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2008年7月 アーカイブ

2008年7月18日

ひぐらし

塾から帰って台所に立つと、
今年の夏一番
かなかなかな・・・
オオッー!ひぐらし。

子供の頃、・・夕暮れのひぐらしに
私は本を開きたくなって・・

親に言い訳して、嘘ついて、
明日の学校の用意があるとか、
宿題だとか・・
なんのかんのと理由をつけては
夕方の手伝いをさぼって、隠れて本を開いた。

子どものやることはお見通しで、
[夕方は家族のために
一番したいことを我慢して、
熱いものは熱いうちに。
冷たいものは冷たいうちに。
働くもんです・・
小学生だろうが、受験生だろうが、
夕方は働きなさい」

母はずっと変わりなく、
勉強していても5時になると
手伝わないと叱られた。(受験まであと半年になって、
母の好意で入試まで免除になった。)

ヒグラシが鳴く。
いても立ってもいられない。
女が立ち働くという夕刻に本を読みたくなって、
見かねた母は、
苦肉の策で、
手伝いを風呂焚きに変えてくれた。

木を燃す釜口の炎は
読書には不向きなもので、
暗くて読めない。

確かに明るいけれど、
近づくと熱いし、
字をうまく捉えられない。
火に本を近づけて、目を遠ざける。
距離に工夫をすると、読める。

かなかなかな、
母の食事の下働きを免れ、本と夕暮れ、ひぐらし

風呂焚きは怠け者にはお誂えの仕事で
夕暮れは待ち遠しかった。

そのうちだ。
スイッチをひねれば、ガス風呂に事情は変わって、・・・
高度経済成長とやらか。

風呂の焚口にしゃがんで、
木端を入れ、炎を調節する夕暮れ、本を読んだり、
木を足したり、足元に這ってくるありを眺めたり、
油断して消えそうな火をうちわで慌ててあおいだり、
ひぐらしが鳴く夏も、(最高の夏も)
秋風が吹いて、雪がちらついて、もいいもんで、
年中、大好きな仕事は
私を養ったのに、
真新しいガス風呂は夕暮れの楽しみを
突然、封じてしまった。

今も、
風呂焚きをしたくなる。
夕餉に
かなかなかな・・
ひぐらしが
鳴くと、
本を探してしまう。

「夕方は、働きなさい。
のほほんとしてんじゃないの!」
母上の声。
さても、いまだにお叱りとはご厄介かけます。

風呂焚きとひぐらし。
あの組み合わせはない。

かなかな・・・・
今日の夏一番のひぐらし・・時に物悲しく、
きゅっと胸を絞られ、切なくなる。

泣くまい。

台所の窓をあけると向こうから夏の風、
あっ! この風も好き。
人は人にだけ恋するものではなくて、
トンボに近づき、
ちょうちょを追いかけ、
ツバメにすずめ、タンポポを見つめる。
雨音だってうっとりするし、小雨、白い雲、空にも恋。
犬にゴリラに暮らしたい。そして、ひぐらし、
打ち明ける手立てはないもんだろうか・・・

ひぐらしさーん!
たまには拍手しとうございます。
木肌にぺたっと止まり、
羽音をすり合わせ、
夕焼けの夏の声。

あなたは、
しかと
ひぐらしに生まれて、ひぐらしに生きる。

トンボは
トンボに生まれてトンボに生きる。

私も、ひぐらしさんよ・・
私に生まれて、私に生きる。
それ以外何ができようか・・・

でも、
・・・みんな、違っていい。
なんて思わない。
私は
・・・世界にひとつだけの花
なんかじゃない。

小沢牧子さんが話していた。
「みんな、ちょぼちょぼ、みんな同じ。」

みんな、同じ・・・
繰り返しては
気が楽になったことを思い出した。

今北玲子


※小沢牧子氏
臨床心理学論、・子ども・家族論専攻・
「心の専門家はいらない」他、
著書多数・
家族ネットワークで講演を依頼した。
6年前、初めてお目にかかって
一目ぼれ。
先の語録は講演の時のもの。

