« 2009年10月 | メイン | 2009年12月 »

2009年11月 アーカイブ

2009年11月13日

秋のおさらい 3

「玲子先生、Hです。こっちに戻ってきたから、ご挨拶に伺おうと思って」

「お嬢ちゃん?」

「定期的な、それもあるんだけど、それは大丈夫です。」

Hちゃんには難聴の娘がいる。なにか、あってのことだろうか。真っ先に心配になったが、

そうでもなさそう。元気な声だった。

10月20日

9時半の約束にHちゃんは教室に現れない。もう、10時になる。

「すいま・せ・ん」

と教室の開けておいたドアからHちゃんが顔だけ出した。

「寝ちゃって」

まあ、若い。きれい。ああ、変わんない。

「じゃ、行こう」

目指すは隆生丸。

道々、「本当になにもないのね?」

「玲子先生が心配していると思ったけど、本当に何もないから、大丈夫です」

「それならよかった。呑もう」

 

マレーシアから子どもを連れて帰国とあれば、何かあったのでは、と思ってしまいます。

7期生のHちゃんは小学生から中学生まで、塾に通っていて、その後はアシスタントで塾を手伝ってもらった、賢い少女でありました。

 

忘れられない思い出があるんです。

彼女が塾に家出をしてきたから・・・・・・(時効だから、いいか)

 

当時、傷つきやすい、揺れる中学生であったのだろう。

家に帰りたくない。一点張りだった。

父君の東京でも私大2トップの高学歴の反発もあったろうか。もうひとりの塾生の友達と

ホテルにも行ったが、遂行できず、

塾に来るしか方法はなかったように憶えている。

 

教室で、娘を迎えに来たお父さんとはじめてお目にかかった。

光るグレーの上質のダブルの背広姿は押し出しのある社長の貫禄でありました。

アイデアが豊富で、一代で会社を興した方で、一見して事業家としてのオーラというか、堂々たる風貌がありました。

 

「帰ろう」という父親に、がんとして、家には帰らない、と娘が言う。

「学歴がいいからって」と父親の大学を名指ししたようにも記憶している。

中学生であれば、親の学歴は励みにもなれば、圧迫にもなる。

苦しいことにもなる。

 

娘を叱りもせず、

父君は夫に、

「先生にはたいへんご迷惑をおかけしますが、

今夜、塾に泊めてもらうよう、お願いいたします」

頭を下げて潔く娘を置いて行った。

 

この一件から、ご両親とは

楽しいつきあいをさせてもらうことになったのであります。

事業家の父親と一歩も譲らない中学生のHちゃんの堂々たる会話と態度を見て、

ゆくゆくは父の跡をついで、

女社長になったらいい。その器あり・・・・・・・と、思いましたです。

 

八杉先生の家族ネットワークの会を立ち上げたときも、

東京に親子三人で出席していただいた。豪放な父と明るく社交的で明晰な母と、二人を足して2で割ったような、魅力的なHちゃんでありました。

現在は夫君の勤務先がマレーシアで、家族と暮らしている。

 

隆盛丸で

普段知りえないことを、聞いた。例えば、マレーシアの割り算のやり方とか・・・・・・。

「マレーシアでは九九がわからなくとも、ゆるく、教えるから今、わからなくともわかるように、できてるんですよ」

「へーっ、どんな風に?」

「今度、娘のものを見ますから。

でも、長い計算になるけど、九九がわからなくともできるんですよ」

計算の苦手な子でも地道に足し算引き算をすれば、いいようだ。

16割る2

2を引く、14余る、2をひく、12あまる。この調子で長い計算にはなるが、引き算さえわかれば、できるということか。なにか独特な方法があるらしい。なるほど。時間をかければ、九九はいらないようだ。

 

難聴の娘のことも

「生まれてから、聞こえないから、聞こえることがわからない。だから、彼女にしたら

なにも困らないんですよね」

10月16日の小袁治師匠の「心眼」の下りに思い出した。

盲目でも二通り、以前見えたことがある者と、はじめから見えない者と

当然ながら、生きてきた経験の差異がある。

見えた者が見えなくなれば悲痛である。

はじめから聞こえもしなければ、見えもしなければ、なんのことはない。

視聴覚というものは

経験の軋轢とも言えるのかもしれない。

Hちゃんは娘のことを心配ではあろうが、それは不幸ではない、と言っている気がした。

母の気丈を思う。私もそう思う。

八杉先生は

「人間はどこかに障害を持っているんだよね。でもさ、心の障害には気がつかない。自分が人よりできたり、力をもったりすると、わかんなくなるんだよね。そうはなりたくないよね」とおっしゃった。

