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2008年8月 アーカイブ

2008年8月 6日

仙台七夕

仙台七夕は中心部のアーケード街ばかりではない。各商店街の手づくりの飾りも。遅まきながら我が塾も北仙台商工会に参加。

2008年8月 2日

夏期講習の後半は
毎日、読み書き150問近い漢字と15分以内で書く200字の作文。

今日は・・
2008年・鳥取県出題の条件作文。

●あなたがいつまでも心に残しておきたいと思う「ふるさとの宝」について。
 残しておきたいものを一つ取り上げて、なぜ、残したいか理由を入れて、
 書きなさい。

子どもたちは15分間、心の中をひっくり返し、言葉を探す。
鉛筆を持つと浮かんでくるものがある。
それを読ませてもらうのがとても好きです。

さて、ふるさとの宝は・・・「学校」「公園」「森林」・・・なるほど。
ユニークだったのは
「ガジャラモジャラの井戸みたいなもの」
山形にあるそうで、風が通るとガジャラモジャラと聞こえるという。
お父さんに教えてもらったその井戸は父との思い出につながるんだろうな。
私も会ってみたい。ガジャラモジャラ・・
風を食べる優しい怪獣が住んでいるかもしれない・・・

その中に嬉しくなる作文がありまして、

「ふるさとの宝」
(私が残したいと思うものは、通い始めて5年になる塾だ。
 この塾は夫婦でやっていて、私の家のすぐ近くにある。ここで過ごした5年間、
 私は多くのものを学んだ。大切なのは勉強だけではない。
 礼儀や思いやる心も同じくらい大切だ。
 そんな温かい塾が私は好きだ。
 だからこの塾はかけがえのない宝としていつまでも残しておきたいと、
 私は思う。)

毎回、ひとりひとりにコメントを入れる。Mちゃんにも書いた。
(恐れ入ります。塾を始めて、こんな文章を作文でいただいたのは初めてです。
 たいした夫婦でもないのにもったいなく、ありがたいです。
 Mちゃんのあたたかい心が私の宝物です)


風は
空の向こうから吹いてくるだけではないのですね。
原稿用紙からも風は吹いてくる。

思いがけない夏の贈り物を
早速夫に見せた。
じっと読んでいた。
「ほうーっ」笑顔になった。

夏期講習・
朝から晩まで喋りっぱなしの、
あれもこれも言っておきたい、熱風の夫の
くたくたの疲れを忘れる、
200字の原稿用紙から
いい風が吹いてきた。

気持ちに
身体の内側に渡る、いい風・・

私は何度も
風を読んだ。


Mちゃん、
言葉の嬉しさはあなたの良さです。
あなたの良さはあなた自身のものです。

何もかもあなたの良さ・・・だけど

隣の教室でありがとうございますって言ったら、
「いいえ、そんな」私に笑った顔。
忘れないね。

2008・夏の午後・15分・200字の
あなたにありがとうを忘れないね。

今北玲子

2008年8月10日

涼しきかなキャンプ

恒例の夏期講習打ち上げキャンプ、今年は秋保の奥座敷、二口温泉キャンプ場。中三が考えた食事メニュー、日程の予定は、ライヴのなかで次々と?塗り替えられる。釜で炊くご飯はおいしいはずが、昨年のデーターがあるにも関わらず六食中成功はただの一回、最終日の朝食はなんと中味は生米、たきなおしは10時に。釜の責任者のY、Sの二人は流石に神妙な顔で、こめんなさい。傍についていなかった私の油断も。釜で炊いたことのないこども達には加減はわからない。スタッフ六人のミスでもあった。 河原での水遊びは楽しかったらしく中3を除く全員は服のまま浸かって?いた。 塾恒例の夜の出世ゲーム、大型花火、今回の目玉、ばんじ山荘の温泉(卒業生のMが主人ーNHKでも紹介されたーなど行事は盛り沢山。小豆移しでは箸のもちかたが明るみに? 虫が多く、ぶよ、あぶ、最高百箇所以上刺された子も。 なぜか私はゼロ。代わりに?玲子は腫れるほどに。また、蜂にも、点滴へ。 天気に恵まれたのがなにより。 ただ例年よりも中3の参加者が少ない分参加した中3の皆さんは、責任ある仕事が多くいろいろ大変だったと思う。ここで感謝の気持ちを伝えたい。ありがとう。 最後に、私からのメニュー、焼鳥を、肉の切り方、串の焼き方、刺し方と一から皆さんに教えるはずが、用意していたのに忘れてしまったのが心残り。 大きな事故もなく無事楽しんで帰ってこられたのは、参加者、そしてスタッフのおかげ。

