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2017年4月 アーカイブ

2017年4月30日

3月、4月、5月

3月卒舎式
1年未満のつきあいの人もいれば、
5年、6年も塾に通ってくれた長いつきあいの人もいる。
高校生クラスに残る人もいるが、
卒舎式を境に、別れである。

中3にもなると、毎日、会っていた人たちが
この日を限りに会えなくなるというのは
寂しい。
同時に、大きくなったな、親の想いに似た感情で
うれしくもあり、頼もしくある。

恒例の感謝状を夫が読み、
中3が思い思いの文章を綴ってくれた。
BGMでピアノを弾いていても、文章は聞こえてきて
心を打たれる。
15歳の一途な気持ち、15歳の不安、
そして、私たちにありがとうと言ってくれる優しさ、
ありがとう、は私たちの方です、と毎年思う。

うれしかった感謝状から。

「大手の進学塾にずっと通っていて勉強することが本当に
つまらなかったです。
そこで新聞のチラシが入っていたので、
この北剏舎に通うことにしました。通ってみると勉強以外に
熟語やことわざを楽しく覚えるかるたをしたりして
驚きました。
もっと驚いたのは、ある日、ふと机の上を
見たとき、置いてあった問題用紙でした。
それは今北先生の解答用のものだったのですが、
自分で考えた解き方がびっしり書いてありました。
当たり前のように思われるかもしれませんが、前の塾では
先生は自分で解くようなことはしていませんでした。
その問題用紙を見たときは、忙しいのにもかかわらず、
生徒と一緒になって考えていることを知り、感動しました。
そして通っているうちに勉強することが楽しいものになりました。
苦手科目だったものが得意科目になりました。
3年生になって進路に悩んで夜も眠れなかったときも
ありましたが、先生には何度も相談に乗っていただき、
有難かったです。
入試が終わってから、塾のブログを見たときに、
玲子先生が、私たちを教室だけでなく、ブログの中でも
応援していたことを知りました。
がんばれ!がんばれ!がんばれ!
と、そこには書いてありました。
ー略ー
今まで本当にありがとうございました。」

H君、私たちこそ、ありがとう。
この1年、いえ3年間、ひたむきに勉強する姿を見せてもらいました。
最後まで、自分と向き合ったからこそ、志望校は悩みましたね。
「先生、相談していいですか」
その声は今も耳に残っています。
「悩んでいるんだったら、毎日、進路相談しましょうか」と言った私に
頭を下げたあなたの礼儀正しさも目に焼き付いています。、
悩んだ末のあなたの志望校決定は勇断と思います。
私も夫も怠けそうになったら、意中の高校に向かって、
夢中になって勉強していた、あなたの姿を思いだそうと思います。


そして
小袁治師匠登場。
前列の小学生が師匠を見て、
「玲子先生、手を振っていいですか」
いいよ、
Rちゃんが手を振りました。
気づいた師匠がにこやかに手を振ると
「わあ、手を振ってくれた!」と大喜び。
師匠のきさくな、お人柄の良さが子どもたちに心に残りました。

演題は「ちりとてちん」
教室中が大笑いして、
最後に
師匠の威勢のいい、さすが師匠!の三本締めで
気持よく、卒舎式は終わりました。

師匠、今年も、本当にありがとうございました。


発表
朝から落ち着かない。じたばたしても始まらないと思っても、
時計の針を何度も見てしまう。

3時、
合否の連絡が入る。
心配な人が合格、喜びも束の間、大丈夫だろうと思った人が
落ちたり、
終わって見れば、全県一区、男女共学、中3にとっては
厳しい結果が出た。

夫も私も現実を突きつけられた。
合格は本人の力、もしだめなら塾のいたらなさです。
二人とも自分のいたらなさに無言になった。

夫は、卒業生に連絡をした。
15歳の涙を知っている二人に何か書いてほしい、と頼んだ。
翌朝、二人から文章が届きました。

「残念ながら第一志望に合格できなかった君へ
今の君たちの人生の、そして自分のすべてが否定されたような
気持でいることでしょう。
もっと本気で勉強すればよかった、友達と離れてしまう、
教えて下さった先生方や両親に申し訳ない、といった
感情がわき起こってきているかもしれません。
今はその感情を否定せず、ただ受け止めましょう。