2008年7月13日

ゲスト

7月12日の親の会のゲストはS君。
1期生。
整形外科医。

29年前、
ドキドキの1期生の合否を家で案じた。
14名もの1期生の中3の子どもたちは
夫のアルバイト時代の縁を頼りに
慕ってきた人やその友達である。
親御さんは
28歳の夫に
大切な子どもを託したのである。
全員合格を祈った。

しかし、不合格が二人、
安定していた今夜のゲストのS君も・・・・
二人とも予想外で・・
合格を逃した。
どうしよう・・

その日も次の日もその次の日も
私も夫も食べられなかった。
のどが閉じた。
この塾を信じた15歳なのに
二人も落としてしまって、
果たして、塾を続けられるのだろうか・・・・

食べなくとも・・・
若さで・・乗り切ったけれど、
二人の痛みは刺さっている。

それからS君に会ったのは
会ったというより、彼が我が家を訪ねてきてくれた。
私立高から現役で医学部に合格し、
医師になっていた。

S君がバレーボールを選んだ訳。初めて聞いた。
「私がバレーボールを選んだのはネットがあるから。
バスケットのように何もないと自分はどうなるか、相手にぶつかっていって
どうなるかわかんないですから・・・
敵とネットがあるバレーボールを選んだんです」
(いい回しは違うが私の記憶の限り)
190センチもある身長なら、バスケットでもね・・そうか・・

なるほどと思った。
この人は赤い火を持っているだろうか。
闘争を宿す、赤い火・・
もう一つ、
皆が合格で浮かれている中、
すぐに高校の勉強を始めた15歳のあなたは
次に向かった。
トップを維持して・・・医学部に現役合格・・
この道を行くと決めた赤い火、
あなたを見てそう思った。


次に会ったのが
チラシの文章を書いてくれて、
卒舎式の3月に打ち上げに来てくれた時、
私の隣に座った。
ビールの杯を重ね、一気に飲み干す私に
「先生、
お酒はほどほどにして身体を大事にしてください」

S君に、1期生に
説かれて
「うん」
言ったものの、
飲めるタチで、子別れの喪失と向かい合うには力がほしかった。
卒舎式のその夜も、
いつも通りに・・
グラスを何杯も干した。

思いがけない優しい忠告に
ふと、突かれて・・泣いた。
「先生」
ズボンのポケットから
いたわりのハンカチをそっと・・大きな手だった。

あの夜は、1期生のM君とS君と塾に行って飲みなおしたっけ。
3人で教室の床に座って飲んだっけ。

次に会ったのが
3男の怪我で診療してもらった時。
診察室は待合に近く、仕事ぶりがわかる。
深刻な症状のときは的確に、心配ない状況のときは案ずるには及ばない・・
冗談も言い、
適宜に長けた会話が途切れない。
患者におおらかで優しい。
「いいお医者さんだな」
思った。

娘はS君の父上に10代に一度診察していただいている。
腰痛で行ったら
「あなたはお父さん似?」
まじめに聞かれ、
そして、にこっと
「心配ないよ。」
父上の一言で、娘はじきに良くなった。

S君の妹も塾生で成人式、卒業、母と二人で節目の挨拶は
こちらが恐縮で・・・
律儀な母上・・

そして、亡くなった私の母は
在宅医療で偶然にもS君のご親戚の医師に
お世話になった。
母は最期まで、
「あの先生がいい」
ご厄介をかけるほど慕った。

縁に結ばれ、結ばれし縁に
時に助けられ、
そうやって
人は生きるので、
あの人が、この人が・・特別ではないが・・

夫も私もS君を親の会で紹介したかった。

座った隣の人を不愉快にはさせず、気遣い、
寡黙な真摯な医師を
小さな塾だけど、みんなに紹介したかった。

親の会のゲストはまさに、それに尽きる。

この人と会って・・この人の話を聞いて・・

(次回のゲストは1期生のY君、
そういう気持ちだから・・
僕なんか、ダメですよ。そうじゃないの。あなたがいいの。)

特に
塾生にはS君の話を聞かせたかった。

12日の親の会のS君は
「今北先生に落ちたときの話をしてと言われたので、話します。

僕は大丈夫だと思っていたのですが、
試験の日、やばいなあ、思いましたね。
油断したんですね。

先生に報告に行くのに、
合格じゃないから、階段を静かに上がって。

(S君は思っているだろうが・・・
夫は勢いよく階段を上がってくるあなたの
足音を耳に残しています。)

