卒舎式とは?(今年度は3月7日に実施)
24年前に卒舎式を始めた。開塾3年目、3期生の時である。
高校入試が終われば、塾にみんなはもう、来ない。
別れが寂しいな、と思った時、何かしたい!と思った。
お祝いの品ではなく、心に残る私達の真心を贈りたい。
公教育では卒業式がある。卒業証書は一人ずつ、手渡されるが、文面は「以下同文」
である。
証書であるから仕方がない。
そうだ!北剏舎を卒業するから卒舎証書はどうだろう?
以下同文ではなく、出会った子供たちひとりひとり、違う文章を夫婦で贈ったらどう
だろう。
3期生の高校入試を終えた皆にはたくさんの思い出と私達が感じた多くの長所があっ
た。
毎日塾に通いつめて頑張ったこと、友達や親を思う優しい一面、
分かろうとする素直な真剣な横顔、点数を上げようと必死で鉛筆を走らせた深夜のこ
と、
偏差値ではなく部活優先で決めた志望校は周りを驚かせたが、思い切った覚悟と選
択、もしかして、さりげないこと、何でもないことかもしれないけれど、違う!15
才のドラマがあった。小、中学と学校から表彰されてもされなくとも、私達が知って
いるそれぞれの15才のドラマを卒舎証書、いや、「感謝状」として綴って、贈った
らどうだろう。
そっと手渡すのではなく、皆の前で読んでから渡す。大人になろうと懸命な、素晴ら
しかった「あなた」を私達の手で披露する。
機を同じくして、主人は子どもたちとやきそばパーテイーでもしようかということに
なっていて、その頃よくお邪魔していた居酒屋さんでたまたま隣り合わせになった柳
家小袁治師匠にその話をした。まだ1,2度しかお目にかかっていない小袁治師匠
が、「遊びに行こうかな」嬉しい一言に「落語家さんが来てくれるなら、ちゃんとし
た会場をとろう。一席お願いできたら尚、嬉しい。生の落語を子どもたちに聞かせた
い」
子どもたちに感謝状を贈る、その後、小袁治師匠の落語を聞かせてもらう。
「卒舎式」と私達は命名した。
「自信を持って歩いて!」
こんなにも、こんなにも、あなたにはいいところがあります。
中学校の卒業証書より大きなものに主人と二人で徹夜同然で書いた。子どもたちへの
大事な文章を前もって書いたり、準備するのは失礼だ、と思った。
卒舎式の前日に子どもたちと、どんな素敵な会話があるやもしれない。文面の内容は
卒舎式前日までのこととした。
卒舎式の前夜に、ひとりひとりの思い出を辿る。文章の校正はしない、これは夫婦の
一夜の「ライブ」の文章にしようと決めた。(今では一枚におさまりきれなくて、巻
紙にしている。)
あなたを知っている私達がいて、この感謝状のメッセージとエールはいつ読んでみて
も15才の自分を思い出せるように。
あなたが塾のことを忘れることがあっても、私達はあなたとの出会いは忘れないか
ら、絶対に忘れないから。
師匠は当時、東北放送でラジオ番組に出演していた。主人の話を即、快諾して下さっ
た温かさ、師匠のお気持ちは思い出すたび、人情にふれて、涙が出る。嬉しかったご
恩は月日が経っても別枠で私達の記憶に残っている。
師匠は仙台の番組が終了しても、東京の仕事でお忙しいのに、毎年3月の卒舎式の日
はスケジュールを空けて、24年間、欠かさず、北剏舎のためだけに、生の落語を北
剏舎の子どもたちに聞かせるためだけに来仙。変わらぬご厚情を頂戴している。
卒舎式の日は、真打の磨きのかかった、奥の深い芸を、他では味わえない近さで、迫
力と臨場感で、たっぷりと贅沢な落語、一席を独占!である。
有難い限りの師匠の真心がずっと続いている。
卒舎式&小袁治師匠の落語のいきさつである。
(その後、1期生、2期生に手渡さなかった感謝状を開塾10周年に贈った。大人に
なったあなたに、私達が感じた15才を贈った。
ご父兄の皆さんへの感謝の気持ちも込めた。私達が10年間も塾を続けられたのは、
1期生2期生の塾生の皆さん、ご父兄の皆さんが、沢山の塾生を紹介してくれたお蔭
でもあった。
現在も同様です。すべての卒業生やそのご父兄に支えられている、そう思っていま
す。)
卒舎式は小学生から長いつきあいの子どもたちもいれば、短いつきあいもある。卒舎
式を始めようと思ったあの気持ち、「あなた」の素晴らしいところ、忘れられない場
面を夫婦で綴り、披露することに今年も変わりはない。
つきあいの長さではなく、15歳までの私達が感じたことを、世界でたったひとりあ
なたに感謝として贈りたい。
あなたはこんなにすごい、素晴らしい15歳です。自信を持って歩いて!
今北玲子