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2014年2月 アーカイブ

2014年2月12日

私立高の発表、次は公立です。

2月5日
私立すべての結果が出ました。
挨拶を間違えたH君も、三平方の定理を間違えたN君も合格です。
よかったあ!
2つ共私立合格の人も、ひとつ逃した人もいましたが、
全員、私立は合格。高校生になれます。
よっしゃ、です。

次は公立です。
私立があるから思い切って行くのか。
改めて考えて身の丈で決めるか。
2月13日、14日が最終の中学校への提出です。
夫は合否の可能性は言いました。
五分五分、四分六、正直に言いましたが、そこからは
憧れと今の実力と、家族の意向と、最後は本人の決定です。

2月9日
今日は塾日誌を書いてもらいました。
読んでみると
九割が、不安、ということばを見つけました。
不安になるということは
勉強してみてわかることです。
これも分からない、あっ、これもだ。どうしよう。
不安は、分からない捜索をした結果ですよね。
でもその不安は合格への伴走者だと思います。いいことです。
自分は大丈夫だなんて、ゆめゆめ思わないこと。
過信と油断は禁物であります。
でも、「不安」......多い。
その日の日誌には9割の生徒が、
志望校をどうしようか、迷っていると書いてあった。

2月10日
それほど受験が不安で、
公立の志望校さえも迷っているなら
ひとりひとりに話を聞こうと思いまして。
あと3、4日で学校に提出しなければならない。

「日誌を読みましたが、今、公立の志望校を迷っている人は
揺れている人は、どのくらいいますか?」
片手がおそるおそるのニョキニョキと挙がった。ほとんどです。
「では、みんなと話しましょうか」
うん、という顔もほとんどでした。

早速、深刻そうな3人と面談。
でもいざ私たちと向かい合うと
気持より先に建て前みたいなものしか出てこない。
「今の気持ちは?」
「公立が落ちたら、私立に行って、頑張ります」
「無理でも頑張ります」
「残り一カ月、死ぬ気で頑張ります」
皆、日誌に書いてあった、迷っているなんてほんと?
と思うほど強気です。
十五歳だなって思う。

塾日誌では、志望校をどうしたらいいかって
迷っているのが多かったのに、私たちの前に座ると弱気はひとつもない。

今までもいました。
私立が二つともだめで、
崖っぷちで、あとがないって感じで
しかし、志望校は下げずにそのまま。
俄然、勉強し始めた。
学校にも行かず、笑いもせず、塾に来て、迫力の塊となって
なんとしても受かりたい。落ちたくない。
8期生のK君、
あなたはなんと、百点もあげたよね。
G君、迫力のオーラを放って黙々と勉強した。
双子の二人は、俺だけ合格できない、俺だけ不合格にはなれないと
鬼気迫るものがあった。みんな見事合格だった。
15歳の可能性は偏差値の数字でも親でも学校の教師でも
塾の私たちにでも
誰にも計れるものではない。

塾の合格率は出したことはない。
大手のように仙台二高何名、、一高何名、
ちらしにも書いたことはない。
それはその生徒が勝ち取ったもので、
塾はお手伝いというか、関係があるようで関係がない。
思っていましたので。

その夜、夫と話した。
危ない生徒は多いけれど、
私たちはひとりひとりの志望校をたとえ危なくとも、
悩んで悩み抜いて、それでも覚悟して受けると言うなら
その志望校でいい。
塾の合格率なんてどうでもいい。
応援する、役にたつよう頑張ろう、と。

そういうわけで、
全員と面談をしまして、
本人の気持ちを尊重しました。

2月11日
夫婦で、どんなことをしても応援するって、
思ったが、なんか、ぴんとこない教室の雰囲気なのです。
皆、危ない生徒ばかりなのに、
ガンバリマスの一点張りで
気迫が伝わってこない。
ピリピリしていない。
とうとう夫が怒った。
「願望はいいよ。言うだけでお前は本当にやってるのか。
なんにも伝わって来ないよ。受けたいです、頑張ります、誰でも言えるんだ」

その途端、がつがつとK君が勉強しだした。
横のH君も。その後ろも、その前も。その隣も。

私は夫のように活を入れる言葉もなくて、塾日誌に返事を書くことにした。
丁度、小学生の授業の前だった。
「あなたが悩んで悩んでその高校しかないと決めたのなら応援します」
「合格は私が祈るから、あなたは一心不乱に勉強しなさい」
などなど、心配で、奮起してほしくて。

