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2007年6月 アーカイブ

2007年6月14日

卒業生  あと二人

6月9日 K君
「先生、結婚することになりまして。ご挨拶に伺いたいのですが」
「そう!おめでとう」
K君は塾生だが、それ以前からのつきあい。
25年前八木山に借家住まいの時、お向かいがK君の家。
5年八木山に住んで、通り町に越した。
当時、K君は5歳くらい。それから10年
「今北さんに息子をお願いしたい」
K君は八木山から北仙台まで通ってきてくれた。その後、妹も。
K君は文章の上手な、内に秘める静かな力を持つ、15歳になっていた。
第1志望合格は近所のお世話になったご恩返しできたような喜び。
高校卒業後、K君は「勉強するたびにわかる」
遂にお父様と同じ道、希望し続けた歯学部に合格した。
塾のアシスタント、高校生クラスも引き受けてくれた。

K君は愛する女性の隣で幸せそうで心から嬉しかった。
「お忙しいのにすみません」
「いいの。あなたの好きな人に会えたからね」
おめでたい席で涙は禁物。
やっきとなって、聞かれもしないのに、自分たちの当時の披露宴の話を喋った。
K君に「ついていきなさいね、あなたの選んだ人に」
「はい」
K君の伴侶に「K君はいい男なの。よろしくね」
「そう思います」
横でK君が照れて笑う。
12時きっかり、昼時を察して暇を告げていった。

6月19日を前に報告しに来てくれたのかもしれない。
ありがと。K君は私の好きなビールを沢山持って、
何も言わず、仏前に供えていった。
5歳のあなたと手をつないだことも、
幼稚園バッグのまま、家に顔を出したことも、
私のもう一人の息子、そして、私の愛する息子が
兄のように慕って、大好きだった幼馴染。

あなたと会っている最中、泣かずに頑張れたのは
K君、
あなたの笑顔がとても優しかったから。
ありがと。

6月12日 M君
「もう帰るって言っているよ」
「ええっ!すぐ行きます」
教室のドアを開けるといた!いた!
私達はM君を「赤い糸の君」と呼んでいる。
大学は東京へ、「身体に気をつけて」仙台で別れてまもなく、
夫が上京した。
広い東京で夫が駅の階段を降りる、なんと階段を上がってくる人は
仙台で別れたばかりのM君とお母さん。
感激と驚きの遭遇、M君からはがきが来た。
「先生と僕は赤い糸で結ばれている」
以来、「赤い糸の君」
M君が15歳、何としても入りたい高校があった。
周囲が反対の中、夫が応援したが、結果は出なかった。
不本意の高校に入学して心は晴れなかったのだろう。
北仙台駅を降りると、まっすぐ家には帰らず、教室に「ただいま」
当時、卒業生のご父兄にいただいたソフアがあった。
毎日が何となく面白くなかったのだろうと思う。
ソフアにひっくり返り、マンガを読んで帰る日は続いた。

大学生になって帰省するとM君とよく飲んだ。
飲むと、明るくて、夫に歯に衣着せない意見も言う。
K君のご両親は八木山から
塾の近くに越してきたかった私たちに
家を貸してくれた。

「玲子先生、あ!、あんまり変わっていない、よかった。
変わってたらどうしようか思ってたから」
「M君も変わっていない。若いね」
「玲子先生、いくつだと思ってんですか」
さっぱり、変わっていなかった。M君は今、松本住んでいる。
仕事で仙台に来たから夫の見舞いに来てくれた。
見舞いはいただけない、断ると、「それなら、今度来た時、
それで飲みましょうよ。ねっ!先生におごってもらうから」

これ、これ!この感覚!あなたに言われるとつい、うなづいてしまう。
M君の不思議な所、私達の気持ちを明るくして
じゃあね、帰っていった。

高校の時に、マンガを読んで
「じゃあね」って帰っていった時みたい。
「今北先生と僕は赤い糸」
そんなことを言ってくれたのは
あなただけかもね。
待ってるね。次の飲み会。
いい女性と暮していますね。
ジェットコースターの奥様によろしく。大好きです、奥様。
今北玲子

2007年6月10日

最近の卒業生5人

4月19日 J君
卒業生のJ君は菩提寺の総領息子。墓所のなかった私達は塾が縁で
檀家にしてもらったのが19年前。J君の披露宴に夫婦で招待された。
厳かで温かい披露宴。小学生の頃からのつきあいのJ君の隣には
伴侶となる女性がいるなんて嬉しい。先日、寺で立ち働く姿や物腰を
遠くから拝見した。気持ちの優しい女性。
私たちに次男が誕生した時、在塾生だった小学生のJ君T君。
二人とも素直でいい子だったから、あやかりたいと二人の共通の「也」を
勝手に頂いた。
J君は家族を亡くした気持ちを感じるいいご住職に
なったと思う。
「もし、自分が寺を継がなかったら、姉や母が
お坊さんにならなければならないから」
友人のスピーチに場内はほほえましい笑いに包まれたが、
じんときた。
あの小学生の頃から、寺の跡継ぎ、私達にも
言っていたその言葉の向こうに、子どもの一途なものがあったんだ。
披露宴の最後、お父さんのご挨拶。
「息子はお父さんとは言わずに住職と呼ぶんです」
私達にも礼儀正しく、親に対しても律儀さは変わらないんだ。
お父様は息子を育てた方々を網羅し
多くの方に息子はお世話になりました、これからは二人をよろしく
と結んだ。
わが子が生かされてきた感謝と親心には涙が伝う。

