最近、欠かさず見ている、NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」
この帯は「おはなはん」「雲のじゅうたん」以来かな。
古いです。私。
田辺聖子氏が好きだから、見始めたが、
初回から心をつかまれました。
魅力の要素は数々あれど、
一番は田辺氏のお人柄を藤山直美さんが好演。
2番目は脇役のキャステイング。
懐かしいだけではなく、いい役者をそろえている。
民放ではお目にかかれない味のある、
力のある役者さんばかり。
今日は私の大好きな火野正平の演技に感動。
いい声。さりげない演技。
滋賀県の朽木で農業をしている素敵な義兄
(主人の2番目の兄)がいるのですが、
火野様になんと声が似ている。
子どもたちに言ったら似てないって。
でも、私にはそっくりに聞える。
私がよければいいですね。
私が主人と結婚しようと思った時、
義兄様は私を後押ししました。
心優しく、男気のあるお人柄に感動。
この人の妹になりたい。
普段会えない尊敬する兄の声が聞える気がして。
今日も「芋たこなんきん」
(今北玲子)
6月9日 K君
「先生、結婚することになりまして。ご挨拶に伺いたいのですが」
「そう!おめでとう」
K君は塾生だが、それ以前からのつきあい。
25年前八木山に借家住まいの時、お向かいがK君の家。
5年八木山に住んで、通り町に越した。
当時、K君は5歳くらい。それから10年
「今北さんに息子をお願いしたい」
K君は八木山から北仙台まで通ってきてくれた。その後、妹も。
K君は文章の上手な、内に秘める静かな力を持つ、15歳になっていた。
第1志望合格は近所のお世話になったご恩返しできたような喜び。
高校卒業後、K君は「勉強するたびにわかる」
遂にお父様と同じ道、希望し続けた歯学部に合格した。
塾のアシスタント、高校生クラスも引き受けてくれた。
K君は愛する女性の隣で幸せそうで心から嬉しかった。
「お忙しいのにすみません」
「いいの。あなたの好きな人に会えたからね」
おめでたい席で涙は禁物。
やっきとなって、聞かれもしないのに、自分たちの当時の披露宴の話を喋った。
K君に「ついていきなさいね、あなたの選んだ人に」
「はい」
K君の伴侶に「K君はいい男なの。よろしくね」
「そう思います」
横でK君が照れて笑う。
12時きっかり、昼時を察して暇を告げていった。
6月19日を前に報告しに来てくれたのかもしれない。
ありがと。K君は私の好きなビールを沢山持って、
何も言わず、仏前に供えていった。
5歳のあなたと手をつないだことも、
幼稚園バッグのまま、家に顔を出したことも、
私のもう一人の息子、そして、私の愛する息子が
兄のように慕って、大好きだった幼馴染。
あなたと会っている最中、泣かずに頑張れたのは
K君、
あなたの笑顔がとても優しかったから。
ありがと。
6月12日 M君
「もう帰るって言っているよ」
「ええっ!すぐ行きます」
教室のドアを開けるといた!いた!
私達はM君を「赤い糸の君」と呼んでいる。
大学は東京へ、「身体に気をつけて」仙台で別れてまもなく、
夫が上京した。
広い東京で夫が駅の階段を降りる、なんと階段を上がってくる人は
仙台で別れたばかりのM君とお母さん。
感激と驚きの遭遇、M君からはがきが来た。
「先生と僕は赤い糸で結ばれている」
以来、「赤い糸の君」
M君が15歳、何としても入りたい高校があった。
周囲が反対の中、夫が応援したが、結果は出なかった。
不本意の高校に入学して心は晴れなかったのだろう。
北仙台駅を降りると、まっすぐ家には帰らず、教室に「ただいま」
当時、卒業生のご父兄にいただいたソフアがあった。
毎日が何となく面白くなかったのだろうと思う。
ソフアにひっくり返り、マンガを読んで帰る日は続いた。
大学生になって帰省するとM君とよく飲んだ。
飲むと、明るくて、夫に歯に衣着せない意見も言う。
K君のご両親は八木山から
塾の近くに越してきたかった私たちに
家を貸してくれた。
「玲子先生、あ!、あんまり変わっていない、よかった。
変わってたらどうしようか思ってたから」
「M君も変わっていない。若いね」
「玲子先生、いくつだと思ってんですか」
さっぱり、変わっていなかった。M君は今、松本住んでいる。
仕事で仙台に来たから夫の見舞いに来てくれた。
見舞いはいただけない、断ると、「それなら、今度来た時、
それで飲みましょうよ。ねっ!先生におごってもらうから」
これ、これ!この感覚!あなたに言われるとつい、うなづいてしまう。
M君の不思議な所、私達の気持ちを明るくして
じゃあね、帰っていった。
高校の時に、マンガを読んで
「じゃあね」って帰っていった時みたい。
「今北先生と僕は赤い糸」
そんなことを言ってくれたのは
あなただけかもね。
待ってるね。次の飲み会。
いい女性と暮していますね。
ジェットコースターの奥様によろしく。大好きです、奥様。
今北玲子
4月19日 J君
卒業生のJ君は菩提寺の総領息子。墓所のなかった私達は塾が縁で
檀家にしてもらったのが19年前。J君の披露宴に夫婦で招待された。
厳かで温かい披露宴。小学生の頃からのつきあいのJ君の隣には
伴侶となる女性がいるなんて嬉しい。先日、寺で立ち働く姿や物腰を
遠くから拝見した。気持ちの優しい女性。
私たちに次男が誕生した時、在塾生だった小学生のJ君T君。
二人とも素直でいい子だったから、あやかりたいと二人の共通の「也」を
勝手に頂いた。
J君は家族を亡くした気持ちを感じるいいご住職に
なったと思う。
「もし、自分が寺を継がなかったら、姉や母が
お坊さんにならなければならないから」
友人のスピーチに場内はほほえましい笑いに包まれたが、
じんときた。
あの小学生の頃から、寺の跡継ぎ、私達にも
言っていたその言葉の向こうに、子どもの一途なものがあったんだ。
披露宴の最後、お父さんのご挨拶。
「息子はお父さんとは言わずに住職と呼ぶんです」
私達にも礼儀正しく、親に対しても律儀さは変わらないんだ。
お父様は息子を育てた方々を網羅し
多くの方に息子はお世話になりました、これからは二人をよろしく
と結んだ。
わが子が生かされてきた感謝と親心には涙が伝う。
5月12日 K君
K君の披露宴は丁度、主人も無事退院し、アルコールは
無理だったが、二人でウーロン茶でも酔えた。
K君は大学4年間、塾のアシスタントをしてくれた。
当時、大手新聞社の論説員と知り合いで
仙台に来た折、塾生に会ってもらったことがある。
論客のその人と中3の塾生が会うことは何かいいことに思えた。
ものを書く、いい大人と会わせたかった。
ひとりひとり、質問をして丁寧に会ってくれた。
終わって、あの子の名前は?
K君です。「そうですか。聡明な少年だ。まっすぐな瞳。あの子の人生に
私は期待するし、祈る」言い切った。
同感でした。ひな壇に伴侶を得たK君の顔が
あの時の15才の横顔に重なる。
その後、お父さんが亡くなられて、K君のお母さんはご苦労だった。
家庭の事情が押し寄せる中でずっと、
K君は、ちゃんと勉強して、ちゃんと周囲に気を使って、
ちゃんと生きてきたけれど、私は、K君がたった一人で頑張っていた
ような気がして2O歳を過ぎても、未だにいつも愛しかった。
でも、あなたはもう、ひとりじゃない。よかった!
小学校の塾日記を主人が探して持ってきた。どんな小学生だったか。、
披露と共にK君にプレゼントした。
小学生の自分の日記や主人のスピーチに下を向いて泣いていたけれど
あなたの涙は今日は悲しくないよ。
もうひとりで乗り越えなくていいね。懸命に育てたお母さんを大切に。
アシスタントをしてくれた夏のキャンプ。
深夜、私と飲みながら
「先生、遊んでやれるいい父親になりたい」
あなたの言葉ではなかったか。
これからはいつだって、
あなただけを振り返る素敵な女性がいる。
その夢が叶うといいな。
6月8日 K君
授業が終わったのに、なかなか主人は帰宅しない。
まあ、いいか。では、お先にビールでも。
「玲子さんに会いたいって」
勝手口から主人に呼ばれた。出てみれば自宅前の駐車場に
10人ほど。
「玲子先生!」
「同窓会だからって教室に迎えに来てくれて、少し、呼ばれたんだ」
暗闇に懐かしい顔がいっぱい。
「玲子先生、K君結婚するって」
「まあ、よかった。好きな人ができてその人と
暮せるってなんてよかった!」
「玲子先生、K君のこと覚えてる?」
「忘れない!」
「ほら、さっきも今北先生が覚えててくれたって
感激してるの。先生たち覚えているよねえ。」
K君は優しくて、友人を困らせることもないし、心の見える
気持ちのあたたかい15歳だった。
つい、両手を握った。
「よかったね。おめでと。
あなたとこれから生きていくその方に
ついていきなさいよ」
「はい」
私は結婚する卒業生の男性には決まってこう言いたくなる。
女性には「好きな人を守ってあげてね」
大抵、女性は「勿論です」と返ってくる。
男性はつまらないことにこだわらず、
男は愛嬌!女は度胸!
「ほら、玲子先生にも報告できてよかったね。じゃあ、カラオケ行こう。」
しっかり者の同級生のIちゃんに言われて、歩き出す。
報告にきてくれたのだ。後ろにいた卒業生は深夜にも大きな声で
「玲子先生!またねえ。今北先生も飲めるようになったら、飲もうねえ!」
「カラオケにも行こうねえ」
「うん!」
バイバーイ!こんな夜は素敵です。
長くなったので、あとの二人は次回。
今北玲子
5月19日(土)
定例の夜の親の会。卒業生でも塾生の父兄でも
参加できる。折々にゲストを呼んで前半は勉強会。
後半は飲み会。今夜の参加者は父親が多い。
学校の懇談会というと、母親だが、塾の親の会には
男性の参加がある。特に今夜は!訳がある。
今春から卒業生の2世が入塾。
それに伴って、まだ、入塾ではないが、いずれ、入れるから、
予備軍、も入れると5人の卒業生が父兄として参加。
また、毎回参加してくれるご常連の父親、3人と、
早々といらしていただいたお母さん方、土曜の夜に主婦が参加するのは
大変です。申し訳なく、嬉しいです。こじんまりとした親の会ではあるが、
参加者の皆さんのお気持ちに、ほのぼのとする。
今夜のゲストは卒業生、Eさん。
Eさんのお父様は私の大学の恩師。最愛の息子と可愛い孫、恩師の
大事な2世代をお世話できるのは、光栄で嬉しい。
遅れてきた人がいる。あら、Nさん、お待ちしておりました。
「どうもどうも」当時、中3が選ぶ理想の父親ナンバーワン。
友達のように話せるから。かっこいいから。気さくなのです。
Nさんは父親の参加に貢献してくれた人でもある。
今も欠かさず、参加してくれる。
10年以上も前、当時は母親の参加が多かった。
その夜、ふらっと親の会に参加されたNさんは女性に囲まれ、
自分と同世代の孤軍奮闘している夫を見て
応援するつもりで、父親が出やすいように、参加してくれるようになった。
Nさんは父親の参加を促し、誘ってくれた恩人でもある。
夫も私と心境は同じ。嬉しそうだ。
いつもなら、「今夜はうれしいなあ」飲むところだけれど
無事に終えた手術だが、アルコールを控えている。
手に持っているのはウーロン茶。
真面目です。私なら、適当に飲むのにな。
「今北先生。ウーロン茶でも一緒に飲んでいるようだ。
もう、飲まなくていいよ。これからはウーロン茶でいいよ」
「よく、俺が飲めないのにみんな飲むよなあ」
ドキッ!やはり、口には出さぬけど思っていたのだ。
毎晩、飲めない夫の前でグイグイ、ビール飲んでる私。
「玲子先生も飲まないの?」
「いいえ、飲んでます」
「玲子先生は飲んでいいよ。今夜も飲んでいいよ」
有難き、ご常連の皆様の助言、許可!毎晩、何となく気になっていました。
では!夫の分までいただきます。ビールはおいしかった。
なんでもおいしくいただいて、楽しくいかないと、ねっ!
今北玲子
先月の4月23日夫の経皮的冠動脈形成術なる、難しい
名前の手術に立ち会った。
厚生病院1階、患者と看護師と往来が激しい長いすに
二人で腰掛ける。「今北さん」
すぐに名を呼ばれて、廊下を曲がっていった。
ほどなくして、「今北さん」
さっき夫が曲がった廊下に私も呼ばれた。「ここでどうぞ」
「向こうにご主人がいますから。もう始まっています」
ガラス一枚隔てた数メートル先に夫がいた。廊下にはモニターが何台も設置してあり、
廊下は手術室の一部。ひっきりなしに医師も看護師も行きかう。
手術室のイメージは全くない。この騒がしい場所でもう行われていると
言うのだから驚いてしまう。
「これが今北さんの心臓です」廊下に設置のモニターを指差す。
執刀医はM先生、胸のネームプレートに書いてあった。この方がしてくださるのだ。
「見てください。今、どんどん線のようなものがご主人の左手首から
冠動脈の問題の箇所を目指して入っています。ご主人の狭窄は放置したら
心配なので、今回の手術はご主人にとってラッキーでしたね」
「そうですか」私はモニターに釘付けになっていた。
規則正しく、ドッ、ドッ、けなげな心臓が映し出されていた。
今まで、長いこと夫と暮してきたが、胸の奥でこうして休まず、夫を
支えていた心臓!あなたでしたか。はじめてお目にかかった。
なんて、愛しい、なんて立派、モニターの心臓に礼!
涙があふれては伝って、あふれてきて、
「先生、すごい感動です。涙が止まりません、私」
「そういう方もいれば、家族の方の前で絶命することもありますから」
「エーっ!」そうか、祈ります。
手術室というより、テレビ局の技術室のようだ。全員がモニターを
見ながら、事を進めている。「よし、撮影」M先生はデイレクターの
よう。モニターの心臓を泣きながら見つめ続けた。
「終わりました。ステントを血管内に留置しましたから、
ほら、細くなった血管は太くなりました。こうなれば、安心です」
よかった。
無事に終わった。夫を見る目が急に変わった。
あなたの胸のうちを見せてもらいました。
黙々と働く、美しい心臓。
夫の顔を見ていても、モニターの心臓が透けて
見える感じがする。つい、胸元に頭を下げたくなる。再度、礼!
私にもいる。不埒な私のためにあんな風に働き続ける方。
みんなにもいる!一生懸命、愚痴も言わず、尽くし続ける臓器の
かたがた。帰宅して子どもたちに感動を話す。話しているうちに
また、涙があふれる。「そんなに感動するんだったら、
私も立会いすればよかった」そうだった。父親の立派な心臓を
見せればよかった。その夜のビールは格別においしかった。
夫の心臓に御礼!乾杯!
今北玲子
4月11日
今日も卒業生の2世の入塾面談があった。今年は2世が多い。
「先生、よろしくお願いします」卒業生のE君は長女に続き、
次女も入塾である。
当時の中学生の面影は残しているが、
頼もしい、立派な父親になって私の前にいる。感動する!
親になって、我が子を私たちに預けてくれるとはなんと、嬉しいことか。
喜んで、喜んでお引き受けします。面談ももう終わる。最後に聞いた。
「何か、私たちに頼みたいことはある?塾でこうしてほしいとかある?」
「先生、この子は一人の世界が好きで、
勉強だけではなく、ここでみんなと一緒にやれるように
お願いします。」
小4のあどけないTちゃんに尋ねた。
「一人が好き?」
「はい」
「そうよね、一人でいたら最高に楽しいよね」
「はい、誰にも文句は言われないし」そうそう。わかる。
「お留守番大好きです!」Tちゃんが言った。
あら、あら、私ね、それはとってもわかる。
「私も、大好き。お留守番は最高だよね。今も好きよ。」
身を乗り出してしまった。
「はい。一人でいると何でもできるし」Tちゃんの言うことは何でもわかる。
バス停でトトロに会ったメイちゃんとさつきちゃん。
あの場面を思い出す。
「会っちゃった。会っちゃった。トトロに会っちゃった!」
そんな気分!「会っちゃった。会っちゃった。
Tちゃん!あなたに会っちゃった!
こんな人に会いたい。
思えば、会いたい人には会える。
今北玲子
3月29日に中2のK君、30日の今日、小5のMちゃんがそれぞれ、
父親の転勤で塾をあとにしていった。
連日、私の大好きな二人は、礼儀正しく、頭を下げた。
「先生、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
挨拶の後に別れが訪れる。私に一連の行動が浮かぶ。
教室のドアのノブに手をかける。2,3歩で教室を出ると、
ドアは閉まる。
そしたら、もう、ここには来ないのね。
挨拶を聞いていて、うるんでくる。
人は生きている間に何人と会えるのだろうか?
何人と言葉を交わして、笑うのだろうか。
友達100人なんていないし、家族以外に
出会えることは、それほど多くない。
たかが知れている数の中で、泣いたり、笑ったりするのなら
誰とでも楽しく過ごしたいです。
K君、Mちゃん、4月からの新しいご縁の土地で、
素敵な大人になって!涙がこぼれないように、目を閉じて願う。
昨日も今日もあっという間に教室のドアは閉まった。
ご縁があって会えたらいいな。塾の階段を降りていく足音にあわせて、
もう一度、願う。「いつか、また」
今北玲子
夫は2日前から塾の会合兼ねて帰省した。
ワーイ!
亭主留守で・・・・というわけではない。
結婚してから、夫の帰宅が遅くても、友達と飲みに行っても
一度も不満に思ったことはないのですね。
一人の時間を楽しめなければ、
二人でいても楽しくない。
夫の趣味(鉄道好きかしら?)いいことです。
「今日は楽しかった」この言葉が私を幸福にする。
それにもう一つ、子どもの頃からお留守番が最高の贅沢だった。
家族で出かけるのに、留守番をせがんで、家族のひんしゅくを買った。
可愛げのない子どもでしたね。聞き入れてもらうのは大変。
時に、望みは叶う。母に真っ赤な梅干のおにぎりを
作ってもらい、一人で家にいるのが至福。
ひっくりかえって本を読んでも、誰にも文句は言われない。
そんな極上の時間はめったなことでは、子どもには訪れません。
今もです。
いくつになっても
「お留守番大好き!」
ワーイ!今北玲子
10月9日のこと
高校生クラスにきているU君が気になって塾に向かった。9時30分。
教室に入ると見かけない男性。高校生クラスの教室の真ん中に座っている。
「どなた?」主人にそっと聞くと
「これ、読んで」
「私はUの祖父です。ここで〔塾で〕どうやっているのか、気になって失礼とは思いましたが、顔を出させてもらいました。高校生活にいろいろ問題があるようでなんとかならないかと悩んでおり、心配しております」
内容はわかった。優しい笑顔でまっすぐな瞳の純朴な方だ。
「どうぞ」隣の部屋に移ってもらった。
U君のことはご心配に違いない。
高校生の彼はクラスメートをいじめて、部活停止、退部にまでいきそうだ。
お母さんから相談を受けていた。ストレートな心根の優しいいいお母さん。
会いたいとU君に電話をかけると「はい、行きます」素直な返事で1週間前、U君と会った。
「話してごらん。聞かせて」
彼は今までのことを話した。
学校では友達に「うざい」「死ね」連発する毎日。
クラスメートは彼を恐れ、教師の知る所となった。
「こんなことになるとは思ってもみなかった。中学時代は当たり前で
これくらい、言わないと周りから空気の読めない奴って思われるって思っていたから。高校では少しだけ目立ちたいと思っていただけなんだ」
「なんでこんなことで部活停止になったのか、俺が泣いたら、お前の涙はいじめられている生徒の100分の1だって言われた。次の先生はお前らしくないから元気出せ。次の先生は先輩にも俺のような奴がいたけど、がんばってみろと言われた」
高校の現場の先生もU君の気持ちを考えながら、戒めながら、何人もの先生が関わっていた。
優しい笑顔のおじいちゃんが神妙に話し始めた。
「先生、突然押しかけまして。私がなぜ来たか、話せば授業の邪魔になると思って、北仙台駅で切符予約の裏に書いたんです。本当にすみません」
「私はU君が大好きです。何ができるかわかりませんが、」
U君を隣の教室から呼んだ。
「おじいちゃんがあなたのことが心配でいらしているよ」
温和な声でおじいちゃんが切り出した。
「先生の前で話してくれないか。今夜はそれを聞きたくて塾まで来たんだ、ごめんな」
U君「いいよ。なに?」
「お前はいい奴だと思うが、ここで女先生の前で誓ってくれないか。
親には手を出さないって誓ってくれないか。俺はもう少しで家に帰るから心配なんだ」
そうか。おじいちゃんは学校生活、部活、心配だったが、家では不機嫌で荒れる孫が
家庭内暴力に発展しないか、居てもたってもいられなかった。
[女先生がお前を好きだって言ってくれたよ。お前を好きになってくれる人がいてよかったな。有難いな」
彼は黙って聞いていた。
おじいちゃんの言葉にうなづいて「大丈夫だよ」顔を上げた。
おじいちゃんは深々と頭を下げて玄関を出た。
「歩いてこられたのですか」
「はい。来てよかったです。女先生、孫のことをよろしくお願いします」
孫を思う、家族を思う、誰かを思う、思う心は横にいてあたたかい。
「お気をつけて」
10時半の夜に遠くなるおじいちゃんの背中に振ろうと思った手をおろした。
深く一礼した。
私たちを信頼してくださってありがとうございます。
彼はまだ、わからないことだらけの16歳。
親しく近しく呼ばせて頂きます。
おじいちゃん!あなたのお孫さんだもの。
今北玲子
10月12日は市民会館へ
卒業生カップルがいる。それはそれは感動の二人。
それぞれ、違う時期に入塾し、アシスタントをしてくれていた。
二人に恋は芽生え、一組の夫婦になった。
この塾で知り合い、人生を共にする夫婦になるなんて
縁の感動は天井知らずである。
折りにふれて挨拶に二人で来ていたが、
仕事の関係で仙台を離れてからは8月の盆休みに必ず来てくれる。
ひとり生まれ、二人生まれ、今年は4人家族。
来年は3人目におめもじ叶うようだ。
8歳と3歳の二人の可愛い娘は、孫にも似た感覚だが、
卒業生の母親Sちゃんの粋な計らいで「玲子さん」と教えている。
毎年、私は小さな子どもの手を引いて、楽しい夜の買い物に行く。
「何でも好きなものをどうぞ」
近くのコンビやスーパーで目を輝かせて「玲子さん、これいい?」
「どうそ」今年はもうひとり3歳も「玲子さんいい?」
ビニール袋にたいした金額でもないのに、
二人とも喜んで、帰り足のつないだ手はありがとうって握り返す感触を感じるし、
「玲子さん」見上げる顔は
二人の卒業生の当時の面影を見る。
「私、幸せ。また、来てね」
「うん、また来るよ」
Kちゃん家族と共に同級生も4人来て、夜は中学生に皆戻った。
久しぶりに飲みたかったM君も寄ってくれた。
「まるで中学生だな」
笑いながら言ったM君の一言がいい。
「そう、私も主人も同じ。あの時の気持ち」
よかったらまた来て。飲める中学生の気分で。
私はこの家族の訪問を「里帰り」と思っている。
来年は3番目をおんぶしようかな。
今北玲子
連日、テロ特措法の審議が続いている。
証人喚問の守屋元事務次官はストレスの溜まった当時の心境は正直に述べるが、肝心の給油量や
随意契約などなどの真実は何も明らかにならなかった。
11月1日、特措法の期限切れで自衛隊がインド洋から撤収する。
「ひめゆり」ドキュメント映画を思い出す。
7月27日・日記
柴田昌平監督の22人のひめゆり学徒の証言を綴った映画が弁護士会館で上映するとあって
塾生を連れて行った。
夏期講習を一日休みにした。
2時間10分の証言。
終わって、家に帰ったら尋常ではなく身体が重い。
重労働したわけではない。誰に気遣いをしたわけではない。
多くの証言が身体に残った。
蹂躙されて、抵抗も防御もできない。
証言は消えない・悲しみだった。
でも、清らjかな感じもした。
証言の皆さんの瞳だ。
その時、なにが起こったか。語るに苦しいのに
皆、優しい瞳をこちらに向けていた。
伝えたい人、その視線の先は若者であったろうか。
怖がらせてはならない。かといって事実を曲げてはならない。
伝えるべきものは伝える。
「悲惨な中を生きてきたの。だから事実を話す」
耳を覆う事実なのに
瞳が優しい。
「起きたことなの。今まで話せなかったの」
胸の中でつぶやいている気がした。
ひめゆり 副題
「忘れたいことを話してくれてありがとう」
まさにそうだった。
私は久しぶりに亡くなった母を見た。
学徒動員で私の母は多賀城の軍需工場に10代を過ごした。アルフアベットも知らない。勉強は全くしなかった。配電ばかりよくわかっていた母だった。
自分たちよりひどい状況に置かれたひめゆりの方々を戦後、知りえたのだろう。
戦後、映画にもなり、私が美しい女優たちで全国配給された映画に興味を持って「なあに、ひめゆりって」答えてもらえなかった。「映画の話だからね」「じゃあ、本当はちがうの?お母さん」
母は聞えない振りして答えなかった。
父はシベリアに抑留、捕虜となり、テレビ画面にハバロスクと地名が映し出されると戦争体験を話したがった。酔うと「ハバロスク、ハバロスク、ラララ、ハバロスク」戦友と歌った歌を歌い、子どもの前でもよく泣いた。
母は「小さい子に恐ろしいことは言わないで。怖がらせないで。大人になってから言って」
父は「今のうちに言っておかないと又、戦争が起きる」二人は平行線だった。子どもながらにどちらが正しいわけではないと思った。
母はひめゆりの皆さんと同時代を生きたからこそ、代弁はできなかったろう。今になって無言の母の横顔の意味を知る。母は学徒動員の生活がいやで、友達と抜け出した。東北本線の線路伝いに歩けば、家に帰れる、暗い線路を父母恋しさに一晩中歩いたという。汽車の音がすれば、松島のトンネルの避難のくぼみに隠れ、歩き通し帰り着いた。
ひめゆり宮城喜久子さんの証言・「お母さんにもう一度会いたい」
塾生は最後まで見続けた。
皆さんの記憶を残す息遣いがあるから、
悲惨で残酷な事実も見つめられた。
平和を心から望む瞳に見つめられるから、
想像しただけで苦しくなるような血の匂いも
同級生の無残な最期も、
見つめられた。
「大きな傷を負った人の精神科医療の
通底ともいえるものがこの映画にはある。」
精神科医のコメントが映画のちらしにあった。
戦争のない今の世なのに、大きな傷を背負う人はいる。
消えぬ悲しみは
深く生きた人の言葉によって心の深い場所で抱かれる。
今北玲子
卒業生のYちゃんが保護者となって私達の前に座る。
「先生、喜んで先生の塾に通ってるけど、
うちの子どうですか?」
「素直で真面目で、でも間違って覚えている所が
多いから、復習を片一方でしながらね」
「やっぱりね。もっと早く先生のところに
お願いすればよかった」
「そんなことはない。一生懸命に教えるから」
主人はどこでつまづいているか、塾のテスト答案を
見せた。
「先生はここんとこ、しっかり教えてくれたよね。
そうそう」
表情は中学生の授業をよく覚えていて
答案用紙を見せても話が早い。
「先生、うちの子大変なの。どうやって育てたらいいか、
わからなくなる。どうすればいい?」
「自分で考えろ。悩むんだな」
卒業生だから言える。
「はい、悩みます。ですよね。
先生・あの時のように・うちの子を
叱ってくださいね。びしびし」
「そんなに俺、怒んないよ。」
「塾から帰ってきたうちの子に、今日先生は怒らなかった?
聞くと、怒られなかった。おかしいなあってうちの子に言ったの。
先生、怒んなくなったの?」
大声で笑いながら、何でも言える間柄は楽しいものです。
卒業生が親になっても、年齢が飛んで、ふと
今も進路相談している気分になる。
でも、相談の中身が、大切な子どもになった。
15歳のYちゃん・あなたはいいお母さんになったね・
そしてまた、今度はあなたの大事な子どもの世話をできる、
15才のときのようにあなたの役に立てる、
Yちゃん・私、いい気分です。二人の母と子は慕わしく、愛しい。
師は三世。前世、現世、来世にてご縁があるという。
それなら、現世にても三世・卒業生の三世の子を教えてみたいな。
今北玲子
最近休みがちなO君。
なぜ、塾を休むのか?O君のお母さんも悩んでいた。
「部活で疲れると、塾を休んでしまうし、
部活が本当に楽しいとも思えないし、
テストの点数も悪いし、家では勉強しないし、
どうしていいのか・・・」
普段の生活を聞いて見ると
部活の疲れはありそうだ。
今までの経験だと
部活が忙しくて、塾も休みがちになると
塾に行きたくないのなら、やめなさい。
親の切り札が登場する。
O君もそうかなあ・・
やる気のないO君は部活も勉強も何もかも
覇気がない。
数ヶ月前もO君と長いこと話したけれど、
夢中になるものもないし、かといって、勉強する気にも
なれないようだった。
O君のお母さんが言った。
「そんなに塾に行かないならやめなさい。
とは私、言いたくないんです。、息子もやめないと言うんです。
今北先生と離れたくないです。
塾をやめさせたら、どうやって息子を
育てたらいいか。私、わかりません。
勉強だけでなく、いろいろなことを教えてやってください。
絶対にやめませんから
先生、お願いします」
私も同じことを考えていた。
なにができるかわからないけれど、やめないで下さい。
O君のご両親と共に、0君に関わり続け、
塾を休んだら「どうしたの?」
勉強が手につかなかtったら「わからないところはどこ?」
「私は0君の子育てに参加したいです」
私が誰かに言われたい言葉。
あなただけ、母親だけでは大変だよね。一緒に育てましょ。
言われたら力が出る。
みんなで育てましょう。なんて、そんなきれいごと
無責任な親切はいらない。
言うだけで、あてになどできない。
参加します。
O君のお母さんは「先生、是非、お願いします」
がんばろうぜ!握手しそうになった。
今北玲子
中1のR君のお母さんは嬉しそうに言った。
「本当にありがとうございました。先生のおかげです」
R君は5教科の合計が400点を越えた。
子どもの笑顔も嬉しいが親御さんの笑顔も格別です。
「真面目にこちらの言うことを聞いてくれたから、
私達も嬉しいですよ」
にこにこしながらR君のお母さんは楽しそうに言った。
「上に姉がいますが、
テストの点数は悪くてね。でも、点数が悪くとも高校には何とか
行きましたし。何とかなるもんですよね。
お金がなくとも何とかなりますしね」
アハハ。
「それが今回のテストを息子から見せられて
あんまりいい点数だから、私、電卓で1教科ずつ足し算したら
400点越してる。
わあ!すごいねえ!すごいねえ!褒めました。
私の家族では夢の世界の点数で
涙が出ました」
アハハ。
R君はお母さんにあんな風に言われたら気持ちが良かったに違いない。
自分のとった点数を喜んでくれる親の姿は心から嬉しいはずだ。
R君は寡黙だが、落ち着いた少年で、友達にも優しいし、
自慢することもない。
そうね、家に帰ったらあんなにR君のことを喜んでくれるお母さんがいる。
すさむことはないね。
母からあなたはすごい!賞賛の言葉を聞き、
うれし涙の母を
照れくさそうに見ていたR君が想像できる。
「本当に先生のおかげです」
私達もR君のお母さんに褒められて嬉しくなった。
子どもに感謝すること。誰かに「ありがとう」
周囲を不思議と元気にする。
今北玲子
「あぺとぺな子ですが、お願いしたくて」
お母さんが言う通りだった。
塾初日から、授業中に鉛筆を落とす。拾ったかと思うと消しゴムを落とす。
又、鉛筆、消しゴム、立った拍子につまづいて転ぶ。
勉強をしたくないのも半端ではない。鉛筆を持たせるのに一苦労。
それから何度も話して聞かせた。「わからないことは教えるからね。物を落とさないでね」
勉強が大嫌い、大嫌いの上に大が3回ほどつくくらい嫌い。
W君の面談。どうしてそれほどまでに勉強が嫌いになったのか?
少しでもW君のことを聞きたい。
「鉛筆を持たせることが難しいのです」ありのままを話した。
長身の美しいお母さんは「そうかもしれません。勉強どころではなかったの」
豪快に笑うと、身の上を話し始めた。正直な気持ちのいい方のようだ。
数年前にW君のお父さんと離婚、そして再婚。
包み隠さず、私たちに話してくれた。
自分のことを飾らず、笑うと屈託なくて魅力的な女性だ。
勉強は大嫌いだけど、私はW君が好きだ。
可愛くてつい微笑んでしまう子どもらしい子なのだ。
塾を出る時、私は小学生は玄関まで見送る。W君は自転車で乗って帰る。
「せんせーい!バイバーイー、さようーなら!せんせーい!バイバーイー」
塾の前はバス停。夕方は沢山の人が並んで待っている。
人目も気にせず、大きな声で笑顔で何度も振り返る。手まで振ることもある。
「前をみてー」
「だいじょうーぶー。せんせーい、バイバーイー」
お母さんの話を聞きながら、W君の鉛筆を落とす姿、自転車の後姿
脳裏のW君を追う。あなたはその年で
お母さんの選んだ生活を受け入れて暮してきたのね。なんて偉い子なんだろうと思った。
その日、W君はいつものように早々と教室にやってきた。
「こんにちわー」
授業が始まる前のいつもの確認「漢字は大切だからね。きちんと覚えようね」
「うん」
急にW君のお母さんの話が思い出された。
「あの子は私にはつらくとも、何も言わない。我慢するんです」
「わからないことはなんでも言うんだよ」
「いいよ。わかった」
W君の頭を思い切りなでた。「いい子だね」
W君は笑ってじっとしていた。
「先生、ほら見て!」
頭をなでられたお礼のつもりなのか、ひょうきんな寄り目の面白い顔をした。
私が大笑いすると何度でもしてみせた。
「先生、これは?」読めない漢字を覚えようとし始めている。
W君を離れて別の子に行くと、「先生これは?」
教えると又、呼ぶ。「先生これは?」
「待ってね。すぐ行くから」
「先生、教えてよー」
「待ってて、行くからね」
「先生、お願い、教えて」
私の左手を、両手でつかんだ。強い力ではない。
「行かないでよー」
小さな両手はやわらかくて、ふわふわしていて、あたたかかった。
今北玲子
7月に入ると親との面談をする。
30分程度だが、塾での様子や試験の点数や
親の気持ち、中3は志望校まで、夫と二人で
一生懸命に話す。
時には、親が思っている子どもの姿と違うことがある。
真面目に取組んでいるのに
親は「試験前だというのに何もしない」
しかし、その子は塾でひたすら、勉強して家に帰ると
くたくたになっていた。
家以外のわが子の様子を知るとほっとするのは人情。
私も同じだからわかる。子どものことは心配だし、よそでご迷惑を
かけていやしないかと不安になるし、我が家にも何もしないで
夜はひっくり返って、テレビ三昧、ゲーム三昧の子がいるから
よくわかる。
昨日は穏やかで優しい中1のTちゃんのお母さん。
試験前に学校の先生が「勉強しなかったら泣きを見る」
これは序の口で、様々な良かれと思う教師の恐ろしい励ましに
中1で初めての試験なのに萎縮してしまったという。
その教師がこわくなって「怒られたらどうしよう」びくびくしている。
その上、試験の点数も思うように取れなかった。
お母さんは2時間もかけて気持ちを聞いて、なだめた。
Tちゃんの試験が終わってもすっきりしない顔、結果を報告しに来た時の
申し訳なさそうな顔、面談でいろいろ聞かせてもらってわかった。
その日、Tちゃんの授業があった。面談の内容を親の承諾もなしに
子どもに話していいものか。
Tちゃんはお母さんには話したけど、私たちに自分の気持ちを本当は
知られたくないのではないか。でも・・・
毎日学校で会う大人がこわい!どれほどか。
楽しいわけない。帰ろうとするTちゃんを私はもう呼びとめてしまっていた。
「今日、お母さんから聞いたの。毎日大変ね。ひどい先生だね」
「うん」
「Tちゃんがわかるように、力になるし、あなたの役に立つからね」
少し笑った。
「何もこわくないよ」
「うん」
次の日の夕方、Tちゃんのお母さんと偶然、会った。
「すみません。私、Tちゃんが不憫になって話しかけてしまいました」
「玲子先生に声をかけてもらったって。喜んでました。ありがとうございます」
よかった。
私はTちゃんが不憫で、少しでも元気になってほしかった。
誰だって、脅かされるより、案じてもらう方がいい。子どもだって、大人だって。
Tちゃんはまだ、13歳、自分のことを心配してくれる大人が
いっぱいいて、愛されていい。
よし。
その教師がとことん、Tちゃんを
脅かすというなら、私はそれ以上にとことん、案じて
「あなたはいい子です。大丈夫」言い続ける。
今北玲子
塾に向かった。
冷え込んだ夜の匂いと冬の匂い。
冬でっせ。
ねっ、夜の皆さん!
ん?
鼻先、つんと
「とっくに冬でがすと!」
年末だというのに
まだ、こたつも出していない。
だらしない娘に
天の母上・・・
今日はお叱りの冬の匂いにおわしますか。.
母上にあやかろうと
形見の紫のオーバー毎日着てても
こんなんです。
彼岸からにも世話かけまして。
いずれ、又、別のお姿にて
お母さん・・・
Reiko
、
1ヶ月前だったろうか。
自宅前の駐車場に変なとめ方の1台の車。
他の車が出られない。
こういうことはしょっちゅうある。
共同の駐車場は美容院、歯科、携帯ショップ、
特定できないが、ご近所を探せばたいてい見つかる。
その日は大家さんも巻き込んで捜索したら、
車の主はお向かいの歯科にきた方。
私は騒ぎは知らなくて帰宅。
玄関で主人に何度も頭を下げている後ろ姿。
どなた?
「旦那さん、本当にすみませんでした」
「いえいえ、一言止めますって声かけてもらえればいいですよ」
そっか。そっとしておこう。勝手口に回ろうと思った。
人の気配を背中で勘付くと察しがいい。
「奥さんですか?あららら、ご迷惑かけてごめんなさいね」
振り向かれて! おっ!
70歳はゆうに、とお見受け、
茶髪を結い上げたアップ、
一度会ったら忘れられないかも。
赤いスカーフにグレーのパンツ、前髪ってクルクルカール。
口元、際立つそこだけ元気な真っ赤なルージュ・
スリムなお姿には声が大きく、
「なんてまあ、皆さんにご迷惑かけてしまって、
今後こんな事私、二度としませんから。
許してください。許してくないねえ」
フアッションは奇抜だが、人の良さそうな感じ。
数分後、ピポピポピポーン・さっきのおばあちゃん。
玄関全開で立っている。
「これ、食べてけさい。まずっしゃ、受け取ってくない」
素早く私の手に葡萄を乗せた。
「いいんですよ。気を使わなくとも」
何度も詫びるので車に乗るまでお送りした。
紅葉マークの車に乗り込むと、これまた窓全開、
「堪忍してくないねえー」
ハンドルを握りながら頭を下げて、
車道に出ると車体を進行方向に整え、左手をあげ、ブイーンと鮮やかに
私の目の前を一気に走り去った。お見事。
次の日、午前中、ピポピポピポーン・玄関全開でおばあちゃんが又、立っていた。
昼時に帰宅した主人に報告。
「あのね、さっきね、
『奥さあん、昨日はどうも。ごめんなさいねえ』って昨日のおばあちゃんがきたよ。」
「そうか」
「それでね・・
『お宅の旦那さんは優しいねえ』
感激していたよ。あなたの昨日の玄関での一言」
「いや、きついことも言えないしな」
「そしてね・・
「おばあちゃんがね
『私ねえ・・・ひとめぼれねっ』・・」
「ええっー」主人がよろめいた。
一拍おいた私も悪かったけど
生徒には人の話は最後まで聞けっ!っていうのに?
