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2011年11月 アーカイブ

2011年11月 5日

秋ですね・冬ですね

カレンダーを見て驚きます。あと2枚です。秋も深まり、もう冬ですね。

1年はあっという間。

ついこの間、私は、小学生だと思っていたのに、中学の卒業式を終えたと思っていたのに、

成人式の着物、結婚式、

なんでもかんでもついこの間、だと思っていたのに。

最近思います。

まだ心の中に小学生の私がいて、中学生がいて、いまだに親になったなんて信じられない。

考えると、なにもかもあっという間、子どもの頃は大人になるのは遠いことだと思っていたのに、

2枚のカレンダーを見て、人生午睡の夢か、ふいに思います。

感傷はこれくらいにして、人生まだまだ!これから!

新しい年になったら12枚のカレンダーが待っています。

 

9月18日、19日

支援塾合宿がありました。

塾の仲間と1泊2日、卒業生の昌ちゃんのところ、

二口磐司山荘。

震災後初めて、夫がやっと

無事を確かめた大船渡のTさんに会えた。

会えてよかった。顔を見たら泣いてしまった。

大阪、姫路、東京、から16名参加。

震災後、ずっと案じていてくれていた人たちが、

みんなで駆けつけてくれた「合宿」という感じがする。

大阪の親分が周防のKさんを紹介しながら、

「震災の東北に何もできない、何かしたいって言ってたけど、お前、することができたよって言ったんだよ」

(仙台に行こうということなのですね、お痛みかけまして)

創設者の八杉先生の奥様の

悦子先生にも会えてよかった。お元気で、お美しく、ちっとも変わらない。

支援塾の皆さんとは、

住むところは違っても何十年も同じ道を歩いて来たような

友だち兼仲間という気がする。

私たちと同じ、皆、一匹狼の塾を生業にしてきた人たちです。

何を言っても共感する。

塾で子どもを教える思いは

黙っていても、わかってもらえそうな、そばにいるだけでとにかく心地よい。

夜、夫が二口の山の空、辺りにネオンもない夜空に花火をあげた。

真っ暗な闇の空に

ヒューンバーンと赤青緑、金色の花火が勢いよくあがった。

何発も何発もあがっては吸い込まれた。

美しかった。

何も言わずじっと見る人、きれいだとつぶやく人、

こんなこと予想もしなかったね、夫を見つめている人、

同じ花火の夜空を見た。

心像というものがあるなら、あの夜空は消えない。

忘れない。

 

盤司山荘の昌ちゃんが、自分で打った手打ちそばを出してくれた。

いろいろと挑戦しているのだ。客に出せるようになるまで大変だったろう。

食べてみたら、なんとまた、これがおいしい、おいしい。

温泉の湯でそばを茹で、近くの湧き水でそばをさらすからねえ、と昌ちゃん。

へえーっ!

だからおいしいのね。

朝早く私が車でポリタンクに湧き水を汲んでくるんですよ、と昌ちゃんのお母さん。

水の良さは香りとなってさわやかな匂いが口に広がる。

すごくおいしかった。また食べたいです。昌ちゃん!

 そしてその気働きには感動でした。

客の用向きには笑顔、廊下を走ってなんでもしてくれる。

「キンカンある?昌ちゃん」

待って下さい、玲子先生すぐに持ってきます。走って持ってきてくれた。

私だけではない。その日の客すべてに誠心誠意。

昌ちゃんのお母さんもにこにこ笑顔で、あたたかい。

次の朝には黙って花火の後始末もしてくれていた。

亡き父の山荘を、二口温泉の地元に溶け込んで守り、

山荘に来てくれた客を大切にもてなす、Tシャツの汗で滲んだ背中、

走る後ろ姿に

涙が出た。

支援塾の参加者全員が、昌ちゃんのさりげない心のこもった接客には感心していました。

人は見ているものですね。

小学生の頃から優しく賢かった、昌ちゃん、また行くね。

手打ちをそばを食べに、

さらに

いい男になったあなたに会いにねっ!

