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ねえ、先生

小学生の国語の授業・
「ねえ、玲子先生」
「ん?」
「今北先生みたいにもっと、びしっと
厳しくしたら?」
「どうして?」
「子供には厳しくしないと」
「どうなるの?」
「子供はちゃんとならないから、玲子先生もびしっとねっ!」

すぐには「はい」と言わない私に
「そうしないとだめだよ」
可愛い声で叱られた。
せっかくの箴言だ。無下にもできない。
「なるべく、そうするね」
お茶を濁した。

子供の望みはひとつではない。
自分が怒られたらいやだが、
隣の子がうるさいのに、注意もしない大人にはあきれる。
学校でも塾でも
静粛を統制できない大人はもっといやなのだ。

「私みたいなのはだめ?」
「うん、優しいのはだめ」

そっか。

私は怒らないわけではない。
どうしてもこちらの言うことを聞いてくれない時は
「帰りなさい」

年に一度や二度はくらいは言います。
でも、あまり怒る気にならない。

カナダ生まれの大好きな祖母の言葉がどっしりとある。
大好きな人の言葉は残るものだ。

「・・人は言わなくともわかる。
・・・玲子、言われなきゃわからない人にはなるなよ」

でも、子供の頃、私も祖母に聞いたみたのだ。
「子供にも言わないの?厳しく言わなくていいの?」
祖母は迷わず言った。

「大人でも子供でもさ」

その祖母に生涯一度だけ叱られたことがる。
小学生・・
宿題をどこかに置き忘れ、登校時間が迫り、何も言わず、
探してくれた祖母に
「どこに片付けたの?」
何度も何度も祖母を責めた・
優しいとわかっていたからさんざん責めた。
祖母は探し続けても許さぬ私をきりっと見た。
「人のせいにするものではない」
一喝された。凍りつくほどだった。

祖母はそのあと、
「生涯、いっぺんきりだったな。
私が父に怒られたのは。
子供の頃・・
カナダで事業家の父を
『うちのお父さんは偉い』と周りに言ったのさ。
父親はどこで聞きつけたか、
自分のしたことでもないのに言うものではない。
エライ剣幕で暗い蔵にボンと入れられてな・・」

これもどっかりと私に残っている。

人にはそれぞれの思いがあって、性質があって、どれがいいとも言えない。


子供の頃、いい子とはいえなかった。
親の手伝いもしなかったし、怠け者で
言うことは聞かないし、
茶碗を下げることすら
ため息ついては怒られた。
5才年下の妹はちゃんちゃんとやっていて、
姉なのに、玲子はだらくみんど。(だらしない奴)
私の別名になった。

優しい母だったが、冗談にも言われると
見捨てられた気がして、
夕方の最後の仕事は風呂焚き。
焚き口で
木っ端をこそこそ入れると
真っ赤な火を見てへこんだ。
祖母の足音が聞こえる。
いつも私に言う、「あんたはいい子だから」
祖母の言葉は予測できる。
いい子なんて、聞きたくなかった。
いい子じゃないから。
でも、言われたら嬉しそうな顔をする。
大好きな祖母のせっかくの気持ち。
近づいて私のそばにしゃがんで言った。

「人は言わなくともわかる。黙っていても、あんたのことはわかるから」

風呂の焚口の真っ赤な火を前に
素直に
うん。
(慰められたわけでもない、
ほめられたわけでもない。
なのに、ぽっと頬が赤くなった。いい心地だった)

祖母の
声が心のずっとずっと下にいって
どっしりと座った。

あの子にも話してみようかな。
「へえーっ。玲子先生は言うこと聞かなくて、だらしない子だったの?」
「うん、それでも大人になれるから心配しなくていいよ」

人は言わなくともわかる。
夫は
ちゃんと言わないとわからない、と言う。.

私は私、
あなたはあなただけど、
夫の言うように
言って然るべきことはある。

言ったって反対したってどうにもならないこともある。
青葉通りにケヤキのように通らぬこともある。

話はそれましたね。
それたところに心はいくものでしょうか。

ああ、
伐採移植の通りはどんな通りになったのだろう。
見るのがさびしいから
伐採移植報道があってから一度も行っていない。

思い切って青葉通りに行くか。

ねえ、ケヤキさん
いなくなったあなたをまだ見ていない。

今北玲子

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2008年5月23日 21:33に投稿されたエントリーのページです。

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