意外に、もろくよろめいて私を見るので、
「新米」
いくつになっても「あなたは優しいねえ!」
うれしいものですよね。
ピポピポピポーンのおばあちゃんはあの日から
歯科に来るたびに必ず挨拶がてら世間話をしていく。
チャイムを鳴らすと同時に玄関バーンと全開。
茶髪のアップにパンツ姿・お決まりの真っ赤なルージュ。
「今日ね、ここまで来るのに道、混んでんの。
そしたら、ほら、途中で知り合いの佐藤さんって、
議員のね、その人のほら、隣の家のシメジがあったからっしゃ。
おつゆにでも入れて食べてけさい。
うまいよう、お宅でみんなで食べらいね」
「はい」」
ほら、と言われても佐藤さんも隣の家がどなたかも知らないけれど、
こんな会話もご縁も好きだ。
「今度は1週間後に来っからっしゃ。
奥さあん!旦那さんは優しくていい人だものねえ」
別れしなに必ず私に一言プレゼント。
男も女も年重ねて、
連れ合いほめられるって、いい気分。
このめぐり合いに間違いなかった、なんて方面まで膨らみます。
親切な横恋慕をご存知の紅葉マークの先輩・
私の新しいお友達。
今北玲子
北剏舎カップルに3人目が生まれた。
二人は塾のアシスタントで知り合い、将来を一緒に歩こうと誓い合ったが、
夫のK君には目標あって、その途中だったし、結婚式は挙げないという。
二人の門出に何かしてあげたい。
3月の恒例の卒舎式・塾生と祝うことを主人が思いついた。
「北剏舎・
北仙台駅前婚・塾前婚」
そんな垂れ幕を主人が手書きで書いた。
花嫁のSちゃんに豪華なベールではないが、
ありあわせのベールと花束を渡し、
小学生から中3、その親、アシスタント、そして私達夫婦と
教室で式を挙げてもらった。
誓約書を主人が読み上げた。
「寂しがり屋の私にたまには連絡を寄こすこと、二人で会いに来ること、」
もっとあったな・・・
様々な夫の要望を入れた誓約書を二人はうなづいて泣いて笑った。
あれから約10年。
誓約書を
律儀に守って
仙台を離れたのに、年に一度は家族の無事と子どもの成長を見せにきてくれる。
「陣痛が始まりました」
メールが入り、安産祈った。そして、無事に男の子が生まれた。
一人目のときも二人目のときも
そして、今度も
極上の喜びの鐘が鳴る。
写真が送られてきた。
美しい赤ちゃん・
美男美女の二人の子供達は
上の二人も美しかった。
その夜、電話で話した。
「この子と会うためだったのかしらね。よかったね、やっと会えたのね」
「はい、会えました。先生、いろいろ本当にありがとうございました」
私こそ。
あなた達夫婦にありがとう、二人のご両親にありがとう
二人の幸福ありがとう、5人家族ありがとう
この電話ありがとう
縁だけではない、
なにやら
頭を下げたいのです。
大きな大きな
ありがとうございます。
今北玲子
お世話になったから、今や私達のパソコンの先生のT君に連絡した。
「玲子先生よかったですね。正史先生から連絡きました。
今夜、小袁治師匠に残っていた玲子先生のブログを全て回収しましたから」
回収って?
ほーっ、世の中いろんなことができるのね。仕組みはわからないけど、感心と尊敬と感謝。
「ブログは玲子先生の財産ですから」
なんと、とんでもない、いいえ、いえ、いえ
私の財産はね、たいしたブログではないのに奔走してくれる卒業生のあなた。
連日、夫にメールがやってきた。
「奥さんの気持ちがわかる」
これまたすみません。
ブログを勝手な私信に変え、
あらら、って・・・画面の向こうでご心配を頂いた皆様!
仕事で忙しいのに深夜まで回収してくれた卒業生のT君、あなたにも!
いつもさわやか池見さんにも!(支援塾の出会い、忘れられない清々しくあたたかい方)
[復活おめでとう」いち早く(心優しい大阪の親分)小寺さんにも!
かたじけなく、
実に実に!
私、
煩わしてしまいましたね。
私・
同情という言葉は好きです。
同じ気持ちになろうとする。
「あなたの気持ちはわかるよ」
小さなつぶやきの贈り物には何かイッパイつまっている。
東北生まれの母が「ありがとう」の代わりによく言っていた。
「お痛みかけまして」
今北玲子
」
今日の午前中、教室のパソコンに向かっていた主人が
「玲子さん、早く、、これ見て」
画面を見ると、5日前に削除してしまったブログではござんせんか!
「ほら、これも、これも」
オオ!オオーッ!
次々に二度と会えないと思っていたブログが目に飛び込んできた。
「あなたたちはどこいるの?」
「小袁治師匠のお蔭だよ。よかったな」
師匠が私のブログを見て
主人に「朗報!」と教えてくれた。
言う通りに
師匠のホームページから北剏舎にアクセスすると・・・削除する前のブログは健在。
感激してしまった。
ネットの空の花火と消えて二度と目にすることはできないと思っていた。
師匠のお人柄に改めて感謝して思った。
芸を大切に精進する方であり、人との出会い、ご縁も
本当に大切にされる方だ。
師匠のブログは毎日更新されている。
師匠が発信すれば読む人は毎日つながっている気がすると思う。
お忙しいのになかなかできることではない。
更に、北剏舎だけではない、いろんな方に師匠のホームページからアクセスできるようになっている。
沢山のご縁を丁寧に手入れし、結びなおし、広げ続ける師匠の
見えない手のお蔭で非情にも削除した私の小さなブログさえ、拾って救って頂いた。
ネットの仕組みは理解不能だが、救われたブログたちが言っている気がした。
「この道を辿ったら誰一人欠けずに、皆、無事に師匠に保護されました」
やくたいもないブログとはいえ、不肖ながら身内同然とも思え、
再会の喜びに自然と顔がほころぶ。
あわや散る由の画面の文字だって笑ってる。
この先、決して会うことがないとは辛いものです。
でも、会えた。
つくねんとした昨日までの私はふわっとなった。
重畳千万・感謝感激、柳家小袁治師匠ありがとうございました。
今北玲子
昨夜、ブログを書いて作業終了。思い出したことがあって、すぐに又開いてみると
半年分ほど、ごっそりきれいになくなってiいる。
エエツー!どこ行った?
削除されている。私か?
私しかいない。
あれこれ、ヘルプを見ながら復元を試みたがダメ。
ああ・・まさかの坂はいつどこにあるのかわかりません。
今日、卒業生のネットに詳しい今や私たちのパソコンの先生・T君に連絡。
「どうにかならない?」
「やってみますけど」
「お願いします。いくつでもいいからブログを救って下さい!」
大事な友達か、私自身か、すっかりわが子のように情が移っていて
深くて広いネットの中から救出を願った。
じきに連絡が来た。
「無理ですね。自動的にバックアップが入るんですが、削除の後でした」
自分のブログが消えても誰も困らないけれど、
実害のない被害だけれど、
誰もせいでもない・私が削除したのだけれど、
ブログを書いていた時の「もう一人の私」[ブログに書いた皆さん」に未練。
これまでもあった。「加害者は私」
財布を3回落としたし、めがねを踏んでしまったし、コンタクトを水道で流してしまったし、
風呂場でも流したし、お金をトイレに流したし、近づきすぎたストーブの前でセーターを焦がしたし、
娘が行方不明・いなくなってオロオロ、ネットワークの集会場に大事な娘を忘れたのは私だったし、コンロでまゆを焼いたし、
中学生の時、スカートをはかずに学校に行って笑われたし、高校生にはホックをちゃんと留めていなかったからホームでスカート落としたし、二度あることは三度ある・結婚式でもドレスが落ちてきたし、
居酒屋でトイレの戸が開かなくて助けを求めたら自分でロックしていたし、
リレーの練習で前を見ずに走り出したらポールに頭ぶつけて3針も縫ったし、
出産の時、頭の上のバーを押し上げていきむのに逆のことして引き上げて「鉄棒じゃないのよ・懸垂しないで、もうすぐ生まれるのに」看護婦さんに笑われたし、好きな人を後輩に紹介して感謝されたし、
長年、私という加害者が私にいるのだ。
誰もせいにもできない空しい気持ちが今日一日、ゆらゆらした。
仕方がないね。悪いのは私。
夕食は鍋にしよう。台所に立ちながらも思い出す。
「ブログさん、ごめんね」詫びたりして野菜を切る。
沸騰した鍋の中で野菜と鳥団子が煮えてきた。火を止めなきゃ・思いながらぼんやり。
煮立つ鍋の音・グズグズ・グズグズ・チパ・ジバ・パチ・バチ・パチ・
ふとパチパチ・パチーン、花火の音に聞えた。
そうだ。
削除のクリックで、10件のブログの文字は画面の向こうで、
夜空の花火みたいにパッ・パーンとはじけて、
美しく、キラキラ光って咲いたような気がした。
こうなったら、ブログが華やかに
ネットの空の花火になったと思うほうが楽しい。
じゃあ、
今までのことだって、私が仕掛けた「花火」ってことにすればいいか。
今北玲子
11月8日
市民オンブズマン主催「今年も笑っていただきます」。
十月に20周年の独演会を終えたばかりの師匠に再会.
初音家左吉さんに笑い、柳家紫文さんの粋な三味線と不思議な笑い。
さて、最後の演目。
芝浜が始まった。
引き込まれ、重ねた手に力が入って、
高座に釘付け。
芝浜、クライマックスの女房の台詞。
師匠は女房になりきり、泣いた。
右隣の女性が泣いている。左隣の女性も泣いていた。
私も泣いてしまった。
ふと浮かんだ。
毎年、春になると桜の開花を待って小学生に話す話。
上野動物園の象さん。「かわいそうなぞう」土家由岐雄・作
戦争で犠牲にされたいたいけな大きな象の話を子供達の心に覚えて欲しい。
戦争は二度としてはいけない。
私は春に決まって読むことにしていた。でも、この話をすると泣くまいと誓うが、泣いてしまう。
ある年の春。正直な小学生が言った。
「玲子先生が泣くともっと悲しくなる。だからよけいに泣いちゃった」
悪いと思った。泣かずに話せばよかった。
泣かないために練習をした。でも、いざ、話はじめると泣いてしまう。
私の話術では伝わらない。
5年ほど前、象さんの話はやめた。
師匠の高座の涙を見て思った。すごい!さすが!何もかもこちらに伝わる。
誰かを思う涙だってなんだろう。
心がふるえるから泣くのだ。
師匠のように素晴らしくできなくても下手でもいいか。
来春、また、話してみようかな。思わぬ元気を頂いた。
師匠の芝浜はあったかかった。
ごめんなさい。泣いてしまうんだ。お人柄の優しさは長年おつきあいでわかる。
師匠の声がしそうだ。
今、目の前で泣いているのは小袁治師匠ではない。
亭主を案ずる優しい女房。私の知っている師匠はどこかに行って
もはや、女房がそこにいるとしか思えなかった。
師匠の話芸!涙に女房が降りてきて、
戦災復興記念館・満席の客は人情に泣きました。
気持ちのいい涙はあるもんです。
今北玲子
さっき、深夜12時少し前、夫が帰宅。
玄米食べるかたわらで、私は黙々とビールを飲む。
9時半過ぎまで、夫と一緒だったが、一日の改めての報告は帰宅後と決めている。。
子どもたちに痛いかゆいはなし。
私に不具合はなし。
あなたに異常なし。
授業にやってきた子どもたち・親から連絡ないから無事に帰宅。
さよなら、先生。今日も丁寧に教えたつもりだが、その効果はあったか、なかったか。
教えて下さいと願う。
さて、今日のどこを探っても、互いに報告すべきことなし。
ご縁の皆、息災。
無言の深夜の夕食はいい。何もないのだもの。
「こんな日を幸福というのよね」
「うん」
別して婚姻ゆえのきっと同志のあなた、同感ありがたく存じます。
「尋(と)めゆきて、涙さしぐみ・・」(涙がこぼれそうなる)
尋ねゆきて(尋ねもとめて)の含みはカールブッセの原詩にはないという。
尋ね求める、訳者が日本人にあうと思ったのなら、その誘いは名訳だな。
今北玲子
連日、テロ特措法の審議が続いている。
証人喚問の守屋元事務次官はストレスの溜まった当時の心境は正直に述べるが、肝心の給油量や
随意契約などなどの真実は何も明らかにならなかった。
11月1日、特措法の期限切れで自衛隊がインド洋から撤収する。
「ひめゆり」ドキュメント映画を思い出す。
7月27日・日記
柴田昌平監督の22人のひめゆり学徒の証言を綴った映画が弁護士会館で上映するとあって
塾生を連れて行った。
夏期講習を一日休みにした。
2時間10分の証言。
終わって、家に帰ったら尋常ではなく身体が重い。
重労働したわけではない。誰に気遣いをしたわけではない。
多くの証言が身体に残った。
蹂躙されて、抵抗も防御もできない。
証言は消えない・悲しみだった。
でも、清らjかな感じもした。
証言の皆さんの瞳だ。
その時、なにが起こったか。語るに苦しいのに
皆、優しい瞳をこちらに向けていた。
伝えたい人、その視線の先は若者であったろうか。
怖がらせてはならない。かといって事実を曲げてはならない。
伝えるべきものは伝える。
「悲惨な中を生きてきたの。だから事実を話す」
耳を覆う事実なのに
瞳が優しい。
「起きたことなの。今まで話せなかったの」
胸の中でつぶやいている気がした。
ひめゆり 副題
「忘れたいことを話してくれてありがとう」
まさにそうだった。
私は久しぶりに亡くなった母を見た。
学徒動員で私の母は多賀城の軍需工場に10代を過ごした。アルフアベットも知らない。勉強は全くしなかった。配電ばかりよくわかっていた母だった。
自分たちよりひどい状況に置かれたひめゆりの方々を戦後、知りえたのだろう。
戦後、映画にもなり、私が美しい女優たちで全国配給された映画に興味を持って「なあに、ひめゆりって」答えてもらえなかった。「映画の話だからね」「じゃあ、本当はちがうの?お母さん」
母は聞えない振りして答えなかった。
父はシベリアに抑留、捕虜となり、テレビ画面にハバロスクと地名が映し出されると戦争体験を話したがった。酔うと「ハバロスク、ハバロスク、ラララ、ハバロスク」戦友と歌った歌を歌い、子どもの前でもよく泣いた。
母は「小さい子に恐ろしいことは言わないで。怖がらせないで。大人になってから言って」
父は「今のうちに言っておかないと又、戦争が起きる」二人は平行線だった。子どもながらにどちらが正しいわけではないと思った。
母はひめゆりの皆さんと同時代を生きたからこそ、代弁はできなかったろう。今になって無言の母の横顔の意味を知る。母は学徒動員の生活がいやで、友達と抜け出した。東北本線の線路伝いに歩けば、家に帰れる、暗い線路を父母恋しさに一晩中歩いたという。汽車の音がすれば、松島のトンネルの避難のくぼみに隠れ、歩き通し帰り着いた。
ひめゆり宮城喜久子さんの証言・「お母さんにもう一度会いたい」
塾生は最後まで見続けた。
皆さんの記憶を残す息遣いがあるから、
悲惨で残酷な事実も見つめられた。
平和を心から望む瞳に見つめられるから、
想像しただけで苦しくなるような血の匂いも
同級生の無残な最期も、
見つめられた。
「大きな傷を負った人の精神科医療の
通底ともいえるものがこの映画にはある。」
精神科医のコメントが映画のちらしにあった。
戦争のない今の世なのに、大きな傷を背負う人はいる。
消えぬ悲しみは
深く生きた人の言葉によって心の深い場所で抱かれる。
今北玲子
「上の子たちはいろいろありまして・
末っ子ですが、ドンドンドンの10点配点の小学校ですから
90,100点とっていましたけど、
いいかどうか、わかりませんが、
基本はわかっていると思います。お願いします」
16年前だった。
基本のわかっている中1になろうとする末の子に会った。
母に言われるままにこにこして、北剏舎の塾生なった。
授業中、私語はなく、
ふざけることもない。
隣の友達に聞かれれば、答えだって教えかねしない、
欲もなく、切れのいい、深く考える賢い子、
所作がなんとも言えず。
あなたこと・
つい
「いい子がいるの」
当時、同級生の息子が言った。
「俺・誰だかわかるよ、お母さん」
「そう」
「うん」
「話してみたら?」
「できないよ。あっちは頭いいし、俺は頭悪いし」
それから3年後の高校合格発表の日、
次々と
報告に来るのに
あなただけ来ない。
合否をすぐに報告しに来ないのは信頼関係がないのかも・・
入試はなにがあるかわからない。
まさか・・・あなたが不合格?・・でも
今までもあった。ありえないっていうこと・
両手あわせて祈っても発表から3時間経つ。
もう6時。
祈りも、もはや結果が出て届かないかもしれない・・・
教室のドアが開いた。
切羽詰った私にえっ?
という顔で入ってきた。
「どうだった?」
「合格です」
自分の合格がそんなに重大なこと?
そんなのんきな明るい顔だった。
「おめでとう」手を握っても、涙ポロリ・も
意外な顔で私を見ていた。
あなたと話したいなんて・
言い出せないみたい・だったから
「いつか、息子があなたと話したいと思っている。その時はよろしく」
本人が言えないことを私が言わなくていいのに。
あとで謝った。ごめんね勝手に・
いいよ、お母さん、本当のことだから。
お母さんの好きなもの、いいなあって思う人が一緒って
俺、なんとなく、いいよ。
あれから13年・たって、
賢いあなたは私の言葉を覚えていて
メールくれた。
「玲子先生の言葉を思い出して連絡とろうと思ったら・・・」
・・・
・・・・
そうなの。もう、会えないの。私も連絡取れないの。
ごめんね。・・・
寝ても覚めても息子の名を何万回も心の中で呼べるのに、
私、その名・声に出せない、手が震えてキーボード・打てない・
返信はできなかった。
1月7日の夜、夫が帰ってきて、
「玲子さんのブログ見てるってメールはいってた。」
誰かすぐわかった。あなたね。
ブログは私信ではないけれど、
あなたへ・
私が返信もしないのに、
海の向こうからでも
北剏舎を見ていてくれる気持ちがうれしくて。
メールではなくてブログで
あなたの優しさ・・公開したかった。
いつか、あなたに愛する人ができて、いや、いる?
「俺にさあ、塾の先生がこんなブログ書いてくれた」
そんなあなたの人柄・伝えてみたくて・・
そういうのって・ブログだからいいってこと・
思うことにして・・・
覚えていてくれてありがと・
身体を大切にね。無理しないでね・・
あなたのことだから、
ブログ見ました、
仙台に帰ってきましたから・・なんて・
会いに来なくていいからね・
あなたの頭脳を生かして・学問して
毎日楽しく生きて。
私もなんとか生きる。
気持ちばかりの御礼・
タク君
あなたに。
そして、遠くから
私に夫に
言葉もなくて、
ひたすら、どうしているのかな
案じていただいている
お名前、敬称略の皆様・
お痛みかけまして・
不調法極まりない呼び方ですが
あなた・
という私の特別な皆様へ・
誠に
何とか生きる最中の、
いずれ、言えることができたらの
途中御礼ですが、
真っ暗だと
無言のやさしさが見えるんです。
私たちだけが不幸ではない。
みんな黙っているだけでどなたも言えぬ何かを抱えているものだと思う。
すれ違う人に、なんとか生きるから、見ず知らずのあなたも・どうか・
つぶやくと目の合う人がいる。
Reiko
これも年末のこと。親友が
「玲子の好きなあわびの肝、もって行くね、本体ないけど」
「ありがと・肝あれば」
それを小耳に挟んだ末の息子。
「お母さん、あわびって俺、食べたことない。
テレビで見たように氷水につけて食べてみたい」
「そうだった?なら、奮発して正月にご馳走しましょ」
そういえば、
こどもたちには好きなものはとことん食べさせたいと思っていたのに
末の子にはそんなイベントしていなかった。
申し訳ない。あわび・一口食べさせてなかった。
姉は5.6歳の頃、大好きなスイカ・
自分の頭より大きなスイカ預けてしこたま食べさせた。
兄にも寿司はまぐろというから回転寿司でいらない!まで食べさせた気がする。
好きなものを思いっきり食べるとそうでもなくなる。
私の祖母も母も言っていた。私も柿が好きといったら、1箱預けられた。
新婚時代に夫の喜ぶ顔みたさに頻繁にカレーにしたら
大好きな夫の好物を削除してしまった。
好物とは日ごろ食べられないものではなく、
食べ続けても飽きないものを好物という気がする。
私の好きなものは梅干。
毎日食べても飽きるどころか、ないと暮らせない。
パスタ、ラーメン、餃子、刺身、すし、私の好物・いろいろあると思っていたけど
最近本当の好物に気がついた。
ラーメンじゃなくて胡椒が、
パスタじゃなくてタバスコ・・
シュウマイのからし・餃子のラー油・・
イタリア料理店で
「うちにはタバスコ置いておりません」・・・
運ばれたパスタ見て泣いてしまおうかと思った。
お刺身の最大の友・・・
わさびがなかったから夜中にパジャマにコート来てコンビニに買いに行ったら
レジでひざまでまくったパジャマのズボンがバサッ。
わさび片手に持ってりゃ、ピンクのパジャマのズボンで走ったってなんともない。
七味を真っ赤にかけたい・うどんとそば。
そういうことだった。別解の発見は私という・憎めない変人・
料理を引き立たせる・あの気丈で
寡黙ないい奴ばっかりの香辛料が一番好きだった。
梅干は?そうだ!ご飯が好きだったんだ。
カスミソウも大好きですね。
ほかの花を目立たぬようにきれいに見せるけど、
ひとりひとりはポチッと白くて小さくて、決して集団になっても主張しなくて
ふわりと包んで恩着せない・上見て・笑って・優しい花・
私もなりたい・
カスミソウみたいな、
香辛料みたいな人・・
今北玲子
追伸
海の町に住む私の友達はあわびを沢山いただくのだそうで、
あわびをさばいては冷凍する。年末に「ハイ、玲子のおつまみ」
ひとつひとつラップでくるんで
ザクザクと数十個の肝を届けてくれる。
酢醤油にたっぷりのわさび・流水で少しとけた数個の肝をつぷんと沈め、
ビール飲みながら
はしでつついて、塩梅のいい食べごろの肝を選ぶ。
ひんやりしたゆるくなった肝の半アイス・・
おいしいです。
どうしてるかな・案じていたAちゃんが年末に訪ねてきた。
「元気だった?」
「はい、先生、フインランドのことご存知ですよね・
それで、論文を書くので現場の先生、今北先生にお話を聞きたいので、
インタビューいいですか?」
「いいよ」
1月4日、教室で会った。
PISSAの学力検査の結果の内容といきさつを教えてくれた。、
「フインランドは世界のトップの学力を誇るには教育を国を挙げて行ったんです」
「図書館の貸出率は年に日本の子供たちは4冊、
フインランドは22冊なんですよ。夕方5時には親が読み聞かせをして、国民が皆読書をするんです」
「フインランドの教師は怒らないのです。」
「フインランドでは自分が勉強することを自覚していますから、それぞれ子どもたちは自分の勉強をするんです」
「フインランドの教師はプロとして国民に信頼されているので、
勤務時間も短いんです。
フインランドの教師はプライバシーを確立されて自由なんです」
フインランド三昧の質問に夫と答える。
何気なくAちゃんの手元を見てたら、「ん?」
私たちの言葉を自分の言葉で一瞬で変換している。
「知りたいのよ、子供たちは・・」私が言うと
即座に「探究心・・」
「ねえ、さっきから気になっていたけど、人から聞いた言葉を変換したらだめよ。
あとで自分で整理して自分の論文とするのは構わないけど、
聞いた言葉はそのまま書かないと
インタビューがあなたの言葉になってしまう」
Aちゃん・・これって、中学時代に友達との行き違いが多くて言ったね。
友達の言葉はそのままよ・勝手に変換しちゃだめ・・・・
まだ、そのくせある?
「人の言葉はまずそのまま聞きなさい。
そうしたら見えてくることある。いい?」
「はい、先生」
そんなこと・・・下向いて15歳の頃は納得しそうになかったけど、
素直に笑ってペンを持ち替え、姿勢を正した。
先生、最後の質問ですけど
はい、どうぞ。
フインランドのような小さな国でできることはどこの国でも学力向上は可能だと思いますか?
「はい」
「理由は?」
「塾でもやれると思ってる」
「ワッ!すごいオチですよね」
こんな教育のあれこれ、あなたと話せるなんて。
Aちゃん!私、高校時代のあの晴れた日のことを思い出している。
Aちゃんは留年の危機も何も知らされず、春休み前に教師から突然の留年決定通告。
ありえない高校教師だった・
大人への強い不信感・・
午前中にあわてて塾に来て、
「先生!どうしたらいいですか?
確かに赤点はあったけど、
私、高校の先生にそんなに嫌われていたのかな?
このままじゃ、あぶないよとか、言ってくれなかった。
何も言ってもらえなかった」
真っ赤な目をして窓から空・見てたっけ。
仕方ないよとも
がんばれともいえなくて。私も空見た。
ただ、青い空だったね。
やめようかな・今北先生・・
中退するもしないも、どちらでもいい。中退したって進学の道はある。
夫が言った。
Aちゃんは中退を選択した。
しばらく、一人で勉強するよりは塾にきたいと、日中、塾に来た。
あの時の高校生のあなたが心配だったけど、
進学したし、高い競争率の大手の企業に内定したってね!
「あんたは自己主張できる。企業がほしいはずだよ」
ありがとございます。今北先生。
何か自信もって、私たちの前にいるんだよね。
フインランドはすごいのかもしれないね・・
私も勉強してみるね。又・会おうか。
今北玲子
「1月2日に新年会をやっているから来いよ」
20年来、夫の言葉が恒例となって卒業生が来てくれる。
出欠取るわけではないので、ある年には客間に入りきれなくて、
台所で、茶の間で、2階のこども部屋で
先輩後輩が我が家に、もやもや集まった年もあった。
近年、夫はそう宣伝しないが
常連は来る・
開塾1期生5人・・
そして今や町内会のY君、その親友T君・いつもの8期生の3人・・
正月2日は所帯を持てば何かと忙しいだろうに
算段して来てくれる。
一通りなべも出し、飲むかな。
満杯になった客間の隅っこに座ると
「玲子先生、ビールですよね」
さっとグラスと缶ビールが2,3本・・
私がすぐに飲み干すのをわかっているM君・
いい夜。
いつまでも先生ではないのに
中学生の頃のように
「今北先生!」「先生!」
夫が嬉しそう・・
15歳だった皆は働き盛りの40代・・・
言いたいことを言って
飲んで
こどものこと、仕事のこと
心のうちを話す。
夫の河北新報のコラムも話題に上る。
1期生の3兄弟の長男Y君が「お前たち!先生のコラムを読んだか!」
「読めよ」頬に涙が伝っている。
毎年、何かと議論にもなる。言いたいことを言ってもらうのは好き。
40前後ともなれば、10代のようにはいかない。ここでは歯に衣も着せぬ
何でも思ったこと言って、いいよ。
「先生の塾をこれからどうしたらいいか」
今夜のテーマになっていた。
少子化で大手の塾乱立の北仙台界隈の事情を心配してくれている。
いろんなことを言い合って
最後に大家さんのK君が言った。(あなたが開塾のご縁のモト、いてくれるだけで幸せ)
「今北先生のポリシーでこどもたちを育ててくださいよ。
何かあったら、俺たちが先生を支えればいいんだ。いいな!みんな」
声を上げて泣きたくなる。
部屋の隅からありがと・
「塾生はいっぱいいるから大丈夫だよ」
やっと言えた。
身体の中「ありがとう」が
あなたにもあなたにも、駆けめぐる。
なべにうどんを入れて、食べて、お開き。
「片付けようぜ。自分で食べたものは片付けろ。いいな」
又も、きりりとした大家さんのK君の一声。
きれいに片付けて帰っていった。
ご恩の大家さんの息子K君・今や夫ではなくて、毎年、あなたに会いたくてくる後輩が多いよ。
1期生の5人は新年会の顔。
同窓会会長のN君・(去年から2世塾生の息子を連れてくる)
O君・(仲人は今北先生に・・2児の父親)
さっき泣いてくれた幼稚園のY君、
開塾・いの一番の塾生M君・(毎年の2日の同窓会を切り上げて来る)
Y君(町内会の隣組)T君(今年は兄弟で来てくれていいな)、
8期生のいつものM君(ずっとビールついでくれて)
K君(我が家のように台所に来てつまみを焼きながら「先生、これ」」
胸ポケットから可愛い娘の写真をみせてくれた)
T君(10人くらいのライブをやりたんです。じゃ、塾でやる?いいですか?いいよ、8月みっちゃんライブ決定!あとで主人に言っておくね。)
この不思議な
どこまでも優しくて、
頼りになって、力強く
「このままでいいよ、先生・」
大きくうなづいてくれる、
親でも子でも兄弟でもないのにやたら恋しい仲間の卒業生と
来年の正月も元気であなたたちに会いたいから、
今年も丁寧に子供たちと過ごす。
私の宝物・
あなたたちも
このままでいい、
愛する人のために
あなたを必要とする誰かのために
元気で暮らしてね。
今北玲子
・
「お母さんはブログに今日のことを書いている?」
中2の息子に先日質問された。
「ううん・
今日、起きたことじゃなくて、
思い出したことを書くこともある。
昨日書いたことを次の日に公開することもあるよ」
「それはブログって云わないよ。今日のことは今日書くんだよ」
へえーっ?
ブログとは
以前のことでも
今日「思ったこと」を書いていいと思っていた。
1月2日・事始の大切な日。
「私のブログは
リアルタイムの鮮度もなくて
毒にも薬にもならないものですが、
どなたさんんも、ゴメンこうむって!」
本日ただ今・思うことであります。
Reiko
自宅前の道はさんで八百屋さん・花屋さん。
年末・年始・1月2日には卒業生の飲み会・いろいろ買って・
そうだ・花も買おう・・
わざわざバッグから財布出して手に持って
あっ!
花屋さんがない。
店をたたんで引越したんだっけ。.
そういえば、越した時も
「お花屋さんは?」
「もう1週間前に引っ越したよ。知らなかった?今北さん」
教えてもらったんだっけ。
それもこれも思い出した。
なんということか・
向かいの花屋さんのおばさんは毎朝、店先・箒ではいて、
打ち水して・・花を並べて
時々向かいから電話が来て
「今北さん、花・間に合っている?」
「何があるんですか?」
「カサブランカとカスミソウ」
なぜか、私の好きな花だけ売れ残る。
このごろ、電話がないところを見ると
売り切れの
商売していると信じていた。
「おばさん、お若いですね。おいくつですか?」
「昭和4生まれ」
「私の母と同級生ですね」
そのことだけ覚えている。
毎日、花屋のおばさんは道の向こうで
商売していると思っていた。
数ヶ月前から、すっと空き地だったのに。
思い込みの不思議・
悪い思い込みよりいい・・と思います。
花屋のおばさんは朝から元気だな!
店に夜中まで明かりもともっていて、病気がちなご主人が具合悪いのかな?
間口1間の店も、夜の明かりもおばさんの姿も
あると思っているから見えた。
幻を見ていた。
迷惑のかからぬ
思い込み・
きっと誰にも怒られませんから
いいと思います。
今北玲子
夫は午前の10時の小学生から、夜の8時まで冬期講習です。
一時も休みなし。
夕方・
私も夕食支度を終えたら行かなきゃ。
「中2のD君が鼻血だした。来れる?」
夕飯の支度の途中だが、
急いで
教室に行ったら、もう止まった。
家に戻ると又、電話。
「今から行ってもいいですか・」
「いいよ」
通信制のSちゃん。
「できるところはやっててね。すぐ行く」
夕飯の支度は途中で放棄して「後は適当に食べてください」
子供たちに任せた。
Sちゃんはスムーズにレポートは進んでいる様子。
「わかる?」
「はい、結構できます」
「山月記」のレポートのようだ。・・大好きな作品。
(舞台は中国。リチョウは俊才。科挙の試験にも合格。しかし、上司にへいこらするのはいやだ・
いずれ、100年後の作品を残す、詩家を目指して辞職。
しかし、文名は出ず、出奔。旧友のエンサンはある日、虎になったリチョウと会う。
リチョウは虎になった顛末を旧友に告白する。
出没のトラ・・・・
出会った虎は「お前か・エンセイ」
そういうお前は「リチョウ」
・・・
最近は山月記はよく高校の教科書に載っている。
この間も「先生、どこでますか?」
山を張りに来た高校生がいた。
さて、
「Sちゃん、いい話よね」
「はい、人間が虎になって、友達も虎になって、二人で仲良く暮らす話ですよね」
そっか。レポートは教科書の解説を写して何とか埋められても
Sちゃんは漢字が苦手。小中、不登校気味で高校中退。1行にひらがな少しの山月記は大変だ。
「時間は大丈夫?」
「はい」
「読んでみようか。すごく、いい話」
「読んでもらえるんですか?」
「いいよ」
朗読の箇所を鉛筆で指しながら、
Sちゃんは教科書をじっと見ている。
40分。私の朗読を瞬きもせず、
教科書に釘付けで字を追っていた。
「玲子先生、これは事実?」
「小説」
「そうか・よかった!ですよね。なんかいいですね」
「そう?私はこの作品はすごく好きなの?」
「そうですよね」
冬期講習の中学生がいる最中で邪魔にならないように小声で読んだ。
講習は終わって「玲子先生さよなら」「さよなら、先生」「はい、さよなら」挨拶しながら読んだ。
皆、帰った後、夫以外は誰もいない教室で、私の下手な朗読を延々Sちゃんは聞いた。
二人の山月記・・
「玲子先生、実は赤ちゃんが山で虎に育てられた話かと思っていたけど・・・」
「うん、違ったね」
「あなたを応援する小説」
「何で?」
「臆病な自尊心は私にもあなたにもある」
「そうなんですか?」
「そう・・自分を人に暴露されることってこわい・・」
「中島敦って1009年生まれ、100年前の人だけれど・・あなたにも私にもエールだね」
「そうか・正直に生きなさいって?」
「うん、そういう風に思ってもいいね」
いつかどこかで
2007・12・26・あなたと私の二人の「山月記」・・・
思い出してくれたら幸福。
ついでに
「私と先生はあの時・友達だったのかも」
そう思ってもらったらもっと幸福。
今北玲子
演芸大会開始・4時
3時50分
こどもたちは続々教室に来る。
定刻とおりには始まらない。
私と夫のせい・あれがない。これがない、30分も過ぎてやっと始まった。
小3・・二人トランプ手品、ぺたりと座った二人はカードを当てる手品。
卒業生の二世・10歳・あなたたちはいやなら見てるだけでいいよ・
そしたら「僕たちする」・可愛い時間
小4のK君
「玲子先生、僕一人しかきてなーい」
教室の階段で困って座って・・・
「心配しなくていいよ。学校じゃないから、遅れたら遅れたでいいの。プログラムを後にするから」
「そうなの?」
「塾だもの」
あわてたけど、すぐに全員そろって。
「僕たち笛を吹きます。お聞きください」
毎回、教室を走り回っているのに、神妙・
きらきら星・・・清らかな息で吹く笛の音はきれい。
「オオッー」中学生から拍手をもらって
「セイノ!」4人の小学生はそろって一礼。
又も「オオッー」
K君・
「やったぜ・玲子先生」
小5・劇・桃太郎・現代版に改造。
手書きの桃からして・小道具も知恵を出し合って・
ずいぶんと考えたね・
小6・手品。
ひとりひとり、有名な手品師に扮し、披露。
6年生の6人は傍目にあがっているようには全く見えない。
最後に6年生のA君がたった一人
「私は・・・る・る・る星から来たルー大柴といいます。ぶんぶんぶん蜂が飛ぶ(る)を入れて歌います」
さて、(る)を入れると
ぶるんぶるんぶるん・はるちるがるとるぶる・・おるいるけるのるまるわるり・・・・・・一気に歌った。
大喝采。
「すげえ!」
「アンコール!」「アンコール!」
小6のA君はにこにこしてもう一度歌った。
またもや大喝采!
「ありがと・A君・みんなあなたのことすごいって・度胸いいねえ!」
「よくないです」
「全然緊張しないのね?」
「そんなことないです」
「とてもよかったよ!」
「本当?先生!」
A君は全身が浮き立って楽しそうだった。
中1はダンス。流行の曲を踊った。4月にはまだ小学生みたいだったのに身長も伸びて・・・涙が出る。
中2・・2オクターブもでる歌のうまい子がリーダーで静かなハーモニーに魅せられた。
数時間の練習をトイレの前で・音感のいい女子7人・・・
中2の男子は女子に手品の個人技で応戦した。
失敗したり、忘れ物があったりしたが、絶妙な間合い・
「もう1回やって」「そこ、もう1回」アンコール。
ふと黒板を見た。
手書きのチョーク絵!
「演芸大会!の文字・雪だるまの絵」
横にいたアシスタントに・・・
「いいね・、あのチョークの絵!」
「わかります。うまいですよね・先生」芸術大で工芸専攻の彼女が同感した。
中2の温和なRちゃんだ。そして、夫の言うとおりに今回勉強して定期テスト470点を越したまじめなYちゃん、仕事を任せたら完璧・利発なMちゃん・大好き3人娘・デジカメに収めなきゃ。センスいい!
「3年C組、寸劇」中3
学校の授業風景らしい。
「2分間で漢字テストをする。用意はじめ・・・・・」沈黙・走らせる鉛筆の音を大げさに・
早々と「できた」自慢する生徒。
「鉛筆が折れた」「又折れた」「又折れた」できない言い訳をする生徒・
何もせず、いねむりしている生徒。
何も言わない教師・
テストが終わり、教師が強気で言う。
宿題をやってきたか?全員無言・
じゃあ、忘れてきた人は?
一人立ち二人立ち、のろのろ全員立つ。一人だけまだ寝ている生徒。
教師がぼやく。「俺があんなに苦労したのになんでやってこないんだよ」
ちくり・・・
脚本は小学生からの付き合いのS君。
夫が
「この塾では小学生から長くいる奴が一番エライんだ」
S君・
あなたは小学生から来ている自分が演芸大会をまとめなきゃ・そう思ったのね。
「あなたひとりで脚本を?」
「はい」
「そうか・
世の中がいっせいにどこかに流れようとしたらあの生徒のように寝てたっていい。
できた!って自慢はしなくていい・でも、時に自慢みたいだけれど、そうじゃない・自分を主張するのは必要・いやみじゃない・
鉛筆が折れたってぶつぶつ不満のように聞こえるけど、自分のことは体調だって感情だって言わなきゃ・・我慢しなくていい。
せりふは少ないけれど、大切なことがあったと思うの。いやな行動の逆を考えれば、大事なことがあるんだね。
いい脚本だと思った。ありがと」
次の日、授業で中3全員に感じたことを話した。
前から3番目のS君。「ありがとうございます。」上気した顔をノートで隠して頭を下げた。
私だって、あなたの脚本にあった「宿題」考えさせられたもの。
こどもからの皮肉も批判も・本音をありがと!
まもなく、演芸大会のプログラムは終了するのに・
小5の3人組の一人が来ていない。
ずっと気になって教室のドアがあくたび待っていたけど現れない。
小5の3人組のうち二人・心配になって
「先生、H君が来なかったら僕たちどうすればいいですか?」
「3人がそろわなかったら、今日は何もしなくていいよ」
「えっ!先生、何もしなくていいんですか?」
「したかったら、思いついたことをしてもいいよ」
「いえ、しない方がいいです」
二人の顔にほっと笑顔。
3人とも人前で何かするのはいやだったのよね。わかってた・ごめんね・
(もしかして、今日休んだあの子は気が重かったのでは?)
こどもが大人になるのに、いやなことは必要だけれど、
でも、どう考えても・
行きたくないほどいやなこと・眠れないほどいやなこと・食べられないほどいやなこと・
そんなことしなくていい・
しなくていいの・
「逃げるが勝ち」って戦国のお侍さんだって戦術の一手と言っていなさる。
あの徳川家康だって敵に追われ、馬上にて尾篭ゴメン・構うもんか・・・
「どんなことしても生きる」
逃げ遂せた事実が栄誉の歴史に残っている。
たかが、塾の演芸大会・
いやなら休んでいいよ。
昨夜のうちに
「遅れてきていいよ。ビンゴゲームの時に『遅れました』って来るんだよ」
打ち合わせしておけばよかった。
ドーナッツもジュースもご馳走したかった。
私の前に中3の大家さんのお孫さんA君・小学生低学年からの・長いつきあい・・
・・「一番信頼できる大人は正史先生」・・・小学生からよね・
「よくきたね!」部活で忙しくて今日は来れないと思っていたから。
「塾の行事は僕、絶対来ますよ。」
「ありがと!」
「これ、頭に!」
黄色のヘヤーバンドを中3の女子に渡され
「あいよ」
「玲子先生、似合う?」
「うん・かわいい!」
「いいのかな?まあいっか!これも脱ぐんでしょ?」
「そうだよ・脱いで!」
中3の寸劇のあとは全員でダンスらしい。
駆けつけた制服を脱がされ、一人だけTシャツ・・
ダンスの途中、女子に突然押されて前列に・・
振り付けも知らないのに右往左往しながら
困ったように、恥ずかしそうに、皆に合わせて、
汗かきながら、何でもいい、笑われてもいい・
演芸大会を盛り上げる・男気で笑って踊った感じがした。
これがよくて、これが悪かった・
えてして、ものを教える商売の人間は評価するんですね。
人が寄れば、寄った数だけの味・
陽が昇り、陽が落ちて・
その日を暮らして・・ぎょめいぎょじ!
反省は又明日。
あの子を思い、この子を思い、
みんないい子と思う日・
今北玲子
毎年、12月・この時期に演芸大会というのがある。
お楽しみ会・中3にとっては冬期講習に向けての仕切りなおし。
学年超えてひと時の集い。明日がその日。
各学年がそれぞれ出し物を考える。以前は凝っていた。
「おいこら、先生!」
脚本を書き、寸劇ながら、痛烈な学校批判を
やってのける中学生がいた。
最近は手品、ダンス、お笑い芸人の真似、
昨年は中3の男子が学校で習ったよさこいを踊って
教室を揺らすほどの圧巻だった。
夫は年に一度、皆でワイワイやろうというタイプ。
私はどうしても
集団の中で下を向いている子が気になる。
学校なら、適材適所で無理なく免れても、塾では出し物によっては何しかしら役が回ってくる。
心の中で「ああ、早く終わんないかなあ」
暗い気分が伝わる。
主催者は我々・悪いね。つき合わせて。
苦手な子にはいやな行事だ。
やってみれば、
時には、無口で気が重そうにしていた子が爆笑をとることもある。
普段、おもしろく何でもやれそうな子が怖気づくこともある。
思惑は当てにならない。
でも、終わってみればの話で
一人で過ごしたい子を引っ張り出すのは申し訳なくなる。
大嫌いで苦手というのは脳が好まないそうで、
逆に嫌いだってことを突然、脳が好む場合もあるそうだ。
実はいやだと思っていただけで、脳が即座に好むことあって、
本人の気持ちの問題ではなく、脳こそが好き嫌いを決定するのだそうだ。
時に一生好きなことが続く場合と、脳には「飽き」があって変わることもあるらしい。
私は人前に出るのは子供の頃から身のすくむほど、いやだったのに、
今、毎日、子どもたちの前で話をしている。
成り行きだとしても・不思議だなって思ってたけれど、
脳が好んだことだった・脳の責任か。
私が苦手なものを別人かと思える私の司令塔の脳が選んだと思えば
なんだか、気が楽、落ちつく、愉快でございます。
明日の演芸大会で人前に立つのはいや!
