神様へ
携帯という通信機器はまことに便利なものである。
私の十代の頃は友達の家に電話するのも緊張だった。
また、家に知らない友達の名で電話があれば、しつこく親に詮索されたし、
長電話でもしようものなら、
「緊急の電話がきたらどうする!」と相手に聞こえるように
毎度同じ親の声が飛んできた。
今は夢のような世の中で、部屋でこそこそと何時間でも
話すこともできれば、
メールとやらで一瞬の心模様まで伝えることができる。
いいのだけれど、それはいいのだけれど、
なんだかちょっとねって思うのは中3の受験生にであります。
たしかに、夜道の一人歩きの女子には頼りになるし、
子どもがどこにいるか心配なときは
安心の素でもある。
女の子の帰り道の自転車などは帰ってくるまで心配なものです。
そういうときの携帯はいいのです。
しかし、家から学校まで、歩いてすぐ、塾もすぐ、という距離では
緊急性はあまりない。
もっぱら友だちとのメールがメインというのはどうっかな?
まして受験生のこの時期に
メールも電話もほんとに必要ですか?必要ないですよね。
もちろん、テレビも必要ではない。見なくていい。
合格の願いを叶えるには努力がいる。それと覚悟と我慢がいる。
昔から願をかけるとき、好きなものを断つ。お茶断ち、酒断ち、
そういうのがありました。
あたしは15歳のとき、梅干断ちをしました。
梅干がないと生きていけないほど大好きで、お弁当に
母が梅干を入れ忘れた日には真っ白のご飯を見つめて泣いてしまうほど
でしたから、大好きな梅干を断ったら、合格できそうだと思いました。
(神様だって「合格お願いします」
ただ頼まれるよりは
「好きなものを我慢します。努力します」
そう手を合わされたら、お情けも出てくるというもんです)
こんなことをつい3日前、授業で話をして
「さて、私に携帯を入試まで預ける人はいますか?」
持っていない人が半分、持っているが半分。
しかし、これは家族の問題でもある。深入りはできないが、
なければ、ないで勉強に専念できるはず。
手が挙がった。
預けます。最近やる気になってきたN君。
もうひとり!
携帯を預けるのはきついっす。そう言っていたG君。
おお!そうですか!そうですか!
うれしいのとその心意気にじわっと熱いものがこみあげた。
二人に同じような手紙を書いた。
「あなたの携帯を毎日握りしめて、合格を祈ります。
あなたの携帯を大切に大切に入試が終わるまで
預かります。
がむしゃらに願いが叶うように勉強してください」
合格したい一念は強い覚悟と我慢を強いたくなる。
そうせずにはいられなくなる。
テレビをまだ見ている人は?
あたりを見ながらちらほら手が挙がった。
テレビは受験が終わるまで見ない。いいですか。
はい、
ほんとよ!
入試が終わってテレビを見たらどんなにうれしいか!
全員の「はい」の返事が聞こえてきたが、
内心、心配です。2,3時間は平気で見てしまう自称テレビっ子がいます。
携帯は預かれるが、
テレビを預かるのは・・・・・・無理かぁ。
ですよね。
今年は31期生、30年を一区切りに初心に戻ろうと思っていました。
とすると31期生は、30年と1年目の、花の1期生ともいえる。
1期生のときはひたすら朝から晩まで夫と祈った。
でもなにも我慢しなかった。
あの時と同じように
30年と1年目、開塾1年目そう思って
全員合格を祈念するなら
なにかを我慢する。
ビールは明日の栄養源なので、酒断ちは勘弁してもらうとして
長年の大好きな真っ赤な親友の梅干を断とうと思っています。
お日さま、お月さま、風神さま、雨神さま、
大津の母が祈り通した金光さま、ご先祖さま、
八百万の神さま、
そのすべての
神様へ
梅干、我慢します。
玲子