今北先生は普段は良く喋るのに
落ちたことを知っていたんですね。

(知らないの。
夫は階段を勢いよく駆け上がってくるから「受かった」
そう思っていたの。
あなたは静かに上ったつもりでも
勢いがあなたにはあったのでしょうか。
今でもあの時のあいつの音は合格の音だった。
それだけ、あなたに自分でもわからない勢いというものがあったのです)

今北先生は
うん、とかああ、とか何も言わなくて。

(それから、多くは語らなかったが、猛勉強が始まったのですね)

S君は子どもたちに向かって言った。・・・
「人の限界はないんだよ。身長には限界があるけどね。
自分の限界はここだって、諦めたらそれで終わりなんだよ!
自分の限界を決めないで!
ここにいるみんなに限界はないんだ・・・
限界はないんだ!」

繰り返すS君の力強い言葉が満杯になった教室に響いた。
特に中3の子どもたちはピクリとも動かない背中だった。
届いたのだと思う。

S君の話に合わせたように
「自分の限界に挑戦しているか!」

背中の文字・・・の子がいた。
部活の士気をあげるおそろいのTシャツだろうか。

ふと、目に入った文字・・
子どもたちは
S君の方に明るい顔を向けた。
「限界はないんだ!いくつになっても伸びる。諦めたら、そこが限界」

つぶやけば、
どうせ、やっても無駄だから、
置いてけぼりしたモノとばったりだ。
捨ててしまったモノがひょっこりだ。
限界と判断したのは
信じ切れない自分自身であったと詫びたりする・・

同じ生きるのに
限界はないと思っていいのなら、
ぼっと、
内に火が点る。
のべつまくなし、だらしないぐうたらの私にさえ、
火が点る。
子どもたちにもぽっ、ぽっ、火が点ればいいな。

小4から中3まで
呼吸の話を聞き、やってみた。
適当に吐いて、十分吸うことが深呼吸と思っていた。
静かに、静かに吐き続ける、
残量を自覚して、こらえきれずに、
新しい空気を吸う。
「苦しかったら吸ってください」
S君の言葉にゆっくり吐き続け、
苦しくて、ほしい空気を吸う。
教えてもらった深い呼吸は身体に行き渡る。
吐くことは
次の空気を入れるのに必要、大事
実感した。

1期生の同級生、そのご両親、忘れられない9期生、
ご常連の皆さん、深夜まで親の夜は続いた。
長年のお付き合いのO夫妻にも会えたし、
父親参加も多く、喜んでしまう。

同窓会会長のN君が言った。
「私には先生に自分の夢がありまして・・
仲人をしてもらうこと。叶いまして。
もう一つは自分の子どもをほくそう舎の塾生にしてもらうことでした。
今、息子は塾に通っています」

N君の話に目を閉じる。

開塾1期生の申し込みはN君が一番、
アルバイト時代の塾から夫を慕って
きてくれた。
新年会、親の会、前々回は彼がゲストだった。
夫に
2次会に行くぞ、「はい」・・飲むぞ、「はい」・・お前、歌って、「はい」・・
いつだってあなたは断ったことがない。
180センチをゆうに越す体格で、
少年の純なままのあなたに、甘えてばかりで
もはや、
ありがとう、を通り越して
あなたの可愛い奥様と二人の子どもたちのために
役に立たなければ、思います。
N君一家は大事な人々であります。

12時過ぎ、
S君を見送った。
我が家の勝手口にS君の愛車が止めてある。
1000ccの赤いバイクが主人を待っていた。
バイクにも顔立ちがあるのね。
きゅっと甘く上がった大きな二つ目のライトが
ミュージカルキャッツを思わせるような・・・
鮮やかな赤のバイク・・・
赤、
やはり、あなたには赤が良く似合います。

1000ccとはそばで見ると巨体である。
大きくて、足の速い不思議な生き物に思える。
こんな友達ほしいものです。
192センチもある、
堂々とした体躯のS君は
やすやすと腰を下ろして、
「今日はありがとうございました」
「又来てね」
「はい、来ます」