2008年8月 6日

「大変なことになっていますよ、お母さん」
次男に言われて目の先、手の先を追うと、
テーブルの蜂蜜のビンにいつ現れたのか、
蟻の行列。
一直線に蜂蜜を目指している。

まだ、被害は広がっていない。
ビンの周りだけだろう。
しかし、ふたを開けると
みくびったことを知る。

すでに大勢、蜜の中にいた。

あまりのごちそうに
あまりの蜜の海に
飛び込んだはいいけれど、
動けなくなったアリさんたち・・
こんな宝の山はみたことない、喜んだんだろうなあ。
仲間にも知らせなきゃ・・
でも、友達が動けなくなって
引き返そうか、ビンを登ったり降りたり
言ったりきたりするありもいる。
「危ないですよ」
一度は私の声に振り返るが
蜜の誘惑には勝てそうにもないのがアリの道理。
こつこつ働くアリの生きる道がありましたでしょ。
一時の空き巣狙い。
分相応に質素な暮らしは明るく楽しかったと思いますよ。
欲は一瞬に身を崩す。
見つけた途方もない甘い黄金の誘惑・
楽園の蜜が人生を狂わせたのかしらね。

でも
蜜にとっぷり浮かんだアリさんたちは
幸福そうに見えた。
こんな幸福はない、見たこともない蜜の海を泳いで、たらふく食べて、
さあ帰ろうと思っても手足が動かない。

いいや、それでも、
気が遠くなりそうな幸福だったに違いない。
「ああ、なんて幸せ!」
隣の友達が
「お前も」その隣も
「うん、お前も」

みんなして、ひっくり返って
天を仰いでいた。

蜂蜜大好きだあ、
ここは最高・・思ったんだろうな。

幸福なありさんたち、
次に生まれてくるときには
・・蜂・・だといいね。

蜜から蜜へ飛んで
小さな幸福を重ねてさ。

Reiko

2008年8月29日

機嫌

人の機嫌のよしあしは難儀である。

こちらが上機嫌でも
相手がなにやら不機嫌であれば、
言葉を拾い、少しでも心持を戻してもらおうと苦心するが、
不機嫌の大元は
「わかってもらえない」・・だったり
「思い通りにならない」・・だったり
私の力量ではなかなか、うまくいかない。

小学生は授業中、たまに不機嫌になることがあっても
二つ考えると収まりがつく。
夕方でおなかが空いた。
疲れて眠い。
母親に「おなか空いたア」
「眠いよお」
言えるのに塾の先生には言えないから、我慢する。
鉛筆の走りもそりゃあ、鈍くなり、
「きれいな字を書いてね・・・進んでないよ・・・」
はい,
とは言うものの、
思い当たる不機嫌はどっちかだろう。
子どもながらになんとか処理しているのもわかる。
もう少しだよ、ガンバレー。漢字かるたしたら、帰ろうね。
「うん。よし・がんばるぞー」
俄然、もりもり勉強しだすからには当たっているのでしょうね。

中3くらいはわからないことがある。

息子が不機嫌。
成績がよくないのです。
自分のせいです。
でも、
気を使ってしまう。元気になってほしくて、あれこれ・・

えてして、母の立場は十中八九、
同居人の機嫌に揺れる。
いつしか、巻き込まれ、こちらもそこに陥る。
家人がいつ持ってくるかわからない突風に
応対する言葉も準備もない。

午後の気休め時、
NHK,日本の話芸にチャンネルをあわせた。

あらら、柳家小三治師匠のお出ましで正座した。
「お化け長屋」

空きになった長屋のひとつ。
しばらく、物置代わりに使っていたから、
長屋の住人は誰にも貸したくなくて、
お化けが出るということにするが・・・

声を出して笑っちゃった。
少し、ずれて困っていた私の機嫌が
笑うと戻ってくる。
ずれた隙間は笑えばそうでもなくなってくる。

悲しくとも、苦しくとも
内から笑えないのなら、
無理しても外から笑わしてもらうと
笑うたびに
こっちオーライ、もう少しオーライ、
そうそう、この辺までオーライ・・
いや、もっと、はいはい、
いたるところまで、笑えせてもらえば
不機嫌の自分の難儀も消える。たいしたことじゃない。

落語は
機嫌の舵取り名手だろうか。


笑いなさい・・な。

この世に生まれて
がんばるのもいいけれど、
笑うのはもっといい。

笑うと
なんと不思議なこと!

