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2009年1月 アーカイブ

2009年1月15日

成人式

教室のドアが開いた。

「今日、成人式なんで・・」
「オオーッ!」
夫の驚く声に振り向くと20歳の M君がにこにこして立っていた。
「おめでとう」
「はい」
「ありがとうな」夫がうれしそう。私も。
「いえ」
節目節目に必ず来る兄弟だ。
春には長兄が
「静岡に行きます」就職の報告で玄関に立っていた。

「兄ちゃんは元気か?」
「はい」
真新しいコートの胸元から紺のストライプのネクタイが見えた。
「いいスーツ、着てんな」
「はい」
夫に言われて
ひとつひとつ、私たちに見せようとコートのボタンをはずし始めた。
新調のスーツがあらわれた。
ご両親は律儀な優しいご両親でケヤキ伐採反対署名の時は
お客さんに説明して何枚を届けてくれた。
あなたも、夫に見せようと律儀にボタンに手を掛け、
ご両親に似て心根のあたたかい、いい青年だね。

「今夜は飲むの?」
「ええまあ」
M君は無口だが、式の始まる前にわざわざ、塾まで来てくれるなんて
なんと、嬉しいこと。
家業に忙しいご両親が「先生、成人になりました。見てください」
息子を塾に送り出したお気持ち・・聞こえてくる。

M君を見送ってまもなく、
「玲子さーん」
玄関から夫に呼ばれて
階段を降りると
あらまあ!
晴れ着のMちゃんとお母さん。
「先生、見てください。」
着付けを終えたばかりのほやほやの美しいMちゃんが玄関で笑っていた。
「先生、姉のときは大雪で来れなくて・・
でも、着物は姉と一緒ですから」
妹のMちゃんも
「同じです」
結い上げた髪は美しく、着物姿もうっとりの可愛らしさ。
なんて可愛いんでしょ。

15になる前に塾をやめたのに・・着物姿は中学生の制服に変わりかける。

「先生、ご心配おかけしましたけど、こんなん、なりました」
「可愛いねえ、なんて可愛いんでしょ!」
それしか出てこない。

お母さんが
「先生たちと一緒の写真、いいですか?カメラ、持ってきたんで」
玄関に3人並んだ。

(塾を続けられなくてごめんね)
「玲子先生こっち向いてくださーい」
「はい」
(それなのに、こうして来てくれるなんて・・)
「もう一枚」元気なお母さんの声。
「はい」
(あなたの役に立たなかったのに)
「先生、もう一枚」
「はい」
(塾をやめないで、思ったよ。きっと、私たちがいけなかったのよね、
でも、こうして会えるなんてあの時、思っても見なかった。)
「先生、念のためにもう一枚」
(この晴れ着姿忘れないね)
「今北先生、玲子先生、失敗したら大変だからもう一枚!
もっと娘に寄ってくださーい」
「はい」
(寄ります。あの時、寄れなかったは私たちかもしれない。
思いっきり今日はあなたのそばに寄りましょ!)

Mちゃんのお母さんは同じポーズの写真を何枚も撮った。
愛するわが子の20歳の喜びの・・・写真だものね・・
それにしても
やめた塾に成人の晴れ着姿の娘を連れてきてくれるなんて
Mちゃんのお母さんはすごいな!
あったかいな!
えらいな!

道なりの角の美容院を曲がり、横断する親子の姿が
見えなくなるまで
夫と見送った。

卒業生の皆さん、
あれー、成人式に行かなかった!なんて思わなくていいのよ。
とうの昔の、塾なんて、忘れたって構わない。
みんなが元気でいればいい。それでいい。
でも、誰かが覚えてくれたり、
会いに来てくれたり、それは有難いなって思う。

今北玲子

2009年1月31日

昨年のこと、
娘が帰宅して
「お母さん、
経済力はいるよね。でも、幸福はそれだけじゃないよねー。」
はい!
いらないとは言えませんが、それだけともねえ。
ワイドショーが連日報じていた、小室氏のスキャンダル・・

だいぶ前だ。
発車寸前で乗り込んだ車両はグリーン車で、
その日は番線のホームに若い女性が詰め掛けていて
デッキの若い人に野次馬で・・
「有名人が乗っているんですか・」
「TMN!」
名前も知らなかった。

とにかく、グリーン車を通り抜けて自由車に行かねばならない。
フアンが詰めかける、それほどの有名人なら
迷惑かけたら申し訳ない。
自動ドアがぷんと開いて、
誰がTMNやら訳も分からないが、
旅のお邪魔にならないように・・

ドアのすぐ前に
喧騒のホームに目もくれず
頬づえついて、車窓の仙台の晴れたポッカリの空に
夢中の
小さな男性が座っていた。
大きな目で小柄で
一人ぼっちの年齢不詳の人が目に入った。
スタッフだと思った。

小室哲也氏。随分あとでわかった。
My Rebolution 中村美里なら知っていたのに
後の祭り。

ぽつねんと空を見つめている人の横顔の
ネガ1枚が今も残っている。

小室さん、・・どうしているのかな・・
たくさんの音が身体におありかと思います。
元気出してくださいますか?

