« 親からのプレゼント | メイン | 距離 »

青葉通り

青葉通りは・
こんなに暑かったっけ。
陽がまともに差し、車の排気が初夏にむっとする。
木がないとこんなに明るいのだ。
こんなに暑いのだ。

汗ばんできた。

藤崎前あたり・・
「あっ」

さんさんと降り注ぐケヤキの緑のない交差点は
明るすぎて

虚を突かれた。

空が丸くむき出しになって笑って見えたが、
ここにはケヤキが
ここにもケヤキが
ありましたよね。お日様。

藤崎の交差点は・
殺伐とした都会の交差点になった・・
確かに舗道も整備され、巨大な箱のビルに囲まれてはいるが、
50年前、ケヤキがなければ
こんながらんとしていたのではないか、
空間だけ50年前に飛ぶ。

けやきさん・あなたたちがいないと
明るすぎてうつむいてしまう。
まぶしさは
時に人に輝きと希望を与えるのに
ここでは逆・・・

ケヤキ伐採報道の日は家にいて、
もはや思いは届かぬと
駆けつけようともせず、
半年振りにおめおめとやってきた私は
5分ともそこにいられない、
薄情者でした。

まぶしさは愁訴になって長くいられなくて・・・
早くここを通りすぎよう・
恵みの太陽から逃げるように
遠ざかることばかり考えて歩いた。

晩翠草堂少し前あたりから、
並木は始まった。

空気が違う。ひんやりと緑は始まった。
これこれ、これが青葉通り!
空気が澄んで、車が減ってはいないのに
ケヤキがみんなにして浄化しているのがわかる。
風が透き通る・
青い空気に深く息を吸い込む。
味は格別です。
でも、こんなに排気を吸っては
御身に障りはありませんか。

難を逃れたケヤキ並木は枝を方々に伸ばして
変わらないお姿でうれしゅうございます。

初めての観光客は比べようがないので、
何も変わっていないと思うかもしれない。
「杜の都」
定禅寺通りを見れば
どこを伐採したの?

違う・・・
地元の市民ならわかる。
「すみません、ここを伐ってしまいました」
謝罪の看板くらい、あったって・・

伐られたスカスカの場所はわかる。
ああ、伐ってしまって・・
罪の濁り水が地元にはあると思う。

青葉通りをどんどん歩いた。
どこが終点とも決められずに
青葉通りを歩いた。

西公園通りの戦後の火にやけどを負ったオオイチョウをとにかく目指した・・
オオイチョウは移植
・・・名木は幹をチェーンソー伐られながらも移植された・・・根付くことを祈ります。
行ってみたら、
そこはアルミの塀で覆われていた。
もはや、オオイチョウがあったのかさえわからない。

道なりに西公園通りを歩いて、
舗道の脇の森に誘われるように入ってしまった・・・

この道は
24年ぶり
ここはだめだ・・
ここだけは避けたい。
引き返そうと思った。

カラスが2羽、カアーッカアーッ
行けというのか、引き返せというのか、
迷いながら、とうとうYMCAのグランドの空地に来てしまった。

幼稚園はやめたい、サッカーをしたい、
毎日せがまれ、根負けして幼稚園はやめて
幼児コースに入れることにした。

その長男が5歳でこの空地で
幼児がだまになってボールを追いかけていた場所・・
幼い姿の息子が昼間の日差しに浮かんでくる。

生きていれば懐かしい場所だが、
いないのだから
喪失と向き合ってしまう。

つらいから帰ろう、泣いてしまうから引き返そう。
後ずさりしたら後ろ足に木がぶつかった。
24年前の木がまだそこにあったのだ。
あの頃より太い木になって・・・

ごめんね、寄せてもらっていい?
顔と肩を、木に寄せた。
風が吹いた、木の実がさらさらと落ちて、
何も
なにも

皆さんは変わっていないのに
私にはもう、あの子がいないんです。

木は空を向いて太くなった木肌を「どうぞ」
寄っかかっていいですか。
いいですよ。

木がそこにいる。
木がそこにある。

オイオイ泣いても木はそこにいる。

それがどれだけ、いいか・・

そこに木が生きていて、太くなって、
悲しいこと、楽しいこと、
知らなくともいい。
あなたがいるだけでいいんです。

見上げて
そこに仰ぐ木があれば、
尊くて・・・

ケヤキを伐ったって・・
(仙台市民は幸福にも便利にも感じない)
人は
木に寄り添って
ねえ、私、どうしたらいい?
誰にも言えぬ人が
木に寄りかからせてもらうだけでいいのです。


ケヤキ伐採、移植の日、小学生に言った。
「戦後、50年前に植えられたケヤキは今日伐採移植されるの。」

「なんで?なんで伐るの?あたし、座り込みしてやる。止めてやる」

「でも、どうにもならない。署名もどうにもならなかったの」

「美しい仙台を創る会」の反対署名
私たちも卒業生やご父兄にも頼んだ。
話してみれば、ケヤキ伐採移植を知らない人は多かった。
卒業生のクリーニング店はカウンターに署名用紙を置いて、客に説明すると
知らなかったと、署名してくれたそうだ。何枚も届けてくれた。
反対署名は5万人以上にも及んだはずだ。

私の親友も知人も知らなかった。
地下鉄東西線断乎反対、ケヤキ1本たりとも伐らせないと
市長選にたった小野寺候補の勇断も知らなかった・
仙台弁護士会の伐採再考決議も知らなかった。
増田弁護士夫婦の尽力も
仙台市民は知らない人が多かった。

朝から晩まで新聞も読まず、働く人がいる。
伐採移植の報道があるまで、へえーっ、驚く人は多かった。
告知は義務と
市の広報は市民にお知らせしていると言うかも知れないけれど、
知らない人が悪いと言われるかもしれないけれど、
その日の暮らしに追われている人は知らない。

市民のアンケート、賛同を得ましたから・・・
嘘・・
それは市民に問うものではなく、
行政の良心に問うものではございませんか・・

「玲子先生、子どもが止めても大人はきかないの?」
「きかないの・悔しいけれど今日は伐採移植なの」
「だって、けやきのことなんて誰も教えてくれなかったよ・・
・・こんなこと、知ったら子供がいやだっていうよ。
大人は
あほだ!ばかだ!」
勇ましい小学生は
鉛筆を机に突き刺して、芯を飛ばした。
そうでしょ?玲子先生!

うん、
私もそう思う。

1955年に
戦後の焼け跡に植えられて・・50年あまり
ケヤキは黙々と生きて

今になって
地下鉄東西線を優先とは
そりゃ
義理も恩もないんじゃございませんか。

焼け跡に
戦災復興の希望と
子や孫たちがせめて
この木を見て幸福になればいいと
当時、奔走・ご尽力された大勢の方々は
もっともっと深い痛手を負っておいでです。

普段は
こんな言葉は使いはしませんが
大バカヤロー・でございましょう・・・

戻らぬ命をご存知でしょうに・
Reiko

About

2008年5月26日 00:16に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「親からのプレゼント」です。

次の投稿は「距離」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。