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2007年7月 アーカイブ

2007年7月29日

ひめゆり 今日は11月2日

連日、テロ特措法の審議が続いている。
証人喚問の守屋元事務次官はストレスの溜まった当時の心境は正直に述べるが、肝心の給油量や
随意契約などなどの真実は何も明らかにならなかった。
11月1日、特措法の期限切れで自衛隊がインド洋から撤収する。

「ひめゆり」ドキュメント映画を思い出す。

7月27日・日記
柴田昌平監督の22人のひめゆり学徒の証言を綴った映画が弁護士会館で上映するとあって
塾生を連れて行った。
夏期講習を一日休みにした。

2時間10分の証言。
終わって、家に帰ったら尋常ではなく身体が重い。
重労働したわけではない。誰に気遣いをしたわけではない。
多くの証言が身体に残った。
蹂躙されて、抵抗も防御もできない。
証言は消えない・悲しみだった。

でも、清らjかな感じもした。
証言の皆さんの瞳だ。
その時、なにが起こったか。語るに苦しいのに
皆、優しい瞳をこちらに向けていた。
伝えたい人、その視線の先は若者であったろうか。
怖がらせてはならない。かといって事実を曲げてはならない。
伝えるべきものは伝える。
「悲惨な中を生きてきたの。だから事実を話す」
耳を覆う事実なのに
瞳が優しい。
「起きたことなの。今まで話せなかったの」
胸の中でつぶやいている気がした。

ひめゆり 副題
「忘れたいことを話してくれてありがとう」
まさにそうだった。

私は久しぶりに亡くなった母を見た。
学徒動員で私の母は多賀城の軍需工場に10代を過ごした。アルフアベットも知らない。勉強は全くしなかった。配電ばかりよくわかっていた母だった。
自分たちよりひどい状況に置かれたひめゆりの方々を戦後、知りえたのだろう。
戦後、映画にもなり、私が美しい女優たちで全国配給された映画に興味を持って「なあに、ひめゆりって」答えてもらえなかった。「映画の話だからね」「じゃあ、本当はちがうの?お母さん」
母は聞えない振りして答えなかった。
父はシベリアに抑留、捕虜となり、テレビ画面にハバロスクと地名が映し出されると戦争体験を話したがった。酔うと「ハバロスク、ハバロスク、ラララ、ハバロスク」戦友と歌った歌を歌い、子どもの前でもよく泣いた。
母は「小さい子に恐ろしいことは言わないで。怖がらせないで。大人になってから言って」
父は「今のうちに言っておかないと又、戦争が起きる」二人は平行線だった。子どもながらにどちらが正しいわけではないと思った。
母はひめゆりの皆さんと同時代を生きたからこそ、代弁はできなかったろう。今になって無言の母の横顔の意味を知る。母は学徒動員の生活がいやで、友達と抜け出した。東北本線の線路伝いに歩けば、家に帰れる、暗い線路を父母恋しさに一晩中歩いたという。汽車の音がすれば、松島のトンネルの避難のくぼみに隠れ、歩き通し帰り着いた。
ひめゆり宮城喜久子さんの証言・「お母さんにもう一度会いたい」

塾生は最後まで見続けた。
皆さんの記憶を残す息遣いがあるから、
悲惨で残酷な事実も見つめられた。
平和を心から望む瞳に見つめられるから、
想像しただけで苦しくなるような血の匂いも
同級生の無残な最期も、
見つめられた。

「大きな傷を負った人の精神科医療の
通底ともいえるものがこの映画にはある。」

精神科医のコメントが映画のちらしにあった。

戦争のない今の世なのに、大きな傷を背負う人はいる。
消えぬ悲しみは
深く生きた人の言葉によって心の深い場所で抱かれる。
今北玲子

2007年7月20日

親に会うのはいい⑤

卒業生のYちゃんが保護者となって私達の前に座る。
「先生、喜んで先生の塾に通ってるけど、
うちの子どうですか?」
「素直で真面目で、でも間違って覚えている所が
多いから、復習を片一方でしながらね」
「やっぱりね。もっと早く先生のところに
お願いすればよかった」
「そんなことはない。一生懸命に教えるから」

主人はどこでつまづいているか、塾のテスト答案を
見せた。
「先生はここんとこ、しっかり教えてくれたよね。
そうそう」
表情は中学生の授業をよく覚えていて
答案用紙を見せても話が早い。

「先生、うちの子大変なの。どうやって育てたらいいか、
わからなくなる。どうすればいい?」

「自分で考えろ。悩むんだな」
卒業生だから言える。
「はい、悩みます。ですよね。
先生・あの時のように・うちの子を
叱ってくださいね。びしびし」
「そんなに俺、怒んないよ。」
「塾から帰ってきたうちの子に、今日先生は怒らなかった?
聞くと、怒られなかった。おかしいなあってうちの子に言ったの。
先生、怒んなくなったの?」
大声で笑いながら、何でも言える間柄は楽しいものです。