「玲子先生、なにしてるんですか?」
教室に入ってきた小学生の女の子が私の手元を覗きこんだ。
小4のクラスのMちゃんです。
いつも教室に入ると、
「今日は国語ですか」
「どっちの部屋ですか」
毎回わかっているが、念のため、聞く。
「今日はかるたしますか」 
「はい」
「漢字しますか」
「はい」
「もうワーク始めていいですか」
一応、何でも聞く。
勉強を始めるかと思いきや、
「鉛筆削ってもいいですか」
「鼻かんでもいいですか」
「テッシュもらってもいいですか」
この間は、
「天皇陛下ってなんですか」
後ろで勉強していた中学生がくすくす笑っていた。

質問攻めのMちゃんが「なにしてるんですか。答えて下さいよ」
「中学生は塾日誌というのがあって、それに返事を書いてんの」
「いやだー」
Mちゃんが口に手を当てて内緒話でもするように、
「もしかして、玲子先生は交換日記やってんですか。中学生と」
私がいけないことでもしているようだ。
横の小4の男の子が
「この間、3、4人に交換日記を申し込まれたんですよ。僕はやんないですけどね」
冷やかな目。
「交換日記じゃなくて、塾日誌に返事を書いてるだけよ」
「それって交換日記じゃないですか。いやだー」
Mちゃんは納得してくれない。
返事を書いているのなら、それは中学生との交換日記ということになった。
争っても仕方がない。
「そうです。塾交換日記です」
塾日誌、名称改め、今日からあなたと私の交換日記ということで。
せっせと書きます。

メールじゃなくて、手紙じゃなくて、しかも鉛筆で、
(塾ではシャープペンは禁止しているので)
いまどき小学生だってやらないという
交換日記。
いざ書きだしたら誇張もあるかもしれないが、
どこかに本当の気持ちはあるような気がする。
ぽろっとこぼれた言葉に
一生懸命に返事を書きます。


Sちゃんの交換日記から。
「私はとても不安です。数学ができません。今日の過去問も全然だめでした。
志望校を変えるにしてもどこにすればいいのかわかりません。人生の分かれ道に来ているのだあと思います。1日も早く受験から解放されたいです」
返事を書いた。
(こわいから勉強する。不安は自分を助けてくれるものと信じて、がんばれ)

なにもかも入試が終わった途端に、あっさりと解放されます。
それまで、そこまで、一緒に行きましょ。

2月14日
バレンタイン。
全員が悩みに悩んだ志望校を全員中学校に提出した。
あの高校に入りたい、ラブレターのようだ。
恋文はどうなるのか。
失恋か、両想いかはあなた次第です。

そして、この日、最後の月謝袋を渡した。
前月納なので、2月に、3月の月謝袋に私達の感謝を入れて。

「最後の月謝袋になりました。
公立まであとわずかです。ご家族の皆にとって、心中いかばかりかと存じます。
毎日、塾に来て、勉強し続けるひとりひとりの背中に、
どうか実力が上がりますように、
全員が合格しますように、願います。
私どもができる限りの指導と応援をしたいと思う日々です。
これまで大切なお子さんを預けて頂いて、
このご縁に深く深く感謝申し上げます」

筆で書いたものをコピーして、月謝袋に入れた。
バレンタインだから(男女別なく全員に)
験を担いだ「キットカット」を添えて渡した。
「がんばんなさいよ」
「寝ちゃだめよ」
「家でできないなら、早く来なさい」
「あなたはがんばってるね、この調子で」

毎年、この2月、3月は私たちにも相応の不安はあるけれど、
蜜月と思う。
申し訳ないほど、
親より長い時間を15歳の大切な皆さまのお子さんと過ごしています。
6時間も7時間も教室で共に過ごす。
あっ、トイレに行った、夕方の食事に行った、眠そうだ、寝ている、あと10分したら起こそう。
たまに夫が、疲れて不覚にも居眠りの生徒に
「起きろ!」
「寝るな!」
笑いながら大声を出す。
はっとした生徒が、
水飲んできます。ジャンプだっていいよ、と私が言ったりします。

不安連発9割だった、2月10日のA君の日誌から。
「僕は今日、迷っていないけれど、揺れているという方に手を挙げました。
本当は迷ってはいません。しかし揺れています。大きな不安があるからです。
何度払おうとしても消えません。〇〇高に入りたいです。
ただひたすら、憧れています。
だからこそ落ちることへの不安が拭いされません。それだけなのです」

A君だけでなく、中3のみんなに願うことを返事に書いた。
「憧れと不安は表裏一体です。そして憧れが強ければ強いほど不安は増す。
振り払わなくていい。それは勉強せずにはいられない力だと思います。
あなたは本当によくやっています。
このままでいい。憧れだけを見つめて
走り抜きなさい」

玲子











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