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2009年10月 アーカイブ

2009年10月 5日

素朴な疑問

小学生の国語は授業の最後にことわざや四字熟語や

八百屋さん魚屋さん、日常の漢字をかるたにしてとる。

 

最近のこと。低学年の小学生が、ことわざのかるたを見て

『犬も歩けば棒に当たる』

    「犬って歩くと、棒にあたんの?知らなかった」

 

『井の中の蛙  大海を知らず』

    「じゃあ、先生、川は知ってんの?」  

REIKO

2009年10月29日

秋のおさらい 1

夏の終わりに教室をとんとん・・・・・・授業中にノックとは誰だろう。

卒業生であればノックはしないで入ってくるし、教室をはじめて訪ねる方だろうか。

「はーい」

ドアを開けてみれば7期生のS君「あのう、Sです」

わかっています。忘れません。15才以来、23年は経つ。

S君が入塾したのを機に

我家のホームドクターになった医院のひとり息子なのです。

ノックもなしに堂々と入ってきてもいいのに、律儀にノックして名乗らずには入れない、とでもいうように、教室の外にいた。今も、中学の頃と同じ、温和で謙虚で優しい心根の少年とちっとも変わらない。

「ご無沙汰しておりまして・・・・・」

「入って、入って、ねえ、S君だよ。」と夫に告げた。

ご恩のあるS先生の息子です。夫も慌てている。

もう立派なお医者さんになったことは聞いていたが、

会うのは15才以来でありました。

手にはたくさんのジュース。「足りるかなあ、足りますか、先生」

十分すぎるほどです。

「結婚することになりまして。先生に是非ご出席いただきたいと」

招待状が出てきた。

まあ、嬉しい!夫も私も笑顔の笑顔。

 

S君と会うと胸の奥が痛いのです。

公立が不運で、お父様には家族でお世話になっているのに

合格の喜びを分かち合えなかった。

「ごめんね。S君には申し訳なくて、心にずっとあった。

力になれなかったもんね」

S君は「それは違います。先生のせいではないですから」

そう慰めてもらったが、申し訳なさは消えない。

塾に大切な子どもを親御さんが預けるのは「合格」の二文字です。

勉強しない子であれば、おもしろく勉強できるように、

危うい子であれば、合格の実力をと期待して預けるのが親心であります。

力はあるのに不運と、見放された15才のS君。

子どもは商品ではない。人であります。勉強したくないときはある。やりたくないときもある。

人生には、不合格をばねにすることだってある。

しかし、月謝をもらってやる気もない子の成績をあげないでどうする?

合格させないでどうする?

依頼された仕事をしなかった気分になるもんなんです。

招待状は涙でぼんやりしか見えなくなった。

次の日、ポストに招待状を入れる気になれず、夫と二人で

ご自宅に出席のはがきを持参した。

ひとり息子の結婚はどれほどのお喜びか。

玄関にはお母さんがお出になって

またもや、玄関で

「あのとき、つらい思いをさせましたのに・・・・・それなのにこうして

招待状を塾まで持ってくるなんて」

「まあ、あの子が先生のところに持っていったなんて一言も言わないもんですから」

S君のお母さんと目を見合わせてなんだか、また泣いてしまった。

六ヶ月で逝った子がいる。そのとき、真珠のネックレスが見当たらない。

丁度、いらしていたS君のお母さんは私の小さなものより数倍も大粒の高価なネックレスをはずされて、

「これ、してください。先生」とお借りしたことがあった。

さりげなく、優しい方で、あのきゅんとした感じは忘れられない。

10月4日の大安吉日。

夫は本当に嬉しそうに出かけていった。

 

思い出すのは卒舎式のときのこと。

S君のお父さんが、今も夫がなにより、信頼している我家の主治医のS先生が

帰りしなに「先生・・・・・・、ほんとに・・・・・・ありがとう・・ございましたー」

深々と頭を下げられ、両手で私の手を取った。

父親の力強くて、あったかい手だった。

ひとり息子を案じる、うっすら涙も思い出される。

寿の今日。

花嫁の手を両手で取り「よろしく・・・・・お願い・・・します」と言っているような

気がする。手の力とぬくもりは

握ったほうより、

握られたほうが忘れない。

 