様々な場面に成長期の子供たちを連れ出せば物色中の脳も選択肢が広がる?
もしかして、脳が好むことに遭遇する子がいる?
明日。また。
今北玲子
今夜も夕食を終え、夫が2階にあがり今日が終わる。
ビールをもう1本冷蔵庫から出して飲もうか、それともお風呂に入ろうか。
風呂上りのビールはいいだろうな・
でも湯船にたどり着くまで寒いし・
ちょっこっと迷って
飲んじゃおうっと。お風呂は寝しなに。
私は大雑把。
365日、こたつでもいいか。家族が安らかに眠りにつけばどうってことない。
女子高生がコンビニでパンをかじっていても
「お行儀悪いね」と思うが、
食べたいところで食べたらいいわね・・・
無節操なところがある。
子供たちの箸の上げ下ろし、行儀、どうかと思って
私も大人だから注意はするけど
食べられる幸せ、ありがたい。所詮、しつけはできないなって思う。
15才の修学旅行、専用列車の朝点呼。
「れいこさんがいません」
1車両、全員・私・捜索。
私は、
夜行列車の寝苦しさに深夜座席の下に
無意識にもぐりこんで
ピンクのバッグを枕に膝折って寝ていて・・
捜索中に座席の下からにょきっと足が出て悲鳴が上がり
見つけられ気がついた。
ひとり予習の最中突然の眠気に襲われた。
えい、寝ちゃえ、
教室の床にごろんとしたら気持ちがよくて・・・・熟睡・
「玲子先生!大丈夫ですか?」
たずねてきた同会会長のN君の太い力強い大声に飛び起きた。
具合が悪くて倒れたと思ったらしい。
N君!
あなたがいることがいいのです。
どこでもいつでも食べるし、寝られる、この雑としたタチを
考えると
私は場所問わず、だな、と思う。
心の場所もそうだろうか。
そうでもない・
私の心の場所
定点はある。明るくなんとか生きる。
大好きな師・幸田文「雀の手帳・高所、恐怖」
「これ一ツとすがりついて頼りにしたのは、自分の心臓だった。力づよい音だった。
どきどきと」
最近これを実感する。
迷った時、人前であがった時、どうしようかという時
一番頼りになるのはどきどきと鼓動を知らせる心臓の音なのだ。
生まれてこのかたあなただけが頼りだったのかもしれない。
たまに定点も心臓もふさぎこんだ時は滋養がいる。
2世の小学生の授業中
夫が私を呼んだ。
「お母さん、ちょっと」
えっ!
二人は同時に驚いて顔見合わせた。
「玲子先生は今北先生のおかあさんだったの?」
「知ってた?N君」
「知らなかった、I君」
大笑いする私をきょとん・・
「私の子供たちがお母さんと呼ぶからよ」
3人で笑うともっと楽しい。
休まぬ、不満言わぬ心臓も脳の芯も笑いがお好きかと思う。
笑いの財産・落語には
ひとつの笑いに何万、何億の市井の笑いが後ろについていて
過去の皆さんのお墨付き。
みなさんも笑ってきたのですよね。
多くの皆さんが笑ってきたからこそ伝統で残っているんですよね。
なおさら、滋養になる。
落語って滋養の場所だなって
このごろ思う。
小袁治師匠・・
卒舎式の3月の滋養の落語を
お待ち申し上げております。
今北玲子
1月13日結婚式
暮れに卒業生のI ちゃんがやってきた。
「先生結婚するの。来てくれる?」
「行くよ」
「本当?私、世の中のこと知らなくて、来てくださいって言ったら来てくれると思っていたけど、
みんなが来てくれるわけじゃないのね。だから、今北先生はどうかな?って」
「卒業生の結婚式は行くよ。お前の結婚式は行くよ」夫の言葉にうなづいて
行くよと私も答えた。
まもなく、招待状が届いた。
今北正史様
披露宴は招待客の双方の人数、いろいろある。夫の名で出席を出した。
年が明けて、13日のことを考えると気になってきた。
「来てもらえる?」私たち夫婦を見ていた気がする。
思い切って夫がメールしてくれた。そしたら
「いろんな人に迷惑かけるから、ばあちゃんが言っている。でも、
玲子先生が来てくれたらうれしい」
行こう!行くよ!I ちゃん・
1月13日二人で出席した。
I ちゃんは強烈な個性の中学生だった。授業中、キヨトンとしているかと
思えば、次の瞬間、大きな口あけて笑う。
心はいささかの狂いもないほど、
相手にそれは伝わる。やさしくて、屈託のないI ちゃんに父母はいなかった。
素直によく出る言葉は「うちのばあちゃんはね・・・」
I ちゃんは祖母と言わない。いつだって、ばあちゃん・
ばあちゃんのために看護師の道を選んだ。
「父も母も亡くなってそして、じいちゃんが亡くなって、ばあちゃんとはけんかもしたけど
私はずっとばあちゃんを大切に生きていきます。」
ブルーのドレスがかわいい美しい花嫁は
涙と笑顔でまっすぐに向こうに座るばあちゃんに話しかけた。
「ばあちゃん!」
飾らないその呼び方は懐かしく、切なく、みな、目頭押さえた。
ドアの前で両家お見送り。
「よかったね、I ちゃん!」
「今北先生、玲子先生、今日はありがとうございました。ばあちゃん!塾の先生だよ」
「さっき会ったから・んだがすと!」
「んだがすとってばあちゃん・先生!これだもの」
んだがすと!はそうなの、さっきお目にかかったの。
ばあちゃん、と人目はばからず言うI ちゃんの友達は大勢いて、かわるがわる
ばあちゃんのテーブルに訪れていたから
間隙を縫ってご挨拶に伺うのは難しかった。
孫の友達にまで慕われていたことが遠目でもわかる。
忘れ形見の孫を育て上げてるのはご苦労だったと思う。
私も言っていい?I ちゃん!
「ばあちゃん、いがったね・」
今北玲子
娘が10代、帰りが遅くて夫に怒鳴られた。
「こんな遅くまでなにしてるんだ!」
沢尻えりかバリに「別に」
そんな調子でたてついたのは後にも先にも一度、
その後父親には敬意を払っているが、この間、プイとした・
「ねえ、どうして?お父さんはこまごまと気がつくんだろう?お母さん?」
「それはねえ・・お父さんだけど・・・お父さんお母さんだから」
「あっそっか!言えてるー・やることはお母さん!だよねえ」
娘が笑い、
二人で台所の隅でしばらくそう!そう!そう!
ぐだぐだ笑って
「じゃあ、下の弟は?お母さん?」
「弟だけどしっかりしているから弟だけど兄さんお父さん?2役」
「わかる、わかる、不平不満はいわないもんね。下は?」
「いつ帰ってくるんだ?遅いなあ。いつも姉の帰宅時間を心配する、
末っ子お母さん」
「じゃあ、じゃあ、私は?」
「あなたもね・・弟思いでしっかりしているからお姉さんお母さん」
そう!そう!言えてる!私ってお母さんだよね・・ぐだぐだ、また二人で笑って
「お母さんはねえ・・・」娘が考えた。
「なあに?」
「お母さんはねえ、
お母さんお父さん、玲子さんおとうさん、玲子さん玲子さん」
ほおーっ。うれしかねえ・
ひとりごちして
つかの間、ほめられた気分で暮らしていた今日。
夫とめがねを買いに一番丁へ行った時、
「玲子さん、地球堂がなくなったよ・さびしいよねえ」
「ここはなにがあったんだっけ?昔の店がやっていけないなんてどういうこと・」
そう、地球堂はなんとしても惜しい、いやだ、です。
それにしても一番丁は久しぶりなのにまあ、世情にも界隈にもよく気のつく
やはり、あなたは父さん母さん、
内心つぶやいた時、
私・突然道を間違えて振り向いた気分。
ほめられたと思っていた私の・・・お母さんお父さんって
『お母さんではないよ』
そういうことだよね?迂闊!
そういえば、昨夜も洗っていない山のような食器を背にして
ビール飲んでいたら、娘が洗ってくれた。
「ごめんね。そのままにしてて。ビール飲んだら洗うから」
「いいよ。たいしたことじゃないから」
せめて、娘が帰ってくる前に茶碗だけでも洗おう。
「玲子さんお母さん」
たまには言われないと!
でも、できればささやかな希望
お母さんお父さんでもない、お母さんお母さんでもない、
だらしない母だけど、
妻だけど、
私・
塾で知り合う子供たち
夫や3人の子供たちの
「良心」でありたい・・なりたい・・
Reiko
塾に入ろうとしたら、背中で呼び止められた。
「玲子先生。ああここで会えてよかった。」
T君とAちゃんのお母さん。
「玲子先生に!これ」
まあ、チョコですか!
生まれて初めてバレンタインに男性でもないのにチョコいただいた。
私はご父兄に何かいただくと恐縮する。お月謝いただいているのに
申し訳なくて。
贈答ご辞退申し上げます、と暮らしたいと思っていて、
だいぶだいぶ前のことだが、いただいたらお返しするほど凝り固まった律儀を通していた。
それがある日、
大家さんの長男の結婚式でのこと。
司会は小袁治師匠で楽しく品のある名司会を右耳で聞き、
もう片方左耳で隣の席の大家さんの話を聞いていた。
「玲子先生、俺はさ、勉強は教えられなかったけど、息子に教えたことがあんのっしゃ。」
「何ですか?」
「人様がくれるものはもらわい。でも、決してくれろ、だの、欲しいだのって言うな!ってね」
なんだかすとんと私の律儀が落ちた。
以後、私は大家さんの教えに従うことにした。
今日もありがたく、
日ごろの気持ちとおっしゃるKさんのお母さんのあたたかいお気持ちをいただくことにした。
今日はバレンタイン、心のどこかでお菓子屋の陰謀、乗るまいと警戒していたが、
誰かにもらえば嬉しいし、ひとつももらわないのも寂しい.
受験で疲れている中3にあげたいな。
くれ!とは言わない中3にはあげよう。男子でけでなく女の子にだってあげよう。
「私の気持ちチョコ」
両手伸ばして「すいません、アザーッス」
喜ぶ笑顔はこちらも嬉しい。
「人様にいただいたら、もらわい!
決して・くれ・とは言うな」
渡世の仁義は
バレンタインの男心と似ている?・・・
中3の皆さん、
あとわずかの高校入試は別です・
大丈夫かな?不安はやめて
ほしい、合格ほしい!
ストレートに遠慮なく
これだけを一心に願いなさいね。
努力したし、いい子です。
何かほしいとは言いませんから
中3のこの子達に合格をお願いします。
祈る。
祈りは一人より二人、二人より三人、
人数が多いと大きな祈りになって届く・・・大好きな大津の義母に教えてもらった。
今北玲子
定期試験前で中学生が大勢いる。普段はいない中学生と小学生の授業が
バッテイングして、「お兄さんお姉さん方が必死に勉強しているから静かにね!」
「はい」
「はい、がってんだあ!」小学生のKクン。小4は国語、小5は算数。
中学生の試験勉強のために教室を二分した。小5はわきまえて静かに
勉強しているが、小4は・・・・
静かに問題を解きなさいって言っているのに漢字の問題に頭を抱えた。
「これ、知っているんだ。絶対知っている。玲子先生・
待ってて!今、思い出すからうーん・・・
何で出てこないんだんだよー!」
カンケイ・・・漢字で書きなさい。
そんなの関係ない・そんなの関係ない・玲子先生やってみてもいい?
コジマヨシオやってもいい?
どうぞ!
そんなの関係ない・そんなの関係ない・
ヘタコイター!
だめだ。出てこない。
中学生は、くすくす、くっくっ、笑いをこらえはじめた。
「やっぱり辞書貸して。」
「どうぞ」
「オレ、塾に入って辞書好きになったもんね。ねえ、玲子先生・
オレ、辞書好きだもんね。頭よくなるし」
いい子だねえ、Kクン!頭なでてもいい?
「だめ!なでていいのは一人だけだから」
「そうか(お母さんか)ごめんね、
じゃあ、もうTちゃんは今日の予定が終わっているから
Tちゃんの頭をなでてもいい?」
「いいよ、玲子先生」
Kクン
「少しだけならいいよ」
Tちゃん
「結局。なでてほしいじゃん」
「ちがうよ、ちょっとって言ってんだろ?」
いい子です、Kクン、Tちゃん
「辞書取ってくるよ」
Kクンは席を立ったら歩けばいいのに、走って自分のかばんにひっかって転んだ。
痛えなあ、痛え、
玲子先生、怪我した!見て!
同じ学年のTちゃん
「この間の古い傷、玲子先生に見せてんじゃないよ、あんた、いつだって
傷だらけじゃん」
「ばれたか!」
中学生のくすくす、くっくっ、
忍び笑いは伝染し、広がる。
K君ははたと気がついた。自分の両足見てあれっ?
ブルーと白の片方ずつの靴下。
「玲子先生、いいよね、この組み合わせ。靴下に間違いないでしょ?」
「いいよ、赤でも白でもピンクでもブルーでも、両方同じ色じゃなくとも
靴下に変わりはない、いいよ」
「だよね・・いいよね」
Kクン
「オレ、まじめに辞書とお笑いを見ようっと。関係ないは漢字の勉強になるもんね。
玲子先生、書けるようにするから」
そうね・
そこにいた教室半分の中学生は腹に手を押さえ、声を殺して笑っている。
玲子先生・笑ってすみません。
だって、おかしすぎるよ、あいつ、おもしれえよ、
マジ!(ストレス解消)・マジ!おもしれえ・
小学生っておもしれえ。
小学生と中学生
同じ空間にいると
忘れかけた小学生の幼さと陽気、
いずれ、自分もあんな風になるのか予想図・
塾はミックス空間。
私はミックスジュースが好きです。
果物のみんなの味がして
楽しい味がする。
今北玲子
犬の散歩は
朝は夫、夕方三男、深夜次男と決まっている。
今日は次男が留守なので11時、私が散歩に出かけた。
私のコースはツタヤ経由、仙山線の踏み切りを越えて、
北仙台駅の駐輪場から梅田川のほとりのいく一直線の小道にきたら
犬の綱をはずす。気まま勝手に行きたい所に犬が走るのを見ながら、
夜空を見、
頃あい見計らって、口笛を吹く。
たいてい、口笛を合図に遠くまで自由な散歩を楽しんだ犬は忠実に
帰ってくる。
梅田川付近は街灯だけが頼りで物騒で怖いのでたまにだが、
深夜の誰もいない運動場になるから
犬は喜んでいるように見える。
今夜は久しぶりにそのコースをとろうと思って踏み切りを渡ろうとしたら、
深夜11時、
カンカンカン、踏み切りの遮断機がおりた。
遮断機の音と共に山形方面から列車が北仙台駅に向かって滑り込んできた。
夜行列車は闇から私の前に躍り出て、窓には明るい光があって
ふと心奪われて踏み切りから確実にホームに入る緩やかでも迫力ある走行に見惚れた。
私の足元で用足しをしていた犬をまるで見ていなかった。見るつもりもなくて
なるべく犬の排泄は目を逸らす癖が私にはある。
踏み切りを列車がガタンゴーッガタンゴーッ通り過ぎて静まったので、つい歩き出したら
「おい、おい、取らないのか」
踏み切り前で背丈の大きい男性が私を大声できつく叱った。
私は糞を置き去りにしていたのだ。
こんな奴がいるからだめなんだ、そう言いたげな男性は
私を見て怒っている。
そういう時って、ものすごく、いろんなこと考える。
私は
はなっから糞など取る気もない列車に見惚れる振りして
確信犯で見つけられたからこそこそ始末する
とんでもない飼い主と見られただろうか。
ポケットに用意はありました、信じてくれるだろうか。
北仙台駅前で塾をしているのがあとでわかったら
あんな不道徳な人間が塾の教師だなんて、
子どもを教育できるのかって
言いふらすだろうか?
あるいは、お前を知っているぞ、塾やってるんだろ?
聞いて呆れる!
非常識を吹聴されるだろうか・
心狭き妄想が・・妄想を誘発して
さかしい了見に見舞われた。
私は声に驚いてポケットから用意していたテッシュを出して犬の糞の始末をしたが
注意された男性には何一つ言えなかった。
「すいませーん。汽車見ててぼーっとしちゃって」
あっけらかーんと言える体質が私にあったらいいが、
ああ、ユーモアも臨機応変もなくて
その方に
頭だけ下げて、なおざりの一礼して、
糞を始末するなんて、自分で自分にがっかりする。
しょげてしまって
「ごめん、怒られちゃった、今夜は帰っていい?帰ろうか」
犬にだけ弁解して
梅田川の自由な走りも即座にやめにして帰り足・・。
いくつになっても怒られるのは怖い。
今もまだ、大きな男性の影が焼きついてどきっとする。
あの方に聞こえるように「ごめんなさい、今拾うところです」
まっさきに非を認めて言えばよかったんだ。
叱ってくれたあの方を追いかけて
「すみませんねえ、聞いていただけますか?
あのですね、私の息子が・・お母さん、犬の用足しは見ないでね。ほんとだよ。
言いますから、私は息子にそんなことはない、飼い主はちゃんと見ないと言い返しましたらね、
動物は見られるのはいやなんだよ。
用を足す時も死ぬ時もね・・・10歳の息子は危篤の難病の犬をただ見つめただけなのに
お宅の息子さんは犬の気持ちがわかるかもしれない、なんて感謝されましてね、
息子が行くとえさも食べるし、そのうち、立ち、歩き、走れるれるようになりましてね、
ランという老犬でしたが、生き返ったんです。
20歳の時には人を寄せ付けず、すぐに噛み付く大型犬とゴルフ場で会いまして
誰も近づけない狂犬に近づいて、水も食事もやってね、一人ぼっちのその犬が
かわいそうと毎日車飛ばして通いましてねえ、
それなら家で飼おう、と私が言ったんですけど、人を信じられなくなっているから
難しい、あいつはそれを望んでいない、
一人がいい、って言っているんだ。そんなことわかる息子で・・
何より犬が大好きで、犬と会話できる不思議な息子でして・・、
犬の用を足す時は見ないでよ。お母さん。終わってから拾って。
息子は
私に
本気で、お母さんが犬の散歩する時は「汽車でもみていればいいんだよ。
ほかを見ていればいいんだ・・」
私に真剣に「ずっと、お願い」なんて言いましたんです・・
それを忘れられない私も馬鹿ですが、
馬鹿な息子でも、息子のさもない大切な遺言でして・・・忘れられませんのです・・・
糞を置き去りにするなんて毛頭なくて、
見ていただけますか、オーバーの右ポケットにテイッシュ10枚持っているんです」
わかってもらえただろうか。
塾の子どもたちには「ごめんなさい」って言いなさいね。
まず、言いなさいね・・
私だってすぐには言えない子どもだったのに、
過ぎてしまえば人には言える説教・・
「ごめんなさいと思っていたのよね。
そう思っていたけど、言えなくて、何か思っていたのよね、そのこと教えて・・」
心がけたいな。
自分が怒られるとよくわかる。
怒られるとはなんと自分が不甲斐ない、入りたい穴にでも・・・
どうしようもない気持ち、
叱責される行動には怠惰、不勉強、非常識、劣等感、言い訳、うそ、
叱られても当然な中に
何かしら生きてきた歴史が
理由が
その人に
その子に
あると思う。
人の行動には理由にも説得にもなりようもない根拠や土壌があって
なかなか説明できない奥がある。
子どもたちの行動を見逃していいはずないが
「そうだったの」
聞いてもらえたら、話せたら
ひざを抱いて顔をうずめることは
ひとつ減るような気もする。
踏み切りで、
オイオイ!取らないのか!待てよ!180センチもあろうか、体格のいい男性は
オレが言わずに誰が言う、正義感の塊で道行く人を振り返らす大声で、
脅かされたようで、そんなこと思っても見ないのに
私は一気に罪人のようで、怖かった。女・子ども・容赦なくて・怖かった。
たとえば、ちょっぴり笑って
「忘れ物ですよ」
時に
怒るも叱るも、相手見て
物も言いようって事
あったらいいです。
Reiko
公立高校推薦入試、追っつけ私立入試が始まる。
15才の初めての挑戦は緊張と不安だと思う。
この時期になると
ピアノの先生・福井文彦先生の話を思い出す。
当時、東北大の教育学部の助教授で
のちに宮城教育大開校に伴い教授として呼ばれることになる。
11才から18才までピアノを教わるご縁をいただいた。
市内の中学・高校の校歌・子ども会の歌・合唱曲・東京オリンッピックの
「この日のために」の作曲家でもあった。
11才の時。レッスンの合間に先生は話し始めた。
自宅での二人だけのレッスンだった。
「ボクはねえ、父が医師だったから医学部を受験するつもりでいたんだ。
大学入試の前夜、ボクはピアノリサイタルに連れていってもらってね。
明日、入試だから親がボクに聴かせてやろうと思ったんだね。
そのピアノが忘れられなくてね、次の朝、医学部を受験しなかった。
できなかったんだ。行けなかったんだ。ピアノに魅せられて、虜になったんだ。
ボクはピアノを習ったこともないのに、受験の朝に両親に畳に手をついて
ピアノを習わせてください。それから毎日毎日手をついて頼んだよ。
1週間後、親が折れてね、1年間、ピアノを習って
音大に入学できたら許すって言われたんだ。
うれしくてね、ボクは本気でがんばったよ。1年後、ボクは
桐の朋の桐朋、桐朋というんだが、そこに合格したんだ。
途中からは国立音大に行って作曲を勉強したんだ。
そして今、君の前にボクはいる。
君はね、
自分がしてほしい時は頭をさげるんだ・君もいつか何か望む。
そういう時には
わかってほしい人には頭をさげるんだ。特に親には
何度でも何度でもね」
11才の私
福井先生は私を子ども扱いしなかった。
11才に大人同士の会話のような言葉を使った。
私は気のきいた言葉も思い浮かばず、胸の中は
なんだか、表わせない塊のようなものがこみ上げてきて、
涙があふれてきて
弾きもしないピアノの譜面をただ見つめて聞いた。
忘れてはいけない話だと思った。
あまりの感動で先生の言葉は一字一句大体その通りである。
きっと話の内容とともに私の感動を大きく占めたのは
自分のことを友達のように11才の子どもの私に
話してくれたうれしさだったと思う。
福井先生は毎日毎日、ピアノを習わせてください。
手をついて親に頭を下げ続けながら考えたのではなかろうか。
本当のところ、自分の真の願望かどうか、畳目見ながら
どうしても叶えてほしいのかどうか、思いつきかどうか、
どうかお願いします、くる日もくる日も言い続けながら、
己の気持ちと向き合っていたのではなかろうか。
お願いは相手に乞い、求めるだけではなく、
自分を見極めものではなかったろうか。
福井先生の話は忘れられず、中3の授業で
話すことがある。
でも、言わない年もある。
思うのはふとしたことで特に理由はない。
見えないのだが、この話を必要とする生徒がいるなって感じる時もある。
私は18才になって、母の希望の「芸は身をたすく」のアドバイスと
ピアノが好きというより
福井先生が好きで先生の大学の音楽科を受験することにしたが
もともと下手なピアノをやりくりするのは
しんどかった。
週に楽典やら聴音・ピアノと音楽を這い回っているようで
向きでないものはくたくたで、不合格はほっとした。
1番町の喫茶店で福井先生と会った。
「ボクがやろうとしている教育音楽はピアノの技量が問われるものではない。
音楽科とはいえ、学ぶ内容は違う。根底にあるのは教育なんだ。
あと1年やってみるか?そして4年間ボクのところでやってみるか?」
「・・・・・」
答えられなかった。
「お願いします」
のど元で出たり入ったりしたが、とうとう言えなかった。.
「いいんだ。即答できなけりゃこの話は終わりだ。
君の道を探せばいい」
喫茶店を出ると先生に深々と一礼して、福井先生は右に私は左に別れた。
2,3歩歩いて振り返って先生の後姿を見たら、
先生も視線を感じたか振り返り、にこっと笑って片手を挙げて
私からどんどん遠くなった。
太っちょでつるつる頭の福井先生は
すごいバリトンで歌ってくれる日もあれば
宿題の曲はレッスン最後には必ず先生の連弾となる。
気が抜けなかったが、私だけでなく、すべての弟子の横に立つと
作曲家の先生の即興の連弾は原曲がたちまち
福井文彦編曲にかわり、
一人で弾くより断然いい。音楽は興奮に違いないと思えた。
先生を頼りに弾いていると
わくわく!ピアノの単音も和音も異常に盛り上がり、
小学生がプロみたいな気になるほど
何倍も何倍も楽しくなるのだった。
晩翠草堂の奥にあるユネスコ会館の1階のフロアで
公開レッスンのようなものだったから、自分のレッスンを待っている子供たちは、
自分の番を待っている間、即興の先生のアレンジは生で
人のレッスンでも自分でも皆それを味わった。
それはそれは音楽は楽しいと思った。
私が中2の時、ピアノの発表会は小学生から芸大受験の高校生まで
全員、同じ曲だったことがある。誰も同じ曲とは知らなかった。
次々と自分と同じ曲を弾く、はじめは偶然かなと私も思った。
簡単な曲だけれど、なんだかややこしい曲だった。
福井先生はいたずらっ子のようだった。「先生、みんな同じ曲?」
小学生に質問されて
「ん?曲は同じでも違うんだよね。どうしてでしょう?」なんて笑っていた。
「今日の発表会は個性がよく出て実におもしろかった。芸大を受ける諸君、
小学生のピアノもよかったろ?同じ曲を弾くのは実におもしろい」
「あのね、自分と同じ考えの人は3人はいるんだ。ボクはこれぞというピアノ奏法を考えてね、
いずれ、発表しようとね。そしたらフランスの古本屋で見つけたんだよ、ボクと同じことを
考えて、もう本にしている人をね。オリジナリテイー、これが難しいんだ」
「ピアノばっかりやってもだめなんだよ、クラシックばかり聞いてもだめなんだ、
なんでもやるんだ。自分のいいと思う音楽を聴けばいいんだ。
感性を人に任せちゃだめなんだ」
あれもこれも思い出され、
あの後姿の距離なら追いかけて間に合う。
まだ、間に合う、まだ、まだ、
目で先生の姿を追うが、肝心の1歩は出なかった。
そのうち、先生は角を曲がり、見えなくなった。
お願いします。
場合によっては覚悟がいる。口にできるかどうかで、
自分を知る言葉にもなるのかもしれない。
「君の道を探したらいい」
さばさばと言い渡す先生の後姿は
堂々としていて私のことなどお構いなしに
実に楽しそうに空見たりして風格があって、
自分の道を歩いているようで後姿は素敵だった。
「君の道を探したらいい」
いたがき果物店の向かいの喫茶店を先生は右に折れて、
振り向いて私に手を振り、
国分町の四つ角を右に曲がってふいに見えなくなったあの瞬間から
なんと、未だに、探しているような気がするんです。先生!
今北玲子
ニュースではケヤキが伐採されると報じている。
「青葉通りはすごい人だったよ。あの音がかわいそうだった」
娘が仕事帰りに見てきたらしい。
塾の前のケヤキも数年前に伐採された。
市は北仙台周辺の町内会で説明会も行ったとしていたが、
そんなお知らせ見たことも聞いたこともない。
一度決まったことは手順よく、業者に委託され、
その日は朝からチェーンソーを持った人たちが塾の前にやってきた。
切ろうとしているところに夫がたまらずに降りていった。
「ちょっと待て、俺は聞いていない」
「もう、決まったことですし、腐っている木もありますから・・」
委託された業者に文句を言っても始まらないが
言わずにはいられない夫の気持ちは通りがかりの人にも
伝わって、駅構内から見つめるタクシーの運転手さんにも、
乗降客にも伝わって、夫の剣幕に足を止める人、
夫と共有する人は多くいた。
「切るな!切るなって言ってんだろ!」
「そう言われても切らないわけにはいかないんで」
「切るな!腐っている木があるって、もし、腐っていなかったらどうするんだよ」
午前中にやってきた数人の伐採人はしばらく木を前にして
夫の怒りの矛先がおさまるのを待っていたが、
午後になって塾の授業が始まり、夫がいないのを確かめると
切り始めた。
小学生の授業の最中、チェーソーの音はつんざく高音で空気を裂いた。
「ああ、この音・玲子先生、木がかわいそう」
「すごい音」
人情を待ったなしで切り刻む音は
子供の心まで傷つける音だった。
何もできない私は子供たちに原稿用紙を渡した。
「書こう。なんか書こう。
みんなが大人になってもこのこと忘れないように
なんか、ケヤキに書こう」
「うん」
「書くよ、俺」「俺も」
原稿用紙の使い方も無視していい。
子供たちはケヤキが倒れるまでの音を耳を覆いながら
覆っても飛び込んでくる音を聞きながら書いた。
「がんばれ、木!チェーンソーに負けるな」
「切られても負けるな」「ずっと負けるな」
子供たちの言葉は、かわいそうは一言もなかった。
がんばれ、負けるな!
ほとんどの子供たちは倒れる木を
応援した。
音が止み、倒れた木は持ち去られた。
おずおずと塾の前に降りてケヤキの切り株をみた。
ケヤキの切られた後は何一つ腐っていなかった。
木の香・美しい年輪が青々と無言で
ただ、輪切りにされていた。
増田弁護士夫婦は仙台出身ではないのにケヤキ伐採に奔走したのに、
小野寺弁護士はケヤキ伐採反対のために市長選に出馬したのに、
多くの仙台市民が反対署名をしたのに
塾の卒業生、保護者・私たちも署名を集めたけれど
届かなかったのはなぜ?
冷たい仙台市民は「ありがとう・ケヤキ」
だなんて
イベントだそうだ。
怒り心頭の・・
ごめんね・・
「切られても負けるな」
今それしか浮かばない。
今北玲子
発表が気になって昼食もすすまない。。
3時・・教室の机に電話を置いて両手を合わせて祈る。
全員合格・全員合格・・唱えずにはいられない。
3時きっかりに第一報。
(毎年、卒業生が自分の学校の発表を見てくれる)
合格です、先生・・
切るとまた一本
合格です。
今度は夫の携帯が鳴った。同時に教室の電話が鳴った。
「ありがとう、合格だね・・」
「玲子先生、合格です」
夫が泣いている。私も合格の言葉に涙が答える。
よかった、連絡はすべて合格。
合否が確認できないのはあと二人。卒業生を配置できなかった高校である。
もう1時間以上経つ。
階段を上がってくる音がする。
K君か?
待ちかねてドアを開けると
「先生、合格しました」
お母さんも一緒に入ってこられた。
よかった。入試直前に高熱と下痢に見舞われ、体調が一番案じられた。
試験はまず無事に受けられることだ。
お母さんはどれほど心配されたか。
「先生、ほっとしました」
この日は中3の子どもたちは笑っているが、ご父兄は涙になる。
K君のお母さんと二人で顔を見合わせては泣いた。
あと一人だ、どうしたのだろう?
電話が鳴った。
夫が走って受話器をとって「はい、待ってます」すぐに受話器を置いた。
「玲子さん、これから報告に行きます、だって」
夫が不安そうに
「何も言わないんだよ・合格なら言うはずなのにな」
すぐ、来るというのでいてもたってもいられず
階段を駆け下り、玄関を開け室内履きのまま道路まで出てみた。
あっ来た、数秒が長い。
「玲子先生」
笑っている。大丈夫だ。
「Tちゃん、合格ね」
「はい」
胸につかえていた不安はパチンコ・ベガスべガスの
空に一気に飛んでいった。
「塾の電話番号忘れちゃって・・・」
Tちゃんの家は塾のはす向かい、お兄ちゃんも卒業生だし、
お父さんは夜の会の常連だし、
真っ先に連絡が来るものだと勝手に夫と思っていた。
「お前が一番最後だよ・・バカモン・・でも、ああ、よかった」
合格であれば塾の電話番号を忘れたって構やしません。
「祝・28期生全員合格」夫の手書きの文字が黒板にも玄関にも
張られた。
ふと、28年分の合格発表の日の
卒業生のあの横顔、あの背中、あの握手・・
灯が点るように浮かんでくる。
毎年、夫は志望校の可能性を子どもに伝えるが、
五分五分、四分六、それでも受けたい、という中3の子どもには
「わかった。お前が覚悟して受けるのならそれでいい」
入試前日までとことん面倒を見てきた。
ある年には
志望高を下げろ、家族も学校の教師も大反対、誰だって15歳の涙は見たくない。
「やるんだな」夫が言うと
「どうしても受けたい」決意は固かった。
奇跡は起きなかったが・・
大学は難関をものにした。
何と言われようと挑戦した卒業生の次の展開は力強い歩き方をする。
高校入試は喜びも悔しさも、自分のことも、これからのことも
教科書には書いていない・生きる・ことをぶつけられるのかもしれない。
ある人には普段の努力は報われることだったり、
今に見ておれ、だったり
合否は人間の合否でなく、これからの指標なのだろうと思う。
さっぱりとした笑顔で「落ちました先生・でも大学は見ていてください」
宣言通りの卒業生は沢山いたし、
だめかと思っていたけど今北先生のおかげで
合格しました、合格が励みになって高校に行ってさらに学力を伸ばし続けた
卒業生もいた。
合格発表をさかいに大人のつきあいが毎年始まる。
28年間の卒業生は私と夫の誇りで宝物だなって思う。
でも、よかった。
今年は第1志望高に全員合格だ。
この中には
私立を失敗してどうする?公立は?
五分五分、四分六と夫に言われても
「でも受けたいです」
何としても受けると曲げなかったI君がいた。
父親は「落ちたら父親の私が何とかします」
息子を引き受ける父の覚悟は心打たれた。
I君はここ1ヶ月、遅くまで残って勉強して合格にたどり着いた。
父親と朗報を持ってきてくれた。嬉しかった。
I君のお父さんは
「いやあ、よかった。いやあ、先生、本当によかった。おかげさまです、ひと安心です」
父親の横で「アザーッス」
小学生からの付き合いのI君を
私がよかった、よかったと何度たたいてもびくともしない見上げる長身になって
野球少年の彼は逆転ホームランを打ったみたいにたくましく見えた。
I君のお母さんは・・・
夫が言うには、
「8時半ごろ、階段をものすごい勢いで上がって来る人がいてさ、
誰かと思ったらI君のお母さんで
ドアを開けると今度はオレめがけて走ってきて
先生、ありがとうございますって両手を握りしめられたよ。」
走りたいほど嬉しくて、たぶん、誰にでも
ありがとうと言いたい気分ですよね。
今夜は
中3全員のご家庭は明るく、楽しく、子どもの笑顔に
親御さんは目を細め、
何を言ってもおかしくて、食事はおいしくて、笑い声があふれているはずだ。
夫も私も
中3の一人ずつの今日の笑顔を何度も再生して
なんのつかえもない、すっきりとした幸福のビールは格別だった。
今北玲子
3月1日は夫の誕生日。
おめでとう・よかった!
お互いに無事でよくここまで。
夫が寝た後、感謝していたらふと我が家の愛犬が
そばによって来た。
なんと前髪がボーボーすだれのよう、このめでたい日になんという長髪、
主人のお誕生日だもの
美容院に連れて行けばよかったな。
ごめんね。
それなら私がさっぱりとしてあげよう。
今日は夫の誕生日!
はさみで、ここもそこも、前髪さっぱりしましょか・
日本酒をしこたま飲んだその目でどう切ったのか!
一時キャイーン、悲鳴があがった。
どうした?
何が起きたかわからなくて・・・・
きれいになったね・さて・終わりにするね。
いいことしたような気になって私はぐっすり。
次の日の朝、
「なにこれ?だれ?」
末っ子が騒いでいる。
「どうした?」
あらら!
ミニチュアシュナウザーの愛犬は羊のような愛らしいむくむく顔だったのに
顔だけ狐かハイエナ、身体は羊!
自慢の5センチもあった黒まつげはちょんちょん
豊かな顔の毛はジグザグ、ザンギリ頭でどう見てもどんな犬種というべき
コヨーテか?羊の坊主頭?コリーの短髪?たぬきの虎刈り?
ひどい格好に唖然・
なにもかも昨日とは別人・・別犬
なんともあまりの痛々しさだ。
昨夜の私でしょうか?
こんなことをしたのは?
だれ?言われて
「わたし・・・」
額に血がにじんでるよ・ひどいよ・傷つけたよね・お母さん!
はい・・・
責任取んなよ・お母さん
ごもっともで・・・・・
午前の予約を取り、犬の美容院にすごすご向かった。
すれ違う人が驚いて見ていくように感じる。
美容院でなんて言おう・
これは私が主人の誕生日に酔っ払って切ってしまって・
言えるかな?恥ずかしいな・そんなこと・
北仙台の踏切を越えて調理師学校を過ぎれば美容院だ。
ドアをあけると早速
「まあ、どうしました?」
美容院のお姉さんはしげしげと見て言った。
「すみません。
あのー、夕べ、犬好きの酔っ払いの客がこんな風に切ってしまって!
子どもたちが怒ってしまってですね、なんとか可愛くしてください」
「酔っ払いのお客さんに?」
「はい、犬が大好きないい人なんですけどね・ひどい人だったんです・」
「かわいそうに。おかしな人がいるんですね」
「本当にねえ・・」
「ここまで切るなんて・・かわいそう・・血も出てますよ・・」
「はい・・そうなんです。なにしろ酔っ払った方でしたから」
美容師のお姉さんは同情モード・・・だったが・・
あまりの犬のがちゃがちゃの頭を見て
笑いはじめた。
「こんなの初めて見ました・・すいません・・ごめんなさい・・・
すごいですね・こんな切り方・よくここまでひどく切りましたよねえ・・・」
「ひどいですよねえ・・」
大笑いのお姉さんに私も便乗したりして、
とにかく可愛くしてもらうことで引き受けてもらった。
うそはよくないです。
夕方、私は一部始終、それぞれ3人に帰宅すると告白することにした。
中学生の三男に最初の告白。
「よく言うよ。自分でしたのに・」
末っ子には非難ごうごう
「ごめんね。私、美容院でうそついたの・
私が切ったって格好悪かったから。・・ごめんね・」
次に帰宅した次男は
「あっ、そう・」
ほっとした。
長女は
「ところどころ、本当だね。
酔っ払いの客じゃなくてお母さん、犬好きの客じゃなくて
犬好きのお母さん、
すべてがうそじゃないよ・黙っていればいいのに・・・」
笑ってくれて救われた。
ばれない嘘はない!必ずばれる!正直に!
子育て中、いつも言っていたのに面目ない。
三男のお小言は続いた。
「どんなうそついてんだよ。自分でしたんでしょ?」
「うん・でも、ひどい飼い主って思われたくなかったの」
「ひどいのはお母さんだよ」
「ごめんなさい・自分で切りましたって本当のこと言えなかったの・」
そんな言い訳が続いて謝って・・ついに末の子は折れて笑ってくれた。
ありがと・・
美容院の仕上がりは
愛らしいむくむくの子羊のようだったのに
顔に合わせて身体もバランスよくそろえたら
地肌つるつるになったしまった。
言い訳は誰のためだったか?
その夜、皆が寝静まってから愛犬と話した。
ごめんね。
でも
おもしろかったね・・。
チョキチョキ、何かを切るって
私は楽しかった。
あなたもつるつるになって実は気分いい?
美容院の言い訳も少し、楽しかった。
犬を抱いて笑って・・傷つけたのはすみません。
みかんひとつあげた。
これじゃ、納得いかない、つぶらな犬の瞳見て
三個、ごちそうして、チーズも振舞って、つるつる全身をブラッシングした。
いいかな?許してくれる?
言い訳は当の被害者の犬のあなたにするべきだったね。
今北玲子
推薦で合格が決まった生徒でも公立入試まで全員、授業は受ける。
合格が決まったらのんびりとしたいと思うが、
教室が一人欠け、二人欠け、自分の合格が決まればそれでいい、というのは
さびしい。
何かのご縁で出会ったのだ。
最後まで一緒に勉強するのは心が通う気がする。
今年も塾の方針をわかってくれて
連日、中3が教室にいる。
作文書きましょ・
公立高校入試は200字程度の作文がある。
「好きな言葉」過去に出題された題だが、
練習・です・書いてみましょ・
小学生からの入塾のS君の作文の一節。
「自分では不安な仕事を任されて母に相談したら
『すべてはうまくいっている』
この言葉のおかげで僕は一生懸命にやろうと思った」
いい言葉!
「すべてはうまくいっている」
母に言われた言葉に気持ちは
上向きになっただろう。
S君に
「この作文を読んでもいい?」
「はい」
中3のみんなに紹介した。
「すべてはうまくいっている・S君のお母さんの言葉はなんていいんでしょ?
