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2008年5月 アーカイブ

2008年5月20日

もう11時も過ぎたのに夕食の片付けまだ。
明日は末の子の修学旅行で、5時起床だというのに、
寝支度もできない。
洗わない食器の茶碗に水を張ったはいいけど、
立つ気さえしない。

水が張られたひとつの茶碗に
ゆるんだ蛇口から水道のポタポタ水が落ちる。

ぽん、ぽん、
水滴が
規則的に落ちて
止めよ、もったいない。

プン、ポン,プン・ポン・
蛇口をきちんと止めない限り、続く。
どうしてだろう。
止めたくない。

ピンともポンともはじく水の音、
ピン・コン、ピン・コン、優しい音、

玉響の、
規則的な
水の音が、
小さくて美しい。
茶碗の池に、
水滴がコン、ポン、ピン

時にタツ・タツ・タツ
雨音に、涙の音になる・

気持ちによって音は変わるのだ。
時計の音はチッ・チッ・
舌打ちに聞こえる。

やめよ。

仙山線の踏み切りの音がした。
カンカンカン
ゴオー、ゴーッツ
いっそ、エールにしましょ。

踏み切り・・ランランラン
汽車の音
ガンバレー!!
時計の音も変えましょ。
チュッ・チュッ・チュッ
幼子の頬に口づけした甘い音、

涼しい美しい水滴
ポン・プン・ピン・コン・ピン

ゲ・ン・キ・ダ・シ・ナ
ワ・ラ・イ・ナ

そうだね・・。

おやすみなさいまし。
音という音の皆様。
明日は5時です。

オ・キ・ラ・レ・ル・

サンキュ!
今北玲子

2008年5月18日

大人の夜

今夜は家族ネットワーク親の会

卒業生のY君
「玲子先生、お久しぶりです、飲まないんですか」
「飲みます」
Y君は父親になり、子どもに理解のある人気の学校の先生になって
近所に暮らしている。
忙しいから毎回ではないが、10代の通りすがりの塾なのに、
時々顔を出してくれる。ありがたいことです。
少年を知っている卒業生と会えばなんとも楽しい。
ビールは琥珀に見えて
一気飲み、
「先生、もう1杯」
卒業生がついでくれるビールに隠し味があるのではと思うほど
おいしい。
「あなたについでもらうビールはなんておいしいでしょ」
また1杯。

飲める口が
おさまるはずはなくて、

初めてのご父兄は5人もいる。
塾の先生がビールぐいぐい、
いいのかな。

Kさん
この春、合格したTちゃんのお父さんで
懇談の最中に、
「Kさんは今夜の準主役だから、いろいろ聞きたいんだけど・・」
夫に突然言われて
「そうなの?!?」
 「娘の受験はどうでした?」「心配だった?」「長男の時は?」
夫の矢つぎ早の質問に
Kさんの正直なコメントは聞く者をほっとさせ、気持ちがいい。
Kさんが話すと座は間違いなく明るくなる。
対馬は遠い夢の国と思っていたその国に育ち、
親の会には欠かせない方である。
そこに今夜初めての熊本の出身のS君の母さんが加わった。
東北で育った私はお二人の
熊本も対馬も南国で
そこの出身というだけで
素敵で・・・
お二人の陽気さは、
太陽の照り具合は東北とは違う人を育てる力があるのか、
羨望で・・・
南にお住まいだったお二人の周りには笑いが起こる。

私の横には中3のHちゃんのお母さん。
穏やかなお人柄の良さが伝わる。
子供は新聞を読んだ方がいいか?
母親同士の輪にまぜてもらって楽しかった。

子供と出会うのと同じように
親御さんに会えば、会ったなりに、お人柄に感動する。

11時も過ぎて
卒業生のI君の親御さんが心こめて贈ってくれた
日本酒,「縁」「感謝」を夫が開けた。

「おいしい・・」感想がテーブルのあちこちから・・・

「飲まないって300円しか払っていなくて、飲みますから200円、先生、」
「いいです」
「いえ、受け取っていただかないと」
「私も」
そう言って、途中から飲み仲間になってくれたA君とS君のお母さん、
1升ビンを注ぎ注ぎ、楽しい。

