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つぶやき 2012 書き忘れたことがありまして

2012

某月某日

小学4年生の国語、

休憩がてら「今日の給食はなんだった?」

 

つい聞いてみたくなる。給食にはなにやらご縁があるもんで。

「今日はジャガイモと緑色のなんだかわかんないけど、

つぶしたどろどろの変なやつ」

おいしかった?

「全然、おいしくなかった。

給食って栄養のことしか考えてないんだよ」とK子ちゃん。

「良薬口に苦し、なんだよ」とT君。

「それってちがうんじゃない?」とK子ちゃん、Cちゃん。

ことわざはいろいろ覚えたのね?

覚えた。

例えば?

Cちゃんが

「医者も信心から」

あらら、

「鰯の頭も不養生」

あらら、らっ、

それを言うなら、

鰯の頭も信心から、

医者の不養生。

 

でも

時代に合わせるとそれもありかな?

どんな医者も信ずればこそ。

鰯だって悪環境で不養生はあるかもしれない。

気になって次の授業の時、

鰯の頭も?

信心から。

医者の?

不養生。

よかった、覚えたね。

玲子先生、あたし、冗談で言ったんだよ。

なるほど、

当意即妙、

おみそれしました。

 

某月某日

いつもより早く来た中3のA君、

「玲子先生の、黒板に書いているやつ」

「見たの?」

うん、 

昨日の小学生の授業で、口癖を禁句として黒板に書いた。

問題を見るなり、まだやってもいないのに口癖になっている小学生がいて、

(わかんない、できなーい、ムリムリ、、めんどくさい、

 もう、おれ、人生終わった)

やる前から投げ出す、自己防御のあれこれ。

禁句にした。

それと、もうひとつ「私語厳禁」

よく書く。

不思議なほど効果があるんです。

お喋りはしないでね、肉声よりよほどいいんです。静かになる。

「思い出すな、小学生の頃、玲子先生よく書きましたよね。私語厳禁」

「そうだったね」

「すごく懐かしい」

中学生が小学時代をこうも懐かしく思うものなのだろうか。

 

ふと、

「人生、午睡の夢、かもね」

「午睡って?」

「昼寝ってことで、あたしも15歳はつい昨日だった。

あっという間の人生、高校入試だって、

終われば、なんだ、こんなことだったのか、思うよ、きっと。

入試で、だれかに取って食われるわけじゃなし、

あっという間だから、大事に大切に勉強してね」

 

午睡の夢といったって、15歳じゃ皆が皆、わかるまいが、

小6から中3、わずか4年といえど、A君は小学生が懐かしい、ということは

もはや自分は「わかんない、ムリムリ、めんどくさい」

嘆いたあの頃は越えたということだ。

朝起きて、夜寝て、重ねる日々は子どもを知らず知らずのうちに

大人にする。

 

私が15歳の時、すれ違う小学生を見て、懐かしいなあ、

振り返ったことなどあっただろうか。

過ぎた時を見るのはずっと後のことだった。

 

新婚の二人の初々しさや、

赤ちゃんを抱いた若い母親。

あんな時もあった、懐かしくて、じんと来ることはある。

 

ぬくもり、ふわふわの赤ちゃんの身体、

時は瞬く間に過ぎるなんて思わなくて、でも実際は一陣の風のように過ぎて、

子どもが大人になって、じんわりと後悔がやって来る。

あの時、ああすればよかった、あんなことで叱らなくともよかった。

胸に収めた写真は、子どもが泣いた顔のまま止まっていたりする。

 

でもA君はまだ15歳、

懐かしむ年齢ではないが、過ぎた時間を見る力があるようだ。

振り返ってはならない過去、変えられない過去、

前を見ようではないか。

こぞって言うけれど、

振り返ってしまう。大人だけではない、子どもだってそうかもしれない。

 

 「玲子先生、懐かしいですね、思いだします」

そうね、

 

