なにか俺たちは世の中の役に立ちたいな。夫が言った。
相談に乗ってくれたのが、1期生整形外科医のS君。
学習のサポートを必要とする病院を探してくれた。
以来、数年前から午前の週2回、学習ボランテイアに行っている。
当初、長期入院の補助と思ったが、要請は意外に
\あと少しで退院、学校に戻る前、勉強を見てほしい。
そういう子どもたちが多かった。
国語は
楽しく漢字をと、かるたを持っていったり、あるいは
これをしたいという希望を聞いて、望む教科のプリントを持っていく。
行ってみれば、予想外の楽しい時間なのでした。
月謝もとらない、必要なことだけ、望むことだけを教える。
定期試験対策も、受験仕様もない。
今、その子が希望することを教える。
続けて行こう、と夫婦で合致。
S君ありがと。感謝しています。
入院の子どもたちに会って数分、
この子は割り算を希望していて、掛け算はできると言うが、
そうではない。九九から始めた方がいい。
漢字は得意だと言うが、そうでもない。
急遽、変更。でも文句はでない。
学校を離れた子どもたちは
夢中で勉強する。喉の渇き、水を飲むように、
プリントをむさぼるように読む。
傍らには、「勉強するから、お母さんに昨日持ってきてもらった」
筆箱を大事そうに持っている。
筆箱がない子どもも、保育士さんに貸してもらった、
鉛筆と消しゴムを握りしめている。
震災で入院していた、中学生にも会った。
震災前から学校でいろいろあって、この際、仙台に転校するという。
少しでも仙台でやっていけるよう、
仙台の塾の先生に面倒見てもらった方がいいかもしれない。
主治医の配慮。この先生、いい先生。
治療をするにしても、子どもたちの今の状況とか、
わからないことが多くて、どうか教えてください。
医者だけではなく、子どもたちには
心を開ける大人が必要だと思いまして。
その中学生に会ってみたら、人なつっこい。
でも学校がつらい場所で授業もびくびくしていたらしく、
俺は勉強はダメ、と
浜育ちの大きな声が言った。
屈託がなく、おおらかな少年だった。
なぜ、こんないい子が、と思うほど。
夫が教えた英語に
「こんなにわかったことは今までなかったっす」
主治医に終わってから笑顔で言ったそうで、うれしいことでした。
でも今考えると、
あの子の気遣いだったかも。
憂鬱な日々が続けば、人を信じられなくなったりする。
でもあの子は信じたかったのかもしれない。
自分に会ってくれる人を大切にしたかったのかもしれない。
「俺、ばあちゃんやじいちゃんには好かれるんですよー。
今北先生、塾に遊びに行っていいですか。
なんかあったら、行っていいですか」
あの子はよほど転校が不安だったろう。
今になってその言葉に込めた気持ちに思い当たる。
もう学校に慣れたかな。友だちができたかな。
連絡がないのはいいことですね。
病院の子どもたちとはほとんど数回で別れがきます。
別れるために会うような時間。
別れは、退院です。
しかし、ここの別れはいいことなのです。
今週も一人の少女に会った。
初回はプレールーム、熱が出たので、2回目はベッドで。
希望は国語。
おはよう、Mちゃん。
おはようございます。
ベッドに座っていた。
始まって、驚いた。
鉛筆をきれいに持っている。
初対面で、鉛筆の持ち方が気になった。
最近の子どもたちは妙な持ち方をする。
鉛筆を机に直角に立てるようにして、げんこつのような持ち方。
今にこれが鉛筆の正しい持ち方になるのではと思うほど多い。
それも圧倒的に女子が多い。
気になって、やっきとなって矯正のサックを配ったりしたが、書きづらいから
なかなかなおらない。
来るたびに注意して正しくなった人はいるにはいるが、5年はかかった。
見て見ぬふりもできず、初対面のMちゃんに言ってみた。
「鉛筆は寝せるのね。立てないでね。親指は人差し指にかぶせないの」
こうするの、やってみて。
きょとんとしていたが、
こうですか。
ちがうな。もっと鉛筆横に寝せて。
こうですか。
もう少し、寝かせて。
こうですか。そう。
親指はもう少し下、
こうですか。
そう、それ。その形。とてもきれいです。
なんと5分も経たないうちにいい持ち方になった。
今日はどうだろう?と思っていたから
驚いた。
ちゃんと鉛筆を寝かせている。机に突き刺すような持ち方はしていない。
正しく持っている。
Mちゃんは5分の、最短です!