誕生と聞いて、産科に行って御目文字したHちゃんの娘といつか、会いたいと思う。

「心眼」があるならば

「心聴」という、天使の耳を持つ子どももいるような気がする。

 

話題は変わって、

マレーシアには安い賃金で働く小さな労働者がいるという。

「子どもがかわいそうだな」と夫が言ったら、

「でも、先生、子どもがかわいそうだって思うけど、かわいそうと思って、もし、その子達が作ったものを買わなかったら、子どもたちは食べれなくなってしまいますよ。買ったほうがいいんです。かわいそうと思っただけで、何もしなかったら、もっと、かわいそうになりますよ」

政治で救うべき、弱者がマレーシアには大勢いるのである。目先の同情はなんの足しにもならない。政治で窮状を救えないのなら、小さな労働者のためには、潤沢な民が買うことがなによりなのであろう。

現地で暮らしてみなければ知りえない話ばかりだった。

 

そろそろ、帰る時間になって、帰りに塾に寄ってもらうことにした。

 教室で、二人きりになって、

 「ずっとさ、胸のここにあってね、(15才の)あのとき、力になれなくてごめんね。いつも言おう、言おうと、思っててさ」

最近、10月に式を挙げたS君には言ったのに、23年来、何度も会っているのに何も言っていない。

同期の、Hちゃんも

難関校にそっぽを向かれた。私たちにはショックな年であった。

実力は申し分ないのに.。

Hちゃんはそれも小学生から通塾しているというのに・・・・・・・

 

「やめてくださいよ、玲子先生。

私はみんなよりできると思って、まわりが勉強をやりだして・・・・・・」

中学時代の自分を話してくれて、私を叱って、慰めてくれた。けど・・・・・・

 「でも、やっぱり、(胸の)ここにずっとあるの」

Hちゃんに詫びのひとつも言っていない。

 

これをご覧の15才で悔しい思いをした卒業生の皆さん、

高校がどうのこうの、合格したの不合格だの、

15才じゃ、いろいろあります。

入試に不運は、わが身にさよならっていう道標でもあります。

でも、こんなこともあるなんて思ってもみませんよね。

泣いて、次に行くよって思うまで、ありますよね。

  「往く者諫む(いさむ)べからず、今なお、来る者追うべし」

(過ぎたことはどうでもいい。今、あることにはまだ、間に合う)

しかし、この格言とは矛盾ですが、夫も私も、

何年経っても、申し訳なくなるんです。

 

 「おーい、運転代行が来たぞ」と夫が教室にやってきた。

時間がきましたです。

 

塾の玄関あたりで何人もの卒業生と手を振って「またねー」と別れた。

生まれましたーって母になった人だったり、婚約者と二人で並ぶ背中だったり、

就職が決まった緊張の挨拶の背中だったりした。

 

北仙台の大通りに

ゆるくカーブを描いて、滑り出す真っ赤な車から

手を振るあなたの手も、

忘れないなって思った。

 

(一番町でばったり、結婚前にあなたのご主人に会ったよね。紅陽写真館のあたり。

この人なら、

あなたの横の男性!見込みました。

玲子先生、やめてくださいよ。また、言われるか。言わないね。

いい男と暮らしていますよね。ご主人によろしく)

 

 ・・・・・・別れしなの、

・・・・・・あなたの握手・・・・・

あったかかった。

 

 秋のおさらい・・・・・・つづく

Reiko

 

 

2009年11月14日

秋のおさらい 4

10月29日

支援塾のSさんが初めての來仙だという。

この方の仙台に住む甥、姪を教えたことがある。

 

夫は支援塾の先生方に大変世話になっております。

夫が世話になっているということは

私もお世話になっているということであります。

ひとりひと塾でやって来られた方ばかり。

お人柄に惹かれる方々が沢山おいでで、皆さん、大好きです。

 