10月8日

私は「脳梗塞」の卒業生を呼んでいる20期生のY君がやってきた。

天下の〇〇〇に就職が先ごろ内定して、「先生のところに寄ります」と連絡があった。

それなら、就職祝いに呑もう、ということになっていた。

脳梗塞の学年と呼ぶのはその年に夫がそれで入院。卒舎式の感謝状はベッドの上で書き、その日は病院から外出許可をもらって、終われば、

病院に帰るという言われなき心配をした年の学年で

私は20期生を「脳梗塞」の学年と呼んでいる。公立の発表の日も

夫はベッドの上。塾に合否の連絡が来るたび、私は病院に電話で連絡をした。

あらかた、合格が続いて・・・・・・たった一人、こないのが

Y君。難関高校を受験している。もしや・・・・・1時間が過ぎても電話のベルは鳴らない。

電話とにらめっこをして、やっとベルが鳴った。受話器に耳を当てると、

「先生・・・・・・」

声ですぐにわかる。

「どうだった?」

「合格です」

「よかったなあ、心配しちゃったあ。どうしてこんなに遅かったの?いま、どこ?」

「家です」

あらら、家に帰ってから電話したのですね。

「あなたが最後だから、ずっと心配してた」

「そうなんですか?」

親以外に、誰かが自分のことを心配しているなんて思ってもいない年齢だものね。

きっと、帰宅してからゆっくりかけるつもりだったのね。

最後の嬉しい電話に夫にすぐ連絡したら、同様の心地でベッドの上にいたようだった。

 

Y君は

一度塾をやめると言ったことがある。

隣の生徒がおしゃべりしているのを夫に勘違いされて叱られたようであった。

自分じゃないのに怒られたのが悔しかったからか、やめてやろうと思ったように思う。

呑み始めて、「ですよね。そんなこともありましたよね」

笑って話せる。こういうときのビールはおいしい。

 

そして、数年前、久々のうれし楽し、塾の同窓会がありまして。

夫も皆に囲まれて相当楽しかった・・・・・同窓会が終わった、次の朝、

ピンポーン、

出てみると、Y君。

夫が店に忘れたバッグを自宅に届けにきてくれたのでありました。

「先生のバッグです」

「あら、ありがとう。よくバッグに気がついたのね」

Y君、バッグを差し出しながら、

「今北先生と僕は一心同体ですから」

Y君の真面目とも冗談とも、なんともうまい一言に

大笑いしたのも思い出す。

何年もたっているのに、就職が決まったからって、寄ってくれるその心がありがたい。

今夜はアシスタントをしてくれている妹のOちゃんも一緒。

彼女は中学生のときから端正な文章で、夫が検査入院の

メールひとつにも、あったかい言葉をつづる人であります。

中3に推薦の作文のための練習で書いたものを読んで、思った。

本人は苦手だと思っているらしかったが、とってもうまかった。

直すところなんか、ひとつもなくて、「なんて上手なんでしょ」と毎回言ったもんです。

卒業生でダントツで上手だったのは出版社にいるK君であるが、

K君に次ぐほどにうまい。

Oちゃんにちらしの文面を頼んだとき、

2パターンも書いてくれ、おくゆかしく、「先生の気に入ったほうを使ってください」

どちらも使わせてもらった。

出版社に勤めている2期生のK君もチラシの文章を頼んだら、

3パターンの文面を送ってくれたっけ。 さすが、と思いましたね。

 

この兄妹とここにこうしていると不思議な面持ちになる。

塾の子どもたちとの出会いは親御さんによるところが多い。

 

「ちらしを見てきました」と歯切れのいい口調で、あのときの、お母さんの一言からこの兄妹とのつきあいが始まったのです。二人の母君は筋道だった会話をする聡明な方でありました。

二人を預けてくれたご両親に、頭を下げたくなった。

それは塾生でも卒業生でも、どの親御さんにそう思うことであります。

 

