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2019年3月 アーカイブ

2019年3月14日

2月・3月

2月
私立高校の合格があった。
全員合格!!
中3のみんなは、全員高校生になれる。
よかった。
少しだけ、春が来た。

3月の公立入試まであと僅か。
あと1カ月、がんばれ。がんばれ。がんばれ。

私立が終わると、
中学校に提出する公立志望校を決定しなければならない。
今の実力だけではない。
内申点もある。それは本人を援護する時もあれば、枷になる時もある。
内申点と第一志望の模試の偏差値をつきあわせ、
おおよその合否の現況を伝える。
あとは本人の気持だ。

第一志望に見合っている内申点と模試の現実、
親御さんの想いが合致していれば何も言うことはない。
でもなかなかそうはいかない。
力がついて来て偏差値が志望校の圏内でも、内申点が不安とか、
内申点はいいが、ここだという志望校が決まらないとか、
いろいろある。

Tちゃん。
「話があります」
どうしたの?
「志望校を変え......ようかと。......やはり、ずっと思っていた......高校にしたいので。」
とつとつと、うつむき加減で言った。
夫が明るく言った。
「中1からその高校を受けるのかと思っていたのに、
どうしてその志望校にしなかったのか、ずっと不思議だったんだ。
......わかった」
Tちゃんが、泣きだした。
ぽろぽろ、涙が止まらない。
何か悪いことでも言っただろうか。

Tちゃんの話は、(後で聞いた話も合わせると)
学校から、第一志望高の、その下の高校でも危ないと、言われていたから、
自信がなくなって、ずっと悩んでいたらしい。
思い切って親に相談したら、「受けてもいい」そう言われて、
最後に夫に自分の決心を話して、相談したかったということだ。

「それでいい。
実力はその高校に達しているし、それより、なんで、誰に、遠慮していたんだ?」

大人の一言は子どもの心を揺さぶる。
私たちも、合否を口にするのは学校と同じかもしれない。
ただ、少なくとも、総合点だけではなく、5教科を見ているので、その生徒の伸びる教科、
弱点分野、得意分野、細かな把握はしているつもりだ。
が、学校の先生という大人も、
塾という大人も口を出すことに変わりない。慎重にならねばと思った。

Tちゃんの実力は、明らかにその高校を受けるに申し分なかった。
中1からこつこつ定期試験を勉強し、
内申点も問題はない。今の実力も第1志望校に
挑戦するには充分。
「油断しないで、がんばれ。」
Tちゃんがやっと笑った。

試験は、受けてみなければわからない。
実力通り、順当に結果が出ることもあれば、
力があっても不運に見舞われることもある。
しかし、15歳の、初めての挑戦は、結果如何に関わらず、
涙も笑顔も滋養になる。
無理矢理、変えさせられては悔いが残る。

4時半、(小学生の授業から)夜10時過ぎまで、
ただひたすら、勉強する中3の姿は愛しくなる。
全員合格、ただただ祈る。

入試が近づくと、卒業生の差し入れが増える。
大学が決まったとか、報告がてらの差しいれ、高3のみなさん。
去年の必死の毎日が思いだされ、「みんながんばって下さい」と高1のみなさん。
たくさんのキットカット!ありがとうございました。

3月5日
いよいよ、入試前日。
夫は理科の、過去問を集めて、大きな紙に張った。
それを食い入るように見ている生徒、漢字を復習する生徒、
長文和訳に余念のない生徒、
その中に、推薦合格で、もう勉強しなくてもいい生徒も混じっている。
最後まで、一緒に!
夫の気持を汲んでくれた生徒で、
入試前日まで皆と共に勉強してくれた。ありがとう。

入試前日の中3の授業を夫がするので、
今日は、急遽、小学生の授業は算数から国語に変更した。
元気のいい小学生の皆さんに、お願いした。
「明日は公立高校入試だから静かにね。協力してね。
そして祈って下さい。
祈りというのは、一人より二人、二人より三人、みんな、
隣の教室の中3に、祈ってね」
(姑の言葉なんです。いい言葉だなっていつも思います)

ふーん、という感じだった。
ピンとこないって感じで、なんで、入試だから静かにするのかという顔だった。
中学生になるのも遠いのに、高校入試なんて、もっと遠いという小学生だった。
授業は漢字の復習プリント、文章問題、あとはかるたをやめて、
まんが歴史シリーズを本棚から出し、読んでもらうことにした。