卒業生が親になっても、年齢が飛んで、ふと
今も進路相談している気分になる。
でも、相談の中身が、大切な子どもになった。
15歳のYちゃん・あなたはいいお母さんになったね・
そしてまた、今度はあなたの大事な子どもの世話をできる、
15才のときのようにあなたの役に立てる、
Yちゃん・私、いい気分です。二人の母と子は慕わしく、愛しい。

師は三世。前世、現世、来世にてご縁があるという。
それなら、現世にても三世・卒業生の三世の子を教えてみたいな。
今北玲子


2007年7月18日

親に会うのはいい④

最近休みがちなO君。
なぜ、塾を休むのか?O君のお母さんも悩んでいた。
「部活で疲れると、塾を休んでしまうし、
部活が本当に楽しいとも思えないし、
テストの点数も悪いし、家では勉強しないし、
どうしていいのか・・・」

普段の生活を聞いて見ると
部活の疲れはありそうだ。
今までの経験だと
部活が忙しくて、塾も休みがちになると
塾に行きたくないのなら、やめなさい。
親の切り札が登場する。
O君もそうかなあ・・
やる気のないO君は部活も勉強も何もかも
覇気がない。
数ヶ月前もO君と長いこと話したけれど、
夢中になるものもないし、かといって、勉強する気にも
なれないようだった。

O君のお母さんが言った。
「そんなに塾に行かないならやめなさい。
とは私、言いたくないんです。、息子もやめないと言うんです。
今北先生と離れたくないです。
塾をやめさせたら、どうやって息子を
育てたらいいか。私、わかりません。
勉強だけでなく、いろいろなことを教えてやってください。
絶対にやめませんから
先生、お願いします」


私も同じことを考えていた。
なにができるかわからないけれど、やめないで下さい。
O君のご両親と共に、0君に関わり続け、
塾を休んだら「どうしたの?」
勉強が手につかなかtったら「わからないところはどこ?」
「私は0君の子育てに参加したいです」

私が誰かに言われたい言葉。
あなただけ、母親だけでは大変だよね。一緒に育てましょ。
言われたら力が出る。

みんなで育てましょう。なんて、そんなきれいごと
無責任な親切はいらない。
言うだけで、あてになどできない。

参加します。
O君のお母さんは「先生、是非、お願いします」
がんばろうぜ!握手しそうになった。
今北玲子


2007年7月13日

親に会うのはいい③

中1のR君のお母さんは嬉しそうに言った。
「本当にありがとうございました。先生のおかげです」
R君は5教科の合計が400点を越えた。
子どもの笑顔も嬉しいが親御さんの笑顔も格別です。
「真面目にこちらの言うことを聞いてくれたから、
私達も嬉しいですよ」
にこにこしながらR君のお母さんは楽しそうに言った。
「上に姉がいますが、
テストの点数は悪くてね。でも、点数が悪くとも高校には何とか
行きましたし。何とかなるもんですよね。
お金がなくとも何とかなりますしね」
アハハ。
「それが今回のテストを息子から見せられて
あんまりいい点数だから、私、電卓で1教科ずつ足し算したら
400点越してる。
わあ!すごいねえ!すごいねえ!褒めました。
私の家族では夢の世界の点数で
涙が出ました」
アハハ。

R君はお母さんにあんな風に言われたら気持ちが良かったに違いない。
自分のとった点数を喜んでくれる親の姿は心から嬉しいはずだ。

R君は寡黙だが、落ち着いた少年で、友達にも優しいし、
自慢することもない。
そうね、家に帰ったらあんなにR君のことを喜んでくれるお母さんがいる。
すさむことはないね。
母からあなたはすごい!賞賛の言葉を聞き、
うれし涙の母を
照れくさそうに見ていたR君が想像できる。
「本当に先生のおかげです」
私達もR君のお母さんに褒められて嬉しくなった。

子どもに感謝すること。誰かに「ありがとう」
周囲を不思議と元気にする。
今北玲子

2007年7月11日

親に会うのはいい②

「あぺとぺな子ですが、お願いしたくて」
お母さんが言う通りだった。
塾初日から、授業中に鉛筆を落とす。拾ったかと思うと消しゴムを落とす。
又、鉛筆、消しゴム、立った拍子につまづいて転ぶ。
勉強をしたくないのも半端ではない。鉛筆を持たせるのに一苦労。

それから何度も話して聞かせた。「わからないことは教えるからね。物を落とさないでね」

勉強が大嫌い、大嫌いの上に大が3回ほどつくくらい嫌い。
W君の面談。どうしてそれほどまでに勉強が嫌いになったのか?
少しでもW君のことを聞きたい。
「鉛筆を持たせることが難しいのです」ありのままを話した。
長身の美しいお母さんは「そうかもしれません。勉強どころではなかったの」
豪快に笑うと、身の上を話し始めた。正直な気持ちのいい方のようだ。

