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卒業生  あと二人

6月9日 K君
「先生、結婚することになりまして。ご挨拶に伺いたいのですが」
「そう!おめでとう」
K君は塾生だが、それ以前からのつきあい。
25年前八木山に借家住まいの時、お向かいがK君の家。
5年八木山に住んで、通り町に越した。
当時、K君は5歳くらい。それから10年
「今北さんに息子をお願いしたい」
K君は八木山から北仙台まで通ってきてくれた。その後、妹も。
K君は文章の上手な、内に秘める静かな力を持つ、15歳になっていた。
第1志望合格は近所のお世話になったご恩返しできたような喜び。
高校卒業後、K君は「勉強するたびにわかる」
遂にお父様と同じ道、希望し続けた歯学部に合格した。
塾のアシスタント、高校生クラスも引き受けてくれた。

K君は愛する女性の隣で幸せそうで心から嬉しかった。
「お忙しいのにすみません」
「いいの。あなたの好きな人に会えたからね」
おめでたい席で涙は禁物。
やっきとなって、聞かれもしないのに、自分たちの当時の披露宴の話を喋った。
K君に「ついていきなさいね、あなたの選んだ人に」
「はい」
K君の伴侶に「K君はいい男なの。よろしくね」
「そう思います」
横でK君が照れて笑う。
12時きっかり、昼時を察して暇を告げていった。

6月19日を前に報告しに来てくれたのかもしれない。
ありがと。K君は私の好きなビールを沢山持って、
何も言わず、仏前に供えていった。
5歳のあなたと手をつないだことも、
幼稚園バッグのまま、家に顔を出したことも、
私のもう一人の息子、そして、私の愛する息子が
兄のように慕って、大好きだった幼馴染。

あなたと会っている最中、泣かずに頑張れたのは
K君、
あなたの笑顔がとても優しかったから。
ありがと。

6月12日 M君
「もう帰るって言っているよ」
「ええっ!すぐ行きます」
教室のドアを開けるといた!いた!
私達はM君を「赤い糸の君」と呼んでいる。
大学は東京へ、「身体に気をつけて」仙台で別れてまもなく、
夫が上京した。
広い東京で夫が駅の階段を降りる、なんと階段を上がってくる人は
仙台で別れたばかりのM君とお母さん。
感激と驚きの遭遇、M君からはがきが来た。
「先生と僕は赤い糸で結ばれている」
以来、「赤い糸の君」
M君が15歳、何としても入りたい高校があった。
周囲が反対の中、夫が応援したが、結果は出なかった。
不本意の高校に入学して心は晴れなかったのだろう。
北仙台駅を降りると、まっすぐ家には帰らず、教室に「ただいま」
当時、卒業生のご父兄にいただいたソフアがあった。
毎日が何となく面白くなかったのだろうと思う。
ソフアにひっくり返り、マンガを読んで帰る日は続いた。

大学生になって帰省するとM君とよく飲んだ。
飲むと、明るくて、夫に歯に衣着せない意見も言う。
K君のご両親は八木山から
塾の近くに越してきたかった私たちに
家を貸してくれた。

「玲子先生、あ!、あんまり変わっていない、よかった。
変わってたらどうしようか思ってたから」
「M君も変わっていない。若いね」
「玲子先生、いくつだと思ってんですか」
さっぱり、変わっていなかった。M君は今、松本住んでいる。
仕事で仙台に来たから夫の見舞いに来てくれた。
見舞いはいただけない、断ると、「それなら、今度来た時、
それで飲みましょうよ。ねっ!先生におごってもらうから」

これ、これ!この感覚!あなたに言われるとつい、うなづいてしまう。
M君の不思議な所、私達の気持ちを明るくして
じゃあね、帰っていった。

高校の時に、マンガを読んで
「じゃあね」って帰っていった時みたい。
「今北先生と僕は赤い糸」
そんなことを言ってくれたのは
あなただけかもね。
待ってるね。次の飲み会。
いい女性と暮していますね。
ジェットコースターの奥様によろしく。大好きです、奥様。
今北玲子

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2007年6月14日 20:47に投稿されたエントリーのページです。

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