ひとりの小学生が、
「ぼく、中3の教室に入ってわかった。しんとしてた。だから静かにできる」
もう一人、
「よくわかんないけど、本を読むならいいよ」
もう一人、
「玲子先生、明日、がんばって下さいって言ったら?」
なんだかその一言、うれしくて。
「言おうか」
「うん、言おう」
そういうわけで、国語の授業が終わって、
ぞろぞろと小学生が隣の教室に入った。
夫の講義を聞いて、黙々とペンを走らせ勉強している中3の背中をじっと見ていた。

「小学生のみんなが、激励したいそうです。振り向いて下さい」
一斉に中3が振り向いた。
何事かと振り向かれ、見つめられて、臆したようだったが、
「せいの!」
「明日っ、試験、がんばってくださいっ!!」
声を限りに張り上げた。大きな大きな声だった。
ふいの激励ににこっとする生徒、ありがとなっ、と手を挙げる生徒、
姑に教えられた、「一人より二人、二人より三人」
中3のそれぞれの入試前日の不安な気持が、
一瞬でも、吹き飛んでくれればと願った。

中3の授業が終わり、
姓名のひと文字を夫がカッターで
削った消しゴムを一人一人に渡す。
奮闘する入試最中に、
机の上に、自分の名前が入った消しゴムがある。
そばにいてやれないけれど、ここで見守っているから、
がんばれ。
応援と合格祈願の消しゴムです。

渡し終えたら、中3は帰宅する。
毎年、この時間帯が切なくなる。
がんばって、何度言っても、言い足りない。
「なんとしてでも、なにがなんでも合格して下さい」
思いを託した。
夫は、何も言わなかった。

今日まで、よくやった!
自信を持って、がんばってこい!
いいな!
そう言いたい夫の胸中はわかる。

「人は何も言わなくとも気持ちは伝わる」
(大好きな祖母の口癖が浮かんだ。)

帰り支度をして、教室を出るドアの前で
「いってらっしゃい」
声をかける。
「行ってきます」
「がんばってきます」
誰もがそう言ってドアの向こうに行き、階段を下りる音が聞こえる。

女子生徒が固まってタイムカードを押していた。
「いってらっしゃい」
「がんばります」
何か別な言葉がほしいな。
「こういうとき、(勝鬨)エイ、エイ、オー、ってしたいね」
そう言った。
私に野太い声があって、声量があって、ドラマチックに威勢よく、
送り出せたらいいのに、と思った。
女子生徒は小さく、少し、恥ずかしそうに、
「えい、えい、おう」
笑いながら、肩まで片手を挙げた。
私も、心の中で、大音量で叫んだ。
(エイ、エイ、オウー)

今日は隣の教室に高1が来ていた。
卒舎式の感謝状に奉書用紙を使うので、夫が書きやすいように
折ってくれている。

「毎年、中3が帰るとき、なぜか涙が出るのよね。」
私が高1のグループに近寄って話したら、
高1のMちゃん、
「わかります。わかります。私も、今、涙が出ました。」
赤い目をしていた。
「私も......」
Rちゃんも目がうるんでいた。。
高1全員が、うんうんと頷いた。

去年はわからなかったろう。
一年経って、送り出す気持を、感じてくれたのだ。
私たちの想いを
共有してくれた16歳のみなさん、ありがとう。

3月6日
入試は終わった。
誰一人欠席せず、無事に終わって良かったが、発表を考えると今度は
合否の心配が始まる。
問題の読み間違いはなかったか。漢字は書けたか。実力通りにいったか。
きりがない。

3月9日
卒舎式。
中3全員にあてた文章が、やっと昼前に仕上がった。

学校の卒業証書は代表以外は「以下同文」です。
そうしたくなくて、始めたものです。卒舎証書ではありませんが、これまでのあれこれを
毎年、夫婦で綴ります。中3の皆さんも、今までのいろいろを綴ってくれます。

そして、「今日まで大切なお子さんを通わせていただき、ありがとうございました。」
親御さんに感謝申し上げる日です。
卒舎式に出席のご父兄に、夫と二人で頭を下げる日でもあります。