 

10月14日

小袁治師匠の落語会。今年は柳家小菊師匠の音曲もあった。

三味線です。

音色にはやはり日本人の郷愁があります。

沁み入る。

塾の生徒も大人になる。いつか、聞いた音曲というものを

思いだす時があったらいいです。

音は住みつくものですよね。

師匠の「猫の災難」で大笑い、「鼠穴」は夢でよかったとホッとする。

どちらも深い味がありました。

真面目に生きるもいい。でも深刻にならずに笑い飛ばせる一席は

人生を気楽にしてくれる。

落語もまた心に住まう気がする。

「一度どこかで聞いた」

秋の

降り出した雨の夜の

師匠を

子どもたちが

大人になって

思い出すときがあったらいい。あるにちがいない、毎年きまってそう思います。

 Reiko

 

 

 

 

2011年11月10日

小学生の国語の授業

卒業生の皆さんにはたまに通信をお届けしたいなと思う事があります。

夫の手書きの通信はブログに転載できませんが、最近書いた私のものならと思いまして。

 

小学校から通っていた皆さんは覚えていますか。

「いろいろ・かるた」

野菜、魚、ことわざ、四字熟語のごちゃごちゃかるた。

今も小学生にかるたは人気です。4時半に授業が始まって、

「あと何分でかるた?」

「何時頃、かるた?」

ちゃんと勉強してからあとで言います。

5時を過ぎるとまた、「あと何分?」「何時頃?」

 

南瓜、糸瓜、俎板(まないた)向日葵、百足、

(私の好きな)麦酒!なんて言ったりして......

 

最後に残すからでしょうか。

相変わらず、一番人気は「木乃伊」(ミイラ)「土竜}(もぐら)

 

あの時間は私も楽しかった。今も楽しい。

何枚とった? ああ、負けた。

「あのね、この時間は......」私が言う前に、

「わかってます、勉強です」

「勝った負けたではない、そうでしょ、先生」

そうです。

 

以下、そんな最近の国語の授業の様子を塾通信に書いたものです。

懐かしくお読みいただけたら嬉しいです。

                                 

 

(11月号通信より)

「小学生の国語の授業」

夏休み以降は十月まで二カ月、漢検の準備で漢字漬けでした。まず、今の実力をはかるのに、過去問をしてみます。

 

さて合格点に程遠い、級を下げるかどうか本人と話しあうと、なぜか下げる子はいない。「がんばります」と胸を張る。小学生はあまり無謀でなければ、希望通りにします。

忙しい中学生は言葉だけで終わってしまうことが多いものです。まして級も上になるとそれだけ難しい。

でも毎年感動してしまうのですが、

小学生はその言葉通り頑張るのです。

今年も一週間前の過去問では全員、合格点に達しました。

合格したい一心というのがあるのかもしれません。

漢検のお知らせの後に決まっていうことがあります。

「この塾では小学生の合格率は百パーセントです」

エーッ、それってプレッシャーなんだけど。

「なぜだと思いますか」

......どの子も首をかしげる。

「小学生は一生懸命にやるからです」

なあんだ、でも俺はムリ、ムリ。

そう言っていた子もやり出す。たしかにやらない子もいます。

「試験は小学生であろうと年齢は関係なく真剣に受ける、精一杯やって受けるもんです」と言ったこともありましたが、

結果はどうあれそれぞれに充分に力はついたよう思います。

 

小学二、四年/三十分以上も勉強をするとくたくたになるようで、休まないと集中できなくなるんです。

一口菓子でも食べて、後半のためにちょっとした休憩は不可欠。この時間が楽しい。

 授業の始まる前もそうだが、学校の出来事を一つ二つ教えてくれる。お父さんになになにを買ってもらったこと、時間がなくて給食を食べ残したこと、今日だれそれ君が担任の先生に怒られたこと。学校は疲れる......ということ。会話に一日の様子が見える。

 

休憩後は勉強すればかるたが待っているから二人ともやる気が出る。時計をひっきりなしに見る。

 授業が終わって帰るとき、卒業生の二世T君の挨拶。これがまたうれしい。できれば塾生全員に聞かせてやりたい。

 帽子をとってさっと一礼、ありがとうございましたーっ。

教室に響き渡る澄んだいい声。私に元気が出る。

 

小学五年生/人数も多く、それも卒業生の子どもたちが多くいる。親の顔が重なる。

子どもと親は違うものですが、でも面影はある。あのとき中学生だったのに母親になったんだ。ふと感慨深くなります。

皆さん、いいお母さんに、いいお父さんになりました。

 

