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祭りのあと

3月8日

全員無事に受験を終えました。

何よりです。よかった、ほんとに。

中2は飾り付けをしてくれて、今年は入場から退場までの

シュミレーションまでしてくれて準備万端です。

 あとは苦手な掃除を残すのみ。でもアシスタントがいるから大丈夫。

毎年すみません。

 3月9日

お蔭さまで掃除終了。アシスタントの皆様、ありがとうございました。

午後4時、卒舎式。

玄関から階段から教室のドア、天井まで

豪華なものではないけれど、

五色の花紙で花を作り、吹流しのテープがきれいです。

こんもりとした花々と色とりどりのテープと在塾生全員、ご父兄、

卒業生が中3を迎えた。

 感謝状を一人一人に渡す。

大手の塾が多い、この界隈で

北剏舎を選んでくれたご家族には有難く

感謝で胸がつまる。

ひとりひとりの思い出をたぐり、良さを綴り、

最後にはありがとう、ほんとにありがとう、と添えた。

学校の卒業証書は皆一緒だけれど、塾はひとりひとり違う。

あなたの良さはあなただけのもの。

そしてあなたがいることはすごいことだって思います。

誰もが愛しくて、愛しくて、感謝状を送りました。

 

次は中3から想いを書いたものをいただく。

どれもこれも温かく、夫も私もぐずぐずになる。

「先生今日はお菓子ある?」

「入試ってこわいよ、ほんとにこわい」

「もうすぐ塾が終わるから、みんな、日誌を書こう」

「卒舎式でマイクの前に立てるのかなあ」

 

中3の誰かの声が次々と脳裏に聞こえてくる。

ドアを開けた途端、笑顔のM子ちゃん、

帰るときは深々と頭を下げるY君、家は近いのになぜか遅刻、憎めないT君、

夫に堂々と物を言えるSちゃん、いいよー、強くあれ、

おっとりと心優しい習字特選のRちゃん、

一人でどこにでも出かけられる頼もしいMちゃん

塾の前まで本を読みながら歩いてくるSちゃん、

私と趣味の合うA君、数々の異名を持つ教授、R君、

転校は大変だったでしょ、我慢強いAちゃん、

心優しき力持ちA君、小児病棟で知り合った、清々しい少年T君、

今日で終わりじゃない。ずっとずっと、おつきあいください。

 

待ってました!小袁治師匠。

今夜の演目、「代書屋」

師匠は枕で

「今、読み書きできない人はいない。日本の教育はすごいですねえ」

それが当たり前と思っている、読み書きそろばんの徹底は日本の教育の

実はすごいところだなって、改めて思います。

祖母のことを思い出しました。

明治生まれの私の祖母はカナダで生まれ、7、8歳になった。

そろそろ読み書きをと日本人学校に入れられた。なにせ父親は

安政元年の江戸時代の男、女に学問はいらない。このくらいでいいだろうと

今でいう5、6年生に飛び級で入れられた。

当然、ちんぷんかんぷん「無学だべな、ひらがなしか書けね、漢字が書けねえ」

恥ずかしそうにして言っていた。

高校生になって祖母と同居した頃は私が代書屋だった。

70歳を過ぎてからだったろうか。老壮大学で勉強を始めた。

知らないということがいやだったのだと思う。

いくつになっても勉強をしたかったのだと思う。

玄関を出るときは風呂敷に教科書を入れて恥ずかしそうに、

帰宅すると一転、紅潮していた祖母の顔が

忘れられない。

学ぶ、とは自信とプライドが宿るのかもしれない。

「今日は、行っていがったねえ、おばあちゃん」

「うん、いがった、おもしぇがった」

勉強にうんざりしていた10代の私は、頬が薄桃色の祖母に

自分にはそれが欠けていると思った。

浜辺で打ち寄せる波に足元をごそっと

えぐられた気分だったことを思いだした

 

さて、落語。

今でいうなら、代書屋とは司法書士、行政書士。舞台は大正時代。

字の書けない男が箱屋に出す履歴書を頼みに来た。

生年月日と尋ねれば「旅順陥落ちょうちん行列」と答える。

一事が万事の珍答続出、代書屋の主人のあきれた様子、

真面目に答えるも的外れの男とのやりとりは絶妙で

師匠の前に陣取っていた小学生が爆笑していた。

師匠は、字も知らない、常識もない、なにを説明してものんきな男と、

なんとか履歴書を書いてやろうという代書屋の乗りかかった舟という気分を、

そこに人生の履歴という風刺も込めて、熱演。

腹を抱えました。

 