人生、わからないもんですねえ・・・
この言葉は好きじゃない。
成功してもなんにしても、一瞥の感じがする。

誰だって、幸福になりたい。
思いがけず、
人から大変ね、
言われることがあるのは仕方がないとして。


娘のような
適齢期の女性は結婚は波乱の幕開けで怖いのだろう。
この人と歩いたら
どうなるのだろう?


私は・・・・・
夫と付き合い始めて祖母に夫のことを話した。
当時、夫は学生なのに親の仕送りなしで仙台で暮らしていた。
「それは今北さんは偉い。私は所属しない、一人で生きている男が好きだなあ」
祖母に言われて
なるほど・・いい気持ちがした。

間もなく、夫の次兄が仙台に来るとあって、紹介された。
仙台の案内を夫に頼まれて、歩いて、話して、
「私はこの人の妹になれるものなら・・なりたい」
なんて、思った。

次に
両親に紹介したいと夫が言うので
大津にお邪魔した。
日本の母のような、切なくておおらかな方と
加山雄三の父、上原謙似の渋い素敵な方と
長男という人はグラフイクデザイナーで
お召し物がそこ、ここにはない
黒と赤、黒と青、すっきりとしたお姿で素敵な、心優しい長兄と会った。

そして、結婚してからだが、
夫の親友に会った。
大津の高校時代の悪友と紹介されたお二人は私に紳士に親切で
男気のある、笑いの絶えない、好ましい人たちだった。

更に高校、大学時代の付き合いの違う、もう一組・・
「これも俺の親友」
紹介された二人
お一方は信仰の真実を見つめる方で、
もう一方は絵の好きな、芸能人にでもしたいような面白い方で
それは大津の親友二人にも通じていて、
素敵な人だった。

更にもっと後に
夫の両親が金婚式で
家族で一泊、
「オレの後輩のホテルに行こう」
全員集合した。

ホテルの社長という押し出しのいい、高校の後輩なる人に会って、
その日の夜、
お座敷で広間で会食の時、
手洗いに立ったら
その社長が
壁に直立不動で立っていらっしゃる。
「どうかしましたですか?」
「いえ、今北先輩のご家族がお食事中ですから、ここで待っています」
なんという、先輩といったって数十年前のこと、
夫に
廊下で直立の社長のことを慌てて伝えた。

『いいよ、お前』
『いえ』

二人にしかわからない世界に
私は夫と出会えなければこの後輩という方とも出会えなかった。
意表の感動だった。

それにしても
その方は廊下で何時間も足元見つめ、
大きなホテルの社長は
仲居さんが通るたびに深々と挨拶されながらも
ひとり、
足元見つめて、高校時代を見つめて、
ひたすら先輩を慕う姿は
目に焼きついた。
人はふいと心に留まったこととか、
ぎゅっと飛び込んだ場面は
脳裏に生涯、刻まれることがあるものです。

その夜、
地下のバーで3人で飲んだ。
「伝説の今北先輩のご家族がお食事中ですから、
(食事が終わるまで立って待っているのは)自分にとっては当然」

初めて今北伝説を知った。
滋賀県でトップのうわさをもっていた夫は決勝を前にまさかのまさかで敗れた。
伝説の今北!だそうで、私は
初めて聞いた。
きっと、勝って全国に出場したらもっと上に行ったと思うから
後輩の社長ははいまだに憂い続けている。
夫は笑っただけだった。

夫は高2・・Uさんを殴ったんですと・・?
理由は霧の中。
その後、Uさんは決勝進出、
夫は準決勝で敗れているが、
先輩を超える快挙・・・

「先輩どうぞ」
差し出す後輩の社長のグラスが地下のライトに薄く光って美しかった。
私は横にいて一言も口を挟めなかった。
片方は殴り、片方は殴られたのに、
こうも過ぎてしまえば思い出で、しかし、思い出だけとも言えず、
縁だけとも言えず、
何か、二人をつないでいる。

人を好きになるって、不思議と思った。


私は若い頃、
モテナイ娘だったから
夫に拾ってもらったと思っているんです。

『・・しゃべんないの?』
やんわりのお断りの連続の19の春に夫と知り合って
『一緒にいるとほっとする」
私は誰かに認められたような気分で・・・世の中が明るく見えた。