きっとあなたたちもS君のお母さんの言葉とおりにうまくいきます」
S君は私をまっすぐに見ていた。
母の言葉を紹介されて、
晴れ晴れと笑っていた。
私もS君と同じようにまっすぐに皆を見た。
すべてはうまくいっている。きっと、全員合格です。願った。
もうひとり、この中のI君の父君の言葉が思い出された。
最後の公立高を決める面談の時・
「息子が志望校を受けて不合格だったら、俺に任せろ・・・
親だからなんとかする・・あとのことは心配するな!今北先生、息子に言いました
ですから、息子の受けたい高校を受けさせてください。後のことは私がなんとでもします」
まっすぐに言い切った。
もう、子どもじゃないから
よしよし・・
抱いてやれないが、
15歳の不安な心は抱かれる。
親心は子どもの数だけある。
わが子が
愛しくて愛しくて・・・
でも、幸福はただひとつ、
愛するわが子が笑っていれば
何もいらない。
今北玲子
小4が学校で習っているごんぎつね。
プリントも一通り終わって新美南吉のほかの作品を読んであげようかなって思った。
黒板に作品名を書いた。リクエストの多いものを読んであげるね。
ヤッター・読んでくれる?いいよ・
のら犬
和太郎さんと牛
花のき村と盗人たち
ごんごろ鐘
牛をつないだ椿の木
さあ、どれがいい?
言いながら・・・・・
もしや
学校の授業で
「ごんぎつねのほかに新美南吉の本を読んだことがある人?」
なんて先生の質問に
塾の小4の5人は手を挙げる。
「のら犬知ってます」「和太郎さんと牛、知ってます」
学校の先生が
「へえ、よく知っているわねえ。いつ読んだの?」
「ええまあ」
なんてごまかしたりして
この子達が学校の先生にほめられたらうれしいな。
隣の子に
「本当はね、塾の先生に読んでもらったんだ」
きっと隣の子がひそひそと聞く。「塾ってどこに行ってるの?」
「ほくそうしゃ」
いつそんな質問が学校でされるか、わかりもしないのに
どれか早く子どもたちに読んで聞かせたくなった。
「塾に行ってよかった。学校でほめられた」
それはいい・
月謝もらっているもの・喜ばれたらいいな・
リクエストの多い、
牛をつないだ椿の木
読み始めた。
牛を椿の木につないで、清水にのどを潤し、休んでいる間に
牛は椿の葉を食べてしまう。のどを潤すためには清水まで歩かなければならない。
しかし、牛が葉を食べつくすほど清水は遠い。ああ、皆がのどを潤す井戸が道すがらにほしい。
明治時代の南吉の郷里を舞台にした作品で
井戸を掘る車夫の海蔵さんのまごころがついに地主を動かし、皆の井戸を掘った後、
海蔵さんは戦争へ・・ついに帰ってこなかった。
海蔵さんは「いさましく日露戦争で花と散ったのです。しかし、海蔵さんのしたことはいまでも生きています。椿の木かげに清水はいまもこんこんとわき、道に疲れた人びとは、のどをうるおしげんきをとりもどし、また道をすすんでいくのであります」(牛をつないだ椿の木)から
いい話!
10分経過、まだ途中なのに子どもたちはねむそうでつまらなそう。
「おもしろくない?」聞くと、
「うん。つまんない」
「やめようか?」
「かるたの方がいい」
かるたはことわざ、四字熟語、八百屋さん魚屋さん、教科書には
出てこない大人の漢字かるた。
学校でほめられるはずの予定の授業はあっさりとやめにしなければならなかった。
玲子先生・
この話は言葉もわからないし、,
筋も面倒くさくてわからない・・
人力車、まんじゅう笠、遍路さん、油菓子(広辞苑にものっていない、どんな菓子?)
木魚、念仏講、、羅宇屋(らうや)の富さん・・・(どんな商売?)」
小4では時代についていけなかった。わかんなあい・
新美南吉1913年生まれ、16才、もう童話を書き始めたんだね。
でも、30才で病気で亡くなったのよね。
30才は若いよ。
(スマップの中居くんもキムタクも
ほとんど30すぎだもの。)
これはわかる?
うん・
かわいそう、そんな若いのにね?
しんと新美南吉の人生を思っていた。
私は小学生のとき、新美南吉も宮沢賢治も読まなかった。
一等好きな読み物は母の「主婦の友」の
ドクトルチエコの人生相談、だった。
児童書といわれるものは読まなかった。
子ども扱いしないでください、と反発していた。
主婦の友は取り上げられ、母のいない時に盗み読みした。
大人になってからだ。読む時期が逆さで、今は人生相談は
読まないが、童話は好きだ。
宮沢賢治のよだかの星、20才、雨に負けす風にも負けず、最後まで読んだのは
22才、注文の多い料理店の細部までよく読んだのは30才
ごんぎつねは?
そうだ、八杉先生が仙台にきた年、21年前、34才。
(八杉晴実・
東京・練馬・私塾・東進会主宰
子どもたちと関わり、著書も多い。その実績は地域の信頼も厚く、
マスコミは八杉先生に何かあればコメントをほしがった。
不登校、学力遅れを支援する民間の団体「家族ネットワーク」を全国に呼びかけ
影響力も強く感覚も鋭い呼びかけに、全国の学校の教師、塾経営者、新聞記者、出版社
八杉先生に賛同した。
先生は何より、子どもの声が聞こえる人であった。
戦争を見つめ、戦後、世の中にはこれぞひとつの思想も教育もないほど
ころころ変わることを体感し、
その雑とした子ども時代を忘れなかったのだと思う。あなた任せはいやだって
いってらした。
澄んだ感覚で選んだ・その職は私塾だが、やり続けた教育は
教材も指導も天才的で、まれに見る絶大な子どもの支持をえた教育者であったが、
私は芸術家であったと思う。作家でもあったと思う。先生が亡くなった今も日々の師である。)
あれは・・・
仙台近隣の小学校教師勉強会に先生ご指名でゲストに呼ばれた日、
「ごんぎつね」がその日の研究作品。
私はそれであわてて読んだ。
夕方6時から勉強会で、それが終われば学校の先生と飲み会があって、
深夜になると夫から聞いていたのに
8時には先生と夫は高額のタクシー料金なんのその、
仙台まで飛ばして戻ってきた。
「玲子さん、ボクは耐えられなくなったんだよ。
帰ってきちゃった。
ごめんね。迷惑かけて
ボクはああいうの、いやなんだ。
勉強会が終わってもね、
誰もビール取りにも行かないしさ、
学校の先生って誰かがしてくれると思っているんだよね、
気がきかないんだよ・・
そんなことで人の気持ちなんかわからないよー・・・
八杉先生は飲むと歌った。プロの歌手のようにすごくうまくて、
笑うと子どものようで、会話が洒落ていて
可愛くて、憎めなくて、傷つきやすくて、
「人はさ、文章じゃわかんないよ、
顔だよ!」
感覚は刃物に近かった。
あの夜、
我が家に着くなり、アルコールはほとんど入っていないのに
先生は泣いていらした。
いたたまれないよ・
八杉先生、
ビールがすぐ出てこないだけじゃなくて
なんでお暇したのか、今はわかりませんが、
教師がああでもない、こうでもない、
教育って、教師ってなんだろう?と思われましたか?
「玲子さん、ビール飲もう」
あの時のこと、
思い出しています。
ごんぎつねの筋・・・
「きつねのごんは兵十が母親に食べさせたい,
うなぎにいたずらした。
ごんは兵十の母親の葬式にでくわす。ごんは兵十は母のためにうなぎを取ろうとしていたのに
なんて悪いことをしたと思い、いろいろ贈り物をする。
兵十は不思議な出来事に神様のおかげと思う。ごんはせっかくの自分の心が
報われないと知り、その日も兵十の家へ・・・
兵十はごんの気持ちも知らず、撃ち殺してしまう。」
先生・
教師の集団は八杉先生の見解を聞こうと全員、顔を先生に向けたのでしょうね。
参考になるなら何でも聞こうと、学校の体質の臭さでしたか?
ほんのひとかけらでも、授業の足しにしたい、
胡散臭い匂いでしたか?
先生
読むだけでいいとはいえない、
素通りできないのが教科書!
どんな作品でも教科書に載ると、先生も子どもも親もやっきとなって・
うちの子はわかっていなんです。教科書が!
読解力とやら?
さっぱし!という子は国語力のない子になってしまいます。
八杉先生、またひとつ思い出します。
初めて仙台の講演をお願いした時、
「学校が本妻で、塾は愛人じゃないんですよね。
学校だけが一番じゃない。
子どもたちは教育を受ける窓口がいっぱいあっていい。
塾は愛人ではないんですね。でも教育費の二重払いが申し訳ないと思いますね」
おっしゃった。
先生、
私、本妻の学校の先生にほめられるようになんて、
今日、考えていました。
私は子どもたちに
針美南吉の物語は難しいね。
今わからなくともいいの。
眠くなっても仕方がない。
思うことを言って
少しでも何かを感じる子がいたら
「えらいね」
ほめてあげればよかった。
塾だから月謝もらっているから、学校の先生にほめられたら
いいな!ってそればかり思っていました。
本当は私・・、
新美南吉も宮沢賢治も好きではありません。
宮沢賢治「注文の多い料理店」「よだかの星」「永訣の朝」
これ以外はつっかかって先に進みません。
いっそ、
「私ね、ごんぎつねも好きじゃない。
学校でほめられなくともいいよ・いい点とらなくていいよ・
つらいね・この話・
いたたまれないね・
10歳じゃ、この話は読んでもいいけど
つまらなかったらそのままでいいよ」
「先生、ごんぎつねは嫌いなの?」聞かれたら
「うん・あんな最後はいや・・もし自分がごんを鉄砲で撃った
兵十だだったらいたたまれない。
そこにいることすら無理な物語・
好きじゃない。
人間は傲慢である・
そろそろ対面すべき15才にこそ紹介したい。
10才から12才には
子ども扱いしたくはないが、
(大人の話でもいいが)
楽しくて、うきうき、わくわく
これから生きるのが興味津々っていう話がいい。
石山桃子(児童文学者・くまのプーさん・ブルーナ・ピーターラビット訳者)
「私は何度も何度も心の中に繰り返され、
なかなか消えないものを書いた。
おもしろくて何度も何度も読んで人にも聞かせて
一緒に喜んだものを翻訳した」
「5才の人間には5才なりの、10才の人間には10才なりの
重大な問題があります。それをとらえて
人生のドラマをくみたてること。
それが児童文学の問題です。
・・・・私はこの言葉が好きです。
八杉先生、いたたまれなかったのは
ごんぎつね、でしたか?
学校の教師の匂いでしたか?
書き散らかしてしまいました。
今北玲子
3月は『18才の君たち』がやってくる。
高校を卒業して進路を塾に報告にきてくれるなんて・・ありがと。
今年もある人は3年ぶりに教室の階段をのぼり、ある人は自宅のピンポンを鳴らしてくれた。
『あれから、3年後の君たち』と会えるのはいいものですね。
3月7日、明日は卒舎式、
教室は中2の子どもたちとてんやわんや、
二人のJ君、Y君、いの一番にやってきた。
J君、
3年間、高校生クラスで勉強した。
アシスタントも舌を巻くほどの高校の勉強は快進撃、
高校の成績はトップクラスで通した。心に決めた志望大学があるのだろう。
浪人するという。
大手の予備校は選ばず、
「近くの小さなな塾にしました」
なんか、それって嬉しい。
Y君、
「地元の大学に決まりました」
そうか。
Y君に会うと、胸が痛い。3年前、志望校に泣いたのだ。
夫がアシスタントにどうか?
聞いてみた。
「はい、やります」
自宅のピンポンも頻繁に鳴る。
U君、
「先生、第1志望校がだめだったんですが、東京に行きます」
「何学部?」
「法学部です」
「いずれ、お父さんと同じ道を歩きたいのね?」
「はい」
「大学はどこでもいい。賢いあなたなら、その道をいけると思う」
「そうですか」
「学校ではなくて、あなた次第だと思う」
「やります」
「しっかりね」
・・あなたの応援団になる。がんばれえー!
T君
「玲子先生、大学に合格しました。」
大学の名前をきいてびっくり。
「中学からずっと行きたかった大学よね」
「先生、覚えていてくれたの」
もちろんです。
中学の時は、ゆっくりとした勉強だった。
高校生になってからは、よく勉強したし、生徒会にも
積極的に活動した。
満面の笑顔で「これからいってきます」
はい、いってらっしゃい。
「また来るから、玲子先生」
手を振る姿を3年前には想像もつかなかった。
もっともっと報告に来てくれた。
ありがとう。
18歳か、これからよね。
4年後、10年後、歩き続ける卒業生を見つめ続けたいな。
今年、合格した中3のT君のお母さんからお手紙をいただいた。
「北剏舎でよかった。心から思い、感謝しております。
いつまでも北剏舎を続けてくださいね。(孫の時代まで)」
はい・
今北玲子
北仙台駅となり、自宅のとなり、教室のはす向かいの叶やさんは
卒業生のY君が母と二人で切り盛りしている店で、
タクシーの運転手さんや乗降客、時にはグルメの取材人や
さっぱりとしたしょうゆ味のラーメンは沢山の人に愛された。
私も夕方の授業が遅くなって、
「叶やさんに行こう」
空腹の子どもたちを数え切れないほど助けてもらった。
店の横には大きなケヤキが時を構わず佇立している。
堂々たる木は、四囲の高層マンションにあっても
叶やさんを豊かに覆って大樹の風格に圧倒され、魅入られる。
今年になって
「3月の19日で店を閉めるんで・・」
叶やのY君が言った。
新年会でも話していたが、そうか・・
とうとう、3月19日、
夫は授業があるので、私と3人の子どもたちと店に入った。
さすが、同窓会会長のN君が家族できている。
誰にも言わなかったのだろう。まばらな客は今日で閉店とは知らなくて
黙々と食べている。東北人の気質だ。
言わず語らず、閉店の祭りはない。
Y君らしいな、Y君のおかあさんらしいな。
ご常連にも言わずに、今日で、店を閉める気なのだ。
言えば、名残惜しいフアンが押しかけたと思うのに。
明日、きてみれば、閉店したの・・がっくりする客があるだろうに。
心遣い、気遣い無用、普通に営業して普通に店を閉めるつもりなのだ。
店の最後の日も告げず、何もしない、誰にも迷惑はかけない覚悟なのだ。
そうと思いをはせても、
閑散としていても、誰も知らないとしても、閉店はどきどきする。
何がどうなることでもないのに、
食べてみればいつものこと。
今日でおしまいなんて、母と息子は淡々と営業しているのに
私だけ、感傷的になるのはよくない。いつものようにすればいい。
二人の母と息子がいつものようにと望んでいるなら、
私もいつものように主人の土産に餃子を頼んだ。
食べ終わった頃、
「玲子先生、これ」
銀のさらに餃子がこれでもかとイッパイ。
「すみません。こんなに、この皿、明日返しますね」
Y君のお母さんが
「いいの、返さなくとも。使って、玲子先生。
さあ!
この中で
この皿を見て、この店を思い出す人がこの餃子を持って下さい」
興味深そうにお母さんが私たちを笑って見回した。
末の息子が
「俺が・・」
私たちは震える手を引っ込めて
14歳の末の子の手に預けた。
その後、3月26日
叶やのY君と同級のT君と飲んだ。
「店は37年、先生、俺の親父知ってる?」
「もちろん、恰幅がよくて、格好良かった」
「そうっすよね」
「俺が小学生の頃、親父が忘れ物したから学校に来て、
やくざの親分みたいでこわいって言われて、
玲子先生、分かりますよね」
張り上げた声は、Y君はすでに大人の男だから泣きはしなかったが、
知り合った頃の中学生の声、そのものだった。
Y君のお母さんは美人で、人気の的の母と、職人肌のきっぷのいい、腕のある父と、
二人の間を
店の中でいったりきたり、そうやってY君は育ったのだ。
お父さんが亡くなって、長男のY君は一人になった母の店に戻ってきた。
なにをどう言っていいの。閉店の事実を、父と別れた息子の
Y君をいたわれもせず、黙って、きくだけだった。
「玲子先生にあげるから」
自分とおそろいの指輪を胸に下げたチャーンから
一つ取り出して、もらった。
Y君とT君と別れて、・・・
その夜は小寒くて、小走りになった。
車道に面した駐車場の奥、
30歩もあれば
自宅の勝手口。
空はどこもかしこもすっきりとした、まだ冬の空で、
となりの叶やさんの屋根がふと右に見えて、振り向いて、
「ごくろうさまね」
一言、ご慰労・・申し上げなければ・・
走るのか、立ち止まるのか、方針が決まらないままに、
不精して、走りながら振りむいたので、
私は中心を失った。
気がついたら、
私は駐車場のコンクリートに、
ひやり、意外な冷たさに気分が良くて、次に痛みを感じた時には
野球のスライデイングの格好で寝そべるように転んだ。
勝手口にたどり着いてみると、何が悲しいのか、寂しいのか、
ひざを抱えてうずくまって泣いてしまった。次男が
「寝な、おかあさん」
いつきたのか、物音に二階から降りてきていた。
ありがと、布団をひいてもらって。言う通りに布団に入った。
次の朝、
鏡を見て、自分の顔にうっとりしたことはないが、造作がよくないな、と
諦めることはあるが、長年、見慣れてしまっているから
顔見て、いまさら、ぎょっとしたことはない。
ところが、ぎょっとした。
左頬は真っ赤、口びるは腫れて、
いたるところ、痛みが走る。
家族全員、朝の私を見て、後ずさり、
「ぎょっ」という音が皆から聞こえる。
驚かせてしまった。すみません。
鏡を見て、カレンダーを見てあわてた。
あさっては卒業生の結婚式、どうしょう。
お祝いの席にこの顔じゃ、お断りしようか・
悩んでためらって、
決断がつかない。
せっかくの若い二人の披露宴。
私の不注意、
そんなことで欠席していいのか・
あさっての結婚式は卒業生だが、八木山時代のお隣さんの息子のK君の
大切な日なのだ。
それはできない。
見苦しくないようにしてください、事情を話して近くの整形外科にお願いしたが、
白い絆創膏のべったりは仕方ない。
そこに左目の眼帯をすれば傷は大分隠れた。
しかし、ブンと腫れた唇に絆創膏は貼れないから、目立つ。
夫はマスクをしたほうがいい、と言う。
それじゃ、右目しか出ていないことになる。
かえって包帯だらけで気色悪い。マスクはやめた。
ホテルの会場につくと、K君のご両親が飛んできた。
「どうしました?」
「ころんだんです」
「まあ」
でも、5分もすれば見てくれに慣れていただくもんですね。
欠席の後悔で過ごす一日を考えれば、包帯だらけでも来てよかった。
夫は頼まれたスピーチを本当に上手に話した。
私は
息子の大好きな兄みたいなK君の
晴れ姿、
やはり、案の定、スピーチの言葉は詰まった。
湿っぽい話はやめよう、でも、ふれないわけにはいかない。心に添うことにした。
「生きていれば、息子はどこにいてもK君のお祝いには駆けつけただろうと思って、
私はもう息子には何もしてやれなくて、
せめて、どんな顔でも、息子の代わりに出席しようと思いまして。
K君、今日は、私が代わりにきました。お祝いの席に涙は禁物なのに、ごめんなさい」
K君は可愛い花嫁のそばで下を向いて、うなづいて、頭を下げているのが見えた。
同じテーブルには当時の借家の大家さん夫婦、
「お久しぶり、今北さん。
思いだすわねえ・・タケちゃんマン・・」
息子のあどけない、7歳までを知っているご夫婦は仲が良くて何も変わっていない、
当時の息子の愛称をすらすらと・・・
そうだった。
長女の臨月、大きいおなかで
八木山に引越し、双方の亡き両親が孫の誕生と成長を喜んで訪ねてくれたり、小袁治師匠が
東北放送の仕事のたびに泊まってくれて、
3人で飲んでビールが切れるとよろずやさんに走って買いに行ったり、
ひがな、おかあさーん、一心に私をめがけてくる二人の子どもを抱きしめたり、おんぶしたり、
私たちは八木山のてっぺんの明るい空の下で楽しく暮らしたんだ。
叶やさんもひっそりと閉店したのではない。
37年、北仙台の空の下で皆に愛され、幸せの満腹食堂だった。
息子の大好きなK君が、ご両親が、
私たち夫婦が、
わが子、悲しくて思い出すのを承知の上で
それでも
「是非、いらしてください、息子が一番、来てほしい人なんです」
招くのも気を使っただろう。
無傷な人はいない。
「お母さんはしばらく、外に出ないほうがいい」
3人の子どもたちに止められたが、
向かいの八百屋さんはいいだろう。
そしたら、
「私も何年か前、ころんでっしゃ・・」
ご主人が言った。
八百屋さんを出ると
「あらあ、私もこの間、ころんだよ」
卒業生のお母さんが言った。
みんな、ころんでいるんだ。
何かを思って、中心を失ったのだろうか。
外傷は日がたてば治る。
アハハのハ
私が笑うと、子どもたちも塾生も
「ころんだね、派手に」
面白そうに笑う。
本人が笑えば、大したことでもなくなる。
「こけちゃいました・・・」
夢のオリンッピックでマラソン選手がその一言で笑ったら、
見ているこちらの気持ちが軽くなったことを思い出した。
今北玲子
、
もう11時も過ぎたのに夕食の片付けまだ。
明日は末の子の修学旅行で、5時起床だというのに、
寝支度もできない。
洗わない食器の茶碗に水を張ったはいいけど、
立つ気さえしない。
水が張られたひとつの茶碗に
ゆるんだ蛇口から水道のポタポタ水が落ちる。
ぽん、ぽん、
水滴が
規則的に落ちて
止めよ、もったいない。
プン、ポン,プン・ポン・
蛇口をきちんと止めない限り、続く。
どうしてだろう。
止めたくない。
ピンともポンともはじく水の音、
ピン・コン、ピン・コン、優しい音、
玉響の、
規則的な
水の音が、
小さくて美しい。
茶碗の池に、
水滴がコン、ポン、ピン
時にタツ・タツ・タツ
雨音に、涙の音になる・
気持ちによって音は変わるのだ。
時計の音はチッ・チッ・
舌打ちに聞こえる。
やめよ。
仙山線の踏み切りの音がした。
カンカンカン
ゴオー、ゴーッツ
いっそ、エールにしましょ。
踏み切り・・ランランラン
汽車の音
ガンバレー!!
時計の音も変えましょ。
チュッ・チュッ・チュッ
幼子の頬に口づけした甘い音、
涼しい美しい水滴
ポン・プン・ピン・コン・ピン
ゲ・ン・キ・ダ・シ・ナ
ワ・ラ・イ・ナ
そうだね・・。
おやすみなさいまし。
音という音の皆様。
明日は5時です。
オ・キ・ラ・レ・ル・
サンキュ!
今北玲子
今夜は家族ネットワーク親の会
卒業生のY君
「玲子先生、お久しぶりです、飲まないんですか」
「飲みます」
Y君は父親になり、子どもに理解のある人気の学校の先生になって
近所に暮らしている。
忙しいから毎回ではないが、10代の通りすがりの塾なのに、
時々顔を出してくれる。ありがたいことです。
少年を知っている卒業生と会えばなんとも楽しい。
ビールは琥珀に見えて
一気飲み、
「先生、もう1杯」
卒業生がついでくれるビールに隠し味があるのではと思うほど
おいしい。
「あなたについでもらうビールはなんておいしいでしょ」
また1杯。
飲める口が
おさまるはずはなくて、
初めてのご父兄は5人もいる。
塾の先生がビールぐいぐい、
いいのかな。
Kさん
この春、合格したTちゃんのお父さんで
懇談の最中に、
「Kさんは今夜の準主役だから、いろいろ聞きたいんだけど・・」
夫に突然言われて
「そうなの?!?」
「娘の受験はどうでした?」「心配だった?」「長男の時は?」
夫の矢つぎ早の質問に
Kさんの正直なコメントは聞く者をほっとさせ、気持ちがいい。
Kさんが話すと座は間違いなく明るくなる。
対馬は遠い夢の国と思っていたその国に育ち、
親の会には欠かせない方である。
そこに今夜初めての熊本の出身のS君の母さんが加わった。
東北で育った私はお二人の
熊本も対馬も南国で
そこの出身というだけで
素敵で・・・
お二人の陽気さは、
太陽の照り具合は東北とは違う人を育てる力があるのか、
羨望で・・・
南にお住まいだったお二人の周りには笑いが起こる。
私の横には中3のHちゃんのお母さん。
穏やかなお人柄の良さが伝わる。
子供は新聞を読んだ方がいいか?
母親同士の輪にまぜてもらって楽しかった。
子供と出会うのと同じように
親御さんに会えば、会ったなりに、お人柄に感動する。
11時も過ぎて
卒業生のI君の親御さんが心こめて贈ってくれた
日本酒,「縁」「感謝」を夫が開けた。
「おいしい・・」感想がテーブルのあちこちから・・・
「飲まないって300円しか払っていなくて、飲みますから200円、先生、」
「いいです」
「いえ、受け取っていただかないと」
「私も」
そう言って、途中から飲み仲間になってくれたA君とS君のお母さん、
1升ビンを注ぎ注ぎ、楽しい。
親の会だからきちんとしなきゃ、心の紐をしめたつもりが
アルコールが身体に広がり、まわると
紐はゆるんで
私だけでなく、
皆さんも緩めたところから
こんなこと、あんなことが自分の子供の頃ことが出てくる。
みんなで話せば、ちょっとした・がやがや・祭りの夜。
大人になったらそれはそれは楽しいよ。
私はこういう夜のことを子供たちに話してみたいと思う。
大人はいいよ。ちっとも大変じゃない、怖がらなくていいよ。
なんだって、自分で決められる。いつ家に帰ってもいいし、
親に怒られないし、飲みたいとき飲めるし、好きなものを食べれるし、
大人になんなさいね。大人はいいよ。
子供よりずっといいから・・・
Sさん・父親参加は嬉しかった・
つきあいの長い落ちついたIさん、
熊本の陽気なSさん、
やわらかい笑みのTさん、
常連のそばにいるとほっとするHちゃんのおかあさん、
子供の頃から新聞を読んでいた!Tさんに尊敬・
子供の心配は横にちょいと置いて、
大人は大人の夜を・・。
大人だって誰かと友達になりたい。
「うちの子は不登校で友達が作れなくて」
さびしそうにこぼしたお母さんに
「友達は作るものではなく、できるものだから、大丈夫」
私塾の大将・八杉先生が仙台で飲んだ時、言ってらした。
友達ができる夜だといいです・・
来るも帰るも自由な・・・大人の夜の会です・・
人前に出せる料理の腕もなくて、
ピーナッツだの、たいしたつまみはありませんが、
気が向いたらいらしてください。
次回は7月です。
今北玲子
「お母さんの予定は?」
「11時に美容院」
「それからは・」
「ないよ」
「映画みたいとか?」
毎年、ありがたく、私になんやかやと母の日だから、たずねてくれる。
「ありがと、何もしなくていいよ」
「わかっているけど・・・でもね・・・」
「母の日は何もしてくれなくていいの」
あのね、私ね、
小学校の時の母の日。
先生は
「はい、お母さんがいる子は
赤いカーネンション、回してとりなさい」
カサカサの造花の赤いカーネンションをもらったの。
お母さんのいない人は白いカーネンション・・ですから・・・
先生も
大きな声では言えなくて、遠慮しながら
「お母さんのいない人は、おいで・・」
後ろから先生の前に歩いてきて・・・
「・・・」
「つけてあげるからね」
その子の胸に白いカーネンションがつけられたの。
先生は
「みんな、同じです。カーネンションの色は違っても花の下になんて書いてありますか」
合唱した・
「お母さん・ありがとう」
母でもあった当時の先生もできれば、クラスで一人だけの生徒に白いカーネンションを
つけたくはなかっただろう。
その子は校庭を下を向いて、先生がつけてくれた造花をはずせなくてね。
忘れられないの。
[ひどいなあ、それって」
3人の子供たちが言った。
ひどいよね。
ん?
ん?
母の日になると毎年これを繰り返してきたけど、
ん?
そんなひどいことを当時の先生は本当にしたのだろうか。
自分の記憶は大丈夫?
なんだか、急に危うくなった。
同級生の男の子の名前はフルネームで言える。
あの子に母はいなかった、
赤いカーネンションの造花を子供たちは勲章みたいにつけていた、
お母さんアリガトウ、大合唱した、
このあたりは間違いない。
でも
先生はあの子を呼んだのでなく、先生が近づいたのではなかったか、
校庭をあの子は普通に歩いていたのに、
うなだれていると勝手に思ったのは私ではないか、
もしかして、白いカーネンションさえ先生はつけなかったのではないか。
仲良しでもなかったけれど
不憫で
ジグソーパズル・私のピースをはめ込むように場面を作って
いつのまにか、記憶を私は捏造してのでは?
疑いだすと、さっき話したリアルな場面に四方八方に亀裂が走り、
ばらばらと落ちていく。
信じていた記憶は・・
子供たちに話してみると信憑性が目減りして、
あれは幻か、
捏造か、事実か・・・話しておきながら、・・
急にわからなくなってしまった。
子供の記憶は別の作用が働けば、違う記憶をこさえることもあるかもしれない。
疑いだすとあっという間に霧の中に隠れていったけど・・・
手に残った1ピースがある。
かわいそうだと思ったこと。
私は大人になったら、母の日をしない。
私がどんな間抜けな母になろうとも
世の中にはこの日を
悲しくて、悲しくて、
どうにもならない小さな人がいる。
絶対に私が大人になったら阻止してやる。
約束は守るから。そう決めた。
子供の小さな誓いをドラマにしてしまっただろうか。
母の日阻止を・・
もう大分前にご父兄の誰かに話したことがあった。
「玲子先生の気持ちはわかるけど、先生の子供さんはみんなと
同じように、ありがとう、おかあさん、をしたいと思うよ。
できない玲子先生の子供さんがかわいそう。
ありがとうって
受け取れば玲子先生の子供さんは嬉しいと思うな・・・」
忠告してくれた。
「そうだな」
真心を拒否するのはよくない。
母の日がトラウマになったら申し訳ない。
「おかあさん、ありがとう」
私の大好きなカスミソウを贈ってくれる気持ちを講釈言わず、
以来、ありがたく、もらうことにしたのだった。
でも、今年、
「なにがしたい?」
そう聞かれると、
やはり、ひとりぼっちで
会いたいお母さんに、
どうやっても会えない、
半ズボンの同級生の後姿に・・私を戻す。
・・・わたしばかりごめんね。大人になったら、
何もしないでおく。
つぶやいた私に戻る。
同級生だから、
もう誰かの父親になって
母の日は盛大に祝っているかもしれない。
「お母さん、ありがとう」
食卓を囲んで幸せに子供たちと、妻よ、母よ、ありがとう」
妻があなたの母になって
笑顔で母の日を楽しく過ごしているね、きっと。
私の子供たちが親になって
私と同じことを言うだろうか。
あるいは、いただきましょ・
うちのお母さんは母の日にややこしいことを言って
受け取ってもらえなかったから・・
5月の母の日・日曜日、
母のいない小さい子なら母を恋う。
なにもできないけれど、
私はこの日、浮かれまい。
この日、憂鬱の子はいる。
3人の子供たちは
「わかっていたけど、わかった」
母でいることは毎日の感謝だから、感謝されなくともいい。
せっかくの気持ち・悪いね。ありがとう、気持ちだけいただきます。
ごめん・
夕食に子供たち、3人がビール片手の私に
せーの!って並んだ。
「おかあさん、今日はおめでとうございまーす」
次男の声に
「ばか!
おめでとう?って誕生日じゃないでしょ?」
姉にたしなめられ、
「なんだよ、おめでとうって、
それを言うなら
オメデトウ、オリゴ糖」・・末の子。
「なにそれ」又、姉にたしなめられ、
「ジョイマン・」
ほら、
姉のその声に・・・
も一度整列して
揃って頭を下げた。
カスミソウだけの大きな花束をもらった。
「お母さんは脇役がいいんでしょ?」
長女が言って
そう・・
「毎年同じだけど、これならいいでしょ」
うん・・
おめでとうでもオリゴ糖でも、
ありがとうでもいいです。
もったいないです。
当時の同級生
108名の
たった一人、母がいなかった同級生のあなたは
どうぞ、妻に笑って
今宵、楽しい夜でありますように。
母の日、
どなたにとっても
なんだかんだ言いながら、
今日も一日、ありがとう。
いい日、いい夜でありますように。
今北玲子
4月に入塾した子供たちは緊張しているが、
座ると気持ちがいいほど背中が伸びている。
夫の授業をアシスタントしていると、子供たちの背中を観察できる。
背中って不思議なもので、その子の気持ちが良く見える。
やる気のある背中はひと目でわかる。
元気な背中なのだ。
張りのある背中で、後ろからのぞいてみると鉛筆を持つ手がよく動いている。
夢中で勉強している子が多い。
元気のない背中の生徒に心配になって近づいてみると
問題がわからなくて困っていたり、風邪を引いていることがわかったり、
部活でくたくただったりする。
瞳も・・・
入塾したばかりの子供たちは瞳に星が飛ぶようにきらきらしている。
中1のクラスは特に
きらきらのきらきら、
まだ、小学7年生といってもいい。
あどけないが、
中学生になって、初めての塾で
夫のちょっとした冗談にも、
瞳も背中も元気にドッと弾んだ声で笑ってくれる。
中2は気を引きしめる子供たちが多い。
背中が、やるぞ。
中3は受験モードにはまだだが、
背中は
顔があるのではと思うほど、個性が出る。
志望校が決まっている子はめらめら炎が見えるし、
まだの子も、この1年
がんばるぞっ。
春の教室はどの子もやる気でみなぎる。
この子供たちの
背中と瞳が
丸くならず、うなだれず、
濁らないように、
毎年、思う。
私の背中は誰が見ているだろうか。
塾の子供たちもご近所も
さらに、もっとみんなに見られているのでしょうね。
玲子先生、元気ないね?
たまに目ざとい人は背後から尋ねる。
しょぼい背中にならないように
気合入れて・・・
中3の子供たちは4月も半ば、夫にがつんと叱られた。
宿題をしてこなかった生徒がぞろぞろ。
「受験を甘く見るな。してこないんだったらプリントを持っていくな」
全員、望みだけではなんともならない怠惰を打たれ、
がりがり、鉛筆を走らせていた。そうなのよ、何もしなけりゃ、何も生まれない。
がんばれ・
「ただいま」中3の息子が帰ってきた。
「ねえ、お母さん、今日はお父さんの雷落ちたね・・
中3にもなってちゃんとプリントをやっていかなかったから」
しかられたうちの一人の息子は笑いながらも、落ち込んで見えた。
「そうだね」
さっきまで教室にいたからわかるよ。
他のご家庭の子供たちなら「塾、どうだった?」
「まあまあ」
塾の息子は父に怒られ、母が後ろで見ている。
一足先に帰ってきた私に「ただいま」って言ったって
具合悪くなリますよね。
気の毒だな。
ジュース飲む?
うん、ありがと、
の、代わりに私に放屁。
「こら、ちゃんと言いなさい」言ったけど、
内心、それもよかろう。
たまったもんじゃないよね。
何でも出せばいいってことよ。
「私の母の小話だけど、教えたったっけ、言ったっけ?」
「なに?聞いてない」
あのね、話していい?
うん、
・・・母ちゃんと小さい息子がいたんだって。
道で母ちゃんが誰かと立ち話。
母ちゃんがプッ!
母ちゃんは人前だったから、恥ずかしくて
「なんだべなあ、あんだは、こいなどこで屁こいて
おしょすさま、だこと」(おしょすさま・・恥ずかしいこと)
・・・息子のせいにして、叱ったんだと。
ごつんと小突かれた息子は・・・・
母ちゃんのすそ引っ張って・・・・
「なあ、母ちゃん」
「ん?」
「なんだべ、早く言わい」
・・・・・・・
「母ちゃんの屁も俺の屁か・・・」
息子は柳原可奈子みたいに
「なにそれ、受けるんだけどーー・・」
よろしゅうございました。
息子の笑顔、
笑うと背中と瞳がつながる気がした。
尾篭お許しを。
今北玲子
第58回家族ネットワーク東北集会
講演&懇談
●とき 4月13日(日 ) 1:00p.m.~4:30p.m.
●ところ エル・ソーラ仙台 大研修室(アエル28F)℡022-268-8041
● 参加費 会員 500円 一般700円
● テーマ「教育と格差社会」教育改革問題は実は労働問題であることを著書「教育と格差社会」
の中で指摘し、若者にとって働きがいのある仕事場になっていな
い現状を批判しながら若者への応援歌を発信し続ける講師の話
講師 佐々木賢氏
日本社会臨床学会運営委員・神奈川県高等学校教育会館教育研究所代表。著書 『 教育と格差社会』(青土社)、『怠学の研究』(三一書房)、『教育という謎』『親と教師が少し楽になる本』(北斗出 版)など。
講演後 質疑応答、懇談形式で講師とともに参加者全員でこのテーマについて考えていきます。
また、集会後には場所を変えて交流会も予定しています。
学校はどう変わるのか 教育に未来はあるのか
学力向上を謳い、校内暴力、いじめ、怠学、不登校等の学校病理を生徒 のこころの問題にすり替えて、建前を語る教育再生構想は欺瞞だ。直視すべきは、教育問題とは即ち、社会矛盾を鋭く反映する労働問題そのものだということ。知識・学歴が仕事に役立たなくなった格差社会出現のメカニズムの数々を、教育現場の疲弊に見る。衝撃の分析レポート。(著書「教育と格差社会」の帯より)
ケンさん、と私たち仲間は呼んでいます。いつ会っても
笑みを絶やさずニコニコ顔のケンさんは、少々トーンの
高い声で言います。経済を知らないで教育を語る人が多
すぎます、と。情緒論に流されやすい私(今北)には耳
の痛い話です。初めて会った頃、現役の定時制高校の先
生という立場から発せられる鋭い指摘はそのどれもが現
場で働く若者(夜間高校の生徒)と丁寧に付き合ってい
るからこそのものでした。今回の著書『教育と格差社会』
では、温和な賢さんにしては珍しく怒りに満ちた言葉が
多いように思います。それだけ状況は逼迫しているとい
えます。滅多にない機会です、是非、友人、知人お誘い
の上お出かけください。
連絡先 家族ネットワーク東北 / 子ども支援塾ネット
仙台市青葉区昭和町6-6 今北正史方 ℡ 022-234-0331
夏ズボンがない。
中3の息子が言うから
広瀬通りまで地下鉄に乗って買いに行った。
地下道を二人で歩いて
「寄ってこないで、お母さんはオレに寄ってるよ」
「そう」
「お母さんは歩くとオレを押してくるよ。
まっすぐ歩いてよ」
「うん」
「あのさ、私、高校時代にも・・・」思い出を話そうと思ったら
「どっちでもいいけど・・こっちに寄ってこないで」
「うん」
10代・友達によく言われた。
「何で寄るの。押してくるよ。まっすぐに歩いて、玲子」
「うん」
今でも親友と歩くと「変わらないね」にっこりされる。
息子は15歳、母に寄られたら気色悪いのね。
ごめんね・・
まっすぐに歩くから。
そうか、私は連れに寄る癖がある。
だから・・
左の連れなら、右に・・
右に連れがいるなら左に・・
反対・・反対に・・歩けば問題ない・
意識すれば歩ける。
子供に寄らぬよう
意識すればいける。
ふと
気を抜くと
15歳の息子に寄る。
私は直線を歩くのが難しい。
自分はまっすぐに歩いていると思っていても
曲がっていく。
誰かに寄っていく。
足はなんだか好きな方に傾いて
しまいに怒られる。
「そんなに離れなくていいよ。お母さん」
まっすぐ! は難しいから
地下鉄の壁伝いに黙々と歩いていたら
これまた、注意された。
距離感とやら難しい。
好き・好き・好き・・
闇雲に来られたら
子供は困るんでしょうね。
かといって
離れられても・・
あれっ、と
言いますんでしょうね・・
お母さん、俺から離れて・・・
でも、なんかそれって、
かつんと気持ちにあたって
少なくとも・・ちょっと・・
あなたの親ですよ・・寄るな、来るな・・
つまらないこと、言いはしませんが、
15歳でしょうが・・
いっそ、子供の前を歩くことにした。
母であれば、良くも悪くも
あなたの前を行きましょ。
そうすりゃ、寄ってこないで・・
言われない。
黙々前を歩いてみると
意地張っているみたいで・・
やめた。
むしろ、息子の後がいいかも・・
歩幅をゆるくして
後ろにいく。
肩の線、手の長さ、足の長さがよくわかる。
そして、黙々と歩いている。
なんだか15歳は一生懸命に歩いている。
息子が
何を察したか・・
「ごめんなさい。お母さん・・」
「・・・」
改めて、私に言う。
「お願い、お母さん、
オレに寄ってこないで・・・」
そういう
礼を尽くすなら
よろしゅうございます。
希望する距離は
心の距離にも聞こえる。
離れて・お母さん
離れすぎだよ・お母さん
きっとそばにいるのはいいのですね。
いずれ、
私が案じられて・・子供に・・お母さん・大丈夫?
・・私のそばに心配そうに寄って来られて
言われるより
「お母さん、離れて」
その方が
母は大丈夫と思われているのだから
良しとしましょ。
距離は心の距離でもあれば、
成長の跡でもあろうか。
10代は少し、離れてみましょうかね。
夫婦も少し、離れていた方がいいですね。
ひとりをジャマされない距離・・・
さりげない知恵と、
流行り廃れのない、
愛しい人との距離の極意がありました。
つかず離れず。
今北玲子
青葉通りは・
こんなに暑かったっけ。
陽がまともに差し、車の排気が初夏にむっとする。
木がないとこんなに明るいのだ。
こんなに暑いのだ。
汗ばんできた。
藤崎前あたり・・
「あっ」
さんさんと降り注ぐケヤキの緑のない交差点は
明るすぎて
虚を突かれた。
空が丸くむき出しになって笑って見えたが、
ここにはケヤキが
ここにもケヤキが
ありましたよね。お日様。
藤崎の交差点は・
殺伐とした都会の交差点になった・・
確かに舗道も整備され、巨大な箱のビルに囲まれてはいるが、
50年前、ケヤキがなければ
こんながらんとしていたのではないか、
空間だけ50年前に飛ぶ。
けやきさん・あなたたちがいないと
明るすぎてうつむいてしまう。
まぶしさは
時に人に輝きと希望を与えるのに
ここでは逆・・・
ケヤキ伐採報道の日は家にいて、
もはや思いは届かぬと
駆けつけようともせず、
半年振りにおめおめとやってきた私は
5分ともそこにいられない、
薄情者でした。
まぶしさは愁訴になって長くいられなくて・・・
早くここを通りすぎよう・
恵みの太陽から逃げるように
遠ざかることばかり考えて歩いた。
晩翠草堂少し前あたりから、
並木は始まった。
空気が違う。ひんやりと緑は始まった。
これこれ、これが青葉通り!