なんの話からか、クリスマスのプレゼントが楽しみという話になった。つい「サンタクロースはいると思いますか」聞いてみた。いると思います。いません、あれは親です。

 

では「妖精はいると思いますか」わかりません。

ついでに「座敷わらしはいると思いますか」

なにそれ知らない。いるいる、見たもん。あたし。

「座敷わらしと会ったのならきっとあなたは幸せになりますよ」

いいな、いいな、あたしも見たい。

 

何かで読んだサンタクロースの話をした。

「サンタクロースはソリには乗っていません。

煙だからです。

どんなところからでも入れて、一晩が一年分の時間を持っていて、信じる子どもにだけやってきます」

うそだー。あたし、信じてみる。

 

授業を変更した。

「こんなふしぎなことがあったらいいな」書いてみませんか。書く書く。いい作文ばかりだった。

 

(かわいい女の子がにこっと私を見た、座敷わらしを見たというKちゃん。私も信じます)

 

(妖精も座敷わらしもUFOも見たことはないけれど会ってみたい。Nちゃん)

 

(本当にあったばあちゃんの話、家に犬が入ってがりがりと音がして畳が荒らされた。ばあちゃんがそれを見て、これが本当の座敷あらし。Y君、うまい!)

 

(妖精座敷わらしサンタクロースに会えたらいいです。子どもの頃にいろんなふしぎを見つけて友だちに自慢したいです。Y君)

 

(サンタクロースの写真をとることに成功した。サンタクロースはデタラメではありません、Kちゃん)

 

(朝一番の水を西に置くと助けてほしいときに助けてくれる妖精がいたらいい。K君)

 

(家族が悩んでいるときに悩みを聞いてくれる虫が欲しい。なぜほしいか。それはお父さんの単身赴任が決まってお母さんとの二人暮らしが始まるから。お母さんのことを心配している、Y君)

 

中には不思議おとぎの世界を、はなっから嫌う子もいる。でもそういう子も耳を貸さないわけではない。

お天道様もお月様も風も雨も神様で、国中の八百万神を信じればそこに不思議は起きる。

妖怪辞典があるのも妖精辞典があるのも、きっといたんだと思います。今もいると思います。

世の中が変わってしまったから身を潜めているのかもしれない。

もしかして木の陰からあなたを守っている妖精がいたり、かわいい座敷わらしに会うことだってあるかもしれない。

 

ドラエモンやゲゲゲの鬼太郎はそれを信じた大人があなたも信じてと願った作品だろうと思います。

 

次の国語授業の日に「先生、また作文書きたいですー」座敷わらしを見たという、Kちゃんが言った。

 

小学六年生/少し大人です。中学になる前に品詞を今勉強しています。物の名前が名詞です。わかってくれた。

 

動詞、形容詞、形容動詞もちょこっと。「悲しい」この形容詞に「さ、み」をつけて悲しさ、悲しみ、こうなったら名詞になります。

そこで混乱。

じゃあ、悲しいのさ、悲しむのさ、名詞になる?

 

それは形容詞と動詞に助詞がついたのです。

言えばますます混乱しそう。来週もう一度ね、名詞に「さ」ってわかんなーい。なんだかごちゃごちゃするー。

そうですね。話を変えましょ。

 

「悲しいと言えば、あまりに悲しくて死の国、黄泉の国に行ってしまったイザナギを知っていますか」

知ってる。本の好きなH君が言った。知らない、なにそれ。

 

それでは古事記から。

イザナミ(妻)を失ったイザナギ(夫)が黄泉の国に会いに行く。あちらの食事をとってしまったから現世の姿はもうない。

見るなと妻が言うのに見てしまう。

怒ったイザナミ(妻)は、よくも見たな、と襲ってくる。恐怖のイサナギ(夫)は必死で妻から逃れる。

黄泉比良坂(よもつひらさか)のくだりを話した。

 

H君が「僕が読んだ本にはイザナギは楽器の演奏がうまくて、悲しいからそれを弾かなくなって他の神様が黄泉の国に送ったって」

いろんなものをよく読んでいる。

 