我が家から
緩く右にカーブした道の闇の中に
ブオーン・ブオーン・・
快音が遠くに響いていった。
後姿はライダー。
「職業が分からないのがいいよ。
すぐに職業を当てられるようではな・・まだまだ」
八杉先生が言っていらした。

「格好いいなあ」
Y君が言った。

うん、格好いいよね。
15歳の不運を力にし、ここまでやってきた。
格好いいです。

ありがと・・

私、
もっと、もっといる。
東京に住むごりっとした
書いてほしいと願う編集者K君、
1期生の会えば横にいるだけで安心するU君、
大家さんちの大将にしたいと思うK君、
2期生のK君、Hちゃん、九州のSちゃん、
8期生の面々、もっと・もっと
ご父兄もその数だけ多い。

卒業生というより
それって、
元気でいてね、の、朋でしょうか。
29年も塾をしていりゃ、
毎年、20人、30人と数えると
ほくそう舎の小舟に乗った人達は
800人を超す・・・朋です。

昨日、突然、授業中に小学生のN君。
「玲子先生、飲み会の時、オレにカード買ってくれたよね」
Y君
「ええーっつ、先生と小学生なのにお酒飲んだの?飲み会したの?」
N君
「違うよ、飲み会にパパと行ったんだ」

そう、新年会に父親についてきた愛しさに手をつないで
自宅まで送って行って、
途中のスーパーで人気のカードを買ってあげた時のことを
その日の作文に必要で
私に確認した。

Y君
「僕のパパは行かなかった?その飲み会に欠席した?先生」
Hちゃんの娘
「私のお母さんは?」
声には出さなくて怪訝に私を見る。
K君の娘も・・「私のお父さんは?」
おやって顔・・

そうだ、このクラスは2世が4人もいる。
「みんなのお父さんお母さんとは又、飲むからね」
「よかった」
4人とも安心して鉛筆を持ち直した。

卒業生が信じて預けてくれた
29年前には想像もつかなかった
なんとも幼い朋もいる。

S君、
(役に立てるように)
自分の身体・・
厭います・・・・

でも、
ビールは私の夜の朋・・
いいよね?
今北玲子

2008年7月 6日

いの一番

7月の恒例の面談のいの一番は卒業生・2世の親。

「先生、ありがとうございます。
娘は今まで取ったことない点数で先生たちを崇拝ですよ」

昨年の成績をバッグから出し、手にし、両手で差出し、見せてくれた。
「先生、ほら、
どんなに娘の自信になったか。今北先生、見て、
去年の点数の2倍、ですよね。」

本当に塾冥利につきるような100点アップ!

「お母さんの塾に初めからどうして入れてくれなかったの?
娘がそう言うの。先生」

でも、それはちがうかもね・
夫も言った。
「中1からいたら成績が上がらないなって言われたかもナ・・」
すかさず
「それはそうですよね。
先生の所だって合わなくてやめる子もいるよね。
相性とか、本人のやる気が合うってことだよね」

そうです。
「本人の力が点数を上げたのよ」
間違いありません。

「そういえば・・今北先生・・・」
そこから
夫との思い出話に花が・・・

Mちゃんの親の世代の卒業生を夫はゼロ期生と呼ぶ。
結婚前に花婿が無職ではどうも格好がつかないので、
塾の求人広告に応募して、
面接するとたちまち塾長に気に入られて
塾講師になった夫は
がむしゃらに教えた。
その当時の開塾前のアルバイトをしていた塾での
教え子をゼロ期生と呼んでいる。
ゼロ期生はもう一人、小学生の父親にもいる。

「今北先生は私のバス時間までやっていけ!
ぎりぎりまで教えてくれて、
一所懸命に本当に教えてくれたよね・・
今北先生、知ってる?」
「・・・なに?」
「私、高校に入って
数学ができるからって
トップクラスに入れられて大変だったんだから・・
今北先生はホントに一所懸命に教えてくれたね」