空気が澄んで、車が減ってはいないのに
ケヤキがみんなにして浄化しているのがわかる。
風が透き通る・
青い空気に深く息を吸い込む。
味は格別です。
でも、こんなに排気を吸っては
御身に障りはありませんか。
難を逃れたケヤキ並木は枝を方々に伸ばして
変わらないお姿でうれしゅうございます。
初めての観光客は比べようがないので、
何も変わっていないと思うかもしれない。
「杜の都」
定禅寺通りを見れば
どこを伐採したの?
違う・・・
地元の市民ならわかる。
「すみません、ここを伐ってしまいました」
謝罪の看板くらい、あったって・・
伐られたスカスカの場所はわかる。
ああ、伐ってしまって・・
罪の濁り水が地元にはあると思う。
青葉通りをどんどん歩いた。
どこが終点とも決められずに
青葉通りを歩いた。
西公園通りの戦後の火にやけどを負ったオオイチョウをとにかく目指した・・
オオイチョウは移植
・・・名木は幹をチェーンソー伐られながらも移植された・・・根付くことを祈ります。
行ってみたら、
そこはアルミの塀で覆われていた。
もはや、オオイチョウがあったのかさえわからない。
道なりに西公園通りを歩いて、
舗道の脇の森に誘われるように入ってしまった・・・
この道は
24年ぶり
ここはだめだ・・
ここだけは避けたい。
引き返そうと思った。
カラスが2羽、カアーッカアーッ
行けというのか、引き返せというのか、
迷いながら、とうとうYMCAのグランドの空地に来てしまった。
幼稚園はやめたい、サッカーをしたい、
毎日せがまれ、根負けして幼稚園はやめて
幼児コースに入れることにした。
その長男が5歳でこの空地で
幼児がだまになってボールを追いかけていた場所・・
幼い姿の息子が昼間の日差しに浮かんでくる。
生きていれば懐かしい場所だが、
いないのだから
喪失と向き合ってしまう。
つらいから帰ろう、泣いてしまうから引き返そう。
後ずさりしたら後ろ足に木がぶつかった。
24年前の木がまだそこにあったのだ。
あの頃より太い木になって・・・
ごめんね、寄せてもらっていい?
顔と肩を、木に寄せた。
風が吹いた、木の実がさらさらと落ちて、
何も
なにも
皆さんは変わっていないのに
私にはもう、あの子がいないんです。
木は空を向いて太くなった木肌を「どうぞ」
寄っかかっていいですか。
いいですよ。
木がそこにいる。
木がそこにある。
オイオイ泣いても木はそこにいる。
それがどれだけ、いいか・・
そこに木が生きていて、太くなって、
悲しいこと、楽しいこと、
知らなくともいい。
あなたがいるだけでいいんです。
見上げて
そこに仰ぐ木があれば、
尊くて・・・
ケヤキを伐ったって・・
(仙台市民は幸福にも便利にも感じない)
人は
木に寄り添って
ねえ、私、どうしたらいい?
誰にも言えぬ人が
木に寄りかからせてもらうだけでいいのです。
ケヤキ伐採、移植の日、小学生に言った。
「戦後、50年前に植えられたケヤキは今日伐採移植されるの。」
「なんで?なんで伐るの?あたし、座り込みしてやる。止めてやる」
「でも、どうにもならない。署名もどうにもならなかったの」
「美しい仙台を創る会」の反対署名
私たちも卒業生やご父兄にも頼んだ。
話してみれば、ケヤキ伐採移植を知らない人は多かった。
卒業生のクリーニング店はカウンターに署名用紙を置いて、客に説明すると
知らなかったと、署名してくれたそうだ。何枚も届けてくれた。
反対署名は5万人以上にも及んだはずだ。
私の親友も知人も知らなかった。
地下鉄東西線断乎反対、ケヤキ1本たりとも伐らせないと
市長選にたった小野寺候補の勇断も知らなかった・
仙台弁護士会の伐採再考決議も知らなかった。
増田弁護士夫婦の尽力も
仙台市民は知らない人が多かった。
朝から晩まで新聞も読まず、働く人がいる。
伐採移植の報道があるまで、へえーっ、驚く人は多かった。
告知は義務と
市の広報は市民にお知らせしていると言うかも知れないけれど、
知らない人が悪いと言われるかもしれないけれど、
その日の暮らしに追われている人は知らない。
市民のアンケート、賛同を得ましたから・・・
嘘・・
それは市民に問うものではなく、
行政の良心に問うものではございませんか・・
「玲子先生、子どもが止めても大人はきかないの?」
「きかないの・悔しいけれど今日は伐採移植なの」
「だって、けやきのことなんて誰も教えてくれなかったよ・・
・・こんなこと、知ったら子供がいやだっていうよ。
大人は
あほだ!ばかだ!」
勇ましい小学生は
鉛筆を机に突き刺して、芯を飛ばした。
そうでしょ?玲子先生!
うん、
私もそう思う。
1955年に
戦後の焼け跡に植えられて・・50年あまり
ケヤキは黙々と生きて
今になって
地下鉄東西線を優先とは
そりゃ
義理も恩もないんじゃございませんか。
焼け跡に
戦災復興の希望と
子や孫たちがせめて
この木を見て幸福になればいいと
当時、奔走・ご尽力された大勢の方々は
もっともっと深い痛手を負っておいでです。
普段は
こんな言葉は使いはしませんが
大バカヤロー・でございましょう・・・
戻らぬ命をご存知でしょうに・
Reiko
小学生の国語の授業・
「ねえ、玲子先生」
「ん?」
「今北先生みたいにもっと、びしっと
厳しくしたら?」
「どうして?」
「子供には厳しくしないと」
「どうなるの?」
「子供はちゃんとならないから、玲子先生もびしっとねっ!」
すぐには「はい」と言わない私に
「そうしないとだめだよ」
可愛い声で叱られた。
せっかくの箴言だ。無下にもできない。
「なるべく、そうするね」
お茶を濁した。
子供の望みはひとつではない。
自分が怒られたらいやだが、
隣の子がうるさいのに、注意もしない大人にはあきれる。
学校でも塾でも
静粛を統制できない大人はもっといやなのだ。
「私みたいなのはだめ?」
「うん、優しいのはだめ」
そっか。
私は怒らないわけではない。
どうしてもこちらの言うことを聞いてくれない時は
「帰りなさい」
年に一度や二度はくらいは言います。
でも、あまり怒る気にならない。
カナダ生まれの大好きな祖母の言葉がどっしりとある。
大好きな人の言葉は残るものだ。
「・・人は言わなくともわかる。
・・・玲子、言われなきゃわからない人にはなるなよ」
でも、子供の頃、私も祖母に聞いたみたのだ。
「子供にも言わないの?厳しく言わなくていいの?」
祖母は迷わず言った。
「大人でも子供でもさ」
その祖母に生涯一度だけ叱られたことがる。
小学生・・
宿題をどこかに置き忘れ、登校時間が迫り、何も言わず、
探してくれた祖母に
「どこに片付けたの?」
何度も何度も祖母を責めた・
優しいとわかっていたからさんざん責めた。
祖母は探し続けても許さぬ私をきりっと見た。
「人のせいにするものではない」
一喝された。凍りつくほどだった。
祖母はそのあと、
「生涯、いっぺんきりだったな。
私が父に怒られたのは。
子供の頃・・
カナダで事業家の父を
『うちのお父さんは偉い』と周りに言ったのさ。
父親はどこで聞きつけたか、
自分のしたことでもないのに言うものではない。
エライ剣幕で暗い蔵にボンと入れられてな・・」
これもどっかりと私に残っている。
人にはそれぞれの思いがあって、性質があって、どれがいいとも言えない。
私
子供の頃、いい子とはいえなかった。
親の手伝いもしなかったし、怠け者で
言うことは聞かないし、
茶碗を下げることすら
ため息ついては怒られた。
5才年下の妹はちゃんちゃんとやっていて、
姉なのに、玲子はだらくみんど。(だらしない奴)
私の別名になった。
優しい母だったが、冗談にも言われると
見捨てられた気がして、
夕方の最後の仕事は風呂焚き。
焚き口で
木っ端をこそこそ入れると
真っ赤な火を見てへこんだ。
祖母の足音が聞こえる。
いつも私に言う、「あんたはいい子だから」
祖母の言葉は予測できる。
いい子なんて、聞きたくなかった。
いい子じゃないから。
でも、言われたら嬉しそうな顔をする。
大好きな祖母のせっかくの気持ち。
近づいて私のそばにしゃがんで言った。
「人は言わなくともわかる。黙っていても、あんたのことはわかるから」
風呂の焚口の真っ赤な火を前に
素直に
うん。
(慰められたわけでもない、
ほめられたわけでもない。
なのに、ぽっと頬が赤くなった。いい心地だった)
祖母の
声が心のずっとずっと下にいって
どっしりと座った。
あの子にも話してみようかな。
「へえーっ。玲子先生は言うこと聞かなくて、だらしない子だったの?」
「うん、それでも大人になれるから心配しなくていいよ」
人は言わなくともわかる。
夫は
ちゃんと言わないとわからない、と言う。.
私は私、
あなたはあなただけど、
夫の言うように
言って然るべきことはある。
言ったって反対したってどうにもならないこともある。
青葉通りにケヤキのように通らぬこともある。
話はそれましたね。
それたところに心はいくものでしょうか。
ああ、
伐採移植の通りはどんな通りになったのだろう。
見るのがさびしいから
伐採移植報道があってから一度も行っていない。
思い切って青葉通りに行くか。
ねえ、ケヤキさん
いなくなったあなたをまだ見ていない。
今北玲子
塾から帰って台所に立つと、
今年の夏一番
かなかなかな・・・
オオッー!ひぐらし。
子供の頃、・・夕暮れのひぐらしに
私は本を開きたくなって・・
親に言い訳して、嘘ついて、
明日の学校の用意があるとか、
宿題だとか・・
なんのかんのと理由をつけては
夕方の手伝いをさぼって、隠れて本を開いた。
子どものやることはお見通しで、
[夕方は家族のために
一番したいことを我慢して、
熱いものは熱いうちに。
冷たいものは冷たいうちに。
働くもんです・・
小学生だろうが、受験生だろうが、
夕方は働きなさい」
母はずっと変わりなく、
勉強していても5時になると
手伝わないと叱られた。(受験まであと半年になって、
母の好意で入試まで免除になった。)
ヒグラシが鳴く。
いても立ってもいられない。
女が立ち働くという夕刻に本を読みたくなって、
見かねた母は、
苦肉の策で、
手伝いを風呂焚きに変えてくれた。
木を燃す釜口の炎は
読書には不向きなもので、
暗くて読めない。
確かに明るいけれど、
近づくと熱いし、
字をうまく捉えられない。
火に本を近づけて、目を遠ざける。
距離に工夫をすると、読める。
かなかなかな、
母の食事の下働きを免れ、本と夕暮れ、ひぐらし
風呂焚きは怠け者にはお誂えの仕事で
夕暮れは待ち遠しかった。
そのうちだ。
スイッチをひねれば、ガス風呂に事情は変わって、・・・
高度経済成長とやらか。
風呂の焚口にしゃがんで、
木端を入れ、炎を調節する夕暮れ、本を読んだり、
木を足したり、足元に這ってくるありを眺めたり、
油断して消えそうな火をうちわで慌ててあおいだり、
ひぐらしが鳴く夏も、(最高の夏も)
秋風が吹いて、雪がちらついて、もいいもんで、
年中、大好きな仕事は
私を養ったのに、
真新しいガス風呂は夕暮れの楽しみを
突然、封じてしまった。
今も、
風呂焚きをしたくなる。
夕餉に
かなかなかな・・
ひぐらしが
鳴くと、
本を探してしまう。
「夕方は、働きなさい。
のほほんとしてんじゃないの!」
母上の声。
さても、いまだにお叱りとはご厄介かけます。
風呂焚きとひぐらし。
あの組み合わせはない。
かなかな・・・・
今日の夏一番のひぐらし・・時に物悲しく、
きゅっと胸を絞られ、切なくなる。
泣くまい。
台所の窓をあけると向こうから夏の風、
あっ! この風も好き。
人は人にだけ恋するものではなくて、
トンボに近づき、
ちょうちょを追いかけ、
ツバメにすずめ、タンポポを見つめる。
雨音だってうっとりするし、小雨、白い雲、空にも恋。
犬にゴリラに暮らしたい。そして、ひぐらし、
打ち明ける手立てはないもんだろうか・・・
ひぐらしさーん!
たまには拍手しとうございます。
木肌にぺたっと止まり、
羽音をすり合わせ、
夕焼けの夏の声。
あなたは、
しかと
ひぐらしに生まれて、ひぐらしに生きる。
トンボは
トンボに生まれてトンボに生きる。
私も、ひぐらしさんよ・・
私に生まれて、私に生きる。
それ以外何ができようか・・・
でも、
・・・みんな、違っていい。
なんて思わない。
私は
・・・世界にひとつだけの花
なんかじゃない。
小沢牧子さんが話していた。
「みんな、ちょぼちょぼ、みんな同じ。」
みんな、同じ・・・
繰り返しては
気が楽になったことを思い出した。
今北玲子
※小沢牧子氏
臨床心理学論、・子ども・家族論専攻・
「心の専門家はいらない」他、
著書多数・
家族ネットワークで講演を依頼した。
6年前、初めてお目にかかって
一目ぼれ。
先の語録は講演の時のもの。
7月12日の親の会のゲストはS君。
1期生。
整形外科医。
29年前、
ドキドキの1期生の合否を家で案じた。
14名もの1期生の中3の子どもたちは
夫のアルバイト時代の縁を頼りに
慕ってきた人やその友達である。
親御さんは
28歳の夫に
大切な子どもを託したのである。
全員合格を祈った。
しかし、不合格が二人、
安定していた今夜のゲストのS君も・・・・
二人とも予想外で・・
合格を逃した。
どうしよう・・
その日も次の日もその次の日も
私も夫も食べられなかった。
のどが閉じた。
この塾を信じた15歳なのに
二人も落としてしまって、
果たして、塾を続けられるのだろうか・・・・
食べなくとも・・・
若さで・・乗り切ったけれど、
二人の痛みは刺さっている。
それからS君に会ったのは
会ったというより、彼が我が家を訪ねてきてくれた。
私立高から現役で医学部に合格し、
医師になっていた。
S君がバレーボールを選んだ訳。初めて聞いた。
「私がバレーボールを選んだのはネットがあるから。
バスケットのように何もないと自分はどうなるか、相手にぶつかっていって
どうなるかわかんないですから・・・
敵とネットがあるバレーボールを選んだんです」
(いい回しは違うが私の記憶の限り)
190センチもある身長なら、バスケットでもね・・そうか・・
なるほどと思った。
この人は赤い火を持っているだろうか。
闘争を宿す、赤い火・・
もう一つ、
皆が合格で浮かれている中、
すぐに高校の勉強を始めた15歳のあなたは
次に向かった。
トップを維持して・・・医学部に現役合格・・
この道を行くと決めた赤い火、
あなたを見てそう思った。
次に会ったのが
チラシの文章を書いてくれて、
卒舎式の3月に打ち上げに来てくれた時、
私の隣に座った。
ビールの杯を重ね、一気に飲み干す私に
「先生、
お酒はほどほどにして身体を大事にしてください」
S君に、1期生に
説かれて
「うん」
言ったものの、
飲めるタチで、子別れの喪失と向かい合うには力がほしかった。
卒舎式のその夜も、
いつも通りに・・
グラスを何杯も干した。
思いがけない優しい忠告に
ふと、突かれて・・泣いた。
「先生」
ズボンのポケットから
いたわりのハンカチをそっと・・大きな手だった。
あの夜は、1期生のM君とS君と塾に行って飲みなおしたっけ。
3人で教室の床に座って飲んだっけ。
次に会ったのが
3男の怪我で診療してもらった時。
診察室は待合に近く、仕事ぶりがわかる。
深刻な症状のときは的確に、心配ない状況のときは案ずるには及ばない・・
冗談も言い、
適宜に長けた会話が途切れない。
患者におおらかで優しい。
「いいお医者さんだな」
思った。
娘はS君の父上に10代に一度診察していただいている。
腰痛で行ったら
「あなたはお父さん似?」
まじめに聞かれ、
そして、にこっと
「心配ないよ。」
父上の一言で、娘はじきに良くなった。
S君の妹も塾生で成人式、卒業、母と二人で節目の挨拶は
こちらが恐縮で・・・
律儀な母上・・
そして、亡くなった私の母は
在宅医療で偶然にもS君のご親戚の医師に
お世話になった。
母は最期まで、
「あの先生がいい」
ご厄介をかけるほど慕った。
縁に結ばれ、結ばれし縁に
時に助けられ、
そうやって
人は生きるので、
あの人が、この人が・・特別ではないが・・
夫も私もS君を親の会で紹介したかった。
座った隣の人を不愉快にはさせず、気遣い、
寡黙な真摯な医師を
小さな塾だけど、みんなに紹介したかった。
親の会のゲストはまさに、それに尽きる。
この人と会って・・この人の話を聞いて・・
(次回のゲストは1期生のY君、
そういう気持ちだから・・
僕なんか、ダメですよ。そうじゃないの。あなたがいいの。)
特に
塾生にはS君の話を聞かせたかった。
12日の親の会のS君は
「今北先生に落ちたときの話をしてと言われたので、話します。
僕は大丈夫だと思っていたのですが、
試験の日、やばいなあ、思いましたね。
油断したんですね。
先生に報告に行くのに、
合格じゃないから、階段を静かに上がって。
(S君は思っているだろうが・・・
夫は勢いよく階段を上がってくるあなたの
足音を耳に残しています。)
今北先生は普段は良く喋るのに
落ちたことを知っていたんですね。
(知らないの。
夫は階段を勢いよく駆け上がってくるから「受かった」
そう思っていたの。
あなたは静かに上ったつもりでも
勢いがあなたにはあったのでしょうか。
今でもあの時のあいつの音は合格の音だった。
それだけ、あなたに自分でもわからない勢いというものがあったのです)
今北先生は
うん、とかああ、とか何も言わなくて。
(それから、多くは語らなかったが、猛勉強が始まったのですね)
S君は子どもたちに向かって言った。・・・
「人の限界はないんだよ。身長には限界があるけどね。
自分の限界はここだって、諦めたらそれで終わりなんだよ!
自分の限界を決めないで!
ここにいるみんなに限界はないんだ・・・
限界はないんだ!」
繰り返すS君の力強い言葉が満杯になった教室に響いた。
特に中3の子どもたちはピクリとも動かない背中だった。
届いたのだと思う。
S君の話に合わせたように
「自分の限界に挑戦しているか!」
背中の文字・・・の子がいた。
部活の士気をあげるおそろいのTシャツだろうか。
ふと、目に入った文字・・
子どもたちは
S君の方に明るい顔を向けた。
「限界はないんだ!いくつになっても伸びる。諦めたら、そこが限界」
つぶやけば、
どうせ、やっても無駄だから、
置いてけぼりしたモノとばったりだ。
捨ててしまったモノがひょっこりだ。
限界と判断したのは
信じ切れない自分自身であったと詫びたりする・・
同じ生きるのに
限界はないと思っていいのなら、
ぼっと、
内に火が点る。
のべつまくなし、だらしないぐうたらの私にさえ、
火が点る。
子どもたちにもぽっ、ぽっ、火が点ればいいな。
小4から中3まで
呼吸の話を聞き、やってみた。
適当に吐いて、十分吸うことが深呼吸と思っていた。
静かに、静かに吐き続ける、
残量を自覚して、こらえきれずに、
新しい空気を吸う。
「苦しかったら吸ってください」
S君の言葉にゆっくり吐き続け、
苦しくて、ほしい空気を吸う。
教えてもらった深い呼吸は身体に行き渡る。
吐くことは
次の空気を入れるのに必要、大事
実感した。
1期生の同級生、そのご両親、忘れられない9期生、
ご常連の皆さん、深夜まで親の夜は続いた。
長年のお付き合いのO夫妻にも会えたし、
父親参加も多く、喜んでしまう。
同窓会会長のN君が言った。
「私には先生に自分の夢がありまして・・
仲人をしてもらうこと。叶いまして。
もう一つは自分の子どもをほくそう舎の塾生にしてもらうことでした。
今、息子は塾に通っています」
N君の話に目を閉じる。
開塾1期生の申し込みはN君が一番、
アルバイト時代の塾から夫を慕って
きてくれた。
新年会、親の会、前々回は彼がゲストだった。
夫に
2次会に行くぞ、「はい」・・飲むぞ、「はい」・・お前、歌って、「はい」・・
いつだってあなたは断ったことがない。
180センチをゆうに越す体格で、
少年の純なままのあなたに、甘えてばかりで
もはや、
ありがとう、を通り越して
あなたの可愛い奥様と二人の子どもたちのために
役に立たなければ、思います。
N君一家は大事な人々であります。
12時過ぎ、
S君を見送った。
我が家の勝手口にS君の愛車が止めてある。
1000ccの赤いバイクが主人を待っていた。
バイクにも顔立ちがあるのね。
きゅっと甘く上がった大きな二つ目のライトが
ミュージカルキャッツを思わせるような・・・
鮮やかな赤のバイク・・・
赤、
やはり、あなたには赤が良く似合います。
1000ccとはそばで見ると巨体である。
大きくて、足の速い不思議な生き物に思える。
こんな友達ほしいものです。
192センチもある、
堂々とした体躯のS君は
やすやすと腰を下ろして、
「今日はありがとうございました」
「又来てね」
「はい、来ます」
我が家から
緩く右にカーブした道の闇の中に
ブオーン・ブオーン・・
快音が遠くに響いていった。
後姿はライダー。
「職業が分からないのがいいよ。
すぐに職業を当てられるようではな・・まだまだ」
八杉先生が言っていらした。
「格好いいなあ」
Y君が言った。
うん、格好いいよね。
15歳の不運を力にし、ここまでやってきた。
格好いいです。
ありがと・・
私、
もっと、もっといる。
東京に住むごりっとした
書いてほしいと願う編集者K君、
1期生の会えば横にいるだけで安心するU君、
大家さんちの大将にしたいと思うK君、
2期生のK君、Hちゃん、九州のSちゃん、
8期生の面々、もっと・もっと
ご父兄もその数だけ多い。
卒業生というより
それって、
元気でいてね、の、朋でしょうか。
29年も塾をしていりゃ、
毎年、20人、30人と数えると
ほくそう舎の小舟に乗った人達は
800人を超す・・・朋です。
昨日、突然、授業中に小学生のN君。
「玲子先生、飲み会の時、オレにカード買ってくれたよね」
Y君
「ええーっつ、先生と小学生なのにお酒飲んだの?飲み会したの?」
N君
「違うよ、飲み会にパパと行ったんだ」
そう、新年会に父親についてきた愛しさに手をつないで
自宅まで送って行って、
途中のスーパーで人気のカードを買ってあげた時のことを
その日の作文に必要で
私に確認した。
Y君
「僕のパパは行かなかった?その飲み会に欠席した?先生」
Hちゃんの娘
「私のお母さんは?」
声には出さなくて怪訝に私を見る。
K君の娘も・・「私のお父さんは?」
おやって顔・・
そうだ、このクラスは2世が4人もいる。
「みんなのお父さんお母さんとは又、飲むからね」
「よかった」
4人とも安心して鉛筆を持ち直した。
卒業生が信じて預けてくれた
29年前には想像もつかなかった
なんとも幼い朋もいる。
S君、
(役に立てるように)
自分の身体・・
厭います・・・・
でも、
ビールは私の夜の朋・・
いいよね?
今北玲子
7月の恒例の面談のいの一番は卒業生・2世の親。
「先生、ありがとうございます。
娘は今まで取ったことない点数で先生たちを崇拝ですよ」
昨年の成績をバッグから出し、手にし、両手で差出し、見せてくれた。
「先生、ほら、
どんなに娘の自信になったか。今北先生、見て、
去年の点数の2倍、ですよね。」
本当に塾冥利につきるような100点アップ!
「お母さんの塾に初めからどうして入れてくれなかったの?
娘がそう言うの。先生」
でも、それはちがうかもね・
夫も言った。
「中1からいたら成績が上がらないなって言われたかもナ・・」
すかさず
「それはそうですよね。
先生の所だって合わなくてやめる子もいるよね。
相性とか、本人のやる気が合うってことだよね」
そうです。
「本人の力が点数を上げたのよ」
間違いありません。
「そういえば・・今北先生・・・」
そこから
夫との思い出話に花が・・・
Mちゃんの親の世代の卒業生を夫はゼロ期生と呼ぶ。
結婚前に花婿が無職ではどうも格好がつかないので、
塾の求人広告に応募して、
面接するとたちまち塾長に気に入られて
塾講師になった夫は
がむしゃらに教えた。
その当時の開塾前のアルバイトをしていた塾での
教え子をゼロ期生と呼んでいる。
ゼロ期生はもう一人、小学生の父親にもいる。
「今北先生は私のバス時間までやっていけ!
ぎりぎりまで教えてくれて、
一所懸命に本当に教えてくれたよね・・
今北先生、知ってる?」
「・・・なに?」
「私、高校に入って
数学ができるからって
トップクラスに入れられて大変だったんだから・・
今北先生はホントに一所懸命に教えてくれたね」
夫が
「記憶がないんだけど、なんで、お前の家に行ったんだっけ?」
「今北先生は私の成人式にプレゼントくれたじゃん。
口紅を入れる、鏡がついているの・・・
私、今北先生のこと結構知ってるよ。
先生は酒屋さんの前で塾を始めて、
次はここの教室の隣でやっていて、
そして、今のこの教室に移ったんだよね・・
私、車で通るたびに
先生のこと見ていて、
大体知っているよ」
娘の入塾で久しぶりの再会だったが、
私たちの30年を
通りすがりに遠くから見ていてくれたのですね。
私たちの歴史をダイジェストで順番通りに畳んでいた。
面談を
いの一番にしたのは・・理由がある。
「手術があるから、今北先生、入院前に面談してくれる?」
母になっても、いくつになっても
今も教え子で
「いいよ、おいで」
これから待つ手術を考慮した面談だったが、
中学生の面談というより、
自分の思い出と
娘を託す願いと
これから挑む
母ともなれば弱音の吐けない
手術前のやるべき
面談でもあった。
「今北先生、
うち娘の成績をチラシのサンプリングしていいよ。
やればできる、教える人がよければできる、
ほくそうしゃの宣伝に使ってよ」
手術前で
心細いだろうに私たちを激励した。
「今北先生。
娘が言っていたよ。
試験前に途中で帰る人は怒られるから、私は帰らない。
私、娘に言ったの。
今北先生は受験生と同志だから・・・
当たり前でしょ・
同志なんだから、
だから、塾に迎えに来るけど、
いくら遅くなっても気にしないでって娘に言ったの。
親がこの辺を走って待ってるんじゃないから。
車の中で待っているんだから。気にすんじゃない!
遊んでいる子を待つ気は全然ないけど、
んじゃなくて
真剣に勉強しているのに
お前は気を使うなって!
今北先生はそういう人だから。
親に気を使うなって言ったの。
先生、わかるまで、残していいよ。
自分はバカじゃないって思えたことがすごく
嬉しいの。
私も娘も。」
私もあなたも母親同士、
手術も病気も乗り切りなさいよ。
中学生のMちゃんは話してくれた。
「玲子先生、母のことを話しておきたいので・・・」
大抵、家庭の事情は親から連絡がある。
夫の突然の単身赴任、妻の病気、
夫の入院、突発の家庭の事情は予想外である。
子どもからでは不憫で親がするけど、
Mちゃんは、
母親は大事ない病気だが、自分で報告した。
塾の行事やら懇談会に親欠席では申し訳ないと思ったのだろうか。
母の塾にお世話になっている義理もあったのだろうか。
今北先生に話して・・分かってくれるから・・
母に言われただろうか。
母の不調を話してくれた。
この子はすごいなって思った。
「だから・・先生・
塾のことは退院するまで
お母さんは何もできないので・・すみません」
頭を下げた。それを言いたかったのだ。
「あなたのお母さんは大丈夫。子どものためならお母さんは頑張るんだから」
「はい」
「いい子だね。あなたは。強いね。きっと大丈夫」
打ち明けてくれたMちゃん・
心配のない入院だが、
母を思う頬に伝う涙は止まらなかった。
本当は心配で不安でたまらなかったのだと思う。
「お母さんはあなたのためになんとしてもがんばる。母親はそういうものだから」
「はい」
その中で100点も点数を伸ばしたあなたの娘はすごいね。
子どもの幸福は
親が
当たり前のように元気でいること。
でも、子どもは親が不調でも病気でも
どんなことでも我慢する。受け入れるものなのだ。
「今北先生、うちの娘は強いの」
私もそう思う。
「強い娘だね」
元気になって。
この娘のためにも
専念して。
卒業生の
母になったあなたが
元気になるまで、
気性のさっぱりしたあなたによく似た
可愛い娘を預かるからね。
今北玲子
市内の中学校は23日から
順次、定期試験が始まる。
26日、27日がピーク。
2期になったから、3期より試験の数を減らされて
まさに内申に評点が影響するから、
気が抜けない。
子供たちは事の重大さに気がついていない。
年に中間期末、6回・あったものが4回になる・
中3にとっては年明けの学年末は反映されない。だから、3回だ。
たった3回で内申が決まる怖さがある。
私たちの気持ちとは・・お構いなしに・・
子供たちはのんきだ。
夫は試験前ともなると教室を駆け回る。
塾だから、
点数は1点でも多く取ってもらいたい。
取れないわけじゃないのに
適当に済ませて帰ろうとする子を夫は勘で呼び止める。
「地道にやれよ」
「途中の計算は省くな」
できる子には
「もう1回、やれ」
「ねばれよ」
「基本に戻れ」
「わかった振りするな」
ゲキ飛ばし、
走り回る。
「お前はよくやったな。ごくろうさま。明日も来いな」
ねぎらわれる子もいる。
夫は
やる気のない子、懸命にやっている子、
顔を見てその子のその日のメニューを決める。
できるのに適当な子は喝!
汗だく。
子供の顔を見る、
鉛筆の持ち方を見る、
字の汚さを見て
「自分の字を愛せよ」
夫は
「勉強は粘着力・・粘れ・・わからないところは何度でもやれ・・できるふりするな。
わからないのに格好つけるな。
聞けよ。」
教育関係者というより
現場監督のような・・
子供たちの知識の土台作りの土木監督のようである。
基礎がゆるゆると甘ければ、知識は流れる。
学ぶことにいい加減なことをすると
まともに体当たりされるから・・ぶつかってこられるから
子供たちは怖いのだと思う。
試験前のその教室に
I君、ひとり、
今年3月に逆転満塁ホームラン合格の高1がいる。
連日、試験前で勉強しにきている。
I君に夫は
「もう、帰るのか」
「はい」
「聞きたいことはないのか」
「大丈夫です」
「本当か?」念を押して
去年の中3とは違い、高校生のI君に
「ごくろうさま」と言う。
つい3ヶ月前のI君の喜びはまだ、私に中にも続いていて
会えば嬉しい。
部活で忙しいのに、
試験前だからといって
塾に来て、黙々と勉強する姿は
夫にも私にもすがすがしく、好ましい。
夫は
まじめな
人で・・・
何でもいいとは言わぬ、
適当な勉強、
適当な点数、
いい加減なことはするな。
その一点にこだわり、教室を歩き回り、
「ただいま」
精根尽き果てて帰る人です。
1ヶ月前に卒業生と偶然、北仙台近辺で夫が会って飲んだ。
夫に
「来たら?」
誘われて店に行き、その隣の席に座ったら
卒業生のM君が話し始めた。
「玲子先生、僕は今北先生に
中3の時に、高校入試の前の日、適当にやって
こっそり帰ろうと思って、外に出たら
二階の教室の窓ががらっと開いて、大きな声で、
こらあー
逃げるな!
あの一言、
今もはっきりと覚えています。
あの言葉があるから、今の僕はあるんです。
逃げるな・・
その言葉をいつも思い出して、仕事をしてます。
今も、今北先生の言葉は胸のここに・・
あります。
逃げてばかりだった中学生の僕が逃げずにいます。
飲めて嬉しいです。
やっとそのことを言えて嬉しいです。
言葉は大量にある。
どの言葉を留めるか。
子供たちに伝えたいことは山ほどある。
でも、叶わないこともある。
早く終わればいいと時計を見る子も大勢いる。
M君
夫の言葉があなたに響いたのではなく、
ずっと気がかりな自分と
向き合ったのではないだろうか。
だから、忘れなかったのではないだろうか。
M君!
なんの、礼には及びません。
あなたがその言葉を見つけたのだと思う。
これをお読みの卒業生の皆様、
「先生!丸くなったんじゃないの?」
そうね、
多少は優しくも丸くもなりましたが、
皆さんがご存知の
学ぶことにはしつこく、詰め込んで
高校にも大学に行っても大人になっても困らないように
今も元気に走り回っています。
「そうか・・元気ですか」
はい、現役ばりばり、元気です。
つながっていて下さいね。
これしかできない夫婦です。
卒業生のあなたたちも
ひとたび、社会に出たら
毎日が試験でしょうか。、
毎日、試験前でしょうか。
たまには
適当にね!
疲れないようにね。
今北玲子
テレビの討論会でも娯楽のトーク番組でも
政治家や批評家、論客と呼ばれる方々は
対話に埒が明かなくなると
「もっと勉強してくださいよ」とやっつける。
言われた方も負けじと
「そう言いますけどね・・・」
矛先を変えて不勉強じゃないことを
打ち返す。
勉強しなさいよ・・
テレビにでも出るひとかどの方々は
プライドを傷つけれるのだろう。
言う方はぎゅっと追い詰める気で
これを使う。
見ている方は
どちらが不勉強か、なんとなくわかるが、
切り札とばかりに
飛び交うと
ほかに論破できる言葉は持ち合わせないのですか、と思ってしまう。
「勉強しなさいよ」
大人だって言われりゃいやですね。
子供もいやだろうな・
わかっているだけに
子供はぐうの音も出ない。
私もついこれを使ってしまう。
「もっと漢字を勉強しなさいね」
心配で言ってしまう。
でも、この言葉・
意外にいやなものだ。
子供たちは
できるものならとっくに勉強している・・
しないとだめだな・・
わかっている。
でも、できない。
よく勉強しているね・・これは好きです。
漢字一つでも丁寧に書いていたら
その子はよくやっているのだ。
勉強しなさい・
子供たちに
その言葉、言う前に
どうやったら、漢字をよく覚えるか、
どうやったら喜んで、するようなるのか、
『もっと勉強しなさい』
まず、私に言ってみるといいかもしれない。
その言葉・・
自分に向かって言えば、誠に発奮する言葉だ。
今北玲子
、
昔から耳は良かったのか、29年も塾をしていて、耳が鍛えられたのか、教室の隅っこで、
「うるせいよ、ばあか」
「うざいよ、」
さとく聞こえる。
「言っちゃダメ。
そんな言葉は一生使わなくともいいからね」
小声を聞きつける。
地獄耳は夫も同様で、なぜか子どもたちのひそひそ話も鮮明に聞こえる。
「ありがと」
「教えてもらってごめんね」
飛んでいって、
「優しいね」
なんて言ったりする。
聞こえてくるのだ。
街の声も聞こえる。
通りすがりの声も拾ってしまう。
北仙台駅前、
向こうからホットパンツに生足、人目を引く綺麗なお嬢さん二人。
「結構、私
負けず嫌いなんだけど、やる気がないんだよね」
「だよねえー。わかる」
「私も夢はあるんだよね。でも、やる気しない?」
「だよねえ。わかるうー」
通り過ぎていった。
・・・負けず嫌いでやる気ない・・
・・・夢はあるけど、やる気ない・・・か。
負けず嫌いである。
夢がある。
言いたかったのだろうか。
やる気がない。
言いたかったのだろうか。
お嬢さん、
大きな声じゃ言えないけれど、
贅沢、って言われるよ・・・
あら?・私もそう・・・
部屋をきれいにしたいけど、ぐちゃぐちゃ・・
やる気がしないんだけど・・。
おっと!
そのまま、私?
怠け者の論理か・・
贅沢か・・・
なんか、わかる。
その気持ち・・
すごくわかる・・・その気持ち・・
やる気がない。
そういう時はある。
勘だけど、
負けず嫌いだけど・・
夢はあるんだけど・・・
それが本心だと思う。
やる気がないのはくっつけたもので・・・
子どもたちは
「成績があがりたいんだけど、やる気がなくて・・・」
「あの高校に入りたいんだけど、無理かもしれない・・やる気がない」
本心は前にあるように思う。
成績が上がりたい!
あの高校に行きたい!
なら、勉強すればいいじゃないか。
やればいいじゃないか。
そうなんですね。
それを相談されるのが塾なのでしょうね。
上がるためにはここをやれ。
夫が言う。
できなかったら、2回やれ。
3回やれ。
しつこくやれ。
やる気というより、
方法と回数とか、分量。
でもさ・・
・・・
今、やる気ないんだもん・・・
仕方ないね。
負けず嫌いとは負けたくないのですね。
夢というのは
装飾品ではないのですね。
やる気とプライドには
オリンピックじゃないけれど、
応援が力になる。
世界でひとりぼっちなら、やる気もしない。
応援しているよ・・
やれるよ・・
親でも友達でも
その一言で立ち向かうこともできれば
黙ってみていられれば、やる子どももいる。
あなたが笑えばいい。
生きていればいい。
願いが人を動かす気がする。
やる気がない・・・
なんて、
魚のシッポ。
本体、別にアリ。
今北玲子
昨日と今日、卒業生のNちゃんと会った。
[この絵を見て下さい。
玲子先生、今北先生」
去年、興奮して教室にやってきた。
仙台で初めて、
Nちゃんの大好きな画家の個展の成功に奔走していた。
Nちゃんが多くの人に見せたい、
個展は成功した。
今年は2回目、
昨日は講演会、
今日は個展と、二日続けて会いにいった。
淡色のシンプルな構図の絵は
たとえば卵の形で・・・
中心に白い・・・光・・が、
見る人には
星にも、月にも太陽にも魂にも見える。
その絵を前にすると
ゆらゆら動いて、たとえば踊って、走って、笑って、ゆらゆら、
動いて、迫って、
距離感があるようでない、一体感か、包まれているのか、
動物にも花にも雨にも雪にも一時に見舞われる悲しみにも笑いにも
希望にもなって・・
「元気出して」
「乗り越えて」
聞きたい言葉が聞こえてくる。
近くなり、遠くなりして、
会話できる。
今や、医療でも
癒しに効果的らしい。
絵の前に立つと
向き合うものを感じる。
私がNちゃんと会ったのは
20年前、
八杉先生が
仙台で、初めて
不登校、学力遅れに支援する・・講演を
開いて、間もなくだったと思う。
15歳、
ストレートな肩まで下がる髪の可憐な少女と私は会った。
不登校は
怠け、
いじめられる方に問題がある、
世間には横行していて、
学校に行けない子はただ、家にいて
先の見えない、生き方を余儀なくされた。
会った瞬間、
この子は何もしていない・・・
思った。
八杉先生の時代を読む並外れた求心力に
全国から一匹狼で塾をしている人達が大勢集まった。
岩手の優しくてキップのいいT子さんも、
会津坂下の会えば元気になる大好きSさんも
大阪の親分のKさんも
東京の兄と慕ったAさん、素敵なIさん、バツグンに文章がお上手なHさんも、
他にももっと、
仙台市内でも
穏やかで生涯の友になりたいTさんご夫婦、
夫の飲み友達Oさんも、論客Oさんと優しい奥さんYさんも、
もっともっと
全国で400を越す、
行政が何もしなかった時から、
子どもたちと会い、話を聞き、勉強の面倒も見、
小さな塾が
挙げた手を
下ろさぬ手の
私塾があった。今もある。
八杉先生をはじめ、
子どもたちの小さくなった気持ちの・・・
痛みを聞いた人達が全国にいたのである。
その当時のNちゃんは、
自宅に突然来たこともあるし、
電話で
「こんなこと、もうたえられない・・」
訴えたこともある。
その後、Nちゃんは賢くて高校から大学に進学した。
海外にも出かけ、
手作りのクッキーの仕事もした。
Nちゃんの歩いた道は多くの不登校の家族の
大きな支援となっている。
昨日の講演会で
Nちゃんは
大好きな女性画家のために
(Nちゃんのお母さんはアナウンサーで、
Nちゃんも通る声で)
おじけず、
笑顔で
マイクを握っていた。
大好きな画家のために進行を仕切り、
すっきりと立ち、
自分の言葉で大好きな画家の紹介、感動・・・
あまつさえ、
自分との絵との出会いにまで及んで、
マイクをにこやかに握っていた。
この日の司会である。
可憐で
なぜ、学校に行けないのか・・
いやというほど、
突きつけられ、
言い返せもせず・・・
昔のことは
私、覚えているけど、
あなたの本当ではあったが、
本当の本当ではない気がしていた。
大勢の前であなたは大好きな画家のために
笑顔でマイクを持っている。
これがあなたの少なくとも
自分に添う、
本当ではないだろうか。
次の日、
一番丁の個展を見て、会場を後にした。
見送ってくれたNちゃんを
なぜか、今日は振り返らなかった。
見送るあなたがいることは容易に想像できた。
私が振り返ったら、手を振るつもりであなたは
立っているのだろうけど、
私の背中が遠くになるまで、律儀なあなたは
たたずんでいるような気がしたけど、
もう、あなたを案じて振り返らなくといいように思えた。
今までは
さよならの
さよなら、二度三度と手を振った。
美しい女性になって、
もう、さよならは一度でいいかもしれない。
そうよね。Nちゃん。
もし、私に御用の節は
いつでも・・
傷つきやすい、聡明な少女は
私の前で何度も泣いたけど・・
もう、違うね・・・・
司会のマイクは
あなた次第でどうにでもなるってことです。
あなたが決めるってことです。
1本のマイク・・
あなたの声・・
141の6階の大きな会場はあなた次第。
自分の声で
誰に遠慮もせず、
モノを言える。
そういえば、あなたは15歳なのに、
八木山から通町の自宅に15歳、たった一人で
何かを言いに来たね。15歳がそう簡単にできもしないことを
したよね。
私は青葉通りを
一歩、さらに一歩、
雨なのに
今日ほどさっぱりと心地よいことはない。
Nちゃん、想い通りに生きな。.