高校生になっても中学生の気持ちを忘れない、

大学生になっても、高校生の気持ちを忘れない、

恋をして、結婚して、親になって、

自分が子どもの頃の気持ちを忘れない大人になって下さい。

 あなたにはその才能があるような気がします。

 

あなたが早く塾に来たから、

私語厳禁、と書いてあったから、

会話ができた。

ねえ、いつか

私とつかの間、喋ったことを、

あなたが大人になって、

懐かしいな、中3のとき、教室には誰もいなくて、あのとき、玲子先生は人生午睡の夢って言いましたよね。

午睡ってあのとき、初めて知ったんですけど、ほんとにそうですね。

あたたかく、懐かしく、

思いだしてくれるいい男になっていますように。

 

某月某日

家に電話が鳴った。塾からだった。

「玲子さん、Mちゃんが来てる、お母さんも」

はいな、サンダルをつっかけた。

 

教室のドアを開けるとMちゃんと涙で真っ赤な目のお母さんがいた。

「玲子先生、今日は卒業式で来ました」

12月のこの時期に? どこの?

「北剏舎の、(私たちの)卒業式です」

退塾ということだ。そっか、進路も決まったし、よかったね。

「卒舎式を2回かな」

笑いながら、泣いていた。母も娘も。

 

Mちゃんは高1で中退した。両親の即決だった。

いじめにあったのに高校はなんの対応もしてくれなかった。

「高校はやめなさい」

即決の母親に当時16歳のMちゃんは

「えっ、やめんの、あたし」

 無理もない。入学したばかりの高1の5月や6月です。

それにMちゃんは高校を辞めたいとは一言も言っていない。

ただ、高校に行くのがつらい、学校は何もしてくれない。

それが悩みだったのに、母の横顔を見て驚いて言った。

 

両親の決断は早かった。

「お父さんとも相談してね、高校はやめた方がいい。あの高校はもういい。なにもしてくれない。身体でもこわしたら取り返しがつかないでしょ」

 

今も思う。

親の判断は時として、相談に余地のない、直感、本能に類することがある。

不登校の相談のときはまさにそうだ。

もはや覚悟の上で、

「子どもの命と学校を引き換えにするなんてできない」

「子どもが学校に行かないで家にいて何故悪い」

「学校に行かなくともできることはある」

 でもこれからのことが心配だ。勉強はどうしたらいいか、

高卒の資格はどうしたら取れるか。

 

常識をもってしても、常識にとらわれない親御さんをたくさん見てきた。

Mちゃんの家族もそうだった。

 通信制高校のことを知らせた。

「そうね、通信制に行って、あとは今北先生の所に通いなさい」

 16歳の進路はそれで決まった。

 

Mちゃんのお母さんは涙をぬぐいながら、いろいろと思い出したのかもしれない。

「玲子先生、普通ってなんだろ。娘は高校を辞めて普通じゃないけど、

レポートもきちんと遅れずに出したし、アルバイトもしたし、

中学校よりすごく勉強したし、(家にいるからって)流されなかった。

それって普通だよね。

・・・・・・通信高校の先生方って、引きあげよう、引きあげようって

有難かった。それってすごいですよね。

学校って、落とそう、落とそう、そればっかりじゃないですか。

でも通信制は違う。なんどでも引きあげよう、赤点をとっても、

娘はそれはなかったけれども、

その子をなんとか引き上げることだけを考えてくれて、

すごくないですか」

すごいです。

 

それにもっとすごいのは、

Mちゃんの勉強量は中学の3倍4倍で、レポートの評点は

ほとんど、A,すごいねって、夫と感心したものだった。

整理されたフアイルは見とれるほど美しく、

同じ方向に

同じ折り方で、何がどこにあるか一目でわかって、

何度も貸してもらって

午前クラスの人に見せた。

「こんな風にしてね」

 