いただいた中3の文章を少し。
「進路について悩んでいた時は、私は今北先生たちに相談するかどうか、
悩みました。学校の先生のように、相談したらまた何か、傷つくことを恐れたからです。
しかし、学校の先生とは違いました。正史先生と玲子先生は私の中1からの目標を
理解し、勇気を与えて下さいました。あの時、相談していなかったら今頃、私は
後悔しているに違いありません。本当に感謝してもしきれません。)

もう一人。
(朝、目が覚めて学校に行き、北剏舎に来て勉強する。毎日がその繰り返しでした。
大変なことではありましたが、それよりも楽しさが大きかったから、最後まで続けることが
できたのだと思います。正史先生がいなければ、私は成長することができませんでした。
玲子先生がいなければ、ここで頑張ることができませんでした。北剏舎がなければ私は本気で
学ぶことの楽しさを知ることができませんでした。)

もう一人。
(この塾に来て、きちんと叱ってくれ、見守ってうれる正史先生や玲子先生がいたから、
勉強から逃げていた私が、勉強と向き合うことができました。進路が決まらず、
悩んでいた時も、親身に相談に乗ってくれ、全力でサポートしてくれました。)

≪私たちが良いわけではない。こう言ってくれる15歳の心根が良いのです。
勿体ない言葉が心にしみました。また、私たち、頑張れます。≫

最後に、
(今まで通っていた塾では、宿題を忘れても「次、やって来てね」くらいで終わって
いましたが、ここではそうはいきません。本気で怒られます。しかし、すべて
自分たちのためを思ってのことだと思うと、感謝の言葉しかありません。
英語の長文はさんざんでしたが、今北先生のお蔭で受験勝負できるレベルにまで
あげることができました。
今通っている中学は学年で半数近い人が、ナンバースクールといわれる学校を
受験します。ナンバーじゃない奴は下に見られ、学力がない人は差別されます。
学力だけが人を量るものではないのに。
偏差値の高い学校に行って人を下に見る人に、私は負けません。
偏差値がすべてだと思っている人に、私は負けません。)

15歳は大人じゃないけれど、大人です。
この痛烈さを失ってほしくない。
振りかざすでもなく、挑むわけでもなく、
「私は負けません。」と言いきった。
深く、深く、心に残った。


卒舎式プログラムがすべて終わり、
いよいよ小袁治師匠の一席が始まりました。

「初天神」
(初天神に行こうとしていた父親が息子に見つかってしまいます。
あれ買って、これ買って、とせがむ息子を、連れて行きたくはないのですが、
渋々、連れて行くことになります。
案の定、いろいろとせがまれてついに凧を買ってしまいます。
子どもの頃の凧上げを思いだし、夢中になった父親は、子どもに凧をさせません。
「ああ、こんなことならお父さんを連れてくるんじゃなった」)

初天神は二度目です。
師匠の子どもがものをせがむ声、表情、よく捉えていて、
師匠があどけない子どもに見えました。
最後の凧上げの場面は、脳裏に高々とあがる凧と、空が見えました。
どこまでも続く空が見えました。すっきりとした青空でした。
話芸の素晴らしさはこういうことかと、感動でした。


発表
仙台二高、宮城第一高、泉館山、仙台高、合格おめでとう。
(前述のTちゃん、合格です)
でも全員合格とはいかなかった。
一生懸命に勉強したのに、叶わなかった生徒がいた。
もしや、内申点の枷だったか。
実力通りに行かなくて、胸が痛くなる。
いっそ、本番だけで合否を決めてくれればいいのに、と毎年思う。
制度を嘆いても仕方がない。

明日の先、そのまた明日のその先に、希望があることを
祈ります。
三年後、塾の階段を駆け上がってきてほしいです。

今年、
駆け上がって来たのは、
志望大学を夢見てがんばったSちゃん。
憧れの早稲田、合格。
諦めず、貫き通しましたね。
あなたの笑顔が涙でぼやけて見えませんでした。

浪人を宣言しに来た、Aちゃん、A君。
来年の朗報、待っています。

現役東北大、合格、おめでとう、T君。
4月からのアシスタントに決まりです。

始まれば終わる。
終われば始まる。
新しい学年になる小・中学生の皆さん、
あなたの力になれるよう、役に立てるよう、
気持を新たにしています。
新しい高校、新しい大学、に進学する皆さん、
そこにあなたの希望がありますよう、祈っています。

玲子











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