夫が
「記憶がないんだけど、なんで、お前の家に行ったんだっけ?」
「今北先生は私の成人式にプレゼントくれたじゃん。
口紅を入れる、鏡がついているの・・・

私、今北先生のこと結構知ってるよ。
先生は酒屋さんの前で塾を始めて、
次はここの教室の隣でやっていて、
そして、今のこの教室に移ったんだよね・・
私、車で通るたびに
先生のこと見ていて、
大体知っているよ」

娘の入塾で久しぶりの再会だったが、
私たちの30年を
通りすがりに遠くから見ていてくれたのですね。
私たちの歴史をダイジェストで順番通りに畳んでいた。

面談を
いの一番にしたのは・・理由がある。

「手術があるから、今北先生、入院前に面談してくれる?」
母になっても、いくつになっても
今も教え子で
「いいよ、おいで」

これから待つ手術を考慮した面談だったが、
中学生の面談というより、
自分の思い出と
娘を託す願いと
これから挑む
母ともなれば弱音の吐けない
手術前のやるべき
面談でもあった。

「今北先生、
うち娘の成績をチラシのサンプリングしていいよ。
やればできる、教える人がよければできる、
ほくそうしゃの宣伝に使ってよ」
手術前で
心細いだろうに私たちを激励した。

「今北先生。
娘が言っていたよ。
試験前に途中で帰る人は怒られるから、私は帰らない。

私、娘に言ったの。
今北先生は受験生と同志だから・・・
当たり前でしょ・

同志なんだから、

だから、塾に迎えに来るけど、
いくら遅くなっても気にしないでって娘に言ったの。

親がこの辺を走って待ってるんじゃないから。
車の中で待っているんだから。気にすんじゃない!
遊んでいる子を待つ気は全然ないけど、
んじゃなくて
真剣に勉強しているのに
お前は気を使うなって!
今北先生はそういう人だから。
親に気を使うなって言ったの。
先生、わかるまで、残していいよ。

自分はバカじゃないって思えたことがすごく
嬉しいの。
私も娘も。」

私もあなたも母親同士、
手術も病気も乗り切りなさいよ。

中学生のMちゃんは話してくれた。
「玲子先生、母のことを話しておきたいので・・・」

大抵、家庭の事情は親から連絡がある。
夫の突然の単身赴任、妻の病気、
夫の入院、突発の家庭の事情は予想外である。
子どもからでは不憫で親がするけど、
Mちゃんは、
母親は大事ない病気だが、自分で報告した。
塾の行事やら懇談会に親欠席では申し訳ないと思ったのだろうか。
母の塾にお世話になっている義理もあったのだろうか。
今北先生に話して・・分かってくれるから・・
母に言われただろうか。
母の不調を話してくれた。
この子はすごいなって思った。
「だから・・先生・
塾のことは退院するまで
お母さんは何もできないので・・すみません」
頭を下げた。それを言いたかったのだ。

「あなたのお母さんは大丈夫。子どものためならお母さんは頑張るんだから」
「はい」
「いい子だね。あなたは。強いね。きっと大丈夫」

打ち明けてくれたMちゃん・
心配のない入院だが、
母を思う頬に伝う涙は止まらなかった。
本当は心配で不安でたまらなかったのだと思う。
「お母さんはあなたのためになんとしてもがんばる。母親はそういうものだから」
「はい」

その中で100点も点数を伸ばしたあなたの娘はすごいね。

子どもの幸福は
親が
当たり前のように元気でいること。
でも、子どもは親が不調でも病気でも
どんなことでも我慢する。受け入れるものなのだ。

「今北先生、うちの娘は強いの」
私もそう思う。
「強い娘だね」

元気になって。
この娘のためにも
専念して。

卒業生の
母になったあなたが
元気になるまで、
気性のさっぱりしたあなたによく似た
可愛い娘を預かるからね。

今北玲子

2008年7月28日

只見線を撮った

私が世話になっておるこども支援塾ネットワークの総会、合宿IN会津坂下に参加した折り、7月21日の写真です。かの有名な只見線の第一橋梁を「熊が出る!」という山中から携帯で撮影。このページ、後ほど文章を付ける予定。

