塾の前で8期生のYちゃんがいた。
「ここに勤めてるの?」
「玲子先生、聞いてないの?今北先生には言っていたんだけど・・・・・・」
そういえば、夫が言っていた。、私はいろんなことを聞いても忘れる。
ぼーっとしてるんですね。
そうだった、そうだった。
Yちゃんは大家さんの姪。大家さんは姪から子どもから孫まで入塾でした。本当にありがたいことでした。Yちゃんもその姪のうちのひとり。
気性のさっぱりした女性で、話をすれば、胸のすくような、
大好きな人です。パッチリお目めにお化粧もきちんとしていて、
「きれいね、Yちゃん」と言ったら
「どこが?玲子先生」
「お顔が・・・・・」
「年ですよ、年、でも、うれしいんだけど!」
ぽんぽんと会話が弾む。
そのYちゃんが塾の隣にいるのは楽しい。
二日後、
昼にまた、会った。
「おひる?」
「違うの、いずみ中央まで仕事」
「たいへんね」
「そうなの、昼休みはないの!]
「ねえ、私さあ、Yちゃんとこの辺で会うのってすごくいい」
「なんで?」
「Yちゃあんって手を振ったら、あなたも手を振るでしょ?それってすごくいい」
「だね、玲子先生、バイバイ」
この辺で卒業生に会うのはすごく、いいと思うのです。
塾の玄関を入る前に、Yちゃんいるかな?と店内を覗くと、いる。
ハーイ!
手を振ると
「これから、先生」と言っているように「ハーイ」って
ドア向こうで手を振ってくれる。
その午後、
M君と塾に行く向かいの八百屋さんの前で会った。
「やすみ?」
「はい、この間は(落語会にいけなくて)すみませんでした」
「いえいえ」
「どちらへ?」
「習い事です」
「まあ、なに?」
「英会話です、遅いですよね」
15才に塾の二階の窓から
「逃げんなよー」と夫に叱られたから?
そんなことでもないでしょうが、
「一生、勉強ですよね、遅いなんてないですよね」と私が言うと
「ですよね、そう思いまして」
知る心を学歴終了と同時に置いて、
仕事だけとは味気ないものね。
振り返ると
M君はひたすら私に、
ひらひらと
手を振り、腰を折って挨拶していた。
いってらしゃーい。
こういうのもいいもんです。
それから数日後、Yちゃんとまた、夕方に会った。
「これから夕食たいへんだよね」と言うと、
Yちゃん 「ご飯炊くのも面倒だから、今日うちは五目やきそば」
「五目やきそばか」
「先生のご参考になれば」
「うん」
「じゃあね」
ねっ、こういうのってなんかいい。実にいい。
卒業生とご近所っていいもんです。
11月4日
またもや、8期生。
突然、A君が22年ぶりに教室にやってきた。
「A君が来るって」と夫から電話をもらって走って教室に行った。
「ご無沙汰いたしまして」
いたいた。A君。
中堅のばりばりのようだ。
この度、勤めている会社を辞めて、別の会社に移るのだそうだ。
行く先は北海道、その前に里帰り。
それで教室に寄ってくれたのだそうだ。
優秀な成績でありました。難関高校を合格して、
東京の有名私大に進学したとは聞いていたが、会うのは22年振りである。
「懐かしいなあ」とA君はしきりと言った。
それから、中堅のつらさや、今後の自分や、
家族を養っていかねば、という父親の気持ちや、
あれこれ、時間が経つのも忘れて話した。
8期生だから、38才。
「A君の年は主人があなたたちを教えていた年頃ね」と私が言うと、
「そっかあ。あのときの先生と同じ年かあ」
「塾を開いても、やっていけるか。子どもたちは来てくれたけど、
ひとりも入ってこなくなったら、なんて、思ってたよね。」と私が言うと、
「そうですよね、わかります、わかります」
わかってくれる年代になって、それを話せる幸福を思います。
A君は口数の少ない、優しい少年で、
黙っているが周りのことは察知できるし、わかっていた。
言わないだけで感覚の鋭い豊かな少年でありました。
某ホテルの社長の父上が合格の挨拶に
自宅にひとりで見えられた。
ホテルマンの礼儀正しさで、こちらが緊張してしまいそうな重厚な方で、
「おかげさまで、合格させていただきました。息子がお世話になりました」
恐縮したのを思い出す。
「北海道に先生、来てくださいよ。」
そう言いながら、教室を後にした。
玄関を出るとき、夫が二世が多いんだ、と言ったら
「仙台に来れたら、子どもが塾に入れるよう、
席をひとつ、空けといてください。お願いします」
大丈夫です。
この秋は7期生、8期生の訪問が多かった。アラフオーは忙しいのにね。
教室を訪ねるのは簡単そうで、案外面倒なことだと思う。
みんな、偉いな!
Reiko