今年のネットワークで二人でお茶したね。
私、
「大人になるってあっという間だね、楽しいね、何でも買えるし、好きなことできるし」
「覚えていますよ、
玲子先生。
あっという間に大人になるからって。
大人は楽しいよって中学生の私に言ったこと」
「覚えているの?」
「はい」
あなたは賢いね・・
あなたと向き合うと
ころころごろごろ
二人だけの
得がたい思い出が転がってくる。
今北玲子
、
、
夏期講習の後半は
毎日、読み書き150問近い漢字と15分以内で書く200字の作文。
今日は・・
2008年・鳥取県出題の条件作文。
●あなたがいつまでも心に残しておきたいと思う「ふるさとの宝」について。
残しておきたいものを一つ取り上げて、なぜ、残したいか理由を入れて、
書きなさい。
子どもたちは15分間、心の中をひっくり返し、言葉を探す。
鉛筆を持つと浮かんでくるものがある。
それを読ませてもらうのがとても好きです。
さて、ふるさとの宝は・・・「学校」「公園」「森林」・・・なるほど。
ユニークだったのは
「ガジャラモジャラの井戸みたいなもの」
山形にあるそうで、風が通るとガジャラモジャラと聞こえるという。
お父さんに教えてもらったその井戸は父との思い出につながるんだろうな。
私も会ってみたい。ガジャラモジャラ・・
風を食べる優しい怪獣が住んでいるかもしれない・・・
その中に嬉しくなる作文がありまして、
「ふるさとの宝」
(私が残したいと思うものは、通い始めて5年になる塾だ。
この塾は夫婦でやっていて、私の家のすぐ近くにある。ここで過ごした5年間、
私は多くのものを学んだ。大切なのは勉強だけではない。
礼儀や思いやる心も同じくらい大切だ。
そんな温かい塾が私は好きだ。
だからこの塾はかけがえのない宝としていつまでも残しておきたいと、
私は思う。)
毎回、ひとりひとりにコメントを入れる。Mちゃんにも書いた。
(恐れ入ります。塾を始めて、こんな文章を作文でいただいたのは初めてです。
たいした夫婦でもないのにもったいなく、ありがたいです。
Mちゃんのあたたかい心が私の宝物です)
風は
空の向こうから吹いてくるだけではないのですね。
原稿用紙からも風は吹いてくる。
思いがけない夏の贈り物を
早速夫に見せた。
じっと読んでいた。
「ほうーっ」笑顔になった。
夏期講習・
朝から晩まで喋りっぱなしの、
あれもこれも言っておきたい、熱風の夫の
くたくたの疲れを忘れる、
200字の原稿用紙から
いい風が吹いてきた。
気持ちに
身体の内側に渡る、いい風・・
私は何度も
風を読んだ。
Mちゃん、
言葉の嬉しさはあなたの良さです。
あなたの良さはあなた自身のものです。
何もかもあなたの良さ・・・だけど
隣の教室でありがとうございますって言ったら、
「いいえ、そんな」私に笑った顔。
忘れないね。
2008・夏の午後・15分・200字の
あなたにありがとうを忘れないね。
今北玲子
「大変なことになっていますよ、お母さん」
次男に言われて目の先、手の先を追うと、
テーブルの蜂蜜のビンにいつ現れたのか、
蟻の行列。
一直線に蜂蜜を目指している。
まだ、被害は広がっていない。
ビンの周りだけだろう。
しかし、ふたを開けると
みくびったことを知る。
すでに大勢、蜜の中にいた。
あまりのごちそうに
あまりの蜜の海に
飛び込んだはいいけれど、
動けなくなったアリさんたち・・
こんな宝の山はみたことない、喜んだんだろうなあ。
仲間にも知らせなきゃ・・
でも、友達が動けなくなって
引き返そうか、ビンを登ったり降りたり
言ったりきたりするありもいる。
「危ないですよ」
一度は私の声に振り返るが
蜜の誘惑には勝てそうにもないのがアリの道理。
こつこつ働くアリの生きる道がありましたでしょ。
一時の空き巣狙い。
分相応に質素な暮らしは明るく楽しかったと思いますよ。
欲は一瞬に身を崩す。
見つけた途方もない甘い黄金の誘惑・
楽園の蜜が人生を狂わせたのかしらね。
でも
蜜にとっぷり浮かんだアリさんたちは
幸福そうに見えた。
こんな幸福はない、見たこともない蜜の海を泳いで、たらふく食べて、
さあ帰ろうと思っても手足が動かない。
いいや、それでも、
気が遠くなりそうな幸福だったに違いない。
「ああ、なんて幸せ!」
隣の友達が
「お前も」その隣も
「うん、お前も」
みんなして、ひっくり返って
天を仰いでいた。
蜂蜜大好きだあ、
ここは最高・・思ったんだろうな。
幸福なありさんたち、
次に生まれてくるときには
・・蜂・・だといいね。
蜜から蜜へ飛んで
小さな幸福を重ねてさ。
Reiko
人の機嫌のよしあしは難儀である。
こちらが上機嫌でも
相手がなにやら不機嫌であれば、
言葉を拾い、少しでも心持を戻してもらおうと苦心するが、
不機嫌の大元は
「わかってもらえない」・・だったり
「思い通りにならない」・・だったり
私の力量ではなかなか、うまくいかない。
小学生は授業中、たまに不機嫌になることがあっても
二つ考えると収まりがつく。
夕方でおなかが空いた。
疲れて眠い。
母親に「おなか空いたア」
「眠いよお」
言えるのに塾の先生には言えないから、我慢する。
鉛筆の走りもそりゃあ、鈍くなり、
「きれいな字を書いてね・・・進んでないよ・・・」
はい,
とは言うものの、
思い当たる不機嫌はどっちかだろう。
子どもながらになんとか処理しているのもわかる。
もう少しだよ、ガンバレー。漢字かるたしたら、帰ろうね。
「うん。よし・がんばるぞー」
俄然、もりもり勉強しだすからには当たっているのでしょうね。
中3くらいはわからないことがある。
息子が不機嫌。
成績がよくないのです。
自分のせいです。
でも、
気を使ってしまう。元気になってほしくて、あれこれ・・
えてして、母の立場は十中八九、
同居人の機嫌に揺れる。
いつしか、巻き込まれ、こちらもそこに陥る。
家人がいつ持ってくるかわからない突風に
応対する言葉も準備もない。
午後の気休め時、
NHK,日本の話芸にチャンネルをあわせた。
あらら、柳家小三治師匠のお出ましで正座した。
「お化け長屋」
空きになった長屋のひとつ。
しばらく、物置代わりに使っていたから、
長屋の住人は誰にも貸したくなくて、
お化けが出るということにするが・・・
声を出して笑っちゃった。
少し、ずれて困っていた私の機嫌が
笑うと戻ってくる。
ずれた隙間は笑えばそうでもなくなってくる。
悲しくとも、苦しくとも
内から笑えないのなら、
無理しても外から笑わしてもらうと
笑うたびに
こっちオーライ、もう少しオーライ、
そうそう、この辺までオーライ・・
いや、もっと、はいはい、
いたるところまで、笑えせてもらえば
不機嫌の自分の難儀も消える。たいしたことじゃない。
落語は
機嫌の舵取り名手だろうか。
笑いなさい・・な。
この世に生まれて
がんばるのもいいけれど、
笑うのはもっといい。
笑うと
なんと不思議なこと!
心の臓やら
腹の虫やら
疲れた頭の主やら
わいわいと活気が出て、
愚痴も不機嫌も
端っこにおいやって、溶かしてしまう。
「これがいいですぅ。あったかくなりますぅ」
笑うと
ポッと開いて
パーッと光る
お天道様がやってくる。
今北玲子
以前、山月記を読んであげたSちゃんが
話があるという。
「進学したいんですけど・・・」
「いいじゃない」
「でも・・・」
「高校中退で、進学しても又、いけなくなるかもしれない・・・」
あなたと会って、2年、
塾の階段をばたばた、
教室に入ると、どんと椅子を引いて、
「シャープペン忘れてきたんですけど」
「あるよ」
「シャーペンの芯、ありますか?」
「あるよ」
あどけなく、可愛かったけど,投げやりでどうでもいいような、、
あなたはなんか不安だったのね・・
ここ最近、Sちゃんは変わった。
「こんにちわ」
「ここにすわっていいですか?」
丁寧になった。
バイトだ。
念願のバイトが決まって、可愛く化粧して、
あなたは働き始めて変わったような気がする。
「玲子先生、あのー」
会話も丁寧になった。もともとあなたはそうだったのだと思う。
丁寧な少女だったのだと思う。
「玲子先生」
「はい」
「大丈夫でしょうか」
「なにが?」
「また、学校をやめるって思われないですか?」
「だいじょうぶ」
「何でですか?」
「不登校はトンネルっていう人がいるけど、
それは私は感覚はわかんないけど、
なんか、Sちゃんはどこにいるのか、見えなくて、困っていたけど、
でも、働いたよね。
そしたら勉強したいとか、あそこに行きたいとか、思ったのよね・・
もう、見えるのよね・・いろんなこと」
「はい」
「だから、だいじょうぶ・・」
時に
人はあまりに苦しいと、あまりに悲しいと
考えないようになる。見えないようになる。泣くことすら取り上げられる。
1滴の涙さえ、どこにあるのかわからない。
緊急事態に、
その命が機能を停止させ、
一時、保護をするのかもしれない。
今は食べて寝ればいいから・・
それ以外、何もしなくていいから・・
あなたの携帯の待ち歌はブレークするずっと前から青山テルマで、
いい曲だねって言ったら
Sちゃんに曲名を教えてもらった。
♪そばにいるね♪
「うちのお母さんもこの曲好きなの。玲子先生も?」
「うん」
冒頭の歌詞は母の詩・・・・
♪・・あなたのこと私は今でも思い続けるよ・・♪
♪・・いくら時が流れていこうと♪
♪I’m by your side baby いつでも ♪
Sちゃんのお母さんもここの、この歌詞が好きなのではないだろうか。
昼夜逆転する娘に伝えたかったですよね。
そばにいるね・・・
恋の歌かもしれないけれど、
どんなことあろうと、あなたのこと、思い続けるよ、私は・・・
そばにいるよ
いつでもいるよ・・わが子に届けと祈ったのではなかろうか。
お母さんのこと、おにいちゃんのこと、話すようになって、
あなたはそばにいる家族が見えてきたのよね。
1度しか会っていないけれど、懸命に働き、あなたのことを
思い続ける、いいお母さん・・。
お母さんの好きな曲を知り、「うちのお母さん、この曲好きなの」
お母さんが見えるようになったのよね。
「あなたはだいじょうぶ。受けたい学校を受けなさい」
Sちゃんの目に
みるみる涙があふれた。
「化粧大丈夫?」私が聞くと、
「黒くなってないですか?マスカラの黒い涙になってたりして」
「大丈夫」
二人で悲しいわけじゃないのに、笑って泣いた。
やはり不安だったのだろうと思う。
小学校からの不登校、高校中退、安心材料は一つもない。
でも、私は絶対大丈夫・・・と思う。
初ライブのM君のポスターがSチャンの机の横にゆうべのままに
置いてあった。
「あのね・・」
ライブのMちゃんのこと、話したくなった。・・
「大阪に新聞配達に行って、
三線習って、魚屋さんで働いて、ね・・野菜作ったり、CD創ったり、いろいろやるの。
その人の夕べのライブは最高だったんだ」
Sちゃんは「ええつー。新聞配達ですかー!魚屋さん!デスかアー・・・」
連発した。
「すごい!
すごいですよね!それってすごいですよね・・
それっていいですよね・・」
顔が輝いた。
M君へ
あなたのライブに
あなたの今までに
顔を輝やかす18才の乙女がいます。
ライブはその日だけではなくて、
それを聞いた人、
それを伝えたい人、伝える人、
あなたのライブは
誰かに言いたくなる楽しい、またとない楽しいものでありました。
あなたにもう一度、言おうかな・・・
ライブはよかったよ・・・あなたはいい顔してピアノを弾いていた。
ライブは終わったけど、
その余韻は
ひとりの18才の乙女の
未来に・・・(いろんなことしていいのね・・)
楽しい贈り物を
しましたよ・・
私にも・・・
今北玲子
1月2日の新年会で
「CDを出したけど、やっぱりライブですよね」
「教室でやる?」
「いいですか?」
「いいよ」
「誰に聞かせたいの?」
「身内で・・・先生のご家族とか、Kちゃんとか、Mちゃんとか・・・」
M君との約束を請合った以上、守りたいもので、
8月には入って、
夫にあの話、連絡してもらえないかな?
こういうとき、夫は手際よく、
セッテッグしてくれる。
間もなく、連絡終えて、確定8月15日、
ただし、親友のK・M君は同窓会と重なり、もう一人のM君も欠席。
盆は忙しいね・・・
里帰りのKクン一家と我が家全員で聞こう。
そしたら
同窓会会長のN君、帰省で飲みたいという1期生M君にも混ざってもらって。
前日、この間、3人で飲んだこれまたイニシャル消防署のM君にばったり、
夫が誘うと
参加するというので、(その後、M君のお兄さんと友達が入って)
観客16人の
15日、
M君初ライブ・・・
思えば、8期生の面々にはご縁を通り越して、お世話になった。
初ライブのお父様にも忘れ得ない人情をいただいた。
21年前。
ほくそう舎に入塾者は殺到して、受け入れる椅子も机もなくて、大勢断った。
その後、断ったうちの一人、その子の消息を夫は耳にする。
中学の教師になぜか、袖にされ、ハブにされ、
理由はその子の家庭環境にあるとか、(理由はわからないが)
夫が聞いてきた。
夫はその子の家を訪ねた。
「入れますから。」
一度は断ったのに、わざわざ、言いにいった。
喜んで、その子は入塾した。
そして、しばらくして学校で教師に前歯を折られた。
塾の緊急保護者会を夫は開いた。
学校でもないのに、余計なことだったかもしれないけれど、
「どう、思いますか?」
夫は塾生のご父兄にたずねた。
塾が何をしたって、学校に届くはずもないのに、
塾に解決策はないけれど、これもご縁のご父兄とみんなで考えてみたかったのだ。
夫は必要だ、と思ったのだ。
間もなく、事件をマスコミがかぎつけた。
新聞に大々的に
「体罰」
教師の暴力が活字になって、
活字が世間を走った。
父兄はそれこそ本物の学校の緊急保護者会に集められた。
我が家の電話は鳴りっぱなし。
夫が開いたあの塾の保護者会が問題となっているのか。
「あの塾が新聞社に学校を売ったに違いない」
そういうことだったのか・・・
朝から、
受話器をとれば、
「バカやろー」
愛校精神はダイヤルを回すくらいなんでもなくて、
体罰より、わが子の通う学校が
新聞沙汰になった事の方が重大らしい。
鳴り止まぬベルに耳をふさいだ朝、
ナンバープレートが出ないあの頃、
どれが緊急で、どれがいたずらとも分からないので、いちいち受話器を耳に当てては
ため息をついて、受話器を置いた。
りりーん。
又か。
受話器を取ると、
「Tでーす。」
M君のお父さん・・・
聞きなれた声にほっとした。
「保護者会があるんですが、先生、
もし、誰か、先生のことを言ったら、手を挙げていいますから」
「先生、塾のことを悪く言ったら言いますから」
「先生、ちゃんと塾は悪くないって言いますから」
今はどの順番が正しい内容か、定かでなくなったが、
どれも、真実で、
M君のお父さんの声は以来、耳元で3つとも共鳴する。
受話器を持って
「そうですか」
泣いた・
その息子がM君である。
忘れはしない。。
マスコミの恐ろしさ、報道されれば、誰がニュースソースか憶測でしかわからない、
庶民が疑われる怖さ。
誰に
誰に分かってもらったらいいのだろうか・・
1本のM君のお父さんの電話は
私と夫に
「きっとわかるひとがいる・塾はつぶされない」
M君のお父さんの明るくて、
今北先生、心配しなくていいからー・・オレが言うから・・
「ありがとうございます」
「先生、大丈夫だから・・・」
M君のお父さんは受話器の向こうで元気で明るかった。
心丈夫・・とはこういうことだろうと思った。
M君は1点差で第1志望を逃した。
申し訳なくて、申し訳なくて・・・
その時、お父さんが挨拶に来て言った。
「うちの息子は1点差、よくやりましたよ。先生。すごいですよ。
褒めてやってください」
人情は突然、そこに花咲くのではなくて、
その人にこそ咲く花ではなかろうか・
私たちは生涯忘れない・・、
これからも塾をしてもいい?
M君の父さんが
やってもいいさ・・今北先生。
握手してもらった気分で・・
人は人の心で生きていける。
M君のお父さんは職人で生きてきた。
腕があれば、先生!
誰がなんと言おうと、子どもをつかむ腕ですよ・・
私はあの電話をそう思った。
なけりゃ、だめですよ・・
ですよね・・・
M君のお父さんは
誇り高いけれど、小さいことに、こせこせしなくて、
あはっはっ、と私たちの前でよく笑った。
それに
明るいお母さん、
M君は
塾のアシスタント、
突然、大阪に行くと言って新聞配達、
「ちょっとさびしくて・・」
戻ってきて、
魚屋、
農業、
そして、今夜の初ライブ、ピアノライブ。
自由に生きているなっていつも思う。
さて、ライブが始まる段になって
「おい、(ライブを開いたりして)
君は何をどうしたいのか」
同級生のK・M君が言った。
「そりゃ、、皆さんに聞いていただいて・・ええ・・まあ」
今夜の主役は照れて笑った。
なんだかんだ言いながらデザイナーでその親友のK・M君は
一日限りの素敵なポスターとプログラムを用意していた。
8期生は言いたいことを言って、
てんでに面白い。
「手に汗、脂汗・だよね、君だけでなくて、こっちも」デザイナーのK・M君
「君より、こっちが緊張するよ。心配だよ」Kクン
友達はいいね。
ポスターは
CHERRY MAN・・LIVE 2008
おしゃれで素敵なポスター。センスいい!
ピアノの足が取れている。親友の愛嬌。
持つべきは友達・・
そして、M君のお兄さんは記念写真にとるために連絡あるまで、
待機しているという。
持つべきは兄弟。
ピアノは習う年齢がある。
大人では手が動かないのに
よく、練習したものだと思う。
すごいです!
楽しいライブは16名の盛大な拍手で終わった。
飲んで喋って笑って
さて、最後は、
出世ゲーム・・をやろうと夫が言い出し、
卒業生同志の出世ゲームは
皆、卒業生だけにハイレベル・・
手拍子がハヤイ・・ハヤイ・・
アルコールが入っているので、
制御が利かないけれど、
残った三人、
同窓会会長と里帰りのKちゃん、三男の息子。
いつ、誰がミスするか、大人同士でもはじめれば出世したくなるもんですね。
意外に興奮とスリルの一興・・・でした。
毎年、
里帰りしてくれる、卒業生同志で結婚したM君一家、
(勝手口に9歳と5歳と8ヶ月を抱いたあなたたち)
いつのまにか5人家族になったのね・・
はい、いつのまにか・・5人になりました・・
長女の賢さ、次女の賢さ、まだ、8ヶ月でも長男の頼もしさ・・・
8月15日、4時45分、
Kクン一家の5人に
北仙台の名物の夕焼けがまだ浅く、青く、
五人の背中を照らした。
今夜も私とKクンの子どもたち二人は
手をつないで、
お決まりの恒例の西友で
「何でも好きなものをどうぞ」
買ってあげた。たいした買い物ではないけれど、喜んでくれる。
「ねえ、あなたたち、こんなに玲子さんに買ってもらって、頭、真白じゃない?
よかったねえ。玲子さんにありがとした?」
「うん」
Sちゃんはもはや、堂々とした3人の母になって、
「玲子先生が初めての子の時、
どんどん生みなさいよって言ってくれたの。
あの時はこうなるとは思わなかったけれど」
(私の娘にも、どんどん産みなさいよって言ってくれたんだってね、
Sちゃん、ありがと)
ようございます。
親に育ててもらった恩返しは、自分も子どもを育てなきゃね。
来年は
Mちゃんライブ2回目と、思います。
楽しみです。
夏は卒業生と
どんどん、飲むのでございました。
今北玲子
8年前、
「不登校、学力遅れに私塾ながら民間として関わってきた今北さんに、
講義をしてもらいたい」
宮城教育大の懇意にしているH教授から非常勤の要請があった。
「いやだよ、そんなの」
夫はためらった。
そのうち、
「受けることにした」
なんかわかった。
私たちはいいなってという教師にも会ったが、何を言ってもわからないさんざんな教師とも会った。
申し訳ないが、日本語が通じない。
夫が私は塾をしている、名乗っているのに、
「あなたはうちの生徒のどんな関係ですか」
「塾です」
学校は
あなた様が
部外者かどうか、血縁かどうか、という翻訳が必要らしい。
教頭と校長がひそひそやる。
部外者がついてきた理由を夫が言わないと話が進まないらしい。
「この子を塾で知っています、この子のお母さんについてきてほしい、と言われたんですよ。
どうして、こうなるか、子どもの責任ではなくてですね。
社会構造もあるんですね。そういう事例を沢山見てるんで、話してよろしいでしょうか」
学校は
「ご家族ではないんですよね」
「はい、塾です」
慰謝料を請求しているわけじゃない。この子が成長するのに、いい手立てはないものか、学校も考えてもらえないか、
不登校は怠惰ではない。
社会現象といえないのだろうか。
考えましょうや・・・
行政が
「どの子にも不登校は起こりえる。」
認知する前の話である。
家族以外の人間と話し合えないのが学校です。
親ですか?
親戚ですか?
血縁でなければ、排除は当然であった。
だって、子どものことは親が考えることですから・・・
白い目で見られて、夫は怒鳴った。
「いい加減にしろ」
異業種で世の中は成り立つもんです。
考えようってとき、同じ視点の人間同士じゃ、何も生まれない。
創造は
物書き同志でも生まれない、絵描き同志でも生まれない。
時に、
部外者の圧力が
教師をはたと、立ち止まらせることもあった。
「今北さんは親でも子でもないのにねえー」
遠くから褒められて、
渦中に入ろうとはしなかったけれど、家族ネットワークに入会した養護の先生がいた。
「勉強させてください」現役の教師も家族ネットワークには何人もいる。
しかし、大半、
埒もない
やりとりを私たちは知っている。
「こんな教師にはなるな。変な教師にはなるな」
伝えたくて・・・
夫は非常勤をやることにしたのだと思う。
講義が始まった。
1単位取得できる15回連続講義。
どんな講義をするのか、聞いていなかったが。
講義が終わるとレポートを家に持って帰ってきた。
「今日、書かせたレポート・・読んでみる?」
はあーっ・・
たまらないな!
こんな面倒くさい講師に付き合う学生さんは。
同情したもんです。
15回で1単位、乗ったはいいけれど
張り切った今年初めての講師に要求されて、
過酷のレポート・・・
大変だったね・・・
同居のよしみで読ませてもらった。
教師になりたくて大学に入った人、
これまで学校がつらかったと振り返る人、
すんなり、ここまで来たけれどなってもいいのだろうかと悩む人、
腹の中はみな、違う。
224・・とは
宮城教育大2号館、2階の4番教室、
教室番号224・・
そこで
夫はいろんなことをした。
家族ネットワークの不登校の親をゲストにしたり、
さんざんな目にあった学校の体験を包み隠さず話したり、
思いつくことなら、なんでもやった。
夫が多分、思ったのは、
変な高給取りの教師にはなるな、
組織に絡めとられるな、
どこを向くんだ、校長に向くのか、親に向くのか、
理想の教師になんていない、
ぶつかれ、周りを見ろ、
教師面するな・・・
頼むよ・・いつか教師になるんだったら・・・・・
なんかやれよ・・・
夫は新たな仕事を見つけたようにいきいきと
224・・に通った。
あれから8年、当時の学生は皆、現場の教師になった。
Mちゃんの企画で自主ゼミをほくそうしゃでしていいですか?
夫も私も
もちろんです。
キャンプの終わった次の日、
若い教師が塾の階段を上がってきた。
私は遅れて教室に入ったら、
「こんにちは・・玲子さん。すごい、虫に刺されたんですか・」
目ざといAちゃん。
「キャンプでね・・」
「大丈夫ですか」
同情されて
椅子に座ると
当時の受講生の半分近い、10名の参加表明だそうで、
白1点、男一人、A君以外は女性の麗しき教師が座っていた。
近況報告をしている途中だった。
沖縄のSちゃん、
八戸のUちゃん、Mちゃん、
宮古のA君、横浜のこの会の企画、Mちゃん、
気仙沼のAちゃん、仙台の三人Yちゃん、卒業式総代、すごいねMちゃん、医療のシステムを変えようと新たなシステム・チャイルドライフスペシャル世界で18番目の資格を持つTちゃん、
Jちゃんは写メール参加。小さい子がいれば、思うようにならない毎日、それでもメールで何かを伝え、なにをそこでみんなで話しているの?私にも、そして私から・・思ったのね。
今は腕に抱く、赤ちゃんが大事。疲れないように、いつか、会いましょ。
自主ゼミ・・・
Sちゃんは不登校の生徒の生育の資料のない中、家庭環境も把握できず、母親ともなかなか会えず、子どもと話したいのに、空回りしている胸中を話した。
A君は2年に及ぶ担任の不登校の生徒と自分、時間、その事実、パジャマ姿で送る日々を、ついに、外に出ることに力尽くした。何かしたい、この子のためになにかしたい。B4のびっしり3枚のワープロの文字は700日の迷いと悩み、家族と子どもと関わる姿を映していた。
「自分がこれでよかったのかどうか・・ベテランの先生がやったらどうなるのか・・」
そうね。
でも
「よくやったね」
「ありがとうございます」
うつむき加減に礼をした。
私、
ひとつ、用事があって他の人の近況をききたかったけれど頓挫・・
夜の飲み会で合流。
個性があちこちで花のように咲く。
そろそろ、汽車の時間もあり、数人が帰り始めた。
夫が「出世ゲーム知ってる?」
「あっ、そんなこと講義でも言っていましたよ」
「私、知らないー」
「お前ら、オレの講義をほんとに聞いていたのか?」
夫はいいか・やるぞ。
言われればやるしかない。
私も夫もいつどこで知ったか、でも私たちの世代なら知っているゲーム。
私は小学から知っている。
子ども会だろうか。
駅の待合でだるまストーブを囲むと、いつとはなしに出世ゲームに興じて、
待合の時間が短くなる。
塾の子どもたちにこのゲームを教えると、たいてい、せがまれる。
キャンプでも子どもたちは真っ先にやりたがった。
ひざをパン、手拍子パン、2拍のパンパン・・
親指出して「社長、専務」右は自分の役職、左は指名の相手、早くなると、自分の立場を忘れたり、相手の役職をかんだり、一度間違えれば、最悪のこづかいに落ちる。無難にこなせば、昇進するゲーム。
なにがおもしろいか、と思うほど、キャンプでも子どもたちは夢中になる、一時の集中力、たかが、ゲームでもこづかいには落ちたくないプライド、単純な構造のゲームに出世、というつまらない世界と、
どうでもよさそうだけど、がんばってしまう、ふと、氷山の自分と面白く会ってしまう。
教師となった224のそれぞれ、興じて、学生の顔になっていた。
「やれよ、これくらい、子どもたちにやってみろよ」
夫に言われ、
「はい、やってみます」
素直な224.
Uちゃん、
あなたの個性は子どもたちを親を、きっと楽にする。人生、晴れ!子どもたちはあなたのことを見て、弾むだろうと思った。ある日、子どもたちは聞く。「先生、オレっていい?」「先生、私って・・・」
「いいよー!あんたたちはいいさー!」
きっとあなたは自信を持って言うだろうと思う。
Mちゃん、
お口チャック、やわらかさというものは内から出てくるもので、子どもたちはきっとゆったり、おどかしもなしに学ぶだろうと思った。このままで・・・魔法の先生で・・応援するよ。
S子ちゃん、
沖縄からありがとう。繊細であたたかい、あなたの察知は自分との格闘だけれど、信じたことを迷わず、と思う。正直であればいい。工作しなければいい。教師はね。
でも、悩むよね。先走りせず、通じるから。一呼吸ね。
Mちゃん、
元気になってよかった。ふたりで昼食・・時間を忘れたね。企画ありがと。ドレッシング、最高でした。今回の企画といい、気遣い、わかります。あなたらしい!
Aちゃん、
ふわりと会えば嬉しい、それは滅多にない。生徒を怒りそうになったら今北さんのことを思い出すから・・・、帰りしなのあなたの言葉に夫は嬉しそうでした。自分の天性を信じてね。
Yちゃん、
誰にも言わずとも、ひたすらあなたのいくところ、行きなさい。分かる人は分かる。私はわかる。出世ゲーム・社長就任おめでと。自信もっていきな。
Mちゃん、
朝一番は大変だね。卒業式の総代の任を綴れる文章力は子どもたちの感性を即座に気づく何よりの味方で、あなたを見つめる何も言えない子どもの代弁者になれると思うな。フランスの飴、おいしかった。
Tちゃん、
チャイルド・ライフ・スペシャリスト。あの時も話したけど、いいよー!・難しいけど。
時代のニーズはすぐというわけには行かないかもしれないけれど、私はあなたなら、いける、そう思う。
A君、
ハーレムのような美女に囲まれてもあなたの存在は確かなもんです。あなたと会った人は心許す。理屈ではない、真心は通じる。ベテラン教師はあなたにはかなわないと思うよ。私も夫もきっとかなわない。あなたを生かしなさいね。
夫は
講義の15回目の最終授業は塾の教室を選んだ。
塾のアシスタントもやらせてみた。
あなたたちが3年になって、
又、何人かは受講してくれたし、
あなたたちが4年になっても
「先輩たちはこの授業をどう思っているか?」なんて喋らせたりして
教室の側面に
オレのために4年になったみんな並んでくれていた。
乱暴な授業したんだよね・・・
夫は思い返しています。
卒業式にあなたたちの名前を書いて、式に呼ばれもしないのに
あなたたちが式から出たときに、一度でおめでとうが見られるように
手書きの224のみんなの名前のだん幕を
両手で掲げたのは
夫の
乱暴な授業して悪かった。いや、
聞いてくれて、
ありがとよ、
だったのだと思います。
人を喜ばせたい、なんてこともあるもしれないけれどね。
あの夜、
長い間、話して、お酒を飲んだのに、
あなたたちから少しも教師の匂いがしなかった。
それはとても、とても
いいことです。
子どもたちにも父兄にも
「あの人、本当に先生?」
権力の匂いのしない先生になってください。
人にモノを教える人間は自分を語るのが片一方で好きなものです。
私もその一派。
気をつけようね・・
モノを教えるのは
教師以外の人が上手ってことあります。
小袁治師匠とか、芸人さんはバツグンの指導力です。
受ける、か否か。
暮らしの妙を知っているのだろうと思います。
でも、とつとつでもいい、シャベリが下手でもいい、
そういう先生は
子どもを包みます。
どちらが自分らしいかだね。
夫は
「若者をオレは応援する。
将来を託せる若者がいる。
224・あいつらをオレは応援する」
信じられる若者が大勢いると私も思う。
特に、224・・・
子どもたちが何もかも一番知っている。
変な奴か、怒るだけの奴か、頼りない奴か、
プライドだけか、言い訳の奴か。
見抜きます。
みんなだって、そうやって、大人を見抜いてきたのだと思う。
あの夜、思い出したことありました。
八杉先生を夫が塾に招いた時のこと。。
自己紹介が一巡したとき、
当時の宮城教育大のアシスタントのYくんが言った。
「僕は塾がなくなるように
いい学校のiいい先生になりたいと思います」
八杉先生が
「今ちゃん、(夫のこと)言っていい?卒業生だろうけど・・」
夫は慌てた。「先生どうぞ」
「塾がなくなればいいと思う発言に僕は黙ってられないんだよね。」
(私の記憶はきちんとはしていないが、大体の再現ですが・・)
「学校だけ、それはフアシズムと思います。学びは学校だけじゃない。
塾がなくなればいい。フアシズムですよ。教育のフアシズムですよ。
学校が一番なんて、危険ですよ。
僕は戦後、いやというほど、価値観の違いをある日、突然、味わったんです。
信じてきた教育の価値観が変わっちゃった。
先生が今まで言ってきたことが変わっちゃった。
今ちゃん、悪いけど、
君のアシスタントに言わせもらうよ。君はY君か。
学校が一番じゃないんだ。
学校が一番になっちゃいけないんだよ」
みんなと飲みながら、真剣な八杉先生を思い出した。
学校が一番ではない。
かといって、塾が学校の愛人でもない。
学びの窓はいくらあってもいい。
(Y君は教師にはならなかった。心境はY君でしかね。夫に意見を言える、いいアシスタントでありました。かわいい聡明な女性と結ばれて、仲人は嬉しくてね・・やっと二人にやってきた子どもの誕生も涙がでた。無二の親友のような間柄です)
別れしなに224のMちゃんが言った。
「玲子さん、また」
卒業生の御茶ノ水に行ったMちゃんが中学生のときに折り紙のようにたたんだ手紙の冒頭が
「玲子さんへ」だった。
娘も言ってくれる。
「玲子さん」
私は先生より、お母さんより、
父母が命名した名で呼ばれるのが何より好きです。
224・・・私を誰もが「玲子さん」と呼ぶ。
夫のことを「今北さん」と呼ぶ。
いいな。
教室の教師の顔と
素顔の
二つの顔を持たぬ、
学校の先生に
なって下さい。
私と夫は
支援塾という仲間はいますが、
同僚という仲間はいません。
いれば、楽しいのだろうと、
同級生で同僚のような
あなたたちに羨望です。
224という
同僚に混ぜてもらったと思えば、
「また来年、逢える」
一緒に歩く
颯爽とした気分になります。
夏の224の皆様、
何もかも一切合切、楽しゅうございました。
今北玲子
「こんばんわ」
あらら、高1の卒業生3人。K君、Yちゃん、Aちゃん
「どうした?」
「中3の激励に来たの」
ガッツポーズをした。
「待って、主人に言うから」
「いいすっよ。授業中だし」
3人は夫の教室を覗き込んで、いい、いい、手で押しとどめる。
そんな・・
「卒業生です。」
隣の部屋の夫に伝える。
「おおーっ、入れ。」
気後れして、
「いいすっか」
「ちゃんと入れよ」
招かれて3人は照れた。
「皆さんの激励だそうです。」
私が言うと
一斉に中3が振り向いて、
3人は尚、照れた。
高校生は中3にとって羨望だろう。
聞いてみた。
「去年の今頃はどうでしたか」
「勉強しなかった」
(おっと、中3を変に安心させちゃだめよ・・)
「やめて、それは」
慌てた私を
察知して、K君が言い直した。
「いえ、先生、できなかったんです」
3人はよく勉強したのに
謙遜したか、中3を焦らせたくなかったか・・
まあ、詳しいことは11月の塾の行事高校進路説明会で聞くね。
(進路説明会とは
毎年、11月に
「本音で語る」進路説明会と題して
受験までどんな勉強をしたか、入った学校は自分にとってどうか、
パンフレットでは語られない本音を高1をゲストに中3と保護者に聞いてもらっている)
高校進路説明会、来てくれる?
「はい、来ます。」
「今度はあなたたちが後輩に話してくれる番だから、お願いね」
階段を降りる3人は
「あっざーす」
卒業しても塾に行かなきゃ、
そう、思った3人の差し入れは
ふた袋のキャンデイ・・
毎年、
夏の終わりに、秋口に、私立の直前に、公立の直前に、
卒業生が来る。(春はない。「希望とやる気の春」です)
ある年は
「初給料で中3に差し入れをしようと決めていたから」のルーズリーフだったり、
「暑いから」お茶だったり、
中3の時、誰かにもらった記憶を誰かが覚えていて、
誰かがやってくる。
心細いけど、やる気が起きなくて、焦ったあの時を思い出すのだろうか。
十五の自分の季節のかけらを拾うのであろうか。
卒業生の激励の笑顔を思い出し、
私もそんな者になりたいと
階段を上ってくるのだろうか。
卒業して一度離れた塾のドアを開け、
階段を上ってくる人情に
「ありがとう、・・」
帰る背中を追いかけて
手を振る。
とんとんと降りた玄関で
3人はさっと
靴をはき、笑いながら
あけた玄関のドアから秋風の吹く。
塾の階段を駆け上がる秋風のある。
「どう暮らしてもお前の一生のうちの一日なのだ。
俺はうるさく文句言うつもりはない」
幸田露伴がごろ寝の息子にきっぱりと言うほどの、
覚悟は私にはない。
でも
「どう暮らしてもあなたの一生だが、
まだ、十五才、
自分の力を自分で踏みつぶさないで。やれるだけやってみて」
・・思う。
15才の皆にも私にも
どちらさんも
秋が来ました。
せめて、しゃんと
行きますか。
今北玲子
秋の匂いがする。
塾では定期試験の勉強で連日、中学生が授業の日を問わず、
満杯になっている。
夏の疲れ・・
中3の
「よーし、やるぞ・・」
春からの満々の気迫も緊張も
夏過ぎて、少し緩んで力が出ない頃でもある。
ぐずぐずとやる気の起きない気持ちをもてあまし、
半端な残暑にいる。
私も、同じ、
夏にまだ、追いかけられている気がする。
いや、
大人は朝から晩まで追いかけられて、追いかけて・・逃げて・・・・
時間を友達にはできないですね。
その点、小学生はのんびりと体感している気がする。
「つまらない」
よく言いますね。
時間がゆっくり流れているからでしょうか。
何をしても
大人より一日はたっぷりあるから、
休日ともなると
時間と遊べるから、
時間が恐ろしくないから
友達だから、「つまんなーい」って言える。
私も
ここらで、夏にさよならするにも
秋にお目もじするにも
季節の変わり目の挨拶代わりに
今日は
夏の延長みたいに追われて
あれして、これして、
やめることにした。
追いかけて、追いかけられての節目のない毎日は
生活のためといえ、
用事をこなすためとはいえ、
やめようか・・
夏に最敬礼、秋に敬礼。
今日は、
歯科医の診療、そのあと、銀行に行って、昼食とって
小学生の授業の準備をして、6時に授業を終えて、夕食をこさえて
また、塾に行って9時半に家に戻り、又、夕食を準備してお酒を飲む。
一通りの予定が見えるが、
今は午前9時半。
歯科の診療予約まで1時間。
ちょっとだけ「私の時間」と向き合うことにする。
気持ちばかりの季節の屑々の儀式といいますか。
せかされれば、家事をして一時間はすぐに使い切る。
テーブルに座って
使い道を考える。
何もしないでいましょうか。
時間は
そうと向き合えば、
素直に
「ご自由にお過ごしなさいまし」
止まる。
たまには
あなたの背中を追いかけない。
たまには
あなたに背中を見せない。
「私の時間」のあなたは
トイレ、風呂場の掃除はどうしました?夕食まで30分しかありませんよ。
トントン、肩をたたいても私は振り向く気配もなくて、
年がら年中、私に「忠告、注進」
さぞやお疲れでしょう。
それは私の子供の頃からですよね。
今日の宿題したの・・夏休みの宿題は・・・受験は大丈夫・・何もしていないのに寝ちゃだめ・・
あなたは私のためにせっせと話しかけ、
私はこれといったお礼も言われずにねえ・・
たまには、
私の一時間、あなたもごゆっくり、どうぞ。
私は何もしませんから、あなたも何も言わなくていいです。
「願ったりで・・
あなた様は、そうそう、私の言うことを聞きませんで・・
こうした方がいい、ああした方がいいかと、思いまして・・
あなた様の時間をお供するには、こちらの勝手でございまいますが、
あなた様は私を引っ張るのではなくて、私が見かねて口を出す連続で
できれば、ついて来い、リードしていただきとうございました。
おわかりいただければご自由でいいと思います。
そうして、お暮らしなさいまし。今、自由にしてほしいとおっしゃるなら、
あなた様ももう大人ですから
納得でございましょうから、
私も気が楽でございます」
目には見えない時間とは
大切な相談役で、
指南役で、
なのに、
今まで、お目にかかりたいと引き止めたこともなくて、
お礼の一言も申し上げずに、心配をかけ通しで
相すみません。
「さあさ、どうそ」
お茶をすすめたこともございませんでした。
忙しいあなたを
ただただ、追いかけ回しておりました。
あなたの
よかれと思うアドバイスも聞きませんでしたね。
たまには私とお茶でも。
私は何もしないのだから、
どうぞ、休んでくださいまし。
さて、と・・・
何もしないと決めた
一時間というあなたは
何もしなければ、
本当にゆっくりと長いもんです。
過ごしてみると
つまらない・・と思いますね・・
テレビもない、本も読まない、
何もしない・・・・何もない・・
子どもの頃が戻ってきました。
「つまーんなーい」
なにもしない休憩は
何をしたいか、よくわかるものでございます。
うずうずとわかるものですね。
「時間」は黙っていても心ん中を照らすんですね。
恐れ入りました。
秋の匂いがするから
虫の音も聞きます。
長年、共にしてきたあなたの言うことも聞きますね。
「無理はしないで」
「はい」
私は初めて言うことを聞くのではないでしょうか。
15歳の塾の子どもたちとの
「それぞれの時間」の皆さんへ・・
肩先に止まって、肩を抱いて、
「さあ、ペンを持って」
「テレビを消して」
「3月に合格で笑うんですよ」
「あなたはまだ、これっきりというほど勉強はしていませんよね。やってみなさい」
「まだ、半年もありますよ。行きたい高校まで走んなさい。よーい・ドン」
教師の言うことも親の言うことも聞かないけれど
「時」の
あなたのいうことは胸にしんと通ります。
気がつくように、こうしちゃいられない、と思うような、
大きめの声で話しかけてくださいまし。
言うこと聞かずじまいの私がお願いするのもなんですが、
毎年、秋風吹く、この時期になると
心配になりまして、
よろしくお願いいたします。
(18歳以降の卒業生の受験生にもお願いいたします。)
今北玲子
サランラップの端がどこかにいった。
透明なラップの端が分からなければ、使えない。
筒に
まとわるおびただしいラップを捨てるには惜しいものだから、
くるくる
どこが
始まりか、終わりか、
探る。
見つけたと思うと
ラップのちりちりと端は縦に割れていって
切れ目を見失う。
しょっちゅうある。
どこが始まりでどこが終わりか、
こういうとき、
そっちがその気で隠すのなら、丹念に探そうじゃないの?