これが本当の古事記ですと古典を見せた。H君「見てもちんぷんかんぷん」私もだけど。

 

イザナギが黄泉の追手を逃れるために大きな石を埋めたところまでかいつまんで話した。

それが今でもあります。どこ教えてください? 来週ね。

 

次の国語、島根県の松江市にある黄泉比良坂を紹介した。

 

イザナミ(妻)は、見るなと言ったのに醜い顔を見られて叫びます。

「毎日千人の人を殺してやる」

イザナギは「毎日千五百の人を産ませてやる」

それが千引きの石(ちびきのいわ)で残ってます。

 

汚れた身体をイザナギが洗って様々な神様が産まれて......皆真剣に聞いてくれている。

それでどうなったの? それは来週ね。

よっしゃ、楽しみだ。A君がガッツポーズ。

 

不思議も好きですが、意外なこと、歴史のこと、関心が出てくる年頃なのですね。推理物にも俄然興味が湧いてくる。

 

国語の力は教科書ではない。漢字だけでもない。

まんがも必要、映画も音楽もお笑いも、絵やスポーツや舞踊だって育む。ごった煮が国語力のような気がします。

                                                   玲子 

 

後日

漢検の合否が届きました。

今年も

小学生は100パーセント合格。

高得点続出!昨年は満点合格が一人。

今年も200点満点中、194点、180点以上が数人

合格点140点を全員が20点30点も上回っていました。

やはり小学生はすごい!

 

今北玲子

 

2011年11月12日

いの一番

高校生クラスのMちゃんの大学が決まりました。

いの一番です。

 3年間高校生クラスに通い、こつこつと勉強していました。

 

中学の志望校選択には婉曲に「この高校でいいのか?」

だいぶMちゃんに聞いたものでした。Mちゃんの当時の実力からして

志望校は偏差値を下回っていたのです。

正直言って、もっと上の高校でもいいのに、

過信しすぎで実力以上の高校を志望するのも心配だが、

その逆というのもどうか。

でも、やりたいことがある、Mちゃんは揺るぎませんでした。

合格はわけないが、その後、3年間、不満は起きないだろうか。

高校生活がつまらなくならないだろうか。

しかし3年間、元気に、そしてよく勉強しました。

今年になって小論を練習したい。第1志望には論文はないが、もしだめなら、

次の大学には必要なのだと。

 

その第1志望に合格した。

15歳の高校の偏差値など、どこ吹く風でありました。

お母さんが挨拶にお見えになって、

東京の大学で

倍率7倍強、学力順の全国上位20数名の狭き門、とのこと。

そんなこと、初めて聞きました。

さらにバッグから

3枚の成績表が机に並び、順位が3,1,1,1......入学時の3番以外、

3年間、すべてトップ。

夫と目を見張りました。Mちゃんは高校生クラスに通っていましたが、

一度も私たちに言わなかったんです。

試験が終わるたび、

「どうでした?」

「まあまあでした」

 

無遅刻無欠席、これにも驚き。難しい大学に合格しただけでなく、

自分の選んだ高校でやり抜く決意だったのだ。

お母さんが、

「娘の合格は、高校の先生から後輩の励みになると言われましたし、娘はどうしてもこの大学で勉強したい、と言いまして、参考書ひとつ買わなくて、今北先生が言うように教科書を何度もやると言いまして」

そうですか。

「塾で基礎を教えていただきました。だからやれたと思います」

そんなこと、Mちゃんの実力です。

3枚の成績表の順位が涙でかすんだ。

娘の福を中3の皆さんにお分けして、頑張ってもらいたいと思いまして。

紙袋から、大きな大福がいっぱい、

早速中3の授業で、これこれしかじか、

すごいなあ、甘いものが苦手な生徒も、

それは食べる、という具合で皆で御馳走になりました。

高校ではない、そう思っても偏差値がプライドが、

親とすれば、そこでいいの?

思うのは人情です。

でも人生はわからない。改めて思いました。

 

子ども次第ですから、この子の受けたいところでいい。

そうだろうか、と思う。大事な志望校を

親子でああでもないこうでもない、

そのやりとりで子どもなりの高校の選択の過ごし方が見えてくるような気がする。

Mちゃんがトップを守り続けたのは自分で選んだ高校の意地もあっただろう。

あなたのプライドだったと思う。

 

Mちゃんの合格を指折り待っていた人がいる。

夫です。

高校時代を卓球で過ごし、インターハイを逃したことを今でも夢に見るそうな。

いつ決まるの?