わたしくは、公立高校に落ち、東北学院榴ヶ岡高校に
入学しました。高校生活の3年間はとても有意義で、
大学は現役で筑波大医学専門学群に入学することができました。
今になって振り返ってみると高校受験の失敗というのは
たいしたことではなかったな、と思っています。
かえって落ちたことによって今の人生があるのですから、
高校落ちて良かったな、とさえ思っています。
(当時は第一志望で榴ヶ岡に来た人はいませんでした。)
受験の失敗は自然災害と似ています。東日本大震災の時も
起こった災害はどうしようもない。
その後どうするかが大事なのです。現時点での感情を受け止め、
心の整理がついたら「仕方がなかった。はい次」と
切り替えて下さい。わざわざ失敗する必要はありませんが、
失敗した人はそれだけ心が豊かになります。
あなたの人生が豊かになるよう、お祈り申し上げます。

第1期生 S 」

もう一人、
「自分の志望校に落ちたショックはいかばかりかと思います。
今はゆっくり休んで下さい。
でも人生は15歳で終わるわけではありません。
僕も30年前、あなたと同じ思いをしました。
これからの三年間はもしかしたら味気ない、不本意だ、
という思いを抱えるかもしれません。
でも、それを引きずっているのは時間が勿体ないのです。
中学校三年間で学んだことを高校、大学で更に深め、
社会に出た時の大きな糧にしてほしいのです。
きっとあなたは、人の心の痛みのわかる、素晴らしい大人になって
いることでしょう。
人生って、どこかで帳尻が合うのかな、と感じることがあります。
この悲しみは、将来のための喜びのために乗り越えて下さい。

東北学院高校、上智大、公認会計士、第8期生、K 」

私が泣いてしまった。
大きな優しさに包まれたような、未来が明るくなるような、
これから頑張れるような、
一言では言えないけれど、
立ち上がってみるか、歩いてみるか、
心の奥に力と、向こうの灯りが、見えるような気がしました。
くやしさ、悲しさを知っている人の語る言葉は
かくも優しく、あたたかい。
本当にありがとうございました。
K君、S君。

高校生クラス
卒舎式を終えて、入試を終えて、高校生になっても
塾に通ってくれるなんて、嬉しいものです。

いの一番は
Nちゃん、
発表の日、くやしい報告に来たのに、
「先生、高校生クラスに通います」
涙いっぱいの目で言ってくれました。
「うれしいです。待ってるね」

次はU君、
中3になって、1年間、学校帰りに来て、6、7時間も教室にいました。
新高1になっても学校帰りに来ています。
あなたの制服姿がまぶしいです。うれしいです。

4月末に、案じていたDちゃん、がやってきた。
「可能性はゼロではない、努力する、私はあきらめない、私は怖くない」
志望校への想いを日記に綴っていたDちゃん。
3年間、一途に想い続けた高校に入れなかった。
Dちゃん、よく来たね。・・・・・・・
(結果ではないと思うよ、Dちゃん。
あなたは決して諦めなかった。
教室に早く来て、最後まで残って勉強した。
誰が何と言おうが、自分の決めた目標に頑張った。
叶わなかった悔しさはあるけれど、
でも、それはあなたの強さでもあるからね。)

目が合った。Dちゃんがにこっと笑った。ほっとした。
「高校生クラスに5月からくるので、」

なんと、なんとうれしいこと。
「また、毎日来てもいいよ。」
「試験前は来ます」

後日、高校生クラスの申込書をDちゃんが持って来た。
自分の長所・・・
高校でも北剏舎を続けること。あきらめるのがきらい。」

光栄です。
Dちゃんはイギリス人の父を持ち、日本人の母と二つの祖国の文化の
中で育った。うっとりする英語を話す。気持は、
まあいっか精神はなく、私はあきらめない精神を貫く。
素敵です。


5月、
新中3は、志望校に向けて、がんばるぞって顔。
私も夫も新しい気持ちになる。

夫の英語の長文読解が毎年、本番で成果を上げている。
今年も入試の本番の点数を教えてもらったところ、
実力をはるかに上回った人がほとんどだった。
96点、98点、続出でした。
新中3の皆に、「俺について来てくれ」
皆の顔が引き締まっていた。

桜が咲き、桜が散りました。
青空が広がり、
白い雲が、
大きなクジラやナメクジ(好きです。特に顔)に見える5月になりました。
気持のいい風が吹いてきます。

私の大好きな小池昌代の詩の一節。
「はしからはしまで
すっかり風の通った
一枚の
布のように生きて行きたい」

わたしも。

玲子















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