小学生が帰り、中1、2が帰り、名残惜しくも中3とご父兄が帰り、

すべてが終わった。

(ご父兄の皆様、

今日は、卒業式と重なり、お疲れのところ、本当にありがとうございました)

 

天井の飾り物さんたちを見上げた。

みなさん、ありがと、片づけますよ。ご苦労さん。

「・・・・・・」「・・・・・・」

天井の飾りたちが何か言っているようだが、小声で聞き取れない。

去年はあんなに「さあ、どうぞ思い切り捨てて下さい」と聞こえたのに。

今夜は片づけるな、ということだろうか。

「玲子先生、片づけましょうか」

去年の卒舎式を知っている季節アシスタントのMちゃん、

今年もこの日に合わせて手伝いに帰って来てくれた。

祭りの後は潔く、私がそう言ったのを覚えているのだ。

アシスタント全員で、去年は卒舎式終了後、きれいさっぱり飾りは撤去した。

「Mちゃん、中2がたくさんいるから今夜は、このままでいいよ」

「いいんですか、すぐにしなくて」

「うん、いいの」

気のせいか、大勢の飾りはまだそこにいたいような気がした。

 

3月10日、

教室の後片づけが残っている、身支度を済ませて、教室に向かった。

玄関を開けると、階段の両脇には両面テープで張った花々が、

教室の天井には花々の、それを留めた画鋲、50も60もあろうか、

長年使った卒舎式の看板をつった糸、落ちないようにと

これまた相当な画鋲30、40も残っている。

窓に暗幕代わりの黒いゴミ袋、4間分も外さなければならない。

仕切りのカーテンも外して、仕舞わなければならない。

トイレの飾りもある。

カーテンレールに結んだビニールテープ、30本近くも解かねばならない。

ああ、時間がかかりそうだ。

やはりアシスタントの手を借りて片づけておけばよかったかな。

後悔したが、昨日は昨日、振り返っても仕方がない。

みなさん、いきまっせ。きれいさっぱり、片づけまーす。

一応、上を見上げて飾りに声をかけた。

聞こえてきた。

「たまにはあなたがやるのがいいですー。どうぞー」

そういえば卒舎式はいつも誰かに頼んできた。

中2だったり、アシスタントだったり、

たったひとりで片づけることはなかった。

(そっか、そうだった。そうですよね、今年は一人でやりまーす」

机を並べ、上の乗る。天井に手を伸ばし、画鋲をはずす。

一つでも絨毯に落として塾生が怪我でもしたら大変。

慎重に慎重に。

だんだん楽しくなってきた。

画鋲を一つはずすごとに元の教室に帰って行く。

景色が少しずつ変わっていく。祭りの後って、なんか楽しいんですけど。

昨夜の温かい想いをたっぷり吸いこんだ花たちを、風船を抱きしめる。

気兼ねなく、中3の名前を呼んでみたり、

風船をバンと割り、自分で驚いたり、楽しい、楽しい。

天井の花を

一つはずし、なんとか塾をやって行こう。

一つはずし、夫と一緒にやって行こう。

一つはずし、中3のみなさん、いたらぬことも多かったです。すみません。

一つはずし、それなのに、みんなはありがとうと言ってくれた。

一つはずし、勿体ないことです。

つぶやくたびに教室が日常に戻っていく。

突然、くちゅくちゅと音がした。

飾り物さんたちの声ですか?