親の会だからきちんとしなきゃ、心の紐をしめたつもりが
アルコールが身体に広がり、まわると
紐はゆるんで
私だけでなく、
皆さんも緩めたところから
こんなこと、あんなことが自分の子供の頃ことが出てくる。
みんなで話せば、ちょっとした・がやがや・祭りの夜。

大人になったらそれはそれは楽しいよ。
私はこういう夜のことを子供たちに話してみたいと思う。
大人はいいよ。ちっとも大変じゃない、怖がらなくていいよ。
なんだって、自分で決められる。いつ家に帰ってもいいし、
親に怒られないし、飲みたいとき飲めるし、好きなものを食べれるし、

大人になんなさいね。大人はいいよ。
子供よりずっといいから・・・

Sさん・父親参加は嬉しかった・
つきあいの長い落ちついたIさん、
熊本の陽気なSさん、
やわらかい笑みのTさん、
常連のそばにいるとほっとするHちゃんのおかあさん、
子供の頃から新聞を読んでいた!Tさんに尊敬・
子供の心配は横にちょいと置いて、
大人は大人の夜を・・。

大人だって誰かと友達になりたい。
「うちの子は不登校で友達が作れなくて」
さびしそうにこぼしたお母さんに
「友達は作るものではなく、できるものだから、大丈夫」
私塾の大将・八杉先生が仙台で飲んだ時、言ってらした。

友達ができる夜だといいです・・
来るも帰るも自由な・・・大人の夜の会です・・
人前に出せる料理の腕もなくて、
ピーナッツだの、たいしたつまみはありませんが、
気が向いたらいらしてください。
次回は7月です。
今北玲子

2008年5月10日

母の日

「お母さんの予定は?」
「11時に美容院」
「それからは・」
「ないよ」
「映画みたいとか?」
毎年、ありがたく、私になんやかやと母の日だから、たずねてくれる。

「ありがと、何もしなくていいよ」
「わかっているけど・・・でもね・・・」

「母の日は何もしてくれなくていいの」

あのね、私ね、
小学校の時の母の日。
先生は
「はい、お母さんがいる子は
赤いカーネンション、回してとりなさい」
カサカサの造花の赤いカーネンションをもらったの。

お母さんのいない人は白いカーネンション・・ですから・・・
先生も
大きな声では言えなくて、遠慮しながら
「お母さんのいない人は、おいで・・」

後ろから先生の前に歩いてきて・・・
「・・・」
「つけてあげるからね」

その子の胸に白いカーネンションがつけられたの。

先生は
「みんな、同じです。カーネンションの色は違っても花の下になんて書いてありますか」

合唱した・
「お母さん・ありがとう」

母でもあった当時の先生もできれば、クラスで一人だけの生徒に白いカーネンションを
つけたくはなかっただろう。
その子は校庭を下を向いて、先生がつけてくれた造花をはずせなくてね。
忘れられないの。

[ひどいなあ、それって」
3人の子供たちが言った。

ひどいよね。

ん?
ん?

母の日になると毎年これを繰り返してきたけど、

ん?

そんなひどいことを当時の先生は本当にしたのだろうか。
自分の記憶は大丈夫?
なんだか、急に危うくなった。

同級生の男の子の名前はフルネームで言える。
あの子に母はいなかった、
赤いカーネンションの造花を子供たちは勲章みたいにつけていた、
お母さんアリガトウ、大合唱した、
このあたりは間違いない。
でも
先生はあの子を呼んだのでなく、先生が近づいたのではなかったか、
校庭をあの子は普通に歩いていたのに、
うなだれていると勝手に思ったのは私ではないか、
もしかして、白いカーネンションさえ先生はつけなかったのではないか。
仲良しでもなかったけれど
不憫で
ジグソーパズル・私のピースをはめ込むように場面を作って
いつのまにか、記憶を私は捏造してのでは?
疑いだすと、さっき話したリアルな場面に四方八方に亀裂が走り、
ばらばらと落ちていく。
信じていた記憶は・・
子供たちに話してみると信憑性が目減りして、
あれは幻か、
捏造か、事実か・・・話しておきながら、・・
急にわからなくなってしまった。
子供の記憶は別の作用が働けば、違う記憶をこさえることもあるかもしれない。
疑いだすとあっという間に霧の中に隠れていったけど・・・