「驚きました。すぐになおったね。書きづらくない?」
少し。
でも先生に言われて、なおそうと思ったから。
先生って、あたし?
はい。
ありがと、すごいよ。
勉強もやってみれば良くできる、
一つ間違うとMちゃんは困った顔をしない。笑う。
教えて、わかるとまた笑う。
いつも笑っている。
この子と会えてよかったな。私も笑う。
「先生、あたし、退院なの」
「よかったね、じゃあ、今日でMちゃんとは最後なのね」
「はい」
そっか。じゃあ、最後にかるたしよっか。
はい。楽しい、あれ。
Mちゃんは2回目とはいえ、
木乃伊(ミイラ)わかる、百舌(もず)わかる、南瓜(かぼちゃ)も、箸(はし)も......
Mちゃんが、私を見た。
「みんな、先生に教えてもらったから、みんなわかる」また笑った。
あなたは賢いですね。
そんなこと、下を向いたが、顔をあげると笑った。
30枚ほど並べたかるたを間違えずに全部、取った。
家族ネットワークの創始者、恩人の八杉晴実先生が、生前、
「文章で人はわからない。人は会ってみないとわからない」
そう言っていらした。
ほんと、
人は、会ってみないとわからない。
Mちゃんの様子が皆さんに伝わればいいのですが、
肩までの髪、前髪をあげてピンでとめて、赤地にくまさんの絵のパジャマ、
八字眉で目は少し垂れてる、口元は微笑んでいて、への字に結ぶことはない。
首を横にかしげ、「わからないんですけど」
教えると、
じっと私の目を見て「そうなんだ」と笑う。
そうなんですよ、
ありがとございます。その都度言う。
あのう、先生、足、崩していいですか。
つらい?
ううん。大丈夫。
(この間は車椅子だったのもんね、大丈夫?)
楽にしていいよ。
すいません。
そんなこといいのよ。
Mちゃんが、ふと左手の包帯を見ながら、
あたし、やけどなの。
そっか。あたしもね、ほらここに、やけどのあと。
えっ。
(幼児の時、いろりに落としたおもちゃを取ろうと、
自在かぎを右手でつかんで、左手が火の中に。
野口博士のように
5本指の手袋ができない、てんぼうになった。
当時の熱さも手術の痛さも記憶にないが、
私の子守りをしていた祖母が亡くなる前に言った。
私の左手を取り、
「ごめんなあ、ごめんなあ。なんぼ熱かったべ、なんぼ痛かったべなあ」
生涯の心の傷になっていたことを知った。
ほら、手をひらひらさせて
なんでもないよ。おばあちゃん。
「いがった、ほんにいがった。死ぬ前に謝っておきたがったんだ」
一筋の涙の祖母が愛しくて、やさしくて、やけどの手を祖母の手に重ねた。)
「Mちゃんと私はおんなじだね。でも大人になればなんともないよ」
祖母にしたように左手をひらひらとした。
「それにMちゃんは退院だもんね。もう病院に来なくていいんだもんね」
ううん、首を振った。
もう1回、あるの。こわいけど、中学生になったらまた手術する。
そっか。
涙が盛り上がって困った。
また、いつかどこかで会えたらいいね。
うん。
( あなたが幸せでありますように。
きっと幸せになりますように。
中学生の手術がうまくいきますように)
あなたはなんて、いい子なんでしょ。
言わずにはいられなかった。
はい
高かからず、低からず、いい音階の声がした。
終わってから、あの子はいい子ですね、
つい保育士さんに話しかけた。
Mちゃんのことですか?
ええ。
「本当に、あの子は自分が具合が悪い時でも、他の病室の子のことばかり心配して、
やさしくて、いい子なんですよ」
病院に行けば、その日の日誌を書かねばならない。
「1月△△日、晴天
学習ボランテア・今北正史、玲子
今日は小4の国語。
Mちゃんは、わからない時、笑顔。
わかれば、もっと笑顔。
別れ際に、ベッドに崩した足を気にかけながら
頭を下げ、
先生、ほんとに、ありがとうございました。
清らかな声。
涙が出ました。
人は
その心の良さに、泣くものなのでしょうか」
Reiko