心の臓やら
腹の虫やら
疲れた頭の主やら
わいわいと活気が出て、
愚痴も不機嫌も
端っこにおいやって、溶かしてしまう。
「これがいいですぅ。あったかくなりますぅ」

笑うと
ポッと開いて
パーッと光る
お天道様がやってくる。

今北玲子

2008年8月16日

贈り物

以前、山月記を読んであげたSちゃんが
話があるという。
「進学したいんですけど・・・」
「いいじゃない」

「でも・・・」
「高校中退で、進学しても又、いけなくなるかもしれない・・・」

あなたと会って、2年、

塾の階段をばたばた、
教室に入ると、どんと椅子を引いて、
「シャープペン忘れてきたんですけど」
「あるよ」
「シャーペンの芯、ありますか?」
「あるよ」

あどけなく、可愛かったけど,投げやりでどうでもいいような、、
あなたはなんか不安だったのね・・
ここ最近、Sちゃんは変わった。
「こんにちわ」
「ここにすわっていいですか?」
丁寧になった。
バイトだ。
念願のバイトが決まって、可愛く化粧して、
あなたは働き始めて変わったような気がする。

「玲子先生、あのー」
会話も丁寧になった。もともとあなたはそうだったのだと思う。
丁寧な少女だったのだと思う。

「玲子先生」
「はい」
「大丈夫でしょうか」
「なにが?」
「また、学校をやめるって思われないですか?」

「だいじょうぶ」
「何でですか?」
「不登校はトンネルっていう人がいるけど、
それは私は感覚はわかんないけど、
なんか、Sちゃんはどこにいるのか、見えなくて、困っていたけど、
でも、働いたよね。
そしたら勉強したいとか、あそこに行きたいとか、思ったのよね・・
もう、見えるのよね・・いろんなこと」
「はい」
「だから、だいじょうぶ・・」

時に
人はあまりに苦しいと、あまりに悲しいと
考えないようになる。見えないようになる。泣くことすら取り上げられる。
1滴の涙さえ、どこにあるのかわからない。
緊急事態に、
その命が機能を停止させ、
一時、保護をするのかもしれない。
今は食べて寝ればいいから・・
それ以外、何もしなくていいから・・


あなたの携帯の待ち歌はブレークするずっと前から青山テルマで、
いい曲だねって言ったら
Sちゃんに曲名を教えてもらった。
♪そばにいるね♪

「うちのお母さんもこの曲好きなの。玲子先生も?」
「うん」
冒頭の歌詞は母の詩・・・・

♪・・あなたのこと私は今でも思い続けるよ・・♪
♪・・いくら時が流れていこうと♪
♪I’m by your side baby  いつでも ♪

Sちゃんのお母さんもここの、この歌詞が好きなのではないだろうか。
昼夜逆転する娘に伝えたかったですよね。
そばにいるね・・・
恋の歌かもしれないけれど、
どんなことあろうと、あなたのこと、思い続けるよ、私は・・・
そばにいるよ
いつでもいるよ・・わが子に届けと祈ったのではなかろうか。

お母さんのこと、おにいちゃんのこと、話すようになって、
あなたはそばにいる家族が見えてきたのよね。
1度しか会っていないけれど、懸命に働き、あなたのことを
思い続ける、いいお母さん・・。
お母さんの好きな曲を知り、「うちのお母さん、この曲好きなの」
お母さんが見えるようになったのよね。

「あなたはだいじょうぶ。受けたい学校を受けなさい」
Sちゃんの目に
みるみる涙があふれた。
「化粧大丈夫?」私が聞くと、
「黒くなってないですか?マスカラの黒い涙になってたりして」
「大丈夫」
二人で悲しいわけじゃないのに、笑って泣いた。
やはり不安だったのだろうと思う。
小学校からの不登校、高校中退、安心材料は一つもない。
でも、私は絶対大丈夫・・・と思う。

初ライブのM君のポスターがSチャンの机の横にゆうべのままに
置いてあった。

「あのね・・」
ライブのMちゃんのこと、話したくなった。・・
「大阪に新聞配達に行って、
三線習って、魚屋さんで働いて、ね・・野菜作ったり、CD創ったり、いろいろやるの。
その人の夕べのライブは最高だったんだ」

Sちゃんは「ええつー。新聞配達ですかー!魚屋さん!デスかアー・・・」
連発した。
「すごい!
すごいですよね!それってすごいですよね・・
それっていいですよね・・」
顔が輝いた。

M君へ
あなたのライブに
あなたの今までに
顔を輝やかす18才の乙女がいます。

ライブはその日だけではなくて、
それを聞いた人、
それを伝えたい人、伝える人、

あなたのライブは
誰かに言いたくなる楽しい、またとない楽しいものでありました。
あなたにもう一度、言おうかな・・・
ライブはよかったよ・・・あなたはいい顔してピアノを弾いていた。