手に残った1ピースがある。

かわいそうだと思ったこと。
私は大人になったら、母の日をしない。

私がどんな間抜けな母になろうとも
世の中にはこの日を
悲しくて、悲しくて、
どうにもならない小さな人がいる。
絶対に私が大人になったら阻止してやる。
約束は守るから。そう決めた。
子供の小さな誓いをドラマにしてしまっただろうか。

母の日阻止を・・
もう大分前にご父兄の誰かに話したことがあった。
「玲子先生の気持ちはわかるけど、先生の子供さんはみんなと
同じように、ありがとう、おかあさん、をしたいと思うよ。
できない玲子先生の子供さんがかわいそう。
ありがとうって
受け取れば玲子先生の子供さんは嬉しいと思うな・・・」

忠告してくれた。
「そうだな」
真心を拒否するのはよくない。
母の日がトラウマになったら申し訳ない。

「おかあさん、ありがとう」
私の大好きなカスミソウを贈ってくれる気持ちを講釈言わず、
以来、ありがたく、もらうことにしたのだった。

でも、今年、
「なにがしたい?」

そう聞かれると、
やはり、ひとりぼっちで
会いたいお母さんに、
どうやっても会えない、
半ズボンの同級生の後姿に・・私を戻す。

・・・わたしばかりごめんね。大人になったら、
何もしないでおく。
つぶやいた私に戻る。

同級生だから、
もう誰かの父親になって
母の日は盛大に祝っているかもしれない。
「お母さん、ありがとう」
食卓を囲んで幸せに子供たちと、妻よ、母よ、ありがとう」
妻があなたの母になって
笑顔で母の日を楽しく過ごしているね、きっと。

私の子供たちが親になって
私と同じことを言うだろうか。
あるいは、いただきましょ・
うちのお母さんは母の日にややこしいことを言って
受け取ってもらえなかったから・・


5月の母の日・日曜日、
母のいない小さい子なら母を恋う。
なにもできないけれど、
私はこの日、浮かれまい。

この日、憂鬱の子はいる。

3人の子供たちは
「わかっていたけど、わかった」

母でいることは毎日の感謝だから、感謝されなくともいい。
せっかくの気持ち・悪いね。ありがとう、気持ちだけいただきます。

ごめん・

夕食に子供たち、3人がビール片手の私に
せーの!って並んだ。

「おかあさん、今日はおめでとうございまーす」
次男の声に
「ばか!
おめでとう?って誕生日じゃないでしょ?」
姉にたしなめられ、
「なんだよ、おめでとうって、
それを言うなら
オメデトウ、オリゴ糖」・・末の子。
「なにそれ」又、姉にたしなめられ、
「ジョイマン・」
ほら、
姉のその声に・・・
も一度整列して
揃って頭を下げた。