筒をまわし、ラップの端をつまみ、探す。
もともと、私がしでかしたことだから
文句も言えず、
今日も
ラップの端を探す羽目になった。
慌てないように。
短気を起こさないように。
透明なラップの筒は私が顔を近づけると
お気楽に私を見ている気がする。
「ありますよ、きっと」
おおーっ
見つけたっ!
ラップの端はひらっと光に揺れて
切れ目をさらして、
丁寧に引っ張ったら
横に横になびいて
遂には一反棒のラップになった。・・・
ほーらねっ
ラップの「ピリッ」といい音がした。
探せば糸口は
どこかにある。
今北玲子
課題を何もしてこなかった生徒が軒並み夫に怒られた。
「塾に来れば成績が上がると思ってるのか!
お前たちが一生懸命に勉強してはじめて
成績が上がるんだ!」
ささやかなプリントさえ、
やってこない、生徒が怒られていた。
カバンの中に手付かずのプリントがあるのだ。
塾に来て、ただ座って、成績は上がらない。
そりゃ、時間をかけて教える。
行けば何とかなる、日もある.ことはある。
量が足りない時だ。
「お前にはこれが必要だぞ。がんばれ、やってこい」
「はい」
「これだけはやって来い。あとで困らないようにな。
なんとかやってこい。」
「はい」
そう言われれば、はい、とは言うものの
勉強は楽しくはないのだろう。
やってこないのだ。
子どもたちは昔も今も変わりはないと思う。
やれと言われてもできれば逃げてしまいたい。
夫はこの間、
「学ぶことに
誠実になれよ。」
大声で言っていた。
できる、できない、
評価の問題ではない。
いい点数をとるためではなくて
いい高校に入るためではなくて
知ることに
誠実になれ!
いい言葉だなって思った。
昨日、今日、
そして、
明日、
継続は力なり。
一理あるけど、そういうことでもない。
毎日、漢字10回書き続けたとして、覚えないこともある。
字を見て、2回、
覚えられなければもう1回、いいです、それぞれで・・
風邪なら、なにもしなくともいいです。
でも、
まあいいや、こんなもんで・・
ぺらぺらでいやいやの勉強は
継続しても
たいした力にならない気がする。
あなたは
あなたに
これでいいのか・・
飛ばしていいのか・・
ちゃんと知りたくはないのか・・
いい加減にしていないか・・
分からなければ、なぜ考えないのか・・
考えても分からないのなら、なぜ、聞かないのか・・
分かるってことに
誠実であってほしい・・
脅かされて学ぶのは
苦しいですね。
でも、勉強は
楽しいばかりでもないですね。
芯があったらいいですね。
誠実であれ・・・
どうぞ・・・
夫の言葉に
私は共感する。
今北玲子
娘の誕生日、
「もう大人だから・・何もしなくていいよ・・」
娘が言うから、
そうね、大人よね・・
何もしないで
夕方家に帰ったら
テーブルに咲くカスミソウ・・
「自分で買ったの?何もしないで・ごめんね」
花さえ、自分で買ったのかと思うと申し訳ない気がした・・
「違うの、お母さん、
私を産んだ人にね・・」
私の好きな
カスミソウ・・
産んだ人ですか・・
なんだか、すみませんね・・
井上光晴・・
直木賞受賞の長女井上荒野が7歳の時の述懐。
「小さなランドセル背負って
『行って来ます』て
学校に行ったんだ。
それを見送ったら
この子が
これから生きていく長い人生の途上で
苦労する数々のことを思いやって
可哀そうになって泣けてきた。」
塾に
学校帰りでランドセルを背負う子は汗だくの夏の日にも、
寒ーい!の冬の日にも、
愛しくて。
背中のランドセルは・・
親なら、
可愛い背中の持ち物は複雑です。
ランドセルがもたらす、
成績、将来・・。
確かにわが子の成長は嬉しいけれど
ランドセルの代物には
暗雲も希望もつまって見える。
母乳を飲まないだの、離乳食を食べないだの、
なんのかんの、そんなこと・・
ここまで育った恩など、きれいさっぱり忘れる。
ランドセルを子どもが背負う時、
一抹の不安がよぎり、
一縷の望みが広がる。
7歳の子に背負わせたのは
国だか、
親だか。
これから大変だよって、声がしたのを思い出す。
嬉しくて、
不安で
その後姿に・・
つと、泣いた気もする。
わが子がかわいそうで泣いたって気持ち、あった。
娘が
「おかあさん、おやすみなさい・,ありがとうございます」
毎夜、私に
深々と
頭を下げて
一礼して部屋に引き上げる。
しつけたわけではない。
どこで学んだか。
問うこともしないでいるが、・・
産んだ人ですが、
あなたの誕生に力を貸しただけで
礼には及びません・・
娘が私の前に生きている。
むしろ、どなたかに一礼、しとうございます。
ランドセルの
親の夢・不安・
所詮、
子どものも持ち物は
お互いの故郷みたいなもんです。
娘の就寝の一礼は
ランドセルを終えたからこそ
ありがたく思えるのだろうか。
わが子がまだ、ランドセルの
塾生の親の皆様、卒業生の親の皆様、
いつか昔・・
重かったランドセルを背負って
何とか生きてきたことを
思いだしますよね。
そうやってここまでなんとか生きてきた。
どなたかに一礼しとうございますね。
カスミソウが
そうなさいまし、
ぽちっと
花々
大勢で
私を見る。
産んだ人・・
やはり、それは
たいしたことではないように思うけど
ランドセルを背負っては、制服を着ては
どっかこっか、心配ばかり・・・だったような気がする。
今日の誕生日の長女の時、
力が弱い気がしてその夜、眠れなかった。
次の日、
先生が「心臓に欠陥があります」
「命に別状はないんですか」
「ないです」
それならいい。
生きていればいい。
その後、自然治癒して元気になった。
気持ちはさっぱりとした青空になって嬉しかった。
誕生日に産んだのは私だから、あれやこれやと誕生の話をしたくなる。
毎年、同じ話でどうかと思うけど、何度も話したい。
陣痛がいつ始まって、いつタクシーを呼んで、
いつ、生まれて・・・
話したくなる。
聞いてね。あなたの生まれた日のこと・・・
この子が生きてほしい、ずっと生きて、祈ったこと。
無垢な
小さな身体を抱いて
アリガトウ、を連呼したこと・・
今北玲子
教室に入るといた!
いた!
Iちゃんの連絡通り、
「先生に子どもを見せに行くから」
もう、来ていた。
いいもんです。
すやすや母の腕に抱かれてその子は眠っていた。
抱きたい私の手がうずうずしたが、大切な赤ちゃん
見るだけでいいか、
迷っていたら、
「玲子先生、抱いてくれる?」
願ってもない。
抱かせてもらえる?
ふわふわの
Iちゃんの愛息
「男です。玲子先生」
「なんて、めんこいの。」
小さな命は誰の手に移っても眠っていた。
人が生まれて、愛する人と出会って、
その赤ちゃんが生まれて
縁で
私が見せてもらうって、抱かせてもらうって
その命に、
私、つまらない者ですが
はじめまして。
あなたにおめもじ叶いました。・・・
寝ているうちにつれて帰らないと・・
Iちゃんは頃合見計らって
「帰るね、玲子先生」
「うん、疲れないように。忙しいから来なくていいからね」
「大丈夫。又、来ます。今北先生。これ飲んでね、ガンにならないから」
豆乳飲料の差し入れを指差して、笑った。
「今北先生が元気でいるのを祈ってるから」
教室を出る時も笑った。Iちゃんは幸せで笑う。昔から笑う。いい性格だ。
ばあちゃん・元気?
塾の玄関に出て親子を見送った。
私に手を振り、
赤ちゃんを片手で米俵担ぐみたいに横断していった。
たくましいお母さんになったね。
父も母もいないけど、
ばあちゃんに大事に育ててもらって
いい人とめぐり合って
お母さんになったもんね。よかった。
Iちゃんはまだ、見送る私に気づいて
赤ちゃんを
俵抱きしたまま、空いた左手を挙げ
「先生!」
大きく振ってくれる。
私も大きく手を振る。
「またーね。」
ふと
数年前の卒業生を思い出した。
その頃、いろいろあってどうしようもなくて
二人の子を手でひいて、一人をおんぶして
玄関に親子4人で立っていた。
「玲子先生、どこにいけばいいのか。わからなくて・・」
我が家に上がってもおんぶの子を下ろさない。
「おろしていいよ」
「いいんですか」
「背中の子を下ろして休んで」
「いいですか」
おんぶの子にしつらえた座布団・・
「ここに・・」
「寝せてもいいですか」
汗だくで、
遠慮して私に抱かせることも
思いつかない。
ずっと、おぶいつづけるつもりだったのだ。
背中の子はおんぶをはずされてもすやすや、座布団に寝た。
しばらく、話をして帰っていった。
それから、もう一度来て、連絡が途絶えた。
子どもを抱いた卒業生が来ると
思い出す。
泣いてない?Sちゃん・・
便りのないのは無事の便り。
あなたは母なれば子を守り
強く暮らしているね、きっと。
私のところに来たのは、気の迷いだったかもしれないね。
女は夫がいれば、子を持てば、いろいろある。
でも、
あの時、
いっぺんに三人のあなたの子どもたちに
おめもじしたのに・・
あなたの暗い顔ばかり気になって
どうしたのか、とばかり思って
あなたのことばかり、気になって
玄関にどんな事情で立っていたとしても
「生まれたのね、3人も。よかったね。おめでとう!
会わせてもらうね。」
真っ先にあなたに言えばよかった。
座布団の三人目の子を抱かせて!
言えばよかった。
ごめんね。Sちゃん、
会いに来てくれたのよね。ありがと。
卒業生が母になる。父になる。
教え子ではなくて、同志になった気分になる。
がんばれーって思う。
今北玲子
小学生のMちゃんが近づいて言った。
「黒板消し掃除してもいい?玲子先生」
「いいよ」
いい回しによって
がらりと変わる。
・・・・
・・・「黒板消し掃除してあげる?先生」
・・・「ありがとう」
しかし、
「先生、してもいい?」
「いいよ」
「ありがとう」は発生しない。
恩に着せない言い方になるほど。
夫は
「ありがとなー」
Mちゃんは聞こえてはいるが
黙々と掃除に余念がない。
してもいい?
自分で断ってしているのだから、礼を言われる筋合いではない、
とでも、思っていたのか。
ちょっとしたこと
見習おう。
「教えてもいい?」
今北玲子
「前期の成績を渡します・・・」
入塾まもない子は少し驚いている。
成績表!といってもテストの素点や
5段階評価などではない。
日ごろ、感じたこと、思ったこと、努力したこと、
頑張ってほしいこと
小学生は夫婦で
中1から中3までは夫が綴る。
今日は中2に渡す日、
親御さんに郵送ではなく、
まず、本人に読んでもらう。一人ずつ名前を呼んで
「座って、これを読んでください」
はいと座って読む成績表は夫の手書きの文。
気がついた。
国語が大嫌いで文章を読むのも大嫌いな生徒だって
自分について書かれた文章は
ゆっくり、丁寧に、真剣に読むのだ。
褒められているところは
ほほがゆるんで嬉しそう・・・
自分宛の手紙は嬉しいものだ。
「学年で君は一番がんばった。」
「こつこつとよくやったよ」
自分の評価が5段階でも素点でもないことにほっとして文字を追う。
成績表は夫の発案で手紙である。
「親御さんに見せてね」
「はい」
「ありがと、ございました」
強要したことはないけど、
起立・直立して挨拶していく。
中3の息子が折しも学校の成績表を持ってきた。
神棚に供えて
「拝見」
数字ばかりが並んでいる。
所見にやっと文字を見つけて読む。
係りをよくやったこと、書いてあった。よかったです。
数字メインの
成績はそれは仕方がないが、文字が恋しくなる。
でも、いっぺんに大勢の子どもたちとの毎日は先生も大変だろう。
ふと、22歳の教育実習のことを思い出した。
運動会の総練習で正面の校長先生に向かって
ザックザックと一列になって行進してきた。
職員の末席にいたが、私に向かって大人に向かって
一心に
行進ではなく、やってくるように思えた。
名さえ顔さえ分からない子どもたちに
一体、
私はどうなってしまったのだろう。
ぽろぽろ、涙が止まらない。
この子どもたちは生きているんだ。
皆さんにも・・
わが子の運動会で子どもたちが走るのを見て・・。
笑うのを見て・・
ほおばって食べる顔見て
ああ・・
可愛くて、可愛くて、
いい子だなって思うこと・ありますよね。
笑っている。
食べている。・・・・
理由などない、じわっと涙が・・する・・
教室でも思う。
なんて、いい子なんだろう!あなたがそこにいる。
どこにもいかない感動はそこ・・
「喋ってだめよ」
「ちゃんとおやんなさい」
「丁寧に字を書きなさい」
「なんで、やってこないの?」
言ったりするけど
子どもはなんていいのだろう。
火種は消えない。
塾に来て無口で帰る子がいる。
なんて、いい子だろうと思う。
喋り通しで帰る子もいる。
なんていい子だろうと思う。
私の前で
渡された成績表を
瞬きもせず書かれてある「自分」を読んでいる。
「自分」を見ている。
どの子も懸命に生きている・・・
なんていい子なんだろうと思う。
あなたはここにいるのですね。
「あなたの役にたちたいです」
手でも握りたくなる。
今北玲子
授業中、夫の携帯が鳴った。
「出て」言われて出たけど、
切れた。
主を見て、
「Y君だ。すぐにかけてやってくれ」
留守電・・・だったから
「授業中ですが、遠慮なくかけてね」
言い置くと
すぐに電話が鳴った。
「どうしたの・」
「仙台に向かっていて、先生たちに会いたいんですけど」
「いいよ、10時まで教室にいるから」
「仙台に着くのは9時過ぎです」
言った通り9時過ぎ、
中2の数学の授業中にY君は入ってきた。
「ひさしぶり」
折りしも
夫は中2の生徒に激怒の真っ最中
「7割やって諦めるなよ。書けと言われたこと書けよ。
詰めが甘いんだよ。ちゃんとやれよ・・」
卒業生のY君は
「玲子先生、中学生と一緒に座っていいですか」
「どうぞ」
鉛筆もノートもないけど、ひたすら夫を見つめて
授業を聞いていた。
「なにかあったの?」
聞かずにはいられなかったが、
中学生のあの時のように夫を黒板を見つめてじっと聞いている。
授業が終わった。
中2の子どもたちが帰るのを
「気をつけてなっ!がんばれよーっ」
Y君は一人ひとりにアシスタントみたいに子どもたちに声をかけた。
やっと、夫の身体が空いて
「よーっ」
しばし、Y君と世間話が終わると
Y君が
「先生、俺、
仕事やめたくて・・すごいんですから。
この年になって
ストレスで盲腸ですよ・・」
激務を話した。
思わず、私、
「いやならやめなさい。我慢することないからね」
「玲子先生、そう言うけど、すぐにやめるのはできないですよ」
誰に言うでもない、自分に言うために来たのかもしれない。
仙台駅に降りて、実家に行かずに
真っ先に塾に行こうって思ったのね。
廊下にトランク二つ、置いてあった。
がんばらなくともいい、やめなさい。
私にそう言われたかったのだろうか。
「そんなことはできないです、がんばります」
自分に宣言してみたかったのだろうか。
「お前は詰めが甘い。7割しか頑張っていなんじゃないのか。」
夫に怒鳴られたかったのだろうか。
どちらでも、いい。
会えたからいい。
どうしているのか、
食堂をたたんで、あなたが仙台を離れて、半年、
心配だった。
「元気そうね、あなたは若いね」
「またまたー本当?玲子先生。友達には痩せてどうしたの?って言われるんですよ」
あなたが十五の時、
「だめだった、先生」
結果を報告に来て、塾の階段を
うつむいて降りる背中に思った。
乗り切んなさいね。
あなたはその後、いろいろ頑張ったと思う。
ふと階段に
「知っているよね、Y君」
「もちろんです」
大好きな義母の口癖
「祈りは一人より二人、二人より三人」
こんな時
私と一緒にお願いします。
「もちろんです。」
塾の階段と一緒に祈る。
乗り切って下さい・・
今北玲子
9月、10月、この時期、
18歳が来ることが多い。
OA入試、指定校推薦、伴う小論、教えて下さい。
お久しぶり!の高校生が来る。
最近、嬉しかったのは小学生まで塾にいたけれど
やめたS君。
「大学入試には先生しかいないと思ったので・・」
あれから
3年ぶり。
「お願いします」
柔道で養われた礼は
教室に
私に・・頭を下げた。
「どうぞ、役に立ちたいです」
塾をやめると言われると何がいけなかったのか、傷が残る。
あの時の失恋・・から3年たって
振られた相手が
「君に会いたくなってね・・」なんて言われた気分になって
「私もずっとあなたに会いたくて」言いたくなったりして・・
八杉先生はやめた子どもたちが戻ってきた時、
「出戻り」と笑って仰っていた。
私は別れた恋人と再会した気分になる。
復縁は長いこと心の下にあった古傷がすっと消える。
又一人、やってきた。
復縁ではないが、夫に進学相談。
「玲子先生にお借りした漢字練習張お返しします」
カバンから出して
「長々とお借りしました」
貸したことさえ、忘れてしまっていたが、
人様から借りたものは律儀に返す、
いい心がけだなって思った。
「あなたに差し上げます。お使いなさい」
[いいんですか?」
「いいんですよ」
夕方に又一人、卒業生。
理科と国語の受験の問題集の相談。
「担任に薄い漢字の本でも買って勉強しろって・・言われたんですけど。
薄い漢字のテキストってどんなものかわからなくて・・
特殊な専門学校受験だ。過去問題を見せてもらったら
高校入試のレベルの高いものでもいいような気がした。
入試は迫っているという。本屋に行くより4年分くらいなら、今、コピーするから、それをやったらいいよ。
いいんですか?
いいんですよ・・
「やっぱり、先生のところに来てよかった。」
塾に行こうかなって
その気持ちになにか応えられたらと思う。
15歳に一旦、さよならしても、
18歳、22歳、24歳、30歳、40歳
なんやかやとここを訪ねてくれるなんて、
ヤッホーです。
私なんか、恩師に賀状を失礼したり、
ご無沙汰ばかり、
皆さん、偉いなって思います。
今北玲子
・・・11月ともなれば・・
推薦願書あり、年が明ければ2月の私立の入試、3月の公立入試と
ここからが本当の受検勉強が始まるともいえる。
この時期
「高校生になった卒業生に
15歳の
あの時、どんな気持ちでいた?どんな毎日だった?
どんな勉強した?どんなことで
志望校を決めたの?」
高校生の本音トーク。進路説明会を開いている。
いいことばかりでなかったはずだ。
塾の行事にしたのは夫で、
高校1年生は呼びかけに毎年よく来てくれる。
今年も土曜日の部活に出席できないのは分かっていても声をかけたら
10名は快くだった。
さて、1時開始のはずが資料19ページができていない。
1時前に来た中3を手伝いに
お待たせのご父兄に「申し訳ありません、」
詫びながら・・・の最中に
16歳の卒業生はやってきた。
本音トーク16歳に夫は一つの質問を全員にしないようだ。
一人に一つくらいの質問・・
「一番端に座っているS君、1年前は?」
S君しょっぱなで
「えーっ、先生、僕ですか。
実は1年前の今日、この進路説明会の時
今までで
最低の成績で、
先輩の話を聞いて
去年のこの日から僕は勉強を始めました・・」
・・そうだったのか。
それは覚えている。
S君は
「先生、みんな頭がいいんですね・」
紅潮していたが、不安な顔してた・・そう思ったのは私だけで
発奮になったとは・・初めて聞いた。
K君
「親にぐちぐち(勉強しろ)言われて
今に見ていろ・・勉強しました」
「親に感謝してるのか」
夫に
「ええ、まあ」
K君の屈託のなさに教室はまさに本音、救われ笑った。
そうよね・・息子に言いたいことを言ったお母さん
付き合いは長いです。
今年の3月、合格した時
教室に来て、真っ赤な目をして
「玲子先生、どうなることかと思ったけどよかったあー」
その一言、すごく分かりました。
長男が公立が残念だったのに次男も三男も迷わず入塾なんて、
第一子がつらい思いをしたら、別の塾をと思ったりするのに、
ありがたいことでした。
そりゃ・・次男には手厳しいことも言いたくなりましたよね。
それも分かります。
K君のお母さんの背中は次男の話を聞いても堂々としていた。
それでいいですよね。息子を一番案じたお母さんだもの。
「Mちゃんに聞きます。入学した高校はどうでしたか?」
夫の問いに一息のんで・・
このMちゃん・・一度は部活で出席できないはずだったが、
前日になって電話が・・
「部活はなくなったんですが、人前で・・」
「話すのが苦手?」
「はい」
「私の気持ちを話していい?」
「はい」
「進路説明会の(高校生のトーク)はいいこと言わなくてもいいの。
去年の自分のありのままに言ってくれれば、いいの。
もしかして、中3の誰かが今日、ここに自分のために
座ってくれている卒業生に有難うと感じる人がいて・・
そう、思う人がいるかもしれなくて。
格好いいことなんかいわなくていいよ。
私はあなたが明日、塾に来て中3の前に座ってくれることが嬉しいんだから」
「行きます」
「待ってマース」
そのMちゃんが話した。
「私は成績がアップダウンで本当は行きたい高校があったんですが、
受ければよかったかなってあとで思ったんですけど、
でも、今の高校に決めて・・よかったです。
志望校は(誰に言われても)・・無理しなくても
自分にあった高校でもいいと私は思います」
人前で話すのが苦手なんて思えないほど自然な話し方だ。
「去年失敗したこと。これは良かったことは?」
D君
「親が公立を落ちたら私立でもいいから・・
僕は気楽になって公立を受けることができましたね。
親と塾と友達と支えになりましたね」
「中3のご父兄に一言、言うとすれば?T君」夫の指名に
T君は
「僕は親に勉強しろとは言われなかった、もし、(親は子どものことが心配なら)
今北先生に言ってもらうとか
そういうのがいいと思います。
親に言われないとどうして言わないのか?
自分で考えるし・・
僕は親に言われなかったのがすごくよかったから・・」
T君のお母さんになるほどと思った。
案の定、夫も思ったのだろう。
「お前に聞いたのは理由があって・・今だから言えるが・・
お母さんがしょっちゅう電話をよこしてたんだよ・・勉強しないって。
どうしたらいいだろって、俺はお前は大丈夫って・お母さんに言った。
そうか、お前のお母さんは何も言わなかったのか」
「はい」
T君は・・うなづいて、いい顔していた。
「この時期、11月頃からお前は勉強してたよな」T君に更に聞くと
「はい、去年の今頃、この時期に社会が悪くて
今北先生に聞いたら教科書を読めと言われてもなかなか頭に入らなくて・・
でも、今北先生の言うことを聞いて教科書を読みました。」
「それで、お前の本番の社会の点数は何点だ?」
「96点」
中3の中にも同級生の中にもため息が漏れた。
推薦が受かった時のこと・・
Yちゃんは
「なんか(他の人より)楽した気持ちで」
言葉少なに・・これでいいのか、煩悶した一言・・
いいのよ・・合格は合格です。私は思うよ。
最後に一言・・夫の質問に
S君
「さっきも言いましたが、去年の今日、先輩の話を聞いて僕もできるのでは・・と思ったんです」
K君
「僕も去年の今日、(この進路説明会で)勉強を始めました。
一つ上の知っている先輩が高校に入って9番ときいて、今まで一緒に遊んでいた人だったので
すごいと思って、
なんか、自分もできる、と思って・・・
僕は公立の志望校提出のギリギリのその朝に決めたんですけど
今までN高しかないと言い続けて、
でも、その朝、S高にしようって思って。
自分はそれまで本当に入りたい高校は
決めてもいなかったような気がして・・ただ、言っていただけ、みたいで
初めて自分で決めたっていうか、なんか、決めました・・・」
このあたりからだ。夫は口数が少なくなりはじめた。私も何か?
これと言えないものがじわじわとやってくる。
ともすれば涙が出てきそうだ。
この気持ちはなんだろう?
1年前、
今座っている高校生は毎日、毎日時間通りに授業以外でも通ってきた。
皆、
言わなかっただけで
自分の成績の不安を抱え、それでもなんとか
「高校に行きたい」
「俺ってやばい」
「どうすればいい」
「どうしたら勉強できるのか」
「私は無理しなくともいい」
言えないよね。当時15歳じゃ、。
言えるのはそこを過ぎたからだろうね。
1年前は胸にしまって
ご飯食べて、学校に、塾に、行く道帰る道
いろいろ考えたのだろうなって思うと・・
傍目には
やる気がない、ように見えたが、いつ、やるのか?やきもきしたが、
そんなことはない。
大人の望むような、がんばります、なかなか言えなかったかもしれないけれど
さっさとできないかったかもしれなかったけれど
親の絆もちゃんと感じて
高校生になりたくて懸命だったのだと思うと・・・
何か言わなきゃと思うが、のど元が封鎖されている。言葉が出ない。
「学校の先生にどこにも入れないと言われて目にもの見せてやるって思いましたね」
「交通費が安いからここに決めるって親に言ったら
いきなり、ダメって言われて」
けなげに歩いて来たんだ。
みんな、いろんなこと思っていて、
暮らしていたのよね。
自分で切ったり貼ったりの
初めて見せてもらう、ちぎり絵の絵のようで・・・
帰りしなに
「すっごく、すっごく感動しました」頭を下げた。
「玲子先生有難うございます」
「そんなのいいです」
「お世話になりました」
塾の階段を1年ぶりの同窓会、笑って下りていった。
夫は
「そっか、ありがとう」
「そうか、ありがとう」
そればかり繰り返していた。
夫も私と同じだったのだと思う。
今日来た人も来ない人も
いろんなことを思って
15歳を乗り切ったのだなって・・
じわじわって来た。
今日の雰囲気は
本音トーク、皮切りの
S君からだ。
しょっぱなに
「ボクは去年のこの日、高1の先輩の話を聞いて勉強したんです」
その一言が伝播するように
皆、次々
言い始めた。
言えば、それぞれの10人の15歳だった。
何も思わない子どもはいない。
言わなかっただけなのね。
昨年の本音トークで話してくれた高2の皆さん、
あなたたちが塾に来て中3の皆に話したこと・・
伝わったのだと思います。
去年高2の皆さんからもらった気持ちを
何人かが言葉にした。
「中3のみんなも
やればできる、と思います。今北先生の言うことを聞いて
がんばってください」
あたり障りのない言葉だが、脅かされるより心が動くのは
「あなたはやればできる」
・・・・
あたたかい気持ちはしんと胸の奥まで行って残って、
また、それを誰かに伝えたくなって、伝わって
つながっていったらいいですね・
高1のみなさん、ありがとう。
高2のみなさん、ありがとう。
高3のみなさん、それ以前のみなさん、改めましてありがとうございます。
今北玲子
染みる言葉がありますね。
「幸福は伝染する」
宇野千代
「静かにいくものは健やかにいく。
健やかにいくものは遠くにいく」
城山三郎が愛した言葉・
いいな・・
「人のせいにするものではない。何も言わなくとも人はわかる」
私の祖母(1904年生まれ)の
口ぐせ・・
いいな・・
今北玲子
中2のHちゃんの作品がメデアテークに展示される、
お母様から丁寧なご案内をいただいて
絶対見るのだと向かった。
作品は鯉と自画像。白い石膏の中で鯉が泳いでいた。
うろこを丹念に作りこんだ作品は目を引いた。
上手!
来てよかった。自画像のHちゃん!自分をよく描いていた。
可愛い。
ものを作るっていい.。
他の方の絵も陶芸も堪能して
外に出た。
はらり
一枚の落ち葉・・
落葉の時期・・
定禅寺通りのけやきはそろそろ冬支度で
歩けば歩くほどひらひら、はらはら、落ちてくる。
空を仰げば、風が吹くたび、てっぺんの枝の群れはざわざわ・・隣同士で喋っているように見える。
「あらら、こちらの風で・・私、一足お先に離れますね」
「ゆっくり、行きなさいよーー」
「はーい・・」
「あらら、今度は私?」
「車道に落ちないようにねえー」
「そんなことわかりませんよー」
落葉は風に逆らえない。
通りに降る葉に、思わず立ち止まった。
降る降る・・落ち葉は天から降るように降る・・
舞ってアスフアルトに音もなく落ちる。
その落ち葉の中を歩いていたら、
少し前を行く女性が突然、きびすを返した。
丁度、私の真横にあった赤のポストに御用だ。
投函するを見て、
そうだ!私も!バッグに出したい手紙があったんだっけ。
北仙台で出せばいいのに、メデアパークに行ってから、
大事な手紙を持ってきてしまった。
私も出そう・・・
女性の後に続いて投函した。
手紙の相手はこのけやきを植えるのにご尽力のあった方。
戦災復興の一環として市内の街路樹を整備された、Y氏、
そのご子息に宛てたものである。
医師会報に執筆を頼まれた夫に見せてもらったページの一つに
当時、仙台市建設局長のY氏のご子息の文章が深く残った。
昭和20年、仙台空襲で焦土と化した仙台砂漠を、戦災復興事業として
尽力されたY氏が
当時の思いをいきさつを私費で作られた小冊子。
これもご縁だと思うが、
夫は、あるところでY氏のご子息と知り合い、
私の気持ちを夫は話してくれたのだろう。
その方は「どうぞ、お読みください」
塾まで届けていただいたから、
手紙は小冊子の礼状。
お礼の文面の中で
「お父様の気持ちを塾の子どもたちに伝えます。Y氏が街路樹の植栽に
職員の合言葉として
『木を植える前に根性を植えよう』
青葉通りにも定禅寺通りにも
その心がこもっていること、そういう方々がいたこらこそ、木々が生きていること、
保護せねばならないこと、子どもたちには
木々を仰ぎなさいと添えて伝えます」
文面の約束に従って、投函した次の日、
小学6年生にY氏の仕事、昭和20年7月10日の仙台空襲のこと、
授業で話した。
ひとりの小学生が
「空襲は知っている。おじいちゃんに聞いた」
でも、ほとんどは
「全然知らない」
知らないのはいいのよ。
それを教えたり、話したりするのが大人だから・・
あなたたちは聞いてくれればいい。
「うん」
苦労して植えた木々のけやきは大気汚染に弱いこと、
「光のページェント」もけやきはつらいね・・・
「この木々の中を
子どもたちが
孫たちが
幸せに歩きますように
願ったYさんの気持ち、忘れないでね」
私の下手な話に耳を傾けてくれた。
今北玲子
けやきの葉は
恩に着せることもないのよ。
はやる私の胸の中に
はらはら、さらさら
何のこともなく散っていく。
でも、でも、伝えます。
伝えたいから・・
2日前にSさんが突然いらした。
Sさん親子と初めて会ったのは3年前。
「浪人したので、この塾で勉強を面倒見てもらいたいのですが・・」
これまでも浪人生はいたが、
「浪人したのはどうしてですか?」
Sさんは
「この子がどうしても入りたい高校がありまして・・
中学校の先生からは反対されて・・
でも、親としてできる限りのことをしたいと思って・・」
Sさんの長女Iちゃんと知り合った。
15歳の浪人はきつかったと思う。
賢いIちゃんだった。
作文を書かせれば、情感があり、心根の優しい少女で
役に立てればと願った。
しかし、あんなに勉強したのに、
塾にも休まず通って、点数を上げたのに
結果は焦がれて願った高校に蹴られた。
発表のあと、自宅にIちゃんを呼んだ。
なんと言えばいいのか・・でも、この1年、志望校に挑戦したIちゃんをなんとか励ましたかった。
努力を褒めたかった。
「あなたを合格させない高校はたいしたことないです」
日ごろ、夫が
「もし、不合格なら、砂でもかけてこい」
同感だったから、受け売りを加工して言った。
志望校を妥協しなかった15歳を過年度生と冷遇したものやら
わからないが、
Iちゃんは泣きもせず、
私に気を使って笑った。
Sさんは妹を早々と入塾させたが途中でやめて、今、その妹は中3になる。
「やっと、下の子は目覚めたんですが、勉強してるんですが、志望校が高くて・・」
どう親として姉の二の舞にならないように、妹にアドバイスしたらいいのか、
私たちをたずねて来られたようだった。
志望校の偏差値もある。挑戦したい、妹の気持ちもある。
姉と同じつらい思いをさせたくない、親心もある。
きっと、退塾したのに私たちと会うのは遠慮だったと思う。
妹の成績を考えると入りたい高校をすんなり、うんとは言えず、
どうしたらいいかということだったと思う。
「このまま、年が明けて私立が終わるまで、(志望校は)それからでもいいのでは?」
Sさんが突然泣き出した。
「勝手にやめたのに、先生の顔を見たら・・すみません」
声をあげて泣き出した。
15歳の長女の浪人1年をどうやってSさんは暮らしたのだろうか。
毎日、胸を痛め、だからこそ、妹は・・
親なら、そこはあぶないからやめさせよう・・
言いたいけれど、妹がせっかく勉強し始めたのに言いにくい。
中3の妹に意見すれば反発されるようだ。
その気持ちもわかる。いいことです。志望校をどうでもいいとは思っていないのですものね。
でも、Sさん、
嬉しかったのは悩んでどこの誰に聞いてもらおうか?
私たち夫婦を
思い出していただいたことです。
まっしぐらに、ここまで来られたことです。
「どれほどご心配か?」
昨今、浪人する中学生がいないのに・・
中学校の先生になぜ、浪人させるのか?さんざん、言われ、それでも
Iちゃんの盾になったけれど、
下の妹までそんな思いをさせたくない。
苦しくて、阻止したくて何かいい方法はないのか・・
矢もたてもたまらずに、塾にきたのではなかろうか。
子どもの涙や苦しい顔を見るのはいやですよね。
危ない橋は渡らせたくない・・15だもの。
でも、Sさん、
Iちゃんの浪人は親の失敗でも、
ましてIちゃんの失敗でもない。
果たして浪人しても志望通りにいかなかったけれど、
Iちゃんの・・プライドと希望に
親御さんがつきあって
結果オーライなんてのは手にしなかったけれど
Iちゃんの納得の1年に間違いはないと思います。
姉の辛さを妹に味あわせたくない・・親ですから・・家族ですから・・
臆病になりますよね。
でも、すでに
Sさんは見守ると半ば覚悟されて、私たちに会いにきたのではなかろうか。
Sさんの涙は
私たちに遠慮だった涙と思うが、
当時、苦しかった胸のうち・・うんと我慢して、それが少し吹き出ると
しまいこんだものは、びりびりと破られて
流れ出たものはあったかい親が子を思う音・・・みたいに
聞こえた。
Sさん、私も同じです。
でも行きたいと走るのならしばらく止めずに行かせましょか。
いよいよ、このままじゃ無理というときには「だめ!」両手広げて
言いましょか。
それでも行くと言って
ころんだら、
「怪我はない?大丈夫?起きられる?」
抱いて涙ふきましょか・
Sさん、一緒に思い出しませんか?
ハイハイ、アンヨ、ぐらぐらの覚束ない足取りを追って
一歩でも歩けば拍手して
ころんだら、思い切り抱いてね・・
何より、歩いたってことで心がイッパイになって
やりたいように、食べたいように、歩きたいように・・
見つめた頃のこと、
思いだしませんか?
(・・・不躾ではございますが)
私も思い出します。そうします。
15才って見かけは大人だけれど
わかっているようでわからなくて
わからないようでいてわかっている。
あれが片付いたと思ったら、こちらに心配の種が・・・
家族全員、身も心も恙ない日はあるようでないものですね。
私も同じです。
山道を登っていた親子。
70になる息子に90の母が
「お前は大丈夫か?歩けるか?」言ったそうな。
こんな話もあるよ。
屋根にはしごをかけてのぼる70の息子に90の母が
「危ないから、母ちゃんがのぼる」言ったそうな。
親とはね・・
そういうものだからね・・・
「どっちもどっちだね」あの時、小学生だったから
笑ったけれど
母の遠い声に今なら、そうだねって、言える。
Sさん、
たずねていただいて、お聞かせいただいて
お目にかかれて大変嬉しゅうございました。
今北玲子
、
11月22日の高1のトークは
中3の気持ちに響くものがあったのだろう。
あの日を境に授業以外にも、塾で勉強する人が
一人増え、二人増え、ほとんどの中3が毎日教室に来るようになった。
中3は誰も何も言わないが、
個人面談で中3のご父兄の何人か、
「あの日から吹っ切れたようです」
「あの日から勉強しています」
高1の言葉は
励みにも薬にも
力にもやる気にもなったのだろう。
中3の自習の教室はしんとしているが、
あなたの右にも左にも同級生がいる。
「ああーっ、勉強はやだな」
でも、隣の背中が
前の背中が目に入り、
鉛筆を走らせていたりすれば
ページをめくっていたりすれば
「さっ、私もやろうっと」
思うね、きっと。
中3の息子が帰ってきて
「今日は教室、混んでいたね」
あの日の
高1も試験勉強に来ていて教室は満杯・・
「混んでる」ってことは
人がいるので淋しくはない・
私も夫もひとり、横を通るのがやっと。
ごちゃごちゃ混みあうって
一人じゃないってことだよね。
こうやって3月まで
みんなで一緒に行こ!
