
すごいと思って、
なんか、自分もできる、と思って・・・
僕は公立の志望校提出のギリギリのその朝に決めたんですけど
今までN高しかないと言い続けて、
でも、その朝、S高にしようって思って。
自分はそれまで本当に入りたい高校は
決めてもいなかったような気がして・・ただ、言っていただけ、みたいで
初めて自分で決めたっていうか、なんか、決めました・・・」

このあたりからだ。夫は口数が少なくなりはじめた。私も何か?
これと言えないものがじわじわとやってくる。
ともすれば涙が出てきそうだ。
この気持ちはなんだろう?


1年前、
今座っている高校生は毎日、毎日時間通りに授業以外でも通ってきた。
皆、
言わなかっただけで
自分の成績の不安を抱え、それでもなんとか
「高校に行きたい」
「俺ってやばい」
「どうすればいい」
「どうしたら勉強できるのか」
「私は無理しなくともいい」

言えないよね。当時15歳じゃ、。
言えるのはそこを過ぎたからだろうね。
1年前は胸にしまって
ご飯食べて、学校に、塾に、行く道帰る道
いろいろ考えたのだろうなって思うと・・

傍目には
やる気がない、ように見えたが、いつ、やるのか?やきもきしたが、
そんなことはない。
大人の望むような、がんばります、なかなか言えなかったかもしれないけれど
さっさとできないかったかもしれなかったけれど
親の絆もちゃんと感じて
高校生になりたくて懸命だったのだと思うと・・・

何か言わなきゃと思うが、のど元が封鎖されている。言葉が出ない。

「学校の先生にどこにも入れないと言われて目にもの見せてやるって思いましたね」
「交通費が安いからここに決めるって親に言ったら
いきなり、ダメって言われて」

けなげに歩いて来たんだ。

みんな、いろんなこと思っていて、
暮らしていたのよね。

自分で切ったり貼ったりの
初めて見せてもらう、ちぎり絵の絵のようで・・・

帰りしなに
「すっごく、すっごく感動しました」頭を下げた。

「玲子先生有難うございます」
「そんなのいいです」
「お世話になりました」

塾の階段を1年ぶりの同窓会、笑って下りていった。

夫は
「そっか、ありがとう」
「そうか、ありがとう」
そればかり繰り返していた。
夫も私と同じだったのだと思う。

今日来た人も来ない人も
いろんなことを思って
15歳を乗り切ったのだなって・・
じわじわって来た。

今日の雰囲気は
本音トーク、皮切りの
S君からだ。
しょっぱなに
「ボクは去年のこの日、高1の先輩の話を聞いて勉強したんです」

その一言が伝播するように
皆、次々
言い始めた。

言えば、それぞれの10人の15歳だった。

何も思わない子どもはいない。
言わなかっただけなのね。

昨年の本音トークで話してくれた高2の皆さん、
あなたたちが塾に来て中3の皆に話したこと・・
伝わったのだと思います。

去年高2の皆さんからもらった気持ちを
何人かが言葉にした。
「中3のみんなも
やればできる、と思います。今北先生の言うことを聞いて
がんばってください」

あたり障りのない言葉だが、脅かされるより心が動くのは
「あなたはやればできる」
・・・・
あたたかい気持ちはしんと胸の奥まで行って残って、
また、それを誰かに伝えたくなって、伝わって
つながっていったらいいですね・
高1のみなさん、ありがとう。
高2のみなさん、ありがとう。
高3のみなさん、それ以前のみなさん、改めましてありがとうございます。

今北玲子

2008年11月10日

いいな

染みる言葉がありますね。

「幸福は伝染する」
宇野千代

「静かにいくものは健やかにいく。
健やかにいくものは遠くにいく」
城山三郎が愛した言葉・

いいな・・

「人のせいにするものではない。何も言わなくとも人はわかる」
私の祖母(1904年生まれ)の
口ぐせ・・

いいな・・


今北玲子

2008年11月 7日

定禅寺通り

中2のHちゃんの作品がメデアテークに展示される、
お母様から丁寧なご案内をいただいて
絶対見るのだと向かった。

作品は鯉と自画像。白い石膏の中で鯉が泳いでいた。
うろこを丹念に作りこんだ作品は目を引いた。
上手!
来てよかった。自画像のHちゃん!自分をよく描いていた。
可愛い。