カスミソウだけの大きな花束をもらった。


「お母さんは脇役がいいんでしょ?」
長女が言って
そう・・
「毎年同じだけど、これならいいでしょ」
うん・・

おめでとうでもオリゴ糖でも、
ありがとうでもいいです。
もったいないです。

当時の同級生
108名の
たった一人、母がいなかった同級生のあなたは
どうぞ、妻に笑って
今宵、楽しい夜でありますように。

母の日、
どなたにとっても
なんだかんだ言いながら、
今日も一日、ありがとう。
いい日、いい夜でありますように。
今北玲子

2008年5月26日

青葉通り

青葉通りは・
こんなに暑かったっけ。
陽がまともに差し、車の排気が初夏にむっとする。
木がないとこんなに明るいのだ。
こんなに暑いのだ。

汗ばんできた。

藤崎前あたり・・
「あっ」

さんさんと降り注ぐケヤキの緑のない交差点は
明るすぎて

虚を突かれた。

空が丸くむき出しになって笑って見えたが、
ここにはケヤキが
ここにもケヤキが
ありましたよね。お日様。

藤崎の交差点は・
殺伐とした都会の交差点になった・・
確かに舗道も整備され、巨大な箱のビルに囲まれてはいるが、
50年前、ケヤキがなければ
こんながらんとしていたのではないか、
空間だけ50年前に飛ぶ。

けやきさん・あなたたちがいないと
明るすぎてうつむいてしまう。
まぶしさは
時に人に輝きと希望を与えるのに
ここでは逆・・・

ケヤキ伐採報道の日は家にいて、
もはや思いは届かぬと
駆けつけようともせず、
半年振りにおめおめとやってきた私は
5分ともそこにいられない、
薄情者でした。

まぶしさは愁訴になって長くいられなくて・・・
早くここを通りすぎよう・
恵みの太陽から逃げるように
遠ざかることばかり考えて歩いた。

晩翠草堂少し前あたりから、
並木は始まった。

空気が違う。ひんやりと緑は始まった。
これこれ、これが青葉通り!
空気が澄んで、車が減ってはいないのに
ケヤキがみんなにして浄化しているのがわかる。
風が透き通る・
青い空気に深く息を吸い込む。
味は格別です。
でも、こんなに排気を吸っては
御身に障りはありませんか。

難を逃れたケヤキ並木は枝を方々に伸ばして
変わらないお姿でうれしゅうございます。

初めての観光客は比べようがないので、
何も変わっていないと思うかもしれない。
「杜の都」
定禅寺通りを見れば
どこを伐採したの?

違う・・・
地元の市民ならわかる。
「すみません、ここを伐ってしまいました」
謝罪の看板くらい、あったって・・

伐られたスカスカの場所はわかる。
ああ、伐ってしまって・・
罪の濁り水が地元にはあると思う。

青葉通りをどんどん歩いた。
どこが終点とも決められずに
青葉通りを歩いた。

西公園通りの戦後の火にやけどを負ったオオイチョウをとにかく目指した・・
オオイチョウは移植
・・・名木は幹をチェーンソー伐られながらも移植された・・・根付くことを祈ります。
行ってみたら、
そこはアルミの塀で覆われていた。
もはや、オオイチョウがあったのかさえわからない。

道なりに西公園通りを歩いて、
舗道の脇の森に誘われるように入ってしまった・・・

この道は
24年ぶり
ここはだめだ・・
ここだけは避けたい。
引き返そうと思った。

カラスが2羽、カアーッカアーッ
行けというのか、引き返せというのか、
迷いながら、とうとうYMCAのグランドの空地に来てしまった。

幼稚園はやめたい、サッカーをしたい、
毎日せがまれ、根負けして幼稚園はやめて
幼児コースに入れることにした。

その長男が5歳でこの空地で
幼児がだまになってボールを追いかけていた場所・・
幼い姿の息子が昼間の日差しに浮かんでくる。

生きていれば懐かしい場所だが、
いないのだから
喪失と向き合ってしまう。

つらいから帰ろう、泣いてしまうから引き返そう。
後ずさりしたら後ろ足に木がぶつかった。
24年前の木がまだそこにあったのだ。
あの頃より太い木になって・・・

ごめんね、寄せてもらっていい?
顔と肩を、木に寄せた。
風が吹いた、木の実がさらさらと落ちて、
何も
なにも

皆さんは変わっていないのに
私にはもう、あの子がいないんです。

木は空を向いて太くなった木肌を「どうぞ」
寄っかかっていいですか。
いいですよ。

木がそこにいる。
木がそこにある。

オイオイ泣いても木はそこにいる。

それがどれだけ、いいか・・

そこに木が生きていて、太くなって、
悲しいこと、楽しいこと、
知らなくともいい。
あなたがいるだけでいいんです。

見上げて
そこに仰ぐ木があれば、
尊くて・・・

ケヤキを伐ったって・・
(仙台市民は幸福にも便利にも感じない)
人は
木に寄り添って
ねえ、私、どうしたらいい?
誰にも言えぬ人が
木に寄りかからせてもらうだけでいいのです。