今北玲子
ずっと,
もやもやっとしていた「ぶたといた教室」
映画になって,
数多くの賞も受けていて。
見たいとは思わなかったが、
違和感はどこから来るものやら・・・
この映画は
小学6年生に命を教えた,
いい映画なのだろうが、
なんだか、もやもやと、賛否両論のどちらとも言えず、
誰かに聞いてみることも、夫に聞いてみることもできずに
いて、・・
今日、美容院で読んだ、作家・梨木香歩のエッセイにすっきりした。
氏は
ぶたではないが、10数年前に
ある小学校でニワトリを飼って
普段何気なく食べているものは
「いのち」なのだという授業に「違和感」を感じていた。
その後、アフリカに行った時、
案内人が「チキンを買うから」車を止めると
羽をばたつかせる生きたニワトリを売る現地の人に囲まれた。
翌日
「いのち」を迎い入れるのになんのためらいもなかった。
走り回っているニワトリを解体し、食することがいかにも自然で必然だった。
以下抜粋、引用
(小学校で行われた「いのちの授業」に戻るけど、
パック詰めのトリ肉があふれている社会で
わざわざペットのように
飼っていたニワトリを殺して食べるというのは
やはり「不自然」だったのだ。
「愛するペットといえども皆が今日の糧を得るためにどうしても食べなければならない」
という訳ではなかった。
今にして思えば
どうしても教師の勇み足だったように思う。
「生きるため」もしくは、
「これがおいしいのだ、是非食べたい」
という体全体から生じてくる欲求を「食べこなしてやる」
という迫力でもって満たすのならまだ、分かる気がする。
・・・・・略
そうではなく
「教育のため」などという大義名分の理屈から成った、
独りよがりの目的が
「いのち」を犠牲にするのにどう考えても弱く、
不適切だったのだ。
あの頃、感じていた違和感の正体はこれだったのである。
「教育のため」なら食肉処理センターへ見学に行けばよかった。
・・・略
教育のため、お国のため、と簡単に言葉は入れ替わっていく。
「場が要求する自然」は
ごく普通に
ニワトリが庭から食卓へ上がるような
「自然」であり、
昂揚した場が
ヒステリックに要求する無意味な犠牲とは違う)
読んで、すとんと納得した。
数10年前の「いのちの授業」のニワトリは食べられた・・・という。
ニワトリを飼っていた小学生は最初ずっと泣いていたが、最後には食べたのだそうだ。
「いのち」の授業は大切な教育であろうが、
愛護を育ててから、さあ、この「いのち」の大切さを
皆でいただきましょう・・・
情を切り刻むというものだろう。
切り刻まれたから、その小学生は抵抗し、泣いたのではなかったろうか。
涙にいのちの有難さはあったのだろうか。
「ぶたのいた教室」
実話の皆さんは
15年前の小学生を思い出し、
映画を見て号泣したという。
(号泣の意味を知らないのになんとも言えないが、涙があふれたことには違いないのだろう)
私の小学生の3年だったろうか。
雑種の犬に
4匹も産まれて、貰い手がなくて
母犬しか飼えないから、二人で川に流してきなさい。
母が言った。
いやだと言ったか、素直にうんと言ったか、後者だったと思う。
母には逆らえない。
妹と二人で
スーパーの茶色い袋にモクモクと生きている子犬を
渡され、
断れず、
言うとおり、
川の橋から
何も考えず、それをしなかったら叱られるから
袋を放した。
それはよくあることではあった。
プールのない頃、
夏休みの川の
遊泳禁止のひも1本向こうには
子猫も子犬も流れてくる、太った豚もぷかぷか流れてくる、
動物は川に流れる、いつものことで、
仕方がないことと知っていたから、
茶袋を落とした。
落としたら、帰ればいいものを
落ちても袋が動いている形、
袋がとぷんと沈むまで、
川の流れがそれを飲んでしまうのを見つめた。
妹に
「帰るか」
小さい妹は素直に
「うん」
どういうわけか、私は振り返った。
なんということか、沈んだはずなのに
ぷかっと袋が浮いて、
かすかに命は動いていて、
助けようにも、それは自分たちにはできなくて
考えないようにして、
今度こそ、
「帰ろう」
空ばかり見て歩いた。
「・・・飼えないんだから、無理して飼ったらかわいそうだから」
母の言葉を頼りに
歩いた。そのうち、
「走ろう」
妹と二人で
家を目指して思い切り走った。
母が
人間は勝手で残酷だからね、
私たちにそういう授業をしたとは思えない。
川に捨てる前日、
生まれたうちの1匹が庭の池でおぼれた。
母の心はあの時、決まったと思う。
「このまま飼ってもしょうがない。
番犬は母犬だけでいい。」
母の顔は迷いもなく、隙のない横顔だった。
いのちのいの字もない、
こちらの事情だけれど
決めた母も捨てた私も果ては一緒、同じだった。
夏休みに
ぶたの流れる川で
泳ぎ、
ぶたの屍体に子供たちは
見えなくなるまで見た挙句、
「汚ねえー・気持ち悪りーい」
男の子たちは笑ってその川にもぐった。
子供は言わなきゃ、教えなきゃ
日常のいのちのありがたみはわからないのではない。
笑いながらでも、海に還る家畜の弱さを感じた。
今も残るは
生かしてあげられなかった・・。
川面に
しきりとしていた子犬の鳴き声がぷつっと消えた瞬間・・
胸が絞られるって・・・感じが残っている。
それでも、平気な顔して
「捨ててきたよ、お母さん」
「ごくろうさん」
母の笑顔を見て
言うことを聞いてよかったと思ったのだ。
それは近所でもよくある話だった。
「俺も捨てに行った」
川捨てはよくある話であっちこっちであった。
私だけ、悲しかったのではなかった。
「場の自然」があれば
何も教えなくとも子供は受け入れられる。
母犬は下を向いていた。
薄目開けて
たまに
くーんと泣くと
「かわいそうにね」
母は鍋いっぱいに煮込んだ骨を振舞った。
母だってつらかったのだ。
大人も子供も犬だって猫だって
別れは悲しいものだって、思った。
「いのち」の、そんな授業があるとしたら
ぶたにニワトリに羊に犬に猫に
楽しく遊んだら分かる。
「お前たちは私たちと違うのね。いつか別れるのよね」
一匹を愛せば分かる。
大人の目論見でぶたやニワトリを飼わせて
食べさせなくとも、食べるかどうか議論しなくとも
苦労しなくとも分かる。
大人だって
「いのち」・・そう簡単に分かるわけじゃないけど、
子供は馬鹿じゃない・・・
わざわざ、授業しなくとも
映画になんぞしなくとも・・・
今北玲子
11月下旬から12月中旬。
個人面談月間は沢山のご父兄と会う。
心配事、嬉しかった事、短い時間だが、親御さんの気持ちを聞かせていただくのは
貴重な時間である。
しかし、お忙しい皆さんを教室まで呼びつけるのは筋違いというものだが、
自宅訪問されても気詰まりだろうし、教室までお越しいただくのは有難いことであるが、
お月謝頂きながらご足労とは実に恐縮至極。
すみません。
面談で意外に多いのは
「作文が書けなくて・・」
今日もYちゃんのお母さんが弟のことで心配そうだ。
横から夫が
「ボクは小学生のとき、担任が国語に力を入れた先生で
その後、その先生は大学の学長までした先生で・・すごい先生だったんですが・・
漢字と作文が多かったですね。中でも、ずっと、あれは忘れられないなあ・・」
「なあに?」
「擬人法の作文。最初はわからなかったけれど
隣の女の子が、 私、魚になる!そしたら 、俺は犬・俺は鳥・
俺も書けたなあ」
夫が小学5年生のその日は擬人法の作文だったのだ。
いい先生だなって思った。
小学5年生の記憶は
教室のざわついた雰囲気や夢中で書いた自分、隣の子の様子も鮮やかに覚えていた。
「私も真似しようかな?」
Yちゃんのお母さんもうん、うん、という顔だったから
夫の恩師をご縁と頂戴し、
早速、その日の小学6年生に、夫がお世話になった先生と同じ授業をしてみようと思った。
小6の授業。
なぜ、今日作文を書くのか。
訳を話した。
夫の忘れられない作文の話、それを私も真似してみようと思った事。そのきっかけを作ったのは
小6のMちゃんの「あなたのお母さんなの」
ちゃんと話さないと。
大人も子供もないしね。
それに、なにせ、私の発案ではないのだから、もし、好評であれば、手柄にしたら夫の恩師に
申し訳ない。
「ええっつー!又、作文?」
「玲子先生、この間の・・冬がやってきた・・の作文書いたのに・・
消しゴムもらってないのに、またー!じゃあ、今日書いたら、二つだよ」
はい、そうでした。
前回は
「さあ、冬がやってきました。あなたの冬はどんな冬?」
200字の作文を書いたのに
作文書いたらおもしろ消しゴムあげるって、毎回、約束をしていたのにね。
差し上げませんでした。今日は差し上げます。
小学生は作文を書いたら消しゴムなのです。
私は小さなものが好きで、ハンバーガー、ケーキ、かわいい消しゴムを
作文書いたらあげているのです。
作文は自分の気持ちを書きなさい、それって、
塾の名を借りて子供たちの気持ちを
無料で読ませてもらうのだから、
気持ちばかり・・・お礼をしないと。
「すみませんでしたね、はい、今日は二つ、差し上げます」
「やったー」
「擬人法の作文って?」
「ものでも動物でもなんだって人に見たてるの。
あなたの好きなものに
おなんなさい。
それになったら、その目で周りを見るの。
日本のとても有名な作家も、
このやり方で面白い作品があるのよね」
「知ってる!吾が輩は猫である・・」
即座にN君が言った。
「読んだの?」
「おととい、読んだ」
では初めのほうだけ、皆さんに紹介します。読むね。
『吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか、見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で
ニャーニャー泣いていたことだけは記憶している。吾輩はここで始めて(字が違いますよね、漱石は誤字をいかんともしない作家、たまには造語も・・でありますが、才能は誤字脱字ではなさそうです)
人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生というもので・・・」
気がつくと
私の声にあわせてN君が朗読している。
「暗記している?N君」
「なんとなく」
小学生は児童文学を読んだ方がいいとは思わない。
「あなたはすごいです」
褒めずにはいられない。
さて、
「なんだ、そういうこと!俺は何になろうかな・・」
原稿用紙を渡すと前回の「冬がやってきた」
の時はしばらく、空を見ていた子も
もう書けない、いいや、こんなもんで・・マス目に字を埋めるだけの子も
題は『私は○○である』○○は自由です。
黒板に書くと
皆、すぐに書き出した。
「吾が輩は○○である。それでもいいですか?」
いいですよ。
夏目漱石先生は子供たちに火をつけました。
書き始めると
玲子先生、もう1枚!
私も!
原稿用紙が飛ぶように売れる。
ここに置きますから、ご自由に何枚でも!
「これ、止まらない!」
「これは書けるかも」
つぶやいたのはどうも全員の実感らしく、カルタもせず、
鉛筆の走る音のなかに子供たちを見た。
夫もこんな風に書いたのであろうか。
そうか、書けないのではなくて、
題次第で書けるものかもしれない。
夫の恩師の名前はまだ聞いていませんが、ありがとうございます。
私はこういう作文は気がつきませんで。
子どもたちに夫の恩師の発案だったってちゃんと言ってよかった。
終わって集めてみたら40分そこらで
7枚(1400字)は全員書いている。
(塾では公立高入試用に1枚の原稿用紙は200字、小学生は見た目に少ない、ので・・
200字はいいので・・。こんなに書くの?400字だとうんざりするような気がして。)
書き終わらないから家で書いてくる。断った子も7枚を越えていた。
「ふーっ、書き終わった。すげえ、疲れた!」
気持ちのいい疲れのようで。
集めてみれば、分厚い作文の束を見たのは塾をしていて初めてだ。
書くってどうでしたか?
結構、楽しい!
それはよろしゅうございました。
私が中3の春、5教科以外でも不得手なものに向き合おうと一念発起で
丁寧に勉強しよう、誓いを立てて・・
絵が苦手だったから・・・
その日の美術は校庭の写生。
今日こそ、違う自分に挑戦!奮起して
満開の桜は手に負えないので、次に面倒な体育館を選ぶことにした。
窓に割れ防止の柵があって、窓を分割している。一窓に14の小窓が出来る。
その一つ一つ、丁寧に描けば、美術センスはいらない。
絵心がないのだから、その分、雑にしない、上手に書こうと思わないで、丁寧に書く。
美術の先生がよく言っていた。それだ。
傍目にはたいした出来ではないが、小学生の頃から不得手に胡坐をかいて。
だから、少なくともそこを脱出すればいい、と
それまで苦心もしなかった絵とは違って、長方形を百も二百も描いているうち、
いつになく、いい気分だった。楽しかった。
美術の教師が私の絵を覗きに来た。
『なんだ、今日のお前はどうしたんだ』
からかい半分の笑いを残していった。
今日こそは!はりきった気持ちが蹴飛ばされたようで
どうせ、絵を丁寧に描こうとしたって、評価は皮肉の笑いか。
美術の先生が校庭を横切って遠ざかるのを確かめると
私は先生に背中を向けて
スケッチブックから体育館と二時間も格闘した絵を
びりっとはずすと、
画用紙の真ん中をビリ、あとは迷いもせず、びりびり、紙ふぶきにしてしまった。
勇気がなくて、空に放ることもできず、
もしや、教室のゴミ箱に捨てたら足がつくと思って
ポケットに一握りのこんもり山の紙ふぶきをしまった。
あとで、先生に叱られないように、足元の雑草を雑に急いで描いた。
発奮したこともわかってくれないし、努力が認められないと短絡してしまった。
次の週、集められたスケッチブックを一人ずつ先生が返した。
「どうして、体育館の絵がないんだ?」
「絵筆を洗うとき、水をこぼしてだめにしてしまって・・」
蚊のなくような声で弁解した。嘘は声が小さくなる。
「そうか。残念だな。お前は犬も豚も区別もない絵を描いていたのに、体育館の絵は
今までと違って、丁寧ないい絵だった。
お前の宝物だったのにな」
耳を疑った。
美術がいやだから美術の教師も嫌っていて、自分のいいかげんさは棚に上げて、
「なら、先生、はじめから褒めてくれればよかったのに!」
そんなことではない。
私が短気を起こしたからで、褒めてくれたのだ、それを皮肉と受け取った私は自業自得で
せっかくの絵は屑となった。
私の絵の完成を待って褒めるつもりだったのに、
「ごめんなさい、先生」
またもや、蚊のなくような声でやっとこさ、言うと
「いいさ、いいさ」
いい先生だなって、一生、忘れないぞ!
と思った。
18才のある日。
うちで働いていたトラックの運転手さんは鉄男と言う人で
友達のようにてっちゃんと呼んでいた。
家の近くでばったり出会った。
「あらー!てっちゃん、元気?」
「・・・・・・・・」
きょとんとしていたから、小さな頃から腕にぶら下がって遊んでもらっていたのに
水臭いと、力いっぱい、バンバン肩たたいて
「忘れたの・私のこと」
「忘れないよ」
「だよね!しばらく!元気そうね?」
「おう、俺は元気だ。お前も元気そうだな?」
「たまには遊びに来て!懐かしいよねー」
「そうだな。懐かしいな・・」
奥さんに頭のあがらい恐妻家だったから
「じゃあね。奥さんに逆らったら大変よね。がんばって!元気でね!」
「そうだな!お前も元気でな」
2,~3歩、歩き出して心にひっかりが・・言いようのない違和感があったが、思い切り手を振って
「バイバーイ!」
別れた。
「積極的になったな!お前は!」
背中に声がした。
「私は変わってないよー。バイバイ。てっちゃーん!」
それからだいぶ日がたって
「あーっ!違う。
あの人はてっちゃんじゃない。てっちゃんは冠婚葬祭以外、背広は着なかった。
あれは美術の先生!」
なんということか。一生忘れないなんて、聞いてあきれる。
卒業後、何十年たったわけじゃなくて、たった3年しかたっていないのだから
変わりようがないのに、間違いの元は
思い返せば顔が似ていたとしか思えないが・・・。
それにしたって、ね。
先生、
紙吹雪をポケットにしまったあの時はかわいいものを
ぞんざいな口吹雪はしまいようもない無礼・・でございました。
きっと
先生は私と別れてから
「おいつは誰かと間違えとる。犬も豚も一緒にしちゃいかん。よくよく観察しろ!
雑にするなとあれほど言ったのに」
気がつかれておりましょうね。
先生を間違えたのはごめんなすって!ですが、
「下手でも丁寧に描けば、夢中になれる」
残っておりますんです。大好きなてっちゃん先生!
最近、
絵を描いてみたいと思うことがある。
毎回、夜の親の会に参加のKさんに上手な絵を二枚頂いた。
もともと、お上手だったのだろうが、人様から頂いた絵にも関心がある。
描くということは気分がいいものだと思う。
天は二物を与えず、というけれど
天は一つだけなんてケチくさいことは言わないと思う。
子供の頃の好き!は上手に出来ることで、好きだからなお、精進して上手だが、
人には好きなことは
もう一つも、もう二つも、たくさん、あるように思う。
たくさんあっても
ご縁が必要で
楽しいと思う感じ方が必要で・・
一度、楽しいと感じたものは気分が良くて、
苦手なものでも結構好きになれて、
はなっから、向こうには追いやらない気がします。
一度味わった楽しさが身体に残っていたら
絵だって、歌だって、スポーツもそうなんじゃないかと思う。
夫が今でも小5の擬人法の作文・・忘れられないように
今日の作文が
『あの日は擬人法で何者かになった。書くって意外に楽しい』
記憶が、
記憶の隅っこで生きていったらいいです。
小6の作文の題をちょっと紹介
吾輩は飛竜である(架空の動物)・私はペンである・私は机である・吾輩はチャボである・私は鉛筆だ・
俺はマイク・・私は時計である・私はピアノである・私は鳥になりたい・
人間を一時、離れた12歳は
物になり、動物になり・・
なってしまえば、
お前はかわいそうに、人間はひどいよな、
慈しむ言葉で綴られたものばかりだった。
物を大切にしない、のではなく、その物になれば
いいのかもしれません。
小学生の恩師はどんな人?
夫が話した。
Y先生は当時、既婚の29歳、
夫はY先生の指導で、父親に買ってもらった題「うれしい刀」を書いた。
その作文は読売新聞作文コンクール県で銀賞受賞したという。
普通の授業で書いたものを先生が応募してくれたそうだ。
銀賞を取れてうれしかった作文がまた、賞をいただいた。
「擬人法の作文の時、Hちゃんはそれこそ何十枚も書いた。
みんな、いやだいやだと言うのに
それがものすごく(みんな)書くからね。
それが印象に残っているんだね。
そうそう、、
作文授業の時は
1時間目から6時間目まで作文だった。(丸一日作文を書いたのだ。)
隣の体育専門の先生も1時間目から6時間目まで・・・(体育ばっかり)
Y先生が作文書くって言ったら、作文の日じゃなくとも
午前中は全部、作文とかね・・
まだ、Y先生の住所、オレ、覚えているよ。
未だに覚えているよ。
(Y先生の住所を覚えているなんて、感動してしまった。いい先生だったんだ)
夫の12歳は戦後16年たっている。受けた教育は附属小で、
これからの日本の教育をよくしようと、
教師は信念を持って臨んだのだろうと思う。
国語でも体育でも
45分、小刻みの教育ではなく、工夫して勉強して
これぞ!って思うことをしたのだろうと思う。
附属だから堂々と試案をしてもよかった時代だろうか。
夫の話を聞いて、もう一度真似しようか・・思った。
いいこと教えてもらった。
冬期講習の国語の授業は2時間ぶっ通し、作文・・で。
Y先生、
私も子供たちと一緒に書いてみました。
私は樹齢400年の桜になりました。
楽しゅうございました。
私も未だにお世話になるとは、ご縁は深うございますね。
宮城教育大の限定224・小学校の先生の皆様、
子供たちにやってごらんなさいまし。
今北玲子
教室のドアが開いた。
「今日、成人式なんで・・」
「オオーッ!」
夫の驚く声に振り向くと20歳の M君がにこにこして立っていた。
「おめでとう」
「はい」
「ありがとうな」夫がうれしそう。私も。
「いえ」
節目節目に必ず来る兄弟だ。
春には長兄が
「静岡に行きます」就職の報告で玄関に立っていた。
「兄ちゃんは元気か?」
「はい」
真新しいコートの胸元から紺のストライプのネクタイが見えた。
「いいスーツ、着てんな」
「はい」
夫に言われて
ひとつひとつ、私たちに見せようとコートのボタンをはずし始めた。
新調のスーツがあらわれた。
ご両親は律儀な優しいご両親でケヤキ伐採反対署名の時は
お客さんに説明して何枚を届けてくれた。
あなたも、夫に見せようと律儀にボタンに手を掛け、
ご両親に似て心根のあたたかい、いい青年だね。
「今夜は飲むの?」
「ええまあ」
M君は無口だが、式の始まる前にわざわざ、塾まで来てくれるなんて
なんと、嬉しいこと。
家業に忙しいご両親が「先生、成人になりました。見てください」
息子を塾に送り出したお気持ち・・聞こえてくる。
M君を見送ってまもなく、
「玲子さーん」
玄関から夫に呼ばれて
階段を降りると
あらまあ!
晴れ着のMちゃんとお母さん。
「先生、見てください。」
着付けを終えたばかりのほやほやの美しいMちゃんが玄関で笑っていた。
「先生、姉のときは大雪で来れなくて・・
でも、着物は姉と一緒ですから」
妹のMちゃんも
「同じです」
結い上げた髪は美しく、着物姿もうっとりの可愛らしさ。
なんて可愛いんでしょ。
15になる前に塾をやめたのに・・着物姿は中学生の制服に変わりかける。
「先生、ご心配おかけしましたけど、こんなん、なりました」
「可愛いねえ、なんて可愛いんでしょ!」
それしか出てこない。
お母さんが
「先生たちと一緒の写真、いいですか?カメラ、持ってきたんで」
玄関に3人並んだ。
(塾を続けられなくてごめんね)
「玲子先生こっち向いてくださーい」
「はい」
(それなのに、こうして来てくれるなんて・・)
「もう一枚」元気なお母さんの声。
「はい」
(あなたの役に立たなかったのに)
「先生、もう一枚」
「はい」
(塾をやめないで、思ったよ。きっと、私たちがいけなかったのよね、
でも、こうして会えるなんてあの時、思っても見なかった。)
「先生、念のためにもう一枚」
(この晴れ着姿忘れないね)
「今北先生、玲子先生、失敗したら大変だからもう一枚!
もっと娘に寄ってくださーい」
「はい」
(寄ります。あの時、寄れなかったは私たちかもしれない。
思いっきり今日はあなたのそばに寄りましょ!)
Mちゃんのお母さんは同じポーズの写真を何枚も撮った。
愛するわが子の20歳の喜びの・・・写真だものね・・
それにしても
やめた塾に成人の晴れ着姿の娘を連れてきてくれるなんて
Mちゃんのお母さんはすごいな!
あったかいな!
えらいな!
道なりの角の美容院を曲がり、横断する親子の姿が
見えなくなるまで
夫と見送った。
卒業生の皆さん、
あれー、成人式に行かなかった!なんて思わなくていいのよ。
とうの昔の、塾なんて、忘れたって構わない。
みんなが元気でいればいい。それでいい。
でも、誰かが覚えてくれたり、
会いに来てくれたり、それは有難いなって思う。
今北玲子
塾生の皆様、卒業生の皆様、
ふとしたことでつながった皆様、
胸中を画面の向こうで
「そうだったの・・・」
皆さんに
聞いていただいたように思います。
ありがとう存じました。
今北玲子
昨年のこと、
娘が帰宅して
「お母さん、
経済力はいるよね。でも、幸福はそれだけじゃないよねー。」
はい!
いらないとは言えませんが、それだけともねえ。
ワイドショーが連日報じていた、小室氏のスキャンダル・・
だいぶ前だ。
発車寸前で乗り込んだ車両はグリーン車で、
その日は番線のホームに若い女性が詰め掛けていて
デッキの若い人に野次馬で・・
「有名人が乗っているんですか・」
「TMN!」
名前も知らなかった。
とにかく、グリーン車を通り抜けて自由車に行かねばならない。
フアンが詰めかける、それほどの有名人なら
迷惑かけたら申し訳ない。
自動ドアがぷんと開いて、
誰がTMNやら訳も分からないが、
旅のお邪魔にならないように・・
ドアのすぐ前に
喧騒のホームに目もくれず
頬づえついて、車窓の仙台の晴れたポッカリの空に
夢中の
小さな男性が座っていた。
大きな目で小柄で
一人ぼっちの年齢不詳の人が目に入った。
スタッフだと思った。
小室哲也氏。随分あとでわかった。
My Rebolution 中村美里なら知っていたのに
後の祭り。
ぽつねんと空を見つめている人の横顔の
ネガ1枚が今も残っている。
小室さん、・・どうしているのかな・・
たくさんの音が身体におありかと思います。
元気出してくださいますか?
人生、わからないもんですねえ・・・
この言葉は好きじゃない。
成功してもなんにしても、一瞥の感じがする。
誰だって、幸福になりたい。
思いがけず、
人から大変ね、
言われることがあるのは仕方がないとして。
娘のような
適齢期の女性は結婚は波乱の幕開けで怖いのだろう。
この人と歩いたら
どうなるのだろう?
私は・・・・・
夫と付き合い始めて祖母に夫のことを話した。
当時、夫は学生なのに親の仕送りなしで仙台で暮らしていた。
「それは今北さんは偉い。私は所属しない、一人で生きている男が好きだなあ」
祖母に言われて
なるほど・・いい気持ちがした。
間もなく、夫の次兄が仙台に来るとあって、紹介された。
仙台の案内を夫に頼まれて、歩いて、話して、
「私はこの人の妹になれるものなら・・なりたい」
なんて、思った。
次に
両親に紹介したいと夫が言うので
大津にお邪魔した。
日本の母のような、切なくておおらかな方と
加山雄三の父、上原謙似の渋い素敵な方と
長男という人はグラフイクデザイナーで
お召し物がそこ、ここにはない
黒と赤、黒と青、すっきりとしたお姿で素敵な、心優しい長兄と会った。
そして、結婚してからだが、
夫の親友に会った。
大津の高校時代の悪友と紹介されたお二人は私に紳士に親切で
男気のある、笑いの絶えない、好ましい人たちだった。
更に高校、大学時代の付き合いの違う、もう一組・・
「これも俺の親友」
紹介された二人
お一方は信仰の真実を見つめる方で、
もう一方は絵の好きな、芸能人にでもしたいような面白い方で
それは大津の親友二人にも通じていて、
素敵な人だった。
更にもっと後に
夫の両親が金婚式で
家族で一泊、
「オレの後輩のホテルに行こう」
全員集合した。
ホテルの社長という押し出しのいい、高校の後輩なる人に会って、
その日の夜、
お座敷で広間で会食の時、
手洗いに立ったら
その社長が
壁に直立不動で立っていらっしゃる。
「どうかしましたですか?」
「いえ、今北先輩のご家族がお食事中ですから、ここで待っています」
なんという、先輩といったって数十年前のこと、
夫に
廊下で直立の社長のことを慌てて伝えた。
『いいよ、お前』
『いえ』
二人にしかわからない世界に
私は夫と出会えなければこの後輩という方とも出会えなかった。
意表の感動だった。
それにしても
その方は廊下で何時間も足元見つめ、
大きなホテルの社長は
仲居さんが通るたびに深々と挨拶されながらも
ひとり、
足元見つめて、高校時代を見つめて、
ひたすら先輩を慕う姿は
目に焼きついた。
人はふいと心に留まったこととか、
ぎゅっと飛び込んだ場面は
脳裏に生涯、刻まれることがあるものです。
その夜、
地下のバーで3人で飲んだ。
「伝説の今北先輩のご家族がお食事中ですから、
(食事が終わるまで立って待っているのは)自分にとっては当然」
初めて今北伝説を知った。
滋賀県でトップのうわさをもっていた夫は決勝を前にまさかのまさかで敗れた。
伝説の今北!だそうで、私は
初めて聞いた。
きっと、勝って全国に出場したらもっと上に行ったと思うから
後輩の社長ははいまだに憂い続けている。
夫は笑っただけだった。
夫は高2・・Uさんを殴ったんですと・・?
理由は霧の中。
その後、Uさんは決勝進出、
夫は準決勝で敗れているが、
先輩を超える快挙・・・
「先輩どうぞ」
差し出す後輩の社長のグラスが地下のライトに薄く光って美しかった。
私は横にいて一言も口を挟めなかった。
片方は殴り、片方は殴られたのに、
こうも過ぎてしまえば思い出で、しかし、思い出だけとも言えず、
縁だけとも言えず、
何か、二人をつないでいる。
人を好きになるって、不思議と思った。
私は若い頃、
モテナイ娘だったから
夫に拾ってもらったと思っているんです。
『・・しゃべんないの?』
やんわりのお断りの連続の19の春に夫と知り合って
『一緒にいるとほっとする」
私は誰かに認められたような気分で・・・世の中が明るく見えた。
(昔は
夫に怒鳴られると泣いて、反省していましたが、
今や、
叱られても
右から左の耳やら、
「だって・・」居直りやら
お茶がほしいな。
夫の声に
アラ!ヨット、おいそれとは持ち上がらない重たい腰やら、
食器洗ってください!聞いてあきれる頭を下げて、
徐々に
歳月には、図々しい神経を頂戴いたしまして、
あの頃
『一緒にいるとほっとする』
19の私は、
とうにどこぞに失せまして、ハイ・・・)
でも、拾われた私の結婚は
ずっと、
福と思っておりますんです。
夫と出会えなかったら、兄二人、ご両親、
夫の親友、後輩の方々にはお目にかかれなかった。
結婚は
兄弟、両親、友達
福・三ッつ
めあう二人は合わせて福6っつ
当人の縁を含めれば7つの福がついてくる・・・信じてるんですね。
誰も同じとは限らない。
七福も同じではない。
あなたの両親が
あなたの親戚が嫌いです・・
言われたらそれは悲しい。
もし、その人に
親兄弟いなくても、
一冊の本、一匹の犬、猫、鳥
誰かがその人を支えたり、励ましたりした方はいる。
「君はその時、どう思ったの?」
出会う前のあれこれ聞いてもらえたら格別ですよね。
逆に
「あなたは嬉しかっただろうね。
それは悲しかったねえ」
聞いてみたいもんです。
野の花は可愛いね・・
そうだね・・
朝日や夕日はすごいね・・
そうね、すごいね・・
同じ気持ちになれたら・・・いいもんです。
娘や息子に潤沢な伴侶を探せとは言わないけれど
かといって、清貧求めよとは言わないけれど
学を好み、趣味を頼みに楽しみ、
怠ける日もあっても、次の日にはせっせと働き、
酔った日があっても、誰かに迷惑かけた日があっても、
昨日は昨日、くよくよしないでお天道様を見つめて、
沈まず、
褒められても
そんなことはない!褒めた人がいいのです・・
人を悪く思わず、自分はだめだと思わず、
余らず足らずの
中庸の人生がいいな。
「だから、君とこうして出会ったんだね」
二人が出会うまでのことを
語らえる・・
そう思える人が
好きな人だったら
いいな・・
1月9日の
A君の結婚披露宴に夫は満面の笑顔で帰ってきた。
「今日はさー。A君がさーあ・・」
宇野千代先生!
『幸福は伝染する』
本当ですね。
夫は話が止まらない。
笑顔も止まらない。
「あいつはさーーあいつはねーー
がんばったんだよ。・・おれ・・うれしくてさ・・・」
A君、
よかったね。
あなたの大好きな愛する人によろしく。
あなたの幸福が夫に、それから、私に伝染でした。
伝染、には違いないけど、
幸福はきっと、人が人に運ぶのでしょうね。
A君、幸福にね!
2月3日 節分
中国では鬼神を敬い、遠ざける、それが『敬遠』の起こりだそうだが、
そこには、
自然を恐れよ。大にも小にも生き物を慈しみ恐れよ。
目に見えない魔も恐れよ。
かといって、鬼神や魔を恐れるあまり、祀りに走るな。
人を粗末にするな。
鬼神は敬って遠ざかれ、
「敬遠」には
孔子の戒めもあるそうで。
遠ざかるとは、ほどほどの距離だろうか。
敬って遠ざかるは、謙虚というものだろうか。
今日は節分。
鬼は外!(ごめんなさいね、いい鬼もいるのに。)
鬼とは私のうつむく魔だとしたら、
「福は内!」
福とは私の善だとしたら
歳の数だけいただいて、
「鬼は外!」
もしや、存外、図々しい鬼を住まわせた私を戒める日ではないかと
豆といったって、落花生をまきながら思った。
日本はもともと八百万の神々の国。
あと、1,2年で100年を越す曾祖母の使ったすり鉢を前にすると
ものにはものの神がいるようで心落ち着く。
太古から目に見えなくとも、ずっと鬼神はいるのではないだろうか。
たとえ、どんなお方でも追い払うなんてとんでもない。
お引取り願うだけです・・・
でも、
お引取り願うにも土産ぐらい、はね・・
「鬼さん、外に出たのはいいけれど、このさむ空です、
お酒を玄関に置いて置きます。気持ちばかり・・・」
今北玲子
(大好きなSちゃん、また、電話するね。)
暮れの恒例の忘年会のひとつに相馬家族ネットワークがある。
毎年、夫は欠かさず、いそいそ出かける。
私も一度お邪魔したが
お集まりの皆さんとは古いおつき合いだし、
なにより、Kさんご夫妻をはじめ、気の置けない方々で
それはそれは楽しい楽しい忘年会・飲み会なのであります。
今年はSさんから行かなかった私に、と土産をいただいた。
薬指と親指ほどの身丈のお地蔵さん2体。
道端にいる昔ながらの地蔵さまではなく、
Sさん手作りです。
ほうずき頭に
お着物はぐるりと巻いた布をまとっている感じの青銅のお地蔵さま。
小さいものが大好きで仏像もお地蔵さんも大好きな
私の何もかもが満たされたお二方で・・・
「まあ、かわいい!まあ、まあ、」
連呼していつもお姿を拝見できるように出窓にお二方を置いた。
親指地蔵さんはまっすぐに私と目が合う。
もう一方の薬指地蔵さんとは目が合わない、
上を向いているのです。
仙台に出張されたまっすぐに向く鑑真和尚のお姿を拝顔して
泣いたことがあった。
坐像の神々しさ、苦難の日々の重みに
大勢の人が見入る中、
「なんとか、生きよ」
和尚は低く言ったような・・気がしたが、
所詮、
こちらが聞きたい言葉を聞こうとするのかもしれないです。
勿体無くて、頭を下げて手を合わせた。
Sさんの薬指地蔵さんは
上を向いて、私とは目を合わせない。
「空を向いて!」そうおっしゃりたいのでしょうか?
出窓を開けて、真似して冬空を見たりする。
隣の、親指地蔵さんが
「空はどうですか?」
私を見る。
いいもんですね。
「そうでしょ」
上を向く、薬指地蔵さんは何もおっしゃらない。
いいコンビのお二人は
どうやったらこんなに汚くできるの?
誰もが言いたくなるような私のだらしない台所に
「もう少し、きれいにしたら?」
そんな
文句もおっしゃらない。
空を見るお地蔵さんに
つい、私も朝に夕に
真似て空を見る。
下を向かずにすむ。
うなだれずにすむ。
文句も言わなくてすむ。
Sさんの
心尽くしのお地蔵さん・・・
出窓のお地蔵さん・・
こんなところにようこそ!
朝の挨拶が今年からひとつ、
増えた。
歩けば、空を見ることも多くなった。
花でもぬいぐるみでも
そこに誰かがいるというのは
いいもんです。
まして、小さなお地蔵さんが家にいる・・・なんてね。
この間、
地蔵様を酒の相手に!と出窓からテーブルに場所を移して
より近くにおいでいただいた。
なんと、
上を見ていた薬指地蔵は私をしゃんと見上げるのだ。
合わぬ目がしっかり合ってしまった。
どうしよう!
テーブルに置いてみれば
私が見下ろす格好だから視線が合うのだ。
位置ですね。
小さなお地蔵さま、お話してもよろしゅうございますか。
「きっと、親は、子供が小さければ、こんな風に
目線は上だからあれやこれやというんですね。
子供が大きくなれば
それまでの目線では親子といえど
違ってくるんでしょうね。
それはいいことなんでしょうが、
私はどうも、
目線って
年齢関わらず
下から見つめられるって
ドキドキしますんです。
年端のいかない子供だって
同じ位置ならまだいいですが、
下から見つめられると
落ち着かないんですね。
しゃがんでしまいます。
見上げた方が気が楽なんです。性に合うようなんですね。
臆病なんですね。
夫が言っていた、Sさんのお地蔵さまを作るきっかけの言葉を思い出しました。
『親が逝って、日一日と私も会える日が近い。
お地蔵さんを作りたくなった』そうですよね・・
Sさんも私も100年も生きないでしょうし、彼岸のことを思うと
御仏が・・・慕わしく思えるのはわかる気がします。
さて、お地蔵様に見上げられると困ってしまいますので
お二方には元の出窓に戻っていただきますね。
そう、そう、
やはり仰ぎ見るほうが落ち着きます。
本当は『先生』と呼ばれるのも苦手です。
できれば、玲子さん・・と呼ばれたいですが、
(一度、卒業生のMちゃんが冒頭に『玲子さんへ』・・
卒舎式の後、手紙を書いてくれて、
そう呼ばれたいなんて一度も言ったことがなかったのに・・うれしかったですね。
この間、会いに来てくれてお礼を言いましたんです)
でも、
『先生』と呼べる人はほしいのです。あのほっとする響きはいいですよね。
そっか。
誰かがいくつになっても夫と私を『先生』と呼ぶ時、ほっとするなら
余計な希望は言わなくていいですね。お地蔵さま」
私の家に去年の暮れから地蔵さまがいます。
それもお二人。
一方通行の話を聞いてもらっています。
不躾にも,
ほどよく見上げるところにいらしていただきたく、
焼酎のビンにも、ポットの上にもキムチのビンにも乗っていただき
酒の相手をしてもらっています。
「なんの、なんの」と許してくださる(聞きたい言葉を聞いているのですが)
申し訳ないほど気さくな「ありがとございます!」のお二人です。
Sさん、いい方々にいらしていただきました。
今北玲子
毎年この日は宮城県の高校の半分以上が卒業式。26期生の四人が、正装のままで、入試を五日に控え29期生が朝から特別授業中の教室に参上!いいなあこの一瞬、ひと時、この瞬間を味わえる器量が暮らすということなんだがなあ。わからん人が多い今の世相、我が塾の一部。
嬉しい一日だった。
更に、本日は私の齢六十を迎える日。二世のお母さんや、三年生からのお祝いにただただ感謝!
昨夜は第29期生卒舎式、皆さんありがとうございました。
29期生から赤いポストを戴いた。その前で記念のTシャツを披露するのは新高校一年生。
卒舎生のめでたい宴に招待されるほど嬉しいことはない。祝辞の依頼が重なると、もう光栄の極み。八木山に住んでいたときからの付き合いだから夫婦、家族、そして塾の歴史が走馬灯のごとく、、、16期生のMちゃんありがとう、素敵な旦那によろしく〓
本日11月11日は、
UM君のお父上のご葬儀。
1期生である長男Mくんの結婚式でのお礼の挨拶を思い出す。
「ほんとは私こんなとこにいちゃいけないんです」
といって参列者を笑いの渦に巻き込んだ。
(塾が縁で依頼した司会者の小袁治師匠にも大うけであった。)
それもそのはず、お父さんは、日本ソフトボール協会の副会長。
当時シドニーオリンピック真っ最中で女子ソフトの人気が沸騰し始めていた時。
家業の会社経営も多忙を極めるなかどれほど献身的に代表チームに尽くされたか想像に難くない。オリンピックという華やかな表舞台の陰に東北の一民間人の気概があったことを記しておきたい。
斎場には元全日本監督の宇津木氏からのお花もあった
今年の北京オリンピックの金メダル、
そして今秋の叙勲のお知らせがまにあったのが救い。
第1期生の親にはいくら感謝してもし足りない。
ご冥福をお祈りします。
ご母堂様、どうぞお体に気をつけてお過ごしください。
家業を引き継いだ次男のYくん、君なら大丈夫だよ。
そしてMくん、また東京で飲もう。
素敵な出会いを作ってくださったU一家に感謝。
−−−
今年も不評を買いながら賑々しくかつ厳かに伝統?の演芸大会が開催された。短い練習期間にもかかわらず拍手喝采のパフォーマンスの連続、さすがわが塾生。皆さん、私の趣味?に付き合っていただきありがとう。さあ残るは冬期講習、来週からもよろしく!
22日は知り合いの息子さんが出場する。
米沢の天元台スキー場でペンションを営む
滝澤夫婦の長男、「滝澤宏臣」さんがその人
スキークロスというオリンピックでは今回がはじめての競技に日本代表で出場する。
スキー界ではアルペン競技に詳しい人ではかなり有名であるが、
一般にはあまり知名度は無い。
大学時代にはいとも簡単に?大回転、回転の覇者になり
ずっと日本代表の強化選手だった。
(中学時代から親元を離れ蔵王近くで下宿生活をしていた。
高校は、北海道や長野の有名高校からスカウトがきたが地元でがんばる、
と山形中央高校で腕を磨いた。そう、スピードスケート500メートルの選手と同じ高校。
アルペンではオリンピックは勝てないと
大学卒業後、モーグルの世界に。アルペンの逸材だけに惜しむ声もあったが、
見事に前々回のオリンピックの代表にもなった、が
怪我で夢果たせず、ひのき舞台から降りていた。
ところが、新しい種目のフリースタイルスキーで不死鳥のごとく蘇える。
先月も股関節の怪我でまたか、と出場が危ぶまれたが、今回はどうやら出場できるらしい。
10数年前、草レースに凝っている時、数年にわたってお世話になった
滝澤さんの息子さんの出場は人事ではない。
一貫して前を向き、度重なる怪我にもめげず、
オリンピックの舞台にまで登りつめた滝澤選手にエールを送りたい。
そしてこの間、ずっと心配しながら息子を見守り続けた滝澤夫婦に
「おめでとう」(今は出場に関して)と言いたい。
そして、22日には結果に「おめでとう」と言いたい。
健闘を祈りたい。
是非皆さんも応援してください。
写真の幟は後援会から入手した。
今北正史
imakita5@rose.ocn.ne.jp
四日の公立入試を目前にした昨日日曜日の昼、直前連続補講の最中に昨年の卒業生、29期生が差し入れを持って激励に来てくれた。更に六日の卒舎式の手伝いも。
一番有り難い。
ついでに?一日早いですが、と誕生日祝いも。
嬉しい一日でした。。
開塾34年目にして初めての本格的な看板取り付けです。周りに飲食店が増えた結果、北仙台駅前の塾ですと言ってもそんなところにありましたっけ?という反応が多く、またここらあたりで気持ちも新たに、との想いからです。まあご覧ください!
今年も恒例のキヤンプ。雨続きの東北で心配だったが滑りこみセーフで梅雨明け。参加者が例年以上に多く嬉しい悲鳴。
食前訓のひと時
今夜の献立はクリームシチュー
今年度の高卒程度認定試験の合格通知が文部科学省から送られてきた。手にしているのは今春高校を中退したばかりのYくん。午前クラスと夜の高校生クラスに通う彼とは高校生になってからの付き合い。いろいろな、様々な進路がある。彼の存在がまた後に続き歩いて来る若者に道を開いてくれる。いつも胸の内を表に出さない彼が今日ばかりは晴れやかな顔。彼の明日に幸あれ。