ライブは終わったけど、
その余韻は
ひとりの18才の乙女の
未来に・・・(いろんなことしていいのね・・)
楽しい贈り物を
しましたよ・・


私にも・・・

今北玲子

初ライブ

1月2日の新年会で
「CDを出したけど、やっぱりライブですよね」
「教室でやる?」
「いいですか?」
「いいよ」
「誰に聞かせたいの?」
「身内で・・・先生のご家族とか、Kちゃんとか、Mちゃんとか・・・」

M君との約束を請合った以上、守りたいもので、
8月には入って、
夫にあの話、連絡してもらえないかな?

こういうとき、夫は手際よく、
セッテッグしてくれる。

間もなく、連絡終えて、確定8月15日、
ただし、親友のK・M君は同窓会と重なり、もう一人のM君も欠席。
盆は忙しいね・・・
里帰りのKクン一家と我が家全員で聞こう。
そしたら
同窓会会長のN君、帰省で飲みたいという1期生M君にも混ざってもらって。
前日、この間、3人で飲んだこれまたイニシャル消防署のM君にばったり、
夫が誘うと
参加するというので、(その後、M君のお兄さんと友達が入って)
観客16人の
15日、
M君初ライブ・・・

思えば、8期生の面々にはご縁を通り越して、お世話になった。
初ライブのお父様にも忘れ得ない人情をいただいた。

21年前。
ほくそう舎に入塾者は殺到して、受け入れる椅子も机もなくて、大勢断った。
その後、断ったうちの一人、その子の消息を夫は耳にする。

中学の教師になぜか、袖にされ、ハブにされ、
理由はその子の家庭環境にあるとか、(理由はわからないが)
夫が聞いてきた。

夫はその子の家を訪ねた。
「入れますから。」
一度は断ったのに、わざわざ、言いにいった。

喜んで、その子は入塾した。
そして、しばらくして学校で教師に前歯を折られた。

塾の緊急保護者会を夫は開いた。
学校でもないのに、余計なことだったかもしれないけれど、
「どう、思いますか?」
夫は塾生のご父兄にたずねた。

塾が何をしたって、学校に届くはずもないのに、
塾に解決策はないけれど、これもご縁のご父兄とみんなで考えてみたかったのだ。
夫は必要だ、と思ったのだ。

間もなく、事件をマスコミがかぎつけた。

新聞に大々的に
「体罰」
教師の暴力が活字になって、
活字が世間を走った。

父兄はそれこそ本物の学校の緊急保護者会に集められた。

我が家の電話は鳴りっぱなし。
夫が開いたあの塾の保護者会が問題となっているのか。

「あの塾が新聞社に学校を売ったに違いない」
そういうことだったのか・・・
朝から、
受話器をとれば、
「バカやろー」
愛校精神はダイヤルを回すくらいなんでもなくて、
体罰より、わが子の通う学校が
新聞沙汰になった事の方が重大らしい。
鳴り止まぬベルに耳をふさいだ朝、
ナンバープレートが出ないあの頃、
どれが緊急で、どれがいたずらとも分からないので、いちいち受話器を耳に当てては
ため息をついて、受話器を置いた。

りりーん。
又か。
受話器を取ると、
「Tでーす。」
M君のお父さん・・・
聞きなれた声にほっとした。
「保護者会があるんですが、先生、
もし、誰か、先生のことを言ったら、手を挙げていいますから」
「先生、塾のことを悪く言ったら言いますから」
「先生、ちゃんと塾は悪くないって言いますから」

今はどの順番が正しい内容か、定かでなくなったが、
どれも、真実で、
M君のお父さんの声は以来、耳元で3つとも共鳴する。

受話器を持って
「そうですか」
泣いた・

その息子がM君である。

忘れはしない。。
マスコミの恐ろしさ、報道されれば、誰がニュースソースか憶測でしかわからない、
庶民が疑われる怖さ。
誰に
誰に分かってもらったらいいのだろうか・・

1本のM君のお父さんの電話は
私と夫に
「きっとわかるひとがいる・塾はつぶされない」
M君のお父さんの明るくて、
今北先生、心配しなくていいからー・・オレが言うから・・
「ありがとうございます」
「先生、大丈夫だから・・・」
M君のお父さんは受話器の向こうで元気で明るかった。
心丈夫・・とはこういうことだろうと思った。

M君は1点差で第1志望を逃した。
申し訳なくて、申し訳なくて・・・
その時、お父さんが挨拶に来て言った。
「うちの息子は1点差、よくやりましたよ。先生。すごいですよ。
褒めてやってください」

