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秋のおさらい 3

「玲子先生、Hです。こっちに戻ってきたから、ご挨拶に伺おうと思って」

「お嬢ちゃん?」

「定期的な、それもあるんだけど、それは大丈夫です。」

Hちゃんには難聴の娘がいる。なにか、あってのことだろうか。真っ先に心配になったが、

そうでもなさそう。元気な声だった。

10月20日

9時半の約束にHちゃんは教室に現れない。もう、10時になる。

「すいま・せ・ん」

と教室の開けておいたドアからHちゃんが顔だけ出した。

「寝ちゃって」

まあ、若い。きれい。ああ、変わんない。

「じゃ、行こう」

目指すは隆生丸。

道々、「本当になにもないのね?」

「玲子先生が心配していると思ったけど、本当に何もないから、大丈夫です」

「それならよかった。呑もう」

 

マレーシアから子どもを連れて帰国とあれば、何かあったのでは、と思ってしまいます。

7期生のHちゃんは小学生から中学生まで、塾に通っていて、その後はアシスタントで塾を手伝ってもらった、賢い少女でありました。

 

忘れられない思い出があるんです。

彼女が塾に家出をしてきたから・・・・・・(時効だから、いいか)

 

当時、傷つきやすい、揺れる中学生であったのだろう。

家に帰りたくない。一点張りだった。

父君の東京でも私大2トップの高学歴の反発もあったろうか。もうひとりの塾生の友達と

ホテルにも行ったが、遂行できず、

塾に来るしか方法はなかったように憶えている。

 

教室で、娘を迎えに来たお父さんとはじめてお目にかかった。

光るグレーの上質のダブルの背広姿は押し出しのある社長の貫禄でありました。

アイデアが豊富で、一代で会社を興した方で、一見して事業家としてのオーラというか、堂々たる風貌がありました。

 

「帰ろう」という父親に、がんとして、家には帰らない、と娘が言う。

「学歴がいいからって」と父親の大学を名指ししたようにも記憶している。

中学生であれば、親の学歴は励みにもなれば、圧迫にもなる。

苦しいことにもなる。

 

娘を叱りもせず、

父君は夫に、

「先生にはたいへんご迷惑をおかけしますが、

今夜、塾に泊めてもらうよう、お願いいたします」

頭を下げて潔く娘を置いて行った。

 

この一件から、ご両親とは

楽しいつきあいをさせてもらうことになったのであります。

事業家の父親と一歩も譲らない中学生のHちゃんの堂々たる会話と態度を見て、

ゆくゆくは父の跡をついで、

女社長になったらいい。その器あり・・・・・・・と、思いましたです。

 

八杉先生の家族ネットワークの会を立ち上げたときも、

東京に親子三人で出席していただいた。豪放な父と明るく社交的で明晰な母と、二人を足して2で割ったような、魅力的なHちゃんでありました。

現在は夫君の勤務先がマレーシアで、家族と暮らしている。

 

隆盛丸で

普段知りえないことを、聞いた。例えば、マレーシアの割り算のやり方とか・・・・・・。

「マレーシアでは九九がわからなくとも、ゆるく、教えるから今、わからなくともわかるように、できてるんですよ」

「へーっ、どんな風に?」

「今度、娘のものを見ますから。

でも、長い計算になるけど、九九がわからなくともできるんですよ」

計算の苦手な子でも地道に足し算引き算をすれば、いいようだ。

16割る2

2を引く、14余る、2をひく、12あまる。この調子で長い計算にはなるが、引き算さえわかれば、できるということか。なにか独特な方法があるらしい。なるほど。時間をかければ、九九はいらないようだ。

 

