中2のHちゃんの作品がメデアテークに展示される、
お母様から丁寧なご案内をいただいて
絶対見るのだと向かった。
作品は鯉と自画像。白い石膏の中で鯉が泳いでいた。
うろこを丹念に作りこんだ作品は目を引いた。
上手!
来てよかった。自画像のHちゃん!自分をよく描いていた。
可愛い。
ものを作るっていい.。
他の方の絵も陶芸も堪能して
外に出た。
はらり
一枚の落ち葉・・
落葉の時期・・
定禅寺通りのけやきはそろそろ冬支度で
歩けば歩くほどひらひら、はらはら、落ちてくる。
空を仰げば、風が吹くたび、てっぺんの枝の群れはざわざわ・・隣同士で喋っているように見える。
「あらら、こちらの風で・・私、一足お先に離れますね」
「ゆっくり、行きなさいよーー」
「はーい・・」
「あらら、今度は私?」
「車道に落ちないようにねえー」
「そんなことわかりませんよー」
落葉は風に逆らえない。
通りに降る葉に、思わず立ち止まった。
降る降る・・落ち葉は天から降るように降る・・
舞ってアスフアルトに音もなく落ちる。
その落ち葉の中を歩いていたら、
少し前を行く女性が突然、きびすを返した。
丁度、私の真横にあった赤のポストに御用だ。
投函するを見て、
そうだ!私も!バッグに出したい手紙があったんだっけ。
北仙台で出せばいいのに、メデアパークに行ってから、
大事な手紙を持ってきてしまった。
私も出そう・・・
女性の後に続いて投函した。
手紙の相手はこのけやきを植えるのにご尽力のあった方。
戦災復興の一環として市内の街路樹を整備された、Y氏、
そのご子息に宛てたものである。
医師会報に執筆を頼まれた夫に見せてもらったページの一つに
当時、仙台市建設局長のY氏のご子息の文章が深く残った。
昭和20年、仙台空襲で焦土と化した仙台砂漠を、戦災復興事業として
尽力されたY氏が
当時の思いをいきさつを私費で作られた小冊子。
これもご縁だと思うが、
夫は、あるところでY氏のご子息と知り合い、
私の気持ちを夫は話してくれたのだろう。
その方は「どうぞ、お読みください」
塾まで届けていただいたから、
手紙は小冊子の礼状。
お礼の文面の中で
「お父様の気持ちを塾の子どもたちに伝えます。Y氏が街路樹の植栽に
職員の合言葉として
『木を植える前に根性を植えよう』
青葉通りにも定禅寺通りにも
その心がこもっていること、そういう方々がいたこらこそ、木々が生きていること、
保護せねばならないこと、子どもたちには
木々を仰ぎなさいと添えて伝えます」
文面の約束に従って、投函した次の日、
小学6年生にY氏の仕事、昭和20年7月10日の仙台空襲のこと、
授業で話した。
ひとりの小学生が
「空襲は知っている。おじいちゃんに聞いた」
でも、ほとんどは
「全然知らない」
知らないのはいいのよ。
それを教えたり、話したりするのが大人だから・・
あなたたちは聞いてくれればいい。
「うん」
苦労して植えた木々のけやきは大気汚染に弱いこと、
「光のページェント」もけやきはつらいね・・・
「この木々の中を
子どもたちが
孫たちが
幸せに歩きますように
願ったYさんの気持ち、忘れないでね」
私の下手な話に耳を傾けてくれた。
今北玲子
けやきの葉は
恩に着せることもないのよ。
はやる私の胸の中に
はらはら、さらさら
何のこともなく散っていく。
でも、でも、伝えます。
伝えたいから・・