人情は突然、そこに花咲くのではなくて、
その人にこそ咲く花ではなかろうか・

私たちは生涯忘れない・・、

これからも塾をしてもいい?
M君の父さんが
やってもいいさ・・今北先生。
握手してもらった気分で・・

人は人の心で生きていける。

M君のお父さんは職人で生きてきた。
腕があれば、先生!
誰がなんと言おうと、子どもをつかむ腕ですよ・・
私はあの電話をそう思った。
なけりゃ、だめですよ・・
ですよね・・・

M君のお父さんは
誇り高いけれど、小さいことに、こせこせしなくて、
あはっはっ、と私たちの前でよく笑った。
それに
明るいお母さん、
M君は
塾のアシスタント、
突然、大阪に行くと言って新聞配達、
「ちょっとさびしくて・・」
戻ってきて、
魚屋、
農業、
そして、今夜の初ライブ、ピアノライブ。
自由に生きているなっていつも思う。

さて、ライブが始まる段になって
「おい、(ライブを開いたりして)
君は何をどうしたいのか」
同級生のK・M君が言った。
「そりゃ、、皆さんに聞いていただいて・・ええ・・まあ」
今夜の主役は照れて笑った。

なんだかんだ言いながらデザイナーでその親友のK・M君は
一日限りの素敵なポスターとプログラムを用意していた。
8期生は言いたいことを言って、
てんでに面白い。
「手に汗、脂汗・だよね、君だけでなくて、こっちも」デザイナーのK・M君
「君より、こっちが緊張するよ。心配だよ」Kクン
友達はいいね。
ポスターは
CHERRY MAN・・LIVE 2008
おしゃれで素敵なポスター。センスいい!
ピアノの足が取れている。親友の愛嬌。

持つべきは友達・・
そして、M君のお兄さんは記念写真にとるために連絡あるまで、
待機しているという。
持つべきは兄弟。
ピアノは習う年齢がある。
大人では手が動かないのに
よく、練習したものだと思う。

すごいです!
楽しいライブは16名の盛大な拍手で終わった。

飲んで喋って笑って
さて、最後は、
出世ゲーム・・をやろうと夫が言い出し、
卒業生同志の出世ゲームは
皆、卒業生だけにハイレベル・・
手拍子がハヤイ・・ハヤイ・・

アルコールが入っているので、
制御が利かないけれど、
残った三人、
同窓会会長と里帰りのKちゃん、三男の息子。
いつ、誰がミスするか、大人同士でもはじめれば出世したくなるもんですね。
意外に興奮とスリルの一興・・・でした。

毎年、
里帰りしてくれる、卒業生同志で結婚したM君一家、
(勝手口に9歳と5歳と8ヶ月を抱いたあなたたち)

いつのまにか5人家族になったのね・・
はい、いつのまにか・・5人になりました・・

長女の賢さ、次女の賢さ、まだ、8ヶ月でも長男の頼もしさ・・・
8月15日、4時45分、
Kクン一家の5人に
北仙台の名物の夕焼けがまだ浅く、青く、
五人の背中を照らした。

今夜も私とKクンの子どもたち二人は
手をつないで、
お決まりの恒例の西友で
「何でも好きなものをどうぞ」
買ってあげた。たいした買い物ではないけれど、喜んでくれる。

「ねえ、あなたたち、こんなに玲子さんに買ってもらって、頭、真白じゃない?
よかったねえ。玲子さんにありがとした?」
「うん」
Sちゃんはもはや、堂々とした3人の母になって、
「玲子先生が初めての子の時、
どんどん生みなさいよって言ってくれたの。
あの時はこうなるとは思わなかったけれど」
(私の娘にも、どんどん産みなさいよって言ってくれたんだってね、
Sちゃん、ありがと)
ようございます。
親に育ててもらった恩返しは、自分も子どもを育てなきゃね。

来年は
Mちゃんライブ2回目と、思います。
楽しみです。

夏は卒業生と
どんどん、飲むのでございました。
今北玲子

2008年8月11日

いつも長いのに・・これまた、長いもんですから。限定・224・

8年前、
「不登校、学力遅れに私塾ながら民間として関わってきた今北さんに、
講義をしてもらいたい」
宮城教育大の懇意にしているH教授から非常勤の要請があった。
「いやだよ、そんなの」
夫はためらった。
そのうち、
「受けることにした」