 Mちゃんが、「東京がだめだったら11月です」

11月ねえ。

  

Mちゃんの大学が決まって、

高校生クラスが終わる10時過ぎ、

教室の廊下にひっそりと立てかけられている卓球台を一人で

セッテイング。

いい年して、

苦笑したが、

顔が若返っている。

 

夫が言いだせないでいるから代わりに聞いた。

Mちゃん、ラケット持ってきた?

はい。

 

そう、高校時代にやりたかったことは強い高校に行って卓球をやること。

Mちゃんは

市内で県内で名だたる卓球の実力者。

ここ数日、

夫は卓球台を持ち出して、壁打ちをして勘を取り戻すことに余念がなかった。

 

ありがと、Mちゃん。

いえ。

二人、の卓球が始まった。

ごめん、打ち損じた球を夫が詫びる。

いえ、

「血圧あげないでよ」

「あがるかそんなもの」

決まらなかったボールに、

Mちゃん、ごめん。何度も詫びる夫。

いえ

Mちゃんの夫への気遣いは、「いえ」だけだけど、優しい。

だめだな、足が出ない。

しきりとぼやくのは夫。

 そうでしょ、幾つだと思っておりやすか。

 

「ねえ、見においで」

明日、推薦入試の、高3から入塾のYちゃんに声をかけた。

高2から高校生クラスに戻ってきたうれしい、A君にも。

そこにアシスタントの二人。ギャラリーが増える中、

快音が響く。

Mちゃんは手を抜いているのがわかるが、

夫は真剣だ。

コンコンカンカン、見ていても二人が上手だというのがわかる。

 

高2のA君が、

「今北先生の

真剣な顔を見たのははじめてですね」

「教える人間はたまに教えられるのがいいのよ」

のんきに言ったが、二人は時代を超えて真剣だ。

 

高校時代に卓球で明け暮れた夫の18歳が見えるようだった。

坊主頭であんな顔をして過ごしたのだと滋賀の高校時代が目に浮かんだ。

18歳のMちゃんの現役に無謀とも思える夫だが、

「好きなことをしているといい顔」

声をかけた。

そんなこと言ってる場合じゃない!

 

ラリーは続いた。

Mちゃんが15歳で譲れなかった高校の卓球、

電車で動体視力を養うために

つま先立ってつり革につかまった夫の18歳。

 

夫はへろへろで家に帰って来た。

よござんした、

 

あたし、新婚時代にふと思ったことがあります。

夫と25歳で知り合ったのなら、この人をわかるに25年はかかるかも。

ひとけたの新婚時代も、それが同居ふたけたになっても

子育ても、塾も、

なんだか、違うの、の連続。

夫婦といえどわからない。

開業して33年、出会ってほぼ40年、

25年を越えまして、

 Mちゃんが合格したら、本気で卓球したいんだな。

ちょびっとそんなことわかるようになりました。

でもあと2割がたは、謎。

それもよござんす。

Mちゃん、

あたしより先にわかってくれて、

夫につきあってくれてありがとう。

そして

高校の差はない。

Mちゃん、やりましたね。合格おめでとう。

玲子

 

追伸

卓球の

ギャラリーだった高3からのつきあいのYちゃん

1年間小論を書き続けました。

第1志望の合格が決まりました。

「玲子先生、ありがと」

誰かの役に立てればうれしいです。

それもこれも丁寧に教えるアシスタントのI君のおかげ。

感謝。

最近は

高校生クラスは卒業生だけではなく、

中学時代を知らない、高校生からという入塾も多くなってきた。

 

卒業生の弟Y君もそのひとり。

中学時代は、塾に入らないって言っていたのですが、

高校生になったら塾で勉強したいって言うんです、とお母さん。

喜んでお引き受けした。

そのY君も、二人の卓球をも黙って見つめて笑っている。

誰ひとり喋らない、質問以外は黙々と勉強する

しんとした高校生クラスは

もうひとつのホクソウシャになりそうです。

 

今北玲子

 

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