「先生、退塾します。それを今日、言いに来ました」
高校生クラスのJ君。小学生から塾に通っていたが、いろいろあって、
中学は学校に行かなくなった。
お母さんは何度か相談に見えた。学力は? 高校は?
親にしてみれば不安だらけだったにちがいない。
塾だけでも行ってくれたらいいんだけど。そうつぶやいたが、J君は塾にも来なかった。
でも、本人の努力もあって、今春高校に入学した。
連絡をもらって、空が晴れたようにうれしかった。
それが先月、「高校生クラスに行きたいと息子が言っているので、宜しくお願いします」
アメリカにも行ったそうで、手土産にチョコレートを持って塾にやって来たのに。
笑顔で、お願いします、と言ったのに。
まだ1ヶ月しかたっていないのに。
何が悪かったのだろう。
でも退塾を告げに来るのは気が重かったはずだ。
親が電話一本で済むものをわざわざひとりでやって来たのは
えらい。
何も聞かずにおこうと思っていたけれど、やはり
女というのは、母親の気持ちで聞いてみたくなってしまう。
高校生クラスは利用の仕方は様々。
小論の練習だったり、
授業のわからないところの質問だったり、
延々と勉強だったり、個別な時間帯で一斉授業はない。
「高校生クラスは合わなかった? 」
「はい」
こうはっきり言うのでは、やめる意志は固そうだ。
質問はそれでやめにした。
夫が近寄ってきて、
「気楽に考えていいんだからな。来たくなったらまた来いよ」
「そうよ、出たり入ったり自由だから」
私も重ねて言った。
「いつでも来いな」夫の言葉にうなずいて、
「お世話になりました」
頭を下げると、もう教室を出て行った。
学校に行かなかったとき、
何も力になれなかったから、
また塾に来ると聞いて、今度は役にたてる、と喜んだから、
気持ちはしぼんでいった。
しばらくして
「こんばんは」
高1のS君が入って来た。4月に高校生になったが、中学生のように勉強しないので、
またお願いします、お母さんから電話があって、
高校生クラスに、戻って来た。
おや?
さっき、お世話になりました、と帰って行ったはずの、J君が後ろにいる。
S君が、
「先生、連れてきました」
「......」
「そこで会って、塾をやめると言うからボクが、連れてきました」
やめるな、と言って連れてきたということか。
J君に聞いてみた。
「連れてこられてよかったの? 」
「はい、なりゆきですから」
思わず、うれしくなって、
そうよね、人生なりゆきってあるよね。
はい。笑っている。
中学時代は、家にこもり、ひとり、いろいろなことを考えた日々だったろう。
学校を拒んで、塾も、そして友達も拒んだこともあったろう。
そういえば、S君は同じ中学で、
あの当時、J君のことを大分案じていたのだった。
ここに、二人でいることを楽しむように、
仲よく席を前後して勉強をはじめた。
なんだかいい話。
S君のやめるな、と思った気持ち、
そうか、と
やめるはずの塾に戻って来たJ君の気持ち。
なんだかいい。
心が触れる時、なりゆきはある。
決めたことが木の葉のようにくるりと
変わり、それもよし、と思えるような時、
お前が言うなら、そうしようか、とさらっと思えるような時。
気持ちは川のように流れるのかもしれない。
誰かに会って、そこに流れ、また誰かに会ってそこに流れる。
J君は
決めたことさえ、なりゆき、と
逆らわない鷹揚な川の作法を身につけたような気がする。
でも待てよ。
今日はそのなりゆきで引き返してきたが、やめません、とは一言も言っていない。
いいや、それでもいいや。
友達の顔を立てて、今日だけ戻って来たとしても
それでもいい。
「僕はやめると言ってきたから塾には行かないよ」
S君の気持ちを無下にしなかったのだ。
いい友達だ。
好きな詩があります。
ビートたけしの「友達」
( 困った時、助けてくれたり
自分の事のように心配して相談に乗ってくれる
そんな友人が欲しい
馬鹿野郎、
友達が欲しかったら
困った時に助けてやり
相談に乗り、心配してやる事だ
そして相手に期待しない事
これが友人を作る秘訣だ)
今北玲子