「ぽっぽ、ぽっぽ」

そうだ、昨夜、中3からのハト時計をいただいたんだ。10時を告げていた。

白いハトは羽を広げて、ぽっぽ、ぽっぽ、

まあ、可愛い。聞くのは私が初めてだ。

はじめまして。

あなたも今日から新しい仲間です。よろしく。

1時間ごとのハトの声に応援されて、仕事ははかどった。

4時間かけて

ぽっぽ、ハトが一つ鳴いて午後1時。

卒舎式前のいつもの教室に戻った。

 

椅子に腰かけて中3の想いを綴ったものを読み返すことにした。

文章と共に昨夜の声が蘇ってくる。

(一部ですが)

 

(正史先生は生徒が少し話を膨らませるとのりにのって

楽しそうに話を続けてくれるような方で先生のそんな授業は

とても面白かったです。

正史先生と玲子先生の言いあい、夫婦漫才、いつも

オチが面白く、いつどこでネタ合わせをしているのか毎回気になっていました。

先生方から学んだことは忘れずに、どんどん挑戦していきます)

330の瓶ビールのラベルに。

 

(少し変わった塾だなあと思いましたが、

通ううちに自分の生活になくてはならない場所になっていきました。

晴れた日も雨の日も雪の日も風の強い日も

いつも塾を開けて下さり、有難うございました。

学校からの帰り道、北剏舎の灯りがついているのを外から見ると

なぜかホッとして、その景色が大好きでした)

 

(私は今北先生の授業で年表作りが一番好きでした。

いつも新しい情報が入ると書きこむという作業が楽しみでした。

そして書いているうちに自分だけの年表になる過程も大好きでした。

最後に歌を歌います)

アカペラで歌ってくれた。普段は穏やかなあなたは

勇気あるなっ。

私たちのために歌う、という気持ちが

最高にうれしかった。心のこもった一度きりの歌、ありがと。

 

(私はこの塾で勉強と社会での生き方を学びました。

私は今まで勉強を避けてきました。しかしこの塾に入ってから

勉強は試練だということ、勉強することで大人になれることを感じました。

塾に入る前と今とでは自分の変わりようが正直、自分でもびっくりするくらいです。

私を変えてくれたのは今北先生と玲子先生であり、

この北剏舎という塾なのです)

 

(教室に入った瞬間から何か温かく言葉にできない独特の雰囲気が

教室にはあります。だからどんなことがあっても3年間

通い続けられたのだと思います。

ぜひぜひ、この雰囲気をこれからも大切にしていってほしいなと

心から願っています)

 

(中学校の友だちに「塾ってどこ?」

私はいつも「北仙台駅前」と答えます。でも皆、ここには気がつきません。

私は小学校の時に作った隠れ家を思い出しました。

親や学校の先生の目から離れて子どもの空間を作りましたが、

気づいた大人によって壊されてしまいました。

ひっそりと北仙台という人の多い所に立っている北剏舎。

北剏舎はずっと大切な私の宝物です。

私にとって(学校の)先生というのは「怖い」でした。

でもこの塾で今北先生と接しているうちにとても尊敬できる人だと感じました。

学校の先生が動くのははっきりいって口だけ、今北先生は口だけでなく、

私たちのために身体を動かしてくれる人でした)

 

昨夜の様子がありありと浮かんでくる。みんな、ありがと。ありがと。

あらっ

卒舎式のときは読まれなかった一枚の便箋を見つけた。

 

(正史先生、玲子先生にこの詩を贈ります。

 あなたが励ましてくれるから

山の頂にも立てる。

あなたが励ましてくれるから、

荒ぶる海も渡ってゆける。

私は強くなれる。

あなたの支えがあれば )

 

祭りの後の痕跡もないほどさっぱりとした教室で

意表を突かれ、泣いてしまいました。何度も読みました。

 

でも思ったんです。

私たちが何か、特別なことをしたのではない。

15歳のやわらかい優しい感情が、どなたかの素晴らしい詩を

贈ってくれたのではないか。

加速する大人への道を歩き始めていて、

私たちが来年も塾ができますように、

応援してくれているのではないか。

そう思うと尚更、うれしくて、うれしくて、テッシュ片手に

鼻水をすすってしまいました。

 

これはそのまま、あなたへ、

1期から33期生の卒業生のみなさんへ、

在塾生の小4から高校生クラスのみなさんへ。

 

「あなたがいてくれるから

あなたが見つめてくれるから、

ここで生きて行こうと頑張れる。

 

あなたがいてくれるから

足元照らす灯りにも

明日の風にもなって、

あなたと歩きたいと思う。

あなたが

あなたがいてくれれば」

皆さま、

拙い夫婦ですが、2013年4月からまたよろしくお願いします。

今北玲子

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2013年3月13日 21:39に投稿されたエントリーのページです。

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