Mちゃんの毎日は塾と通信制だけだったが、

途中からアルバイトを始めて働きだした。

午前のクラスに来て、Mちゃんが言った。

「先生、大学生が昼間の3時から、スパゲテイとかわいわい食べてなにしてるんだろ? 」

 

働いて見えることはあったのだろう。

「学生なら勉強しろって、親のお金を使ってなにしてんの。

勉強しろって、ねえ? 」

ほんとだ。

「おかしいよ」

そんなことも言うようになった。

 

自分の目で見たことだ。

おかしいと思ったことだ。

 

Mちゃんは進路を決めた。

人が幸福になる仕事をしたい。ブライダルの専門学校に入学を決めた。

 

「いい仕事を選んだよね、Mちゃん」

お母さんも、

「私もそう思います。それにこの子が選んだんだもの」

今回は当時の16歳とは違う。

娘の希望を優先、尊重した。

この子が選んだことに間違いはない。

そう親に言わせるMちゃんになったんです。

 

「これ、今北先生に」

夫には甘いお菓子。

「これ、玲子先生に」

小さな車、

「絶対、先生方にはこれっだって娘が選んだの」

Mちゃんの言う通り、

夫は意外に甘いものが好きで、

私はなんとも小さいものが大好きで、うれしいです。

小躍りすると

「やっぱりそうだったんだ」

お母さんが感心して言った。

Mちゃんは自信たっぷりに

「ほらね」

 

所属しないって大変なことです。

行くところが通信制と北剏舎と、アルバイトのお店だけなんて、

10代は友だちがいて、笑って、下らないことを言って、

親をコケにして、ぐだぐだと時間を過ごす、

いわゆる青春という怠惰を認められた時期でもあります。

それが火曜と金曜の午前は北剏舎、土日は通信制、空いている時間はアルバイト、心痛まない親はいないと思います。

 でも時は過ぎる。

今日は演芸大会のある午後、

教室の窓から12月の薄陽が差していた。

みるみるきれいになったMちゃんの横顔に陽の光が差していた。

Mちゃんのお母さんも涙はかわいていた。

 

Mちゃんのお母さんは、

夫が開塾前に教えたゼロ期生の卒業生で、

中3から娘を預けてくれた。

「あたしは叱咤激励の叱咤はできるけど、激励ができないんだもん」言いたいことを言って大笑いする、今も若くて、はつらつの

母親と、

その後ろには、

娘が世話になってそして孫までも、と

漬物や煮ものをごちそうになった料理上手のおばあさんと、

午前のクラスに孫を迎えに来たおじいさんと、

しんと受け止めるお父さんと、

明るいお姉さんと、

あなたは流されようがないよね、ねっ、Mちゃん。

 

その後、小学生がMちゃんにもらった小さな車に

親指ほどの

私の好きな小さな動物、アヒル、ゾウ、アルパカ、カメ、ヒツジ

全員をのせることに夢中になっていた。

誰かが乗せようと言ったらしい。

 

「できた!」

まるで家族のようだ。

後ろっ、前っ、右っ、左っ、横っ、

Mちゃんのもらった小さな車に全員乗った。

小学生は口々に、

「そっとそっと」

「だめだよ、むりしちゃ」

「やさしく、だよ」

「そこは思い切って」

 全員を乗せて拍手をした。

 

ご縁で乗り込んだ

Mちゃんの家族が

それぞれの場所で、誰も落ちないように

上になり下になり、

仲よく笑っているような気がした。

 

Mちゃんも

そこは危ない、逃げなさい、両親の声を信じ、

通信制で勉強してきちんと卒業する、そう思っていたと思う。

小学生の国語の問題文で見つけたものです。

この言葉はいいなあと思って、

Where is a will,there is a way.

(意志のあるところに、道は開ける)

塾の掲示板に張ってある。

 玲子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年1月 9日 22:29に投稿されたエントリーのページです。

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