2008年7月27日

通りすがり

昔から耳は良かったのか、29年も塾をしていて、耳が鍛えられたのか、教室の隅っこで、
「うるせいよ、ばあか」

「うざいよ、」
さとく聞こえる。
「言っちゃダメ。
そんな言葉は一生使わなくともいいからね」
小声を聞きつける。

地獄耳は夫も同様で、なぜか子どもたちのひそひそ話も鮮明に聞こえる。
「ありがと」
「教えてもらってごめんね」

飛んでいって、
「優しいね」
なんて言ったりする。
聞こえてくるのだ。

街の声も聞こえる。
通りすがりの声も拾ってしまう。

北仙台駅前、
向こうからホットパンツに生足、人目を引く綺麗なお嬢さん二人。
「結構、私
負けず嫌いなんだけど、やる気がないんだよね」
「だよねえー。わかる」
「私も夢はあるんだよね。でも、やる気しない?」
「だよねえ。わかるうー」

通り過ぎていった。

・・・負けず嫌いでやる気ない・・
・・・夢はあるけど、やる気ない・・・か。

負けず嫌いである。
夢がある。
言いたかったのだろうか。

やる気がない。
言いたかったのだろうか。

お嬢さん、
大きな声じゃ言えないけれど、
贅沢、って言われるよ・・・

あら?・私もそう・・・
部屋をきれいにしたいけど、ぐちゃぐちゃ・・
やる気がしないんだけど・・。

おっと!
そのまま、私?

怠け者の論理か・・
贅沢か・・・

なんか、わかる。
その気持ち・・
すごくわかる・・・その気持ち・・

やる気がない。
そういう時はある。

勘だけど、
負けず嫌いだけど・・
夢はあるんだけど・・・
それが本心だと思う。

やる気がないのはくっつけたもので・・・

子どもたちは
「成績があがりたいんだけど、やる気がなくて・・・」
「あの高校に入りたいんだけど、無理かもしれない・・やる気がない」

本心は前にあるように思う。
成績が上がりたい!
あの高校に行きたい!

なら、勉強すればいいじゃないか。
やればいいじゃないか。
そうなんですね。

それを相談されるのが塾なのでしょうね。

上がるためにはここをやれ。
夫が言う。
できなかったら、2回やれ。
3回やれ。
しつこくやれ。

やる気というより、
方法と回数とか、分量。

でもさ・・
・・・
今、やる気ないんだもん・・・

仕方ないね。

負けず嫌いとは負けたくないのですね。
夢というのは
装飾品ではないのですね。

やる気とプライドには
オリンピックじゃないけれど、
応援が力になる。

世界でひとりぼっちなら、やる気もしない。
応援しているよ・・
やれるよ・・

親でも友達でも
その一言で立ち向かうこともできれば
黙ってみていられれば、やる子どももいる。

あなたが笑えばいい。
生きていればいい。

願いが人を動かす気がする。

やる気がない・・・
なんて、
魚のシッポ。
本体、別にアリ。

今北玲子

2008年7月21日

司会

昨日と今日、卒業生のNちゃんと会った。

[この絵を見て下さい。
玲子先生、今北先生」
去年、興奮して教室にやってきた。
仙台で初めて、
Nちゃんの大好きな画家の個展の成功に奔走していた。

Nちゃんが多くの人に見せたい、
個展は成功した。

今年は2回目、
昨日は講演会、
今日は個展と、二日続けて会いにいった。

淡色のシンプルな構図の絵は
たとえば卵の形で・・・
中心に白い・・・光・・が、
見る人には
星にも、月にも太陽にも魂にも見える。
その絵を前にすると
ゆらゆら動いて、たとえば踊って、走って、笑って、ゆらゆら、
動いて、迫って、
距離感があるようでない、一体感か、包まれているのか、
動物にも花にも雨にも雪にも一時に見舞われる悲しみにも笑いにも
希望にもなって・・
「元気出して」
「乗り越えて」
聞きたい言葉が聞こえてくる。
近くなり、遠くなりして、
会話できる。