ケヤキ伐採、移植の日、小学生に言った。
「戦後、50年前に植えられたケヤキは今日伐採移植されるの。」

「なんで?なんで伐るの?あたし、座り込みしてやる。止めてやる」

「でも、どうにもならない。署名もどうにもならなかったの」

「美しい仙台を創る会」の反対署名
私たちも卒業生やご父兄にも頼んだ。
話してみれば、ケヤキ伐採移植を知らない人は多かった。
卒業生のクリーニング店はカウンターに署名用紙を置いて、客に説明すると
知らなかったと、署名してくれたそうだ。何枚も届けてくれた。
反対署名は5万人以上にも及んだはずだ。

私の親友も知人も知らなかった。
地下鉄東西線断乎反対、ケヤキ1本たりとも伐らせないと
市長選にたった小野寺候補の勇断も知らなかった・
仙台弁護士会の伐採再考決議も知らなかった。
増田弁護士夫婦の尽力も
仙台市民は知らない人が多かった。

朝から晩まで新聞も読まず、働く人がいる。
伐採移植の報道があるまで、へえーっ、驚く人は多かった。
告知は義務と
市の広報は市民にお知らせしていると言うかも知れないけれど、
知らない人が悪いと言われるかもしれないけれど、
その日の暮らしに追われている人は知らない。

市民のアンケート、賛同を得ましたから・・・
嘘・・
それは市民に問うものではなく、
行政の良心に問うものではございませんか・・

「玲子先生、子どもが止めても大人はきかないの?」
「きかないの・悔しいけれど今日は伐採移植なの」
「だって、けやきのことなんて誰も教えてくれなかったよ・・
・・こんなこと、知ったら子供がいやだっていうよ。
大人は
あほだ!ばかだ!」
勇ましい小学生は
鉛筆を机に突き刺して、芯を飛ばした。
そうでしょ?玲子先生!

うん、
私もそう思う。

1955年に
戦後の焼け跡に植えられて・・50年あまり
ケヤキは黙々と生きて

今になって
地下鉄東西線を優先とは
そりゃ
義理も恩もないんじゃございませんか。

焼け跡に
戦災復興の希望と
子や孫たちがせめて
この木を見て幸福になればいいと
当時、奔走・ご尽力された大勢の方々は
もっともっと深い痛手を負っておいでです。

普段は
こんな言葉は使いはしませんが
大バカヤロー・でございましょう・・・

戻らぬ命をご存知でしょうに・
Reiko

2008年5月25日

親からのプレゼント

前回のブログで紹介されていた世界でただ一本のお酒とオリジナルティッシュ である。 お酒は、今春、高校合格を果たしたI君のお母さんの実家、秋田の造り酒屋が特別に造ってくれた。 ラベルに注目あれ。純米吟醸で美味。 オリジナルティッシュは、そのデザインをよく見てほしい、このHPのトップと同様の図柄に「おっさん?」の顔が入っている。これまた今春高校進学のCちゃんのお父さんからのプレゼント。欲しい方、特に塾関係者はご一報を。すぐに送りますよ。

2008年5月23日

ねえ、先生

小学生の国語の授業・
「ねえ、玲子先生」
「ん?」
「今北先生みたいにもっと、びしっと
厳しくしたら?」
「どうして?」
「子供には厳しくしないと」
「どうなるの?」
「子供はちゃんとならないから、玲子先生もびしっとねっ!」