なんかわかった。
私たちはいいなってという教師にも会ったが、何を言ってもわからないさんざんな教師とも会った。
申し訳ないが、日本語が通じない。
夫が私は塾をしている、名乗っているのに、
「あなたはうちの生徒のどんな関係ですか」
「塾です」
学校は
あなた様が
部外者かどうか、血縁かどうか、という翻訳が必要らしい。

教頭と校長がひそひそやる。

部外者がついてきた理由を夫が言わないと話が進まないらしい。

「この子を塾で知っています、この子のお母さんについてきてほしい、と言われたんですよ。
どうして、こうなるか、子どもの責任ではなくてですね。
社会構造もあるんですね。そういう事例を沢山見てるんで、話してよろしいでしょうか」

学校は
「ご家族ではないんですよね」
「はい、塾です」
慰謝料を請求しているわけじゃない。この子が成長するのに、いい手立てはないものか、学校も考えてもらえないか、
不登校は怠惰ではない。
社会現象といえないのだろうか。
考えましょうや・・・

行政が
「どの子にも不登校は起こりえる。」
認知する前の話である。

家族以外の人間と話し合えないのが学校です。
親ですか?
親戚ですか?
血縁でなければ、排除は当然であった。
だって、子どものことは親が考えることですから・・・
白い目で見られて、夫は怒鳴った。
「いい加減にしろ」
異業種で世の中は成り立つもんです。
考えようってとき、同じ視点の人間同士じゃ、何も生まれない。
創造は
物書き同志でも生まれない、絵描き同志でも生まれない。


時に、
部外者の圧力が
教師をはたと、立ち止まらせることもあった。

「今北さんは親でも子でもないのにねえー」
遠くから褒められて、
渦中に入ろうとはしなかったけれど、家族ネットワークに入会した養護の先生がいた。
「勉強させてください」現役の教師も家族ネットワークには何人もいる。

しかし、大半、
埒もない
やりとりを私たちは知っている。

「こんな教師にはなるな。変な教師にはなるな」
伝えたくて・・・
夫は非常勤をやることにしたのだと思う。

講義が始まった。
1単位取得できる15回連続講義。

どんな講義をするのか、聞いていなかったが。
講義が終わるとレポートを家に持って帰ってきた。
「今日、書かせたレポート・・読んでみる?」

はあーっ・・
たまらないな!
こんな面倒くさい講師に付き合う学生さんは。
同情したもんです。

15回で1単位、乗ったはいいけれど
張り切った今年初めての講師に要求されて、
過酷のレポート・・・
大変だったね・・・

同居のよしみで読ませてもらった。
教師になりたくて大学に入った人、
これまで学校がつらかったと振り返る人、
すんなり、ここまで来たけれどなってもいいのだろうかと悩む人、
腹の中はみな、違う。

224・・とは
宮城教育大2号館、2階の4番教室、
教室番号224・・
そこで
夫はいろんなことをした。

家族ネットワークの不登校の親をゲストにしたり、
さんざんな目にあった学校の体験を包み隠さず話したり、
思いつくことなら、なんでもやった。

夫が多分、思ったのは、
変な高給取りの教師にはなるな、
組織に絡めとられるな、
どこを向くんだ、校長に向くのか、親に向くのか、
理想の教師になんていない、
ぶつかれ、周りを見ろ、
教師面するな・・・
頼むよ・・いつか教師になるんだったら・・・・・
なんかやれよ・・・

夫は新たな仕事を見つけたようにいきいきと
224・・に通った。

あれから8年、当時の学生は皆、現場の教師になった。
Mちゃんの企画で自主ゼミをほくそうしゃでしていいですか?

夫も私も
もちろんです。

キャンプの終わった次の日、
若い教師が塾の階段を上がってきた。

私は遅れて教室に入ったら、
「こんにちは・・玲子さん。すごい、虫に刺されたんですか・」
目ざといAちゃん。
「キャンプでね・・」
「大丈夫ですか」
同情されて
椅子に座ると
当時の受講生の半分近い、10名の参加表明だそうで、
白1点、男一人、A君以外は女性の麗しき教師が座っていた。
近況報告をしている途中だった。

沖縄のSちゃん、
八戸のUちゃん、Mちゃん、
宮古のA君、横浜のこの会の企画、Mちゃん、
気仙沼のAちゃん、仙台の三人Yちゃん、卒業式総代、すごいねMちゃん、医療のシステムを変えようと新たなシステム・チャイルドライフスペシャル世界で18番目の資格を持つTちゃん、
Jちゃんは写メール参加。小さい子がいれば、思うようにならない毎日、それでもメールで何かを伝え、なにをそこでみんなで話しているの?私にも、そして私から・・思ったのね。
今は腕に抱く、赤ちゃんが大事。疲れないように、いつか、会いましょ。