四人で祝杯をあげにいった店は、ここも卒業生のお店の広瀬通りの泰華楼。

「あらら、よかったこと。優秀なんですね。すごいこと。おめでとうございます」と気さくなご夫婦が目を細めて喜んでくだすった。

小袁治師匠がお気に入りの絶品のかに玉、私の好きな酢豚、

「先生、いろんなもの食べてね、若い人がいるから、1人前を、1、5倍でどうかしら」

「はい、そのように」

「わかりました」

そっと耳打ちしていった。泰華楼のママは客に母親のような気遣いをする。

馴染みの客には「いらっしゃいませ」ではなく、「お疲れさま」と言う。

私たちも店に入ると「お疲れ様です、先生」と慰労してもらえる。

帰宅の気分にさせてもらえる。

ここは何を食べてもおいしいです。

(新聞にも載った冷やし中華も最高です)

夫は

「権力にからめとられるなよ。権力はこわいぜ。大きなところにいると、知らず知らずのうちにそうなってしまうから、気をつけろ」

「はい、定期的に先生に、チェックしてもらいに,きます」とF君は言ったが、

私はどんなところでもやっていける。大丈夫だと思う。中学生で「自分じゃないのに怒られたから・・・・・・塾をやめます」と言うなんてね。なかなかできないもんです。

(もうひとり、先輩にいました。誤解されて

「やめてやる、この塾・・・・・・」

センスのいいデザイナーでいい男であります。

8期生の大好きなM君、元気にしてる?)

 

思ったことをずばりと言えるY君の、あなたの魅力が難関の就職先の内定を

もらったのだと思う。

「一心同体の君」

チェックといわず、また、おいでね。

秋のおさらい・・・・・つづく

Reiko

 

 

 

 

 

 

2009年10月31日

秋のおさらい 2

10月16日、恒例の柳家小袁治師匠の落語会。

塾は休み。落語にふれてもらう日としています。

塾生や卒業生の皆様には感謝です。

 

 師匠は塾を見つめてこられた。卒舎式も毎年欠かさず、来られている。

長いこと、おつきあいしていただきました。

 

夫は楽屋と行ったりきたり、忙しそうだが、人の集まるところ、人が好きです。師匠が大好きです。お手伝いができるのが嬉しいのです。

受付は卒業生のきれいなお姉さん方3人と、たった一人、男性は急遽、塾のアシスタントのY君、4人が引き受けてくれた。(Y君は心優しい、詩人です。いい詩を書きます)

受付嬢の、

ひとりは最近、結婚したMちゃん、頼んだら二つ返事で引き受けてくれた。さわやかな、いい男のご主人も追っつけ、来てくれるはずである。義理人情に厚い夫君であります。

もうひとりは、山形から来てくれたゼロ期生(開塾前の教え子でアシスタントもしていた)Mちゃん、1年に一度、落語会に必ず来てくれる。いつ見ても若い。

あとは私の娘。この方も若い。勤めだしてからは、勤務先から直行で駆けつけてくれる。だらしない私ですから、我家に、たいしたきまりはありませんが、卒舎式と小袁治師匠の会は、暗黙で手伝いに来ることになっていまして。

今年から社会人のジンヤも終わり次第、駆けつけることになっている。マサヤは部活で今日、怪我してしまい、可哀想に留守番となった。

 人はなにもできなくとも、そこにいることがいいと思うのです。

親がお世話になっている方だから来るんだぞ。夫の思い・私もそう思います。

来なかったら・・・・・・ただじゃすまない。

これは私の言い草で、言ったことはないんですが・・・・・・

そんなことを言わなくとも来てくれるのは

師匠のお人柄を知っているからであろうかと思います。

 

受付のこの3人の組み合わせは意外に多い。

年も近く、娘の大好きなMちゃんとは同窓会のようであるし、私もゼロ期生のMちゃんと、久々でうれしい。聞いたら大手〇〇勤続25年で表彰されたという。一時はひとりで生きていくには・・・・・・と、話すこともあったが、数年前、いい人と巡り会って結婚した。幸せそうである。ほんとに良かった。

2年前、小袁治師匠のこの落語会で、

「先生、うち人です」と紹介されて、「私、Mちゃんが大好きで、大好きなこの人をよろしくお願いします」

花緑師匠がゲストの夜だった。頭を下げて、託せるような、

落ち着いた、あったかそうな、いい男性であった。

1年に一度、受付をしながら近況を聞くのがここ何年も私とMちゃんの、二人の習慣になっている。落語会がなかったらできなかった交歓です。この会のお蔭でもあります。

 