難聴の娘のことも

「生まれてから、聞こえないから、聞こえることがわからない。だから、彼女にしたら

なにも困らないんですよね」

10月16日の小袁治師匠の「心眼」の下りに思い出した。

盲目でも二通り、以前見えたことがある者と、はじめから見えない者と

当然ながら、生きてきた経験の差異がある。

見えた者が見えなくなれば悲痛である。

はじめから聞こえもしなければ、見えもしなければ、なんのことはない。

視聴覚というものは

経験の軋轢とも言えるのかもしれない。

Hちゃんは娘のことを心配ではあろうが、それは不幸ではない、と言っている気がした。

母の気丈を思う。私もそう思う。

八杉先生は

「人間はどこかに障害を持っているんだよね。でもさ、心の障害には気がつかない。自分が人よりできたり、力をもったりすると、わかんなくなるんだよね。そうはなりたくないよね」とおっしゃった。

誕生と聞いて、産科に行って御目文字したHちゃんの娘といつか、会いたいと思う。

「心眼」があるならば

「心聴」という、天使の耳を持つ子どももいるような気がする。

 

話題は変わって、

マレーシアには安い賃金で働く小さな労働者がいるという。

「子どもがかわいそうだな」と夫が言ったら、

「でも、先生、子どもがかわいそうだって思うけど、かわいそうと思って、もし、その子達が作ったものを買わなかったら、子どもたちは食べれなくなってしまいますよ。買ったほうがいいんです。かわいそうと思っただけで、何もしなかったら、もっと、かわいそうになりますよ」

政治で救うべき、弱者がマレーシアには大勢いるのである。目先の同情はなんの足しにもならない。政治で窮状を救えないのなら、小さな労働者のためには、潤沢な民が買うことがなによりなのであろう。

現地で暮らしてみなければ知りえない話ばかりだった。

 

そろそろ、帰る時間になって、帰りに塾に寄ってもらうことにした。

 教室で、二人きりになって、

 「ずっとさ、胸のここにあってね、(15才の)あのとき、力になれなくてごめんね。いつも言おう、言おうと、思っててさ」

最近、10月に式を挙げたS君には言ったのに、23年来、何度も会っているのに何も言っていない。

同期の、Hちゃんも

難関校にそっぽを向かれた。私たちにはショックな年であった。

実力は申し分ないのに.。

Hちゃんはそれも小学生から通塾しているというのに・・・・・・・

 

「やめてくださいよ、玲子先生。

私はみんなよりできると思って、まわりが勉強をやりだして・・・・・・」

中学時代の自分を話してくれて、私を叱って、慰めてくれた。けど・・・・・・

 「でも、やっぱり、(胸の)ここにずっとあるの」

Hちゃんに詫びのひとつも言っていない。

 

これをご覧の15才で悔しい思いをした卒業生の皆さん、

高校がどうのこうの、合格したの不合格だの、

15才じゃ、いろいろあります。

入試に不運は、わが身にさよならっていう道標でもあります。

でも、こんなこともあるなんて思ってもみませんよね。

泣いて、次に行くよって思うまで、ありますよね。

  「往く者諫む(いさむ)べからず、今なお、来る者追うべし」

(過ぎたことはどうでもいい。今、あることにはまだ、間に合う)

しかし、この格言とは矛盾ですが、夫も私も、

何年経っても、申し訳なくなるんです。

 

 「おーい、運転代行が来たぞ」と夫が教室にやってきた。

時間がきましたです。

 

塾の玄関あたりで何人もの卒業生と手を振って「またねー」と別れた。

生まれましたーって母になった人だったり、婚約者と二人で並ぶ背中だったり、

就職が決まった緊張の挨拶の背中だったりした。

 

北仙台の大通りに

ゆるくカーブを描いて、滑り出す真っ赤な車から

手を振るあなたの手も、

忘れないなって思った。

 

(一番町でばったり、結婚前にあなたのご主人に会ったよね。紅陽写真館のあたり。

この人なら、

あなたの横の男性!見込みました。

玲子先生、やめてくださいよ。また、言われるか。言わないね。

いい男と暮らしていますよね。ご主人によろしく)

 

 ・・・・・・別れしなの、

・・・・・・あなたの握手・・・・・

あったかかった。

 

 秋のおさらい・・・・・・つづく

Reiko

 

 

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2009年11月13日 19:32に投稿されたエントリーのページです。

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