自主ゼミ・・・
Sちゃんは不登校の生徒の生育の資料のない中、家庭環境も把握できず、母親ともなかなか会えず、子どもと話したいのに、空回りしている胸中を話した。

A君は2年に及ぶ担任の不登校の生徒と自分、時間、その事実、パジャマ姿で送る日々を、ついに、外に出ることに力尽くした。何かしたい、この子のためになにかしたい。B4のびっしり3枚のワープロの文字は700日の迷いと悩み、家族と子どもと関わる姿を映していた。
「自分がこれでよかったのかどうか・・ベテランの先生がやったらどうなるのか・・」

そうね。

でも
「よくやったね」
「ありがとうございます」
うつむき加減に礼をした。
私、
ひとつ、用事があって他の人の近況をききたかったけれど頓挫・・

夜の飲み会で合流。
個性があちこちで花のように咲く。

そろそろ、汽車の時間もあり、数人が帰り始めた。

夫が「出世ゲーム知ってる?」
「あっ、そんなこと講義でも言っていましたよ」
「私、知らないー」
「お前ら、オレの講義をほんとに聞いていたのか?」
夫はいいか・やるぞ。
言われればやるしかない。

私も夫もいつどこで知ったか、でも私たちの世代なら知っているゲーム。
私は小学から知っている。
子ども会だろうか。
駅の待合でだるまストーブを囲むと、いつとはなしに出世ゲームに興じて、
待合の時間が短くなる。
塾の子どもたちにこのゲームを教えると、たいてい、せがまれる。
キャンプでも子どもたちは真っ先にやりたがった。

ひざをパン、手拍子パン、2拍のパンパン・・
親指出して「社長、専務」右は自分の役職、左は指名の相手、早くなると、自分の立場を忘れたり、相手の役職をかんだり、一度間違えれば、最悪のこづかいに落ちる。無難にこなせば、昇進するゲーム。
なにがおもしろいか、と思うほど、キャンプでも子どもたちは夢中になる、一時の集中力、たかが、ゲームでもこづかいには落ちたくないプライド、単純な構造のゲームに出世、というつまらない世界と、
どうでもよさそうだけど、がんばってしまう、ふと、氷山の自分と面白く会ってしまう。

教師となった224のそれぞれ、興じて、学生の顔になっていた。
「やれよ、これくらい、子どもたちにやってみろよ」
夫に言われ、
「はい、やってみます」
素直な224.


Uちゃん、
あなたの個性は子どもたちを親を、きっと楽にする。人生、晴れ!子どもたちはあなたのことを見て、弾むだろうと思った。ある日、子どもたちは聞く。「先生、オレっていい?」「先生、私って・・・」
「いいよー!あんたたちはいいさー!」
きっとあなたは自信を持って言うだろうと思う。

Mちゃん、
お口チャック、やわらかさというものは内から出てくるもので、子どもたちはきっとゆったり、おどかしもなしに学ぶだろうと思った。このままで・・・魔法の先生で・・応援するよ。

S子ちゃん、
沖縄からありがとう。繊細であたたかい、あなたの察知は自分との格闘だけれど、信じたことを迷わず、と思う。正直であればいい。工作しなければいい。教師はね。
でも、悩むよね。先走りせず、通じるから。一呼吸ね。

Mちゃん、
元気になってよかった。ふたりで昼食・・時間を忘れたね。企画ありがと。ドレッシング、最高でした。今回の企画といい、気遣い、わかります。あなたらしい!

Aちゃん、
ふわりと会えば嬉しい、それは滅多にない。生徒を怒りそうになったら今北さんのことを思い出すから・・・、帰りしなのあなたの言葉に夫は嬉しそうでした。自分の天性を信じてね。

Yちゃん、
誰にも言わずとも、ひたすらあなたのいくところ、行きなさい。分かる人は分かる。私はわかる。出世ゲーム・社長就任おめでと。自信もっていきな。

Mちゃん、
朝一番は大変だね。卒業式の総代の任を綴れる文章力は子どもたちの感性を即座に気づく何よりの味方で、あなたを見つめる何も言えない子どもの代弁者になれると思うな。フランスの飴、おいしかった。

Tちゃん、
チャイルド・ライフ・スペシャリスト。あの時も話したけど、いいよー!・難しいけど。
時代のニーズはすぐというわけには行かないかもしれないけれど、私はあなたなら、いける、そう思う。

A君、
ハーレムのような美女に囲まれてもあなたの存在は確かなもんです。あなたと会った人は心許す。理屈ではない、真心は通じる。ベテラン教師はあなたにはかなわないと思うよ。私も夫もきっとかなわない。あなたを生かしなさいね。