5月12日 K君
K君の披露宴は丁度、主人も無事退院し、アルコールは
無理だったが、二人でウーロン茶でも酔えた。
K君は大学4年間、塾のアシスタントをしてくれた。
当時、大手新聞社の論説員と知り合いで
仙台に来た折、塾生に会ってもらったことがある。
論客のその人と中3の塾生が会うことは何かいいことに思えた。
ものを書く、いい大人と会わせたかった。
ひとりひとり、質問をして丁寧に会ってくれた。
終わって、あの子の名前は?
K君です。「そうですか。聡明な少年だ。まっすぐな瞳。あの子の人生に
私は期待するし、祈る」言い切った。
同感でした。ひな壇に伴侶を得たK君の顔が
あの時の15才の横顔に重なる。
その後、お父さんが亡くなられて、K君のお母さんはご苦労だった。
家庭の事情が押し寄せる中でずっと、
K君は、ちゃんと勉強して、ちゃんと周囲に気を使って、
ちゃんと生きてきたけれど、私は、K君がたった一人で頑張っていた
ような気がして2O歳を過ぎても、未だにいつも愛しかった。

でも、あなたはもう、ひとりじゃない。よかった!
小学校の塾日記を主人が探して持ってきた。どんな小学生だったか。、
披露と共にK君にプレゼントした。
小学生の自分の日記や主人のスピーチに下を向いて泣いていたけれど
あなたの涙は今日は悲しくないよ。
もうひとりで乗り越えなくていいね。懸命に育てたお母さんを大切に。
アシスタントをしてくれた夏のキャンプ。
深夜、私と飲みながら
「先生、遊んでやれるいい父親になりたい」
あなたの言葉ではなかったか。
これからはいつだって、
あなただけを振り返る素敵な女性がいる。
その夢が叶うといいな。


6月8日 K君
授業が終わったのに、なかなか主人は帰宅しない。
まあ、いいか。では、お先にビールでも。
「玲子さんに会いたいって」
勝手口から主人に呼ばれた。出てみれば自宅前の駐車場に
10人ほど。
「玲子先生!」
「同窓会だからって教室に迎えに来てくれて、少し、呼ばれたんだ」
暗闇に懐かしい顔がいっぱい。
「玲子先生、K君結婚するって」
「まあ、よかった。好きな人ができてその人と
暮せるってなんてよかった!」
「玲子先生、K君のこと覚えてる?」
「忘れない!」
「ほら、さっきも今北先生が覚えててくれたって
感激してるの。先生たち覚えているよねえ。」
K君は優しくて、友人を困らせることもないし、心の見える
気持ちのあたたかい15歳だった。
つい、両手を握った。
「よかったね。おめでと。
あなたとこれから生きていくその方に
ついていきなさいよ」
「はい」
私は結婚する卒業生の男性には決まってこう言いたくなる。
女性には「好きな人を守ってあげてね」
大抵、女性は「勿論です」と返ってくる。
男性はつまらないことにこだわらず、
男は愛嬌!女は度胸!
「ほら、玲子先生にも報告できてよかったね。じゃあ、カラオケ行こう。」
しっかり者の同級生のIちゃんに言われて、歩き出す。
報告にきてくれたのだ。後ろにいた卒業生は深夜にも大きな声で
「玲子先生!またねえ。今北先生も飲めるようになったら、飲もうねえ!」
「カラオケにも行こうねえ」
「うん!」
バイバーイ!こんな夜は素敵です。
長くなったので、あとの二人は次回。
今北玲子


2007年6月21日

6 月 14 日ブログの続き

先のブログで妻が紹介した、[赤い糸で結ばれた君」こと、 Mクンと出くわしたのは新宿駅7番ホームの階段途中。 なにしろその3日前に、不本意入学の高校生活から やっと解放され、大学の入学式を前に上京するMくんに いってらっしゃいと送り出したばかり。 私は「子ども支援塾ネット(八杉晴実創設)」の総会、兼定例集会 に参加するために東京に着き乗り換えの途中、もう笑うしかなかった。 そのときのMくんのおかあさんのやさしい笑顔は忘れられない。

エピソードは山ほどあるが、そのひとつ。

彼の結婚式の司会は柳家小袁治師匠
(わが塾/恒例の卒舎式(HP参照)に毎年3月に来ていただき
子供たちに生の落語を聴かせて下さる噺家さん)
http://www.yanagiyakoenji.com/、
いろいろな世間に接する機会の多い芸人さんの一言、
いいかあちゃんをもらったなあ、とにかくいいよ、明るいよ!
Mくんはその奥さんとは、彼女が都内の東北のお米を宣伝、販売促進する
ギャラリーで働いていたときバイトの身でありながら?みそめたらしい。
写真は先日の来塾の折の手土産、彼の会社の宣伝?
仕事柄東北、北海道のそれこそコンビニなど一軒もない
ところを転転とする愛すべき「君」,
今やかわいい女の子のパパでもある。

そういえば
Mくんの在塾時代は塾日誌を書いてもらっていた。(最近また始めたが)
あるとき同じ中学からきていた女子の一人がM君の日誌を
盗み見するという「事件」が起こった。
管理が悪い私の責任だが、塾としては初めての事件らしい事件、
その女の子を呼んでその理由を聞いたところ、自分の友人(塾生ではない)が、
Mくんのことが大好きで、Mくんのすべてを知りたいからと頼まれて
その行為に及んだとのこと。

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