今や、医療でも
癒しに効果的らしい。

絵の前に立つと
向き合うものを感じる。

私がNちゃんと会ったのは
20年前、
八杉先生が
仙台で、初めて
不登校、学力遅れに支援する・・講演を
開いて、間もなくだったと思う。

15歳、
ストレートな肩まで下がる髪の可憐な少女と私は会った。

不登校は
怠け、
いじめられる方に問題がある、
世間には横行していて、
学校に行けない子はただ、家にいて
先の見えない、生き方を余儀なくされた。

会った瞬間、
この子は何もしていない・・・
思った。

八杉先生の時代を読む並外れた求心力に
全国から一匹狼で塾をしている人達が大勢集まった。

岩手の優しくてキップのいいT子さんも、
会津坂下の会えば元気になる大好きSさんも
大阪の親分のKさんも
東京の兄と慕ったAさん、素敵なIさん、バツグンに文章がお上手なHさんも、
他にももっと、
仙台市内でも
穏やかで生涯の友になりたいTさんご夫婦、
夫の飲み友達Oさんも、論客Oさんと優しい奥さんYさんも、
もっともっと
全国で400を越す、
行政が何もしなかった時から、
子どもたちと会い、話を聞き、勉強の面倒も見、
小さな塾が
挙げた手を
下ろさぬ手の
私塾があった。今もある。
八杉先生をはじめ、
子どもたちの小さくなった気持ちの・・・
痛みを聞いた人達が全国にいたのである。

その当時のNちゃんは、
自宅に突然来たこともあるし、
電話で
「こんなこと、もうたえられない・・」
訴えたこともある。


その後、Nちゃんは賢くて高校から大学に進学した。
海外にも出かけ、
手作りのクッキーの仕事もした。
Nちゃんの歩いた道は多くの不登校の家族の
大きな支援となっている。

昨日の講演会で
Nちゃんは
大好きな女性画家のために
(Nちゃんのお母さんはアナウンサーで、
Nちゃんも通る声で)
おじけず、
笑顔で
マイクを握っていた。

大好きな画家のために進行を仕切り、
すっきりと立ち、
自分の言葉で大好きな画家の紹介、感動・・・
あまつさえ、
自分との絵との出会いにまで及んで、
マイクをにこやかに握っていた。
この日の司会である。

可憐で
なぜ、学校に行けないのか・・
いやというほど、
突きつけられ、
言い返せもせず・・・

昔のことは
私、覚えているけど、
あなたの本当ではあったが、
本当の本当ではない気がしていた。

大勢の前であなたは大好きな画家のために
笑顔でマイクを持っている。
これがあなたの少なくとも
自分に添う、
本当ではないだろうか。

次の日、
一番丁の個展を見て、会場を後にした。
見送ってくれたNちゃんを
なぜか、今日は振り返らなかった。

見送るあなたがいることは容易に想像できた。
私が振り返ったら、手を振るつもりであなたは
立っているのだろうけど、

私の背中が遠くになるまで、律儀なあなたは
たたずんでいるような気がしたけど、
もう、あなたを案じて振り返らなくといいように思えた。

今までは
さよならの
さよなら、二度三度と手を振った。

美しい女性になって、
もう、さよならは一度でいいかもしれない。

そうよね。Nちゃん。

もし、私に御用の節は
いつでも・・

傷つきやすい、聡明な少女は
私の前で何度も泣いたけど・・

もう、違うね・・・・
司会のマイクは
あなた次第でどうにでもなるってことです。
あなたが決めるってことです。
1本のマイク・・
あなたの声・・
141の6階の大きな会場はあなた次第。

自分の声で
誰に遠慮もせず、
モノを言える。

そういえば、あなたは15歳なのに、
八木山から通町の自宅に15歳、たった一人で
何かを言いに来たね。15歳がそう簡単にできもしないことを
したよね。

私は青葉通りを
一歩、さらに一歩、
雨なのに
今日ほどさっぱりと心地よいことはない。

Nちゃん、想い通りに生きな。.

今年のネットワークで二人でお茶したね。
私、
「大人になるってあっという間だね、楽しいね、何でも買えるし、好きなことできるし」
「覚えていますよ、
玲子先生。
あっという間に大人になるからって。
大人は楽しいよって中学生の私に言ったこと」
「覚えているの?」
「はい」

あなたは賢いね・・

あなたと向き合うと
ころころごろごろ
二人だけの
得がたい思い出が転がってくる。

今北玲子

About 2008年7月

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