 「大阪にはいい男がいるんだ」と八杉先生がいってらして、

その通りの親分肌のKさん、

奥様ともお目にかかりました。さすが、親分が惚れた、きっぷのいいきりりとした美人で情に厚い、そんな方でありました。

姫路もEさんには随分前にいろいろ送ってもらいましたよね。

会津坂下の会えば元気になるようなSさんも、

大船渡の美人の、私の勝手な親友のTさんも

仙台市内の、いい小説を書く、プロの文筆家で信頼できるOさん、

ご子息を教えました。いい息子!落ち着いた優秀な息子はきっと、いい男になっているだろうな。今や、夫の飲み友達のOさん、

この方も才能ある文章を綴る詩人で、何か書いたら世に出ると思うTさん。

東京では

勝手に私が仲良しと思っているHさんも

文章は軽妙で美しく、世に出したいエッセシストです。

いつ会っても素敵で即、周囲を察知して話は筋が通っている脱帽のIさん、

Aさんは私が勝手に思う、心の友です。松戸の重鎮の温和なご夫妻も、

紹介すればきりがないほど沢山、

魅力的な塾の方々ばかりです。大好きです。

今夜お見えになるSさんも,まだお目にかかっておりませんが、

なんか好きの、予感です。

 

夫が「アシスタントでもしてださいよ」と言っていたから、

塾に着いたSさんはアシスタントをするつもりで

「今ちゃん、このプリントは」

夫に懸命に聞いている。

授業が終わって、 

「ごめんね、体調が悪くて・・・・・・・」

私と夫は何も気がつかなかった。

 具合が悪そうである。

慌てた。

水をお持ちすると、

「自己管理がわるくて・・・・・・」とSさん。

いえいえ・・・・・・

私たちに心配かけまいと優しい方です。

落ち着いてきたらしい。よかった。

「行きますか?」

「大丈夫、ごめんね」とSさん。

ほっと安心。いつもの隆生丸に夫と向かって行った。

 

カウンターで三人になって、

「僕はさ、子どもにこんなこともわからないの?って言ったことはないんだよね。だってさ、子どもがわからないのは僕のせいでしょ。」

そうだなって思う。 

父君が軍医であったこと、

その実家で塾を開いていること。

「闇って怖くはないよって思うんだ」

目のご不自由な、Sさんは・・・・・・

「暗闇を子どもたちにさ・・・・・・・知ってほしくてさ。

僕が育った家にそういうのがあったからね。

子どもたちは、階段を上がって、仏壇に行くまでだけどの暗闇、そんなことだけどね」

 

子どもたちに、やっぱり優しい先生であると思いました。

会えてよかった。

 

たまに同業の人と会うのはいい。

授業も見られるのも緊張はあるが、良いことだと思う。

普段は夫とふたりぼっちです。

これでいいのか、と思ったりしますが、

なかなか、自分のことは気がつかない。

 

塾生も汗だくになって教えてくれたSさんのことを嬉しく思ったと思う。

ふたりぼっちの教室に、風が入りました。

この風は、子どもたちと添うように

歩いてきた、Sさんの長年染み付いた穏やかな風でありました。

 いい風が教室に吹きました。

秋のおさらい・つづく

Reiko

 

 

 

 

2009年11月16日

秋のおさらい 5

塾の前で8期生のYちゃんがいた。

「ここに勤めてるの?」

「玲子先生、聞いてないの?今北先生には言っていたんだけど・・・・・・」

 そういえば、夫が言っていた。、私はいろんなことを聞いても忘れる。

ぼーっとしてるんですね。

そうだった、そうだった。

 Yちゃんは大家さんの姪。大家さんは姪から子どもから孫まで入塾でした。本当にありがたいことでした。Yちゃんもその姪のうちのひとり。

気性のさっぱりした女性で、話をすれば、胸のすくような、

大好きな人です。パッチリお目めにお化粧もきちんとしていて、

「きれいね、Yちゃん」と言ったら

「どこが?玲子先生」

「お顔が・・・・・」

「年ですよ、年、でも、うれしいんだけど!」

ぽんぽんと会話が弾む。

そのYちゃんが塾の隣にいるのは楽しい。

 二日後、

昼にまた、会った。

「おひる?」

「違うの、いずみ中央まで仕事」

「たいへんね」

「そうなの、昼休みはないの!]

「ねえ、私さあ、Yちゃんとこの辺で会うのってすごくいい」

「なんで?」

「Yちゃあんって手を振ったら、あなたも手を振るでしょ?それってすごくいい」

「だね、玲子先生、バイバイ」

 

この辺で卒業生に会うのはすごく、いいと思うのです。

塾の玄関を入る前に、Yちゃんいるかな?と店内を覗くと、いる。

ハーイ!

手を振ると

「これから、先生」と言っているように「ハーイ」って

ドア向こうで手を振ってくれる。

 

その午後、

M君と塾に行く向かいの八百屋さんの前で会った。

「やすみ?」

「はい、この間は(落語会にいけなくて)すみませんでした」

「いえいえ」

「どちらへ?」

「習い事です」

「まあ、なに?」

「英会話です、遅いですよね」

15才に塾の二階の窓から

「逃げんなよー」と夫に叱られたから?