(昔は
夫に怒鳴られると泣いて、反省していましたが、
今や、
叱られても
右から左の耳やら、
「だって・・」居直りやら
お茶がほしいな。
夫の声に
アラ!ヨット、おいそれとは持ち上がらない重たい腰やら、
食器洗ってください!聞いてあきれる頭を下げて、
徐々に
歳月には、図々しい神経を頂戴いたしまして、
あの頃
『一緒にいるとほっとする』
19の私は、
とうにどこぞに失せまして、ハイ・・・)

でも、拾われた私の結婚は
ずっと、
福と思っておりますんです。

夫と出会えなかったら、兄二人、ご両親、
夫の親友、後輩の方々にはお目にかかれなかった。

結婚は
兄弟、両親、友達
福・三ッつ
めあう二人は合わせて福6っつ
当人の縁を含めれば7つの福がついてくる・・・信じてるんですね。

誰も同じとは限らない。
七福も同じではない。

あなたの両親が
あなたの親戚が嫌いです・・
言われたらそれは悲しい。

もし、その人に
親兄弟いなくても、
一冊の本、一匹の犬、猫、鳥
誰かがその人を支えたり、励ましたりした方はいる。


「君はその時、どう思ったの?」
出会う前のあれこれ聞いてもらえたら格別ですよね。
逆に
「あなたは嬉しかっただろうね。
それは悲しかったねえ」
聞いてみたいもんです。


野の花は可愛いね・・
そうだね・・
朝日や夕日はすごいね・・
そうね、すごいね・・
同じ気持ちになれたら・・・いいもんです。

娘や息子に潤沢な伴侶を探せとは言わないけれど
かといって、清貧求めよとは言わないけれど
学を好み、趣味を頼みに楽しみ、
怠ける日もあっても、次の日にはせっせと働き、
酔った日があっても、誰かに迷惑かけた日があっても、
昨日は昨日、くよくよしないでお天道様を見つめて、
沈まず、
褒められても
そんなことはない!褒めた人がいいのです・・
人を悪く思わず、自分はだめだと思わず、
余らず足らずの
中庸の人生がいいな。

「だから、君とこうして出会ったんだね」
二人が出会うまでのことを
語らえる・・
そう思える人が
好きな人だったら
いいな・・

1月9日の
A君の結婚披露宴に夫は満面の笑顔で帰ってきた。
「今日はさー。A君がさーあ・・」
宇野千代先生!
『幸福は伝染する』
本当ですね。
夫は話が止まらない。
笑顔も止まらない。
「あいつはさーーあいつはねーー
がんばったんだよ。・・おれ・・うれしくてさ・・・」

A君、
よかったね。
あなたの大好きな愛する人によろしく。
あなたの幸福が夫に、それから、私に伝染でした。
伝染、には違いないけど、
幸福はきっと、人が人に運ぶのでしょうね。

A君、幸福にね!

2月3日  節分
中国では鬼神を敬い、遠ざける、それが『敬遠』の起こりだそうだが、
そこには、
自然を恐れよ。大にも小にも生き物を慈しみ恐れよ。
目に見えない魔も恐れよ。
かといって、鬼神や魔を恐れるあまり、祀りに走るな。
人を粗末にするな。
鬼神は敬って遠ざかれ、
「敬遠」には
孔子の戒めもあるそうで。

遠ざかるとは、ほどほどの距離だろうか。
敬って遠ざかるは、謙虚というものだろうか。

今日は節分。
鬼は外!(ごめんなさいね、いい鬼もいるのに。)
鬼とは私のうつむく魔だとしたら、

「福は内!」
福とは私の善だとしたら
歳の数だけいただいて、

「鬼は外!」
もしや、存外、図々しい鬼を住まわせた私を戒める日ではないかと
豆といったって、落花生をまきながら思った。


日本はもともと八百万の神々の国。
あと、1,2年で100年を越す曾祖母の使ったすり鉢を前にすると
ものにはものの神がいるようで心落ち着く。
太古から目に見えなくとも、ずっと鬼神はいるのではないだろうか。
たとえ、どんなお方でも追い払うなんてとんでもない。
お引取り願うだけです・・・

でも、
お引取り願うにも土産ぐらい、はね・・
「鬼さん、外に出たのはいいけれど、このさむ空です、
お酒を玄関に置いて置きます。気持ちばかり・・・」

今北玲子
(大好きなSちゃん、また、電話するね。)

2009年1月19日

お地蔵さん

暮れの恒例の忘年会のひとつに相馬家族ネットワークがある。
毎年、夫は欠かさず、いそいそ出かける。
私も一度お邪魔したが
お集まりの皆さんとは古いおつき合いだし、
なにより、Kさんご夫妻をはじめ、気の置けない方々で
それはそれは楽しい楽しい忘年会・飲み会なのであります。