塾の小学生にロケット団のフアンがおりまして、

「先生、ロケット団のサインがほしいんですけど」

「もらってやるぞ。師匠に言えば、な」と言われたA君は、今日は神妙である。

さて、落語会が始まる前に、望みが叶って

レッドカーペットにもよく出演する人気急上昇のロケット団の二人が

子どもたちの恋慕に(小学生3人と中学生ひとり)

会場の二階までやってきてくれた。

だいぶ、話してくれたようだ。ありがたいことです。

サインをもらい、写真まで一緒に撮ってもらった。

「どうだった?」とサインを胸に抱いた小学生に聞いたら

「先生、ぼく、すっげえ!緊張した」

テレビでしか会えない、住む世界の違う芸人さんに大興奮であったようだ。

「塾の落語会でさあ、サインもらったんだ、ほら、この写真も」

ずっと、この子の胸に残るだろうと思う。

 塾の落語会といったら、師匠しかいない。

大人になって、はっと、自分の手元にあるのは師匠のおかげ、と思ってくれたら

嬉しい。

 

柳家花緑師匠門下の柳家花ん謝さんの品のいい落語が終わって

師匠の「女天下」(おんなてんが)は夫婦の、かかあ天下が絶妙で、大笑いで楽しませてもらった。

仲入りをはさんで

場内は売り出し中のロケット団に大爆笑。

フアンのあの小学生も大笑いしている。

受付のMちゃんが

「仙台じゃ、サンドイッチマンだけど、山形じゃロケット団ですよ」と教えてくれた。

ほんとに、おもしろかった。

山形弁はまことに親しみがあり、テレビだと短いが、

たっぷりの大笑いでありました。

 

最後の一席・・・・・小袁治師匠は

しっとりと・・・・・・・

おでましになって、

「今は差別用語とか申しまして、放送はできにくくなりましたが、決して馬鹿にして喋るわけではございません。・・・・・・」

プログラムによると

(『心眼』は黒門町の師匠と言われた先代の桂文楽師匠の十八番でした。落語の中興の祖といわれた三遊亭円朝師匠の晩年の作品です。円朝門下の目の不自由なお弟子さんの実体験を落語にいたしました。)

 

「心眼」がはじまった。

丁寧な口調で

情景が見えるようで、見えた情景は心に打つようで、しかも、一縷のよどみなく流れるようで、

聞きやすく、

師匠のトーンを落とした声は、胸の深いところに届くような名演で、場内はしんと聞き入った。

師匠の噺は毎年、磨きがかかるようであります。練り上げられていくような感じがします。そして、今夜の一席も染みる話でありました。

労を要する講釈より、聞いているだけで

人の業を垣間見る思いでありました。うまいなあ!

 

名残惜しくも高座は尽きまして、 

何度も何度も客席に

「ありがとございました」「ありがとございました」

客席のすべてを見渡して

幾度も頭を下げる、師匠の頭上から

今夜はよござんしたでしょ、

緞帳が一言添えて、高速で下りていった。

 

「今年も良かったねえ」

「先生、10月は小袁治師匠の落語を楽しみにしてるんですよー」

卒業生のお母さんたちが夫や私に声をかけて帰っていく。

秋の一夜は 

大笑いで気を晴らし、

染みる滋養のある一席を

とっぷり、

腹におさめた、贅沢な夜でした。

 

打ち上げは泰華楼。

「玲子先生、お疲れ様です」

ママの声は、どの人にも平等に、ママならではの笑顔でねぎらう。ほっとします。

 店内は毎年の事ながら、打ち上げには、和やかな雰囲気が生まれる。

師匠の細やかな気遣であります。フアンを大切にする心遣いでもあります。

各テーブルに師匠がいくと、どっと笑いが起こる。

 

今年で「柳家小袁治の会」は22回を数える。

精進し続ける本物の芸と

フアンを大切にする気遣いと

感謝を忘れない師匠が築いた時間が仙台にはあります。

ここ、仙台で22年も続いた所以は

これであろうかと、

泰華楼のドア近くで、塾のアシスタントとビールのグラスを傾けて、

遠めに師匠の笑顔の立ち振る舞いを見ながら

そう、思いました。 いい夜・・・・・・・

 

秋のおさらい・・・・・つづく

Reiko

 

 

 

 

 

 

 

 

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