数年前にW君のお父さんと離婚、そして再婚。
包み隠さず、私たちに話してくれた。
自分のことを飾らず、笑うと屈託なくて魅力的な女性だ。

勉強は大嫌いだけど、私はW君が好きだ。
可愛くてつい微笑んでしまう子どもらしい子なのだ。
塾を出る時、私は小学生は玄関まで見送る。W君は自転車で乗って帰る。
「せんせーい!バイバーイー、さようーなら!せんせーい!バイバーイー」
塾の前はバス停。夕方は沢山の人が並んで待っている。
人目も気にせず、大きな声で笑顔で何度も振り返る。手まで振ることもある。
「前をみてー」
「だいじょうーぶー。せんせーい、バイバーイー」

お母さんの話を聞きながら、W君の鉛筆を落とす姿、自転車の後姿
脳裏のW君を追う。あなたはその年で
お母さんの選んだ生活を受け入れて暮してきたのね。なんて偉い子なんだろうと思った。

その日、W君はいつものように早々と教室にやってきた。
「こんにちわー」
授業が始まる前のいつもの確認「漢字は大切だからね。きちんと覚えようね」
「うん」

急にW君のお母さんの話が思い出された。
「あの子は私にはつらくとも、何も言わない。我慢するんです」

「わからないことはなんでも言うんだよ」
「いいよ。わかった」
W君の頭を思い切りなでた。「いい子だね」
W君は笑ってじっとしていた。
「先生、ほら見て!」
頭をなでられたお礼のつもりなのか、ひょうきんな寄り目の面白い顔をした。
私が大笑いすると何度でもしてみせた。

「先生、これは?」読めない漢字を覚えようとし始めている。
W君を離れて別の子に行くと、「先生これは?」
教えると又、呼ぶ。「先生これは?」
「待ってね。すぐ行くから」
「先生、教えてよー」
「待ってて、行くからね」
「先生、お願い、教えて」
私の左手を、両手でつかんだ。強い力ではない。
「行かないでよー」
小さな両手はやわらかくて、ふわふわしていて、あたたかかった。
今北玲子


2007年7月10日

親に会うのはいい!①

7月に入ると親との面談をする。
30分程度だが、塾での様子や試験の点数や
親の気持ち、中3は志望校まで、夫と二人で
一生懸命に話す。
時には、親が思っている子どもの姿と違うことがある。
真面目に取組んでいるのに
親は「試験前だというのに何もしない」
しかし、その子は塾でひたすら、勉強して家に帰ると
くたくたになっていた。
家以外のわが子の様子を知るとほっとするのは人情。
私も同じだからわかる。子どものことは心配だし、よそでご迷惑を
かけていやしないかと不安になるし、我が家にも何もしないで
夜はひっくり返って、テレビ三昧、ゲーム三昧の子がいるから
よくわかる。

昨日は穏やかで優しい中1のTちゃんのお母さん。
試験前に学校の先生が「勉強しなかったら泣きを見る」
これは序の口で、様々な良かれと思う教師の恐ろしい励ましに
中1で初めての試験なのに萎縮してしまったという。
その教師がこわくなって「怒られたらどうしよう」びくびくしている。
その上、試験の点数も思うように取れなかった。
お母さんは2時間もかけて気持ちを聞いて、なだめた。
Tちゃんの試験が終わってもすっきりしない顔、結果を報告しに来た時の
申し訳なさそうな顔、面談でいろいろ聞かせてもらってわかった。
その日、Tちゃんの授業があった。面談の内容を親の承諾もなしに
子どもに話していいものか。
Tちゃんはお母さんには話したけど、私たちに自分の気持ちを本当は
知られたくないのではないか。でも・・・
毎日学校で会う大人がこわい!どれほどか。
楽しいわけない。帰ろうとするTちゃんを私はもう呼びとめてしまっていた。
「今日、お母さんから聞いたの。毎日大変ね。ひどい先生だね」
「うん」
「Tちゃんがわかるように、力になるし、あなたの役に立つからね」
少し笑った。
「何もこわくないよ」
「うん」

次の日の夕方、Tちゃんのお母さんと偶然、会った。
「すみません。私、Tちゃんが不憫になって話しかけてしまいました」
「玲子先生に声をかけてもらったって。喜んでました。ありがとうございます」
よかった。
私はTちゃんが不憫で、少しでも元気になってほしかった。

誰だって、脅かされるより、案じてもらう方がいい。子どもだって、大人だって。
Tちゃんはまだ、13歳、自分のことを心配してくれる大人が
いっぱいいて、愛されていい。
よし。
その教師がとことん、Tちゃんを
脅かすというなら、私はそれ以上にとことん、案じて
「あなたはいい子です。大丈夫」言い続ける。
今北玲子

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