今年はSさんから行かなかった私に、と土産をいただいた。
薬指と親指ほどの身丈のお地蔵さん2体。
道端にいる昔ながらの地蔵さまではなく、
Sさん手作りです。
ほうずき頭に
お着物はぐるりと巻いた布をまとっている感じの青銅のお地蔵さま。
小さいものが大好きで仏像もお地蔵さんも大好きな
私の何もかもが満たされたお二方で・・・

「まあ、かわいい!まあ、まあ、」
連呼していつもお姿を拝見できるように出窓にお二方を置いた。

親指地蔵さんはまっすぐに私と目が合う。
もう一方の薬指地蔵さんとは目が合わない、
上を向いているのです。

仙台に出張されたまっすぐに向く鑑真和尚のお姿を拝顔して
泣いたことがあった。
坐像の神々しさ、苦難の日々の重みに
大勢の人が見入る中、
「なんとか、生きよ」
和尚は低く言ったような・・気がしたが、
所詮、
こちらが聞きたい言葉を聞こうとするのかもしれないです。
勿体無くて、頭を下げて手を合わせた。

Sさんの薬指地蔵さんは
上を向いて、私とは目を合わせない。

「空を向いて!」そうおっしゃりたいのでしょうか?
出窓を開けて、真似して冬空を見たりする。
隣の、親指地蔵さんが
「空はどうですか?」
私を見る。

いいもんですね。
「そうでしょ」
上を向く、薬指地蔵さんは何もおっしゃらない。

いいコンビのお二人は
どうやったらこんなに汚くできるの?
誰もが言いたくなるような私のだらしない台所に
「もう少し、きれいにしたら?」
そんな
文句もおっしゃらない。

空を見るお地蔵さんに
つい、私も朝に夕に
真似て空を見る。

下を向かずにすむ。
うなだれずにすむ。
文句も言わなくてすむ。

Sさんの
心尽くしのお地蔵さん・・・
出窓のお地蔵さん・・

こんなところにようこそ!
朝の挨拶が今年からひとつ、
増えた。
歩けば、空を見ることも多くなった。

花でもぬいぐるみでも
そこに誰かがいるというのは
いいもんです。
まして、小さなお地蔵さんが家にいる・・・なんてね。

この間、
地蔵様を酒の相手に!と出窓からテーブルに場所を移して
より近くにおいでいただいた。
なんと、
上を見ていた薬指地蔵は私をしゃんと見上げるのだ。
合わぬ目がしっかり合ってしまった。
どうしよう!

テーブルに置いてみれば
私が見下ろす格好だから視線が合うのだ。

位置ですね。

小さなお地蔵さま、お話してもよろしゅうございますか。
「きっと、親は、子供が小さければ、こんな風に
目線は上だからあれやこれやというんですね。
子供が大きくなれば
それまでの目線では親子といえど
違ってくるんでしょうね。
それはいいことなんでしょうが、
私はどうも、
目線って
年齢関わらず
下から見つめられるって
ドキドキしますんです。

年端のいかない子供だって
同じ位置ならまだいいですが、
下から見つめられると
落ち着かないんですね。
しゃがんでしまいます。

見上げた方が気が楽なんです。性に合うようなんですね。
臆病なんですね。

夫が言っていた、Sさんのお地蔵さまを作るきっかけの言葉を思い出しました。
『親が逝って、日一日と私も会える日が近い。
お地蔵さんを作りたくなった』そうですよね・・

Sさんも私も100年も生きないでしょうし、彼岸のことを思うと
御仏が・・・慕わしく思えるのはわかる気がします。

さて、お地蔵様に見上げられると困ってしまいますので
お二方には元の出窓に戻っていただきますね。

そう、そう、
やはり仰ぎ見るほうが落ち着きます。

本当は『先生』と呼ばれるのも苦手です。
できれば、玲子さん・・と呼ばれたいですが、
(一度、卒業生のMちゃんが冒頭に『玲子さんへ』・・
卒舎式の後、手紙を書いてくれて、
そう呼ばれたいなんて一度も言ったことがなかったのに・・うれしかったですね。
この間、会いに来てくれてお礼を言いましたんです)
でも、
『先生』と呼べる人はほしいのです。あのほっとする響きはいいですよね。
そっか。
誰かがいくつになっても夫と私を『先生』と呼ぶ時、ほっとするなら
余計な希望は言わなくていいですね。お地蔵さま」


私の家に去年の暮れから地蔵さまがいます。
それもお二人。
一方通行の話を聞いてもらっています。
不躾にも,
ほどよく見上げるところにいらしていただきたく、
焼酎のビンにも、ポットの上にもキムチのビンにも乗っていただき
酒の相手をしてもらっています。
「なんの、なんの」と許してくださる(聞きたい言葉を聞いているのですが)
申し訳ないほど気さくな「ありがとございます!」のお二人です。
Sさん、いい方々にいらしていただきました。

今北玲子

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