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わからないのは皆おなじ

先週の春休み中の出来事。私用があり(殆んど遊びではあるが)、 米坂線(米沢―坂町)に乗っていた。

越後金丸駅を過ぎた頃、乳飲み子を抱えた一人の女性が、しきりに車掌に訴えている。ドアが開かなかった、と。どうも乗り過ごしたらしい。車掌がボタンを押さないと開かないことを説明しているが、納得がいかない様子。上りの電車でやはり降りられなかったので途中上りと下りがすれ違う山形県今泉駅で下りに乗り換え、折り返しの最中、また降りられなかったらしい。今泉駅ではボタン開閉のことを説明を受け乗り込んだと言うのだ。私はそこで気がついた。その列車、ボタンをおして開閉する車両と、手で開ける車両が混在しているのだ。一回ぐらいの車内放送ではわからないのは当たり前。ましてや西日本や都会からきた客なら初めてのこと。同情を禁じえなかった。日に数本しか走らないローカル線である。また折り返しの列車に乗られたのであろうか、あの親子。

そういえばその方は、ボックスを独り占めできるぐらいすいていたのにドアのそばにずっと立っていた。残雪の朝日連峰でも見てるのかなあと思っていたが、実は不安で立っていたのではないか。
私にでも聞いてくれたら教えたのにと思ったのだが、よく考えたら聞くことが出来たら何も問題は起こらない。親が子供を横にして、学校の先生にわからないとこを質問すればいいのに、この子は引っ込み思案で困ってしまいます。先生もいつでも質問にこいといって下さるのに、ね?と入塾の説明会の折によく耳にする。質問できない何かがあるのだ。「わかる」人にとっては、なぜ質問できないのだ、ちょっと聞くだけだろう、と軽い気持ちで、又は励ます気で言うのだろうが、人にはそれぞれ過去の出来事や経験で聞けない理由があり、他人にどうしても尋ねる勇気が起きない人もいるのだろう。塾でも同じだなあと日ごろの私の授業のあり方を反省させられた出来事であった。

追伸  二日前、携帯の機種を変更した。製造会社もP社からSH社に変わった。これが全くわからない。
送信ボタンもわからない。説明書を読んだら?と人は簡単に言うが、読むのにあれほど根気が要る本はない。だんだんストレスが溜まってきて投げ出したくなる。生徒に聞いたほうが早いとわかっているのだがこれがなかなか聞けない、私の性格?です。


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2007年4月13日 11:35に投稿されたエントリーのページです。

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