ものを作るっていい.。
他の方の絵も陶芸も堪能して
外に出た。
はらり
一枚の落ち葉・・

落葉の時期・・
定禅寺通りのけやきはそろそろ冬支度で
歩けば歩くほどひらひら、はらはら、落ちてくる。
空を仰げば、風が吹くたび、てっぺんの枝の群れはざわざわ・・隣同士で喋っているように見える。
「あらら、こちらの風で・・私、一足お先に離れますね」
「ゆっくり、行きなさいよーー」
「はーい・・」
「あらら、今度は私?」
「車道に落ちないようにねえー」
「そんなことわかりませんよー」

落葉は風に逆らえない。
通りに降る葉に、思わず立ち止まった。

降る降る・・落ち葉は天から降るように降る・・

舞ってアスフアルトに音もなく落ちる。
その落ち葉の中を歩いていたら、
少し前を行く女性が突然、きびすを返した。
丁度、私の真横にあった赤のポストに御用だ。
投函するを見て、
そうだ!私も!バッグに出したい手紙があったんだっけ。

北仙台で出せばいいのに、メデアパークに行ってから、
大事な手紙を持ってきてしまった。
私も出そう・・・
女性の後に続いて投函した。

手紙の相手はこのけやきを植えるのにご尽力のあった方。
戦災復興の一環として市内の街路樹を整備された、Y氏、
そのご子息に宛てたものである。

医師会報に執筆を頼まれた夫に見せてもらったページの一つに
当時、仙台市建設局長のY氏のご子息の文章が深く残った。

昭和20年、仙台空襲で焦土と化した仙台砂漠を、戦災復興事業として
尽力されたY氏が
当時の思いをいきさつを私費で作られた小冊子。

これもご縁だと思うが、
夫は、あるところでY氏のご子息と知り合い、
私の気持ちを夫は話してくれたのだろう。

その方は「どうぞ、お読みください」
塾まで届けていただいたから、
手紙は小冊子の礼状。

お礼の文面の中で
「お父様の気持ちを塾の子どもたちに伝えます。Y氏が街路樹の植栽に
職員の合言葉として
『木を植える前に根性を植えよう』
青葉通りにも定禅寺通りにも
その心がこもっていること、そういう方々がいたこらこそ、木々が生きていること、
保護せねばならないこと、子どもたちには
木々を仰ぎなさいと添えて伝えます」

文面の約束に従って、投函した次の日、
小学6年生にY氏の仕事、昭和20年7月10日の仙台空襲のこと、
授業で話した。
ひとりの小学生が
「空襲は知っている。おじいちゃんに聞いた」
でも、ほとんどは
「全然知らない」

知らないのはいいのよ。
それを教えたり、話したりするのが大人だから・・
あなたたちは聞いてくれればいい。
「うん」

苦労して植えた木々のけやきは大気汚染に弱いこと、
「光のページェント」もけやきはつらいね・・・

「この木々の中を
子どもたちが
孫たちが
幸せに歩きますように
願ったYさんの気持ち、忘れないでね」

私の下手な話に耳を傾けてくれた。

今北玲子

けやきの葉は
恩に着せることもないのよ。

はやる私の胸の中に
はらはら、さらさら
何のこともなく散っていく。

でも、でも、伝えます。
伝えたいから・・

2008年11月30日

何を思う?

仙台の師走の風物詩?ケヤキ並木の光のベージェントとやらがまた始まる。今や全国各地に広がっているそうな。私には、生き物に電飾をまとわり付かせるその感覚が信じられない。反対の声を挙げようものなら非市民!の非難を浴びせられそうである。JRも福島、盛岡から臨時列車をはしらせる。写真は昼間の欅、地面から延びる黒いホースのようなものが電源のコードらしい。夜、お出かけの予定のかた、是非昼間もご覧を 正史

About 2008年11月

2008年11月にブログ「北剏舎日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年10月です。

次のアーカイブは2008年12月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。