そんなことでもないでしょうが、

「一生、勉強ですよね、遅いなんてないですよね」と私が言うと

「ですよね、そう思いまして」

 知る心を学歴終了と同時に置いて、

仕事だけとは味気ないものね。

 振り返ると

M君はひたすら私に、

ひらひらと

手を振り、腰を折って挨拶していた。

 いってらしゃーい。

 こういうのもいいもんです。

 

それから数日後、Yちゃんとまた、夕方に会った。

「これから夕食たいへんだよね」と言うと、

Yちゃん 「ご飯炊くのも面倒だから、今日うちは五目やきそば」

「五目やきそばか」

「先生のご参考になれば」

「うん」

「じゃあね」

 

ねっ、こういうのってなんかいい。実にいい。

 卒業生とご近所っていいもんです。

11月4日

またもや、8期生。

突然、A君が22年ぶりに教室にやってきた。

「A君が来るって」と夫から電話をもらって走って教室に行った。

「ご無沙汰いたしまして」

いたいた。A君。

中堅のばりばりのようだ。

この度、勤めている会社を辞めて、別の会社に移るのだそうだ。

行く先は北海道、その前に里帰り。

それで教室に寄ってくれたのだそうだ。

優秀な成績でありました。難関高校を合格して、

東京の有名私大に進学したとは聞いていたが、会うのは22年振りである。

「懐かしいなあ」とA君はしきりと言った。

それから、中堅のつらさや、今後の自分や、

家族を養っていかねば、という父親の気持ちや、

あれこれ、時間が経つのも忘れて話した。

8期生だから、38才。

「A君の年は主人があなたたちを教えていた年頃ね」と私が言うと、

「そっかあ。あのときの先生と同じ年かあ」

 

「塾を開いても、やっていけるか。子どもたちは来てくれたけど、

ひとりも入ってこなくなったら、なんて、思ってたよね。」と私が言うと、

「そうですよね、わかります、わかります」

わかってくれる年代になって、それを話せる幸福を思います。 

A君は口数の少ない、優しい少年で、

黙っているが周りのことは察知できるし、わかっていた。

言わないだけで感覚の鋭い豊かな少年でありました。

某ホテルの社長の父上が合格の挨拶に

自宅にひとりで見えられた。

ホテルマンの礼儀正しさで、こちらが緊張してしまいそうな重厚な方で、

「おかげさまで、合格させていただきました。息子がお世話になりました」

恐縮したのを思い出す。

 

「北海道に先生、来てくださいよ。」

そう言いながら、教室を後にした。

玄関を出るとき、夫が二世が多いんだ、と言ったら

「仙台に来れたら、子どもが塾に入れるよう、

席をひとつ、空けといてください。お願いします」

大丈夫です。

 

この秋は7期生、8期生の訪問が多かった。アラフオーは忙しいのにね。

教室を訪ねるのは簡単そうで、案外面倒なことだと思う。

みんな、偉いな!

Reiko

 

 

 

 

 

 

 

2009年11月11日

雨の一日は


本日11月11日は、
UM君のお父上のご葬儀。

1期生である長男Mくんの結婚式でのお礼の挨拶を思い出す。
「ほんとは私こんなとこにいちゃいけないんです」
といって参列者を笑いの渦に巻き込んだ。
(塾が縁で依頼した司会者の小袁治師匠にも大うけであった。)
それもそのはず、お父さんは、日本ソフトボール協会の副会長。
当時シドニーオリンピック真っ最中で女子ソフトの人気が沸騰し始めていた時。
家業の会社経営も多忙を極めるなかどれほど献身的に代表チームに尽くされたか想像に難くない。オリンピックという華やかな表舞台の陰に東北の一民間人の気概があったことを記しておきたい。

斎場には元全日本監督の宇津木氏からのお花もあった

今年の北京オリンピックの金メダル、
そして今秋の叙勲のお知らせがまにあったのが救い。

第1期生の親にはいくら感謝してもし足りない。
ご冥福をお祈りします。

ご母堂様、どうぞお体に気をつけてお過ごしください。
家業を引き継いだ次男のYくん、君なら大丈夫だよ。
そしてMくん、また東京で飲もう。
素敵な出会いを作ってくださったU一家に感謝。
−−−

About 2009年11月

2009年11月にブログ「北剏舎日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年10月です。

次のアーカイブは2009年12月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。