夫は
講義の15回目の最終授業は塾の教室を選んだ。
塾のアシスタントもやらせてみた。

あなたたちが3年になって、
又、何人かは受講してくれたし、
あなたたちが4年になっても
「先輩たちはこの授業をどう思っているか?」なんて喋らせたりして
教室の側面に
オレのために4年になったみんな並んでくれていた。
乱暴な授業したんだよね・・・
夫は思い返しています。

卒業式にあなたたちの名前を書いて、式に呼ばれもしないのに
あなたたちが式から出たときに、一度でおめでとうが見られるように
手書きの224のみんなの名前のだん幕を
両手で掲げたのは
夫の
乱暴な授業して悪かった。いや、
聞いてくれて、
ありがとよ、
だったのだと思います。

人を喜ばせたい、なんてこともあるもしれないけれどね。

あの夜、
長い間、話して、お酒を飲んだのに、
あなたたちから少しも教師の匂いがしなかった。

それはとても、とても
いいことです。
子どもたちにも父兄にも
「あの人、本当に先生?」
権力の匂いのしない先生になってください。
人にモノを教える人間は自分を語るのが片一方で好きなものです。
私もその一派。
気をつけようね・・

モノを教えるのは
教師以外の人が上手ってことあります。
小袁治師匠とか、芸人さんはバツグンの指導力です。
受ける、か否か。
暮らしの妙を知っているのだろうと思います。

でも、とつとつでもいい、シャベリが下手でもいい、
そういう先生は
子どもを包みます。

どちらが自分らしいかだね。

夫は
「若者をオレは応援する。
将来を託せる若者がいる。
224・あいつらをオレは応援する」

信じられる若者が大勢いると私も思う。
特に、224・・・


子どもたちが何もかも一番知っている。
変な奴か、怒るだけの奴か、頼りない奴か、
プライドだけか、言い訳の奴か。

見抜きます。
みんなだって、そうやって、大人を見抜いてきたのだと思う。


あの夜、思い出したことありました。

八杉先生を夫が塾に招いた時のこと。。
自己紹介が一巡したとき、
当時の宮城教育大のアシスタントのYくんが言った。
「僕は塾がなくなるように
いい学校のiいい先生になりたいと思います」

八杉先生が
「今ちゃん、(夫のこと)言っていい?卒業生だろうけど・・」
夫は慌てた。「先生どうぞ」

「塾がなくなればいいと思う発言に僕は黙ってられないんだよね。」
(私の記憶はきちんとはしていないが、大体の再現ですが・・)

「学校だけ、それはフアシズムと思います。学びは学校だけじゃない。
塾がなくなればいい。フアシズムですよ。教育のフアシズムですよ。
学校が一番なんて、危険ですよ。
僕は戦後、いやというほど、価値観の違いをある日、突然、味わったんです。
信じてきた教育の価値観が変わっちゃった。
先生が今まで言ってきたことが変わっちゃった。
今ちゃん、悪いけど、
君のアシスタントに言わせもらうよ。君はY君か。
学校が一番じゃないんだ。
学校が一番になっちゃいけないんだよ」

みんなと飲みながら、真剣な八杉先生を思い出した。
学校が一番ではない。
かといって、塾が学校の愛人でもない。
学びの窓はいくらあってもいい。

(Y君は教師にはならなかった。心境はY君でしかね。夫に意見を言える、いいアシスタントでありました。かわいい聡明な女性と結ばれて、仲人は嬉しくてね・・やっと二人にやってきた子どもの誕生も涙がでた。無二の親友のような間柄です)


別れしなに224のMちゃんが言った。
「玲子さん、また」

卒業生の御茶ノ水に行ったMちゃんが中学生のときに折り紙のようにたたんだ手紙の冒頭が
「玲子さんへ」だった。
娘も言ってくれる。
「玲子さん」

私は先生より、お母さんより、
父母が命名した名で呼ばれるのが何より好きです。

224・・・私を誰もが「玲子さん」と呼ぶ。
夫のことを「今北さん」と呼ぶ。
いいな。

教室の教師の顔と
素顔の
二つの顔を持たぬ、
学校の先生に
なって下さい。

私と夫は
支援塾という仲間はいますが、
同僚という仲間はいません。

いれば、楽しいのだろうと、
同級生で同僚のような
あなたたちに羨望です。

224という
同僚に混ぜてもらったと思えば、
「また来年、逢える」
一緒に歩く
颯爽とした気分になります。

夏の224の皆様、
何もかも一切合切、楽しゅうございました。

今北玲子

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