すぐには「はい」と言わない私に
「そうしないとだめだよ」
可愛い声で叱られた。
せっかくの箴言だ。無下にもできない。
「なるべく、そうするね」
お茶を濁した。

子供の望みはひとつではない。
自分が怒られたらいやだが、
隣の子がうるさいのに、注意もしない大人にはあきれる。
学校でも塾でも
静粛を統制できない大人はもっといやなのだ。

「私みたいなのはだめ?」
「うん、優しいのはだめ」

そっか。

私は怒らないわけではない。
どうしてもこちらの言うことを聞いてくれない時は
「帰りなさい」

年に一度や二度はくらいは言います。
でも、あまり怒る気にならない。

カナダ生まれの大好きな祖母の言葉がどっしりとある。
大好きな人の言葉は残るものだ。

「・・人は言わなくともわかる。
・・・玲子、言われなきゃわからない人にはなるなよ」

でも、子供の頃、私も祖母に聞いたみたのだ。
「子供にも言わないの?厳しく言わなくていいの?」
祖母は迷わず言った。

「大人でも子供でもさ」

その祖母に生涯一度だけ叱られたことがる。
小学生・・
宿題をどこかに置き忘れ、登校時間が迫り、何も言わず、
探してくれた祖母に
「どこに片付けたの?」
何度も何度も祖母を責めた・
優しいとわかっていたからさんざん責めた。
祖母は探し続けても許さぬ私をきりっと見た。
「人のせいにするものではない」
一喝された。凍りつくほどだった。

祖母はそのあと、
「生涯、いっぺんきりだったな。
私が父に怒られたのは。
子供の頃・・
カナダで事業家の父を
『うちのお父さんは偉い』と周りに言ったのさ。
父親はどこで聞きつけたか、
自分のしたことでもないのに言うものではない。
エライ剣幕で暗い蔵にボンと入れられてな・・」

これもどっかりと私に残っている。

人にはそれぞれの思いがあって、性質があって、どれがいいとも言えない。


子供の頃、いい子とはいえなかった。
親の手伝いもしなかったし、怠け者で
言うことは聞かないし、
茶碗を下げることすら
ため息ついては怒られた。
5才年下の妹はちゃんちゃんとやっていて、
姉なのに、玲子はだらくみんど。(だらしない奴)
私の別名になった。

優しい母だったが、冗談にも言われると
見捨てられた気がして、
夕方の最後の仕事は風呂焚き。
焚き口で
木っ端をこそこそ入れると
真っ赤な火を見てへこんだ。
祖母の足音が聞こえる。
いつも私に言う、「あんたはいい子だから」
祖母の言葉は予測できる。
いい子なんて、聞きたくなかった。
いい子じゃないから。
でも、言われたら嬉しそうな顔をする。
大好きな祖母のせっかくの気持ち。
近づいて私のそばにしゃがんで言った。

「人は言わなくともわかる。黙っていても、あんたのことはわかるから」

風呂の焚口の真っ赤な火を前に
素直に
うん。
(慰められたわけでもない、
ほめられたわけでもない。
なのに、ぽっと頬が赤くなった。いい心地だった)

祖母の
声が心のずっとずっと下にいって
どっしりと座った。

あの子にも話してみようかな。
「へえーっ。玲子先生は言うこと聞かなくて、だらしない子だったの?」
「うん、それでも大人になれるから心配しなくていいよ」

人は言わなくともわかる。
夫は
ちゃんと言わないとわからない、と言う。.

私は私、
あなたはあなただけど、
夫の言うように
言って然るべきことはある。

言ったって反対したってどうにもならないこともある。
青葉通りにケヤキのように通らぬこともある。

話はそれましたね。
それたところに心はいくものでしょうか。

ああ、
伐採移植の通りはどんな通りになったのだろう。
見るのがさびしいから
伐採移植報道があってから一度も行っていない。

思い切って青葉通りに行くか。

ねえ、ケヤキさん
いなくなったあなたをまだ見ていない。

今北玲子

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